29【弄巧成拙】
【弄巧成拙】
文化祭当日は、休日にやっているという事もあって、学校関係者以外の出入りもある。生徒会は、そんな部外者への対応もしなければいけない。
「あのあの! サッカー部のマネージャーで二ノ宮江梨子さんって居ますよね? その子に会いたいんですけど?」
生徒会と書かれた赤い腕章を付けた俺に、明らかに他校の生徒であろう男数人のグループにそう尋ねられた。
夏の一件で元々それなりに知名度のあった二ノ宮は、すっかり他校にも顔が知られる存在になった。もうこれで二ノ宮について聞かれるのは何度目だろう。
「サッカー部の二ノ宮さんでしたら、この廊下を突き当り、左手の教室でメイド喫茶をされていますよ」
「うおー、江梨子ちゃんのメイド服姿が見られるとかラッキー」
おい、ありがとうございましたくらい言えんのか、最近の若者は。そんな事を考えながら歩き去って行く男達を見送って、俺は見回りのために歩き出した。
二ノ宮は「私目当ての男が居たらじゃんじゃん誘導して。いっぱいサービスしてお金ふんだくってやるわ」と、質の悪いキャバクラ嬢みたいな事を言っていた。あいつら、いくら二ノ宮に貢がされるんだろ……。
校内は賑やかで、実にみんな楽しそうにしている。まあ、長い期間、準備をしてやっと迎えた文化祭当日だ。感慨もひとしおだろう。
「さっきの自主制作映画、意外と面白かったな」
「うん、主人公の子、あの嫌な彼氏と本当に別れて良かったよね。外国人のあの美人さんの方が、女の子だけど優しくて主人公の事ちゃんと理解してくれたし」
「だよなー、あの彼氏マジでムカついたわ」
すれ違うカップルの評価によれば、うちのクラスの自主制作映画は上々らしい。まあ、主に俺に対する悪口が主だった気はするが。
『跡野先輩! 助けて下さい!』
「野田さん? 何かあった?」
『迷子の子が居て泣き出しちゃって』
トランシーバーから、ノイズが混ざった野田さんの困り声が聞こえてきた。その後ろからは子供の鳴き声が聞こえる。
「近藤さん、聞こえてたか?」
『聞こえてるわ。野田さん、男の子の年は……聞けそうにないわね。服装とあと他に顔とかに特徴はない?』
『えっと、五歳くらいで黄色いTシャツに青色のデニムの短パン。それから靴は戦隊物の赤い靴で、左目の隣にホクロが二つあります』
『分かったわ。とりあえず、放送室まで連れて来てくれるかしら』
『は、はい!』
やり取りが終わってすぐ、校内放送で近藤さんが迷子のお知らせを放送する。特徴も沢山あったし、きっとお母さんかお父さんがすぐに迎えに来てくれるだろう。
『跡野先輩!』
「今度は眞島か、どうした?」
『中庭で模擬店をしている二年生が揉めてます。炭火焼き鳥の煙が酷いと』
「……そこって」
『はい……跡野さんが、中庭には火を使う模擬店が多いから、やめた方がいいと注意したクレープ屋です』
「やっぱりか……分かった。俺が話してくる。自分達が良いって言ったんだから絶対に納得させてくる」
『すみません……』
「いや、一年が二年に意見し辛いのは分かってるからな。とりあえず、俺が行くまで見ててくれ。ならないとは思うけど、掴み合いになったら止めてくれ」
『わ、分かりました』
吹奏楽部の眞島に取っ組み合いの仲裁は荷が重い。急いで行かなくてはいけない。
長い一日になりそうだな。そう思って息を吐き、俺は中庭に向かって駆け出した。
迷子への対応、喧嘩の仲裁、しつこいナンパ野郎の校外追放、ゴミのポイ捨て注意、体育館の設営、その他諸々の雑務をやって、やっと休憩時間になった。そして、俺の休憩時間は何故か、メイド喫茶に座らされている。
「跡野にメイド服姿を見られるとは思わなかったわ」
「俺も、そんな真顔のメイドに会うとは思わなかったよ」
サッカー部のマネージャー加藤が、注文したアイスコーヒーを俺の目の前に置いて、隣に座った。
「なんかこれ、メイド服なのにスカートの丈が短いじゃない? だからさ、雄大がズーッと裾ばっかり見てんの。そんで、どうって聞いたら、見えそうって言ったからゲンコツ入れといた。彼女のメイド服姿見て、見えそうって感想は無いと思わない?」
「そうだな。それは酷いな。まあ加藤の彼氏の気持ちも、分からなくはないけど」
「ごめんね、隣に居るのが彼女の”振り”してる江梨子じゃなくて」
「加藤は知ってるのか」
「侑李も知ってるわよ。まあ、知ってるのはその二人だけど」
「加藤はどう思う?」
「まあ確かに、ちょっと香織のやり方は大人気ないっていうか、子供っぽいとは思ったわねー。でも、どうせ同級生の入れ知恵でしょ。じゃないと、香織が跡野無視するわけないし」
「いやー、マジであれは凹んだわ……」
「こっちは、毎日毎日、香織を待ってる跡野を見てた方がよっぽど凹んだわよ。とっくに帰ったって分かってる香織をずっと待ってるだもん。あんなの見たら、そりゃあ香織にちょっとはお灸据えたくなる江梨子の気持ちも分かるわよ」
加藤の話を聞きながら少し離れたテーブルに目を向けると、男性客と楽しそうに話している二ノ宮が見えた。
「やっぱ、江梨子の人気は凄いわね。とんでもない売上よ。さっき三回目の買い出し行ってきたばかりなのに、もう飲み物が無くなりそうだし」
二ノ宮はどうやら、宣言通りお金をふんだくっているようだ。まあふんだくると言っても、気分を良くした客が追加で何か頼んだという事だろう。
「跡野、本当に二ノ宮と付き合っちゃえば?」
「はあ?」
「いや、だってさ。跡野の事を一番分かってて、跡野が辛い時に絶対味方してくれる江梨子って、彼女にしたら最高じゃない。しかも見た目も可愛いし」
「二ノ宮は良い奴だと思う。そんな二ノ宮に好かれてる俺は凄い幸せ者だと思う。でも、俺は――」
「全く、見えそうって感想を言った雄大を見習わせたいわ。それに、やっぱり香織にお灸を据えて正解ね。こんないい彼氏を、友達に言われたからって蔑ろにするんだし」
アイスコーヒーを飲み終えると、目の前にちょっと焦げたナポリタンが置かれた。具はピーマンとウインナーだけのシンプルな物だ。
「生徒会の仕事を頑張ってる彼氏へのご褒美よ」
「ありがとう二ノ宮」
「ちゃんと江梨子って呼んでって言ったじゃん」
「加藤は知ってるんだろ? なら別にいつも通りでいいだろ。いただきます」
俺が箸を手にして合掌すると、二ノ宮が加藤を睨む。
「春、余計な事言わないでよ」
「ごめんごめん。せっかく好きな男と付き合えたのにねー。水を差すような事して悪かったわよ。跡野、江梨子の機嫌のために名前で呼んであげて」
俺は加藤の言葉を聞き流してナポリタンをほおばる。
「優一、生徒会でも大活躍ね。彼女として誇らしいわ」
「大活躍なんてしてないんだけどな。香織の件で凹んでた一週間はみんなに迷惑かけてばかりだったし」
「そんな事ないわよ。実行委員会で書記やってる子が居るでしょ? あの子が、後輩に仕事のやり方聞きづらかったんだけど、副会長のおかげでやりやすくなったって言ってたし。さっき見回りに来た生徒会の先生が、跡野は危機管理能力が高い。事前にトラブルの元を見付けて、その対応まで出してから話を持って来るからやりやすいって褒めてたわ。でも、恋愛に関しては、その危機管理能力ってやつも無駄だったみたいだけど」
「本当ね。跡野って基本優秀なのに、なんで恋愛の事になるとポンコツになるの?」
「二ノ宮、加藤、褒めてるのか? それとも貶してるのか?」
「「どっちも」」
「はぁ……」
部の雑用の時は散々泣き付いてきていたのに、そこから離れるとすぐに俺をからかい始める。俺は良い友達に恵まれた。
「そういえば、跡野。バンドするんだって?」
「もう知ってるのかよ……」
「文化祭のしおりに書いてあるじゃない、生徒会出し物バンド演奏って。それにしても、別枠じゃなくて個人の出し物で今年はやるのね。しかも音楽部門」
文化祭のしおりを机の上に広げた加藤がニヤリと笑う。
「そんでもって、彼女を狙う全国二位の天才ピアニストと男と男の勝負とか。あー、めちゃくちゃ言いふらしたいんだけど」
「ダメよ春。そんなの香織の耳に入ったら、お灸を据えるどころの話じゃないわよ。喜んで優一に抱きついて来ちゃうじゃない」
「加藤、許す。今すぐ拡散してきてくれ」
香織が抱きついてくれるなら、今すぐにでも言いふらしてほしい。
香織が俺の事を嫌いになったわけじゃないと知れて嬉しかった。でも、今日まで香織と話せたのは、自主制作映画の撮影をしたあの一回きりだ。物凄く寂しいし辛い。
あの約束が途切れた日から、俺は香織の温もりを感じていない。それが、たまらなく辛かった。
「あーもう、春が余計な事言うから優一が凹んだじゃない」
「いやいや、香織の事を思い出させたのは江梨子でしょ?」
二ノ宮は俺の手を取ってニッコリ笑う。
「頑張ってる奴に言いたくはないけど。頑張りなさい。あともう少しよ、もう少し頑張ればいいんだから」
「ありがとう、江梨子」
そう言うと、二ノ宮はカッと一気に顔を真っ赤にして俯く。
「サンキュー跡野、江梨子の珍しい顔が見れたわ」
「春! からかうな!」
加藤がニヤニヤ笑いながら俺にお礼を言うと、二ノ宮がしおりを丸めてポフっと軽く加藤の頭を叩いた。
模擬店やクラスの出し物も終了し、全員が体育館に集まり、個人の出し物を鑑賞している。今は、二年の生徒がマジックを披露している所だ。
「あ、跡野先輩。どうしましょう。この次、音楽部門ですよ」
緊張した様子の野田さんが、カタカタと震えながらステージを見ている。
「まあ、佐伯の演奏を聞けば、会場は全員俺達に期待なんてしないだろうし、気楽に行こう気楽に」
通例で、生徒会の出し物は最後にやるものだと決まっているようで、俺達は佐伯のピアノ演奏の後にバンド演奏を披露する。
全国二位のピアノ演奏の後に会場を盛り上げられるとすれば、全国一位以上の何か以外にはあり得ない。だから、意気込まず気楽にやった方が建設的だ。
「いや、勝てると思いますよ」
「言うねー、眞島も」
マジックの披露が終わり、一度幕が下りて会場の設営に入る。佐伯が使うグランドピアノをステージの中央に移動するためだ。
「よ、よろしくお願いします!」
ステージ袖に来た佐伯は、その場に居た全員に頭を下げて、俺の前に歩いてくる。そして、俺に頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「おう、頑張れよ」
眞島と野田さんは自分の使う楽器の所に行き、楽譜を手にして確認をしている。やっぱり、緊張しているのだろう。
「彼女が出来たそうですね。おめでとうございます」
「そうか、ありがとう」
「賢明な判断だと思いますよ。俺に勝てるわけないですからね。この勝負だって尻尾まいて逃げたって誰も責めないんですよ?」
「すまんな、俺は人前で歌うの嫌なんだけど、生徒会の決まりらしくて」
「俺、あんたのその余裕かました感じ嫌いだ」
「奇遇だな。俺も、お前のその鼻にかけた感じが嫌いだ」
「負けたくせに」
「何を言ってるんだ? まだ始まってもいないだろ?」
「もう終わってる。香織さんがお前を捨てて俺を選んだ時点でな」
佐伯は俺に背を向け、伸ばした背筋を縮こまらせる。
「さえちゃん、緊張してる?」
「はっ、はい……やっぱり、人前で演奏するのは慣れなくて」
「大丈夫だよ。全国二位なんだし自信持って!」
二年の女子から応援された佐伯は、おずおずとマイクスタンドまで歩いていく。
「一年、佐伯文です。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げると、会場から拍手が上がる。そしてグランドピアノまで歩く途中に、スピーカーから説明が流れる。
『全国二位の天才ピアニスト佐伯文さんのピアノ演奏です。演奏する曲シューマン作曲リスト編曲のピアノ演奏曲。献呈、君に捧ぐ、です』
グランドピアノの前に座った佐伯は、一呼吸おいて、演奏を始めた。
素人の俺では、上手い表現が分からない。でも、凡人の俺はこの曲を恋の過程に思えた。
出だしは穏やかな雰囲気。それは誰かを好きになり始めて、その誰かと接する時の穏やかな感情に似ている気がする。
曲が進むに連れて、その曲に壮大さが少しずつ加わっていく。それは誰かを好きにな気持ちが少しずつ強くなっていく。そんな恋の感情の変化に思えた。
中盤、曲の雰囲気が変わる。それは、自分が抱いていた感情が、恋だと認識して、それを認識した瞬間に跳ね上がる鼓動と重なって見えた。
中盤から終盤に掛けて、その壮大さは駆け上がるように増していく。それは、止めどなく溢れる感情が恋から愛に変わって強さを増していく、そんな感情の変化に感じられた。
しかし、このリストが編曲したという献呈、君に捧ぐ、は、シューマンの妻であるクララには不評だった。と言う逸話を、この曲について少し調べた時に見た。
事実かは分からない。でも、クララはこのリスト編曲の献呈を聴いた時に言ったそうだ。
「ロベルトの音楽を壊した」と。
ロベルトとはもちろんシューマンの事だが、そのシューマンの曲をリストの編曲で壊されたと表現したのだ。
リストという人の編曲した曲は、ピアノを演奏する人からしたら、高度なテクニックが必要で難しいらしい。でも、その高度なテクニックは曲の厚みを増やして、曲を良くする。そう感じる人が多いらしい。
クララは、そんなリストの事を認めながらも、こんな事を言ったらしい。
「リスト、あなたは素晴らしい人ね。単調なメロディーも華麗に編曲出来る。でも、テクニックは繊細さを壊す事もある。それはわかる? 秘めた思いや小さな驚き。語り合う二人の心、ささやかな事。そして愛も、幻想も嵐もない、虹もない、ダイヤもない。ただ、ありのままの愛。違う?」
その言葉を本当に言ったかなんて分からない。でも俺は、クララの言いたい事は何となく分かる。
この献呈という曲の良さは、飾りのない、ストレートな愛なのだと。本来なら愛を彩る作り話や困難、愛を華やかにするシチュエーションや綺麗な装飾品。そんなものは要らないのだと。 献呈という曲は、そんな余計な物なんて必要ない。純粋で素朴で真っ直ぐな愛の曲だと。そう言いたかったんだと、俺は思う。
確かに、この曲はいい曲だ。シューマンの献呈で調べれば、このリスト編曲版を演奏した物が沢山出てくる。でも俺は、クララの愛したシューマンの、ありのままの愛を聴いてみたいと思った。
佐伯の演奏が終わり、会場は割れんばかりの拍手で溢れる。
「やっぱり、凄いわね」
隣に立っていた近藤さんが感嘆の声を上げる。やっぱり、音楽に知識のある人が聴けば、俺なんかが感じる事が出来る感情よりも、もっと強い何かを感じられるのだろう。それは、少し残念な気がした。
「さて、完全に佐伯くんの独壇場になってしまったけど、私達の出番よ」
「「はい」」
グランドピアノが下げられ、楽器が運ばれるのを見ながら、眞島と野田さんが返事をする。
「さて、さっさと終わらせてこよう。こんな公開処刑みたいなのは御免だ」
俺は、そう言ってステージに歩み出ていく。
『生徒会役員によるバンド演奏です。曲目は副会長より発表されるそうです』
『は? いや、聞いてないんだけど?』
スピーカーから進行役の声に反応した俺の声が流れ、ドッと笑いが起こる。さっきの佐伯の演奏で静まり返った雰囲気が台無しだ。
「えーっと、こんな人前で歌わされるなんて全く不本意ですが、気楽に聞いてください。曲目はキミを探して、です」
曲名を言った瞬間、若干会場がザワつく。まあ、大抵の人が知っている曲だから、そりゃあそうだろう。
「ワン、ツー、ワン、ツー、スリー!」
眞島のカウント後のドラムから演奏が始まる。近藤さんのギターと野田さんのキーボードが加わり、聞き馴染みのあるメロディーが響く。そして、俺はマイクに向かって歌い出した。
「通り過ぎたバスを振り返り、彼女が居ないかと目を凝らす。でも、彼女を見付ける前に、バスは陽炎へ消えていく」
歌い出しは何とか声が出ている。リズムも崩していないし、音程も外して居ないはず。
俺は、この曲をずっと繰り返し歌詞を見ながら聴いてきた。そうすれば自然と歌詞を覚えて緊張でど忘れする事が無いと思ったからだ。そのせいか、俺は耳だけで少し聴いたことがあった時よりも、この曲に対する印象が変わった。
アップテンポな曲調に似合わず、この歌の詞は、酷く寂しいのだ。
居なくなった、何処かへ行ってしまった彼女を探して彷徨う彼の、必死に悲しさを隠す様が、曲調と詞のギャップに感じられた。
「一緒に見た花火が、頭の中から消えなくて。一緒に歌ったあの曲が、頭の中で鳴り止まない」
悲しさが溢れて強くなって落ち込んでいくのに、曲調は強く激しく大きくなっていく。それがなんだか、香織の世界から弾かれたと思っていた俺と重なって見えた。
「どうして、キミは居なくなったの? どうして、ボクを独りにしたの? 隣に居たキミが見えなくなって、僕はキミを探す旅に出た」
いつも待っている場所に香織は居なくて、一人で待ちぼうけていた。香織を探して視線を巡らせて、周りを必死に見渡していた。
「キミを探して歩き出す。キミと出会った公園にも、愛を告白した河川敷にもキミは居ない。キミを探して走り出す。手を繋いだ公園にも、キスを交わした観覧車にもキミは居ない」
一週間、俺は香織を待ち続けた。待っている間、香織との思い出が頭をよぎり、泣き出したくなった事も一度や二度じゃない。でもそこで、辛さに負けて泣き出したら、きっと俺は待つ事を投げ出してしまうかもしれない。それが何よりも怖かった。
「キミを探して振り返る。ボクに残った、キミの面影を頼りに」
香織と繋いだ手に残った感触が、香織と重ねた唇の温かさが、香織と重ねた思いが、ずっと俺の心の支えだった。
だから俺は、それを支えに……。
「ボクはキミを探して歩き出す(俺は香織を待ち続ける)」
歌い終えた俺の声が止んでも、伴奏は続く。そして曲を盛り上げ切って、その三人の演奏は終わった。
演奏が終わると妙に静かだった。でも、その静けさは一瞬だった。
「「「うおおぉぉおお!!」」」
会場に溢れた拍手とその声で、ビリビリと体育館が揺れる。俺は思わず顔をしかめた。
後ろでは眞島が満足げな表情をして、野田さんが満面の笑みを浮かべる。そして近藤さんはクールに微笑んだ。
個人の出し物が終わり、部門別に順位を付けるために投票が行われた。その投票は、学内ネットを使って行われるネット投票。紙での投票よりもやりやすいし集計が早い。
数台並べたノートパソコンに並んでもらっての投票を終えると、すぐに閉幕式が始まった。この閉幕式の間に、文化祭実行委員の担当者が投票結果を確認する。
『さて、先程行われた、個人出し物の部門別優勝発表に入りたいと思います。まず、演技部門からです……』
実行委員長の結果発表を聞いて、一位に選ばれた人は歓声を上げ、選ばれなかった人は落胆の表情を浮かべる。何も商品は出ないとしても、頑張った分だけ、その悔しさもあったのだろう。
『最後に、音楽部門です。音楽部門の優勝は、生徒会役員のバンド演奏です』
「跡野先輩!」
「ん?」
一芸部門で惜しくも二位だったジャグリングを披露した選手を見ていたら、隣に立っていた野田さんに肩を揺すぶられる。少し、野田さんの手は震えていた。
「優勝、しちゃいました。私達」
「えっ? なんで?」
俺の近くで手に持って構えていた実行委員のマイクが、その俺の声を拾ってまた笑いが起こる。
「賞状は跡野さんが受け取って」
「嫌だよ、恥ずかしい」
前に引きずり出された挙句、近藤さんからそんな事を言われて、俺は拒否する。すると後ろから野田さんが、俺と近藤さんの腕を掴む。
「じゃあ、みんなで受け取りましょう!」
「まあ、みんなで辱めを受けるなら平等だしな」
野田さんの意見に乗って賞状を受け取ると、また盛大な拍手が起こった。
定位置に戻る途中、周りの奴等に合わせて拍手をする佐伯の姿が見えた。しかし、佐伯の右手に握られたしおりは、グシャグシャに握り潰されていた。
「あ、あの! 副会長! 凄くカッコ良かったです! あの! 握手してください!」
「あ、ありがとう」
閉幕式後、見ず知らずの一年に突然声を掛けられ、何故か握手をさせられた。
「いやー、彼氏がモテるってやっぱり気持ちが良いものねー」
「茶化すな」
いつの間にか隣に来ていた二ノ宮に、俺は普通に抗議する。
「でも、あれは冗談抜きでヤバかったわ。絶対、跡野に惚れた子いっぱい居るわよ。めっちゃカッコ良かった」
「ありがとな」
「じゃあ、私はクラスに戻るから」
俺に手を振って走り去っていく二ノ宮を見送り、俺は生徒会室に向かって歩く。文化祭が終わっても、後片付けや各種報告書作成が残っている。祭り感は皆無だが、生徒会の文化祭はまだ終わっていない。
「生徒会副会長の職権乱用だな」
「ん?」
生徒会室のある階まで階段を登り切ると、目の前に佐伯が立っていた。とても不機嫌そうな顔で。
他の生徒達は自分のクラスの片付けをしていて、こんな所に居るのは俺のような生徒代表の雑用係くらいだ。廊下は酷く静かで、佐伯の声が響いた。
「俺に負けたのが悔しかったからって、職権乱用して結果を操作するなんて汚い事しやがって」
「残念だけれど、跡野さんにそんな権限は無いわ」
下から登ってきた近藤さんが、佐伯を見据えて口にする。
「ああ、佐伯くんの事はもう知っているから普通で良いわ。でも今度からは、本当に誰も人が居ない事を確認してからやるようにしなさい」
「チッ……」
露骨に舌打ちをする佐伯に構わず、近藤さんは言葉を続ける。
「それで、告白の結果はどうだったのかしら?」
「…………」
「あら、ダメだったの? まあ、部門優勝を取って全校生徒の賞賛を浴びてからの告白。そういうプランだったのだろうけど、ごめんなさいね。私達のせいで潰してしまって」
今更思うが、近藤さんも佐伯に負けず劣らず腹黒い。ニヤリと笑って佐伯に見下す視線を見ると、佐伯より質が悪いかもしれない。でも、その質の悪さは気持ち良かった。
「前にも言ったけれど、ピアノ経験者や興味がある人からすれば、献呈は注目されるわ。献呈のテーマや難易度を考えればね。でも、この学校の生徒は献呈を知らない生徒ばかりよ。ましてや、シューマンがクララに捧げた愛の曲だなんて、誰も知らないのよ。その意中の彼女も知らなかったのではないかしら?」
「クッ……」
「女性の立場からアドバイスさせてもらうと、確かに女性はロマンチックさを好むわ。綺麗な夜景が見えるレストランで食事をしたり、素敵なサプライズでプレゼントを貰ったり。そういうものに憧れるというのは間違いない。でもね、肝心の告白はそんな遠回しな方法は必要ないの。いえ、却ってそんなものは余計なものだわ」
近藤さんはニッコリと微笑む。
「あなたの事が好き。それだけが欲しいの。飾りも何もない真っ直ぐな愛、想い。それが一番女性は貰って嬉しいものよ」
なんだか、リストの編曲について語った、クララの言葉に似ている気がした。
「あなたは技術は凄いわ。もちろん、だから全国で認められるのだと思う。でも、告白はやっぱり小手先の技術ではダメね。あなたの意中の相手が、シューマンの献呈の事を知っていたら、もしかしたら結果は変わったかもしれない。でも、想いを伝える為に手段しか考えてなかったあなたなら、私は結果は変わらなかったと思うわ」
佐伯は手に持っていた文化祭のしおりを床に叩き付け、その場から歩き去った。近藤さんはそのしおりを拾い上げて、握り潰されて出来たシワを伸ばす。
「安心して良いわ。きっとあなたの彼女も私と同じ気持ちだから。みんなで作り上げたものを、平気な顔をして、こんな風に踏みにじれる人を好きになる人なんて居ないもの」
しおりを見詰める近藤さんは、少し悲しそうだった。
生徒会の仕事を終えて校門に行くと、二ノ宮が俺に手を振っていた。
「優一、お疲れ!」
「江梨子もお疲れ様。クラスの方は?」
「バッチリ黒字!」
「いや、商売の話じゃなくて、楽しかったかどうかを聞きたかったんだけど」
「もちろん、優一が裏方頑張ってくれたおかげで凄く楽しかったわ。高校のいい思い出になった」
満面の笑みでそう言われると、今日まで頑張って来て良かったと思えた。そう言ってもらえただけで、頑張りが報われた気がした。
「これから打ち上げなんだけど、優一も行く?」
「行かねーよ」
「そう、まあでしょうね」
ニッと笑う二ノ宮は、俺の後ろにチラリと視線を向ける。俺はその方向に顔を向けようとした。でもその前に、二ノ宮が俺を止めた。
「明日、デートしよ」
「えっ?」
「えって、明日は振替休日で休みだし、文化祭終わって一段落したから、付き合ってからの初デートよ。安心しなさい、デートプランは私に全任せでオッケーだから」
ウインクしてそう言う二ノ宮に、俺は若干不安になった。
「じゃあ、また後でメールするね」
手を振って二ノ宮が走り去った直後、俺の隣を香織が歩き去って行くのが見えた。
そしてその日、結局、香織とは何も話せなかった。




