19【夏の清純】
【夏の清純】
「で? 遠征のお土産がなんでこれなんだよ」
「何よ、せっかく買ってあげたんだから感謝しなさいよね」
サボテンをモチーフにした、ハニワっぽい顔のキャラクターが付いたシャーペン。まあキーホルダーを貰うよりかは用途に困らないが、もうちょっとビジュアルに気を遣えなかったんだろうか?
「香織には可愛いクマのシャーペンなのに、俺はサボテンハニワか……」
「何? あんたもクマが良かったわけ?」
「いや、それもそれで困るか。まあ、ありがとな二ノ宮」
「最初から素直にそう言いなさいよ。どういたしまして」
丁度、合宿終了日にインターハイに行っていた連中が帰って来て、その流れで二ノ宮にいつものファミレスに誘われてお土産を受け取るという流れになった。
「そうそう、香織にはもう一つあるのよ」
「香織には特別待遇だな」
二ノ宮はカバンをガサガサと漁り、香織へのお土産を探している。俺はもう俺へのお土産は出てこないので、期待感が膨れ上がるわけもなく、アイスコーヒーを飲んでボケッと二ノ宮を見ていた。
「はい、香織」
「ありがとうございま――キャッ!」
「おお! 予想通りのうぶな反応ね」
香織は二ノ宮が差し出した物を受け取ろうとして、小さな悲鳴を上げる。コトッと軽い音を立ててテーブルの中央に落ちたのは、小さな箱。それをパッと手に取って鞄の中に隠した香織はジッと俺を見る。
二ノ宮が香織にあげたものは、俺が以前二ノ宮から、二ノ宮を助けた時に貰ったアレで、種類は別だが大きな括りとしては同じ物だ。
「女の方もちゃんと持っておかなきゃダメよ」
「に、二ノ宮先輩! なんでこんな物を!」
「いやー、前に跡野にもあげたんだけどそろそろ無くなるかなーと思って」
「無くなってません!」「無くなるか!」
「ほーう、使ってないって否定はしないのね。おめでとう二人とも」
「「あっ……」」
二人同時にその声を漏らす。
くそ、してやられた。ニヤニヤ笑う二ノ宮を見てそう心の中で悪態をつく。香織は香織で、耳まで真っ赤にして俯いている。
「残念だったな」
「あー、まあ相手が相手だったしね。でも、あそこまで手も足も出ないとは思わなかったわ。心底ムカつくけど、神崎が居なかったら一点も取れてなかったし」
二ノ宮も悔しそうにコーラをあおる。目の前で全国の壁を目の当たりにしてきたんだ。俺なんかよりも悔しいだろう。
「でも、冬の国立でリベンジしてやるわ。絶対に全国でも通用するチームにしてやる」
「なんか、二ノ宮も頼もしくなったな」
素直にそう言うと、二ノ宮はハッとして俺から決まりが悪そうに視線を逸らす。
「サッカー部のマネージャーとして入ってきた時は、オフサイドも知らなかったのに」
「えっ? そうなんですか?」
香織が驚いて二ノ宮を見る。二ノ宮は少し顔を赤くして俺を睨み付けた。
「私がサッカー部に入ったのは、その時の彼氏がサッカー部のキャプテンしてたの。そんで頼まれて仕方なく」
ブツブツと言う二ノ宮が、コーラを飲み始めたので、俺が話を引き継いだ。
「香織は分かるだろうけど、マネージャーって大変だろ? だから彼氏とイチャイチャする余裕なんかあるわけなくてさ。それでイライラ募って、二ノ宮そのキャプテンと別れたんだ」
「えっ? じゃあなんで辞めなかったんですか? 彼氏と別れたなら続ける理由はないんじゃ?」
香織に尋ねられた二ノ宮は、俺を指差してまるで俺が悪いふうに不貞腐れて言う。
「彼氏が居るってだけで続けられる程甘いもんじゃない。辞めるなら今のうちに辞めとけ。そう入部する時にこいつに言われてたのよ。それにムカっと来ててさ。彼氏と別れたからって辞めたら、このムカつく奴の言う通りになるでしょ? だから続けたの」
なんとも二ノ宮らしい理由と言える。しかし、ただそれだけで続けられるほどマネージャーは簡単な、楽なものじゃない。
「それに、ありがとうって言われるの、結構嬉しくってさ。そう言ってもらえた時、嫌な事とか辛い事とか吹き飛ぶし」
視線を窓の外に向けて言う二ノ宮を見て、香織は柔らかく笑った。
「思い出したら、ほんと、こいつめちゃくちゃムカつく!」
「俺は忠告しただけだよ。実際、二ノ宮が入って来なかったら、俺多分辞めてただろうし」
「えっ? なにそれ初耳何だけど」
「さて二ノ宮、香織。マネージャーの仕事を一人に押し付けられた事を想像してみようか」
「うげっ」「そ、それは……」
二人とも顔をしかめて苦い声を漏らす。
二ノ宮が入って来なかったら、俺は毎日必死で雑用を捌いた挙げ句に、先輩達から使えないと罵られる生活に限界を感じ、部活を辞めていただろう。でも、同学年でも部活では後輩になる二ノ宮が入ってきた事で、情けない所は見せられないと踏み止まる事が出来た。
「あの時は、一人増えただけでもかなり仕事が楽になったな。それに、二ノ宮は顔は可愛いから要るだけで俺あんまり怒られなくなったし」
「でも、誰がそんな最低男かはお見通しだったけどね」
「優一さん、一人でやってる時は凄く大変だったんだね」
「まあ、男子マネージャーは戦力外だって言われてから練習が始まって。いつまでちんたらやってんだ、さっさと辞めちまえ、で終わるのが日常だったからな」
思い出すと、なんで二ノ宮が入ってくる以前の俺は、部活を辞めなかったんだろうと不思議に思う。しかし、思い返しても理由は思い出せない。
「昔は色んな事があったわね。とにかく、せっかくプレゼントしたんだから、ちゃんと使いなさいよ」
「せっかく話を逸らしたのに戻しやがった」
隣で真っ赤になる香織を横目に見ながら、ニコニコ笑う二ノ宮に視線を向けた。
夏休みには登校日というものがある。俺たち生徒からしたら久しぶりにクラスメイトに会える日としか思っていないが、教師は教え子達の様子を確認する貴重な日だ。
そんな、実は「身長伸びた?」とか「うわ、めっちゃ焼けてる!」なんて話をするだけの日ではない登校日に、俺と香織は男子二人に頭を下げられた。
「「お願いします!!」」
「お願いしますと言われてもな~」
隣に居る香織も困った様子で、頭を下げる二人を見詰める。
場所は部室棟の裏、例の物置場。頭を下げているのはどっちもクラスメイト。片方はサッカー部でもう片方は、何部だっけ?
とりあえずこの二人には好きな人が居るらしい。その好きな人とお近付きになるために俺達に協力してほしくて、俺達に頭を下げているようだ。
「頼む頼むって、具体的に何をしてほしいんだよ」
話を受けるか受けないかの判断は、内容を聞いてからじゃないと出来ない。それに女子が絡む話となると、俺よりも面倒なのは香織の方だ。
「夏は暑い季節じゃないですか!」
「まあ、夏だしな」
「でも、俺らはこんな暑い夏なのに情熱的な思い出がないんです」
「そ、そうか」
「それで、この夏に勝負をかけようかと!」
「おお、青春してるな」
「で、気になる人と何処か遊びに行ってお近付きになりたいんです。でも、誘う勇気も無くて」
ショボンと地面を見る二人の気持ちは分からなくもない。俺や香織の様に付き合っていて互いの事が好き同士だと分かっていれば誘いやすい。しかし、片思い中は自分から誘うというのは勇気がいるものだ。自分に自信があるようなやつ以外は。
「私は、直接誘ってくれた方が嬉しいな。それに人に頼んで誘ってもらうのって、ちょっと男らしくないかも」
香織の意見もごとっともだ。やっぱり、デートのその先のことを考えると、自分から誘えないようではその先の勇気が出るとは思えない。
「まあ、とりあえず、その気になる人ってのが誰か分からないとどうしようもないぞ」
二人は少し躊躇して、ボソッと口にした。
「セリアさんです」「二ノ宮先輩です」
サッカー部二年がセリアで、もう一人が二ノ宮。これまた色んな意味で難易度の高い奴等を選んだもんだ。まあ二人ともいい奴で見た目も可愛いから惹かれる気持ちも分かるが。
「セリアは遊びに行こうって言ったら、十中八九来るだろうな。賑やかなの好きだし。ただ二ノ宮がなぁー」
「お願いします!」
勢い良く頭を下げられてそう言われ、俺は隣の香織に視線を向ける。すると香織は、困った笑顔を浮かべて肩をすくめた。
「で? その根性無しは誰よ」
「二ノ宮? 話を聞いてたか? クラスメイトの奴と何処か行こうってなったんだけど、男子三人に香織一人じゃ気不味いから、セリアと後もう一人女子を連れて行こうって事になって、それで二ノ宮はどうだ? って話なんだか……」
「聞いてたわよ。自分で誘えない根性無し二人が、跡野に頼んでセリアと私を誘うように頼んだんでしょ? セリアは壁のない子だから二つ返事で行くって言ったんでしょうけど」
ダメだ、完全にバレている。
部活終わり、二ノ宮を自然に遊びに誘った。つもりだったのだが、完全にクラスメイトに頼まれた事がバレている。
「まず、私以外クラスメイトで固めてるなら、普通クラスメイトの女子を誘うでしょ。それなのに他クラス、しかも三年の私を誘う時点でおかしい」
おっしゃる通りですね。
「それに、跡野は私にそんな丁寧な頼み方しない。遊びに行くなら、今度どっか行くけどどうする? そんな軽い感じよ」
「……そうか。二ノ宮の言う通り頼まれた。まあ、そういう事なら、断られたって言って断っとく」
「何よ、別に行かないとは言ってないわよ?」
「え? 来んの?」
予想外の返答に驚くと、二ノ宮は眉をひそめて不機嫌な顔になる。
「何よ、来てほしいの? 来てほしくないの?」
「まあ、来てくれるなら助かるな」
「行くわよ。その根性無しには興味ないけど、みんなで遊びに行くのは興味あるわ。予定は、部活の事を考えると、明日しかタイミングは無いわね」
「そうだな、セリアも明後日には帰省するらしいし」
セリアは夏休みに入ったらすぐ帰省するように、両親から言われていたらしい。まあ、異国の地に娘が一人で旅立ったのだから、そりゃあ両親も心配のはずだ。だが、セリアは花火を含めた日本の夏を体験したいからと、帰省を遅らせていたようだ。
それにしても、二ノ宮が来てくれるなら一安心だ。
「あんた、やっぱりクラスメイトに遠慮してるのね」
「は?」
「自分が年上だからって遠慮してるんでしょ」
「そりゃあ、まあ……」
「年上なんだからドンと構えてなさいよ。男らしくない」
「そう言っても、やっぱり年下の中に一人だけ年上が居るってのも辛いものなんだよ」
俺とクラスメイトには、互いへの遠慮がある。それは無くそうと思って簡単に無くせるものでもない。部活動等で上下関係が染み付いた高校生に、例え同級生だとしても年上の相手に気兼ねなく、と言うのは難しいものだ。それに、俺の方もクラスメイトに遠慮させてしまっているという負い目がある。
今回のも多分、同い年の奴に頼まれたら「そのくらい自分で誘えよ」と突っぱねる事が出来たかもしれない。そもそもただの部活の後輩なら、二人を呼んで直接誘わせたかもしれない。それが、年下のクラスメイトになっただけでこんなにもやり辛くなる。
「んで? 何処に行くのよ」
「プレイングパークってとこらしい」
「あー、まあみんなで遊びに行くなら鉄板ね」
プレイングパークは、いわゆる複合アミューズメント施設と呼ばれる施設。ボーリング、カラオケ、ダーツ、ゲームセンター、他には屋内プールやスパまである、遊びに関するものが集まった場所だ。
値段もそこまで高くなく、ハマれば一日中遊び歩けるスポット、らしい。俺は一度も行った事がないから、その程度の知識しかない。
「仕方無いわね。跡野の顔を立ててあげるわ。その根性無しに水着を持って来るように言っておきなさい」
「お、おう分かった」
ニシシッと笑う二ノ宮の表情に一抹の不安を感じるが、来てくれると言うなら有り難い話はない。
「跡野さん! ありがとうございます!」
「ホント、跡野さんがセリアさん達と仲良くて助かりました」
二ノ宮の要求により、現地集合という話になり、せっかく香織と待ち合わせして行こうと思っていたのに残念だ。
早々と集合場所に居た男子。二ノ宮狙いの方が杉下で、セリア狙いの方が高嶺。高嶺はサッカー部でもあるから、杉下よりは接しやすい。
「おお、ちゃんと女子より早く来てるのは偉いわねー」
手を振る二ノ宮が近付いてきて、その隣には眩しい笑顔のセリアがブンブンと手を振っている。
「お待たせしまシタ!」
「いえ! 全然待っていないでありますッ!」
何処かの軍人ばりに姿勢を正してそう言う高嶺。そんなに肩肘張っていたら疲れるかと思うが、まあ好きな人と遊びに出掛けるというのは緊張するものだから仕方がないのかもしれない。
「おはよう、優一さん」
「おはよう、香織。……ん? 手に持ってるそれ、なんだ?」
香織の持っている、何だか見慣れない、おしゃれなロゴの書かれたビニール袋に目が行く。
「え? こ、これは……」
「新しい水着よー」
人をからかう時の声と表情で香織を見る二ノ宮。その二ノ宮の言葉に反応して、セリアの手にも香織のと同じロゴの袋がある。
「セリアは水着を持ってきてないから、ここに来る前に買ってきたのよ。ついでに私と香織も」
二ノ宮も手に持った袋を上げて見せる。なるほど、三人で水着を選びに行くから現地集合にしたのか。
「とりあえず、先にプールね。暑くて仕方なかったわー」
夏休みももうすぐ折り返しだが、まだ八月の真っ只中、かなり日差しが厳しい。
二ノ宮とセリアが並んで先頭を歩き、その後ろに杉下と高嶺、そして最後尾には俺と香織の順で歩き出す。
「楽しみだね」
「大人数で出掛けるなんて花火大会以来か」
中に入ると、俺は二ノ宮の前へスッと出て、受付の女性店員の前へ立つ。
「あの、六人で屋内プールはいくらでしょうか?」
「六名様だと五名以上のグループ割引適応となりますので、お一人様一二〇〇円の合計七二〇〇円になります」
一人ずつ一二〇〇円を出し終え、腕につけるタグのような入場パスを受け取る。
「サンキュー跡野。香織、気を付けなさいよ。こういう気の遣える男は意外とモテるんだから」
「は、はい!」
また香織をからかう二ノ宮が、俺の耳元でヒソヒソと話す。
「高嶺はセリア狙いね」
「やっぱり分かるのか?」
「あんだけチラチラ見てる上に、話すだけでドギマギしてるし。全く、純情ねー」
次に二ノ宮は杉下に視線を向ける。
「それで、あっちの真面目そうなのが私か」
「まあ、消去法でそうなるよな……」
俺は何もしていないが、自分の知らない所で二ノ宮に好意が知れてしまったのは何だか可愛そうだ。
「で? 第一印象は?」
「うーん、可もなく不可もなく。ちゃんと挨拶はするし、外見からも真面目なのは伝わってくるわ。ただ、やっぱり女慣れというか、こういう女子と遊びに行くってのには慣れてないみたいね。居場所が無い感じで高嶺にくっ付いてるし。まあ、高嶺も高嶺だけど。あっちから誘っておいてリード出来ないのはちょっと印象は悪いわね。跡野がやらなかったら、多分私が受付する事になってたし」
何とも辛口なコメントだ。しかも、杉下だけではなく高嶺も若干苦評されている。
「跡野も跡野よ。あそこはあんたがやるんじゃなくて、二人のどっちかの背中押してやらないと。彼女持ちが私達に良い所見せてどうすんのよ」
「んな事言ったって、勝手に体が動いたんだから仕方ないだろ?」
「全く、それが跡野の良い所でもあるし、否定もし辛いわね」
「で? 杉下はどうだ?」
「ん? あー私、年下に興味ないし」
ごめん杉下。始まる前から終わってた。
「じゃあ、更衣室出た所で集合ね。セリア、香織、行くわよー」
「ハイ!」「はい!」
三人が女子更衣室の方に歩いて行き、残された俺は杉下と高嶺を見る。
「俺達も行くか」
「「はい!」」
更衣室で着替えを終えてプールに出ると、室内という割には開放感のある空間に出た。
ベンチが所々置かれて休憩スペースはあるし、自販機もあるし軽食を販売する売店もある。何より、驚いたのは室内なのにヤシの木が植えてある事だ。そのヤシの木と室内に流れる夏らしいBGMのお陰で南国っぽい雰囲気がある。
「やべー! セリアさんの水着どんなんだろう」
「高嶺は欲望に素直だな」
「当たり前だろうが! 杉下だって二ノ宮先輩の水着気になるだろ?」
「そ、それは……」
思春期の男子高校生らしい話で盛り上がる二人を少し離れた所で見ていると、高嶺がニヤニヤ笑って俺を見る。
「跡野さんはいいですよねー。駿河が居るから。駿河の水着もどんなのか気になるなー」
「彼氏の目の前でいい度胸してるな。それに、高嶺はセリアが気になってるんだろ? 浮気は良くないぞ」
「いやいや、本命はもちろんセリアさんですよ。でも、跡野さんだって可愛い女の子とか居たら気になってチラ見くらいするでしょ?」
「男として生まれたら、それは逃れられない運命だからな」
彼女が居ても、可愛い子は可愛いと思う。それは普通の事だ。ただ、香織と比べると、どんな人が来ても香織勝てる相手は居ないだろう。
「跡野さんも、苦労が多いんじゃないですか? モテる彼女を持つと」
「まあな」
「実際、うちの部員にも何人か駿河の事狙ってた奴居るんですよ」
「ほう、それは初耳だな」
「でも、うちの部員だけは誰も駿河に告白出来なかったんですよ。跡野さんが入院している間、毎日練習終わりにお見舞いに行って、休みの日も欠かしてない。そんな話を聞いたら、誰も跡野さんに勝ち目がないって分かりますし。実際、跡野さんが入院している間に告白したのは、俺が知ってる奴等だと全員サッカー部以外の奴です」
「そうか、それは嬉しいな」
いつ意識が戻るか分からない俺を、香織はずっと待っていてくれた。その間に沢山のいい男に告白されたのは香織の可愛さを考えれば当然だろう。それでも、俺を選んでくれたのは素直に嬉しい。
「おまたせー」
高嶺から話を聞き終えると、入り口の方から二ノ宮の声が聞こえる。そして、杉下と高嶺が固まった。
「どうよ」
ニヤッと笑う二ノ宮は派手な水着を俺に見せ付けるように立つ。
スラリとした二ノ宮は華奢な印象がある。でも、長い手足は人の視線を惹きつけ、間違いなくその整った顔も人の視線を釘付けにする。水着はヒラヒラとした形状で少し胸元が開いている。ビキニタイプと言うのだろうか? ヒラヒラとした飾りが少し二ノ宮にしては可愛らし過ぎるようにも見えるが、明るく派手な花柄を見ると二ノ宮らしさも感じる。
「それ、ビキニってやつか?」
「そうよ、ビキニの中のチューブトップって種類の水着? どう? 似合う?」
「ああ、柄も明るいし二ノ宮に合ってて良いな」
俺は隣に居た杉下を小突く。ここは褒めて印象を良く出来るチャンスだ。
「に、二ノ宮先輩! 凄く綺麗ですっ!」
「そう? ありがとー」
ニッコリ笑う二ノ宮を見て、杉下が顔を真っ赤にしている間に見ているのは、まあ男として言及してやらん方が良いだろう。
「にしても、浴衣の時といい、セリアは規格外だわ」
「ああ、あれはもう並の奴じゃ勝てないな」
少し後ろで満面の笑みを浮かべているセリアを見て、俺と二ノ宮はそう言う。
黒の水着で二ノ宮ほど装飾が派手ではない。でも、身長が高く白くてきめ細かい肌。それに長い手足がまさにファッションモデルという表現が頭に浮かぶ。そして、胸元の膨らみも規格外だった。
「セリアって着痩せするタイプだったのね。胸だけ」
大き過ぎる訳ではない。体のバランスにピッタリ合った胸は、高嶺の視線を釘付けにしている。いや、周りにいる大抵の男はセリアに視線を持っていかれている。
「セリアのもビキニなのか?」
「あれは三角ビキニ。あれだけいい物持ってんだから見せないとダメよって、私が選んだの。男は好きでしょ? 胸が」
「まあ女性らしさは感じるな。誰でも等しくそこに特に魅力を感じるとは言えないけど」
「へぇー、跡野は女の何処に魅力を感じるのよ」
「誰が言うか」
二ノ宮にそんな話をしたら最後。絶対にからかいの種にされるに決まっている。
「高嶺はどうやら胸好きみたいね。あっちの真面目くんも。セリアなら分かるけど、私の胸をガン見してたからねー」
片手で頭を抑えて杉下に思う。全部バレてんぞ、と……。
そもそも、恋愛経験が豊富かつ強烈な性格である二ノ宮の上手を目指そうというのが、大きく間違っているのは分かっていた。だから、杉下に望みがあるとすればあの真面目さだろう。
「あれ? 香織は一緒じゃないのか?」
二ノ宮とセリアの姿はあるのに、香織の姿がない。
「なんか、セリアの水着姿を見たら落ち込んじゃってさ。出てくるの恥ずかしいんじゃない?」
「いや、まず規格外のセリアと比べるのが間違ってるだろ。それに、そんな恥ずかしがるような体はしてな――あっ……」
「ほほう。ねーねー跡野、香織の体なんてどこで見たのー?」
「聞くな」
「はいはい、ちょっとこのままじゃ埒が明かないから、香織を連れてくる」
「よろしく頼む」
俺が女子更衣室に入るわけにもいかないし、ここは二ノ宮に任せるしかない。
「ユーイチ! どうデスカ?」
「セリアはモデルみたいにスタイル良いな。すげー似合ってるぞ」
「イエーイ! ユーイチに褒めてもらったデス!」
「セリアさん! そのめちゃくちゃ素敵です! ありがとうございます!」
「オウ? お礼を言われたデス? 何故デスカ?」
高嶺の全力全開のコメントにセリアは首を傾げる。まあ、ありがとうと言われてもどう反応すれば良いのか分からないのだろう。
「セリアが可愛いし綺麗だから、そんな姿見せてもらって嬉しい気持ちになったから、ありがとうって事だ」
「オー! なるほどデス!」
ちゃんと理解出来たのかは分からないが、セリアはポンと左手の平に右手の拳を落とす。
「ほら、香織」
「ちょっ、二ノ宮先輩!」
そんな声が聞こえて出口から出てきた香織を見て、俺は首を傾げる。
「香織、なんでパーカー着てるんだ?」
香織はすっぽりと上半身を覆うパーカーを着ている。ここは屋内プールだから直射日光は入らない。だから日焼けの心配もなさそうだ。でも、香織はパーカーの袖と裾を握って俯いている。裾の下からは短めのフレアスカートのような白い水着がちらりと見えている。
「ラッシュガード脱ぎなさいって言ったんだけど、まだダメみたい。まあそのうち慣れるでしょ」
どうやら香織の着ているパーカーはラッシュガードというらしく、日焼けではなく単に恥ずかしさから体を隠しているらしい。
「二ノ宮、ちょっと三人連れて適当に遊んでてくれ」
「おっけー。よーし、行くぞ野郎ども!」
二ノ宮が三人を引き連れていくのを見送って、俺は香織に視線を向ける。
「とりあえず、そこに座ろう」
「うん……」
近くのベンチに座ってフッと息を吐くと、俺は香織に話し掛けた。
「香織の水着姿めちゃくちゃ見たいんだけど」
「えっ?」
「えっ? って、普通彼氏は彼女の水着姿は見たいに決まってるだろ。てか俺、それ楽しみで来たんだけど。まあ、そのラッシュガード? ってのも可愛いけどさ」
淡い水色のラッシュガードと言うパーカーを恥ずかしそうに着ている香織も可愛い。ダボッと長い袖と裾を握る様子は愛らしさを感じる。
「それも可愛い。それも可愛いんだけど、水着姿が見たい」
「で、でもセリアさんみたいに、スタイル良くないし……」
「いや、俺が見たいのは香織の水着姿なんだよ。頼む! 彼氏の頼みだ」
両目を閉じて頭を下げながら、両手を合わせて拝んでみる。そして、右目だけを開けてチラッと香織の顔を見ると、モゾモゾとしているのが見えた。
「がっかりしないでね?」
「するもんか」
香織は辺りをキョロキョロと見渡し、右手でラッシュガードのファスナーをジジーっと下ろしていく。そしてラッシュガードを脱いだ香織の姿を見て、俺は思わず声を漏らした。
「可愛い……」
白い上の水着の中央には大きなリボンの飾り付けがあり女の子の可愛らしさを感じる上に、白という色も相まって清純という言葉がピッタリ合う。
「ヤバっ、他の男に見せたくない」
絶対に香織を一人に出来ない。こんなにも可愛い子が一人で居たら絶対に声を掛けられる。内心、この香織を俺以外の誰でも見られるという状況に悔しさを感じた。そして、ラッシュガードを脱がせたのを後悔した。それくらい、可愛かった。
「香織、めちゃくちゃ可愛いよ」
「ありがとう、優一さん」
もしここが公共の場所じゃなかったら、今すぐにでも顔を真っ赤にした香織を抱き締めているところだ。
「そのラッシュガードっての仕舞って来いよ。んで、早くみんなと合流しよう」
「うん」
香織が小走りで駆けて行くのを見送りながら、俺は胸を押さえてホッと息を吐いた。世の彼女がいる男達は、水着姿の彼女を見て衝動を抑えるという苦行に耐えているらしい。俺もその一人だが、何とか理性を保てた事に安心した。
「ユーイチ! くらえ! デス!」
「ゴフッ!」
みんなと合流した瞬間、セリアから思いっきり顔に水を掛けられる。
「やりやがったな!」
俺もセリアに水を掛けて対抗する。セリアは悲鳴を上げるも実に楽しそうに笑っていた。
「香織と跡野もあれやってきなよ」
近くに居た二ノ宮が指差す方向を見ると、グルグルととぐろを巻いたようなウォータースライダーが見えた。
「カップルだと彼氏が彼女を抱き締めてから滑らないといけないのよー」
「その、明らかに取って付けたようなルールに騙されるか。香織、行くか?」
「うん」
香織の手を引いてウォータースライダーの一番上に繋がる階段を上がる。後ろからついてくる香織は恥ずかしさに大分慣れたのか、顔を上げて上を見上げている。
「結構高いね」
「もしかして高いの苦手か?」
「ううん、そんな事はないよ。ただ、長いと良いなって」
「まあ、長いとスリルありそうだしな」
「それもだけど」
そう話していると一番上まで着き、係員の人が笑顔で話し掛けてくる。
「お一人ずつ滑りますか?」
「二人一緒にお願いします」
俺の代わりに香織が答え、俺の手を引いてウォータースライダーの入り口まで歩いて行く。
「彼氏さんが彼女さんを後ろから抱き抱える感じで、腰に手を回して下さい」
指示された通りの体勢をとると、香織にピッタリ密着する感じになった。肌と肌が触れるところは、水で濡れているせいか、香織のスベスベとした肌が俺の肌に吸い付いてくる。
「えへへ、ちょっと恥ずかしいね」
「だな」
香織はそう言いながら、香織の体の前に回した俺の左手に両手を重ねる。
「はい、ではどうぞ」
その声とともに、俺は体を支えるために入り口の端を掴んでいた右手を放した。
「キャー!」
放した瞬間、水の流れに乗って体が勢い良く滑り出す。香織は明るい悲鳴を上げて楽しそうに見える。
下から見たら結構長く見えたウォータースライダーもすぐに終わりが見え、薄暗いパイプの中から明るい世界に弾き飛ばされた。
「意外と速かったな」
「うん! でも凄く楽しかった」
「カオリとユーイチ仲良しデス!」
丁度側に居たセリアにニコニコした笑顔で言われ、俺は香織の腰に回した手を離す。でも、水中に入れた手で香織の手を手繰り寄せ、しっかり握ったのはきっと誰にもバレてはいない。
「はあ? 振られた?」
『……はい』
家に帰って風呂に入って、部屋でゆっくりしていたら、高嶺から電話が掛かってきて、物凄く暗い声で開口一番言われたのだ「セリアさんに告白したら振られました」と……。
あんだけ遊びに誘うのも躊躇していたのに、まさか告白するとは思ってもみなかった。その勇気を褒めたほうが良いのか、考え無しだと罵った方が良いのかよく分からない。
「まだ一回遊びに行っただけだろう。それで告白したって、セリアが前々から高嶺の事を好きじゃない限り勝算ないだろ……」
『分かってますよ。跡野先輩に言われてセリアさんを送るために二人きりで帰ってて、何か上手く話せてそこそこ盛り上がって、そしたら……』
「気持ちが盛り上がっちゃって告白してしまったと」
『はい……』
まあ、高嶺がそのタイミングだと思ったのなら仕方がない。
『それと、杉下は告白してないのに振られたみたいで』
「いや、意味が分からん。どういう事だよ」
『帰り道、それとなく好きなタイプとか聞いたみたいなんですよ。そしたら「年下には興味ないわね。同い年か年上の気が遣えて頼りになる男が好み」って言われたらしくて』
「二ノ宮も容赦ねえな、おい」
まあ二ノ宮の口振りや態度からして、杉下には興味がないのは分かっていた。もしかしたら、早めに諦めを付けてさせようという二ノ宮なりの優しさだったのかもしれない。
『ところで、跡野さんは土方歳三って知ってます?』
いきなりそう聞かれたが、俺の思い付く中でその名前の人物は一人しか居ない。
「新選組の土方歳三の事か?」
『はい、多分それです。俺、セリアさんはどんな男が好きか聞いたら、土方歳三みたいな人が好きって言われて』
土方歳三と言えば、新選組で鬼の副長と呼ばれるくらい厳しい性格の持ち主で、剣の実力もかなりのものだったらしい。それにかなりの色男、いわゆるイケメンだったらしくかなりモテだそうだ。
そんな土方歳三は陣中法度、局中法度等のかなり厳しい決まりを考え順守させていた反面、同じ新選組の隊員からは温和な人だと言われ、隊員からも慕われていたらしい。まあ、絵に描いたようないい男という事だ。
「まあ、イケメンで規律に厳しいけど優しさも持ってみんなから慕われる強い人が好みって事かもな」
『そんな完璧超人居るわけないっすよ……』
「まあ、振られたもんは仕方ない。しばらくは引き摺るかもしれないけど、あんまり落ち込みすぎるなよ。セリアも断るのは辛かっただろうし」
『はい、今日はありがとうございました。では』
電話を切ってスマートフォンを机の上に置くと、俺はフッとため息を吐く。
「まあ、二人ともダメだったけど、いい思い出にはなったのかな?」
ベッドに転がって俺はククッと笑う。
「二ノ宮の好きなタイプは同い年か年上の気が遣えて頼りになる男。セリアの好きなタイプは、イケメンで規律に厳しいけど優しさも持ってみんなから慕われる強い土方歳三みたいな男か。……滅多に居ないだろ、そんな男」
しかし、二ノ宮とセリアの容姿を見たら、そんな男でも高望みだとは言えないのだから、また少し可笑しく思える。
「俺は良かった。香織がそんな超人みたいな男がタイプじゃなくて」
ふと水着姿の香織を思い出し、カッと体が熱くなる。俺は、それを誤魔化すように目を瞑った。