25【轍鮒之急】
【轍鮒之急】
体育祭が終わった直後から、学校内の雰囲気は文化祭へシフトする。
文化祭は一番学校が盛り上がる行事。体育祭とは比べ物にならないくらい生徒達はやる気に満ち溢れている。
「という事で、今年も生徒会は文化祭で出し物をするわ」
いつも通り、生徒会室に集まったら、開口一番、近藤さんがそう言った。
「という事で、の前にあるべき事が何もないんだが……。詳しい説明を頼む」
「毎年、生徒会役員は出し物をするというのが通例になっているの。伝統と言った方がいいかしら。だから、私達も何かする必要があるわ」
「する必要があると言われてもな」
文化祭には体育祭と違って、文化祭実行委員会という、期間限定の委員会が組織される。それは、体育祭とは比べ物にならないくらいの規模で文化祭が開催されるからだ。到底、俺達生徒会だけで裁ける量の仕事ではない。
その文化祭実行委員会が、文化祭の企画運営を行うのだが、だからと言って生徒会は何もしなくていい、というわけにはいかない。寧ろ、やる事は体育祭の雑用よりも圧倒的に多い。
会計の眞島は、会計なんてした事がない「会計? 買い物すんの?」みたいな奴と、多額の予算管理を任される。
書記の野田さんは、書記なんてやった事がない「書記? ナニソレ美味しいの?」とか言い出す奴と、議事録を纏め、そこから報告すべき点を纏めた報告書を作成して、先生に報告しないといけない。
そして、会長の近藤さんは、文化祭実行委員の長としてまつり上げられた奴と一緒に、ああだこうだ自分の言いたい事だけを述べ、折衷案も改善案も出さないような集団を纏めて委員会を運営していかなければいけない。おそらく、一番大変なポジションだ。
そういう俺は、特に決まったポジションはない。ある意味一番気楽だ。だが、人手が足りない所、つまりその時に一番大変な所のフォローに入らなければいけない。それを考えると、憂鬱でしかない。
つまり、文化祭は生徒会もかなり忙しいのだ。その中で何か出し物の準備をしろというのは、かなり厳しいのではないかと思う。
「もちろん、一から準備しないといけないものは避けようと思うの。そこで考えたのだけれど、定番のバンドというのはどうかしら?」
「バンドですか! なんか、文化祭って感じですね!」
近藤さんの提案に、野田さんが目をキラキラと輝かせて反応する。
確かに、文化祭と言えばバンドを披露する集団が、一組は居るという印象がある。近藤さんの言う通り定番の出し物だろう。しかし、そこには大きな問題がある。
「バンドって、吹奏楽部の眞島は当然弾けるだろうけど、二人は楽器とか弾けるのかよ。俺は自慢じゃないが、楽譜さえ読めんぞ」
「私は、ヴァイオリンとピアノ、それからギターなら弾けるわ」
涼し気な顔で三つも楽器を挙げる近藤さん。この人、本当に片付け出来ない以外はハイスペックだな……。
「私は、小学校の頃にピアノを習ってました。だから少しは……」
自信なさげに手を挙げる野田さん。小学校の頃と言っても、一度身につけた技術はそうそう消えるものじゃない。きっと何度か練習すれば、勘を取り戻すだろう。
「ちなみに僕は、部でクラリネットを担当していますが、それ以外ならギター、ベース、ドラムが出来ます」
「……眞島、お前意外と凄い奴だったんだな」
「いえ、クラリネット以外は本当にたしなむ程度ですよ」
眞島が思いの外凄い奴だと判明した。
「じゃあ、三人で演奏を披露すれば問題なしだな。その代わり俺は雑用を頑張――」
「何を言っているの跡野さん。あなたにも立派な楽器があるじゃない」
「いや、だから俺は楽譜も読めないんだって」
「声なら出せるでしょう? まさか、日本語の歌詞も読めないなんて言わないわよね?」
「おい、まさか……」
近藤さんがニコッと笑う。日頃あんまり笑わない人が笑うと、恐ろしさしか感じない。
「跡野さんはボーカルとして参加。異論がある人はいるかしら?」
「異論だらけだ! 俺は人前で歌うなんて絶対に嫌だ!」
「跡野さん、諦めてください」
「跡野先輩、一緒に頑張りましょう」
眞島は少しからかう視線を俺に向けてくる。野田さんは純粋なキラキラとした視線を俺に向けてくる。
「多数決によりバンドで決まりね。曲については明日以降にしましょう。さて次はそろそろ一回目の会議に行かないと」
近藤さんは大きなため息を吐く。きっと、俺が懸念している事と同じ事を考えているのだろう。まあ、俺の懸念はまた増えてしまったが。
「みんな、覚悟していなさい。文化祭実行委員会の恐ろしさを」
結論から言うと、それはそれは酷かった。もはや、生徒会が仕切ってるのと変わらない会議だった。
実行委員長は、まさにまつり上げられました。という感じの、気の弱そうな三年女子で、会議の進行は終始近藤さんが行っていた。
書記の方は、バレー部三年で野田さんは、先輩に口を出していいのかどうかというせめぎ合いの末、その先輩が議事録を纏めている隣で、自分で別の議事録を纏めていた。それで、会議終了後に照らし合わせて纏めるという苦肉の策を選んでいた。あれは、早急に対応しないと後々野田さんの負担が増えてほころび始めるに違いない。
そして、一番酷かったのは会計だ。提示された各クラスの予算を見て「うちのクラスの予算、もっと増やしてくれない?」と言い出したのだ。それに対して眞島が懇切丁寧に平等性や予算の限度を説明していた。しかし、それを聞いた上で「じゃあ、他のクラスの予算削るわ」という、何とも独創的かつ独裁的な結論を出していた。あれは最早、苦手とか不慣れ以前に不適任としか言いようがない。早急に会計責任者を代えなければ、文化祭どころではない問題になる。
「というのが、俺からの報告です」
俺の報告を聞いた、生徒会顧問の先生は頭を抱えて大きく深いため息を吐いた。
「会計についてはすぐに対応する。跡野の指摘通り不適任だ。そもそも文化祭実行委員に不適任だな。書記については、俺から二人に話をする。野田が遠慮している部分が大きいから、三年から歩み寄らせれば解決するだろう。それと委員長の問題がなぁ~」
「きっと性格が優しすぎるんでしょうね。他人の事を考えて配慮し過ぎるから、みんなが納得するような結論を出そうとして、結局決断出来ないって感じです」
「これはもう、近藤にフォローしてもらうしかないか……。近藤は何をしている?」
「その委員長と一緒に去年の文化祭のプログラムとか議事録とか、その辺の資料を見てます。とりあえず、去年やった事を参考にさせようとしてるみたいです」
「そうか、で? 跡野は何をやるんだ」
「とりあえずは、書記ですかね。野田さん、あとは私がやっておきますからって一人で抱え込んじゃいましたし。一応、三年の体裁のために報告しますけど、自分もやると食い下がってはいましたが、あまりにも野田さんが自分でやると言うので引き下がった感じです」
「分かった。会計の問題が解決したらそっちも対応する。すまんが、フォローを頼む」
「まあ、副会長の仕事なんで」
職員室を出て、扉を閉めた瞬間にハァっと息を吐く。始まったばかりだと言うのに、問題が多過ぎる。
今はまだ、実行委員会の問題だけだが、明日からは各クラスの出し物や、個人の出し物が上がって来るだろう。そうなると、劇やバンド等の体育館正面のステージを使用する出し物には、順番や占有時間の配分を検討しないといけなくなる。それに、特別な場所を使用しない出し物でも被った、真似した、なんてどうでもいい問題が出てくるのは予想出来る。
ちなみにうちのクラスは、自作の映画を作るらしい。特にセリアが妙にやる気で「時代劇が良いデース!」と、実にセリアらしいが、女子高生らしからぬ提案をした。まあ、それは、クラスメイトの総意であえなく却下されたが……。
内容はまだ決めていないらしいが、女子が妙にやる気で、男子はその女子達に引っ張られる感じだった。でも、決して嫌々ながらというわけではなく、日頃やらない映画作りに期待感を膨らませている感じだった。
日頃、うちのクラスは、大抵の話し合いで話が前に進まない。でも今回は、脚本、監督、映像編集まで決まり、脚本担当者が「良いお話があるの!」と豪語していた。どうやら趣味で小説を書いているらしく、自作小説の一つを映画に使うつもりらしい。
そんなこんなで、うちのクラスは仕切る奴が居なくても自然に進みそうだから一安心だ。
生徒会室に戻ると、既に文化祭実行委員長は帰っていて、近藤さんは黙々とパソコンの画面に向かっている。そして案の定、野田さんが二つの議事録を見比べて困った表情をしているのが目に入った。
「野田さん、何か困ったことでもあった?」
「いえ、大丈夫です」
「はっきり言うけど、今、野田さんがやってる事、無意味だよ」
「えっ……」
「議事録二つ作ったって、書いてある事はほとんど同じ。それをもう一度見比べて纏める作業なんて無意味。その間に報告書を仕上げた方が効率的だ」
「……はい」
近藤さんがこちらを見て睨み付ける。そして声は出さず口の動きだけで「言い方を考えなさい」と言ってくる。そうは言われても、はっきり言っておかないといけない事もある。
「近藤さん、去年の議事録ちょっと借りていいか?」
「いいけど、去年の議事録を何に使うの?」
「まあいいからいいから」
議事録を纏めたファイルを受け取り、適当なものを一枚取り出してコピー機でコピーする。そして原本を元に戻して、コピーした議事録を野田さんの前に置いた。
「はい野田さん、このお手本議事録と野田さんの議事録をまず見てみよう。何処か問題がある?」
「あ、あの、跡野先輩と近藤先輩に教えてもらった通り出来てる、と思います」
野田さんは恐る恐る、俺の顔色を窺って言う。
「俺もそう思うよ。近藤さんはどう思う?」
「野田さんの議事録は何の問題も無いわ。点数が必要なら、満点だと答えておくわ」
「ほ、本当ですか?」
その言葉に、野田さんは素直に喜んだ顔をする。
「じゃあ次に、三年生の議事録はどう思う?」
「えっと……その、問題無いと――」
「問題大ありね。これは議事録ではなくメモよ。会議の名称も日時も無い。ただ、人数が多いから参加者の所は簡略化してもいいかもしれないけど。でも一番問題なのは、発言しか書かれてないことね。ただ、会議で発言された事を順番通り書かれているだけだわ」
「近藤さんの言う通りだ。議事録は他の人も見る。特に、次回の会議で話し合いが何処まで進んで、何が決まって何が決まってないか。他にはどんな問題が出てきたか。それを確認するために必要だ。そこから生徒間では判断出来ないものを精査して、重要度を考えて優先順位を付けた報告書を作らないといけない。三年の作ったこれじゃ、何が問題になっていて何を早急に対応しないとのいけないのか、他人が見ても分からない。多分、これを書いた三年自身も、次の会議の時にこれを見たって分かんないだろうな」
そして、俺はコピーした議事録に視線を戻して、近くにあった赤ペンで日時や会議名の隣に丸で囲んだ『必須』という文字を書き加えていく。そして、下にペン先をずらしながら、手を止める。
「あれ? 議事録のポイントって何だったけ?」
「えっと……必要以上の言葉の使用は避けて、報告する内容のポイントを箇条書きに纏める。それから話し合った議題ごとに簡潔にまとめる、です」
「おお、そうだそうだ」
野田さんの言った事をそのまま書いて、出来上がった紙を野田さんに手渡す。後ろから「わざとらしい」という声が聞こえたが無視する。
「三年の所にこれ持って行って、跡野が次からこれに注意して書いてくれって言ってた。そう言って渡してきてもらえる? んで、次から野田さんはメモを取るだけで、議事録作りは三年にやらせる。野田さんは俺の書いたお手本に逸れてたら、跡野の手本に逸れてるって言って修正するようにして」
「で、でもそれじゃ……」
「はい、忙しいんだからさっさと行く。副会長命令だ」
「は、はい! ありがとうございます!」
野田さんが駆け出していくのを見て、俺はこちらを見ている近藤さんと目が合う。その目は、何だか生温い目だった。
「わざとらしい聞き方した上に、あの対処の仕方。全く、跡野さんって、噂通りの人ね」
「どんな噂だよ」
「サッカー部のマネージャーに三代さんって居るでしょう? その人に聞いたのよ。跡野さんは優しいけど、優しく見えないように優しくするから、知らない人が見たら勘違いする。そう言ってたわ。でも今のやり取りを見て、なるほどと思ったわ」
三代が俺に対してどんな評価をしているのかがよく分かった。今度会ったら、余計な事を近藤さんに言わないように、釘を刺しておかなくてはいけない。
「野田さんから問題点を指摘させるのは酷だから、あくまでもあなたが三年の議事録にケチを付けた、という事で三年に議事録の不備を教える。そして、また同じ様に不備が出そうになったら、ケチを付けた跡野さんが出した手本と合わないから、という予防線を使って修正させる。これで野田さんは嫌味な副会長に使われているだけの、可哀想な一年生書記という事になるわね」
「嫌味って酷くないか?」
「嫌味なくらいお人好しって事よ」
書記を担当する三年は、悪い奴ではない。それどころか、一年の野田さんに負担を掛けさせないように、積極的に仕事に取り組む良いやつである。問題なのは、野田さんが年上に遠慮している事だ。
その遠慮を取り除くためにはどうするか。それを考えて一番手っ取り早い方法が、さっきの方法だっただけだ。
「まあ、野田さんの事だから、あなたが悪い印象を受ける言い方は避けるでしょうけど」
近藤さんはノートパソコンを閉じて、フウっと息を吐く。
「実行委員長の方は?」
「決断力が皆無ね」
「まあ、会議見てて、それはあの人には無理だと俺も思ったな。性格が優し過ぎる」
「まあ、あの優しさも長所であるから、役割分担をする事にしたわ。実行委員長にはクレームの拾い出しをしてもらう事にしたわ」
「おお、それは適任だな。流石、近藤さん」
何か催し事をしようとすれば、必ず何かしらのクレームが出てくる。しかし、よっぽどの事がない限りクレームはすぐに出されずに不満としてくすぶり、取り返しのつかない状況になって爆発する事がある。その取り返しがつかなくなる前の、小さなクレームを彼女に拾い出してもらおうという事だろう。
あの優しい性格の委員長なら、俺の目の前で眉を吊り上げて睨んでいる近藤さんより、遥かに不平不満を言いやすい。それを聞いた委員長にクレームを教えてもらって、こちらで対処しようという事だろう。
「私には出来ない事だもの。その点では助かったわ」
「まあな。多分、委員長が居なかったら、一番年下の眞島や野田さんあたりにクレームがいってただろうし」
「そこで相談なんだけど」
「分かってる。クレーム処理を手伝いますよ。会長殿」
「ありがとう。助かるわ」
これで書記と委員長の問題はどうにかなりそうだ。あとは会計の問題だが、先生から何か報告があるまでどうしようもない。
「そういえば、もう個人の出し物には応募してきた生徒が一人だけ居たの。まだ告知したばかりなのに」
「へぇー、やる気のある人も居たもんだ」
近藤さんが差し出した紙は、個人の出し物に関する申請書類で、一年の男子だった。
「一年の男子って、度胸あるな! しかも一人でピアノ演奏か」
「その一年生。同年代でピアノをやってる人達ではちょっとした有名人よ。名前は佐伯文。中学生の頃には一度、全国のピアノコンクールで、三年の時に銀賞を取っているわ」
「銀賞!? それって、全国で二番目に上手い中学生だったって事か?」
「まあ、そういう事になるわね」
「なんでまた、そんな奴がうちの高校に」
うちの高校は、音楽科なんて専門的な学科のない進学校だ。全国二位のピアノの腕前を持っている生徒が通うような学校ではない。
「天才の考える事は私にも分からないわよ。で、その生徒が早々に応募してきたの」
「まあ、全国二位だったら、そりゃあ自信もあるだろうな」
「運営側としては催しが多い方が盛り上がるから嬉しいわね」
「そうだな、全国二位ってのも注目されそうだし」
佐伯文。名前だけではとどんな奴か想像がつかない。でも、全国二位ならそれは凄い奴なんだろうと、淡く俺は頭の中で考えていた。
「佐伯くん、ピアノで出るんだ」
「えっ? 香織、佐伯って一年知ってるのか?」
帰り道、せっかく全国二位の天才ピアニスト。のネタを出したのに、香織の反応は予想外のものだった。
「多分女子ならみんな知ってるよ。すごく可愛いって有名だし」
「可愛い、のか?」
「うん、顔も女の子みたいなんだけど、性格も大人しくていっつも緊張してたどたどしいの。多分、みんな可愛い弟、みたいに思ってるよ」
「可愛い弟ねー、俺はクールなイケメンを想像してたんだけど」
「うーん、クールとは程遠いかなー」
佐伯の事を思い出しているのか、香織がクスクスと笑う。
「それにしても、優一さんはあんなに有名な子を知らなかったんだね」
「ああ、全く知らなかった」
「まあ、男子の事だから、同じ男子には興味ないかもね。女子からはさえちゃんって呼ばれて、女子扱いされちゃってるけど」
「マジか……それはちょっと可哀想だな」
いくら中性的な顔立ちで性格も女寄りだとしても、思春期男子である事は間違いない。それなのに女の子扱いされるというのは辛いものがあるだろう。
「香織はちゃんと男子扱いしてやってるんだな」
「だって、逆の事考えたら、私は男の子扱いされたら嫌だもん。でも流石、優一さんだね。女の子扱いされてるって聞いた時、すごく心配そうな顔してた」
「だってなあー、思春期男子に女扱いは、普通プライドズタズタだぞ」
「私、優一さんのそういう優しい所、好き」
「俺も、香織の人の事をちゃんと考えられる優しい所も好きだぞ。他にも真面目な所に、可愛い所に、あとは……」
香織がチュッと軽いキスをして、俺の言葉を止める。
「もー、優一さんズルい! それじゃあ、私の優一さんの好きな所が、優しい所だけみたいじゃん」
「別にそんな事思ってないって」
香織の嬉しい不満に応えると、香織は歩き出しながら指で数を数えながら口にする。
「優しい所でしょ? 真面目な所。頼りになる所。それから庇って助けてくれる所。あとはカッコイイ所に、気を使える所。背が高い所に……」
いつもの場所にたどり着いた香織は振り向いて、えへっと笑みを浮かべる。
「キスが上手いところ」
俺達は今日も、あの約束のキスをした。




