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コンチェルト。アゲイン  作者: 煮込みハンバーグ
27/51

27【無為無能】

  【無為無能】


 日が高い。いつもなら、まだ生徒会の仕事をしている時間だ。でも、俺はあまりにも使えなさすぎて、近藤さんに帰らされた。そして、せめて香織に謝ろうと、香織に会いに行ったら……。

 考えようとしたら、頭がズキズキと痛む。そのせいで、それ以上思考を廻らすことが出来ない。

 近くにあった公園に入り、適当なベンチに腰を下ろす。まるで千里の道を歩いてきた末のように、体が重い。

「くっそ……」

 腰を下ろすと、段々と頭の痛みが治まっていく。それに連れて、頭は否応にもさっきの事を考えてしまう。

 香織は佐伯の言葉を信じた。俺が、佐伯を一方的に恫喝したと。そして、俺の言葉は昨日、何一つ信じては、受け入れてはくれなかった。

 否定、否認、拒絶、撥無はつむ、排斥擯斥排除。

 俺は、香織の世界から弾き出されたのだ。

 長津紙の時の、俺の勘違いではない。明らかに、俺は香織に存在を拒否された。でも、長津紙の時のように、恐ろしい絶望は襲ってこない。でも、底が見えない虚無感に覆われている。

 香織は、きっと俺を信じてくれているものだと思っていた。いや、やっぱりまた最後に香織を信じてやれなかったのは俺だ。俺が、悪いのだ。

 大丈夫だ、そう言い聞かせていたのに、香織の口から佐伯の話を聞いて動揺し、冷静さを失った。そして、まんまとあの佐伯の思う壺である展開に転がり落ちたのだ。

 自業自得。そんな言葉を自分に叩き付ける日がくるなんて思わなかった。本当にお前の自業自得だ、跡野優一。お前が香織の事をちゃんと信じてやれなかったから、ただの友達だって許容してやれなかったから、招いた事だ。

 お前は、香織に相応しくない。

「跡野くん?」

 ゆっくりと頭を上げて、視線を動かす。左右に振った視線が公園の出入り口で止まった時、視界の中心にうちの制服を着た女子が立っていた。

「こんなとこでど――」

 近付いて来たのが音瀬だと分かった瞬間には、音瀬は俺の前にしゃがんで下から俺の顔を覗き込んでいた。

「どうしたの? なにか、あったの?」

「……なんにもない」

「そんな事ないよ。何にもなかったら、跡野くんはそんな顔しない」

「……なんでもない」

「大丈夫? 私に出来る――」

「何も無いって言ってるだろ!! ……ごめん」

 みっともない怒鳴り声を上げて立ち上がった俺は、すぐに力なく謝って腰をベンチに落とす。何にも関係ない音瀬を怒鳴るなんて最低だ。こんなんだから、香織に……。

「ちょっと来て」

 音瀬に腕を掴まれ引っ張られる。何処に連れて行かれるのか分からない。でも、抵抗する気も自分から進んで歩き出す気も起きなかった。ただ、流れに任せた方が楽だったから。


 音瀬に腕を引かれてしばらく歩くと、音瀬は一棟の高層マンションに入っていく。そして、エレベーターを操作して上まで上がり、何階か分からない回で止まって、そして音瀬は一室に鍵を開けて入った。その一室の扉の横に『音瀬』という表札があるのが見えた。

 入ってすぐに明るい色のフローリングが敷かれた廊下が目に入り、その奥からは窓から差し込む夕日のオレンジが見える。

「入って」

 音瀬は俺を引っ張ったまま、廊下の途中にある扉を開けて中に入った。

「座って」

 音瀬にそう促されたが、俺はその場で立ち尽くす。おかしい。

 シンプルだが、置かれている小物や雑誌類からここが音瀬の部屋なのは分かる。でも、何にも感じないのだ。本当に入って良いのかという躊躇も、女の子の部屋に入ったという緊張も、何も感じない。

「……跡野くん」

 おかしい。音瀬が俺にキスをしたのに、何も感じない。あれだけ好きだった女の子からのキスなのに、ただ唇にどうでもいいものが当たっているだけのような、そんな無感情しか沸かない。

「跡野くん……」

「やめろよ」

 音瀬が自分のブラウスのボタンに手を掛けたとき、やっと俺は音瀬を突き放した。床の上に尻餅をついた音瀬は、クシャクシャになった顔で俺を見上げる。

「私に出来るのは、こんな事くらいだから」

 そうしてやっと、その言葉を聞いてやっと、俺は感情を取り戻した。

「ふざけるな。何が私に出来るのはこんな事くらいだ。そんな事、音瀬がやる必要は無い。音瀬はそんな軽い女じゃ無いだろ! 自分の体を切り売りするような真似はするな」

「軽い女だよ。好きでもない人と、付き合って、キスして、エッチしたんだもん。最低な女だよ」

「いい加減にしてくれ。俺は音瀬の愚痴なんて聞いてやる気は無い」

「じゃあ、どうすれば跡野くんはそんな顔、しなくなるの? そんな辛そうな、悲しそうな顔してる跡野くんを見てられない」

「なんでもないって」

「なんでもない人は泣かないよっ!」

「は?」

 涙を流して俺を怒鳴り付けた音瀬。その音瀬の言葉を聞いて、俺はゆっくり右手を持ち上げ、自分の頬に指先を触れさせる。

 指先に感じる湿り気。生温かい液体に触れた感覚。頬に描かれたその生温かい軌跡を辿ると、指先は俺の目尻に辿り着いた。

「跡野くんは人前じゃ絶対泣かない人だもん。そんな人が無意識に泣いちゃうなんて、何かあったに決まってる! 私じゃダメなら江梨子ちゃんでも良いから相談して! 江梨子ちゃんでダメなら、佐原くんでも! ううん、跡野くんには香織ちゃんがいるじゃない!」

 ……音瀬、もう、香織は俺の世界に居ないんだ。その言葉は、心の中だけで声に出すことは出来なかった。

「ごめん、帰る」

「跡野くん!」

 音瀬の家を出て、エレベーターを操作して一階まで下りる。一番下までどれくらい掛かるか分からない。でも、俺は壁に背中を擦ってその場に座り込み。その時初めて、意識して泣いた。


 音瀬の家に行ってから一週間が経った頃、俺はまた体調を崩した。その一週間は、なんとか生徒会の仕事もこなせていたと思う。でも、遂に昨日、体が悲鳴を上げた。

 一日休んだだけで、学校へ行くのが辛い。でも、ここで学校を休み続けたらもう二度と戻れなくなる。それに、学校に行かなければ何も解決しない。

 まだ、諦めたくはなかった。まだ、どうにか出来るはずだと自分に言い聞かせた。そうやって頑張って体を引き摺ってきた一週間。でも、まだ何も変わってはいない。

「跡野! また遅刻か。最近たるんでるんじゃ無いのか!」

 教室の扉を開けると、クラスメイトの視線が集中し、一限目の授業をしている最中だった社会科の先生に怒鳴られる。

「すみません」

 俺は、ただそう謝って、自分の席まで歩いて行く。

「ユーイチ……」

「おはようセリア」

 隣のセリアに顔を向けず、自分の席に腰を落とした。


 一限目の授業終わり、黙ったセリアに腕を引かれ、俺は非常階段まで連れて来られた。

「ユーイチ、なにかあったデスカ?」

「何も無い」

「…………」

 セリアは両手で顔を覆って、突然しゃがみ込んで泣き出した。

「優一は一週間ずっとそればかりデス。どうして、なにも話してくれないデスカ。ワタシとユーイチ、友達じゃないデスカ? ワタシは信用できないデスカ?」

「セリア、本当に何も無いんだ」

「そんなはず無いデス! ユーイチは、ユーイチは……一週間前から笑ってないデスヨッ! ユーイチはいつも、ワタシの話を聞いてニコニコ笑ってくれてたデス! いつもみんなを見守ってニッコリ笑ってくれてたデス! そんなユーイチが笑わなくなった理由は何デスカッ!」

 セリアの声は多分、校舎内にも響いたのだろう。騒がしかった喧騒が一瞬で鳴りを潜める。俺はセリアの肩に手を置いて、同じ言葉を繰り返した。

「なんでもない」

 セリアは、今度は声を上げて泣き出し、その場にへたり込んでしまう。俺はそのセリアに何も掛ける言葉がなく、セリアを置いていくしか出来なかった。


 放課後、なんとか生徒会の仕事を乗り切り、校門まで来て足を止めた。下校する生徒達の集団から外れ、脇の方でフェンスに体をもたれる。

「あれ、跡野さんだよね」

「うん」

「そういえば、跡野さんと駿河さん別れたんだって」

「えっ? あんなにラブラブだったじゃん」

「理由は良く分かんないけど、最近一緒に学校来てないし、帰りも駿河さん女子の友達と帰ってるって」

「あ、でも、一昨日はさえちゃんと帰ってたよね? 今はさえちゃんと付き合ってるのかな?」

「マジ!? じゃあ、さえちゃんの好きな人って駿河さん? あ~でもなんか納得。駿河さんってお姉さんって感じするし、一年生が憧れる気持ち分かるかも」

 こちらをジロジロと見て話す女子生徒達に、嫌悪感が湧く。

 他人は他人に配慮しない。特にどうでもいい他人の気持ちなんて考えたり思いやったりなんてしない。その無関心さ、冷徹さが恐ろしく、そして吐き気がするくらい嫌だった。

「跡野、付いて来なさい」

「……二ノ宮、すまん、俺はここで」

「いいから来なさい。あんたに現実を突き付けてやるわ」

 突然現れた二ノ宮に腕を引っ張られて、俺はついさっき潜った校門を再び潜る。

 二ノ宮は俺を引いたままグラウンドの方まで歩いて行き、そこから部室棟の裏手に入って行く。薄暗い部室棟の裏を進んでいくと、その先には香織が居た。

「かっ――。…………」

 名前を呼ぶ事が出来なかった。名前を呼ぼうとした瞬間、これ以上余計な事をして心の距離が空いてしまうのが怖くなった。

「香織、あんたなんで呼び出されたか分かってんでしょ?」

「…………」

 二ノ宮は俺の腕から手を離して、香織の方に歩み寄っていく。久しぶりに聞く、二ノ宮のドスの利いた低い声。

「香織、跡野が毎日遅刻して怒られてる理由分かってんでしょ」

「…………」

 二ノ宮の質問に、香織は答えない。

「香織、跡野が毎日、放課後寒い中、校門で何してるか知ってんでしょ」

「…………」

 それにも香織は無言。そして、ついに二ノ宮は香織の胸ぐらを掴んだ。

「行きも帰りもあんたの事待ってんのよ! もう先に友達と行ったあんたを! とっくに他の男と帰ったあんたを! 跡野はこの一週間ずっと待ってたのよ! 遅刻して怒鳴られても! 早く帰れって蹴飛ばされても! 体調崩すまでずっと待ってたのよ!」

「…………」

「あんたがそんなガキだと思わなかったわ。行っておくけど、もう私はあんたの手助けなんてしない。あんたのフォローなんてしない。もう、あんたに跡野は任せられない」

 乱暴に二ノ宮が手を離すと、香織はよろめいて背中を部室棟の壁に打ち付ける。

「何があったかは知らない。聞きたくも無いわ。でもどうせ、また跡野が不安になったんでしょ。でもね、跡野ってそういう奴なのよ。好きな女の子がどんなに自分の事を好きだと思ってても、不安になっちゃう奴なのよ。私はそれをずっと見てきて知ってる。だから、どうせまた男関係で跡野が不安になったんでしょ。口下手な跡野だからまたキツイ表現で言われたんでしょ。それは確かに跡野が悪いわよ、十中八九ね。でも、そういうの一番分かってるのはあんたじゃなかったの? あんたが一番近くに居て、跡野がそういう奴だって、そんな不器用なアホだって分かってんじゃないの?」

 二ノ宮は俺を指差して、香織に怒鳴り付けた。

「跡野だって人間だから間違う。でもね、私は今まで一度も見たこと無いのよ。跡野が、人に傷付くような事をした所を、一度たりともね。どんなに先輩や同級生から陰口叩かれても、口では仕返ししてやるって笑いながら冗談で言っても、実際は何もせずずっと我慢してた。こいつはね、自分の事が嫌いな奴にも気を遣える、底抜けのお人好しのアホなのよ。私は、そんな跡野がずっと好きだったわ。だから、私は跡野を信じてる。今回のあんたのバカみたいな行いの方が圧倒的に悪いって。たとえ、本当は跡野が悪い事をしてたって、私は跡野を味方するわ。本当に好きなら、好きな奴がどんなに悪い事をしたって味方すんのよ! あんたが跡野の事を大切に出来ないなら、私が跡野を大切にする!」

 二ノ宮は香織の胸ぐらを掴んで、こちらに向かって引っ張ってくる。そして、俺の目の前に立って俺に一度視線をくれて、それから香織を見下ろした。

「よく見てなさい。これが、あんたが失った代償よ」

 二ノ宮は香織を引き寄せながら、俺に唇を重ねた。ゼロ距離で重なる俺と二ノ宮の唇の数センチ先の側に、香織の顔があった。

「跡野、こんな奴忘れて」

 壁に追い詰められ、二ノ宮の体が俺の体にピッタリと触れる。

「私と付き合って」

 唇を再び塞がれ、今度は舌を絡め取られるようなキスをされる。

 香織は二ノ宮の手を振り解き、その場から走り去った。俺は自然と体を香織が走り去った方に傾ける。でもそれを、二ノ宮が腕を引っ張って阻む。

 そして、唇が離れたと思ったら、二ノ宮は俯いて吐き捨てた。

「最悪……こんな最悪なキス、初めてだわ……」

 再び唇が重ねられる。そのキスは、音瀬にされたキスとは比べ物にならないくらい、心に重い何かを叩き付けた。

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