33【凩に舞う】
【凩に舞う】
修学旅行は三泊四日の日程。そのうち二日目には京都での自由研修がある。この自由研修では、自分達が行きたい場所を決めて自由に回るというもの。
今はその回る所を決めるための話し合いの時間。
「どうしようか?」
「どうしまショー?」
「どうしよう?」
行動班分配られた京都の地図を机の上に広げ、高嶺、セリア、香織がジーッとその地図を見ている。しかし、いきなりポンっと地図を渡されてもどうしようもない。それは、俺達以外の班も同じようだった。
今回の行動班。班長は高嶺で副班長はセリアになっている。日頃、何かと仕切る役をやらされる事が多いのは俺だが「たまには跡野以外のやつがやれ」という先生の鶴の一声でそう決まった。
だが、話し合いは手渡された資料が地図一枚だけという事もあるし、高嶺が仕切ろうとしないから話が進まない。
「セリアはどこか行きたい場所とかあるのか?」
「ウーン、清水の舞台と金閣寺は見たいデス! それに、新選組に関する場所も見たいデス!」
そのセリアの意見を聞いて、高嶺が地図の上を指でなぞる。
「清水寺はここだろ? え~っと金閣寺って何処だ?」
「金閣寺はこっちだ」
地図を指差して俺が金閣寺の場所を指し示すと、隣に居る香織の困ったようなうなり声が聞こえた。
「う~ん……これじゃ、どう回れば良いか分からないね」
「まあ、こうなると思ったからな。ちょっと待ってろ」
俺は机の上にクリアファイルを取り出した。そして、中に入った紙を取り出す。
「一応、班員としての提案だ。参考程度に見てくれ」
「ユーイチ、これは……」
「暇なときにネットで調べた、京都の主要な観光名所ホームページを印刷したやつ。あと、これが俺が一応考えた参考までの観光ルート」
「跡野さん、流石です!」
「どうせまともな資料なんて全員分あるわけないからな。事前に調べておかないと、ああなる」
少し離れた場所では、先生が持ってきた京都観光に関する本数冊を読むために人だかりが出来ている。
「優一さんが考えたルートって」
「ああ、俺達が泊まる旅館は京都駅の近くだ。だから、ちょっと遠い金閣寺に行ってから、中心部に戻ってきて周辺の観光名所を回るルートだな」
香織に説明しながらルートの順番にホームページのコピーを見せていく。
「いや、もうこれ完璧じゃないですか」
「高嶺はどこか行きたい場所ないのかよ」
「いや、俺、お寺とか良く分かんないですし」
「まあ、普通はそうだよな」
「ユーイチが考えてくれたルートに、池田屋があるデス!」
「新選組好きのセリアなら池田屋は外せないだろ?」
ルートを纏めた紙の『池田屋跡』という文字を指差したセリアが、興奮した表情を俺に向ける。そして、真向かいの香織に目を向けた。
「カオリ! ユーイチにハグして良いデスカ?」
「えっ? うーん、セリアさんなら大丈夫」
「カオリのお許しが出たデス! ユーイチ、ありがとうございマース!」
「のわっ!」
セリアが机を乗り越えて抱き付いてくる。甘い香りがするしクラスメイトが見てるしで恥ずかしい。そして、ジーッと俺の方を見る高嶺の視線が痛い。
「この映画村っていうのは聞いたことある。確か、時代劇のセットみたいなテーマパークだよね?」
「時代劇のテーマパーク!?」
香織の言葉に過剰反応するセリアは身を乗り出して、映画村の資料を手に取って眺め始める。
「ああ、実際に撮影にも使われる事があるらしい」
「ここにも行けるデスカ?」
「まあ、みんなが良いなら」
視線を高嶺に向けると、もちろんと深く頷き、香織はニッコリと笑う。
「二人とも良いみたいだ。俺もセリアさえよければ行きたいけど?」
「行くデス! 絶対行くデス!」
資料を見て嬉しそうにしているセリアを見ていると、俺まで嬉しくなってきた。
「優一さん、セリアさんが行きたそうな場所を考えてたんだね」
「まあな。でも、それだと本当にマニアックになりそうだったから、ちゃんとメジャーな場所もあるだろ?」
「うん、そこがなんか優一さんらしい。みんなが楽しめるように、みんなに気を配ってくれてる感じが凄く優一さんらしい」
香織が笑ってそう言う。本当は、こんな事するべきではないとは思っていた。なんだが、俺の意見を押し付けるような、そんな事をしてしまうような気がしていた。
「ユーイチ! ありがとーデス! ユーイチが一生懸命考えてくれたの分かるデス! とってもとっても嬉しいデス!」
「そっか」
セリアのその言葉を聞いてホッとした。
俺が胸を撫で下ろしていると、香織が俺に穏やかな笑顔を向ける。
「よかったね、優一さん」
俺は、その香織の笑顔を見たとき、俺の心にあった不安も全部、香織には分かっていたのではないか、そんな気がした。
話し合いをしてから数日が経ち、修学旅行まで両手で数えられるくらい近付いて来た。
京都の冬はどんな感じなんだろう。俺が中学の時に修学旅行で行ったときは、夏だったからこの時期の京都は分からない。
それに、こっちとは大分冬の感じも違うだろう。
「跡野さん?」
「近藤さん?」
週末、買い物に出て、その帰りに寄った本屋で、近藤さんにバッタリ出会った。ふと近藤さんの手を見ると本を持っていて、どうやら恋愛小説のようだ。
「跡野さんも本を読めるのね」
「……俺が本を読めない人間だと思ってたのか?」
「いいえ、そんな事はないわ」
いや、これは絶対にそう思ってただろう。本を読むのかと聞かずに読めるのかと聞いてきたから間違いない。
「そういえば、跡野さんに折り入って相談があるのだけれど、時間はいいかしら?」
「えっ? まあ、この後は何も用事ないけど」
香織を部活終わりに迎えに行くまではまだまだ時間がある。時間には問題ないが、それよりも近藤さんの相談とやらが気になる。
「ここで立ち話するわけにもいかないわね。本を買って来るから少し待ってもらえるかしら。あ、跡野さんは?」
「俺は暇つぶしに来ただけだから、買うものはないよ」
「そう、では少し待っていて」
近藤さんは小説を持ったまま会計に歩いていく。
学校でしか会わないから、私服姿の近藤さんを見るのは初めてだった。しかし、全体的に落ち着いた雰囲気で近藤さんらしい。
「お待たせ」
「ああ、何処か静かな所が良いか?」
「ここの一階に喫茶店があるからそこにしましょう」
近藤さんが先に歩き始め、俺はその後ろを付いていく。
近藤さんが俺に頼みとはなんだろう? また生徒会の仕事関連だろうか。まあ生徒会以外での関わりは皆無だし生徒会関連しかないだろう。
「跡野さんは何を買いに来たの?」
「ん? ちょっとな」
「そう、私に言えないような物なのね」
「なんで変な視線を向けるんだよ」
全く俺をなんだと思っているのだろうか。確かに見せたり言ったりするのは嫌だ。しかし、それは恥ずかしいだけでやましい物を買ったわけではない。
近藤さんはエスカレーターで一階に下りると、なんだかおしゃれな喫茶店に入っていく。そして座席に座ると、ウエイトレスさんが来て注文をとる。
「オリジナルブレンドを」
「俺も同じ物を」
「かしこまりました」
笑顔でウエイトレスさんが去って行き、俺は真正面に座る近藤さんを眺める。
「そういえば、駿河さん以外の女性と二人きりというのは良くなかったわね」
「気を遣ってくれてありがとう。でも、大丈夫だ。そんな事言ってたら何も出来ないからな」
「そう」
目の前にコーヒーの入ったカップが運ばれて来て、近藤さんはカップを持ってコーヒーを一口飲む。そして、カップを置いたと同時に口を開いた。
「単刀直入に言うわ。眞島くんに告白されたのだけれど、どうすれば彼を傷付けずに断れるかしら?」
「はっ? 眞島に告白されたのか?」
「ええ、つい先日の事よ。生徒会の仕事で遅くまで残っていて、眞島くんが手伝ってくれてたの。何処かの誰かさんはさっさと帰ってしまったけど」
「近藤さんが帰れって言ったんだろうが」
何故か非難を浴びせられる俺は、近藤さんから視線を外してコーヒーを口にする。砂糖を入れないと苦い。俺がスプーンで砂糖を入れていると、近藤さんが話を再開した。
「その仕事終わりに告白されたの。好きです、付き合って下さい、と」
「それで、断りたいのか?」
「ええ、眞島くんはいい人だと思うわ。でも、彼は生徒会の仲間である以上に思えないの。それに――」
「そうか、じゃあそこまで正直に言ってやればいいんじゃないか?」
俺がそう言うと、近藤さんは驚いた表情をする。
「思った事を全て正直に言うべきではないかしら?」
「ちなみに? それに、の続きを言ってみてくれ」
「それに、私は年下の男の子に男性の魅力は感じないの。頼りないというか、私を任せたいと思えないの。眞島くんはいい人だけど、やっぱり年下で仕事も頼りないし」
こんなの眞島が聞いたら凹んで寝込んでしまう。俺だってこんな事を香織から言われたら絶望する。
「そこまで言ったら、無意味に眞島の事を傷付ける事になる。そんなのは真摯さなんかじゃない。そんな人の気持ちを考えない真摯さを見せられるくらいなら、人の気持ちを考えた不誠実さを見せた方がいい。そう俺は思うぞ。別に嘘を吐けってわけじゃない。あえて言わないようにするだけだ」
「人の気持ちを考えた不誠実さ……跡野さんって、本当に変わっている人ね」
コーヒーを飲みながら、近藤さんは素直に感動したような表情を見せる。言葉はあまり嬉しいものではないが。
「ありがとう。では早めにそう断っておくことにするわ」
「そうか。まあ、眞島の性格なら仕事は真面目に割り切ってやってくれるだろうし」
「ごめんなさい。私が跡野さんに雰囲気を壊さないでとお願いしたのに、私がこんな事を招いてしまって」
「別に誰も悪くないだろ。人が人を好きになることはいい事だ。それで結ばれる事も結ばれない事も、誰も悪くない仕方のない事だ」
「そうね、でも眞島くんに告白されるとは思わなかったわ」
「そうか? 近藤さんは美人だし、片付け出来ない所を除けばしっかりしてるし高スペックだし。年下が憧れる気持ちも分からなくはないぞ」
眞島は会計という役職だが、仕事のやり方とか動き方なんかを見ると、近藤さんの秘書のような感じだ。
今思えば、ああやって近藤さんについて動く眞島を思い出せば、近藤さんの事を好きだったというのも納得がいく。
それにしても、近藤さんからそんなプライベートな事を相談されるとも思わなかった。
正直言って、近藤さんのプライベートはほとんど謎だった。休日に何してるのかも分からないし、何が趣味なのか分からないし。音楽の知識があるのは文化祭で分かったけど、恋愛小説を読むなんて初めて知った。生徒会室では仕事しかしてないし。
それに、近藤さんが恋愛小説を読むなんて意外だ。近藤さんは「男が嫌い」なんてことを真顔で言う人だ。同性が好きという風でもない。だから、てっきり恋愛には興味がないのかと思っていた。読みそうな本も、なんか小難しそうな推理物とかが好きそうだし。
「跡野さん」
「ん?」
「跡野さんは永久の愛を信じるかしら」
「永久の愛?」
近藤さんは突然、そんな質問をしてきた。
「結婚式で言うじゃない? 神父さんが永久の愛を誓いますかって。その永久の愛が本当にあるのかどうかって事」
「うーん、俺は有るか無いかってより、有ると信じたいかな」
永久の愛が無いという事は、香織と俺にも終わりが有ると言う事だ。それは信じたくない。
神父の言葉で言う通り、二人を死が分かつまで、俺は香織と……。
「やっぱり、永久の愛は有ると信じたいな」
「そう、私は……無いと思うわ」
コーヒーを飲み終えた近藤さんは立ち上がり、伝票立てに手を伸ばす。しかし、そこに伝票は無い。
俺は、指に挟んだ伝票をヒラヒラと近藤さんに振って見せる。それを見た近藤さんは一瞬目を見開いて、そして心底呆れた表情になってため息を吐いた。
「今日はありがとう。また学校で」
「ああ」
近藤さんが歩いて行くのを見送り、俺は伝票を見る。
「うげっ……コーヒー一杯六〇〇円もするのかよ、ここ」
外には木枯らしが吹き、通りを歩く人はその木枯らしを避けるように身を縮こませて歩く。
季節はもう本格的に冬。そしてもうすぐ修学旅行。
だけどなんだろう、さっきの近藤さん。
酷く、視線が冷たかった。




