28【古琴之友】
【古琴之友】
「跡野、いつまで私に恥掻かせる気? ここは普通、男が女を抱き寄せてキスして、その後はホテルへ直行でしょ」
「二ノ宮こそ、いつまでふざけてる気だ」
「うわ、酷くない? それ」
部室棟の壁に俺を押し付ける二ノ宮はニヤリと笑う。
「まあ、跡野とベロチュー出来たし、それでチャラにしてやるわ。で? 何があったのよ」
壁に押し付けて体をピッタリとくっつけた状態のまま二ノ宮が尋ねる。
「聞きたくないんじゃなかったのかよ」
「女心と秋の空って言葉、知ってる?」
「移り変わり早過ぎだろ」
「話しなさいよ。じゃないと、キスだけじゃ済まさないわよ」
足の間に、二ノ宮の細長い足が入り込む。そして、下から挑発的に微笑む。どうやら、このまま何も言わなかったら、俺は親友に犯されるらしい。
「ここじゃ、話し辛いな」
「じゃあ、せっかく付き合ったんだし記念にホテル行きましょ」
「いかねーよ」
俺がそう答えると、二ノ宮は女の子らしく笑って言った。
「やっと、いつもの跡野に戻った」
人目の多いファミレスに行く気もせず、二ノ宮に引っ張られるまま二ノ宮の家に行った。二ノ宮の部屋は音瀬や香織の部屋ほど、可愛らしい家具や内装はしていないものの、置いている化粧品等を見ると女の子らしい部屋であると言える。
「さて、彼女の部屋に来た感想を言ってみなさい」
「誰が彼女だ。まあ、二ノ宮のイメージに合った部屋だな」
「じゃあ、何があったのか私に話してみなさい」
俺は床に座り込み、ベッドの上に座った二ノ宮を見上げて、口を開いた。
「二ノ宮が香織に言ってた通り、俺がまた不安になった」
「はいはい、それで。その理由は? あんたは学習能力のないアホだけど、何か理由がないと不安にならないわ。それを話しなさい」
「……佐伯に言われたんだ。香織をもらうって。香織は自分に心酔してるって。日頃のアイツとは違って、ハッキリと俺に言ってきた」
「そう」
「疑わないのか?」
「跡野は人を陥れるような嘘は吐かない。私は、そう信じてる。で? 香織にはどんな曲解されるような言い方したのよ」
「佐伯にそう言われた後に香織と帰ってて、だから俺は香織に聞くつもりだった。香織が好きなのは俺だよなって。そう考えてたら、香織が楽しそうに、佐伯がピアノを弾いてくれたって話し始めて……」
「それで動揺したって事ね。全く、あんた達はホントに不器用同士ね。そんなクソみたいな男の事を気にするあんたもあんただし、彼氏が元気がないのに他の男の話を持ち出す香織も香織よ」
二ノ宮は体の後ろに両手を突いて、ハァっと息を吐いて呆れた表情をする。
「なんで、俺がその時元気がないって分かるんだよ」
「分かるに決まってんでしょうが。どうせ、あの香織の幼馴染みの時みたいな顔してたんでしょ。あんたは一度凹むとどん底まで落ちるからね~。香織も多分、落ち込んでる理由分かんなくて困ったんじゃない? んで、困った挙げ句に香織も不器用だから最悪な話題持ち出して、そんで揉めたのね」
「二ノ宮ならどうした?」
「抱き締めてキスして、とりあえずエッチ」
「…………」
「今、私に聞いた自分がバカだったと思ってる? でもね、抱き締めるのもキスするのもエッチするのも、愛情表現よ。しかも男には一番分かり易い効果抜群のね。女は可愛いとか好きとか、そういう想いを見せてくれないとダメだけど、男は体の関係で自分は彼女に好かれてるって感じるの。もちろん、好きって言えば伝わりはするかもしれないけど、男にとって言葉は表面上だけで取り繕えるものだからね。行動の方が一番」
「やっぱ、二ノ宮は凄いな」
「そうよ。だから私と付き合わない? はっきり言うわ。跡野が跡野である以上、香織が香織である以上、また同じような事が起こる。今度は香織の方が不安になって起こるかもしれない。お互いに、恋愛経験が少な過ぎるの。絶対、また傷付くわ、跡野も香織も」
確かに、俺は恋愛経験は少ない。付き合ったのも香織が初めてだ。だから、今まで何度も俺は失敗した。同じような失敗を何度も。
でも、俺は香織が好きだ。まだ、香織は俺に一言も話してはくれない。だけど、俺は……。
「話は大体理解出来た。でもとりあえず、初めての跡野とのキスが最悪だった件について謝ってくれない?」
「勝手に二ノ宮がしてきたんだろうが」
「でも、ああしないと香織は自分のやってることが理解出来ない」
「香織は何もしてないだろ」
「いつも待ち合わせていた場所に来ずに、友達と登校。そんで学校では完全に無視。その挙げ句の果てに、他の男と一緒に下校し始めた。十分でしょ」
「……俺のせいだ。俺が――」
「あいつ助けるみたいで言いたくないんだけど、香織がやってるのは全部当て付けで、あんたの気を引いてるの。急に一緒に学校に行かなくなったり帰らなくなったりしたらあんた気にするでしょ? 学校で無視されたら嫌でも気にしちゃうでしょ? 他の男と帰ったなんて知ったら、そりゃあもう心配になるでしょ? 香織はあんたに構ってほしいのよ。喧嘩し慣れてないから離れた距離の縮め方分かんなくて、無意識に自分からじゃなくて、あんたから歩み寄らせようとしてんの。だからガキなのよ、あいつは。そんなことしたら、跡野は心配するどころか、落ち込んで見るに堪えなくなるって事が考えられないの。まあ、どうすれば良いか分かんなくて余裕が無いのかもしれないけど」
「じゃあ、香織は?」
「別にあんたの事を嫌いになんかなってないわよ。それに、その一年にも乗り換えてない。一年は当て馬に使ってるだけ」
良かった……香織の世界から、俺はまだ弾き出された訳じゃなかったんだ。
「あー、マジ、嫌われ役まで請け負って好きな人のために尽くした女の前で、別の女に好かれてるって知って喜ぶの止めてくれない? 流石の私でも凹むんだけど」
「すまん」
謝る事が適切だったかは分からない。でも、二ノ宮の言うとおり俺は不器用だから他にやり方が思い付かない。
「跡野、あんたって凄いわ」
突然、二ノ宮がそう言う。俺は意味が分からず、首を傾げると、二ノ宮はポロポロと涙を流した。
「誰かのために、自分切り崩すのってホント、シンドイ……。こんな事、あんたは何度も私達のためにしてくれてたんだね。ありがとう。それと、もうこんな事、こんな自分を傷付けるような事はしないで」
「ごめん、二ノ宮には辛い思いさせた」
「ホントよ。一番可愛い後輩、泣かせちゃったじゃないのよ……。香織に嫌われたらどうしてくれんのよ……マジで……」
「ごめん」
「…………好き」
「ごめん」
「…………断るの早過ぎ」
「ごめん」
二ノ宮は手の甲で目元を拭うと、俺の目を真っ直ぐ見詰める。
「ここまで私がしてあげたんだから、最後まで私の言う事聞きなさい。今回の事に関して、あんたから香織に歩み寄るのは絶対ダメ。香織が自分から行動するまで待って。それと、今日から私と付き合ってる“振り”をして」
「それは――」
「あんたが他の女に取られたって事を香織に分からせてやんのよ。あいつは跡野が自分を好きで居てくれる事におごってんの。それはいくら香織でも許せない。あんたの事を好きでも好かれない女に対して失礼だわ。それとも何? 私にこんな事させたのに、自分の問題が解決したら切り捨てる気?」
そんな事出来るわけがない。二ノ宮はただの知り合いじゃない。いつも、俺を助けてくれる友達だ。
「……分かった」
「ありがと」
「いや、二ノ宮にこんな事させてごめん」
「私は良いのよ。振りとはいえ跡野と付き合えるし」
「でも、二ノ宮の大切な物を切り売りさせてしまったから」
「良いの。跡野のためなら安い物よ」
「跡野さん、ちょっと話があります」
次の日、学校に行った瞬間に、高嶺が俺の前に立ってそう言った。そして、視線は一瞬隣に居る二ノ宮に向けられ、俺に戻る。
「高嶺、優一になにか用でもあんの?」
「二ノ宮先輩には関係ありません。これは男と男の問題です」
高嶺は怒っている。まあ、理由は杉下だろう。まだ二ノ宮の事を諦め切れていないであろう杉下に、俺と二ノ宮が付き合っているなんて話は酷すぎる。付き合っている事は振りとしてだが、それを知っているのは俺と二ノ宮だけだ。
「そう、でも言っておくけど、優一の傷心に私がつけ込んだだけだから」
「にっ――江梨子、そんな事は」
つい、いつもの癖で二ノ宮と呼んでしまいそうになる。名前で呼ぶことも、二ノ宮からの条件の一つ。
「もし、私の事で優一に話があるなら、まず私の所に来なさい」
二ノ宮の奴、恋愛経験が有りすぎるから、高嶺の考えてる事も分かるのか……。マジで恋愛事に関してこいつに勝てる気がしない。
納得いかない様子で引き下がっていく高嶺を見送ると、二ノ宮が耳打ちをしてくる。
「香織に声を掛けたくなるかもしれないけど、絶対に我慢して。ちょっとは危機感を覚えさせないと」
ニッコリ笑った二ノ宮は俺に手を振って去って行く。そして、静まり返った教室で、視線だけ香織に向ける。香織は……俺の方を見てもいなかった。
四限目、午前最後の授業が終わって俺が教科書を片付けていると、教室の入り口から二ノ宮が俺の方に手を振っていた。
「優一! お昼一緒に食べよう」
「ユーイチ! ユーイチは――」
二ノ宮の言葉に立ち上がった俺に、セリアが隣から腰を浮かせ、俺に何かを言おうとする。
「セリアも一緒にどう?」
そのセリアに、二ノ宮は声を掛けた。
「ワ、ワタシは」
「別に付き合ってるからって気にしなくていいわよ。セリアは友達だもの」
「で、では、ご一緒するデス!」
二ノ宮にそう言ったセリアは、何故か俺を見詰めて、そして疑うような視線を向けてくる。
二ノ宮はセリアに話す気なのだろうか。だったら、俺は助かる。
クラス内では、当然だが、俺の香織は別れた事になっている。そして、やっぱりこういう時に男は弱いのか、彼女を捨ててさっさと別の人に乗り換えた酷い奴と、俺は話題の的だ。
特に女子のクラスメイトは俺に聞こえている聞こえていないなんて事は気にせず、いや、あえて聞こえるようにそんな話をする。そして、その会話の中には、辛辣な言葉が沢山あった。
そんな状況で、クラスに一人理解者が居るだけでも、精神的に救われるものだ。
二ノ宮が適当な椅子を持ってきて俺の目の前に座った瞬間、香織が椅子の音を立てて立ち上がり、教室を出ていく。それを引き金に、次々と教室からクラスメイトが出て行った。
気が付けば、俺と二ノ宮とセリアだけが残った。
「気を遣ってくれたのかしら?」
ニッコリ二ノ宮が俺に微笑む。まあ、いろんな意味で気を遣ったのは間違いない。
「ユーイチはエリコの何処を好きになったデスカ?」
「セリア、優一の事好きなの?」
「チ、違いマス! これは普通の井戸端会議デス!」
「そう? てっきり私の彼氏を狙ってるのかと思ったけど」
「それで、優一はエリコの何処が好きですか?」
「面倒見が良くて、辛い時にいつも助けてくれる所かな」
頭の中で、好きな所=良い所。という等式にして、俺はセリアに答えた。
「カオリの事は、もう嫌いになってしまったデスカ?」
「……それは――」
「優一は、一度好きになった子を簡単に嫌いになれるほど薄情な性格じゃないわよ。今でも未練たらたら。だから、私が忘れさせてあげるの」
「エリコはカオリと友達じゃなかったデスカ?」
セリアの終わらない質問に、二ノ宮はフッと息を吐く。
「好きな男が傷付いてるのを、黙って見過ごせるわけ無いでしょ。セリア、知らないとは言わせないわよ。香織がこの一週間、優一に何やって来たかって事くらい」
「それはユーイチが!」
「セリア、江梨子、そこまでだ。昼飯が食えない」
「優一は黙ってて」「ユーイチは黙っててくだサイ!」
「お、おう……」
せっかく止めに入ったのに、どうやら俺ではこの二人を止められないようだ。
俺は少し机の端に寄って、居心地の悪さを感じながら、弁当に入っていたウインナーを箸で摘み上げ、口へ放り込む。
「セリアが何を思って優一を責めてるのか分かんないけど、その判断をした理由は香織でしょ? 香織の側から感じた事を香織から聞いて、それで判断したから、優一が悪いって思うわけでしょ? それだったら、これ以上何を話しても無駄よ」
二ノ宮は、セリアにまっすぐ、冷たい突き放すような視線を向ける。
「私、優一の彼女だから。優一の事を信じる」
「オーケー。よく分かりまシタ。エリコは坂本龍馬デス。土方歳三を懐柔するとは、敵ながらあっぱれデス」
「は? 坂本龍馬? 土方歳三?」
セリアが立ち上がり、仁王立ちしながら放った言葉に、二ノ宮は困惑して首を傾げる。
「セリアは新選組が好きなんだよ。んで、新選組の敵って言ったら討幕派として、薩長同盟の仲介をした事で有名な坂本龍馬だ。幕府を守るための組織だった新選組は、坂本龍馬を敵視していたらしいから、そこから取ったんじゃないか?」
「で、私が坂本龍馬で、優一が土方歳三?」
「ああ、俺は生徒会副会長だからな。新選組の副長は土方歳三だ。だから副長同士で結びつけたんだろう」
「えっ? 坂本龍馬って悪者なの? ドラマではいい人なのに」
「新選組から見たら敵だって事だ。そのドラマ、明治維新までの尊王攘夷派、まあさっき言った、討幕派の視点からの物語だろ? てか、これは何の話なんだよ!」
なんで俺は二ノ宮に歴史の話をしないといけなくなったのかよく分からん。
「とにかく、新選組一番隊組長として、絶対にユーイチを取り戻して見せるデス!」
セリアはまだ広げて居なかった弁当を抱えて教室から飛び出していく。それを二人で見送り、二ノ宮は俺に視線を向けてまた首を傾げる。
「一番隊組長?」
「新選組は一番多い時で二〇〇人くらい隊士が居たらしい。その隊士達を十個の隊に分けて運用してたみたいだな。そんでその十個の隊の筆頭だった一番隊の組長だったのが沖田総司。剣の腕前は新選組最強って言われてるらしい。創作物では、めっちゃ強くて美少年だけど病弱って設定が多いな。完全なifストーリーものだと、沖田総司が女だったなんてものもある。だから、セリアは沖田総司じゃないのか?」
「うーん、セリアが私を敵だって判断したのは分かったけど、例えはめちゃくちゃ分かり辛いわね。それにしても、優一は優しいわね。セリアのために勉強したんでしょ?」
素直に感心してくれたのか、ニッコリ笑う二ノ宮に、俺は決まりが悪くなって視線を弁当に落とす。
「だって、クラスメイトの誰一人セリアの話が分かんなかったら、セリアが可哀想だろうが」
「やっぱ、優一はいい男ね」
二ノ宮はそう言って、自分の弁当の卵焼きを箸で摘み上げ、口の中に放り込んだ。
生徒会室に入ると、近藤さんと眞島はまだ来ておらず、野田さんが一人で椅子に座っていた。それを確認した瞬間、野田さんが立ち上がり俺に詰め寄って来た。
「跡野先輩! 駿河先輩と別れて三年の二ノ宮先輩と付き合ってるって本当ですか!?」
「えっ? あ、ああ」
思わず否定しそうになり、ふと我に返って頷く。
「どうして二ノ宮先輩だったんですか?」
「えっ? ああっと……辛い時に助けてくれたからかな?」
質問に疑問で返してしまったが野田さんは唇に人差し指を当てて考え込んでいる。
「やっぱり、傷心に漬け込んで略奪したっていうのは本当だったんだ……」
二ノ宮が自分から言ったとはいえ、あまり良くない噂が広まり始めているようだ。
「野田さん、変な噂を信じてるみたいだけど、それは事実じゃ――」
「まだ、遅くないかも……」
「野田さん? 聞いてる?」
「えっ? はい、それより今日からバンドの練習をやりますよ。音楽室は借りられませんでしたけど、空き教室を一部屋確保出来たので、近藤先輩も眞島くんも、もうそこに行ってます」
「あ、ああ」
野田さんに手を引かれて歩き出す。そういえば、俺は歌わないといけなんだった。
野田さんに連れて来られた空き教室では、既に二人が準備を済ませていて、近藤さんが俺に視線を向けて少し、口元に笑みを浮かべた。
「元気を取り戻したのは、彼女が出来たせいかしら。クラスの男子が嘆いてたわ。ついに二ノ宮先輩に彼氏が出来たって」
「迷惑掛けて済まなかった」
頭を下げると、眞島がスティックを手にしながら、俺の方にニッと笑う。
「跡野さんが初期の頃に動いてくれてなかったら、今頃文化祭実行委員会はとんでもない事になってた。だから、今度は私達が跡野さんをフォローしましょう。これ、会長の言葉です。それに、僕も野田さんも同じ意見でしたから。元気が出て良かったです」
「……眞島くん、後で話があるわ」
「すみません」
不機嫌な表情と言葉を向けられた眞島は、肩をすくめながら俺に笑顔を向ける。
「それと、私達は佐伯くんに負けるわけには行かなくなったわ」
「いや、全国二位には無理だろ」
「言わなかったかしら? 私は女々しくて陰湿なやり方をしてくる男が嫌いだって」
「まさか、近藤さん……」
近藤さんはニッと笑う。
近藤さんはあの日、俺よりも遅くまで仕事をしていた。そしたら佐伯と俺のやり取りを聞いていた可能性がある。
「跡野さんの中では解決したのかもしれないけど、私個人の中ではまだ終わっていないの。だからみんな、協力してくれるかしら?」
「そうですね、全国二位に勝ったら生徒会は注目の的ですよ」
「私も、頑張って練習します」
三人がそれぞれの楽器を手にして、俺の方に視線を向ける。歌には全く自信がないが、みんなが頑張っているんだ。俺も精一杯頑張るしかない。
自主制作映画の登場人物、優一の設定は『香織の彼氏。好きな人が出来たという香織の別れ話を認めない』というのが当初の設定だった。しかし、修正台本として渡された台本には、その設定に追加で『男たらしのクソビッチと二股掛けてる女たらし』という設定が追加されていた。
それを手渡された俺は、それを見て脚本担当者を呼び止めた。
「なあ、これ男たらしのクソビッチの所、消してくれないか?」
「脚本に文句をつけないで下さい」
この設定、俺と二ノ宮の事を指しているのは間違いない。だけど、こんな事は認めるわけにはいかない。
「男たらしのクソビッチよりも、手当り次第に女に手を出してるって方が分かりやすいと思うけど?」
「だから、脚本に――」
「変えろって言ってんの、分かんねえの?」
「えっ……」
やんわりお願いしても無駄だったから、声のトーンを落として言うと、明らかに脚本担当者は怯んだ。
「俺にムカつくのは分かるけどさ、自分が何やってるか分かってる? これ、いじめだからな? こんな陰で人を中傷するような事して恥ずかしくないのか?」
「でもこれは空想だし、それも演出で……」
「そうか空想で演出か。でも登場人物の名前はみんな実在の人物から取ってるよな? それでこんな設定なんて付いたら、絶対に実在の人物に結び付ける奴が出てくる。そんな事も考えられない、配慮出来ないくせに脚本なんて書いたのか? そういうのも配慮出来て脚本家、演出家ってやつじゃねえの?」
「でもそれは跡野さんが香織を」
「今さっき自分が言った言葉を思い出してみろ。これは空想なんだろ? なのになんで現実に居る俺と香織の名前が出てくんだよ。おかしいだろ」
「はい……」
「分かったら今すぐ変えろ」
「すみませんでした……」
脚本担当者が縮こまって女子の固まりに逃げて行くと、その固まりから敵視が飛んで来る。うわぁ……女子ってこえー。
しかし、俺の出番はこの一箇所だけだから、これさえ終わればクラスに顔を出す必要はない。俺が居なければ、それなりに楽しい文化祭になるだろう。
「じゃあ、さっさと撮りましょう。シーン短いしテストとか要らないわよね」
「カメラ回しまーす」
「はい、演技スタート。三……二……」
二まで声に出してカウントし、一は指を一本立てるだけ、そして演技スタートの合図は手振りで行われた。
「優一、私、好きな人が出来た」
「はっ? 意味わかんねーんだけど」
台本に書かれていたセリフと同じものをなぞる。そうしているうちにすぐにこのシーンも終わる。
「本当にごめん。でも、私本気なの。本気で、好きな人が――」
「そうか、いいんじゃねーの? 誰だか知らねーけどその男とよろしくやれば」
「えっ?」
本来なら「ふざけんな、お前は俺の女だろうが」そういう、独りよがりな男のセリフを言うところだった。
でも、俺はセリフを変えた。
香織は俺のアドリブに一瞬戸惑い、聞き返す。しかし、拳を握って香織は俺に怒鳴り付けた。
「知ってるんだから! 優一が浮気してる事! 学校一の美人と付き合えてそんなに嬉しい?」
「ああ、嬉しいね。あいつはお前と違って俺を疑わなかった」
「最初に疑ったのはそっちでしょ!」
「そりゃあ疑うだろ。二人きりの時に他の男の話なんかされたらな」
このやり取りは、劇中の優一が、香織が好きな相手がセリアではなく男だと思っている。という流れの上でギリギリ成り立っている。
二ノ宮には、香織に何か言ってはダメだと言われた。でも、これは劇の中の演技だ。香織は香織でも、劇中の香織に向けたセリフ。二ノ宮の約束を破った事にはならないはずだ。
「私は元気のない優一に、元気になってもらいたくて話したのに! なんで分かってくれないの!」
「分かったさ。分かったけど、香織は俺にそれを伝えるチャンスさえくれなかった。だから、あいつに乗り換えたそれだけだ。もういいだろ? お前はその好きな男とよろしくやってればいい。もう、終わった女に興味ねーよ」
最後の方は、元の台本通りにセリフを戻した。
劇中の優一は心底酷い男だ。だから、見てる人に悪い男だと思ってもらわなきゃいけない。そのためにたとえ演技でも、香織にこんな言葉を言わなきゃいけないのは嫌だった。だから、俺は出たくなかったんだ。
台本に書かれた通り、置かれたバケツを乱暴に蹴飛ばして立ち去る。後ろでストップの合図が聞こえたが、俺はそのままその場を立ち去った。




