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コンチェルト。アゲイン  作者: 煮込みハンバーグ
40/51

40【冬深む】

  【冬深む】


 ニッコリ微笑んだ表情。間違いない。

「跡野、結局何だったの?」

「そうだ! 私、ちょっと生徒会に相談したい事があったの。良かったら今から時間ある?」

「あ、ああ」

「人前で話しにくい事だから、ちょっと場所を変えてもいい?」

「分かった」

 加藤は怪訝な表情で俺を見ている。確証が無い以上、加藤にも下手な事は言えない。ここは御堂の提案に乗るしかなさそうだ。

 歩き出す御堂の後ろについて歩いていると、御堂は振り返って俺にニッコリ笑う。

「ねえねえ、今って生徒会室とか空いてる?」

「昼休みは誰も使わないから空いてるとは思うけど」

「じゃあ生徒会室に行こ。一度入ってみたかったんだよねー」

 見た目は、香織や音瀬のように大人しいように見える。でも話し方は俺の身近な女子とは大分かけ離れている。雰囲気が軽いのだ。適当という言葉も当てはまるかもしれない。

 生徒会室に着くと、御堂は手で俺が先に入るように促す。扉を開けて中に入ると、後ろで扉を閉めて内鍵を掛ける音が聞こえた。

「話ってのはなんだ」

「私、文化祭の時から副会長の事、気になってたの。でも副会長に彼女が居るのは分かってる。だから、エッチだけの関係でも私は我慢出来るから――」

「ふざけてるなら帰るぞ」

「……副会長ってノリ悪いね」

 スタスタと俺の隣を通り過ぎた御堂は、白いテーブルの上に座り足を組む。そして、俺の方を見てニッコリ笑った。

「仕方ないなー、じゃあ今からここでエッチする? 学校でしたいなんて、副会長って見た目に似合わず変態なんだね」

 スカートの裾をヒラヒラ持ち上げながらニッコリ笑う御堂。俺はその場に立ったままさっきの質問をもう一度返した。

「話ってのはなんだ」

 俺の質問にため息を吐いた御堂は、またニッコリ笑った表情に戻ってひょうひょうと口にした。

「昨日見た事は黙っててもらえる? その代わりに良い事してあげるから」

「御堂、自分が何を言ってるか分かってるのか?」

「分かってるよー、私もそこまでバカじゃないし」

 御堂は、昨日俺が見た事を黙っていろと言った。それは昨日俺が見た事は公になってはまずい事だと言っているのと同じだ。

 御堂有栖は、黒だ。

「噂が流れてるのは知ってたけど、バッチリ顔を見られちゃったし。結構稼ぎ良いから潰されたくないんだよねー」

「今ならまだ間に合う。あんな自分を切り売りするような事からは手を引け」

「心配してくれるの? やだ、惚れちゃいそー」

 まともに話す気はさらさらないようだ。御堂はテーブルから立ち上がり、腕を組む。

「自分がどれだけ危険な事をやってるか分かってるのか? 小遣いが稼げるなんて軽い気持ちでやってるみたいだが、援助交際は犯罪だぞ。御堂は犯罪に手を染めてる。それに相手の男も児童買春をしている犯罪者だ」

「知ってる? 援交で捕まるの男だけなんだよ。女の方は保護されるの。まあ指導されたり、場合によっては罰金とかもあったりするみたいだけど」

「捕まらないからやっていいなんて事はない。相手が怖い男だったらどうする。刃物を持っていたら? 待ち合わせ場所に行った途端に複数に囲まれたら、女の子一人じゃどうしようも出来ないだろ。今までそんな事に遭わなかったのかもしれないが、これからそういう目に遭うかもしれないだから今のうちに――」

「ヤバ、マジで私副会長の事気に入っちゃった」

 急に抱きつこうとしてきた御堂をかわす。両手が空を抱き締めた御堂は、ニッコリ笑って振り返る。

「男の人に避けられたのって初めて。結構ショックなんだけど」

「ふざけるのもいい加減にしろ」

「えー本気なのにー。副会長ならタダで好きなだけ好きな事していいよー。外とか興味ない? 今の時期はちょっと寒いけど興奮するよー。一回、そういうの好きな人が居たんだけど、その人早過ぎて全然楽しめなかったしー。あっ、でも副会長が早くても全然私は気にしないから」

 御堂とは会話が成立しない。そう思い生徒会室を出て行こうとすると、後ろから明るい御堂の声が聞こえる。

「駿河さんみたいな子って、結構需要あるんだよ?」

「てめえ、香織に手を出したら女でも容赦しないぞ」

「うわっ! 副会長怖い怖い! へぇー、彼女のために怒る時はそんな顔するんだ。カッコいい。ちょーゾクゾクするー」

 笑う。御堂は何を話しても笑う。なんで笑っていられるのか理解出来ない。

「友達経由なら駿河さんの連絡先とかすぐだよー。それで、てきとーにメールして一回くらい遊んで。それから素敵なおじ様達にごしょーかい」

「脅すつもりか」

「だって、懐柔しようとしてもダメだったし。平和的解決が無理だったら、争うしかないでしょ?」

「言っておくが、俺には御堂を警察に突き出すことは出来ない。俺が知ってる話だけじゃ、警察を動かすまでにはいかないからな。せいぜい、御堂に関わるなと香織達に注意するくらいだ。だから、御堂が恐れている事態には、俺は御堂を追い込めない」

「あはは、もしかして侑李ちゃんもその“達”の中に入ってる?」

 この女はどこまで知っている。俺が音瀬と知り合いという所までだろうか。いや、音瀬の名前が出てきたという事は、御堂が音瀬と親交がある事を俺が知っている。という所までは知っている。

「侑李ちゃんが聞いたら喜ぶよー。片思いしてる男の子が、侑李ちゃんの名前聞いて私の事睨むんだもん。安心して、侑李ちゃんは”まだ”綺麗なままだよ」

「音瀬に関わるな」

「それ酷くない? お友達として仲良くしてるのに。恋の話とかいっぱいするんだよ、私と侑李ちゃん」

「分かった、言い方を変える。音瀬を危険な事に巻き込むな」

「失礼だなー。私は友達を危ない目に遭わせたりなんかしないよー。良い人が居たら紹介はするけどねー。その後は二人の問題だし? 何があっても自己責任って――」

 俺は思わず御堂の胸倉を掴む。堪えろ、堪えろ俺。こいつは人間として腐っていても女だ。手を上げるなんて最低な真似はするな。

「あ、これは減点かなー。女の子に手をあげようとするのは減点十点! でも、彼女じゃない女の子のために怒れるカッコ良さは加点一〇〇点! 今の所一九〇点だねー」

 胸倉から手を離すと、御堂は乱れたリボンを整える。

「で? どうする? 私を好きなように出来て黙ってるか。彼女と侑李ちゃんを助けるために黙らされるか」

「俺は二人を守る意外は何もしない。もちろん昨日見た事を先生や警察に言う気もない」

「そっかー良かった。あっ、そういえば二ノ宮さんが私の事を疑ってるみたいなの。二ノ宮さん、副会長の事好きみたいだし、黙らせといてくれない?」

「俺は御堂に協力する気はない」

「ちぇー、じゃあ他の方法を考えよー」

 御堂は扉の内鍵を開けて振り返る。

「あっ、別に彼女とか侑李ちゃんには私の事を言っても良いよ。でも、多分副会長が言えるのは彼女くらいだよね。私と仲の良い侑李ちゃんには言えなさそう。その点は二ノ宮さんも同じだし」

 思ってる以上に癖のある奴だ。もちろん信用なんて出来る相手じゃないし、油断出来る相手でもない。

「まあぶっちゃけ、侑李ちゃんじゃなくても需要のある子はいっぱい居るし? 別に切れても問題ないんだけどね」

 ニッコリ笑った御堂は俺に手を振る。

「あっ、気が変わったらいつでも言ってね。おじさん達は商売相手なだけで、私、副会長みたいな男の方がタイプだから」

 そう言って御堂が出て行き、閉められた扉を見詰める。


「御堂の奴! マジ頭にきた!」

「二ノ宮、落ち着け」

「ふざけんじゃないわよ。侑李に対する言葉もそうだけど、私の優一がそんなクズ女相手にするわけ無いってのっ!」

「二ノ宮、水を差すようだけど、俺はお前のになった覚えはないぞ」

「私の中ではそうなのよ! 聞き流しなさい!」

 放課後、部活前の二ノ宮を呼んで昼休みの事を説明した。俺が懐柔された所は大分省きたが、なんだかそこに憤りを強く感じているらしい。

「侑李に言うわ。もう、喧嘩になっても良い。侑李が危ない目に遭うよりよっぽどマシよ」

「二ノ宮、俺も一緒に立ち会う」

「……ありがと、助かる」

 二ノ宮と音瀬は、サッカー部のマネージャーとしてだけではなく、友達として長い付き合いだ。加藤もそうだが、この三人は特に仲が良い。そんな友達に、仲良くしてる人と関わらないようにしろと言うのは酷な話だ。場合によっては俺から――。

「絶対、私が言うから。あんたにはもう自分傷付けされるような事はさせない」

「分かった。放課後また来る」

「うん」

 二ノ宮と分かれ、俺は生徒会室に向かう。生徒会室に辿り着いて扉を開けると、中から何やら声が聞こえて来た。

「あの、先輩。今、近藤先輩も跡野先輩も居なくて」

「あ、きみバレー部の一年生だよねー? ちょー可愛いー! 男子にモテるでしょ?」

「いえ、そんな事は……」

「いやいやモテるって、年下の魅力って言うの? 守ってあげたいーって感じするしー」

 俺は勢い良く扉を開ける。視線の先には、椅子に座ってニコニコ笑う御堂が居た。

「生徒会に何の用だ」

「副会長お疲れー」

「何の用だ」

「つれないなー、せっかく会いに来てあげたのにー」

 野田さんは御堂の隣に座って困った表情をしていて、眞島は少し離れた所で書類整理に集中している。

「要件は何だ」

「副会長ってマジメー。さっきからずーっとお仕事の話ばっかり。そういう男はモテないぞ!」

 人差し指で俺をビシッと指差し、御堂はニコニコ笑う。俺はそれを無視して、御堂の正面に立つ。

「用件は?」

「もー、仕方ないなー。用事はコレ」

 スマートフォンの画面を俺の顔に向ける。そして、その画面にはグルチャのやり取りが表示されていた。

『今度お友達と遊ぶんだけど、侑李ちゃんもどう?』

『お友達?』

『うんうん、すごく良い人だしご飯も奢ってもらえるし』

『私、部活もあるし』

『たまには息抜きも必要だよー! 行こうよー』

 グルチャのやり取りはそこで途切れている。多分、履歴の時間的に音瀬が部活に行ったからだろう。

「という事で、副会長は今日は帰るからー。会長さんにはそう伝えておいてね!」

「ちょ、跡野先輩、これは」

「野田さん、近藤さんに用事があって帰るって伝えておいてくれ」

 野田さんにそう言うと、扉を開けて振り返る御堂に視線を向ける。音瀬の代わりは居ると言ったのに、どういうつもりだこいつ。

 校門を出て、下校生が周りに居なくなると、俺は口を開いた。

「音瀬の代わりは居るんじゃなかったのか?」

「うん、侑李ちゃんの代わりは居るよー。でもー、副会長の代わりは居ないしー」

 ニコッと笑う御堂は、舌をペロッと出す。

 何が目的なのか分からない。俺を脅したとしても、昼休みに御堂に言った通り、俺の知ってることだけではどうしようもない。御堂が援助交際を出来ない状態に追い込むことは不可能だ。なのに何故、俺を脅そうとする。

「あ! それからそれから」

 スマートフォンを弄る御堂は、操作を止めて画面を再び俺に見せる。その画面を見て、俺はまた御堂の胸倉を掴んだ。

『この子達とかどう?』

『おー、黒髪の子良いね。でも外人の女子高生も珍しいし捨てがたいな』

『黒髪の方は貫通済み。外人の子はちょっと分かんないけど、外人だし上手いんじゃないかな?』

『二人一緒にとかムリ?』

『この変態おじさんめっ! どうだろ、上手く行くかどうか分かんないけどやってみる。あっ、この前紹介した子どうだった?』

 グルチャに香織とセリアの隠し撮りされた画像が貼り付けられ、それを見た誰かの反応。その誰かと御堂のやり取りだった。その誰かが援助交際の相手であるのは間違いない。

「まだ画像を見せただけなんだけど、このおじさん、ノリノリなんだよー」

「二人に関わるな」

「あはは、まだ画像を見せただけだって。連絡先とか”まだ”知らないし、これから知ろうと思えば出来るけど」

「何が目的だ」

「えー? 副会長に決まってるじゃん。いい男だし、それに彼女持ちってのも良いよね! 彼女から彼氏を奪い取るのって気持ちが良いし。奪い取らなくても彼女持ちとエッチするの好きなの。背徳感ってやつ?」

「俺はお前とはそんな関係にならない」

「分かってる分かってる。副会長は自分からそういう事はしないって。だから、私が副会長がそうしなきゃいけない状況を作ってるんだよ。副会長は優しいから」

 ニコニコ笑う御堂。底が見えないその笑顔に寒気を感じる。

 本当に俺が目的とは思えない。それに、もっと気になる事がある。

 どうして御堂は援助交際なんてしているんだろう。

 ブランド物を沢山持っているという事は、間違いなく得たお金はそのブランド物にも使われているだろう。だが、本当にお金が欲しいからなのだろうか。

 二ノ宮は援助交際をする理由をお金以外に、ストレス解消だとも言っていた。でも、それも少し御堂の場合だと違う気がする。

 そして、ずっと感じていた軽さ、適当さ。それは他人に対してもそうだが、御堂は自分の事に対しても軽いし適当だ。

「御堂。お前、自分に対して何か諦めてないか?」

「えっ?」

 俺がそう言った瞬間、初めて御堂の表情が曇った。

「金以外に、援助交際をやってる理由があるんだろ。それが解決出来れば――」

「男の副会長には分からないって」

 御堂は視線を外して歩き出し、数歩先でさっきまでのニコニコとした笑顔に戻っていた。

「あー、なんか白けちゃった。副会長もういいよー。安心して、彼女にもお友達にもちょっかい出さないからさ。んじゃねー」

 そう話を切って、御堂は小走りで立ち去っていく。

 お金目的でもストレス解消目的でもない理由。そして、男の俺には分からない理由。

「戻るか」

 後ろを振り返り、学校に戻りながら考える。

 あの曇った表情、あの表情は何か引っ掛かる。あの困ったような寂しいような悲しいような、沢山の感情が入り混じった表情が、御堂の本当の姿だったとしたら。

「御堂は腐った人間じゃない。何かの理由で腐らされたんだ」


 生徒会が終わり香織を家に送った後、俺は二ノ宮に呼び出された。場所は二ノ宮の家、既に音瀬も一緒らしい。そして二ノ宮の家に辿り着いてインターホンを鳴らすと、中から二ノ宮が出てきた。

「入って」

 重々しい表情で出迎えられ、中に入り二ノ宮の部屋に行くと、床に座る音瀬と目が合った。

「跡野、くん?」

「二ノ宮、俺が来る事は言ってなかったのか?」

「言ったら侑李が逃げるし。……全く、私が知らない所であんた達何やったのよ」

「「…………」」

「まあいいわ。今日はそんな話をするために呼んだわけじゃないし」

 二ノ宮は音瀬の前に座り、俺は二人から少し離れた隅に座る。

「侑李……御堂とはあまり深く関わらないようにして」

「……江梨子ちゃんごめんなさい。それは出来ない」

「侑李、侑李が仲良くしてる子にこんな事は言いたくないけど……御堂は援交してる。しかも、それを他の子にも斡旋してるのよ」

「…………」

「侑李、お願い――」

「音瀬、御堂が援交してるの知ってたんだな」

 俺は二ノ宮の言葉を遮って、音瀬に言葉を掛ける。音瀬は二ノ宮の言葉を聞いても驚いた表情はしなかった。それどころか、悲しそうな表情をした。

「音瀬は、御堂に援交を辞めさせようとしてるんだろ。そして、御堂が援交をやってる理由も知っている」

「……跡野く――」

「答えなくていい。さっきから言い辛そうだからな。それに御堂は俺に理由を話さなかった。でも音瀬は知ってる。って事は、御堂は音瀬の事を信頼して話したって事だろ。で、音瀬は御堂を止めようとしてる。そんな状況で信頼を失うような事は避けたい。だから、俺にも二ノ宮にも言えない。俺はそう判断した。だからこれ以上、俺は音瀬からは聞かない」

 御堂は男の俺には分からないと言った。だとしたら、俺では音瀬の力にはなれない。でも……。

「二ノ宮なら力になれるんじゃないか? 男の俺では分からない事でも、女の子の二ノ宮なら分かる。分かる奴なら何か良い方法を思い付けるかもしれない。それに、二人は友達だろ? 二ノ宮の事、頼ってやれよ。二ノ宮は音瀬のためなら全力で協力してくれるぞ」

 俺は立ち上がり、二ノ宮と音瀬を見る。二人はサッカー部で一緒に頑張って来た仲間だ。でも俺と二人は同じ場所には絶対に立てない。それは、俺が男で、二人が女だから。


 次の日の放課後、生徒会を休んでこの辺では南校と呼ばれる高校の校門前に立っている。違う制服の奴が校門前に立っていると言うのは、恐ろしく場違いな光景だ。

 三年のサッカー部や他の三年の知り合いに御堂について聞いてみた。男子からは可愛いという意見くらいしか出てこなかったが、女子からは結構情報がもらえた。

 御堂は元々うちの高校ではなく、この南校に通っていた。しかし、二年の途中でうちの高校に転校してきたらしい。そして、転校してきた時には既に御堂はあんな感じだったらしい。

 元々あんな性格だったのかもしれない。でも、生まれた時から自分を諦めている人間なんていない。何か、諦める理由があるはずだ。

 南校から出てくる生徒達は、俺の方に後期の眼差しを向けられる。

 うちの高校とは違い、男子は学ランで女子は紺色のセーラ。うちの高校よりも印象が大人しく見える。実際、南校はこの地域でも進学校の部類に入る高校。

「あの、すみません。少し聞きたい事があるんですが」

「はい?」

 近くを通り掛かった女子生徒に話し掛ける。こういう時、男子より女子の方が話しやすい。

「以前ここに通っていた御堂有栖さんの事はご存知でしょうか?」

「すみません! 急いでるので失礼します!」

「あっ、ちょっ――……」

 話し掛けた女子生徒が小走りで立ち去っていく。その直後、校門前に居た生徒達の歩みが早くなった。更に、全員が俺から視線を逸らす。

 そして、校門前から生徒達の賑やかな声が消えた。

「何だ……これ……」

 異様な雰囲気に背筋が寒くなる。

 御堂の事を尋ねただけでこの状況、明らかに何かある。それも、校門前に居た生徒達を無言にさせる程の何かが。

「あの……」

「ん?」

 俺を避ける生徒達ばかりの中、一人だけ俺に近付き話し掛けてきた。

 ショートカットの髪に少し日に焼けた女子。運動部の生徒だろうか? しかし、この時間帯はどの学校でも部活の活動時間のはずだ。実際、校内からは運動部の掛け声も聞こえてくる。でも彼女はスポーツバッグを持っていないし、今から帰宅するようにしか見えない。

「有栖の友達ですか?」

 彼女は周囲を見渡して小声でそう尋ねてきた。御堂を名前で呼んでいるという事は、名前で呼ぶくらいの交流があったという事だろう。

 他の生徒達とは話さえ出来ない状態だ。どうにか彼女から御堂について話を聞きたい。

「御堂とは知り合いです。でも、御堂は何か自分を諦めたような感じをしてて。その理由を知りたいのですが」

「あの、近くに美味しいケーキ屋さんがあるので、そこに行きましょう。ここだとちょっと……」

「確かに、ここは立ち話出来るような状況ではないですね」

 彼女の案内で校門前から離れ、少し歩いた所にある小さなケーキ屋に入った。外観は木目調の落ち着いた雰囲気の壁や看板で、女の子が好みそうな可愛らしいお店だった。

 店内に入ると、ショーケースに沢山のケーキが並べられ、そのケーキも店の雰囲気に合って可愛らしい。香織が目を輝かせる姿が目に浮かぶ。今度、香織を連れて来よう。

「えっと、ここで食べます。私は苺ショートとダージリンティーで」

「じゃあ、俺はガトーショコラと……」

 メニューには紅茶しかなく、日頃紅茶を飲まない俺は困って言葉を止める。

「アッサムのミルクティーがおすすめですよ」

「じゃあ、飲み物はそれで」

 注文を終えて窓際にある席に彼女が移動する。壁に遮られて店員達からは死角に入っている。それに、今は俺達以外の客は居ないようだ。

 ケーキと紅茶が運ばれて来てから、俺は口を開いた。

「中央校二年の跡野優一と言います」

「南校三年の秋田葵あきたあおいです」

 自己紹介をして、とりあえずミルクティーを飲む。爽やかでミルクの甘みがあって飲みやすい。秋田さんは紅茶を一口飲んでフォークでケーキを切って口に運ぶ。

「跡野くん、私より年下には見えないね」

「ああ、俺は休学時期があって留年してるから、年齢は秋田さんと同じですよ」

「そうなんだ、じゃあ跡野くんも敬語は止めよう」

「ありがとう。ところで、御堂の事なんだけど」

「跡野くんは、有栖の事が好きなの?」

「いや、俺と御堂はそういう関係じゃない。御堂は今危ない事に首を突っ込んでる。それを止めたいんだ」

 秋田さんは表情を曇らせて俺へ疑いの目を向けてくる。まあ無理もない。

「有栖は、具体的にどんな危ない事になりそうなの?」

「御堂は援助交際をしてる。本人もそうそれを認めた。俺は御堂に自分を切り売りするような事を止めるように言ったが、御堂は聞かなかった。その時に俺は御堂に、援助交際を何故やるのか聞いたら言われたんだ。男の俺には分からないって」

「…………」

 明らかに秋田さんの表情が曇る。その反応で、秋田さんには男の俺には分からない事について思い当たる事があるのが分かる。

「ごめんなさい、私じゃ跡野くんの力になれそうにない」

「じゃあ、俺の力にはなれなくていい。だから、御堂の力にはなってもらえないか? 秋田さんが御堂と友達なら――」

「ごめんなさい、それも出来ない。今更、有栖の友達だなんて言えない。私にはその資格が無いから……」

 言葉のトーンが落ちる。何かあるのは分かる。でも、言えない事らしい。

「御堂は自分を諦めてる。なんか、自分の事なんかどうでもいいような、自分を大切にしてないような感じがするんだ。それも問題だ。だけど援助交際は危ない。手遅れになる前に止めないと、御堂の未来が途絶えるかもしれない」

「なんで、好きでもない女の子のためにそこまでするの?」

「目の前で危ない目に遭いそうな子が居るのに、放っておけるわけないだろ」

 目を丸くして俺の目を見て、秋田さんは視線を落として頷いた。

「跡野くん、私が話す事を誰にも言わないって約束出来る?」

「ああ」

「それと……凄く辛い話になるけど大丈夫?」

「……秋田さんは大丈夫か?」

「えっ?」

「秋田さんに辛い話を話させてしまうけど、大丈夫か?」

「う、うん、大丈夫……」

 俯いた秋田は一度深呼吸をして、俺の目を見た。

「私と有栖は、南校でバスケ部に入ってたの。有栖は明るい性格で見た目も可愛かったし、女子にも男子にも人気だった。でも、二年に上がったばかりの春に……」

「秋田さん? 大丈夫か!?」

 秋田さんは言葉を途切れさせて、口を押さえて嗚咽を漏らす。

「大丈夫、大丈夫だから」

 手の甲で目元を拭った秋田さんは、また深呼吸をする。

「二年の春に、当時三年だった男子バスケ部の男子三人に部室へ呼ばれた有栖は、その男子達に……部室で乱暴されたの……」

「なん、だって……」

 予想出来ない事だった。そして、体の血の気が全部引いた。なんて酷い事を、女の子を男三人がかりでなんて……。

「その事件は、後々問題になって犯人の男子三人は退学処分になった。でも、そのせいで全校生徒全員が、その事件について知ったの」

「……そんな、なんでそんな事に! そんな事が広まったら辛いだろうって分かるだろ! なんで全校生徒に広まるような事になったんだ!」

 つい叫んでしまったが、ハッと我に返って頭を下げる。

「すまない、秋田さんは何も悪くないのに」

「ううん、大丈夫。でも、そうやって怒ってくれたから、もっと跡野くんの事を信頼出来そう。……有栖の事を広めたのは、それを見た男子だったの。男子達に、乱暴されてる有栖の事を見た事を全部何もかも話したの」

「そいつはなんで止めなかったんだ。目の前で女の子が酷い目に遭ってるのに!」

「エロかったからだって……可愛い有栖が乱暴されて泣き叫んでる姿が」

 腐ってやがる。そいつも犯人も人間じゃない。人間の皮を被った悪魔だ。

 目の前で苦しんでいる人が居るのに、なんでそれを見て悦べる? なんで、それを止めようという考えに至らない? 分からない理解出来ない。分かりたくない理解したくない。

「最初は、有栖は被害者だった。でもいつの間にか有栖は被害者扱いされなくなってた。嬉しかったんだろ? お前が誘ったんじゃないのか? そんな事を男子からも女子からも言われるようになった」

「なんでそんな事に……。そんな事をされたら嫌だって分かるだろ」

「有栖はモテてたから、有栖に嫉妬する女子も居た。女子の方は、そういう子達が積極的に言ってた。男子の方は……誰一人、有栖の事を分かってくれなかった」

「うそ、だろ? 考えなくてもそんなの誰だって分かるだろ!」

 秋田さんは力なく首を横に振った。

「もしかしたら、跡野くんみたいに分かってた人は居たのかもしれない。でもみんな、何も言わなかった。みんな、有栖がそういう事が好きな女の子だって言ったの。それからすぐだった、有栖が転校したのは……」

 そんな状況の学校に居られる訳がない。だから、御堂が転校を選んだのは当然だ。

「私は、何も出来なかったの。有栖に話し掛ける事しか出来なかった。周りを止める事も、止めようとする勇気も出なかった。だから……私は有栖の友達だなんて、もう言えない」

「でも、秋田さんは御堂に友達として接してたんだろ? なら、御堂だって」

「ううん、話し掛ける事しか出来なかった。有栖は、私が話し掛けても話し返してはくれなかった。きっと有栖はもう、私の事は友達と思ってくれてなかった。でもそれは当然だよ。有栖が辛い時に何も出来なかったんだから、友達だなんて思ってもらえる訳がない」

「秋田さんが自分を責める必要はない。それにこんな話をさせてしまってすまない。嫌な事を思い出させた」

 秋田さんは紅茶を一口飲んで俯く。俺は視線をまっすぐ向けたまま、椅子の下で拳を握った。

 御堂の言っていた通り、男の俺には、御堂の気持ちを正しく理解する事は出来ない。俺が想像出来る辛さや悲しさなんかじゃ、御堂の受けた傷は到底理解出来ない。それに俺がどれだけ言葉を重ねても、どうにか出来る気がしない。そんな自信は、秋田さんの話で消え失せた。

 俺には何が出来るのか分からない。甘い気持ちで来たわけでは決してなかった。でも、俺の覚悟を遥かに上から叩き潰されてしまった。

「跡野くんは、優しい人で良かった?」

「えっ?」

「だって、そんな真っ青な顔をしてるのに、私の事を気遣ってくれたから」

「いや、俺は……」

 秋田さんは腕時計を見て、ケーキを食べ終えて紅茶も飲み干す。

「ごめんなさい、この後用事があるから」

「あ、ああ、今日はありがとう」

「ううん、こちらこそ。じゃあ……」

「ここは俺が払うから」

「それは――」

「嫌な思いをさせてしまった代わりにはならないけど、これくらいさせてくれ」

「ありがとう」

 深々と頭を下げた秋田さんが立ち去るのを見送って、俺は椅子の背もたれに背中を付けて息を吐いた。

 目の前にあるガトーショコラを残すのは勿体なく、フォークで突き刺し一口で食べる。

 話を聞く前は甘さと苦さのバランスが良い、美味しいガトーショコラだった。でも今は、喉の奥に詰まるような苦味しか感じなかった。


 学校に戻って来て、校門の脇にもたれ掛かる。今、中に入って二ノ宮や音瀬、それに香織を目の前にしても上手く笑える気がしない。

 音瀬はもちろんだが、二ノ宮にも相談出来ない。もちろん香織には絶対に言えない。秋田さんと約束した以前の問題だ。男の俺が話を聞いただけでもこれだけきついのだ、女の子の香織達に言える訳がない。

 御堂の抱えている問題は、援助交際とは別種の首を突っ込んではいけない問題に思える。特に、男の俺は安易に首を突っ込んではいけない。

 でも、分からない事がある。御堂は何故、秋田さんが話してくれた事件で援助交際なんて事に走ったんだろう。そういう事があったら、男に対して恐怖や嫌悪を抱くのではないだろうか。なんで援助交際なんかを……。

「えいっ!」

「フガッ!」

 突然、鼻を摘まれて息が詰まる。俺は鼻を摘んだ犯人を見ようと視線を下げると、目の前にニッコリ笑う香織が居た。

「優一さん、お疲れ様」

「お疲れ、香織」

 制服姿の香織の手をとり歩き出す。香織の手を握ると香織がギュッと握り返してくれる。

『男子達に……部室で乱暴されたの……』

「キャッ!? ゆ、優一さん!? どうしたの!? 優一さん!?」

 体が震える。秋田さんの言葉を思い出して、隣に居る香織と重なった。

「優一さん、何があったの?」

 何でもないと言い逃れは出来ない。香織の目を見れば分かる。でも、正直に話すわけにはいかない。香織に嫌な思いや怖い思いなんてさせたくない。

「優一さん、大丈夫だから、話して。優一さん、私の事を考えて黙ってるのは分かってる。でも、こんなに震えてる優一さんは見たくない!」

 腰にしがみついた香織が、キツく俺の体を締め付ける。

「ここじゃ、話せない。うちに来れるか?」

「うん、お母さんに優一さんの家に行くってメールする」

 香織がスマートフォンを取り出して操作するのを見ながら、俺は香織をそっと抱き返した。


 家に行った瞬間に、香織は母さんから晩飯に誘われて一緒に晩飯を食べた。それから、少し香織は母さんに捕まって立ち話をし、それで俺の部屋に来た。

「香織、母さんが――ンッ……」

 部屋に入った瞬間、香織がキスをする。少し、背中に残った寒気が引いてきた。

「優一さん、ベッドに横になって」

「えっ?」

「ち、違うよ! お家の人が居るし、優一さんがこんな時には――」

「大丈夫、分かってる、分かってるから」

 真っ赤な顔をして両手を振る香織の手を引きベッドの上に座る。そして、俺は香織の言った通りベッドに横になる。すると、香織も横になって布団を被り俺に近付き首を抱いた。

「話して。これなら、私は何処にも行かないし、優一さんの見てる所に居るから。だから、安心して話して」

「ありがとう、香織。……香織は、うちの高校に援助交際をしてる三年が居るって話、聞いた事あるか?」

「うん……誰かとかは知らないけど、そんな噂は聞いたことがあるよ」

「二ノ宮から、その援助交際をしてる三年と音瀬が仲が良くて、心配だって聞いたんだ」

 香織は俺の話に頷き真剣な眼差しを向けてくれる。

 俺は、御堂の名前は出さなかったが、御堂が援助交際をしている事、音瀬はそれを知りながら御堂を音瀬なりに止めようとしてる事を話した。そして、御堂が俺に男の俺には分からない。そう言われた所まで話した。

「…………」

「優一さん?」

「その三年が前に通ってた高校に行って、その三年の友達に会えた。その友達から聞いたんだ。その三年は……二年の時に男子から乱暴された事があるって」

 香織は顔を俯かせ俺の胸に額を当てた。そして一言「最低」そう口にした。

「…………俺も生半可な覚悟で聞いたつもりじゃなかった。でも、どうしようもないくらい問題が大きかった。軽い気持ちでどうにかするなんて言えない問題だった。それにこんな事、二ノ宮達にも言えないと思った。もちろん香織にも言うつもりはなかった。でも……ごめ――」

「言ってもらえて良かった。確かに凄く怖いし体が冷たくなった。でも、こんな思い、優一さんだけにさせなくてよかった。だけど……」

「ああ、その三年は俺達なんか比じゃないくらい辛い。そんな目に遭った日からずっと、今もだ」

「でも……どうにかしたいけど……私達に何が出来るんだろう」

 二人で黙り込む。

「優一さん、怒らないでね。私、もしその三年生と同じ事になったら、私は優一さんの前から居なくなると思う」

「そんな事には俺が絶対させない」

「ありがとう優一さん。……私は、優一さん以外の人に汚された自分なんて堪えられない。でも、多分その人はそうじゃないんだよ。きっと汚された自分を許せないのは同じだけど、きっと自分自身を責てるんだと思う。きっとまだ、他にもそう思う理由があると思う」

「自分を責めて……」

 香織の言葉を聞いて、自分を最低だと言っていた音瀬と重なった。

 音瀬は御堂の気持ちが分かったのだ。だから御堂が援助交際をしてる理由を理解出来た。そして、その上で御堂を止めようとしてる。

 でも、それは俺には分からない。男の俺には知る事は出来ても、分かる事は出来ない。

「優一さん……ごめん、抱き締めて」

 香織の腕が首から外れ、両手で俺の胸元のシャツを掴む。俺は香織の背中に手を回してピッタリ香織の体を引き寄せた。

「私には、こうやって私を安心させてくれる優一さんが居る。でも、もしその人に優一さんみたいな人が居なかったら、凄く辛いと思う。どうすれば良いのか分からなくて、それで自分で自分を傷付けてるんだと思う。私のやってる事が正しい、私は居ていい人間なんだって思わせてくれる人が居ないから、自分を認められないんだと思う」

 香織は体を震わせて俺の腰に手を回す。

「香織、ありがとう。それと怖がらせてごめん」

「ううん、優一さんの辛さ、少しは軽く出来た?」

「ああ、凄く楽になった。香織のお陰だ」

 俺は、香織の唇を奪った。香織と体を触れ合わせているその時だけは、何も考えず、ただ香織を好きだという気持ちで自分を支配出来た。


 香織を家まで送り、家へ戻る途中、俺はあのコンビニの前に立っていた。初めて、御堂を見たあのコンビニだ。

 冬の風が吹いて寒い夜に外で突っ立っているのは辛い。しかし、俺は来る保証もない人をジッと待っていた。

 ここに立ち始めて二十分くらい経った頃、ポケットに入れたスマートフォンがブルブルと震える。スマートフォンを取り出して画面を見ると、音瀬から着信が入っていた。

「もしもし?」

『えへへ、えへへへへ』

「お前……誰だ」

 背筋に寒気が走る不気味な、聞き慣れない笑い声。明らかに音瀬ではない男の声だ。

『マミちゃんがなかなか紹介してくれないからさー、我慢出来なくて会いに来ちゃったんだ~』

 さっと歩き出し、俺は電話の主に話し掛けた。

「この番号はあんたの番号じゃないだろう。なんであんたが持ってる?」

 電話の向こう側に居る男は、イヒヒっとまた不気味に笑って話を続ける。

『マミちゃんもおっちょこちょいで可愛いよねぇー。スマホの画像ってGPSの情報が載ってるんだよー。それ消しとかないと学校バレちゃうのにねー』

 俺はすぐに察した。マミと言うのは御堂の偽名だろう。援助交際をしているなら本名を名乗る訳がない。それとスマホの画像と言うのは、多分援助交際相手とのやり取りした画像の事だろう。御堂は俺を脅すために、援助交際相手にセリアと香織の画像を送っていた。その時の相手にはそういう知識はなかったが、音瀬の画像を送った相手は、画像のGPS情報を取得出来るという知識があった。

 そして今、その援助交際相手の手に音瀬のスマートフォンがある。

「音瀬をどうするつもりだ」

『どうするって、そりゃマミちゃんみたいに良いお付き合いをするつもりだよ。その前にね、彼氏の君に断りを入れておこうかなーって思って』

「何の断りだ」

『知らない男に自分の彼女が犯されるよってねー。うひゃひゃ、うひゃひゃひゃひゃ』

 理由は分からないが、電話の向こう側に居る男は、俺を音瀬の彼氏だと勘違いしているらしい。そして、頭のネジが飛んだ、気色の悪い奴のようだ。

「侑李がそこに居るって証拠はないだろう。あんたが侑李の落としたスマートフォンを拾っていたずらをしてるだけだ。今朝、侑李はスマートフォンを落としたって言ってたからな」

 とりあえず彼氏の振りをする。そして、スマートフォンを落としたと嘘をついた。まだ音瀬がこの男と一緒に居るとは限らない。本当にスマートフォンを落として、それを拾ったこいつがいたずらをしているだけかもしれない。

『そうだよねーそうだよねー。やっぱり信じられないよねー。自分の大切な彼女だもんねー。はい、彼氏に声を聞かせてあげなよ』

『あ、跡野くん、助――イヤッ!』

『うわー可愛い反応! ねえねえ、知ってる? 侑李ちゃんの今日のパンツは白と水色の縞々――』

「今すぐ音瀬から離れろ! このクズがッ!」

 音瀬の悲鳴が電話の向こう側から聞こえ、冷静さを失って怒鳴り返す。彼氏の振りを忘れて、音瀬の苗字をつい呼んでしまった。しかし、電話の主は楽しそうに笑っている。

『いいねーいいねー。彼氏から可愛い彼女を奪い取る感じ、やっぱりビデオよりリアルの方が興奮するね!』

 心の中で自分に落ち着けと言い聞かせる。まだ音瀬は無事のはずだ。

『そろそろメインイベントに移ろうか! 君は僕と侑李ちゃんが楽しむのを電話越しに聞けるんだよ! 凄く興奮するよね! よかった――』

 電話の向こう側から別の男性の怒鳴り声と、激しい足音が聞こえる。そして確かに俺の耳に聞こえた。『犯人確保!』という声が。

『もしもし? 警察の者です。犯人は確保しました。安心して下さい』

「あの、音瀬は!? 音瀬は無事ですか!?」

『外傷も服の乱れもありません。大丈夫、無事です。安心して下さい』

「よかった……」

 俺は、ホッと息を吐いて”パイプ椅子”の背もたれに背中を預けた。

「良く頑張った」

 隣に居た警察官が俺の背中を強く叩く。

 俺は、電話を受けてすぐに交番に向かった。そして、そこで筆談を使い事情を説明した。

 すぐに他の警察官達が駆け付け、音瀬のスマートフォンのGPS情報の取得と、現場へ警察官が向かう時間稼ぎを頼まれた。それで、出来るだけ会話を長引かせたのだ。

「怪我等はないようですが、被害者の子は近くの病院に搬送されます。病院までお送りします」

「ありがとうございます」

 俺は深々と頭を下げてお礼を言い、パトカーの後部座席に乗り込んだ。


 病院にたどり着くと、女性警官に付き添われて座る音瀬の姿が見えた。俺はその姿を見てた安堵で、その場にへたり込みそうになるのを必死に耐えた。

 オレンジ色の薄手の毛布に包まった音瀬と目が合う。その瞬間、音瀬は立ち上がって駆け出し、ドスンと俺の胸にぶつかった。

「音瀬、無事で良かった」

「跡野くん……跡野くん……」

「大丈夫だ。警察が守ってくれた。犯人も捕まえてくれた。だからもう大丈夫だ」

 背中を擦って安心させようと声を掛ける。音瀬は俺の胸でワッと泣いた。俺はそんな音瀬の背中を擦り続けて、大丈夫大丈夫とずっと言葉を掛け続けた。


 音瀬の母親が駆け付けて、音瀬を抱き締めて警察に頭を下げ、そして音瀬を自宅に連れ帰った。俺は病院から徒歩で家まで帰る事にして、病院を出た。そして、出た瞬間にまたスマートフォンが震えた。

「もしもし?」

『優一!? 侑李と連絡がつかないの! グルチャもメールも電話もダメ。家に電話しても出ない! 侑李が――』

「大丈夫だ、もう一度連絡してみろ」

『優一……なんかあったの?』

 俺は二ノ宮の返答を聞いて、心の中で自分に舌打ちをした。

「何もない」

『優一が私を誤魔化せるわけないでしょうが』

「…………」

『優一、今から出られる?』

 何も言えなくなった俺に、二ノ宮が間髪入れずそう言ってくる。でも、音瀬の事を聞けば、二ノ宮は冷静さを失う。

 確かに御堂の軽率な行動によって、音瀬は危険な目に遭った。

 援助交際をやる人間にまともな奴なんて誰一人として居ない。やって良い事とやって悪い事の境界がそもそも無いような人間なのだ。そんな相手を軽く見ていたから、今回のような事になった。運が悪ければ、最悪の事態に陥っていた。

 でも、それを二ノ宮に知らせたら、本当に何をするか分からない。

『優一、聞いてんの?』

「二ノ宮、もう夜も遅い。話はまた今度だ」

『だから、誤魔化されないって言ってんでしょ』

 二ノ宮の声のトーンが落ちた。もう、完全に俺に疑念を抱いている。

『出てくるから、いつものファミレスに来て。逃げんじゃないわよ』

 電話は切られ、スマートフォンを仕舞って息を吐く。とりあえず、行かないわけにはいかない。

 どうやって二ノ宮の追及をかわすか、それを考えながらファミレスに向かって歩き出す。


「優一、座って」

「二ノ宮、すぐに帰るぞ。女の子がこんな時間に出歩くなんてダメだ」

「優一が守ってくれるから大丈夫よ」

「喜んで良いのかどうか分からん信頼だな」

 ファミレスに着くとすぐに二ノ宮が見付かった。そして、二ノ宮に促され仕方なく腰掛けると、二ノ宮はフッと息を吐いて、ギッと睨み付ける。

「私、全部知ってるから。侑李が電話してきた。着信履歴とかメール履歴とか見たみたい」

「二ノ宮、冷静になれよ。御堂に何したって――」

「そんで、御堂に怒るなって言われた。あと、優一を責めんなとも言われた」

 実に不機嫌そうだが、音瀬の言うことには従うようだ。ひとまず安心出来そうだろう。

 しかし、だったら何故こんな急に呼び出したりなんかしたんだろう。

「で? なんで呼び出したんだ」

「優一はさ、私が売りやってたって言ったらどう思う?」

「二ノ宮はやってない。二ノ宮は自分を切り売りするようなやつじゃない」

「でも、私は男をとっかえひっかえしてたわよ」

「だけど、二ノ宮にはそんな噂は立たなかった。付き合ってる期間が短くても真剣に付き合ってたって証拠だろ」

「ありがとね。でも、仮にやってるとして話ししてくれない? 話が前に進まないから」

「……もしそうだとしたら、全力で止める」

 二ノ宮はそんな事をするわけがない。でももしやっていたとしたら、絶対に止めさせる。何が何でも、それこそ二ノ宮との縁が切れても。それだけ、俺は二ノ宮に助けられた。だから、自分で自分の道を狭めるような事はさせない。

「そういえば、香織を一年に取られたかと思って優一が凹んでた時、あんた侑李とキスしたらしいわね。この浮気者」

「あれは……」

「侑李も侑李よ。いくら優一の事が好きだからって、凹み切ってる優一にキスするなんて。侑李の事、ちょっと見直したわ」

 ニヤリと笑う二ノ宮は、自分の席を立って俺の隣に座る。

「なんで隣なんだよ」

「何? 意識してくれてんの?」

「するだろ、二ノ宮は可愛いし。てか、なんでちょこっと話すだけなのに、そんなおしゃれしてるんだよ。寒くないのかよその格好」

 上はセーターにダウンを羽織っているが、ミニスカートにブーツ。ちょっと友達と話すために出て来るにしては、二ノ宮の格好は少しおしゃれ過ぎるような気もする。それに絶対に足が寒いはずだ。

「好きな男と会うのに、適当な服で会うわけ無いでしょうが」

 ファミレスを出て二ノ宮を家まで送る。もう夜も遅い、これ以上外を出歩かせるわけには行かなかった。

「帰れ帰れって、そんなに私と話したくないの? …………優一」

 唇を尖らせた二ノ宮は、そっと俺の手を握る。その手は震えていた。

「二ノ宮?」

「ごめん、ちょっと侑李から聞いた話にキツい話があってさ……。ホントは、優一の顔見たくて……」

 音瀬は、御堂の事を知っていたらしい。南校で何があったのかを。そして、音瀬はそれを二ノ宮に相談したんだろう。

 音瀬も二ノ宮も女の子だ。同じ女の子が、それも自分と同じ学校に通う女の子が乱暴された話なんて、ショックを受けたに決まっている。

「二ノ宮」

「分かってる、優一は香織のものだから、私が優一に甘える権利なんかないってのは」

「二ノ宮」

「ホントごめん」

「二ノ宮は強がり過ぎだ。音瀬の前で弱気になれないのは分かる。話を聞いてる立ち場だからな。でも、強がる必要のない相手には強がるなよ。誰でも彼でも強がってたら、心がすり減るだろう。大丈夫、南校に行って御堂の友達に会ってきた。大体の事は知ってる」

「……優一、怖い。話を聞いただけなのに、頭の中に怖くて気持ち悪い光景が浮かんできて」

「女の子なら誰だってそうだ。音瀬も二ノ宮も香織も……御堂もそうだ」

「優一……全くあんたって奴は……バカ……」

 女の子なら誰だって怖い。それは、当の本人である御堂はもっと怖いはずだ。そして、今もその恐怖を抱えたまま自分を傷付け続けている。

「どうするつもりよ」

「止めさせる」

「具体的には?」

「……まだ考えてない」

 どうすれば良いのか分からない。どう動けば正しいのか、どう言葉を掛ければ適切なのか、何も見当さえつかない。

「私に出来る事があったら言って」

「分かった。…………二ノ宮、辛かったよな。よく一人で頑張った」

「バカ……優しくするなっての。泣くじゃない」

 二ノ宮は頭を撫でると、その手を払い除けてスタスタと俺の数歩先を歩いていく。そして、二ノ宮は手の甲で一度手の甲で目元を拭った。

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