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コンチェルト。アゲイン  作者: 煮込みハンバーグ
15/51

15【盛夏に炎ゆ】

  【盛夏に炎ゆ】


 七月下旬。うちの高校でも夏休みが始まった。しかし、学校は休みになっても、部活動生には部活がある。そして、部活動生ではないものの、雑用係の俺ももちろん部活に出ている。

「あ、暑い……」

 グラウンドに日陰は存在しない。しかも、土が白土だから容赦なく太陽の光が照り返してくる。肌が焼けるどころが目も焼けそうだ。

「跡野、選手の方がもっと暑いんだから我慢しなさい」

「そうは言っても暑いものは暑――」

「敬語」

「そうはおっしゃっても、暑いものは暑いのでございます。二ノ宮先輩」

「なんかキモい」

 二ノ宮はタオルで汗を拭いながら時計を見る。もうすぐ練習を終える時間だ。今日は午前練習だから、午後からゆっくり出来る。

 午後練習の時には損したなんて思う事はないが、午前練習の時は何故か得した気分になるから不思議だ。

「ゆ、優一さん」

 マネージャー陣の端っこで暑さに耐えていると、後ろからシャツをクイクイっと引っ張られる。後ろを振り向けば香織がジーッとこっちを見ている。

「優一さん、今日、お家にお邪魔していい?」

「断る」

 隣から異様な猫撫で声で二ノ宮が言うのを聞いて、俺は即座に視線を向けて拒否する。

「毎日毎日毎日毎日、同じ会話して。全く、余計暑くなるわー」

「べ、別に毎日は……」

 香織は両手を振って否定しようとするが、午前練習の時は毎日午後は俺の家に来ている。

 最初は「夏休みの宿題をやろう」そう言われて、本当に宿題をやりに来ていた。しかし、午前練習午後練習はほぼ交互にあり、その度に宿題をやるものだから、もう宿題はやり尽くしてしまった。最近は話したりテレビを見たり、あとは時々聖雪が乱入して来て騒ぐ、だろうか。

 だが、飽きたなんて事は全くない。だからと言って、話す事が尽きない訳ではない。でも、二人の間に出来る沈黙も心地良いと感じるのだ。

「おーし、お前ら練習は終わりだ。それと、全員荷物を持っていつもの会議室に集合。ミーティングをするぞ~」

 顧問の先生が照りつける陽に顔をしかめながら歩いてくる。いつもの会議室というのは管理棟一階にある空き教室の事。前に俺と二ノ宮と教育実習生として来ていたサッカー部OBの生駒先輩が説教を受けた教室だ。

 先生は話す内容は言わなかった。でも、大体はミーティングの内容は予測出来る。夏のインターハイについてに違いない。


「まず始めに、八月にある全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会。まあ夏のインターハイだ。この大会に県代表として出場することになる。しかし、大会開催地はここから車で数十分、なんて距離にはない。現地に宿を手配して宿泊する事になる。だが、全員は連れては行けない」

 先生の言葉に落胆や異議を唱える部員は居ない。そんなの前々から分かりきっていたことだ。部の予算は限られている。それじゃ足りないから物品販売でインターハイへの遠征費を捻出しようとしていた。しかし、いくら寄付や学校を上げて物品購入に協力してもらったとは言っても、全部員を連れて行って宿泊させるだけの資金が集まるわけがない。

「連れて行けるのは、スタメン十一名、ベンチ九名、補欠に五名。そしてスタッフ、これはマネージャーだなそれが五名。合計三十名を連れて行くことになる。スタメンとベンチはこの前発表したメンバーに変更ない」

 県予選ではベンチに入っていた一年が外れ、代わりに神崎がスタメンに入った。スタメンから外れたのは二年の選手だ。ベンチから外れた一年も、スタメンから外れた二年も心の中では悔しさでいっぱいのはずだ。でも、上手い奴がレギュラーになる。それに学年は関係ない。そうやってポジションを争ってきた選手達だから、割り切る事は出来るだろう。

「あとは連れて行くマネージャーだが、三年マネージャーを全員連れて行くとして三人。あと二人だが、二年から駿河、そして、三代を連れて行く」

「ちょっと待って下さい!」

 発表を終えて椅子に座り込もうとした先生にそう言ったのは、先ほど名前を呼ばれた二年の女子マネージャー三代杏璃みしろあんりだった。その三代を、先生は訝しげな表情で見る。

「どうした三代」

「なんで跡野さんじゃなくて私なんですか?」

「……跡野、どうすればいい?」

「どうすればいいって俺になんで投げるんですか」

 疲れた表情で俺の方を見る先生。ここ最近、遠征の件で色々手続きとかがあったらしいから疲れているのだろう。いや、だからと言って俺に丸投げして良い理由にはならない。

「えーっと、三代先輩?」

 先生が一向に話す気配のないので、俺が三代の方を向いて立ち上がる。

「俺の立場はなんでしょう?」

「男子マネージャーです」

「……いや、違いますけど」

「え?」

「俺は男子マネージャーなんかじゃありません。ただの雑用係です。先生は言ったでしょう。連れて行けるのはスタメン、ベンチ、補欠の選手二十五名とマネージャー五名の計三十名だって」

 説明を終えて座ると、隣に座っていた香織が俺に視線を向ける。その目は何故か残念そうな顔をしていた。まさか、香織まで俺の事をマネージャーだと思っていたのだろうか?

「跡野の説明通りだ。異論がある奴は居るか?」

「先生」

「なんだ駿河」

「私は辞退します」

 突然立ち上がってそう言った香織に、全員の視線が集中する。そして、その視線を一点に浴びる香織は真っ直ぐ、最も強い視線を向ける先生に視線を返している。

「駿河、理由を言ってみろ」

「行きたくないからです」

「却下。これは普通の会社で言うところの、出張命令だ」

「体調が悪いからです」

「大会は八月だぞ~」

「…………」

「あとの~どうにかしろ~」

「だから、なんで俺なんですか!」

 辟易した表情で俺の名前を呼ぶ先生。仕方なく、真横に居る香織に視線を向ける。

「香織先輩。先生の言うとおり、今回の遠征は言うなれば仕事。ただの練習試合ではなくて全国大会出場のための遠征です。その仕事に経験豊富な三年と二年の中から仕事が出来る奴を選ぶのは当然だと思いますが?」

「じゃあ、誰よりもマネージャーの仕事が出来るのは優一さんが適任だと思いますが?」

「先ほども言いましたが、俺はマネージャーではなく雑用係です」

「じゃあ、マネージャーに昇格させましょう」

「んな、むちゃくちゃな……」

 俺が頭を抱えてそう呟くと、クスクスという笑い声が聞こえる。もう、完全に周りは高みの見物という感じで手を貸してくれそうにない。

「駿河、あんまり部員の前では言いたくないがな。私情は挟むな、お前らしくもない」

 まあ、当然の如く、俺と香織が付き合っているのは先生も知っているらしい。しかし、部内恋愛が禁止されている訳ではないし、そもそも俺は部員ではないし、先生は触れないという選択肢を選んだらしい。しかし、今回ばっかりは表にその話題を出さなくてはいけなくなったらしい。

「私情なんて挟んでいません」

「跡野と一緒だったら行くだろうが」

「…………そ、そんな事あ――」

「バカ、間が空いた時点で何言っても手遅れだ」

「だ、だって優一さんと一緒だったら行くに決まってるじゃん!」

「にのみや~こいつらの痴話げんかをどうにかしろ」

 今度は先生が二ノ宮に事を放り投げ、投げられた二ノ宮は大きなため息を吐いて俺を見る。

「跡野が自費で付いてくれば全て解決」

「何も解決してないわ!」

「け、い、ご!」

「何も! 解決! しておりませんが!? なんで俺が自分で費用を出さなければいけないのでしょうか?」

「だって、あんたが来ないと香織が来ないって言うんだから、あんたが来るしかないでしょ。それで、あんたを連れて行けるお金ないんだから、自腹になるのは当たり前じゃん」

 このまま二ノ宮と話をしても実りのある結論が出るとは思えない。

「ハァ~、分かった。駿河は外して吉田だ。これで全国大会は行ってくる」

「は、はい」

 なんだか吉田が可哀想だ。別に先生にそんなつもりはなくても、流れで見ると香織が行かないと言うから仕方なく吉田を代わりに行かせる、という状況に見えてしまう。だが、吉田も一生懸命仕事をやる奴だから、連れて行って十分戦力にはなる事は間違いない。

「よし、解散。ただ、駿河は俺が指示する買い出しをやってこい、罰だ。跡野、お前は雑用だから荷物持ちな。まあ、言われんでも付いていくかと思うが。買った物は明日の練習時に俺に渡してくれればいい。リストはこれだ」

「はい! 分かりました」

「駿河~、これは罰なんだぞ、嬉しそうな顔をするな。じゃあ、解散」

 先生は少しばかりか疲労が溜まった感じで教室を出て行く。残された俺達は、視線を駿河に向ける。

「なんですか?」

 視線を一点に浴びた香織が首を傾げる。そして、女子マネージャーはニッコリ笑っていた。だが、男子は明らかにイライラが募った表情をしている。しかし、その表情は香織ではなく俺に向けられている。

 三年の選手に腕を掴まれて男子の一団の中に引っ張り込まれて囲まれる。

「あとの~! お前のせいで駿河の笑顔が試合前に見られないじゃないか! せめて部員に向ける笑顔くらい拝ませろ! その楽しみまで俺から奪う気か!」

「跡野先輩! 酷いっすよ! 駿河さんの声掛けに選手がどんだけ助けられてるか分かるでしょ!」

「俺は何も悪くないだろ! そもそも、俺は香織を行かせようとしたじゃないか!」

 不平不満を浴びせられる俺は抗議する。俺は何も悪くない。

 三年に首に腕を巻かれて抱え込まれながら、視線を神崎に向けると、俺に憎しみを込めた視線を向けてきた。まあ、そりゃあそうだろうな。仮にも、香織の事が好きなんだし。まあ、渡す気は毛頭ないが。

「男子、ちょっと跡野を返してくれる? 今から香織の買い出しの荷物持ちさせないといけないんだから」

 男子の集団を割って二ノ宮が、不機嫌そうな顔で仁王立ちしている。

「全く、あんた達はそんな事言ってるから彼女が出来ないのよ」

「「「ウグッ!」」」

 二ノ宮が言い放った瞬間、俺に不平不満を言っていた選手達が胸の当たりを抑えて床に手を突く。

「他の奴らを見なさい。もう帰るところよ。うだうだ言ってないで、あんた達もさっさと帰れ。香織はあんた達のアイドルじゃなくてマネージャーなの。それ以前に跡野の女よ」

「二ノ宮……そこは彼女にしてくれないか?」

「敬語、と言いたいところだけど先生居ないし、もうミーティングは終わったから目を瞑ってあげるわ。とにかく、他人の彼女で目の保養してる暇あったら自分の彼女作る努力しなさい。そして早く帰れ!」

「「「お、お疲れ様でした……」」」

 トボトボと帰宅していく部員達の背中を見送り、ホッと息を吐くと俺は香織に視線を向ける。香織はパッと笑顔を向けたと思ったら、シュンと顔を俯かせる。

「なんであんなワガママ言ったんだ」

「だって、優一さんと一緒に居たくて……」

「切り替えろ、そう言ったよな? 俺」

 教室内には女子マネージャー陣しか残っていない。その中で俺は、香織に素直に憤りを向けた。

「インターハイの全国大会が滅多に参加出来ない大会だからじゃない。そもそもの話だ。先生は香織の事を買ってたんだ。限られた枠を使って連れていこうって言ってくれたんだ。その信頼を――」

「優一さんのバカッ!」

 香織はそう叫んで教室から飛び出す。その後ろ姿を見て、俺は口から気の抜けた声が出た。

「えー」

「はぁー……。跡野、跡野の言ってる事は正論だけど、彼氏のあんたが味方しないでどうすんのよ……」

 何故か隣に居る二ノ宮が俺を見て大きなため息を吐き、そう呆れた様子で言う。

「だって明らかに香織が悪いだろ。だったらちゃんと注意を――」

「確かに間違ったら注意するのは正しいわよ。でも、跡野がやってるのはどっちかと言えば聖雪ちゃんに対する注意の仕方よ」

「そりゃそうだろ。香織は年下だし聖雪と同い年だし」

「だーかーらー、香織はあんたの彼女でしょ? 順番が違うのよ順番が」

 椅子に座った二ノ宮を一年のマネージャーが首を傾げて見詰め、俺に視線を向けて尋ねる。

「跡野さん、駿河先輩に何を言おうと思ってたんですか?」

「え? 俺と一緒に居たいってのは嬉しいけど、ちゃんと部活とは切り替えるって約束したよな? って事を――」

「「「……ああ」」」

 その場に居た、二ノ宮と俺以外の全員が、その納得したと言うような声を発した。しかし、それはどうやら俺の言った事ではなく、二ノ宮の言った事に納得した声だったようだ。

「跡野さん、嬉しいって言うのをなんで最初に言ってあげないんですか!」

 一年のマネージャーに結構本意気で怒られた。なんでと言われても、みんなが見てる前でそんな恥ずかしい事を言えるわけがない。

「とりあえず、次からデレデレするのも説教するのもイチャイチャするのも二人だけの時でやりなさい。私達は気にしなくても、香織にも立場ってものがあるんだし」

「わ、分かった。すまん……」

 一年から本意気で怒られたのもそうだが、他のマネージャーも同様に怒っていたようで目が怖かった。自分は正しい事をやったつもりなのに、賛同者が誰も居ないと悲しいものがある。


 香織の分のスポーツバッグを持ち、部室棟の裏に歩いて行く。そして、変わらず置いてある、雨ざらし日ざらしの椅子の上に、ちょこんと腰掛ける姿が見えた。

「荷物を置いたままどこに行く気だよ全く……」

「……ありがと」

 短く答える香織にスポーツバッグ渡して、近くにあった椅子の上に俺も座る。

「香織が俺と少しでも一緒に居たいって思ってくれるのは嬉しいけど、俺は香織に全国大会、行ってほしかったぞ。全国大会出場はチームで勝ち取ったものだろ? そのチームを強く支えてたのは香織だ。顧問の先生の目に留まるくらい頑張ってたんだ、それは間違いない。だったら、行って思い出の一つでも作ってくればいいだろ? 勝っても負けてもちょっとは観光する時間あるだろうし」

「確かにそれも特別な思い出になるかもしれないけど、私は優一さんと一緒の普通がいいもん」

「そうか……じゃあもう俺は強く言わん。一緒に居たいってのは嬉しいし、もう終わって決まった事だしな。ただ、明日、先生には改めて謝っておけよ。せっかく声を掛けてくれたんだし」

「うん」

 背もたれに寄りかかって空を見上げる。空は雲一つない青空。しかし部室棟の裏は影になっていて日の光りが入らない。風も程良く流れて、夏の真っ昼間だというのに涼しささえ感じる。

「優一さんは女の子が浴衣を着たらどう思う?」

「浴衣か~。香織が着たらめっちゃ可愛いだろうな~」

「えっ?」

「えっ? って、なんでまた聞き返すんだよ」

 聞いておいてまた聞き返す香織は、本当に戸惑った表情をしている。

「だって、香織はスタイル良いし顔も可愛いし、それで浴衣なんて着たらめちゃくちゃ可愛いに決まってるだろ?」

「そ、そっか……ありがとう」

 なんで急に香織がこんな事を聞いたのかは分からない。でも、ニッコリ笑った香織の笑顔を見たらそれを聞く気は起きなかった。

「さて、罰の買い出しに行くぞ」

「うん、でも、この前買い出しに行ったばかりだから、テーピングだけだね」

「まあ、取って付けたような罰だったしな」


 買い出しを終えて、香織を家まで送り「後で行くね」と手を振る香織を見送ってから、照り返しの辛いアスファルトの道をトボトボと歩く。まず帰ったらシャワーを浴びて何か昼飯を食べないといけない。いや、暑さで食欲はあまり無いが、何か食べなければ夏バテになってしまう。

 建物の影になって涼しい風が吹く貴重な日陰に踏み入れた瞬間、ポケットのスマートフォンが震える。日陰で立ち止まって画面を見ると、珍しい名前が表示されていた。

「はい、もしも――」

『オー! ユーイチ! 久しぶりデース!』

「おう、セリア。相変わらず元気だな」

 電話の主はセリアで、相変わらずのテンションで電話の向こうで話している。なんだろう、身振り手振りで体を大きく使って話すセリアの様子が頭に思い浮かんだ。

『ワタシは元気デース! ユーイチは元気デスカ?』

「ああ、暑さでバテそうな事以外は元気だ」

『ソーデスカ! ユーイチ、花火大会に行くデス!』

「待て待て、いきなり本題に入りすぎだ。どうしていきなり花火大会なんだよ」

 なんの脈絡もなく放たれた話題に俺は困惑する。花火大会? そんなのあったっけ?

『今日、花火大会があるデスヨ! だから、みんなで行くデス!』

「花火大会か……ああ、なるほど、だから香織は浴衣がどうとか言ってたのか」

 帰りの道中でも、香織はなんか様子の変だった。その原因はセリアの言った花火大会らしい。

 それにしても花火大会があるなんて知らなかった。そういうのは八月に入ってからあるものとばかり思っていたからだ。しかし、そうなるとマズイ事になった。

 俺は、彼女である香織を花火大会に誘うのを忘れていた、のだ。いや、根本的に花火大会があるのを知らなかったのだから、仕方がないといえば仕方がないのだが、やはり付き合って初めての夏休みで、しかも花火大会。それを誘って行かないというのはどうなんだろう?

「セリア、香織も誘っていいか?」

『もちろんデス! 今から電話しようと思っていたところデス! では、ワタシはエリコを誘うデス!』

「ああ、じゃあ、また集合時間とか場所はまた後で連絡しよう。二ノ宮達の都合もあるだろうし」

『オーケーデス! では、またデス』

 電話を切って日陰から踏み出すと、再び太陽の光が容赦なく照りつける。


「実家に帰る?」

「そう、おじいちゃんがギックリ腰になっちゃって。お父さんも今日は会社に泊まり込みだって言うし。もう優一も聖雪も高校生なんだから、別に一日くらい大丈夫でしょ?」

「まあ、問題はないけど」

 帰ってすぐ、昼飯を食べ終えアイスを食べていた聖雪と目が合い、その後に母さんから今日の夜は母さんの実家に止まるという話をされた。まあ、実家と言っても家から車で一時間くらい離れた所にある。ギックリ腰になったじいちゃんの様子を見に行くついでに、心配だから一日泊まってくるという事らしい。

「晩ご飯は何か作っておかなきゃね」

「そうだ、今日花火大会があってそれに誘われてるんだけど、俺は出店で適当に何か食べるから聖雪の分だけで――」

「え~、私も花火大会行く!」

「え~、聖雪も来んのかよ」

「いいじゃん! それとも何? 私が居ちゃマズイの?」

 マズイという事はない。セリアや二ノ宮と一緒だから完全に香織と二人きりにはなれないだろう。だから、一人うるさい聖雪が増えたところでさしたる影響はない。だが、とりあえず兄として渋ってみた。

「セリアに聞いてみないと分かんないぞ。まあセリアの事だから大歓迎だろうけど」

「やった! という事で、お母さん! 晩ご飯はいいから花火大会資金を!」

 両手を差し出してそういう聖雪を見て、母さんは「はいはい」と呆れながらも微笑ましさを滲ませた声で答えた。

 昼飯はそうめんで、めんつゆにわさびを溶かして啜っていると、インターホンが鳴る。それを聞いて迷わず飛び出したのは聖雪だった。

「いらっしゃい香織ちゃん! ほら! お兄ちゃんさっさとご飯食べないと彼女が来たよ!」

「うるさい」

 ニシシと意地の悪い笑みを浮かべる聖雪に一言言い放つと、その後ろから香織がひょこっと顔を出す。

「お邪魔します」

「あらあら香織ちゃん、いらっしゃい。ごめんね優一がトロくて。ほら優一、急いで食べないと。香織ちゃんを待たせちゃ悪いでしょ」

「分かってるよ」

 どうして我が家の女性陣は俺に対してこんなに厳しいんだろう。そう思いながら最後のそうめんを啜ると、器を持って流しに置く。食器を洗うのは基本的に母さんの仕事だ。だが、最低限流しまでは使った器は持って行くというのは我が家の絶対ルールである。

「香織、聖雪がうるさいから部屋に行こう」

「うるさいとはなんだ!」

 俺と聖雪のやりとりを見てクスリと笑う香織を引き連れて二階に上る。そして、部屋の扉を開けてすぐにクーラーのリモコンを使ってスイッチを入れた。

「優一さんごめんね、ご飯食べてる時に来ちゃって」

「いや、もう食べ終わる所だったから大丈――」

 振り向いた俺の口元に手を伸ばした香織は、俺の口に付いていた薬味のネギを摘まんで自分の口に入れる。

「口に付けるくらい急いで食べてくれてありがとう」

「そ、そうだ、さっきセリアから電話があって花火大会に誘われたんだけど、香織も行かないか?」

 気恥ずかしくなって、俺は恥ずかしさを紛らわすために、早速さっきセリアから電話があった件を話題に上げる。すると、香織はニッコリ笑った。

「やっと誘ってくれた」

「すまん、セリアから電話があるまで全然知らなかった」

「ううん、私も今日誘おうと思ってたし。でも、優一さんから誘ってほしかったから嬉しい」

「ごめん、分かり易く話題にも出してくれたのに」

「気にしないで。でも、ちょっと二人きりじゃないのは残念だな~」

「うぐっ……今度何か埋め合わせする」

「期待してるね」

 そう約束してしまったが、やっぱり初めての花火デートが二人きりじゃないというのは、完全に俺に落ち度がある。香織くらい優しい女の子じゃなかったら機嫌を悪くしてとんでもない事になっている所だ。

「そういえば、香織、浴衣を着てきてくれるのか?」

 ベッドの上に腰掛ける香織に尋ねる。

「うん、お母さんが優一さんと花火大会に行くなら、可愛い浴衣を着ないとねって張り切っちゃって」

 そう照れ笑いを浮かべながら言う香織は、自分の隣をポンポンと叩きながら、俺に隣に座る様に促す。俺が隣に座ると、ベッドに突いた手の上に手の平を重ねて、俺の方を見る。

 その香織を見ると、俺はごく普通に香織の唇を奪った。

 何度しても胸がときめく、心が高揚するキス。そして、そのキスを重ねる度に、俺と香織の距離がどんどん近付いているのを感じる。

「どうしよう、ちょっと二人きりじゃないの、もう許しちゃいそう」

「もう許してくれるのか?」

「う~ん、ダメ! 今許したらもったいないもん」

「もったいないって……」

 内心、多大な期待を持たせてしまう前に許してもらえた方が楽だったのだが、どうやらそう上手くはいかないらしい。これは並の埋め合わせでは許してもらえないかもしれない。

「だって、優一さんならもっと素敵な埋め合わせしてくれそうな気がするんだもん」

「そうキラキラ目を輝かせて言われても、ただハードルが上がるだけで心臓に悪いんだが」

「えへへ、冗談。優一さんと一緒なら、なんでもいいよ」

 こうして香織と一緒に居て、話して、そして手を触れ合っていると不思議に思う事がある。どうして、香織は俺を選んでくれたのだろう、と。不安に思わないと言えば嘘になる。でも、不安というよりも純粋に不思議なのだ。

 ぶっちゃけ、俺は男としては良く言って並。俺より頭の良い奴や運動の出来る奴、それこそ顔の良い奴はゴロゴロ居る。それに対して、香織はよくモテるみたいだ。

 それでも香織は俺を選んでくれた。だから、それには自信というか、誇りは持っている。まあ、その誇りも香織みたいな可愛い彼女が居るという香織に対する誇りだけど。

「優一さん?」

「おう?」

「優一さんは、優しいし頼りになるし、凄く素敵な人だから」

「えっ? いきなりどうしたんだよ?」

「ううん、なんとなくね。なんとなく言わないといけない気になって」

 その時、俺は、やっぱり香織に選んでもらって良かったと、そう心から思った。


「褒めよ!」

「あーにあってるにあってるー」

「ちょっとお兄ちゃん! テキトー過ぎ!」

「おお、我が妹よ! なんて可愛いんだ!」

「なんかキモイ」

「俺にどうしろってんだよ!」

 母さんが出掛ける直前に着付けてくれた浴衣を、クルクル回って俺に見せる聖雪に理不尽な理由で怒られる。聖雪が着ている浴衣はピンク色を基調とした生地に黄色い向日葵が明るくあしらわれている。いつも騒がしい聖雪には似合っている。

「よーし、お兄ちゃん! 出陣だ!」

「戦に行くのかよ」

「そうだよ! 花火大会は人が多くて大変なんだから! 戦争に決まってるじゃん!」

「そうなのか……」

 俺は今まで花火大会に行った経験は一度しかない。あれは、小学校に上がったばかりだっただろうか。父さん母さん、そして聖雪の四人で家の近くの花火大会に行った。そこは河川敷に出店を開いて、対岸の河川敷から花火を打ち上げる地方の花火大会。近くに架かっている橋の上にも人が集まり、もの凄く賑やかだった事は覚えている。

 その花火大会の肝心な花火の感想だが、正直に言うと全く覚えていない。花火よりも河川敷の人だかりによって舞った砂煙や出店から出る煙のせいで終始煙たかった記憶しかない。その経験があまりにも酷すぎて、俺はそれから花火大会に行く気を完全に失っていた。

 でも、今年は違う。なんて言ったって香織と一緒なのだ。それに、身長も伸びてあの頃のように、人が立てた砂煙や出店の煙の混ざった空気を吸うこともないだろう。

「あ! 香織ちゃん来た」

「おい、あんまり暴れると着崩れるぞ」

 バタバタと走っていく聖雪に注意をして、スマートフォンを眺める。

 セリア、二ノ宮とは駅前で集合してそれから花火大会の会場である河川敷に向かうことになる。こっちの河川敷は地面が草に覆われているから砂が舞い上がる心配はない。ただ、この地方でも大きな花火大会らしく、人の多さは覚悟しなければならない。

「優一さん、こんばんは」

「おう、こんば――」

 色っぽい。初めに出てきた言葉はそれで、それから清楚、可憐、優美、そんな言葉が溢れてくる。

 香織は白を基調とした生地に牡丹の花が控えめに咲いた大人しい浴衣を着ている。ただ、その大人しさがいい。聖雪の浴衣のように、主張が強い浴衣でないから、香織本人の綺麗さを邪魔しない。

 長い髪を結い上げ微笑む香織は、高二には見えないくらい数段大人っぽく見える。

「優一さん?」

「お、おう、こんばんは。……その、似合ってるな。めちゃくちゃ綺麗だ」

「ありがとう」

 香織が浴衣を着れば可愛くなるのは間違いないと思っていた。でも、そう確信していてもこれは反則だ。上手い言葉が出ない。似合っている、綺麗、そんな言葉しか出てこないほど何も考えられなかった。

「やっぱり香織ちゃんは綺麗だな~。いいな~私も大人っぽくなりたい~」

「聖雪ちゃん、ありがとう」

「さ、さあ、セリア達を待たせちゃ悪いし行くか」

 立ち上がって焦りながら玄関に歩いて行く。

 どうしたんだ俺は。いつも見ていて、見る度に香織を可愛いと思っている。でも今日は、いつもとは違って胸の高鳴りが治まらない。

 心臓がドクン、ドクンと鼓動し、全身に熱が行き渡る。よく世間では浴衣を見ると涼しげでいいよね、なんて言うが、そんなのはあり得ない。浴衣を見たら熱が上がって治まらない。

 セリア達を待たせるという懸念もそうだが、主に頭を冷やすために外へ出た。しかし、夏の夜はまだ空気が熱い。クーラーの効いた部屋に居たせいか、外の空気はムッとして体に纏わり付いてくる。

 駅前へ向かっている間、後ろから香織と聖雪の楽しそうな声が聞こえてくる。内心、あの香織をまじまじと見ずに済んでホッとしている。あんな強烈なものを平然と見続けられる男はもはや男じゃない。

 周囲を見渡せば、俺達と同じように花火大会に向かうのか、家族連れや友達同士、恋人同士の人々が歩くのが見える。そして、女性だけではなく浴衣を着ている男性も見える。俺はTシャツにジーパンだが、俺も浴衣を着た方が良かったのだろうか?

「やばっ、絶対モデルとかだよ、あの二人。めっちゃスタイル良いし」

「声、かけてみようぜ」

「無理無理、俺達じゃ無理だって」

 駅前まで来てセリアと二ノ宮を探していると、そんな男性の声が聞こえた。なにやらモデルが居るらしく、俺は自然とその方に視線を向ける。そこで、俺は息を呑んだ。

 綺麗なブロンドの髪に赤地に桜柄の綺麗な浴衣。肌は日本人のそれよりも白く透き通っていて、顔のパーツもくっきりとしている。浴衣と外国人の組み合わせ。その一見アンバランスに思える組み合わせが周囲の視線を集めていた。

 だが、それだけじゃない。その隣には髪は派手に染められているのに、藍色の生地に蝶が舞う浴衣。色は大人しい、でもムカツクくらい整った顔とスラリとしたボディラインのせいで、人混みの中でも絶対に見落とさない。そう確信出来る存在感があった。

「オー! ユーイチ! カオリー! ミユキ-! こっちデース!」

 赤い浴衣を着たセリアが俺達に気付いてブンブンと手を振る。そして、藍色の浴衣を着た二ノ宮は俺に不機嫌な視線を向ける。

「遅い。全く、変な男達がこっち見て気持ち悪いんだけど」

 遠巻きからセリアと二ノ宮を見ている男性達を一瞥して、俺に文句を垂れる。俺は何も悪くないのだが、一瞬視線を奪われた俺も居心地が悪くなって視線を逸らす。

「セリアさんも二ノ宮先輩も綺麗ですね」

「ありがとーデス! デモ、カオリもとってもステキデース!」

 笑顔で話すセリアと香織を見ながら、隣に居る二ノ宮が俺の脇を小突く。その前触れのない理不尽な行動に不満の視線を向けると、ニヤッと笑う二ノ宮の顔があった。

「香織、可愛いじゃない」

「ああ、当たり前だ」

「言うわね。でも、変な男に声掛けられないように気を付けなさいよ」

「そんな事言ったら、二ノ宮とセリアもだろう」

 香織が可愛いのは間違いない。でも、二ノ宮とセリアはもう既に男の視線を集めている。しかし、あまりにも綺麗過ぎて尻込みしている男性が多いようだ。そう考えると、愛嬌があって話し掛けやすい香織は、二ノ宮の言うとおり気を付けないといけないかも知れない。

「セリアと聖雪ちゃん、私が見といてあげようか?」

「いや、みんなで回ろうぜ」

「いいの? せっかく私が気を遣ってあげてるのに」

「いや、今日の誘いはセリアだからな。セリアは大勢でワイワイしてる方が一番楽しいだろ?」

「全く、跡野ってそういうやつよね~。分かったわ、目一杯楽しみましょ」

 呆れ笑いを浮かべる二ノ宮が歩き出し、その後ろに聖雪、セリア、香織、そして俺が続く。

 駅から徒歩で数分という所に、国の一級河川に指定された大きな川が流れている。大きいと言っても、利根川とか信濃川とかあんな有名な川ではなく、せいぜいこの辺りで大きい川でしかない。でも、その川に沢山の見物客が集まるのだ。

 河川敷に近付くにつれて、人混みは増していく。左右を人に挟まれ、ただ前に進むだけでも大変な状況にまでなってきた。

「香織」

「うん」

 香織の手をとってギュッと握る。この人混みでははぐれて仕舞いかねない。

「見せつけちゃって」

 茶化す二ノ宮を無視して、隣に居る香織に視線を向ける。ニッコリと笑う香織のうなじにはしっとりと汗が滲む。この人混みで熱気も強い。それに浴衣は見ている方は涼しげでいいが、着てる本人は暑いものらしい。

「暑くないか?」

「ちょっと、暑いけど大丈夫」

「あんまり無理するなよ? 一回倒れてるんだし」

「うん」

 熱中症で倒れた事があるだけに心配だ。どこかのタイミングで冷たい飲み物を買わないといけないかもしれない。

「オー! たこ焼き、焼きそば、金魚すくいデース!」

 遠くに見える出店の幟に目を輝かせるセリアが二ノ宮や聖雪に向かって指差す。チラッと俺の方を二ノ宮が見て、ニッと笑った。

「そういえば私、晩ご飯食べてないんだった」

「俺達も祭りの出店で済ませようと思ってたからまだだな」

「私も、みんなで食べようと思ってたから」

 香織も空気を読んで同意し、俺はセリアに視線を向ける。

「セリア、何か食べよう」

「ハイ! まずはたこ焼きからデス!」

 パッと明るい笑顔を咲かせるセリアが、小走りでたこ焼きの出店へ近付いて行く。それに二ノ宮がちゃんと付いて行ってくれ、その後ろにちょこちょこと聖雪が続く。

「セリアさん、楽しそうでよかったね」

「ああ、あとは花火をちゃんと見れたらベストなんだけどな」

 この人混みでは河川敷からでは、まともに花火を見る事は出来ないだろう。かと言って、橋の上は普通に通行する人が通るだけのスペースしか空いてないだろう。

「聖雪ちゃん? 来てたんだ!」

「あ! ユキちゃんじゃん!」

 二ノ宮とセリアについていった聖雪はどうやら友達に会ったようで、楽しそうに談笑をしている。そして、談笑が終わったかと思えば俺のところに駆けてくる。

「お兄ちゃん、友達と会ったから一緒に見てきていい?」

「分かった。でも、あんまり遅くまでうろつくなよ」

「分かってる。香織ちゃん、お兄ちゃんが迷子にならないように見ててね!」

「うん」

「お、おい、聖雪!」

 聖雪は振り返らず二ノ宮とセリアのところに駆けていき、頭を下げて事情を説明しているようだった。俺は、その聖雪から視線を隣の香織に向ける。

「迷子にならないように頼まれて、うんはないだろ」

「優一さんはちゃんと手を握ってないと、どこか行っちゃいそうだし」

「それは俺の台詞だ」

 二人で同時に互いの手をギュッと握り返す。そして、二人して笑った。

「で? 跡野、この人混みでどうする? こんなんじゃ絶対に花火見られないわよ」

「だよな。てか、こういうのは俺より二ノ宮の方が詳しいだろ。デートで腐るほど来ただろ?」

「舐めないでよ、花火大会で花火見た事なんてないわ。大体、花火見る前に相手の家に連れ込まれてたし」

「えっ!」「ワォ!」

 香織とセリアが、二ノ宮の言葉に二人して顔を真っ赤にして反応する。それを見て二ノ宮は相変わらずニヤニヤと笑っていた。

「でも、どうするかな。せっかくだしセリアには良い感じで花火を見てもらいたいしな」

「あ、あの、優一さん。花火を見るなら、あそこに行けば綺麗に見えるよ?」

 香織が指差したのは、ちょっと離れた所にある台地だった。


 この台地のてっぺんには、この辺りでは山の公園なんて言われている公園がある。その山の公園はちょっと広めの公園で、この周辺の小学校ではよく遠足の場所として使われる場所だ。

 その山の公園の端には四阿あずまやがある。四阿というのは景色をゆっくり眺めたり休憩したりするために作られた屋根がついた建屋で、休憩するためのものなので当然ベンチもある。香織はその四阿で花火を見ようと提案したのだ。

「山の公園に来るのなんて何年ぶりだろ」

「最後に俺が来たのは小六とかだったな」

 四阿のベンチにセリア、二ノ宮が座り俺の隣には香織が立っている。

「香織も座っとけ」

「ううん、優一さんの隣がいい」

 そう言って香織が体をピッタリと寄せて来た時、真っ暗な公園を光りが彩った。

「オー! タマヤー!」

 真っ暗な空に、幾つもの華が咲く。赤や緑、黄色に青。次々と咲き乱れては儚く散っていく。でも、その寂しさを押し退けるかのように、また次の華が咲く。

 久しぶりに見た花火は眩しかった。そして、咲く瞬間に響かせる音が全身を震わせた。俺はこんな綺麗なものを何年も見ずに過ごしてきたかと思ったら、過去の自分に説教をしてやりたくなった。でもきっと、今までの俺がこの花火を見てもこんなに何かを感じる事はなかっただろう。

「綺麗……」

 絶対に、隣でそう呟いた香織が居なかったら、俺はこんなに花火を見て心を揺さぶられてなんかいない。

 花火はしばらく華を咲かせ続け、その度にセリアは飛び上がって歓声を上げ、二ノ宮まで「玉屋!」と叫び出していた。そして、最後の一際大きな華が咲き乱れると、それからは元の真っ暗な夜空に戻った。

「凄かったデス! 日本は素晴らしいデス!」

「そっか、香織がこの場所知ってくれてて良かったな」

「ありがとーデス、カオリ!」

 香織の手を握ってブンブンと振るセリアに香織は笑顔を向けて応える。

「花火が終わったら祭りも終わりね。私はセリアと帰るから。ほら、セリア帰るわよ~」

 興奮の収まらないセリアの手をとって、二ノ宮は歩き出す。セリアは、今度は二ノ宮に身振り手振りで花火の素晴らしさについて語っているようで、二ノ宮はそんなセリアにいつもの笑顔を向けていた。

「セリアさんに喜んでもらえてよかったね」

「花火は香織のおかげだな。前にも見に来た事あるのか?」

「うん、結構昔に」

 二ノ宮達が歩き去ったのを見て、俺は香織に背中を向ける。

「ど、どうしたの?」

「俺が気付かないと思ったか? 履き慣れない下駄なんて履いてるから靴擦れするんだよ。普通にサンダルにすれば良かったのに」

 半ば無理矢理、香織を背中に背負って歩き出す。すると、後ろから香織がボソッと口を開いた。

「優一さんに、可愛いって言ってほしかったから」

「そっか、ありがとな。すげー可愛いよ。ビックリした」

「でも、二ノ宮先輩とセリアさんには見とれてたのに、私の事はあんまり見てくれなかった」

 なんでこうも察しがいいのだろう。不満そうな声の香織に、俺があまり香織を見ていなかった事を指摘されてしまう。

「あんまりまじまじ見ると香織も恥ずかしいだろ?」

「恥ずかしいけど、優一さんに見てもらうために着たのに」

 本当は、俺が見ていられなかったのだ。夏、花火大会、彼女と外出、それだけでも感情が情熱的になる要素は揃ってる。それに可愛い彼女の、可愛い浴衣姿なんて加わったら、もう理性のたがが外れてもおかしくない。

 それを意識してしまったからかもしれない。俺は、背中に乗っている香織の体温を感じた。そして、背中に感じる香織の柔らかさも、手に伝わる柔らかさも、全てが鮮明に、強く、強く、俺に感じさせてきた。

「……香織、今日、親、帰ってこないんだ」

 何を言ってるんだ俺は。まだ俺達は付き合って間もない。それなのに、こんな香織を連れ込むような事なんて――。

「行っても、いいの?」

「えっ?」

 立ち止まって後ろに顔を向ける。香織は少し頬を赤くして、俺と目が合うと、ゆっくりと頷いた。


 家の扉を開けて中に入ると、ゆっくり香織を下ろして下駄を脱がせる。そして、靴擦れの度合いを見るために部屋へ連れて行き、救急箱を持って戻る。

「足、見せてみろ」

「うん」

 右足の花緒と擦れた部分を消毒し、絆創膏を貼ってやる。綺麗な肌の足に触れただけで、胸の鼓動は速くなった。

「ありが――ンンッ……」

 唇を奪う。そしてすぐに、俺は深いキスへ変え、左手で香織の腰を抱き、右手で香織の頭を支える。いつもは終わりが見えるキスが終わらせられない。いつもなら抑えの効く感情が今日は抑えられない。

 息切れするほどキスをして、上気する香織の顔を見た瞬間に、俺は香織の肩をゆっくり押した。

「キャッ……」

 小さな悲鳴と共に香織がベッドの上に倒れ、その拍子に浴衣の胸元がはだける。首筋からくっきりと綺麗な鎖骨、そしてその先にある女性らしさの影さえ見えそうになる。完全に、俺の理性のたがは外れていた。

「んっ……」

 ゆっくり手を伸ばし、香織の鎖骨に指先を触れる。すると、香織はくすぐったそうに顔をしかめて声を漏らした。ああ、可愛い。めちゃくちゃ可愛い。

 首筋にキスをして、俺は右手を香織の胸元に伸ばした。

「い、や……」

 その瞬間、俺の血の気はサッと引いた。

 拒否された。嫌われた。そんな言葉がグルグル頭の中を回る。やってしまった。軽蔑された。軽蔑されたのだ、好きな相手に、大好きな香織に。俺は、拒まれた……。

「ご、ごめ――」

 慌てて体を離そうとした。これ以上近くに居たらもっと嫌われる。そんな恐怖が押し寄せて必死だった。でも、その俺を香織が引き留めた。右手で俺のTシャツの襟を掴み、潤んだ瞳の香織が必死に、遠くへ行ってしまわないように引き留めた。

「イヤじゃないよ、優一さん。イヤって言っちゃうけど、嫌じゃないから……だから」

「香織……」

 初めて触れた香織の体は、柔らかく少しでも力加減を間違えば壊してしまいそうなくらい繊細だった。

 俺はその夜、この世の誰よりも香織の近くに居た。物理的な距離も、心の距離も。

 俺と香織の心は、ピッタリと重なった。

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