4【英国の強い風】
【英国の強い風】
杖無しで歩けるようになったのは三月の末。杖無しで歩けるようになったと言っても、まだ俺の記憶にある普通には程遠い。それでも他人から見て違和感はあまり感じられない程度まで回復する事は出来た。
「お兄ちゃん! 準備できた?」
「そう急かすな、まだ時間あるだろ」
「香織ちゃん来てるんだから早くしてよ~」
新学期の始業式だから午前だけしかないため荷物はほとんどない。それに近々に控えた入学式の準備に、その午前のほとんどの時間が割り当てられている。
正直、行く意味があるのかよく分からない日だが、来いと言われれば行くしかないのが高校生だ。
「おはようございます。跡野先輩」
「おはよう、それともう新学期だから先輩は無しな」
「えっ……四月からじゃ?」
「……むっ、確かに四月じゃないが、新学期に入ったら他の生徒も居るし」
荷物を準備して一階に下りると、ダイニングで礼儀正しく正座した駿河と目が合う。朝の挨拶と共に、先輩を止めるよう言うと、なんだか捨てられた子犬みたいな顔になった。
「ずっと先輩は先輩だったので、急に先輩を止めろと言われても」
「そこをなんとか頼む」
「じゃあ、さん付けにすれば? それにお兄ちゃん、いきなり呼び捨てとかタメ口とか無理に決まってるじゃん」
なかなか折れない駿河に、聖雪が隣に座ってそう言う。まあ確かに、駿河は年上にいきなり呼び捨てしろとさタメ口を利けとか言われて、分かった。と出来るような奴ではない。
「分かった。じゃあ敬語とさん付けまで譲歩する」
「あ、あの……他の人が居ない時は先輩でもいいですか? サッカー部の先輩とか聖雪ちゃんとか、その……先輩と二人の時とか」
「分かった分かった。同級生の前で先輩って言わなきゃいいよ」
話の結論が出てから思うが、敬語のままだし敬称も付いたままだから、あまり変わっていないように思える。しかし、やっぱり難しいみたいだからそこは俺が折れるしかない。同級生だが俺の方が年上だし。
「さて、行くか」
「はい! あ、先輩! 鞄をお持ちします」
「いいって、鞄くらい自分で持てる。何処かの王様じゃあるまいし」
「でも……」
「お兄ちゃんにも一応年上のプライドがあるしね~」
駿河の申し出を断って玄関に行き、ローファーを履いて外に出る。適度な日差しが降り注ぎ、もう冬の寒さは通り過ぎている。
「そう言えば、うちのサッカー部っていつの間にか県内では強豪になってたんだな」
「去年の選手権大会の予選はベスト四まで行けましたし、その後のいくつかの大会で優勝も出来ました。でもライバル校があるので、夏の大会は絶対に安心出来ません」
「そうか」
「でも、今年は一年生に凄い選手が居るらしいです。中学時代に十五歳以下の日本代表に選ばれた子らしくて」
「日本代表!? なんでそんなのがうちに来るんだよ。もっと強い所あるだろ」
「それは私にも分かりませんよ。でも、強い選手が入ってきてくれるのは嬉しいですね。ただ、部の先輩達はちょっと不安みたいですけど」
苦笑いを浮かべる駿河の顔を見て、ある程度の予想が立った。
サッカー部に限らず、運動部は実力が全てだ。一年だろうがなんだろうが上手ければすぐレギュラーになれるし、三年でも下手ならずっとベンチにも入れない。だから、上手い奴が入れば、代わりに外れる奴も出てくる。それが不安なんだろう。
「まあ、三年でレギュラーを外れたくはないな」
「それもなんですが、ほら、うちはマネージャーの仕事をローテーションで手伝うじゃないですか。レギュラーの先輩が言ってたんですけど、最初はなんで俺が雑用なんかしなきゃいけないんだ、って思ったっておっしゃってて」
「なるほど、そっちの懸念か」
日本代表がどんな感じかは分からないが、少なくとも中学のチームではもてはやされたはずだ。それこそ雑用なんてやった事がないだろう。それどころか、過剰なまでの手厚い待遇を受けていただろうとも想像出来る。そんな奴にいきなり備品の管理やら洗濯やらをやらせたら不満を持つかもしれない。
「でもまあ、そこは先輩である駿河達の腕の見せ所だろ。それに、入ってきたら案外いい奴かもしれないしな」
「そうですね、今から心配しても仕方が無いですよね」
駿河の心配も分からなくもないが、顧問の先生や佐原も居る。それに他の部員も居るのだから、何か問題が起こっても解決出来るだろう。
通学路を歩いていると、チラホラと同じ高校の生徒が歩いているのが見えてくる。春休み明けだからか、女子生徒の「久しぶり」という会話が聞こえてくる。
「跡野、おはよう」
「おう、佐原」
「そういえばもう杖は取れたんだな」
「ああ、まだ走り回ったりは出来ないけどな」
後ろから声を掛けられて振り向くと、爽やかな笑顔を浮かべた佐原が居た。そして、その遥か後ろに音瀬が俯いて歩いてるのが見える。
「まだ、心の整理がついてないみたいだ」
「そうか、彼氏なんだからもっとしっかりしろよ」
「すまん」
「佐原キャプテン、おはようございます!」
「駿河、おはよう」
駿河は佐原に少し固い挨拶をする。まあ、真面目である事は決して悪くない。それに俺にはともかく、佐原にタメ口を利ける後輩は居ないだろう。
「駿河も大変だな」
「いえ、大変な事は何も」
「そうか、俺だったらこの鈍感野郎の相手はごめんだぞ。こいつ、細かい所に気がつくクセに、肝心な所には鈍感だからな」
黙って聞いていれば随分な言い草だが、その程度で目くじらを立てる程、俺の器は小さくない。せいぜい、心の中でクソ野郎と罵るくらいだ。
「わ、私は、その……」
「まあ、苦労するだろうが俺は応援してるぞ。じゃあ、またな跡野」
「おう」
佐原は後方を歩く音瀬の隣に並び会話を始める。その二人から目を離し、隣を歩く駿河にニヤリと笑いを向ける。
「良かったな、佐原が応援してるってよ」
「お兄ちゃんってホント、アホ」
「いきなりなんだよ!」
駿河をちょっとからかおうと思っただけなのに、聖雪からストレートな悪口を言われる。そんなにからかうのがいけない事だったとは知らなかった。
学校に着くと、校門脇にある掲示板の前に人だかりが出来ていた。
うちの学校は新学期になると、校門脇にある掲示板に、クラス分けの表が張り出される。だから、二年と三年は掲示板を見て自分がどのクラスに割り振られたのか確認しなければいけない。しかし、この人だかりでは確認するのも一苦労になりそうだ。
後ろから人ごみの中に入り、ジリジリと前に進む。すぐ近くを駿河が歩いているが、人に押されて歩きにくそうに顔を歪めている。
やっと掲示板の目の前に出られて、二年の貼り紙の方に目を向けて自分の名前を探す。俺は名字が跡野だから出席番号は若い方だ。だから、とりあえず各クラスの上の方を見ればいい。
「おお、俺は一組か。一組は購買に近いから当たりだな。聖雪は何処だ?」
「私は二組。お兄ちゃんと隣のクラスだね。これで忘れ物があってもすぐ借りに行けるからよかった~」
「そもそも忘れないようにしろよ。駿河は何処だった?」
隣に居る駿河に視線を向けて尋ねると、視線の先にいた駿河は掲示板を見て固まっていた。
「駿河? どうした?」
様子が変な駿河に尋ねても返答が返って来ない。仕方なく、自分で駿河の名前を探すと、案外早く見付かった。
「おお、駿河も一組か。知り合いが居るのは心強いな」
「い、一組……先輩と同じ一組……」
「駿河、そんなに俺と同じクラス嫌か?」
なにやら念仏のようにボソボソと言い始めた駿河に再び声を掛ける。しかし、今度はすぐに反応が返ってきた。
「そんな! 嫌だなんて絶対ありません! むしろ嬉しすぎてっ――あっ……」
急に大きな声を出した駿河が、その大きな声を出した自分に気付いて俯く。耳まで真っ赤にしてかなり恥ずかしかったようだ。
「とにかく、一年間よろしくな」
「は、はい! よろしくお願いします!」
まるで軍隊みたいな返事の仕方だなとは思ったが、思うだけにして突っ込みはしなかった。
俺がクラスに入ると、雰囲気が一変した。それまで教室の外まで聞こえていた賑やかな声がスッとなりを潜める。あまり心地よく無い沈黙だった。
「先輩……」
「駿河、先輩は止めろと何度言えば」
「すみません、跡野……さん」
「よろしい」
しかし、こうなる事は予想していただけにそこまでダメージはなかった。だが、駿河は気にしてくれているようだ。
一先ず、駿河とは席が離れているから俺は自分の席である廊下側の一番端、その列の先頭の席に腰掛ける。しばらくすれば担任の先生がやってくるだろう。
時計の秒針をひたすら見詰めるというオレ流暇潰しに没頭していると、視界に見覚えのある顔が入ってきた。
「よう跡野。一年間よろしくな」
「うちのクラスの担任って先生だったんですか」
グリズリー先生がガハハッと笑っている。このクラスの空気を分かっていてやっているなら、さすがとしか言いようがない。
「おーし、珍しく生徒全員席について大人しいな。俺の名前は阿部剛士担当は国語だ。さて、俺について小一時間話したい所だが、お前らにサプライズがある」
小一時間も先生の話を聞かされずに済んだのはよかったが、サプライズという言葉に不安しか感じない。
「入れ」
先生がそう言うと、教室の扉が開き、教室に一人の女子生徒が入ってきた。
長いブロンドの髪は、染めたものではない自然な鮮やかさがあり、小さな顔に高い鼻、透き通るような真っ白な肌が眩しい。身長はスラリと高く、スタイルは雑誌のファッションモデルのように綺麗だった。
教室に居た全員が、彼女を見て息を飲んだ。
「よし、自己紹介をしてくれ」
先生に促された彼女はニッコリと笑い、一歩前へ出た。
「ハーイ! みなさーん、コンニチワー! セリア・カノーヴィル、デース! ヨロシクおねがいしマース!」
簡単に言えば、台無しだ。見た目は清楚な外人なのに、口を開いたら明るいを通り越してかしましく、かしましいを凌駕してただうるさかった。
「イギリスからの交換留学生だ。年は跡野を除いたお前らより一つ年上、つまり跡野と同い年だ。本来なら三年だが、修学旅行のある二年に編入になった。跡野、同い年だからよろしく頼むぞ。俺は英語が分からんからな」
「いや、俺も英語分からないんですけど。というか、日本語は片言ですけど喋れてますし」
「とにかく、困った事があったらそいつに聞いてくれ。席も跡野の隣な」
「了解しました! センセー」
軽やかに席まで歩いて来た彼女は、俺に右手を差し出した。俺は握手だろうと思って自分の右手を差し出したが、彼女は急に右手を引っ込め、人差し指を唇に当てて首をかしげ始めた。
「なんで、アナタはみんなより年上デスカ?」
「あー、そいつは留年したんだ」
「オウ! アナタはフリョーデスカ?」
「失礼だな、俺は不良じゃないぞ」
「オウ! では、バカなのデスカ?」
「そうだな、確かに頭は良くな――って違うわッ!」
「オー! ジャパニーズ、ノリツッコミー!」
パチパチと手を叩いて喜ぶ彼女を前に、俺は深くため息を吐いた。
「アハハハッ! 跡野は事情があって学校を休学していたんだ。不良でもバカでもないから安心しろ」
先生が爆笑しながらフォローをしてくれている。それにしても、強烈な奴が編入してきやがった。
「セリア・カノーヴィル、デース。アナタのお名前はなんデスカ?」
「俺は跡野優一だ。よろしく頼む」
「オーケー! ユーイチ、デスネ! ヨロシクお願いしマース!」
差し出したままになっていた右手を両手で握られ、ブンブンと振り回された。
「よし、とりあえず朝のホームルームを始めるぞ」
やっと静かになると思っていると、左肩をつつかれて、俺は再び彼女に顔を向ける。
「ワタシの事はセリア、と呼んでください。ワタシはユーイチをユーイチと呼びますカラ」
「分かった。よろしくセリア」
パチッと自然にウインクをするセリアを見て、まあ悪い人ではないとは思った。
「つ、疲れた……」
午前中だけというのに、一日分の体力を消費したような気になった。
先生から困った事があれば何でも聞けと言われたからか、分からない事があれば何でも俺に聞いてきた。でも、それは学校に関係ない話だった。
「ユーイチ! ニンジャはどこに行けば会えますか?」
「ユーイチ! このジドウハンバイキは、ワタシが使ってもオーケーデスカ?」
「ユーイチ! 水道の水を飲んでる人が居マス!」
等々の事を、それなりの声量で言うものだから耳がキンキンする。流石にお手洗いとか女子特有のものは、駿河に先に教えてもらった。
そして、今は休み時間でセリアがクラスメイトに囲まれた隙を突いて抜け出してきた。
校舎の外側にある非常階段の途中に座り込み、ホッと息を吐く。しばらくここでゆっくり休んで残りの一時間を乗り切らなければいけない。とは言っても、入学式会場の設営を手伝うだけだが。
「あ、跡野じゃん」
「ん? おお、二ノ宮か、久しぶりだな」
階段下から上がってきたのは、俺と同い年だが上級生の二ノ宮江梨子だった。うちのサッカー部に入部した最初の女子マネージャーで、学校内でもそこそこ有名な美人だ。
「あー、ちょうどよかった。跡野に聞きたい事あるんだけど」
「聞きたい事?」
「男って、やっぱやる事しか頭にないの?」
「…………は?」
唐突に二ノ宮から浴びせられた質問に、俺は疑問形で返すしかなかった。
「だから、男ってエッチする事しか頭にないのかって聞いてんのよ」
「ちょっ! バカ野郎、こんな所でなんつー話を」
「はあ? 何純情ぶってんのよ。それに私達以外居ないでしょうが」
二ノ宮は全く気にした様子を見せていないが、昼間の学校でいきなり「男ってエッチにする事しか頭にないのか」なんて聞かれて普通に返答出来るわけがない。
「なんでいきなりその質問なんだよ」
「彼氏出来たんだけどさ。付き合った次の日にやらせろって言ってきたから――」
「なるほど、そりゃあショックだよな」
「引っぱたいて振ってやった」
「そ、そうか……」
思ってたよりも随分男らしい対応をしたようで、苦笑いを浮かべるしかない。
「あれ? 二ノ宮って三月の頭に聞いた話では、他校の奴と付き合ってたんだよな? そいつとトラブったのか?」
「ん? ああ、そっちは待ち合わせに五分遅刻したからその日に振った」
「あ、相変わらずだな、おい」
「だって女を待たせるとかありえないでしょ」
「まあ、そりゃあな」
「で、話は戻るんだけど、跡野はエッチしたいの?」
「おいこら、ちゃんと話を元に戻せ。いつの間にかセクハラになってんぞ。相手が俺じゃなかったら訴えられてるからな、今の」
「私がエッチしたいの? って聞いて顔をしかめるの跡野くらいだしダイジョーブ」
「ま、まあな」
二ノ宮はモテる。なんせ顔がいいからだ。性格は高飛車というかわがままというか、かなり難がある。でも、それを補って余りある容姿の良さがあるから、男子で憧れる奴は多い。そんな二ノ宮だから、確かに二ノ宮から「エッチしたいの?」なんて聞かれたら、そりゃあ意識してしまうだろう。
そんな二ノ宮に俺が全く意識しないのは、マネージャーとして仕事を教えていた時に散々文句を垂れられ、慣れてきたと思えば取っかえ引っ変えして振っていった彼氏達の愚痴を何故か聞かされていたからだ。まあ、マネージャーの仕事で一緒に行動することが多かったから仕方が無いのかもしれない。
「で? 質問の答えは?」
「男がそういう事をしたいのかって質問なら、したいんじゃないか? 実際、好きな相手にならそういう興味というか願望は湧くもんだろう」
「じゃあ、跡野は侑李とやりたいんだ」
「二ノ宮、あまりふざけると流石の俺でも怒るぞ」
「ごめん」
自分でも言い過ぎたと思ったのか、二ノ宮は素直に謝った。
「今までもやりたいだけの男って居たけど、付き合って次の日とか最短だったし。ホント、サイテー」
「二ノ宮もちょっとは相手を選んで付き合えよ。二ノ宮ならもっといい奴が居るだろ、モテんだし」
「だって彼氏居なかったし」
「特に好きでもないなら断れよ」
「バーカ、付き合ってから本当に好きになるかも知んないでしょ」
「そういうもんか? 俺には分からんな」
隣に座った二ノ宮は、垂れ下がった髪を耳に掛けてスッと息を吐く。
「跡野、アンタ、侑李の事まだ好き?」
「……二ノ宮の話じゃなかったのかよ」
「侑李がね。元気ないのよ」
「ああ、佐原が言ってた。俺が戻ってきた事に動揺してるみたいだな」
朝会った時の反応と、退部をみんなに告げた時の反応でなんとなく分かっていた。音瀬は俺を避けている。それはおそらく、俺とどう接していいのか分からないんだろう。
「私も、最初はびっくりしたわ。一年前、あんたが事故に遭って意識不明になったって聞いて、それから一ヶ月経ってもあんたは目を覚まさなかった。それなのに一年後に目を覚ますんだからさ」
「騒がせて申し訳ないな」
「全くよ。ホント、あんたが居なくなってからメチャクチャ大変だったんだから。侑李は不登校になるし、香織は急に使い物にならなくなるし、そん時初めてあんたが抜けたって事の重大さを思い知ったわよ」
一番マネージャーの仕事に手馴れているであろう二ノ宮でも、動揺する部と急に増えた仕事の両方は、精神的にキツかったのかもしれない。
「佐原はさ、みんなに跡野を忘れようって言った。けど、実際に忘れられた奴なんて一人も居ないのよ。忘れた風を装って、忘れたって事にして見ないように目を背けただけ。実際、侑李や香織がなんとか持ち直してマネージャー達で仕事やってる時も、跡野の名前はよく出て来てたし。侑李なんか、困ったことがあった時によくあんたの名前を間違って呼んで、その度に泣き出してたわ」
そんな話は聞きたくはなかった。でも、ここでもし二ノ宮の話を止めたら、俺は自分を曲げる事になる。だから耐えるしかない。
「侑李も侑李だけど、香織も香織よ。あんたが書いたノート開く度にボロボロ泣いてさ、毎回部室棟裏の物置場に走っていくの。そんな二人が居たんじゃ忘れようにも忘れられないわよ」
二ノ宮は唇を尖らせて不満げに言う。しかし、その直後にフッと笑った。
「でも、まあ何? 無事に戻ってきて良かったわよ。ただ部活辞めたのはふざけんなって思ったけどね。せっかく楽出来ると思ったのに」
「すまんな、俺は足でまといにしかならないからな」
「まあ、跡野って責任感強いからね。そういうのは耐えられないわよね」
「サンキュー」
サッカー部で、一番長く関わったのが二ノ宮だ。好き勝手言う二ノ宮に釣られて俺も好き勝手言っていたから、お互いに大体どんな奴かは理解出来ている。その関係に、今回は救われた。
「あ、そういえば美人留学生といちゃついてるんだって? 跡野も意外と手が早いわね」
「あれはセリアがうるさく絡んでくるだけだ。そのうち他の友達が出来たら落ち着くだろ。てか、なんで三年の二ノ宮がそんな事知ってるんだよ」
「さっき香織に会った時に、跡野先輩が留学生とベタベタしてますって」
後で駿河に会ったら、余計な事を言うなと釘を刺しておかなくてはいけない。
「それで、侑李の事はまだ好きなの?」
「……音瀬の事は諦めるって決めた」
「そう、否定はしないのね」
「俺は結局告白出来なかったからな。それに今は音瀬には彼氏が居るし、諦める」
「で、留学生に乗り換える。と」
「だから、セリアはそんなんじゃないって。しかも今日初めて会ったばかりの奴だぞ」
「はいはい、分かった分かった。まあ、今度その留学生紹介してよ」
「ああ、機会があったらな」
二ノ宮は立ち上がり、二段上に上がって顔だけこちらを向く。
「んじゃ、またね」
「おう、俺もそろそろ戻るわ」
軽やかに階段を駆け上がっていく二ノ宮を見送り、俺は教室に向かって歩き出した。
教室に戻って来ると、既に先生が居て両腕を組んで椅子に座っていた。そして、やけにクラスの中が騒がしい。
「セリアさんは私達と室内作業よ。女の子に外で作業させる気?」
「外で作業する方が楽しいだろ! それにセリアさんは校内を見て回る事も必要だ」
男子と女子がなにやら言い争っている。その脇でセリアがオロオロしながら男子と女子を見ている。
「えっと、何があったんです?」
教室の端で椅子に座ってその様子を眺めている先生に尋ねる。
「男子を力仕事の多い外作業にして、女子を室内作業にさせたら、セリアをどっちに入れるかでもめ始めた」
「いや、もめるも何も、セリアは女子だから女子と同じで問題ないでしょう」
「留学生は男女というよりマスコットみたいな扱いになってしまうからな」
「マスコットって……」
もめる男女を見詰めていると、俺の姿を見付けたセリアが何かを喚きながら近付いてきた。英語なのだろうが、全く聞き取れない。
「セリア、落ち着け。とりあえず日本語で頼む」
「オウ、ゴメンナサイ、ユーイチ。みんなが急にケンカをしてしまって……ケンカ、よくありまセン」
「全く、高二にもなってしょうもない事で揉めやがって」
とりあえず、自分の机から適当に教科書を三冊程度掴み、教卓に歩いて行く。そして、首を傾げながら俺に付いてくるセリアに構わず、教科書を教卓の上に振り下ろした。
バシンッというけたたましい殴打音に騒がしかったクラスは静かになり、クラスメイト全員が俺に視線を集中させる。
「とりあえず全員席についてくれ」
俺がそう言うと、少し慌てた様子で全員が席に着く。全員が座ったのを確認して、俺はため息を吐いた。
「阿部先生が、女子は室内、男子は室外だって割り振った。それに異議がある人は居るか?」
俺の問い掛けに、クラスから発言はない。それを確認して、俺は話を続けた。
「と言うことは、みんな先生の決定に従うという事だ。だったら、女子は室内、男子は室外で決まり。と言うことは、女子のセリアは室内だ。異論がある奴は?」
再び問い掛けるが反応はない。
「はい、じゃあ決定。先生、決まりましたよ」
「よくやった跡野」
「まあ、高二にもなって先生が口を出さないと丸く収まらないなんて格好つかないですからね。詳細はよく分からないんで、説明はお願いします」
とりあえず場を先生に引き継いで自分の席に座る。教科書を思い切り打ち付けたせいで右腕が痛い。
「ユーイチ……」
「ん?」
「ユーイチ、カッコイイデス!」
「はあ?」
「ユーイチが言葉を発しただけで、みんなが静かになりまシタ!」
「静かにさせたのは教科書の音だけどな」
「ユーイチが話しただけで、みんなが従いまシタ!」
「決まった事を説明しただけなんだけど」
「ユーイチ、すごいデース!」
目をキラキラさせて褒めてくれるのは嬉しいが、声が大き過ぎて先生の話し出すタイミングを潰してしまっている。
「セリア、分かったから今は静かにな。先生が説明出来ないから」
「オウ、スミマセン!」
ハッとして謝ったセリアは、行儀よく両手をももの上で重ねて先生に目を向ける。それを確認した先生は説明を始めた。
学校も終わり、帰り支度を済ませて校舎の外に出ると隣に息を荒くした駿河が並ぶ。
「置いて行かないで下さいよ」
「いや、置いて行くなって、部活があるんじゃ」
「今日は体育館が使えず、室内競技の人達が活動出来ないので、不公平を無くすために部活の練習は禁止なんです。その代わり、運動部員で入学式の準備をする予定だったんですけど、全ての作業が終わったみたいで、みんな帰宅する事になりました」
「そうか」
「それで、これから寄り道して帰りませんか? 聖雪ちゃんも呼んでみんなでファミレスに行くんですけど」
「女子の集まりに男を誘うなよ。流石にそれくらいの空気は読めるぞ」
「そ、そうですか。じゃあ、何かお土産を買っていきますね」
「駿河は何処か旅行にでも行くのかよ。お土産はいらないから、聖雪が羽伸ばしすぎないように見張っといてくれればそれでいい」
「は、はい」
校門まであと少しという距離まで歩きた所で、後ろから聞き覚えのあるうるさい声が聞こえてきた。
「ユーイチ! 待ってくだサーイ!」
「セリア、なにかあったのか?」
「何があったのカ? じゃないデス!」
そう言うと、セリアはポケットからピンク色の可愛らしいスマートフォンを取り出した。
「カオリのは聞きましたが、ユーイチのは聞いてませんでシタ」
「ん?」
「ユーイチのプライベートナンバーを聞いていなかったのデス!」
「プライベートナンバー? ああ、電話番号か」
「メールアドレスも教えてくだサイ」
「分かった分かった」
うるさいセリアの声に身を引きながら、赤外線で番号とメールアドレスを送る。送信が完了し、セリアが自分のスマートフォンを確認し終えると、いきなり抱きついて来た。
「ワーイ! ありがとーございマース!」
「なっ!」
「ちょっ! セリア、抱きつくな!」
隣から駿河の驚いた声が聞こえ、周囲からもざわめきが聞こえる。
「キャッ!」
「カオリも今日はありがとーございマース! また明日会いましょー」
セリアは隣に居た駿河にも飛び付き、そう言う。
「セリア、周りのみんながビックリしてるぞ」
駿河をギュウギュウ抱き締めるセリアに、俺はそう声を掛ける。
「オウ! ゴメンナサイ! 日本人はハグはしないのでしたネ!」
アハハと笑うセリアは、駿河から離れて体を屈めると、右手の人差し指を唇に当てて俺達に聞こえるくらいの声で言った。
「ちなみに、イギリスでもアメリカのようなハグはあまりやりまセン。家族やとても仲の良いお友達だけデス」
そう言い終えると、クルリと反転して首だけ振り向き、ニッコリと笑った。
「では、また明日デス!」
「おう、また明日な」
大きく手を振って走り去っていったセリアを見送ると、その見送る視界に駿河が入ってきた。
駿河は俺に視線を向けると、フンっと鼻を鳴らして早足で歩き去って行った。
「ん? なんか、怒ってなかったか?」
なんとなく、駿河の態度が怒っているように見えたが、怒られるような事をした覚えもないし、いきなりセリアからハグされてビックリしたのかもしれない。
それにしても、俺と駿河はセリアにとって仲の良い友達になれたようで、少しホッコリとした。