20【夏の流星】
【夏の流星】
夏休みに入ってから、香織とデートをしていない。
いや、二人きりで出掛けた事はある。と言っても買い物やちょっと甘い物を食べに行った程度。
花火大会とプールにも行った。でも、あれは二人きりではなかったし、デートと言うよりも、みんなで遊びに行ったと言うのが正しい。
つまり、俺は香織とまともなデートを一回もしていない。
それは彼氏として非常にマズイし、夏の思い出的にも非常にマズイ。
「デートか……」
高校生の金で行ける場所というのも限られてくる。だから、みんなカラオケやそれこそ複合アミューズメント施設や複合商業施設でデートをするのだ。それは分かっている。でも……。
「やっぱり夏らしい場所に連れていきたいよな」
やっぱり、彼氏としては彼女の喜ぶ顔が見たい。香織は優しいからどんな所に連れて行っても喜んでくれるだろう。しかし、やっぱり心底驚かして喜ばせたい。
「こういう時こそネットだよな」
ネットで『高校生』『デートスポット』という二つのキーワードで検索してみる。すると、すぐに「高校生の定番デートスポット!」という煽りのブログを見付けて覗いてみる。しかし、定番という煽り通りカラオケや映画等の定番所ばかりだ。いや、定番を謳っているサイトに定番ばかりだと文句を付けるのはお門違いだ。
次に『デート』『夏』と検索してみる。そうすると夏祭り、花火大会、プール、肝試し等の夏定番的なイベントが表示される。
「夏祭りと花火大会は同じような感じだし、プールも行ったし、肝試しはなー。香織を怖がらせるような事はしたくないし、楽しいイベントの方がいいなー」
スマートフォンの画面を見詰めてブツブツと一人で口にする。親指でスライドさせてページを送っていると、ふと指が止まり目が留まる。
「これだ!」
見つけたウェブページをお気に入り登録し、すぐに香織へ電話を掛ける。
『もしもし優一さん?』
「香織? 今度の日曜、夜八時に出掛けられないか?」
『えっ? いきなりどうしたの?』
「香織と行きたい所があるんだ。どうにか、夜八時に出れないか?」
香織の家は凄くしっかりしている。だから夜の外出を許してくれる可能性は低い。でも、夜じゃないと意味がない。
『分かった。行く!』
「……えっ? 大丈夫なのか? 夜出歩くの」
『お父さんとお母さんを絶対に説得するから大丈夫! 優一さんが私と行きたいって言ってくれたんだもん。絶対に行く!』
「ありがとう」
香織の力強い声に、俺は嬉しくなって弾んだ声で香織にそう言った。
「跡野、聞いたわよー。香織を夜のデートに誘ったんですってー?」
「なんで二ノ宮が知ってるんだよ」
次の日、練習試合で近くにある他校に来ていた俺は、隣で立っている二ノ宮に肘で小突かれてからかわれた。
「みんな知ってるわよ。香織が嬉しそうに話してたし。香織が自分からあんたと出掛けることを話す事なんて無いから、よっぽど嬉しかったのねー」
当の本人である香織は、一年にスコア記録のやり方を指導している所だった。
その様子を見ながら、二ノ宮は話を続ける。
「で? 何処のホテルに連れ込む気よ」
「連れ込まねーよ」
「えー、男が夜に誘うってそこくらいでしょ?」
「行かないっての。ちょっと隣町に用事があるんだよ」
「なるほどねー。サプライズのために情報は誰にも教えないって訳ね」
そう言いながらニッコリ笑う。
「私もそうやって一生懸命喜ばせてくれようとしてくれる彼氏が欲しいわ」
「二ノ宮ならちゃんと良い奴が見付かる」
「あら、ありがと」
「冗談じゃないぞ。二ノ宮は後輩思いで友達思いの優しい奴だからな。絶対に良い奴が現れる」
「そうかなー、今までの彼氏はろくでもないのが多かった気がするけど」
冗談のように笑いながら言う二ノ宮に、俺も笑って返す。
「そういえば、二ノ宮は彼氏作らないのか?」
「前までは、とりあえず彼氏欲しいって感じだったんだけどさ」
そう言葉を切って俺と香織を交互に見る。
「あんた達みたいなの見てると、運命の人ってのが欲しくなっちゃうわけよ。だから、そんな人が見付かるまではいいかなーって思って」
「なんで俺と香織を交互に見るんだよ」
目を細めて疑いの念を抱きつつ二ノ宮を見ると、意外にも二ノ宮はフッと素直な笑顔を見せた。
「十ヶ月眠り続けた男子。その男子を毎日欠かさずお見舞いに行ってた女の子。一応私も女だからさ、そんなロマンチックな話には弱いのよ。ほら! 逆サイド空いてるわよ!」
練習試合の応援に戻った二ノ宮の横顔は少し赤くなっている。俺はフッと笑いながら使い終わったコップを洗うために流し場へ向かう。これ以上、二ノ宮の隣でニヤニヤしていたら、怒られて追い掛け回されそうだから。
日が落ちても寒くない。それどころか時々抜ける風が涼しいと感じる。
そんな日曜の夜、俺は香織の家の前に立っていた。
「無理言ってすみません」
「いいのよ、優一くんなら私は安心して香織を預けられるわ」
「ありがとうございます」
香織の母親にそう言われ頭を下げる。そう手放しに信頼されると、より身が引き締まる。
「香織、優一くんから電話があった後すぐに私達の所に来て、次の日曜は優一さんとデートするから。絶対に行くからねって。夜って言うのをお父さんが渋ったんだけど、香織が頑として聞かなくてね。それで良いわよって言ったら、今日までずっと楽しみだっ――」
「わーっ! お母さん! 変な事言わないでよ!」
支度を済ませた香織が出て来て、香織の母親の話を遮る。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、気を付けてね」
香織の母親に見送られて歩き出す。そして、角を曲がった瞬間に香織が俺の手に指を絡めて握り、俺の腕ごと抱く。
「えへへっ」
「香織、めちゃくちゃ近い」
「夜だから誰も見てないよ」
ニコニコ笑って密着する香織を見てかなり不安になってきた。
二ノ宮の話や香織の母親の話、そして今の香織の様子を見れば、どれだけ香織が今日のデートに期待しているのかがヒシヒシと伝わってくる。これだけ期待を持たせてもきっと喜んでもらえるはずだ、とは思う。しかし、やっぱり実際の反応を見るまでは不安だ。
「まだ何処に行くのか教えてくれない?」
「まだ秘密だ」
「そっか、でも優一さんが喜ばせようとして秘密にしてるって分かるから、嬉しいな」
駅に向かって歩く途中。何人かの人とすれ違った。でも、香織はそれでも離れようとはしなかった。今日はかなり積極的だ。
駅について二人分の切符を買い、ちょうど来た電車に乗る。その車内では、流石に香織は腕を組まずに俺の隣に座っている。
「みんなにね、羨ましいって言われちゃった」
「えっ? 何が?」
「今日のデート。夜デートって言うのもそうなんだけど、優一さん行く場所を教えてくれないのって言ったら、サプライズとか憧れる、羨ましいって言われちゃった」
実に嬉しそうに話す香織に、俺は笑いながら正直に答える。
「なんか、そんだけ期待されるとドキドキするし不安になってきた」
「大丈夫。優一さんが連れて行ってくれる場所だもん。絶対に素敵な所だよ。それに、優一さんが一緒ならもっともっと素敵な場所になる」
隣で香織は一度俯き、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
「なんかね、こんな日が来るなんて夢みたい」
「大袈裟だな」
「大袈裟じゃないよ。ずっと憧れてた先輩で、もう戻ってこないかもしれなかった大好きな人と、こうやって隣に並んでデート出来るんだもん」
「そっか、ありがとう。香織みたいな子にそう思われてるのは嬉しい」
電車が止まり、電車を降りて、駅を出ると香織が空を見上げた。
「雲がかかってるね」
「予報では降らないから大丈夫だ。まあ、一応折りたたみ傘もあるし」
「うん、でももしかしたら星が見えたかなって」
「ああ、一等星とか二等星くらい明るい星なら見えたかもな」
でも、目的の場所は空が晴れていなくても問題ない。雨さえ降っていなければ大丈夫。今日の天気が曇りで内心ホッとしていた。
デートの約束をした次の日に見た予報では雨だった。どうにか晴れてくれと願っていたら、晴れではないが曇りまで持ち直してくれた。もしかしたら、天気の神様は本当に居るのかもしれない。
駅から徒歩で歩く。その道すがらどんどんと人が増えていく。
「結構、人多いね」
「多分、みんな目的は俺達と同じだ」
次第に人の波が大きくなり、俺はその数が大きくなって来た頃に香織に背中を向ける。
「優一さん?」
俺の背中を見て首を傾げる香織に、顔だけ向けて言う。
「目を瞑ったまま連れて行きたいから、おんぶ。目を瞑ったまま歩くのは危ないからな」
香織は周囲を見渡してちょっと照れくさそうな顔をする。
「香織は目を瞑ってるから恥ずかしくないだろ? ほら」
俺が促すと、遠慮しがちに香織は体を俺の背中に預けてきた。
香織を背負い、歩き出す。
周りの目なんて気にならない。香織の喜ぶ顔が見れるなら、こんなのどうって事ない。
大きくカーブした上り坂を上り、香織を背負ったまま二人分の入場券を買う。そして、目的の場所に着いて立ち止まった。
「今から下ろすけど、いいって言うまで目を開けちゃダメだからな」
「うん」
ゆっくりと香織を下ろし、腰を抱いて隣に誘導し手を握る。
そして、一度深く深呼吸をして言った。
「目を開けていいぞ」
香織がゆっくりと目を開き、完全に開き切ったのを見届けて、俺も正面に顔を向けた。
ちょっと大きな植物園。その入り口を入ってすぐにある広場。その真正面には天の川がある。
電飾の天の川だ。
「俺も知らなかったんだけど、サマーイルミネーションって言うんだってさ。イルミネーションって言ったらクリスマスとか冬のイメージだけど、夏のも結構いいかなって思って…………香織?」
ちょっとくさい事をしてしまった自分に恥ずかしくなって、俺はそう言う。でも香織からの返事が返ってこず、不安になって香織の方に顔を向けた。
真正面を、目を見開いて見詰める香織が、ギュッと俺の手を握り締める。
「素敵……」
その小さな、口の隙間から辛うじてこぼれ出た言葉に、俺は安心した。
良かった、喜んでもらえた。やった、香織が嬉しそうだ。
「優一さん!」
「うおっ!?」
急に香織の方に引き寄せられたと思ったら、背中に香織の手が回る。
「びっくりした。夜じゃないとダメだって言われたから、星を見に行くのかと思ってた」
「ああ、だから駅で空を見て星が見えないって話してたのか」
「うん、でももっと素敵なの見せるために連れてきてくれたんだね。本当に、嬉しい」
香織は電球で作られた天の川を見詰めて天の川の中心を指差す。
「あれ、夏の大三角形だよね」
香織が指差す方向には一際明るい電球が三角形の頂点になるように配置されてる。
「ああ、こと座のベガ、わし座のアルタイル、それとはくちょう座のデネブだな」
「七夕のお話に出てくるのは、ベガが織姫でアルタイルが彦星で、デネブは……なんだろう?」
「七夕の主役はベガとアルタイルの二つだな。デネブは何にも当てはめられてないはずだけど、位置関係的にデネブは天帝かな」
「天帝?」
「ああ、七夕って元は中国の話なんだ」
日本で語り継がれている七夕伝説は元々中国の物語。
天空で一番偉い神様である天帝には織女、日本で言う織姫という娘が居た。織女は神様達が着る着物に使われる布を織る仕事をしていた。毎日毎日、遊ばず恋もせず織女は一生懸命仕事をしていた。
そんな織女の事を思った天帝は、天の川の対岸で牛飼いをしている、真面目な青年の牽牛、彦星を織女と引き合わせた。
恋に落ちた二人はやがて結婚し、幸せな家庭を作った。
しかし、結婚した途端に真面目な二人は遊び呆けてしまう。
織女が布を織らなくなったせいで、神様達の着物は擦り切れてボロボロになり、着れた物ではなくなってしまった。牽牛が牛の世話をやらなくなったせいで、満足な餌をもらえなかった牛はやせ細って病気になってしまった。
そんな二人の事を怒った天帝は、元の真面目な二人に戻すために、二人を天の川の両岸にそれぞれ引き離した。でも、引き離された悲しみで毎日泣き続ける二人は、今度は泣いているせいでまともに仕事が出来なかった。
二人を引き離した天帝は、流石に二人のことが可哀想になり「真面目に仕事をやるなら、一年に一度、七月七日の夜に天の川に橋を架けて逢えるようにしてやろう」そう言った。
「優一さんって、物知りだね」
「小学校の頃に七夕のそんな話を聞いたことがあったんだよ」
俺の話を聞き終えた香織は、デネブに見立てた光を見詰めて困ったように笑う。
「天帝の気持ちも分かるけど、引き離さなくても良かったのに」
「まあ、一年に一度しか会えないのは辛いよな」
「私達は大丈夫。お父さんはそんな事しないから」
「あはは、でも流石に七夕伝説の二人みたいに、遊び呆ける気は全くないけどな」
「うん、優一さんは真面目で一生懸命で頼りになる、凄くカッコいい人だもん」
「香織だって真面目で優しくて一生懸命で、めちゃくちゃ可愛い俺の自慢の彼女だ」
夜の魔法なのかもしれない。互いに恥ずかしいくらい褒め合っているはずなのに恥ずかしくない。寧ろもっと香織を褒められる、香織の魅力を表現出来るような言葉を探してしまう。
「あっ! すごい!」
「おおっ!」
天の川を模していた電球達が、その姿を一変させる。
急に真っ暗になったと思ったら、その闇の中に一筋の光が流れる。それはプログラムによって連続で電球を点灯させてる事によって、光が流れているように見せただけ。
でも、俺には夜空を流れる流星に見えた。
流れる流星は次第に数を増やし、やがて流星の群れ、流星群に姿を変えた。
「優一さん、私と出逢ってくれてありがとう」
「どうしたんだよ、いきなり」
「言いたくなったの。優一さんと出逢えて本当に良かったって。それと……これからもずっと一緒に居ようね」
「ああ、ずっと一緒に居よう」
始めは長いと思っていた夏も流星のように流れるように過ぎて行く。
流星は淡い軌跡を残して儚く消えていく。でも、この夏経験した全ては俺の心にはっきりと残っている。
隣に居る香織の手を握る。香織が俺の手を握り返す。
スッと光が消えて真っ暗になった時、俺は香織と唇を重ねた。
もうすぐ暑さも落ち着き、日の出は遅くなり日の入りは早くなってくる。
もうすぐ季節は、秋を迎える。




