16【邂逅】
【邂逅】
七月末、例の空き教室でミーティングが行われた。それは八月上旬にある夏のインターハイ、ではなくそのインターハイの居残り組の活動についてだ。
「今年も恒例夏合宿を行う。今回は二泊三日だ」
先生はそれだけ言うと教室を後にしてしまった。残された選手達は唖然としている。その理由は、先生の方針によるものだ。
毎年、夏合宿の日程や保護者への合宿監督手配等は全て先生がやる。ただ、練習メニューに関する事は全て合宿に参加する選手が決めなくてはいけない。それが、この微妙な沈黙を作り出している原因にもなっている。
実は、今回の夏のインターハイ。スタメン、ベンチ、補欠、そしてスタッフ以外にも追加で行くメンバーが増えた。それは、補欠にも入れなかった三年。メンバーに入れなかった三年は一人。そいつは俺が選手としてやっていた頃から、俺とどっこいどっこいの実力だった。だが、三年間食らいついて三年間頑張った。その頑張りを認められて観客席からだがインターハイに行ける事になった。
つまり、合宿に参加する選手の中に三年は居ない。しかも、日頃二年でリーダーシップを執っている選手はスタメンとしてメンバーに選ばれている。試合の成績ではもしかしたら最終日に少し参加はするかもしれないが、このミーティングで中心に立つことは出来ない。
「ったく、根性無しが多いわね。二年は」
俺の後ろから苛立った二ノ宮の声が聞こえる。まあ、この何も物事が進む気配のない沈黙は、二ノ宮ではなくても居心地の良いものではない。
しかし、ここで俺やマネージャーが口を出すわけにはいかない。それじゃあ、選手の自主性を育てるという先生の思惑を潰す事になる。佐原も腕組みをしたまま微動だにしない。だが、このまま沈黙が続いても、無駄に時間を浪費しているだけなのは確かだ。
「佐原、帰っていいか?」
「ダメだ」
「だよな~」
佐原にキッパリ断られてしまう。まあ、そんな事は分かっている。とりあえず、この重い空気をどうにかしないと、相当肝が据わった奴じゃないと話を切り出すなんて無理だ。
「しかし、このままここに居ても無意味なのは確かだな」
「そういえば、俺が選手やってる時はどんなだったっけ?」
「お前みたいに、どっかのアホが帰りたいと言いだして、当時三年の先輩から怒鳴り散らされていたな」
その佐原の話を聞いたマネージャーを含む三年が全員俺を見る。そして、隣に座っていた香織がジトッと俺に目を向ける。
「まさか、優一さん」
「そうよ~、佐原の言ってた、そこのどっかのアホが、露骨に帰りたいって言い出して先輩に怒られて、佐原が仲裁に入ってそのまま合宿の話し合いの中心に入ったの。ほんと、私のミスの時もそうだけど、跡野はバカね」
「アホって言われたりバカって言われたり、俺の扱い酷くないか?」
あの時も、重たい空気を変えようとしただけだったのに。
「優一さんって、作業は器用に出来るのに、そういう事は以外と不器用だったんだね」
「そうは言われましても、俺は本当に帰りたかったんですが。今日もそろそろ帰って飯食べたいところなんですよね~。二ノ宮先輩も大分イライラとされているみたいですし」
「跡野、あんたね~」
二ノ宮が俺に何かを言おうと立ち上がった時、別の所から立ち上がる音が聞こえた。みんなの視線が集まったその先には、二年の選手が全員の正面に立って頭を掻いていた。
「跡野先輩が今度は二ノ宮先輩から怒られる前に話を前に進めようと思う」
斜め前から佐原がフッと俺に笑みを向けるのが見え、後ろからは軽く背中を小突かれるのを感じた。確実に二ノ宮の仕業だ。でも、二人とも俺を責めている訳じゃない。まあ、またバカやったな程度の事を思っているのだろう。
「やっぱり、優一さんって優しいね」
隣から香織のそんな声も聞こえるが、俺は敢えてそれに反応しなかった。その後、香織はクスッと笑った。
「あ、跡野先輩! 先日はありがとうございました!」
「ああ、バレー部の」
ミーティングが終わって教室から出ると、廊下にバレー部の練習着を着た数人の生徒が立っていた。その中のツインテールの一年生が俺に頭を下げる。
「跡野、なんかバレー部とあったの?」
「ああ、この子が練習中に怪我した所に出くわしてさ。応急手当したんだよ」
隣に居た二ノ宮がジッとバレー部の一年を見て、そしてボソッと呟いた。
「へぇ~、あんたがね~」
二ノ宮にそう言われたバレー部の一年は苦笑いを浮かべて後退る。完全に二ノ宮に怯えている。
「こらこら二ノ宮、怯えてるぞ」
「別に私、脅したりなんかしてないし」
「あの時は助かりました。女バレにはマネージャーなんて居ないから、応急手当出来る人居なくて。本当にありがとうございました」
「大した事はしてないから、そう何度も頭を下げないでくれ。それと、自分でも応急手当は出来るようになってた方がいいぞ」
丁寧に頭を下げるバレー部一年にそう言っていると、後ろからパタパタと走って来る音が聞こえた。
「優一さん、ごめん、待たせちゃって――あっ……」
「いや、大丈夫だ。アレ? 二人は知り合いなのか」
バレー部一年の姿を見て香織が驚いた表情をする。対するバレー部一年はニコニコ笑顔を崩してはいない。
「はい、駿河先輩にもお世話になった事があって」
「そうなのか。あっごめんな、俺達もう行くから」
「あっ……はい! お疲れ様でした!」
バレー部の仲間の所に戻っていく彼女を後ろに見ながら、視線を隣に向ける。
「香織、形式上でもマネージャーを仕切る立場になったんだから、頑張れよ」
さっきのミーティングで選手の練習メニューの他に、合宿中のチームキャプテンに副キャプテン二名、そしてマネージャーのキャプテンを誰にするかが話し合われた。そのマネージャーのキャプテンとして選ばれたのが、香織だったのだ。
正直、俺の意見では香織はちょっと頼りないと思っている。でも、それは俺が過保護過ぎるからそう思うだけであって、香織は十分しっかりやっている。それに、責任ある立場に置かれれば、より責任感が増してしっかりするはずだ。はず、なのだが……。
「やっぱり頼りないよな~」
「香織はあんたの子供か。所でさ、さっきの一年何?」
妙に威圧的な二ノ宮が、聞いてくる。さっきの一年というのは多分、さっきお礼を言われたバレー部一年の事だろう。
「とりあえず、私に詳しく説明しなさい。あの一年と何があったの?」
「詳しくって言われても、体育館側でいつも通り雑用やってたら体育館から悲鳴が聞こえたんだよ。そんで、走って行ったらさっきの一年が足抑えてうずくまってて。事情を聞いたら捻挫だって言うから、バレー部の救急キット借りてシップ貼ってテーピングした。別に改めて説明する内容でもないと思うんだけど」
「なるほどねー」
二ノ宮は一人で納得してしまい。完全に俺は何がなんだか分からず置いてけぼりだ。
「ところでさ、今から時間ある?」
「俺は大丈夫だけど」
「何か勘違いしてるみたいだけど、私が用事あるのあんたじゃなくて香織だから」
「だそうだ」
そう言って香織に視線を向けると、俺と目が合った香織は、ハッとして頷く。
「私は大丈夫です」
「んじゃ、香織を連れてくわ」
香織と二ノ宮が歩いて行くのを見送る。二ノ宮が香織と話があると改まって誘うのは初めて見た。でもまあ、女の子同士だし、女の子同にしか分からない話があるのだろう。
「あっ! 跡野先輩!」
「あー、さっきの」
バレー部の練習着姿で走ってくるのはさっきのバレー部一年だった。
「いけない、私、助けて頂いたのに名前も名乗ってなかったなんて! 私は野田琴子と言います」
「野田さんか、俺は跡野優一。よろしく」
「はい! 跡野先輩のお噂はかねがね聞いています」
「お噂って、変な噂じゃないよな?」
「とんでもない! 部のために部員の暴力行為を許し、熱中症で意識を失った女子マネージャーに対して冷静に適切な処置をして命を助け、暴漢に連れ去られようとした女子マネージャーを勇敢に助けた。そんな素敵な噂ばかりです」
「いや、何か間違ってないようで、大分間違ってるな……」
トラブルに関しては俺が撒いた種だし、そもそも許したというより揉み消したと言うのが正しい。それに香が熱中症で倒れてた時は、関係ない奴にまで八つ当たりして怒鳴り散らすという、冷静さの欠片もない状態だった。そして、二ノ宮がワゴン車に連れこまれそうだった時は必死だったし、ホッとした後には腰を抜かして、勇敢さなんて影も形も見えない有様だった。
大分尾ひれがついて広まってしまったようだが、まあ彼女の言うとおり悪くは伝わっていないようだからまだマシだ。
「あ、あの、跡野先輩。メールアドレス教えてもらえませんか?」
「えっ?」
野田さんがスマートフォンを取り出して、首を傾げながらそう尋ねてくる。
ここは断った方がいいのだろうか。しかし、別に告白された訳でもないし、過剰に反応して断るのもどうなんだろう?
「ダメですか?」
「いや、ダメじゃないんだけど、俺、彼女が居るからさ」
「駿河先輩ってメルアド交換するのも嫌がるんですか? そんな心の狭そうな人には見えないですけど」
何となく、今メルアド交換を断ったら香織が心の狭い奴だと認めてしまうような気がした。それは、絶対に嫌だ。
「分かった。まあ、俺とメールしても楽しくないだろうけど……」
メールアドレスを交換すると、野田さんは「ありがとうございます。では失礼します」そう言って去っていった。
スマートフォンをポケットに早速仕舞おうとすると、メールが届いた。そのメールはさっきのお礼とこれかもよろしくお願いします。というような、無難なものだった。その無難な内容に、俺も無難に『よろしく』と、それだけ返した。
家でボケッとしていると、インターホンが鳴り俺は液晶を見ることなく玄関まで歩いて行って扉を開けた。
「こんにちは、優一さん」
「おう、いらっしゃい香織」
いつも通りの応対で家へ招き入れ、すぐに部屋に入る。そして、改めて香織を見て、俺は何気なく香織に尋ねた。
「あれ? 今日、何処か行く約束してたっけ?」
「ううん、してないよ?」
「でも、ほら……スカート、穿いてるから」
香織が家に来るとき、まったりする予定なら大抵はジーンズ等のパンツスタイルだ。それで、何処かに行こうという時はスカートを穿いてくる。しかし、今日は出掛ける用事もないのにスカートを穿いている。しかも、いつもより丈が短い。
「う、うん、たまにはいいかなって思って」
俺は嬉しいけど目のやり場に困る。いや、別に彼氏なんだから見ても何の問題もないし、寧ろ彼氏だから気兼ねなく見れるという特権も持っている。だが、なんと言うか常識というか道徳というか、何となく罪悪感がある。
「そ、そうだ、今日香織達と分かれた後に一年のバレー部の、ほら、野田さん? に会ってさ、メルアド聞かれて断るのもおかしかったから教えた」
とりあえずスカートから視線と思考を外さないとマズい。そう思って、早めに言っておかないといけないと思っていた話題を出す。しかし、その何気なく出した話題で香織の表情が明らかに曇った。
「えっ……」
「やっぱり嫌だったか? でも、別にメルアドを聞かれただけだったし、彼女が居るからごめんって言うと、何か香織がその程度で目くじら立てるような心の狭い奴に思われそうなのが嫌でさ」
「私は別にそう思われてもよかった……」
明らかに、香織のテンションが落ちている。さっきまでニコニコ笑っていたのに、視線を下に向けて俺の顔を見ようともしない。
「まあ、メルアド交換も社交辞令みたいなものだろうし、メールももう来な――」
背中がドスンと部屋の扉にぶつかる。でもそんな痛みより、目の前で俺を壁に押し付けて唇を奪っている香織に驚いた。
あれ? 香織ってこんなキスをする奴じゃ……。
不思議に思う前に、香織から深いキスを求められる。自分から香織に求める事は何度もあった。でも香織から求められる事は稀で、こんなに露骨なのは初めてだ。
「ちょっ、香織、どうし――」
香織が息継ぎで唇を離した瞬間に尋ねる。でも尋切る前に再び唇を奪われた。
ヤバい、こんなキスされたら俺の理性なんて持つ訳がない。
下から突き上げるようにキスをする香織を見ると、視界にスカートの裾から伸びる、綺麗な香織の足が見える。
バカ野郎、母さんは夕方まで出掛けているが、聖雪はいつ帰ってくるか分からない。そんな状況で理性のたがなんて外したらマズい。
「はぁはぁ……」
「ハァハァ、ど、どうしたんだよ、いきなり」
やっとキスが落ち着き、唇を離した香織に改めて尋ねる。しかし、香織は俺の予想もしない行動に出た。
「ちょっ、香織!?」
香織は穿いていたスカートのホックを外し、片手でファスナーを下ろす。ファスナーが下り切る前に、香織のスカートはパサリと軽い音を立てて床の上に落ちた。
黒のチェック、その落ち着いた柄の下着が視界に入る。そして、目の前の上気した香織の顔を見て、完全に俺の理性は吹き飛んだ。
香織を家まで送って家に戻ってくると、ちょうどダイニングに入る聖雪と出くわした。
「おう、聖ゆ――」
声を掛けようとしたらさっさとダイニングに入ってしまい、扉がバタリと閉じる。
「聖雪、兄貴を無視するとは酷いじゃないか」
家に上がってダイニングの扉を開くと、お茶を飲んでソファーの上に体育座りをした聖雪と目が合い、そして逸らされた。
俺もお茶をコップに注いで一口飲んで、それからまた聖雪に視線を向ける。聖雪は体育座りのままテレビをボーッと見ていた。
「あのさ、お兄ちゃん」
「ん?」
聖雪はこっちに視線を向けることなく俺に話し掛ける。
「その、お兄ちゃんが高校生で思春期男子で、しかも香織ちゃんっていう可愛い彼女が居るのは分かってる。でも、そういう事する時は、ちょっと妹の私が居ることも考えてほしい、かも」
「ゴフォッ!」
飲んでいたお茶が気管に入りそうになってむせる。マズい、聖雪に見られたか聞かれたかしたらしい。
「す、すまん、気をつける」
「うん、よろしく」
耳まで真っ赤にした聖雪とこれ以上一緒の空間に居るのは気不味く、俺は一気にお茶を飲み干して二階に上がった。
「まあ、母さん父さんに見られたり聞かれたりするよりはマシだったか……」
しかし、気不味いのは変わりない。しばらくは、聖雪のちょっとぎこちなくなるだろう。
「にしても、今日の香織、何かおかしかったな。……ヤバッ」
ベッドの上に身を投げ出して天井を見上げる。枕から香織の残り香が漂ってきてさっきの事を思い出してしまう。
「落ち着いて横になれない!」
すぐに上体を起こしてベッドの上から退避する。
椅子の上にドサリと腰を下ろしてスマートフォンを見詰める。そしてメーラーを開いて、香織にメールを書く。
『今日、何かあったのか?』
そんなメールを書き、送信ボタンを押そうとする。しかし、それを躊躇して指を止める。
香織は何かあったのか尋ねて、素直に答えてくれるだろうか? もしかしたら二ノ宮の話と何か関係があるのかもしれない。二ノ宮に聞いて――いや、二ノ宮が俺を呼ばなかったという事は、俺には聞かせられない、聞かれたくない話のはずだ。そんな話を詮索するような真似は良くない。それに、そもそも詮索したとしても二ノ宮は教えてくれないだろう。
メールを送信するかどうか迷っていると、メールの着信を知らせる画面が表示された。どうせメールマガジンか何かだろうと思っていると、受信ボックスの一番上にあるメールには『野田琴子さん』という名前が表示されていた。
『こんばんは跡野先輩。今、お時間大丈夫ですか?』
女の子らしいカラフルなメールで、俺はそのメールを見て香織の悲しそうな表情を思い出した。
『野田さん、ごめん。やっぱり彼女が居るからメール出来ない。本当にごめん』
出来るだけ顔文字やら絵文字やらを使って柔らかい印象に見える様に工夫し、メールを返信した。すると間を開けずすぐに返信が来る。
『やっぱり、迷惑でしたか?』
「いや、迷惑というわけじゃないんだけど……」
思わず、メールに口で返事をしてしまう。別に四六時中メールが来るわけでもないし、迷惑というわけじゃない。でも、単純に香織のあんな悲しそうな顔を見たくないのだ。
『いや、やっぱり俺が彼女の立場だったら嫌だからさ。やっぱり止めとこうと思って。本当にごめん』
そのメールを送ると、さっきの間の開かない返信は来ず、若干の罪悪感に苛まれつつも、スマートフォンを机の上に置く。すると、スマートフォンが机の上で震える。
『仕方ないですね。では、私のアドレス、消しちゃって下さい』
『本当にごめん。俺のも消しちゃっていいから』
胸がキリキリと痛むが、そこでメールを途切れさせ、俺は野田さんのアドレスを削除する。そしてすぐに、香織に電話を掛けた。
『もしもし? 優一さん』
「ごめん香織、こんな時間に。大丈夫か?」
『うん、大丈夫。どうかした?』
「今、野田さんに謝ってメール出来ないからって送った。野田さんは仕方ないって言ってくれたし、メルアドも消してくれって頼んだ。俺の方はもう野田さんのアドレスを消したから」
『……優一さん、嫌な思いさせてごめんね。優一さんにそんな事させるつもりはなかったんだけど、私のせいだ』
「いや、香織は悪くない。流れで交換しちゃった俺が悪い」
『ありがとう。あと、今日はごめんなさい。その、ちょっと私、野田さんの事聞いて嫉妬しちゃって、それで……』
「いや、俺は嬉しかったけど。でもまあ、次はもうちょっと安心出来る時がいいな。あっ! えっと次ってのはそういう意味じゃなくてだな!」
自分の言葉を反すうして、焦り、慌てて訳の分からない否定をする。
電話の向こう側からはクスクス笑う声が聞こえる。
『そうだね。次は私も気を付ける』
香織のその言葉と枕の残り香のせいで、その夜はまともに眠る事は出来なかった。
次の日の午後練習終わり、職員室に呼ばれた俺は、ニコニコと笑う顧問の先生の前に立ち先生に視線を向ける。
「跡野、ほれ奢りだ飲め」
先生は缶コーヒーを俺には差し出し、そして俺に椅子を用意する。
「ありがとうございます。それで? 今回はなんですか?」
先生がニコニコ笑いながら缶コーヒーを差し出す時は、決まって何か面倒事が起きて、そのしわ寄せが俺に来る時だ。だから、今回も何かしらあるのだろう。
「流石、跡野! 話が早くて助かる」
先生は自分の分の缶コーヒーを開ける。
「実はな。女子バレー部の顧問の先生から、一緒に合宿をやらせてほしいと頼まれたんだ」
「女子バレー部、ですか?」
「ああ、日帰り遠征は何度か行く予定があるそうなんだが、チームの親睦を深める機会がなかったそうなんだ。そんな時に、うちが学校で合宿を行うと聞いて、一緒にやらせてほしいと打診が来た。合宿監督として顧問の先生が付いてくれるそうだ」
「はぁ、でもそれじゃ、別々に合宿してるのと変わらないんじゃ? うちに一緒にやらせてほしいって言う必要もないと思いますけど?」
バレー部は体育館を使い、サッカー部はグラウンドを使う。それにその他の練習設備もほぼ被りはない。何かを共有して使うわけでもないから、いよいよ持って一緒にする意味が分からない。
「それがな、合宿中、お前を貸してほしいと頼まれたんだ。お前のマネージャー能力の高さは、前から運動部の顧問の間では評判だったんだ。そこに駿河が熱中症で倒れた時の対応の評価が加わって、更にお前女子バレー部の一年の怪我を手当しただろう? それが決め手だったらしい」
「褒めてもらえるのは嬉しいです。それにバレー部の一年に応急手当をしたのは間違いないです。でも、うちはどうするんですか? マネージャーも選手も慣れて来て、マネージャーが増えてない状態でも回せるようにはなってます。でも、合宿は普通の練習じゃないから、手間取るじゃ?」
俺が居れば円滑に進むなんて意味ではなく。単純にいつもより時間が掛かるのが予測出来るのに、人手を減らしていいのかという事だ。それに……。
「それに多分、俺は要らないですよ? バレー部には」
「どうしてだ?」
「まず、一番大きいのが俺がバレーに対して何も知らない事です。どんな練習をするのか全く分かりません。練習が分からなければ何が必要なのか分かりませんから、用具の準備を事前にするのは無理です。そうなると、俺に出来るのは給水の準備くらいです。でも、この前チラッと見た感じだと、バレー部は元々マネージャーが居なかったから、全員自分で給水用のボトルを持っていました。つまり、給水の準備をする必要もないですね」
「確かに勝手が分からんとお前もどうしようもないな」
うーんと考え込む先生。俺は先生が答えを出す間に缶コーヒーを開けて飲む。
「よし、じゃあ合宿マネージャーというのはどうだ?」
「合宿マネージャー? なんですか、それ」
「合宿では飯の準備とかあるだろ。その準備を跡野が仕切れ。一年の時に料理もちゃんとこなしていたから大丈夫だろう」
「いや、俺は市販のカレールーの箱裏に書いてあった説明を見て作っただけなんですけど……。でもそれだと、一緒に飯食う事になりますけど」
「一緒に飯でも食えば、うちの部員にも女くらい出来るだろ! おおそうだ! 肝試しやれ肝試し」
ガハハと無責任に笑う先生に、俺は内心ため息を吐いた。普通の教師ならあまりよく思わないような状況だが、妙に恋愛に対して寛容なこの先生は笑い飛ばしてしまった。しかも肝試しという面倒臭そうなイベントの企画も何気に押し付けられた。絶対にやらないが。
「うちも結局、マネージャーが増えそうにないからな。そろそろお前無しでもやれるようになっておかなければならない。まあ、跡野が残ってくれるなら話は別だが」
「八月いっぱいまでの約束は忘れてませんからね」
「釣れないやつだな、お前も。まあ、とりあえず話は終わりだ。明日また部員には説明する」
「分かりました」
職員室から出ると、スポーツバッグを持った香織が待っていた。
「何の話だったの?」
「何か、バレー部が同じ日程に合宿するから、飯一緒に食って親睦でも深めろって」
最初とは大分話が変わって、終わり際には随分適当になっていた。だから確認し忘れたが、概ねこれで合っていだろう。
「えっ、女子バレー部と?」
「そうらしい。まあ、グラウンドと体育館だし飯食べる時くらいしか合同感は無いけどな」
肝試しに関しては圧倒的に男子の比率が多い中でやったって、男と組まされた部員から不満が上がるに決まってる。そんなトラブル必至なイベントをやるのはごめんだ。
「香織? どうした?」
「ううん、何でもない」
ボーッとしていた香織に声を掛けると、香織はニッコリ笑って顔を横に振った。
いつも通り香織と一緒に帰り、いつも通りの場所で互いに一回ずつキスをして、香織の家に向かっていた。
「優一さん、明日は久しぶりに何処か行こうよ」
「そうだな、最近は何処にも行ってなかったし、何処か遊びに行くか」
「何処かいいかな~」
嬉しそうに考え込む香織の手を引きながら歩いていると、香織の家の前に人が立っているのが見えた。
その立っている人は、美少年だった。カッコいいというよりも女性から見た可愛い男子という感じだろうか。そんな美少年がこちらを見て、いや、香織の方を見て手を振った。
「カオちゃん、久しぶり!」