38【最高の宝物】
【最高の宝物】
目を開くと、そこには俺の鼻を突く女神が居た。
「えへへっ」
「えっ? なんで香織がここに?」
「さっき優一さんの番号で電話が掛かってきて、聖雪ちゃんが一人だって言うから」
ニッコリ笑う香織は、ベッドに寝転がって俺の顔を見ている。慌ててスマートフォンを手に取ると、確かに俺のスマートフォンから香織に電話を掛けた履歴が残っている。しかし、それにしても……。
「まだ三時なのに電話したのか聖雪は……。ごめんな、聖雪が非常識な時間に電話して」
「ううん、むしろ電話してくれてありがとうって思ったよ」
香織はそう言ってギュッと抱きしめる。ヤバイ……堪らなくなってきた。
「こんな時間に部屋抜け出してきて大丈夫なのかよ」
「大丈夫、セリアさんは起こしてないから」
「いや、セリアもそうだけど先生とか」
「こんな時間に見回りしてる先生なんて居ないよ」
「まあ確かに」
香織の言う通り仕事で警備員をやってるわけでもないし、こんな時間に見回りしている先生は居ないだろう。
「優一さんは嫌だった?」
「嫌なわけあるか! って、聖雪はどうしたんだよ。あいつ自分の部屋に戻れなくて」
「今は私の部屋に寝てるよ。カードキーも聖雪ちゃんが持ってる。あっ私も自分の部屋に戻れなくなっちゃった」
わざとらしくそう言う香織。
「キャッ!」
香織の腰を引っ張って布団の中に引きずり込む。冷たい体を抱き締めてスゥっと香織の匂いを嗅ぐ。
「ヤバイ……」
「どうしたの?」
「我慢出来なくなりそう」
修学旅行が始まってから香織と一日中顔を合わせていた事と、近藤さんの件で気分が落ちた時に香織に励ましてもらった事が合わさり、香織とめちゃくちゃエッチしたい。
しかし、修学旅行という学校行事中にそんな事を香織にさせるわけにもいかないし、それより何より必要不可欠なものが無い。それがない時点であり得ない。
「……私も、ペンダントもらった時にしたいなって思ったよ。それに、落ち込んでる優一さん見たら、もっとしたくなった」
「ちょっとコンビニ行ってくる」
香織のその言葉を聞いて、俺はすぐ目を覚まして起き上がる。
このホテルの一階にある、聖雪と飲み物を買ったコンビニ。あそこにならコンドームがあるはずだ。今すぐ買いに行く。全力で走って買いに行く。
鞄から財布を引っ張り出した俺が部屋を出ようとすると、後ろから香織が手を掴んだ。
「優一さん」
「香織? もしかして嫌になったか? なら我慢する」
俺の雰囲気を察して香織が嫌々ながら言ったのかと思って財布を仕舞うと、香織は俺の顔を見てはにかんだ。
「本当に優一さんってカッコいい」
香織はそう言いながら、スッと左手を持ち上げた。
「えっとね、二日目の夜に、同じ部屋の子が、香織も持ってなさいってくれたの。絶対に三日目の夜に彼氏に誘われるからって。同じ部屋の子は修学旅行前から誘われてたみたい」
「えっ?」
「結構……この二人部屋になる時にしてる子達多いみたい。同じ部屋だった他の子も、三日目の夜にするって言ってたし」
「マジか……って事は俺の相方は」
「気を遣ってくれたのかもね」
良い奴だ。いや、先生達からしたら良い奴ではないかもしれないが、俺からしたらめちゃくちゃ良い奴だ。
「エッチって、男の子は凄くしたいって言うし、部屋に二人っきりだとそういう気持ちも強くなっちゃうよね。でも、優一さんはすぐに私が嫌なら我慢するって言ってくれた。凄く嬉しいし、凄くカッコいい」
香織はニッコリ笑って、俺の手にコンドームの小袋を握らせる。
「これ持ってるから引き止めただけだから、だから行かなくても大丈夫だし、私は優一さんとしたいから。……だから大丈夫だよ」
香織がそう言ってくれたが、俺は香織の手をギュッと握ってから、激しく抱き締めてからそっと離した。
「すまん、一個じゃ足りん。やっぱり買ってくる」
俺が頭を掻いてそう言うと、香織はカッと顔を赤くして俯く。そして、チラッと視線を俺に向けてボソリと言う。
「……優一さんのエッチ」
「ユーイチ! 大好きデス! オウ? ユーイチ、どうしたデスカ?」
「お、おはようセリア。すまんが俺は香織が好きだ」
朝食の時間、なんか朝の挨拶化したセリアの元気の良い告白に断っていると、セリアが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「なんだか、朝なのに疲れているデス」
「いや、何でもない大丈夫だ」
シャワーも浴びたし、部屋を出て香織を送る時も細心の注意を払った。でも、疲れだけは隠せない。
「オウ? カオリも疲れているデス。大丈夫デスカ?」
「う、うん、大丈夫。セリアさん、心配してくれてありがとう」
隣に座る香織も俺の隣で苦笑いを浮かべる。
「そうデスカ?」
俺達の正面に、ビュッフェ形式の朝食で、自分の取ってきた朝食の載ったトレイを置いて座る。
そんなセリアを見ていると、スマートフォンがブルブルと震える。そっとスマートフォンを確認すると、香織と二人だけで組んでいるグルチャのグループにメッセージが来てる。
『優一さんがあんなにするからセリアさんに怪しまれてる』
ちょこっとプンプンした絵文字と共に、香織からそんなメッセージが送られてくる。
『ごめん』
全力で謝罪している顔文字と共にそのメッセージを送ると、すぐに香織からメッセージが返ってきた。
『でも、凄くドキドキしたね。初めての時の次にドキドキした』
照れる絵文字とその文を見てから香織に視線を向けると、香織は顔を赤くしてオムレツを切って口に運んでいた。
俺も皿に載ったウインナーをフォークで刺して口に運ぶ。
本当に香織には申し訳ないと思う。しかし、今日一日くらいは保つはずだ。まあ、家に帰った瞬間に寝そうだが……。
「セリアさんは今日どうするの?」
「オウ? ファンシーワールドは一人で見て回るつもりデス」
「良かったら一緒に回らない? 優一さんも一緒だけど」
「…………カオリ、良いのデスカ?」
「うん、良いに決まってるよ」
「で、でも、ユーイチと二人でデートなのでハ?」
「私も優一さんもファンシーワールドはセリアさんと見て回りたいって思ってたんだけど?」
これは、香織から今朝話された事だきっと、セリアが俺達に気を遣って二人きりにするはずだと。それを香織は、一緒に見て回っていいよね? そう俺に尋ねて来たのだ。
もちろん、俺は全然問題ないし、寧ろセリアも一緒の方が面白いと思う。大阪、京都、奈良の見物の時もそうだったが、セリアが一緒だと何でも楽しむセリアのお陰で俺の方も楽しむ事が出来た。それは香織も感じていた事なのだと思う。
俺と香織がファンシーワールドに行く機会も滅多に無いことだが、セリアも一緒の事なんてもっと無い事だ。それなのにセリアが居ないのは寂しい。
「ユーイチ、カオリ……」
「ちょっ、セリア!?」「セリアさん!?」
急に両手で顔を覆ったセリアに、俺と香織は同時に驚く。そして、セリアは立ち上がって俺と香織の後ろに回って、同時に俺達を抱き締めた。
「ユーイチとカオリの友達で嬉しいデス! 二人はワタシの最高の友達デス! ワタシは、この世界の誰よりも幸せ者デス!」
「な、何を大袈裟な」
「(大袈裟なんかじゃない! 私は本当に嬉しい! 私は二人に出会って最高に幸せ者だよ!)」
急に英語で話し始めたセリアに、俺は困って香織に視線を向けた。
「香織、訳してくれ。分からん」
「えっと、凄く嬉しいって事かな?」
俺より英語の成績が良い香織でも、流石に今のは訳せなかったみたいだ。
「大袈裟なんかじゃないよ。本当に嬉しい。私は二人に会えて本当に幸せだよ。そう言ってるよ」
セリアの隣の席に高塚が来てニッコリ笑う。
「やっぱり高塚は凄いな。今のをちゃんと聞き取って理解出来るなんて」
セリアは大興奮した時に、時々英語を捲し立てるように話す。大抵はよく分かんない事が多いから、セリアに改めて聞き直す。しかし、今回は高塚が訳してくれて助かった。
「セリアが凄い興奮した声で話してるから何かと思って思わず聞いちゃった。盗み聞きしてごめんなさい」
「いや、俺は訳してくれて助かったから」
香織とスキンシップを続けるセリアを見て苦笑いを浮かべる高塚は、俺に目を向けた。
「跡野さん、セリアが学校を楽しいって思えるようにしてくれてありがとう」
「いや、俺は何にもしてないけど」
「ううん、私じゃこんなにセリアを楽しませられなかった。特に、恋愛する事の楽しさなんて私には無理だし」
珍しく高塚が俺をからかった? いや、もしかしたら素直に言ってるのかもしれない。
「(セリア、ちゃんと席について食べよう。それに駿河さんも困ってる) 」
「(ごめんなさい)」
自然に交わされた会話だが、高塚が何かをセリアに注意して、それにセリアが謝った事しか分からん。
「カオリ、ユーイチ、ごめんなサイ。でも、二人はとても最高の友達デス! それは絶対デス!」
「そっか、ありがとうセリア」
「ありがとう、セリアさん」
「もちろん、ナギサは大切な家族デス!」
「ありがとうセリア。苦しい……」
ヒシっとセリアに抱き締められた高塚は、セリアに締め付けられて若干顔色を青くする。
「高塚はどうするんだ? ファンシーワールド」
「私? 私は決めてないけど、多分クラスの友達とかな?」
「良かったら一緒に回らないか? セリアもその方が喜ぶし」
「オウ! ナギサも一緒にファンシーワールドに行くデス!」
「あれ? 駿河さんと跡野さんは二人で行くんじゃ?」
「ユーイチとカオリはワタシと一緒デス! 二人がそうしようと言ってくれたデス!」
高塚はセリアの言葉に驚いた顔をして、俺と香織の顔を見る。
「俺も香織も二人だけで回るより、セリアと回った方が楽しいしな。それに、友達に気を遣われるのは嬉しい反面寂しい気持ちもするし」
「駿河さんと跡野さんって、本当に良い人だね。じゃあ、私もお言葉に甘えさせてもらおうかな」
「じゃあ決まりだな。そういえば、俺はファンシーワールドに関してほとんど知識がないんだけど」
「大丈夫だよ!」「大丈夫デス!」「大丈夫」
三人が同時に言って、顔を見合わせて笑う。どうやら、女子三人に任せておけば大丈夫らしい。
ファンシーワールドの入り口は、なんか凄かった。俺が生まれてこの方見た事ない長蛇の列が出来上がっていたのだ。
「凄い列だな」
「うん、開演前は入り口にキャラクター達が出てきてくれて出迎えてくれるんだけど、その出迎えてくれたキャラクターとも写真が撮れるの」
「へぇー、そうなのか。………………えっ? もしかして、そのために待ってるのか?」
「うん、今はクリスマスのイベント期間中だから、コスチュームがクリスマス仕様になっててレアなの」
「香織はそう言うのは?」
「ちょっと良いなって思うけど、並んでたら時間がなくなっちゃうし、今日はアトラクションを楽しみたいかな」
「そうか」
開園を待ちながら香織と話していると、香織も聖雪ほどではないが結構好きみたいだ。
それにしても、写真を撮るためにどれくらい待つものなんだろう。
「多分、最前列の人は三、四時間は待ってるのかな? 凄いよね」
「三、四時間!? 開園が八時からだから、少なくとも四時にはここに居たって事か!?」
四時くらいと言ったら、丁度俺と香織が……。
「ゆ、優一さん、変な事考えない」
「か、香織も顔真っ赤だろ!」
二人して朝の事を思い出し気恥ずかしくなる。
「皆さん、エルシーと撮りたいデス」
「エルシーは知ってるぞ。主人公だしな」
「クリスマス仕様の衣装は可愛いって評判だから、ファンは一緒に撮りたいと思う」
セリアも高塚もなかなか詳しい。これだけ三人が詳しいと、俺がただ無知なだけではないかと不安になる。きっと、男子だけで集まったら俺程度の知識しかない奴らばかりのはずだが。
「エルシーはこの園内に一人しか居ないから、開園後のお出迎え以外では、まず写真を一緒に撮れないんだよ。園内で会っても、すぐに人に囲まれちゃうし」
「そうか、そんな状態なら確実に撮れる場所で待つのは分かるな」
四時間待ちには今でも驚いているが、やっぱり好きなら待つことも苦で無いのだろう。しかし、平日でこの人出だと週末や行楽シーズンにはどういう状況になるのだろう。
開園時間になってゲートが開放され始めると、思ったよりすぐに園内へ入れた。途中、香織が言っていた写真撮影待ちの列を眺めてみたが、確かにキャラクター達が列の先頭で写真撮影をしているのが見えた。
「私達はまずアトラクションの予約券を取りに行こう」
「そう言えば、聖雪が言ってたな。時間帯が限定されてるけど、その時間帯なら優先的にアトラクションに乗れる券だって」
「アトラクションに乗りたいなら、混みそうなアトラクションの予約券を先に取っておかないと」
そう言うと、香織はクスッと笑う。
「どうした?」
「いつも、デートの時は優一さんがリードして全部やってくれるから、今日は私がそれを出来て嬉しいなって」
「俺は彼女に任せるのはちょっと複雑な気分だな」
悪い事ではないだろうが、申し訳ないという気持ちがある。こんな事なら、もう少しまともに聖雪の話を聞いておけばよかった。
「今日のユーイチは、まな板の鯉、デスネ!」
「まあ、そうだな。勝手がよく分からないし」
「オウ? ユーイチとカオリは手を繋がないデスカ?」
俺と香織の手を交互に見て、セリアが首を傾げる。香織は俺の方をジーッと見ている。その視線を感じパッと手を繋ぐと、香織がニッコリ笑った。
「ユーイチ、右手が空いてま――」
「セリアさん、ダメだからね」
「ウーン、ユーイチと手を繋ぐチャンスガ!」
「彼女が居るのに他の女の子と繋ぐわけ無いだろ。緊急事態でもないし。高塚と繋げばいいんじゃないか?」
セリアの隣に立っている高塚に視線を向けながら言うと、セリアは両手をパチンと鳴らしてニッコリ笑う。
「ユーイチ! 名案デス! ナギサ、ワタシと手を繋ぎまショー!」
「あっ、ちょっと、セリア――」
問答無用で高塚の手を掻っ攫ったセリアは、ご満悦の表情で握った手を大きく振る。
「最初はオロロン火山のトロッコ脱出だね」
「オロロン火山のトロッコ脱出?」
「うん、ファンシーワールドでエルシーを捕まえようとしてた、黒薔薇姫の手下から逃げるシーンをモチーフにしてるアトラクションなの。ジェットコースターみたいなものかな?」
「そうか。ジェットコースターなら人気ありそうだな」
「二時間待ちする時もあるんだよ」
「二時間待ちか……」
入り口の写真撮影程ではないが、それでも長いのは明らかだ。
「香織はジェットコースターとか好きなんだっけ?」
「うーん、乗れない事はないけど、ちょっと怖いかな。でも、せっかくファンシーワールドに来たのに、これに乗らないなんてもったいないから。それに優一さんが隣に居たら、絶対に怖くないし、優一さんは私の銀剣の王子様だから」
「銀剣の王子様って――」
「エルシーがピンチになったら、いつも助けてくれる銀の剣を持った王子様。凄くカッコよくて強いの」
高塚の補足説明を受けて、俺は香織に視線を見返す。
俺が銀剣の王子様という事は、香織はエルシーという事になる。いやいや、香織はエルシーよりもっと可愛いだろう。
そんな事を考えていると、予約券をゲットした香織が俺に券を見せて嬉しそうにニッコリ笑う。
「はい、優一さんの分」
「ありがとう香織」
「本当に嬉しいな。なんだか優一さんよりお姉さんになれた気分!」
「香織がお姉さん? 部室棟の裏でいつも泣いてるお姉さんって、随分頼りないお姉さんだな」
「もー、優一さんのバカ!」
頬を膨らませて香織が肘を打ってくる。その肘打ちをかわすと更に香織は頬を膨らませる。この反応が可愛いから、からかうのをやめられない。
「ごめんごめん、ちょっと怒った顔の香織が見たくなって」
「じゃあ、もう次から怒らない!」
「怒らないって言いながら怒るってどういう状況だよ」
香織は繋いでいた手を離し、すぐに俺の腕に抱きついてくる。そして、腕に顔をうずめた後にはにかむ。
「幸せ」
そう一言言った香織は、ギュッと腕を締め付ける。暖かい、そして何とも言えない幸福感が溢れてくる。
「ユーイチ! カオリ! こっちにイッパイ、グッズがあるデス!」
ピョコピョコ跳ねてセリアが俺達に手を振っている。どうやら、アトラクション近くにあったグッズショップの中を見ようという事らしい。
四人で一緒に中に入ると、思わず息を呑んだ。
カラフル。そんな平凡な感想だが、それが正しい。色とりどりのぬいぐるみやTシャツ以外にも、可愛らしいキャラクターのパッケージをしたクッキー等のお土産がところ狭しと並んでいる。
「共通して置いてるグッズもあるけど、各アトラクション近くのグッズショップには、アトラクションに関係した限定グッズを多く置いてるんだよ。」
「これ、グッズを見てるだけでも楽しいんじゃないか?」
「そうなの! グッズショップを全部見て回るだけでも楽しめちゃうんだよ。ほら、これなんか可愛い」
火山に出てくるモグラのキャラクターを形どったぬいぐるみを抱える香織。確かにサラサラとした手触りのモグラのぬいぐるみは可愛い。でも、俺からしたらぬいぐるみを抱えている香織が可愛い。
「カオリにはこれが似合うデス!」
香織の後からセリアがヒョイっと香織の頭に何かを付ける。俺はそれを見て思わず声を漏らした。
「か、可愛い……」
モグラのぬいぐるみを胸の前で抱える香織の頭には、うさぎの耳が付いたカチューシャが身に着けられている。恐ろしいくらい可愛い。香織+ぬいぐるみ+うさぎの耳にこんな破壊力があったなんて知らなかった。
「ナギサはネコデス!」
「ちょ、ちょっとセリア……」
顔を赤くしている高塚は、頭に黒猫の耳が付いたカチューシャを付けていて、恥ずかしいのか身を縮ませている。
「じゃあセリアはこれか?」
「ウーッ!」
俺が垂れた犬耳のカチューシャをセリアに付けると、セリアは両手を犬の前足のように持ち上げて犬の鳴き真似をする。なんだろう、セリアの無邪気さが本当に子犬のように見える。
「みんな似合うな」
「ユーイチはなんですかネー?」
セリアは耳付きカチューシャが沢山ある棚を物色し始める。
「優一さんはこれかな」
香織がヒョイっと俺の頭に取り付けたカチューシャを、近くにあった鏡で見てみる。三角に尖った黒い耳。これは、狼だろう。
「ユーイチ、とっても可愛いデス!」
「優一さん可愛い!」
セリアと香織にそう評価されるが、可愛いという評価を喜んでいいのか分からん。
「せっかくだから、今日はずっとコレを付けて遊ぶデス!」
セリアの提案で女子三人組はカチューシャを買いに行く。しかし、俺はカチューシャを取ってマジマジと見詰めて確信する。
「いや、男はないだろ……」
いや、しかしここで断わるとせっかく盛り上がっている雰囲気に水を差すことになる。それに園内は雰囲気的な意味で現実世界ではないのだし、俺がこの狼カチューシャを付けていても違和感は……いやいや、客観的に見たらめちゃくちゃあるだろ。
「優一さん、大丈夫だよ。似合ってる」
「か、香織!?」
「ジーッとカチューシャを見てるから、恥ずかしいのかなって」
「まあ、それなりには」
「私……優一さんが付けてくれたら嬉しいな」
「買う!」
わざとらしく言われたって、香織に上目遣いでそう言われたら大抵の事は出来る。それに、周りの人も俺なんかじゃなくて、園内の方を見てるに決まっている。
香織達と園内を回って、キャラクターがダンスやアクロバットを披露するショーを見たり、立体視系のアトラクションに乗ったりと、結構盛り上がった。
ファンシーワールドを楽しめるか不安な気持ちを持っていたが、案外知識が無くても楽しめる。雰囲気も明るいし、何より周りが楽しそうだから俺も楽しい気分に乗せられる。そして、隣に香織が居るから何をやっても何を見ても楽しめた。
「香織。俺、ちょっとトイレに行ってくる」
「うん、じゃあ私はここでグッズを見てるね」
香織達から離れてトイレに向かうと、トイレの脇にある柵の向こう側にキラキラした物が見えた。
「あれって……エルシーじゃないか?」
柵の向こう側では衣装を整えて何か準備をしている様子のエルシーが居た。知識がほとんど無くても主人公は見間違えるわけがない。
『エルシーはこの園内に一人しか居ないから、開園後のお出迎え以外では、まず写真を一緒に撮れないんだよ。園内で会っても、すぐに人に囲まれちゃうし』
ハッとして、すぐに俺はきびすを返して走り出す。あれはまだ園内に入ってくる前のエルシーだ。そして園内に入ってきたらすぐに人に囲まれる。急いで香織達を呼んでくれば、まだ囲まれる前に間に合う。
「香織!」
「優一さん!? そんなに慌ててどうしたの?」
「話してる暇ない。すぐに来てくれ。セリアも高塚も早く!」
「オ、オッケーデス!」「う、うん」
香織の手を掴んで走り出す。そして人混みの間をすり抜けてさっきのトイレまで戻って来た。そして、俺はトイレの脇を指差す。
「香織、あれ!」
「えっ!? ……うそ」
俺の指差した方向には今まさに柵の扉から出てきたエルシーが居た。
「凄く珍しいって言ってたから! とにかく声を掛けよう!」
香織の手を引いたまま俺はエルシーに声を掛ける。
「すみません。写真を一緒に撮ってもらえませんか?」
俺がエルシーに尋ねると、エルシーは手でオーケーサインを作って微笑む。言葉を発しないのは、世界観を壊さないようにという配慮なのだろう。
「四名様一緒でよろしいですか?」
エルシーの隣に居た従者の衣装を着た人が、後ろに居るセリア達を見て尋ねる。
「はい! 四人でお願いします」
従者の指示に従って並び、エルシーの両隣には香織とセリア、そしてその両端に俺と高塚がそれぞれ並ぶ。
「はい、ではいきます。ハイチーズ」
従者の声に合わせてシャッターがきられ、撮影が終わる。すると、写真ではなく番号が書かれた紙を四枚手渡される。そして、エルシーがニッコリ微笑んで、俺に五〇〇円硬貨くらいの金貨を差し出す。俺がそれを受け取ると、香織、セリア、高塚にそれぞれ金貨を手渡していく。そして、エルシーは俺達に丁寧なお辞儀をした後に、周りを取り囲んでいた人達に近付いて行った。
「写真は正面ゲート近くのグッズショップに専用カウンターがございますのでそこで受け取って下さい。写真の現像等に時間が掛かりますので、一時間後にお立ち寄りください」
「はい、ありがとうございます」
従者はうやうやしく頭を下げ、エルシーの元に駆け寄って行った。
「「「…………」」」
「香織? セリア? 高塚?」
俺は後ろに居た三人を振り返って声を掛ける。しかし、三人はなんかボーッと呆けていて反応がない。
「大丈夫か? それにしてもこの金貨、クリスマスって文字と今年の西暦が入って――」
金貨を眺めてそう感想を言うと、目の前に居た香織がいきなり抱きついた。そして、とんでもない人混みのど真ん中でキスをした。
「「「おおっ!」」」
歓声というか驚きの声が周りから上がる。キスしてくれたのは嬉しいが、どうしてこんな人混みのど真ん中でだったのか、理由がよく分からない。
「優一さん最高、優一さん大好き、優一さんありがとう!」
そう言われてまたギュッと抱き締められる。香織はなんだかものすごく嬉しそうだった。
「あ、ありがとう。でも、なんでそんなに喜んでるんだ?」
「だって! 金貨だよ!? 一日十枚限定なんだよ!!」
「十枚限定!?」
俺は手に持っていた金貨を見てギョッとする。
「その金貨、今の時期のクリスマスシーズン限定なんですよ。しかも、それはエンカウント、開園時に列に並ぶのではなく園内で偶然出逢った時にしか貰えないんです。しかも、エルシー限定なので、かなりレアですよ。凄いですね」
「あ、あの、ありがとうございます」
説明してくれた女性がニッコリ笑って手を振って去っていく。それを見送り俺は視線を香織に戻す。
「ホント凄い! 毎日来れるような人でも貰えない人だって居るのに、修学旅行で初めて来て、それでシーズン限定の金貨と写真撮影なんて。本当に凄い!」
「ユーイチ! ありがとーございマス! これは一生の宝物デス!」
「しかも、写真はハードカバーのフォトブックに入れてくれて、金貨を貰えた人はクリスマス仕様の専用フォトブックだし無料なの」
「タダなのか!? それ凄いな」
凄い事なのは分かったが、単純に無料という言葉に凄さを感じた。
「ちなみに、普通に買ったらいくら位だ?」
一番冷静そうな高塚に尋ねると、高塚は少し困った顔をする
「うーん、そもそも金貨持ちの人は、金貨持ち専用のフォトブックだから非売品なの。同じサイズとページ数の販売品だったら七〇〇〇円くらいかな」
「な、七〇〇〇円!?」
入園料よりも遥かに高い金額だ。それがタダなんて本当にやって行けてるのだろうかこのテーマパークは。
「あっ」
高塚は手に持っていたビニール袋を地面に落とす。俺はそれを拾い上げて高塚に手渡すと、高塚の手は震えていた。
「高塚?」
「跡野さんはあまり知らないから平然としてられるけど、これ本当に凄いんだよ?」
高塚は手に持っている金貨を持ち上げて微笑む。
凄い事であるという事は理解しているが、やっぱり詳しい人と詳しくない人ではギャップがある。でも、体を震わせながら喜んでる三人を見ていたら、なんだか俺も手が震えてきた。
予約チケットを取っていたオロロン火山のトロッコ脱出は、通常入り口の方には長蛇の列が出来ていて、二時間待ちという看板が出ていた。
「おお、凄いな。香織の言ったとおりだ」
「こんなの常識だよ。本当に凄いのは優一さんだよ」
香織は腕を抱き締めてニコニコ笑う。最初からテンションも機嫌も良かったが、あの写真撮影のおかげで二つの針は振り切っているようだ。
「あれからしばらく経ってるのに全然ドキドキが止まらないよ。ありがとう、優一さん」
「いや、俺はエルシーになかなか会えないって事くらいしか知らなかったしな」
「ユーイチはケンソンし過ぎデス! この金貨はとっても凄い事デス!」
そう考えると、日本に留学しに来ているセリアは、俺達なんか比じゃないくらい幸運なんじゃないのだろうか?
日本の中に数ある学校の中でうちの高校に留学してきて、しかも本来なら三年だが二年に編入し、そして俺達と同じクラスになった。更にはその中で俺や香織と友達になって、一緒に修学旅行に来たこの日に金貨をもらったのだ。一体どんな確率になるのだろう。
「でも、絶対みんなに囲まれちゃうね。金貨とフォトブックを持ってたら」
「うん、多分みんな羨ましがるね」
そんな話をしてると、俺達の順番が来て、トロッコに乗り込む。丁度四人掛けで先頭にはセリアと高塚が乗った。
どうやら、若干怖いというのもあり、香織は先頭には乗りたくなかったらしい。
安全器具が降りてきて、おどろおどろしいBGMが流れる。隣から、少し汗ばんだ香織の手が俺の手を握る。
「ごめん優一さん、ちょっと汗掻いてる」
「彼女の汗なんて気にするか。それより大丈夫か?」
「うん、ドキドキが色々混ざってるけど大丈夫」
この後は、写真を受け取って夕方にやるパレードを見るくらいだ。本当は夜になるとクリスマス限定のショーがあるらしいが、飛行機の時間があるからショーを見る事は出来ない。
「ショーが見れないのは残念だったな」
「ううん、全然」
「そうか?」
「だって素敵な思い出を優一さんが持って来てくれたし、それにまた一緒に来ればいいし」
「そうだな、また来よう」
このまま二人が隣同士で歩いて行けば、きっといつかまた来れる。
薄暗いトンネルをトロッコがゆっくり進み、次第に明るいトンネルの出口が見えてくる。そこがジェットコースターのスタート地点だと聞いているから、自然と緊張が高まる。
「優一さん」
「ん?」
トンネルを出る直前、香織に声を掛けられて振り向くと、香織は言った。
「ずっと、一緒に居ようね」
その言葉に返事をする前に、フワッとした浮遊感と共に、一気にトロッコは下に向かって駆け下りて行った。
「お兄ちゃんズルい!」
「俺に文句を言われても困るんだが……」
車の後部座席で、俺が貰ったフォトブックを開き、聖雪が俺に文句を言う。フォトブックの最初のページには、撮影してもらった写真を入れる場所があり、その隣には金貨を嵌め込む場所もある。もちろん、俺の金貨はそこに嵌っている。
「限定十人のうちの四人がうちの修学旅行生とか凄いよ! 渚沙ちゃんクラスのみんなに囲まれて凄かったし」
「そうか、聖雪と高塚は同じクラスだったな」
「うがーっ! ものすごく羨ましい!」
ファンシーワールド好きの聖雪には、やっぱり俺よりも金貨とフォトブックの価値が分かるらしく、空港から父さんの車に乗り込んでからずっとこの調子だ。
俺の隣でニコニコと自分のフォトブックを見ている香織は、実にご満悦だ。
帰り際に始まったパレードを見てバス前に集合した時、クラスメイトの女子に香織とセリアの持っていたフォトブックが目に留まり、一騒動があった。
周りの女子が凄いテンションで香織とセリアを取り囲み、女子高生らしくキャーキャー黄色い声を上げて騒いでいた。その騒ぎは別のクラスまで伝播し、女の先生の中にも羨ましがる人も居て、しばらく収拾がつかなかった。
対する俺はと言うと、男子にフォトブックを指差されて「それなんですか?」と聞かれ「なんかレアな物らしい」と言ったら「へぇー凄いですねー」というような会話に留まり、女子達のような騒ぎにはならなかった。
香織は喜んでくれたし、それに修学旅行を通して楽しい事がいっぱいあった。でも、一つだけ心残りがある。
それは、香織と二人で撮った写真が一枚もない事だ。香織と俺、それからセリアや他のクラスメイト達と撮った写真はある。でも、二人で撮った写真は一枚もないのだ。
香織とツーショットの写真がほしい。いや、香織だけの写真でもいい。でも、もう修学旅行も終わってしまったし、写真を改めて撮る機会というのも無い。
「よし、駿河さん着いたよ」
「ありがとうございます!」
香織の家の前に車が停まる。香織はドアを開けて荷物を持って降りる。
「父さん、先に帰っててくれ。俺、少し香織と話がある」
「分かった。気を付けて帰って来いよ」
外に降りて、走り去っていく車のテールランプを見詰めていると、香織が俺の手を引く。
「いつもの所、いこっか」
手を引かれていつもの電柱の下に行くと、香織から突き上げるようなキスをされる。俺はそれに対抗するように舌を絡める。
今朝も、頭が溶けるかと思うくらい熱くなるまで何度も交わした。でも、それでも、香織を求めてしまう。
「四日間ずっと一緒だったから、寂しいな……」
「俺も寂しい。だけど、だから、今まで以上に香織との時間を強く感じられる気がする」
「優一さん、好き」
「俺も好きだ」
今度は俺からキスを交わす。そして今度は、香織から舌を絡める。
ヤバイ、このままじゃ理性が飛ぶ。こんな所で飛ばすわけには行かないのに。
理性が飛ぶギリギリで唇が離れて、お互いにフウっと息を吐く。
上気した香織の頬を撫で、香織の温かさを感じる。
「香織、写真撮っていいか? 二人で。ほら、二人きりで撮ったの一枚もないだろ?」
「…………私も、優一さんに一緒に撮ろうって言おうと思ってた」
俺はそう言った香織の肩を抱き、スマートフォンを取り出す。カメラ機能なんて買ってから使ったことはないが、何とか内側カメラに切り替えて、画面に香織と俺の顔を入れる。
「いいか?」
「うん」
香織の返事を聞いて俺が画面をタッチしてシャッターを切る瞬間、画面に映る香織が、俺の頬にキスをした。
撮れた画像には、俺の頬にキスする香織が写っていて、今度は香織が自分のスマートフォンを取り出す。
「今度は普通に撮ろう!」
ニッコリ笑う香織に引き寄せられ、お互いの頬をピッタリ付けながら、俺達は写真を撮った。




