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コンチェルト。アゲイン  作者: 煮込みハンバーグ
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24【黄粱一炊】

  【黄粱一炊】


 体育祭は日曜にする事が多く、その次の日は、振替休日になる。今日もその例に漏れず振替休日なのだが、俺はそのせっかくの振替休日にベッドの中で縮こまっていた。

「お兄ちゃん、バカじゃなかったんだ」

「聖雪、風邪引いて寝込んでる兄貴に酷い言い草だな」

「だってバカは風邪を引かないって言うし」

「いいか? バカは風邪を引かないって言うのは、バカだから風邪を引いてる事に気付いてないって事なんだぞ。その点、俺は風邪を引いたことが分かっているからバカじゃない」

「そうやっていつも通りに言い返せるなら大丈夫だね。今日、香織ちゃんとデートじゃなかったの?」

「香織は部活の午後練習だ。だから、今日は元々予定はない」

「不幸中の幸いってやつだね」

「まあな」

 これでデートの約束をしている日だったら目も当てられない。サッカー部は運動部の中でも特に休みが少ない部活だ。そんな貴重な休みの日に風邪を引かなかったと考えれば、少しは救いようもある。

 多分、ここ最近忙しかったせいで疲れが溜まっていたのだろう。それに、前まではこの程度で風邪なんて引かなかったのだが、やっぱり体力が落ちているという証拠だろう。

 熱が少しあるせいか、頭がボーッとしする。今日は一日安静に寝ていた方が良さそうだ。といっても、起きたときにはもう昼はとっくに過ぎてしまっていたのだが……。

「聖雪はあまり俺に近寄るなよ。風邪が移っても知らないぞ」

「そうだね。私が近くに居るとお兄ちゃん落ち着いて眠れないだろうし。じゃあ、何かあったら電話鳴らして」

「すまん」

 聖雪が部屋から出て行き、バタリと扉が閉まる音を聞いて天井を仰ぐ。全く、妹に心配されるとは情けない。…………しかし、暇だ。暇ではあるが、何かをして遊ぶ気にもならない。テレビでも垂れ流して、そのうち眠くなるのを待つしかない。

 テレビを付けて、昼のバラエティ番組の笑い声を聞き流しながら、俺はお笑い芸人とアイドルが映る画面をボーッと見詰めていた。


 ふと気が付けば、俺は学校のグラウンドに立っていた。

 いつもサッカー部が練習している場所に視線を向けると、そこには香織が立っているのが見えた。

「香織!」

 名前を呼んで香織に近付こうとすると、香織もこちらに手を振ってくれている。俺がその手に応えようと右手を挙げた瞬間、すぐ隣を風が通り抜けた。

「どう……して……」

 香織は手を振っていた。そして香織は、香織の元に駆けていった神崎と笑顔で話し、隣同士で歩いて行く。

「待て、香織! どうして神崎と行くんだよっ!」

 叫んでも届かない。俺が全力で走っているのに、香織と神崎に追いつけない。

 俺の足がもつれてその場で倒れたとき、ついに香織達は見えなくなった。

「どうして香織が神崎と……」

 地面に腕を突いて立ち上がろうとした。その瞬間、地面はタイルの床に変わっていて、周りからはくぐもった音の、今流行っている曲のメロディーが聞こえてくる。

「ここは……カラオケ?」

 細長い廊下に、幾つも見える扉、見覚えのあるカラオケの店内にそっくりだった。

「そうだ、香織は!」

 居なくなった香織を探して立ち上がると、廊下の奥に香織が居た。

「香織! かお……り……」

 香織は廊下の奥で室内から出てきた生駒先輩と楽しそうに話している。嘘だ、こんな事あり得るわけがない。でも、視線の先に居る香織は笑顔で生駒先輩と話し、生駒先輩は香織の腰に手を回して俺の方に歩いてくる。

「何してやがる! お前が香織に触れるな!」

 右腕を振りかざし、拳を握って一気に生駒先輩の顔面に向かって振り抜いた。でも、その拳は虚空を切り、俺は前のめりに倒れ込む。そして、力なく倒れ込みそうだった俺は、また黒い世界に落ちた。

 黒い世界の黒が段々と薄まって視界が晴れていくと、薄暗い住宅街に立っていた。この場所は、いつも香織と帰る時に使っている道だ。あの、一日一回ずつのキスをする場所。

 嫌な予感がした。その予感はすぐに的中した。

「香織! そいつとはもう二度と会わないんだろ!」

 いつもの電柱の下で、いつも通り壁を背に立つ香織。でもその正面に居るのは俺ではなく、長津紙だった。

「くそ、また香織に無理矢理キスする気か!」

 今度こそ止めてやる。そう思って駆けだした俺の体が、両脇から押さえられる。右側には神崎、左側には生駒先輩が居て、俺の両腕を掴んで俺を拘束する。

「離せッ! 離せって言ってんだろうがッ!!」

 必死に腕を振って振り解こうとする。でもガッチリ掴まれて振り解く事は出来ない。

「香織! 逃げろ! 香織! ……かお、り?」

 いつの間にか、香織と長津紙の位置は逆になり、長津紙が背中を壁に付けている。そして、正面に立つ香織は長津紙を見上げ、スッと背伸びをした。

「止めろ……」

 目を閉じる二人。

「止めろよ……」

 堅く握られた互いの手。

「止めてくれ……」

 惹かれ合う唇。

「止めてくれぇぇえええ!!」


「キャッ!」

 香織と長津紙の唇が触れる直前、俺は夢から覚めた。飛び起きた俺の体に汗でTシャツがベッタリと貼り付く。酷く背中が寒い。体が震える。心臓は壊れるかと思うくらい激しく鼓動している。

「ゆ、優一さん? 大丈夫!? 何か嫌な夢でも見たの?」

「かお、り?」

「優一さん? えっ? なんで? どうしたの!?」

 香織の姿を見た途端、視界が滲んだ。香織が俺の名前を呼んでくれていると自覚した瞬間、心の関が瓦解した。

「優一さん……」

 震える体が押さえられる。俺を抱き締めた香織の両腕が、ガッチリと俺の体を締め付けた。そう感じた後には、香織の手が優しく頭を撫でた。

「怖い夢、見ちゃった? 急に飛び起きて泣き出しちゃうから、ビックリしたよ」

「ごめん、風邪を引いてるからかもしれない」

 夢の内容なんて言えない。香織が他の男の所に行ってしまうなんて、香織の事を俺が信じてない。そう宣言しているようで嫌だった。それにやっぱり、風邪で体調が悪かったから精神的にネガティブになっただけかもしれない。

「なんで、風邪を引いたって教えてくれなかったの?」

 香織が頬を膨らませて不満を漏らす

「それは――」

「それは、香織に余計な心配を掛けたくなくて」

 俺の言葉を遮って、香織がニッコリ笑って嬉しそうに言う。

「私の事、気に掛けてくれるのは嬉しい。でも、彼氏の心配出来るのは彼女の特権なんだから。だから、少しは私にも心配させて」

「ごめん。でもどうして俺が風邪だって」

「聖雪ちゃんからメールが来たの。香織ちゃんの彼氏が風邪でダウン中。強がってるけど辛そうだから元気注入しに来てって」

「聖雪の奴……」

 余計な事をした、とは言えない。実際、香織が来てくれて嬉しかった。

 香織はベッドに両肘を突いて、組んだ両手の上に顎を載せてこちらを見ている。

「優一さん、風邪を引いてもあんまり変わらないね」

「それって、常に俺が病気してる顔って事か?」

「ううん、辛さを隠すのが上手いなって。……ごめんね、気付いてあげられなくて。この前から疲れが抜けなかったのって、きっと体調が悪かったからだよね。側に居たのに、全然気づいてあげられなかった」

「香織は何も悪くない。俺の自己管理が不十分だったんだ」

「またそうやって責任を被っちゃう」

「俺が風邪を引いたのは俺の責任だろ」

「いつも他人の責任被っちゃうんだから、病気の時くらい彼女のせいにしなさい」

「むちゃくちゃな――」

 チュッと軽い音を立てて、香織が唇にキスをする。俺は一気に体温がカッと上がって焦る。

「風邪が移るって!」

「いいもん。優一さんの風邪なら」

「そんな事出来るか」

「優一さん? 約束、今日も守ってくれるよね?」

 いたずらっぽく笑う香織に、俺は押し黙る。

 めちゃくちゃキスしたい。

 病気の時くらいなんて気もするが、いつも素直な香織が、こんなに小悪魔っぽく色気の感じる誘い方をして来たのに、そそられない訳がない。でも、俺は風邪を引いているし、それを香織に移してしまうかもしれない。

 香織は瞳を閉じて待っている。それだけで、俺の躊躇は簡単に消え去った。

「ンッ……」

 唇を重ね、香織の首を左手で後から引き寄せる。

 ヤバイ、躊躇どころか理性まで消えそうだ。熱のせいか頭がボーッとして、冷静な判断が出来ない。

 まだ母さんは帰ってきていない。聖雪は自分の部屋に居るだろうが、聖雪には後で、口止め料としてお菓子でも奢ればいいだろう。

 だから……このまま……。

「香織ちゃん、お兄ちゃん起きた?」

 ドアノブがガチャリと捻られた音を聞いた瞬間、俺はベッドに横になり布団を被り直す。

「うん、ついさっき起きたよ」

「聖雪、香織にメールしてくれたんだってな。ありがとう」

「…………お兄ちゃん、香織ちゃん」

「どうした?」「何?」

「そういうの、私が居ない時にしてね?」

 聖雪が主に俺の方を見てニッコリ笑う。怖い怖い、聖雪の笑顔が怖い。

「じゃあ、私、下に居るけど、ちゃーんと考えて行動してねー」

 聖雪はヒラヒラと手を振って部屋を出ていく。残された俺と香織は、互いに何も言えず見詰めるしかなかった。

「あはは、聖雪ちゃんに怒られちゃったね」

「あいつ、この部屋に監視カメラとか仕掛けてないよな……」

「でも、約束は守れたし。今日のところは仕方ないね」

「そうだな。今回のところはこれで良しとしよう」

 二人で何だか意味の分からない妥協をして笑い合う。

 一日一回ずつキスをする約束。俺は、この約束が途切れる日はきっとこないだろう。そう思った。

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