11【青嵐】
【青嵐】
「オー、ユーイチにカオリとちゃんと仲直りして下サイ。と、言ったらラブラブになって戻って来たデス」
目の前でメロンソーダに口を付けたセリアが手をパチパチと叩いてニコニコと笑っている。
「私と侑李に怒鳴り散らしたと思ったら、香織とそんな事になってたとはね」
コーラをストローで吸う二ノ宮が、俺の方を見て物凄く不愉快な視線を向けてくる。からかうというよりも呆れられているようだ。
「セリアの反応はまだしも、二ノ宮の反応は酷いな。だから俺は嫌だったんだ」
いつものファミレスの、いつもの窓際の席に座り、向かいの席に座るセリアと二ノ宮を見てため息を吐く。
昨日、香織が熱中症で倒れてから、香織の母親が駆け付け、香織の母親には「香織をよろしくお願いします」なんて言われてしまった。
それで、香織が「みんなに先輩の事を彼氏として紹介したい」なんて言い出すものだから、こんな事になっている。
「優一先輩は私と付き合うのは嫌でした?」
「いや! 香織と付き合うのが嫌という事じゃなくて、二人がからかうのが分かってたから、それが嫌だったんだ」
「そうですか、良かった」
心配そうな顔をしたと思ったらホッと安心した顔になる香織を見て、俺は長く息を吐く。
「ふーん、優一先輩に香織ねー。へー」
「二ノ宮、なんだよその反応は」
「いやー、別にー」
ニタニタする二ノ宮に色々言ってやりたいが、ここは香織に任せる事にしよう。
「で? 跡野は香織の何処が好きなのよ」
香織に任せようとしているのに、二ノ宮は執拗に俺に対して質問を浴びせてくる。
俺は香織に視線を向けてみるが、香織は目を輝かせてこちらを見ている。セリアの方に視線を向けると、セリアは相変わらずニコニコしていて、二ノ宮に視線を戻せば、まあ当然の如くニタニタしている。
「真面目だし一生懸命な所かな」
「他には?」
「よく笑う所」
「それで?」
「少し頼りなくて危なっかしい所」
「だという事は?」
「…………」
「からの?」
「からのはおかしいだろ!」
「何よ、それだけ? 香織の事狙ってた男ならいくらでも居るんだから、そいつらならもっと香織の好きな所挙げられるわよ」
両腕を組んでため息をあからさまに吐き、いかにも呆れたという態度を作る二ノ宮。隣では香織が少しシュンとしている。
「…………か、可愛いだろうが」
「えー、なになにー?」
俺が決心して絞り出した言葉を、二ノ宮がここぞとばかりに弄る。
「髪は綺麗だし小柄だけどスタイルも良いし、美人な顔だけど愛嬌あるし。そんな香織の外見も内面も好きなんだよ!」
あー、とりあえずこの場から走り出したい、逃げ出したい。今すぐに家に帰って部屋に閉じこもりたい。
「優一先輩、ありがとうございます」
隣では、香織が真っ赤な顔でそう言いながら俯く。顔が赤くなって火が出そうなのは俺も同じだ。
「まあ、二人で遊ぶのはこの辺にして。香織、おめでとう。良かったわね」
「は、はい、ありがとうございます」
「でも、彼氏なんだから、せめて優一先輩はないんじゃないの?」
「で、でも、昨日の今日ですし、こ、心の準備が」
「跡野の事を離したくなかったら、目一杯女の武器使いなさいよ。男なんてすーぐ他の女の方に向いちゃうんだから。香織可愛いし、上目遣いして優一って呼んでやれば跡野は当分香織にメロメロよ」
かなり限定的な視点からの男性観を織り交ぜて語る二ノ宮。まあ、二ノ宮はそういう経験が豊富だし、いい出会いもあれば悪い出会いもあったんだろう。それを、二ノ宮は女として香織にアドバイスしているのだ。まあ、軽く俺をチョロい男みたいに言われたのは、遺憾だ。
「あと、やっぱり敬語もダメよ。年上年下で抵抗はあるかもしれないけど、どうしても距離感が離れちゃうから」
うーん、二ノ宮が言っていることはまともに思える。
香織の言ったように昨日の今日だから仕方がないが、あまり付き合っているという実感はない。香織自身もなにか思うところがあったのか、俺の名字ではなく名前に敬称を付けるように変わった。でも、やっぱり付き合う前と何かが劇的に変わったとは思えない。
「私も年上と付き合ってた時はタメ口だったし。まあ時と場合は選ぶけどね。私が知らない彼氏の友達と合う時なんかは、とりあえず猫かぶる」
「二ノ宮、言い方言い方。丁寧になるとかにしとけ」
「だって、私が。初めまして、先輩とお付き合いさせてもらってる二ノ宮江梨子です。なんて言うの見たら、あんたどう思う?」
「笑う」
甘ったるい猫なで声を発してニコニコ笑って言い、スッといつもの顔に戻った二ノ宮を見ての、率直な感想だった。
「いっぺん死ね。せめてそこはちょっとおかしいと思う、とかにしなさいよ」
「いやいや、無理だ。二ノ宮がそんな声出して話してるの見たら笑うに決まってんだろ。二ノ宮の事をよく知らない奴が見たら、可愛いと思うかもしれんけど、散々男に対する愚痴を聞かされてた俺からしたら無理な話だ」
「まあとにかく。私達はもう気を遣うような間柄じゃないでしょ。時と場合と人を選ぶにしても、心の距離はもっと縮めなさい」
「は、はいっ!」
背筋を伸ばして返事をする香織は、チラリとこちらに視線を向け、俺と目が合うとスッと逸らした。彼氏から目線逸らす彼女が居るとは……。
「で、もうキスしたの?」
「「……は?」」
二ノ宮の投下した爆弾発言に、俺の香織はピッタリ重なった疑問を返す。
「えっ!? もしかして、まだしてないの?」
「まだしてないって、昨日の今日だってさっきも言っただろうが!」
「普通付き合ったその日にはするでしょ! 特に二人は良い感じの雰囲気で付き合う事になったんだから、自然とそうなるもんでしょ? いや、跡野の事はヘタレヘタレとは思ってたけどここまでとは思わなかったわ」
「二ノ宮の普通で一般常識を語るな」
付き合って一日や二日でキスする奴が何処に居るんだ。そんなの二ノ宮くらいのものだろう。
「セリアはどう思う?」
「ウーン、イギリス人は基本的に紳士的デス。アメリカや他のヨーロッパの国々の人のように、初対面の人にはキスやハグを積極的にはしまセン」
「ほら、二ノ宮が間違ってるだろ――」
「デスガ、そもそもイギリスでは付き合う前に告白するという習慣がありまセン」
「…………え?」
なんとなくセリアの口調や表情には変化はないものの、話の行く先を不穏に感じる。
「日本人は、出会う、好きになる、告白、付き合う、という過程がありマス。でも、イギリスでは、出会う、好きになる、お互いに好きで付き合っているという認識をし合う、デス」
「お互い好きで付き合ってる認識ってのは?」
「エリコが言ったキスもそうですが、手を繋いだりするのはもちろん、その……体の相性も確かめマス」
「か、体の、あ、相性……」
香織が耳まで真っ赤にしてセリアの言葉を復唱する。
日本人というか俺の中では考えられないが、付き合う前にキスしたり体の関係になったりするらしい。
「相性が分からないのに、何故日本人は付き合うのカ。そう思う人が多いデス。それに、イギリスでは彼氏彼女の関係は結構曖昧デス。お友達の中には、彼女デスと彼の友達に紹介されてカラ、自分が彼と付き合っていると認識する子も多かったデス」
「ほら」
「ほらって、もはやこれは同列に話せる話じゃないだろ。そもそもの恋愛観とか文化が違い過ぎる」
「デモ、日本の文化を勉強する人や、ワタシのように日本へ留学する人は、日本とイギリスの文化の違いは勉強済みデス」
ニッコリとイギリスの文化についてただ教えてくれたセリア。だからセリアは何も悪くない。しかし、物凄く気まずい。
「でも、流石にエッチは付き合ってからよねー。そこは理解出来ないわ」
「イエス、日本人とイギリス人は文化が違いマス。だから、イギリス人は紳士的に日本人に合わせて行動しマス」
「そうねー、イギリス人の彼氏もいいかもなー。めちゃくちゃ上手そうだし」
「生々しいわ!」
ケタケタ笑う二ノ宮の視線の先には、香織が居る。どうやらからかう相手を俺から香織に変えたらしい。
「とにかく、その話は終わりだ」
「えー、国際勉強もっとしたいのにー」
「そういうのは個人でやれ、個人で」
アイスコーヒーを飲んで口を潤す。
「とにかく、香織と付き合う事にはなったけど、二人とも変な気は遣わずに接してくれると嬉しい。俺も、香織も」
「分かったわ」
「オーケー、デース!」
とりあえず話は終わった。二ノ宮に 酷くからかわれて疲れたが、覚悟していた分、多少はダメージも少ない。
「あ、ヤバッ! 部活の時間!」
「あっ、本当だ!」
「二人とも、私達急ぐからっ! またね!」
「エリコもカオリも頑張るデス!」
駆けてゆく二ノ宮と香織にセリアが手を振る。二人が見えなくなると、セリアがメロンソーダを飲んでニッコリ俺に笑う。
俺はセリアに視線を向けて口を開く。
「恥ずかしかったなら別に話さなくても良かったんだぞ」
「ウウゥ……ユーイチにはバレていましたカ」
「結構、言葉選んでたみたいだからな。それに一般的だからって、全員がその通りなわけないし。それは日本だろうがイギリスだろうが関係ないだろ?」
「ハイ、やっぱり恥ずかしいデス……」
「二ノ宮がエッチって単語出した瞬間に、セリアも香織もビクってしてたからな。ちなみにセリア、二ノ宮にもバレてたぞ。あいつ、完全に人をからかう時の目をしてたし」
「ノー、エリコにもバレていましたカー……」
「香織は恥ずかしさでいっぱいいっぱいだったみたいだけどな」
耳まで真っ赤にして恥ずかしがる香織は、香織には申し訳ないがめちゃくちゃ可愛かった。しばらく見ていても飽きない、なんて言ったらきっと怒られるだろうけど。
「ユーイチは恥ずかしくないデスカ?」
「男はなー、大抵男が寄ればそんな話ばっかりだし。二ノ宮に限っては、散々、誰はヘタクソだったとかそんな話しょっちゅう聞かされてたし」
「ユーイチもそういうお話好きですか?」
スッと顔を近付けてきたセリアが、首を傾げる下から見上げながら尋ねる。正直、困るとしか言いようがない。
「うーん……それは答えなきゃいけない質問か?」
「ユーイチが困っているようなので、勘弁してあげマース!」
ニコニコ笑ってメロンソーダを飲むセリアに、俺がからかわれたと分かったのは、セリアがパチッと俺にウインクをした後だった。
次の日、朝学校に来るとセリアと共に職員室へ呼び出された。もちろん呼び出す主は、サッカー部顧問でもあり俺のクラスの担任でもあるグリズリー先生だ。
「跡野、セリア、今日から三週間、教育実習をする生駒だ」
唐突に紹介された俺は、視線を先生の手が向いている方向に向ける。
一言で言うならイケメン。もう少し表現を変えるなら爽やかな好青年。そんな印象だった。
「生駒修介です。よろしく」
「跡野優一です。よろしくお願いします」
「セリア・カノーヴィル、デース。ヨロシクお願いしマース!」
とりあえず、挨拶をしてはみたものの、教育実習生が来るなんて聞いてない。
「この二人はうちの委員長と副委員長だから、先に紹介しておく」
この委員長と言うのも、勝手に「丁度二人年上が居るから委員長は跡野で、副委員長はセリアな」と、先生が決めてしまったのだ。まあ、実際は委員長が一番楽なんだけど。
「おお、セリアちゃんか。可愛いねー」
「ありがとーございマース!」
「で? 俺とセリアが呼び出されたのは紹介だけなんですよね?」
ニッコリ笑ってセリアに話し掛ける教育実習生から視線を外し、先生に向ける。
「生駒も勝手が分からんだろうから何かあったら色々とフォローしてやってくれ」
「分かりました。じゃあこれで失礼します」
「ユーイチ! 待って下サイ!」
廊下に出てしばらく歩くと、後ろを振り返って誰も居ない事を確認する。そして、隣に居るセリアに小さなこえで話し掛けた。
「セリア、あの人には気をつけろよ」
「ハイ?」
「あの教育実習生、あの人にはあんまり深く関わるな」
「オ、オーケー、でも、どうしてデスカ?」
「男の直感だ」
セリアの事を褒めた時、あの実習生はセリアの全身を見た時にニヤリと口元を歪めた。どう見たって、女を物色してる男の目だった。
自然にやってるんだろうが、傍から見ていたら分かり易かった。
セリアは見た目がいいからそういう視線を浴びすぎてなれてしまっているのかもしれない。だから余計なお世話かとは思ったが、注意しておくに越したことはない。
「初めまして、生駒修介です。この高校の卒業生で皆さんの先輩になります。なので、先生という堅い呼び方ではなく、先輩と気軽に呼んでください。一ヶ月間、よろしくお願いします」
朝礼中に紹介され、爽やかな挨拶をした教育実習生、生駒修介は一気に女子生徒の視線を集めた。そしてその噂は瞬く間に全校に広がり、うちのクラスには生駒修介を見るための野次馬が出来るようになった。
「生駒先輩は彼女とか居るんですか?」
「今は居ないね。募集中かな?」
「キャー、私、先輩の彼女に立候補しようかなー」
何が「募集中かな?」だ。それに群がる女子も女子、としか言いようがない。確かに顔は良いし勉強も出来るみたいだし、スポーツも出来るようだ。もうどこからどう見ても完璧だろう。でも、一瞬でもその内面をチラリとでも見てしまえば、そんな外面なんて意味は無い。
「優一さん、あの……その……」
「ん? どうした香織」
「今日、今日はいい天気、だね?」
「天気? 香織……外、物凄く曇ってるけど。まあ、暑くないって意味ではいい天気だな」
「えっと、先生も、教育実習生が来るなら前もって教えてくれれば……いいのに、ね!」
「……ごめん香織、それは反則だ」
「えっ?」
「一生懸命タメ口を使おうとしてるの、めちゃくちゃ可愛い」
我慢し切れずに言うと、香織は耳まで真っ赤にして俯く。
「オウ、ユーイチも見せ付けマスネー」
「セリア、からかうな。ちゃんと他には聞こえないくらいの声で言ったからセーフだ」
香織がもっと俺に近付いてくれようとしてくれているのが可愛くて、嬉しかった。俺も今度からは可愛くて愛おしくても、我慢してやらないと香織の頑張りを無にしてしまう。
「駿河さん」
「あっ、はい。生駒先輩、どうされました?」
「うん、次の授業、理科室なんだけど案内してもらえるかな?」
「は、はい、分かりました」
歩き出す香織と生駒先輩の間に立ち、ニッコリと笑みを浮かべる。
「生駒先輩、俺が案内しますよ」
「ん? ああ、ごめん。駿河さんはサッカー部のマネージャーだって聞いたから、今のサッカー部の話を聞きたくて。また君には頼むよ。駿河さん、行こうか?」
「えっ? あっ、はい」
二人について歩き出そうとした俺の手を、後ろからセリアが掴む。
「ユーイチ、先輩はカオリに案内を頼んだだけデス」
「そうだな」
そう、生駒先輩はただサッカー部のOBとして、サッカー部のマネージャーである香織から、サッカー部についての話を聞きたいと言っただけだ。それは何も不自然な事ではない。
だけど、俺には生駒先輩が見せた、セリアへの視線の動きが頭から離れない。あんな目で香織が見られていると思うと、はらわたが煮えくり返りそうだった。
学校が終わり、家に戻った瞬間に、俺は持っていた鞄を放り投げ、ベッドの上に体を投げ出す。
放課後、セリアが気を遣ってくれて、寄り道をしてきた。途中で休憩した時に、セリアに「心配無いデス! カオリはユーイチが大好きデス!」と励まされた。セリアの優しさは嬉しかったが、そんなわかり易い言葉で励まされなければいけないほど、落ち込んでいる自分に腹が立った。
ベッドのスプリングの軋む音が聞こえなくなるまで動かず、軋む音が聞こえなくなった瞬間に拳をベッドの上に振り下ろした。ボフッという拳が布団に埋まる音を聞き、口からは苦々しい言葉が漏れる。
「クッソッ!」
生駒先輩は事ある毎に香織に話し掛け、頼み事をし、昼飯まで一緒に食いやがった。今、注目の的である生駒先輩に引っ張り出されれば香織も断ることなんて出来るわけがない。
そのせいで、今日はまともに香織と話をする事も出来なかった。
今までは何気なく香織と話をしていたに昼飯はセリアを交え、時々二ノ宮が乱入してきたりして、楽しい時間だった。それが、生駒先輩が現れた事によってガラリと変わった。
「メールか?」
ポケットに入れたスマートフォンが震えて、俺はモゾモゾと手を動かしてポケットからスマートフォンを摘んで引き出す。画面表示されているのは電話の着信で、その電話の発信者は香織だった。
「もしもし!? 香織か? 何かあったのか?」
『ゆ、優一さん、なんで私が電話すると何かあったって思うの?』
「いや、電話なんて久しぶりに掛かってきたから……」
『何かないと、電話しちゃだめ?』
「い、いや、そんな事は無いぞ」
ベッドの上に座りフッと息を吐いて電話に耳を澄ませる。
『今日、あんまり優一さんと話せなかったから』
「まあ、仕方ないだろ。サッカー部のOBだから話しやすいのかもしれないし」
『うーん、でも、お昼は優一さんとセリアさんで食べたかったんだけどなー。やっぱり落ち着かないし』
本当は無視してしまえ、と言いたい。でも、香織がそんな事を出来ないのは分かっている。それに、俺の単なるわがままでしかない。
『えっと……今、部活終わったんだけど、その……ちょっとだけでも会えないかな、って』
「今すぐ行く!」
電話を切らずに財布を持って部屋を出ようとすると、電話の向こう側から聞きなれた声が聞こえた。
『香織、生駒先輩の奢りでカラオケ行こうって』
『あっ、二ノ宮先輩、私ちょっと用事が』
『なら仕方な――』
『ダメだよ、香織ちゃん。先輩が行こうって誘ってるんだから行かないと。付き合いも大切だ』
はっ? 香織、ちゃん?
二ノ宮の声の後に聞こえた、あの耳障りな爽やかな声は生駒先輩だった。
『生駒先輩、本当に用事が』
『ほらほら、学校内での通話は校則違反だぞー』
『あっ、ちょっと待って下さ――』
ツーッツーッという音が電話から聞こえる。電話が切られた音だ。そのすぐ後、スマートフォンが震えて、俺は画面を見ずに電話を受ける。
『もしもし?』
「二ノ宮か」
電話の向こうから、小さな舌打ちの音が聞こえる。
『あんた、どこからそんな声出してんのよ。死にかけのゾンビみたいじゃない』
「すまん」
『……突っ込む余裕もないか。全くあの女たらし、ふざけんじゃないわよ』
「二ノ宮は、分かってたのか」
『分かってたのかって、あんなの典型的な女たらしじゃない。あの顔と声、気持ち悪くて寒気がするわ』
「そうか……」
なんとなく、あいつに危機感を覚えているのは俺だけなのではないかと思っていたが、それが一人じゃないと分かり少し安心出来た。
『ごめん、跡野。一応香織にも聞いた体裁作って断ろうと思ったんだけどダメだった』
「いや、二ノ宮は悪くない」
『もー、あんたらしくない、そんな湿っぽい声出しちゃって……男なんだからしっかりしなさいよ』
「すまん」
全くその通りなんだが、そう簡単にはいかない事もある。
『安心しなさい。私が香織の壁になるから。一年は生駒先輩を見て騒いでるけど、彼氏持ちの子とか私達はいい迷惑よ』
「生駒先輩、二ノ宮達にもちょっかい出してんのか」
『出すも何も、見境なく手当り次第よ。私なんか、結構遊んでるみたいだね、今度俺とも遊ぼうよって言われたから。そうなんですー。でも私すごくモテるんで相手は選ぶんです。って言っといた。あー思い出しただけでも腹立つわ、マジウザイ』
どうやら香織や二ノ宮以外にもちょっかいを出しているようで、彼氏が居る人や二ノ宮のように、そもそも好意を持てていない相手からは煙たがられている様だ。
『香織は見た目清楚系で愛嬌あるし可愛いし、多分押せば押し切れると思ってるんでしょ。んな事、絶対させないっての。だから安心しなさいよ』
「すまん、ありがとう二ノ宮」
『あんたには散々愚痴聞いてもらった借りもあるしね。パフェ一つで手を打ってあげるわ』
「分かった。一番高いの奢ってやる」
『んじゃ、香織に、香織の彼氏今にも泣き出しそうな声して心配してたって言っとくわ』
「お、おい」
電話を切られたが、さっきのような絶望感はなかった。味方が居るというだけでもこんなに安心感が違う。それに、二ノ宮ならきっと香織の事をちゃんと見てくれるだろう。
「ん?」
二ノ宮からの電話が終わってすぐ、今度はメールを受信した。メーラーを開いて受信したメールを確認すると、香織からのメールだった。
『さっきは電話途中になってごめんなさい。二ノ宮先輩に話は聞きました。凄く心配させちゃったみたいだけど、私の大好きな人は優一さんだけです。二ノ宮先輩に、優一さんが私の事を心配して泣きそうだったって聞いて、ちょっと嬉しくなっちゃいました。ごめんなさい。明日は絶対にお昼一緒に食べようね。大好き!! 香織』
メールなのに、香織が少し俯いてたどたどしく、顔も耳も真っ赤にして言ってくれている事を想像してしまった。そのメールで、もっと安心出来た。
俺はしばらく考えて、俺が生駒先輩に対して感じた事や、生駒先輩に気を付ける事等を長々しい文章で打ち込む。しかし、それを読み直して、俺は首を振って全消去して打ち直して送信した。
『電話の件は香織が悪いわけじゃないから気にするな。俺も、香織が一番好きだよ』




