10【ユニゾン】
【ユニゾン】
「……あのさ、なんで香織のノルマ分をあんたが私に払うのよ」
「事情は話せない」
「事情話さないなら受け取らない」
「そうか」
差し出した代金を引っ込めて、俺は立ち去ろうとする。その腕を二ノ宮が掴む。
「おいこら、このまま逃がすわけないでしょうが」
「逃がすって、俺は逃げてるつもりはない」
「じゃあ、話していきなさいよ。大体あんた、この前香織とギクシャクしたばっかじゃ――ッ!? ……あと、の?」
俺は腕を掴む二ノ宮の手を乱暴に腕を振って振り解いた。思ったより簡単に腕から二ノ宮の手が外れ、二ノ宮は目を見開いて俺を見る。
「ちょっと、ホントにどうしたのよ。なんかあったの!?」
最初は呆れ顔だった二ノ宮は俺に心配そうな顔を向ける。その顔を見て、俺はまた少し二ノ宮を傷付けたのだと思った。
「もうすぐ部活だろ。忙しい時間に悪かった」
「ちょっと、跡野! 跡野ってば!」
後ろから呼び止める二ノ宮の声を無視して、俺は鞄を持ち直して歩き出した。
駿河と映画を観に行って三日が経った。その三日間、俺と駿河が交わしたのは、おはようとさようならくらい。あとは、お互いに距離を取って話をしようとはしない。
駿河の方は俺に平手打ちをしているのを気にしているのだろうか? 俺は、駿河と話すのが怖かった。そして、今日からは二ノ宮と話すのも怖くなった。物品販売の件は明日、今度は佐原に頼んでみよう。
グラウンドから聞こえる運動部のかけ声を背中に聞きながら校門まで来ると、校門のど真ん中で視線を集めるブロンド髪の女子生徒が仁王立ちしていた。
「ご用改めである! 神妙にお縄につけ! デース!」
ビシッと人差し指を俺に突き出したセリアは、下校する生徒でごった返すど真ん中で、恥ずかしさを見せずそう言った。周りの生徒からはクスクスと笑う声が聞こえる。でも嘲笑するような笑いではなく、穏やかな見守るような笑いだった。
「セリア、悪いな。今日は用事があるんだ」
「ノー、ユーイチに三日連続で用事があるわけありまセン!」
セリアの横を通り過ぎようとした俺の腕をセリアが掴み、人差し指を立てて横に振る。そのセリアに、俺はため息と共に言葉を返した。
「何気に自分が酷い事言ってるって分かってるか?」
「エリコが、ユーイチに用事があるわけないと言っていまシタ! だから間違いありまセン」
「あいつ……」
セリアの二ノ宮に対する信頼の強さと二ノ宮の俺に対する評価に思う事が大いにある。だが、そこをセリアに追求してもなんの意味もない。
「ユーイチ、ちょっとワタシとお話しするデス」
「セリア、何か分からない事があるのか?」
「どうして、ユーイチはカオリを避けるデスカ? どうして、カオリはユーイチを避けるデスカ?」
「……駿河の事は駿河に聞いてくれ」
「オーケーデス。では、今日はユーイチの事を聞くデス。カオリには明日聞くデス」
腕を掴んだまま離そうとしないセリアを振り解こうかと思った。でも、さっきの二ノ宮との事がある。それも、躊躇われた。
「今からユーイチのお家に行くデス!」
セリアの言葉に、周りで遠巻きに見ていた生徒達がざわつく。
「話すなら別にどこでもいいだろ」
「人がイッパイだと話し辛いデス。ワタシも、ユーイチも」
セリアは笑っていた。そのセリアの笑みは、完全に俺を気遣う笑みだった。
家に帰って玄関を開けると、ドタドタと中から聖雪が出てくる。
「お兄ちゃんおか――お兄ちゃんが美人な外人さん連れてきた!!」
「えっ!?」
聖雪の遠慮無い叫び声に奥から母さんが顔を出し、俺と俺の隣に居るセリアを見て口元を手で覆って驚いた表情をする。
「ハ、ハロー?」
何故か挨拶をしているのに疑問系の母さんに、セリアはニッコリ笑って頭を下げる。
「コンニチハ、ユーイチさんのクラスメイトのセリア・カノーヴィルと言いマス。いつも、ユーイチさんには仲良くさせてもらっていマス」
「セリア、そんなのどこで覚えたんだよ」
「マンガで、ボーイフレンドの家に初めて行ったヒロインが言ってまシタ!」
「「ボーイフレンド!?」」
親子だからなのか、まったく同じタイミングで同じ声を上げる母さんと聖雪に、俺は頭を右手で押さえながらため息を吐く。
「マンガの話だからな、マンガの。聖雪はセリアの事知ってるだろ、同級生なんだし」
「で、でも、こんなに近くで見るのは初めてだし! それにお兄ちゃんが家に連れ込むなんて!」
「聖雪、せめてそこは家に連れてきたにしといてくれ。連れ込んだだと俺が無理矢理連れ来たみたいだろうが」
俺がそう不満そうに聖雪に言うと、隣に立っていたセリアが聖雪の手を握ってニコニコ笑う。
「オー、初めまして! ユーイチのシスターですネ? セリアとお呼び下サーイ!」
「あ、跡野聖雪でーす。よろしくお願いしまーす、セリアさーん」
「聖雪、お前まで日本語がおかしくなってるぞ」
とりあえず玄関で靴を脱いで上がると、セリアは丁寧に靴を揃えて向き直った。
「まあ! 礼儀正しいわね!」
「ハイ、礼に始まり礼に終わる。日本人の基本デース!」
「どっちかというと、主に武道の言葉だけどな、それ」
「ノー、日本人はいつでも礼儀正しいデス! 日本人のとても良いところデス」
とりあえず、母さんと聖雪から熱視線を浴びるセリアを二人から遠ざけるため、二階に上がって俺の部屋の中に案内する。
「飲み物持ってくるからここで待っててくれ」
「お構いなくーデス!」
キョロキョロと部屋を見渡すセリアに一抹の不安を感じつつも、俺は一階に下りてダイニングに向かう。
ガラスのコップを二つ出し、冷蔵庫に冷やしてあるお茶を注いでいると、隣に聖雪が並んでくる。
「お兄ちゃん、セリアさんと仲が良いなんて初耳なんだけど」
「んあ? ああ、言ってなかったけ? 同い年だし席が隣だからな」
「おお! お兄ちゃんやるね!」
「なんで褒められてるのかはよく分からんけど……」
ニコニコ、ニタニタ、ニヤニヤする聖雪に、怪訝な表情をわかり易く伝わりやすく向けていると、後ろから今度は母さんが顔を出した。
「綺麗な子ね。外人さんをあんなに近くで見たの初めてよ」
「セリアは動物園のパンダじゃないんだからあんまりまじまじ見るなよ。セリアに失礼だ」
「ごめんなさい、でも優一も隅に置けないわね。香織ちゃんに二ノ宮さんに音瀬さん。それにセリアさんまで」
「大きな勘違いをされてるけど、みんなただの友達だからな」
聖雪も母さんも、ただ連れてくる友達が女子というだけで何やら色めきだつ。二ノ宮は無理矢理上がり込んでくる事が、部活をやっている時から多々あったが、音瀬は時々しか来たことがない。それに駿河は俺の記憶では退院祝いの時に来たのが初めてだったし、セリアも今日が初めてだ。
それがたまたま近い日数に寄っただけで、聖雪にニタニタされたり母さんにニッコリされたりする理由もない。
「じゃあ、セリアは何か話があるみたいだから上に行くわ」
「お兄ちゃん! 後でちゃんとセリアさんを紹介してよね!」
「分かった分かった」
まあ、話が終わった後にそんな和やかな雰囲気になるとは思えないが、適当に聖雪をあしらって上へ行く。
ここ三日間、俺と駿河のギクシャクはセリアが一番感じていたのだろう。なんせ、いつも俺や駿河の間を行ったり来たりして会話を広げようとしていた。
正直、セリアには申し訳なかった。でも、どうしても駿河には話し掛けづらかったし、駿河も俺に話し掛けづらかっただろう。だから、間にセリアが入っても駿河は困った笑顔を浮かべるだけだったし。俺は適当に相槌を打つくらいだった。
「今日くらいしか謝る機会はないよな」
セリアがせっかく作ってくれた機会だ。色々と迷惑を掛けた分、今日謝っておこうと思った。
二階に上がり部屋の扉を開けると、そこにはこちらにお尻向けているセリアの姿があった。
「……セリア、何してんだ?」
「オ、オー、ユーイチ、ハヤイデスネー」
セリアがいつにも増して片言の日本語で苦笑いしながら答える。いや、答えると言っても質問の答えにはなっていない。
どうやら、俺のベッドの下に頭を突っ込んでいたようで、アハハと笑うセリアにため息を吐いて、テーブルの上にお茶を置いた。
「オー、ありがとーございマース!」
「で? 何してたんだよ」
「いえ、男の子の部屋を訪れたらベッドの下を確認するのは定番デース」
「どんな定番だよ」
「デスガ、ユーイチのベッドの下には何もありませんでした……」
「なんでちょっと残念そうなんだよ」
「せっかくユーイチの女性の好みを知る良い機会だったのデスガ……」
「知ってどうする気だよ」
「エリコとカオリに話しマース」
ニッコリ笑って言うセリアに若干の恐怖を感じる。セリアに何か知られると二ノ宮と駿河に筒抜けになりそうだ。
「それで? ドコにあるデスカ?」
「何がだよ」
「セクシーな本やDVDデス」
「残念だが、俺の部屋にはどっちもないぞ」
コップのお茶を飲みながら答えると、セリアは驚愕の表情を浮かべる。
「ユ、ユーイチ、ダ、ダイジョーブ、デスカ?」
「なんでそこで俺が心配されないといけないんだよ」
「もしかして、ユーイチは男性が好きなのですか? でも、ダイジョーブです。国際的には、広く認知されているデス!」
「残念だが、俺の恋愛対象は男じゃなくて女子だよ」
「良かったデス! 安心しまシタ」
両手でコップを持ち、チビチビとお茶を飲むセリアがコップを置くのを待って、俺は口を開いた。
「セリア、変に気を遣わせて悪かったな」
「ノー、親しき仲にも礼儀あり、デス!」
「……セリアには、俺が留年した理由を話してなかったな」
そう、セリアは俺が留年した理由は知らない。俺が知らないだけで誰かから聞いているかもしれない。でも、セリアは俺に留年した理由を聞こうとはしなかった。
「なんで、聞かなかったんだ?」
「ユーイチが話さなかったからデス」
「そうか、ありがとう」
「ユーイチの事はユーイチから聞きたかったデス。だから、誰にも聞いてまセン」
「そっか、ありがとな。……俺は、二年の時に事故に遭ったんだ」
俺は事故の事をセリアに全て話した。駿河を庇って事故に遭って十ヶ月意識を失った事。そして、その事を駿河は今でも気にしている事を。それを聞いたセリアは自分の持っているコップを見詰め口を開く。
「カオリ、きっと辛かったデス。ユーイチが自分のために怪我をした事、すごく辛かったはずデス」
「ああ、それで、その事故のせいで俺は色んな人を変えちゃったんだ。佐原や二ノ宮、その他の人達、もちろん駿河にも。俺はみんなに暗いネガティブな部分を作ってしまった」
「ノー、それはユーイチの責任ではありません」
「それは駿河にも言われたよ。でも、やっぱり俺が引き起こした事には間違いないんだ」
「……ユーイチは優し過ぎるデス。ユーイチはみんなの事大好きデス。みんなが悲しくなるの嫌デス。だから、みんなが嫌になる事止めようとしマス。止められなかったら、全部ユーイチのせいにしマス。それは、とても良くないデス。ユーイチが、みんなが傷付くのが嫌な事と同じように、みんなもユーイチが傷付くの嫌デス。ワタシもユーイチが傷付くの嫌デス」
セリアは穏やかな表情で言う。俺が、みんなが傷付くのが嫌なように、みんなも俺が傷付くのを嫌だと思っている。そうならいいと思う。でもやっぱり俺は自己中心的だから自分さえよければいい。自分が傷付いて周りが傷付かなければ――。
「それに、ユーイチはとても大きな勘違いをしているデス。ユーイチが傷付くと、みんな傷付くデスヨ? ユーイチが悲しくなるとみんな悲しくなるデスヨ? ユーイチは、分かっていマスカ?」
「それは……」
「ワタシはユーイチが悲しいと悲しいデス。ユーイチが苦しいと苦しいデス。でも、カオリはワタシよりももっともっと悲しいデス、苦しいデス」
「…………俺さ、駿河に言ったんだ。自分が色んな人を傷付けてるのを見て、意識が戻らなければ良かった。そう後悔したって」
「ノー! それは違いマス! 大間違いデスッ! ユーイチが戻ってこなかった方が良いなんてあり得まセンッ!」
セリアがテーブルの天板に勢いよく両手を突いて身を乗り出し、声を荒げて俺に怒鳴る。セリアにこんなに大きな声で怒られたのは初めてだ。
「ユーイチが居なかったら、ワタシは日本をこんなに楽しめていまセン! カオリやエリコとも友達になれて居まセン! ユーイチが居なかったら、ワタシは独りぼっちデシタッ!!」
こんな明るいセリアに限ってそんな事はないと思った。俺が居なくても持ち前の明るさと社交性で瞬く間に友達を増やしただろう。実際、セリアは俺よりもクラスメイト達と打ち解けている。
「ワタシは不安デシタ。知らない人達ばかりで、日本語も上手く話せまセン。そんな不安をワタシはセンセーに言いマシタ。そしたらセンセーはニッコリ笑って言ってくれマシタ。気楽に話せて面倒見の良いお人好しが居るからダイジョーブ。そう、センセーは言ってくれマシタ。でも、それでもワタシは不安で、最初が肝心だとガンバッテあいさつしマシタ。そしたら、一人だけワタシを見て変な顔をした人が居まシタ。それが、ユーイチ、あなたデス」
「俺の事を褒める流れだったのに、全く褒められてる気がしないんだが……」
「ノー、ワタシはすぐに気が付きマシタ。この人がセンセーの言っていた人ダト。ワタシはみんなと話すときに少し無理しマス。日本語間違えないように、間違えて嫌われないように、気を付けマス。でも、ユーイチはそんな事ゼッタイに気にしまセン。ユーイチはワタシの見た目ではなくて中身を見てくれマス。それはカオリやエリコも同じデス。でも、ユーイチは凄く凄くそうデス。だから、ユーイチに無理しまセン、気を付けまセン。ゼッタイにユーイチはワタシを嫌いにならないカラ」
「それは他のクラスメイトもそうだろう」
「ノー、クラスに初めて来た時から変わらず、話し掛けてくれる人は少なくなりまシタ。みんな、きっとワタシが日本人ではないから珍しかったのデス。それが普通になれば、もっと珍しい方に行ってしまいマス」
そんな事には全く気が付かなかった。確かにセリアが編入してきた頃から比べればクラスの中は落ち着いているようには思えていた。でも、それでクラスメイト達のセリアへの接し方が変わったなんて思ってもいなかった。
「でも、ユーイチは最初からワタシが話さないと話してくれないデス」
「いや、ちゃんと必要とあれば俺から話すだろ?」
「オー、ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセーン」
「ちゃんと日本語だって分かってるじゃないか」
おどけてそう言ったセリアはニッコリ笑う。
なんだかセリアに話したら、自然とすっきり出来た気がした。いや、すっきりというよりも安心したというのが正しいと思う。
いくら駿河が俺の存在を認めてくれても、駿河は俺の事故を目撃した一人でその事故について責任を感じている。そこにある一定の遠慮があってもおかしくはない。でも、セリアは今年から友達になって事故の事を知らなかった。それでも、俺は必要な人間だと。俺が些細な事でもポジティブな何かを誰かに与えられたと。ただネガティブをまき散らすだけの奴ではないと認めてくれていた。それが、凄く安心した。
「お兄ちゃん、そろそろお茶のおかわりが必要だよね? お菓子が必要だよね?」
扉をノックしてそろーっと顔を覗き込ませた聖雪が恐る恐る俺に尋ねる。どうやら耐えかねて顔を出しに来たようだ。
「ああ、そうだな、そろそろ何か食べたいなって思ってた頃だ。せっかくだし、聖雪も――」
「セリアさん! セリアさんって凄く綺麗だしスタイル良いですね! なにか特別な事してるんですか?」
俺が許可を出した途端、セリアの隣に座って身を乗り出して質問を浴びせる聖雪。その聖雪にセリアはニコニコと眩しい笑顔を浮かべる。
「ノー、特別な事はしていまセン。でも、夜更かし、はしないようにしていマス」
「や、やっぱり寝る子は育つんですねっ!」
聖雪の視線がセリアの顔ではなく胸部に注がれていたように見えたが、俺は既に蚊帳の外に放り出された身なのでコップのお茶を飲んでボーッと二人の会話を見る。
また、駿河を傷付けた。今度は許してくれるだろうか?
いつの間にか、俺の心配は確実に一歩先へ進んでいた。
「ウーン! とっても楽しかったデス!」
「すまんなセリア。聖雪が話しまくって」
「ノー! ミユキ、とってもキュート、デシタ! ワタシにはシスターもブラザーも居ないので、とてもとても嬉しかったデス!」
「そっか、学校で会ったりまた家に来て会ったりしたら構ってやってくれ」
「オウ? またユーイチのお家に行ってもいいデスカ?」
「当たり前だ。友達だからな」
「ありがとーデス、ユーイチ!」
ニパッと笑うセリアは少しスキップをして俺の数歩先でクルリと反転する。見た目は同年代より大人っぽいのに、性格は同年代より子ども。無邪気で好奇心が旺盛で感情表現が豊かで、それでいて危なっかしい。もしセリアが一組ではなく別のクラスに所属していたらどうなっていただろうか? 彼女の面倒を見る人は相当苦労するだろうという事は、笑いが出るほど簡単に想像出来た。
「ユーイチ、ココまででオーケーデス!」
「そうか」
「ちゃんと、カオリと仲直りしてくだサイ。良いデスカ?」
「ああ」
「良かったデス!」
セリアは俺の目の前に戻って来て、俺の顔をマジマジと見詰めた後、ニッコリと笑った。
「いつものユーイチの顔です」
「いつもの?」
「面倒くさそうなだらーっとした顔デス!」
「うわー、全く嬉しくないな、それ」
分かれ道の方にピョンっと跳躍したセリアはブロンドの絹糸のような髪をなびかせ、体の後ろで両手を組んで顔だけこちらに振り返る。
「また明日デス!」
「ああ、また明日」
セリアの後ろ姿を見送って、俺は元来た道を戻ろうとする。しかし、途中でその足を止めた。
今、行けばきっとサッカー部の練習終わりに間に合う。
明日でも良いと言えば明日でも駿河に謝る事は出来る。でも、もし明日だったらセリアにまた明日気を遣わせてしまう。また明日、駿河を傷付けたまま明日を過ごさせてしまう。今日謝れる機会があるのなら、出来るだけ早く謝っておいた方がいい。もう三日も何も出来ていないのだから。
振り返り、学校へ向かう道を歩き始める。
どう謝ろう、まずは「ごめん」からだろう。その次は「意識が戻らなければ良かったなんて言ってごめん」だろうか。後はどうすればいい? 「また駿河に心配を掛けた」「また駿河に嫌な思いをさせてしまった」それで駿河は許してくれるだろうか?
少しだけ、不安で歩く足が鈍る。もし、駿河が許してくれなかったら……。
不安が少しずつ増す中、学校の校門が見えてきた。まだ日は沈みきっておらず明るい。
校門を潜り中に入ると、未だ元気な運動部のかけ声が聞こえてその体力に驚いた。俺も部活をやっていた頃はそれだけの体力があったのかと、なんだか過去の自分がすごい人間のように思えた。
サッカー部の選手達がミニゲームをしているのが見えた。レギュラー陣に混じる例の一年、神崎の姿が見える。
「結構、ワンマンな性格かと思ったけど、ちゃんとチームプレイするんだな」
俺への接し方とか二ノ宮の話から想像すると、自分に自信があり過ぎて独りよがりなプレイをするのだと思っていた。でも、ミニゲームではよくパスを回して周りの選手を使っている。もちろん、高い個人技で切り込んでいく場面も見えるが、それは完全に独りよがりで無茶苦茶なプレイではなかった。
日本代表はすげー、率直にそう思いながら近付き、近くにあるグラウンドを囲ったネットの支柱にもたれ掛かる。そして、視線を左右に動かすとグラウンドの端で談笑する二ノ宮が見えた。
「相変わらずだな」
こちらに風の音の間から二ノ宮の明るい笑い声が届いて、周りに居るマネージャー達がそれに釣られて笑っている。音瀬もニッコリと笑って二ノ宮の話に耳を傾けていた。
「あれ? 駿河?」
俺は、二ノ宮や音瀬から少し離れた所に立つ駿河に視線を向けた。視線はミニゲームをする選手達に向けられているように見える。でも、俺からは何かを見ているようには見えなかった。視線が定まっていない。ドリンクキーパーを置いたテーブルに手を置いて体を支えている。それに何より……。
こんなに日が照っているのに、汗をほとんど掻いていない。
「マズイ……」
そう思わず口に出た時だった、視線の先に居た駿河はスッと体の力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。そして、テーブルの上に置かれたコップが衝撃で落ちて、軽い音を響かせた。
「するがぁああ!!」
そう叫んで駆けだした。グラウンドに居た運動部が一斉に俺を見る。そして、サッカー部のマネージャー陣が近くで倒れた駿河に視線を向けて慌て始める。
「香織!」
二ノ宮が駿河に駆け寄る、それとほぼ同時に俺も駿河に駆け寄った。
「二ノ宮、救急車! 音瀬! 氷と水、ビニール袋とドリンク!」
振り向きもせず、すぐに倒れた駿河の体を抱き抱える。その体は驚くほど軽かった。
駿河を抱き抱え、部室棟の屋根で影になったコンクリートの上に下ろす。そして、駿河が着ていたジャージの、上着のファスナーを下ろして前を開く。ジャージの長ズボンを引きずり下ろして脱がし、短パンに入っていたシャツを引っ張り出した。
「お前! 駿河先輩になにやって――」
「邪魔だ退け!」
「イッテッ!」
横から俺の腕を掴んできた神崎を乱暴に突き飛ばす。神崎には目もくれず後ろに向かってやけくそに怒鳴り付ける。
「音瀬早くしろ!」
「は、はい!」
マネージャー数人で俺が叫んだ物を持ってきた音瀬が俺の側にそれらを置く。俺はその内の、二本ある二リットルの水が入ったペットボトルの蓋を開けて、ペットボトルを傾ける。水を駿河の体全体に掛けていく。そして体全体に水を掛け終えると、ビニール袋に氷ともう一本のペットボトルの中身を入れて、口で袋の中の空気を吸い込んで抜き、簡易的な氷嚢を急いで作る。
「マネージャー! 首の付け根と脇の下、足の付け根を冷やせ!」
マネージャーに水嚢を放り投げて指示をし、俺はサッカー部の部室の扉を乱暴に開け、ろくに確認せずに筆記用のバインダーと簡易ベンチを引っ張り出す。
「何でこんな気温が高くなってきてるのに厚着してるんだ!」
ベンチを開いてその上に駿河の両足を置き、バインダーで駿河に風を送りながら吐き捨てる。こんな時期に長袖長ズボンで外に居るなんて正気じゃない。
「ひ、日焼けを気にして」
「んなの知るか!!」
駿河を冷やしながら震える声で言った一年生らしきマネージャーに怒鳴り付ける。その一年生は悪くない。俺のただの八つ当たりだ。
「駿河! 起きろっ! 駿河ッ!!」
必死に仰ぎながら駿河の名前を呼び続ける。
ふざけるな。俺はまだお前に謝ってないんだぞ。このまま意識が戻らないなんて許すもんか。絶対に駿河に許してもらえるまで諦めない。絶対に、絶対に……。
「せん、ぱ、い……?」
「駿河! 俺が分かるか?」
「あ、れ? ……先輩、なんで……ここ、に……?」
俺はすぐに近くに置いてあったドリンクの入ったボトルを手に取る。蓋を引っ張り開け、ボトルの口を駿河の口元に持っていく。
「飲め!」
「は、い……」
ボトルをゆっくり指で押し潰して駿河の口にスポーツドリンクを流し込む。駿河の喉が動き、スポーツドリンクを飲んでいるのが確認できた。
「跡野! 救急車来た!」
二ノ宮と一緒に、こちらに担架持った救急隊員が駆けつけてくる。救急隊員は駿河の側にしゃがんだ。救急隊員はサッと周りの状況を見渡して俺の肩を三回強く叩いた。
「よくやった。状況を説明出来るか?」
「五分前にグラウンド内で意識を失って倒れました。すぐにここに運んできてジャージを脱がせて服を緩めて、全身に一リットルの水を掛けました。その後に水嚢で首の付け根、脇の下、それと足の付け根を冷やしています。ついさっき意識が戻って少量ですがスポーツドリンクを飲みました」
「分かった。あとはこちらで引き継ぐ。すぐに搬送するぞ!」
俺は救急隊員の邪魔にならないようにすぐに駿河から離れる。救急隊員達は素早い行動で駿河を担架に乗せて救急車まで運び、すぐに病院へ向かって走り出した。
遠くなる救急車のサイレンの音を聞きながら、俺は手に持っていたボトルを地面に叩き付けた。鈍くコンクリートにボトルが叩き付けられる音が響き、白いコンクリートの上に中身が溢れ出る。
「二ノ宮! 音瀬! お前等何やってたんだッ!!」
「…………」
「ご、ごめ――」
「ごめんで済むわけないだろうが!」
俯いて黙る音瀬と謝罪の言葉を口にした二ノ宮に怒鳴る。
「お前等上級生だろうが! 下級生の面倒見る立場だろうが! なのになにやってんだ!」
駿河は熱中症になったのだ。しかも、意識喪失の症状は最も重症とされる三度。すぐに救急車で搬送し病院で適切な処置を受けなければいけない状態。そんな状態になるまで放置した二人を含めた三年の責任は大きい。
「跡野――」
後ろから俺の肩に手を置いた佐原の胸ぐらを掴み、部室棟の壁に背中から押し付ける。
「佐原! てめえキャプテンだろうが! 何してんだっ!」
「すまない……」
佐原に怒るのはお門違いだ。選手に目を配り、自身もミニゲームをプレイしていた佐原にマネージャーの駿河にまで気を配れというのは酷な話、無理な話だ。でも、怒らずには、怒鳴らずにはいられなかった。
「跡野、落ち着け」
後ろから落ち着いた低い声が聞こえ、俺は佐原から引き離される。振り返ると、サッカー部顧問の先生が俺の肩を掴んでいた。
「駿河は」
「駿河には保健室の先生が付いて行ってくれた。救急隊員の方が褒めてたぞ。高校生であそこまで適切な応急処置が出来る生徒は稀だってな。あまり喜べはしないがな」
先生は俺から手を離し、俯く二ノ宮と音瀬、そして立ち尽くすマネージャー陣の前に立つ。
「マネージャー! 整列しろッ!」
「「「はいっ!」」」
マネージャー陣が横並びに整列し、目の前で怒鳴り声を上げる先生が叱責する。
「お前等何をやってたんだ! 三年! お前等は特にだ! 駿河に水分補給の注意は促したか?」
「いえ……」
「最近気温が上がってきているのは、自分達が一番分かっていただろうが! 三年だけではなく二年もだ! 同級生にくらい気を配れんのか!」
「すみません……」
「……まったく、跡野。お前のせいで俺の説教が二番煎じじゃないか」
「す、すみません」
腕組みをした先生は選手達にも視線を向ける。
「今日はもう活動させん。お前等全員荷物を纏めて帰れ! 連帯責任だ」
「「「はいッ!!」」」
先生の指示に従って後片付けのために散っていく部員達を見送り、俺はもうここでやることはないと思い、先生に近付いて尋ねた。
「駿河が運ばれた病院は分かりますか?」
「ああ、今から車で行こうと思ってる」
「あ、あの先生!」
後ろから二ノ宮がそう先生に言う。その隣には音瀬が立ち、先生に視線を向けた。
「私達も一緒に連れて行って下さい!」
「分かった。荷物を持ってすぐに校門前に来い」
「「はい!」」
二ノ宮と音瀬は駆け出し荷物を取りに行く。その二人を見ていた神崎が前に出て、先生に向かって口を開こうとする。
「選手陣は後始末してすぐに帰れ。三人抜けて人手が減ってる、マネージャーの仕事もちゃんと手伝うように」
「先生、俺も駿河先輩の――」
「神崎、聞いてなかったのか? 選手陣はマネージャー陣の仕事を含めた後始末をして帰れ」
「なんでコイツが良くて俺は――」
「俺が何も見ていなかったと思うか?」
その声は、体の芯に響くほど恐ろしく感じる声だった。
「お前、跡野を止めようとしただろう」
「それは、駿河先輩の服をコイツが!」
「熱中症は体を冷やす必要がある。長袖長ズボンのジャージを着たままでは熱が外に発散されない。だから服をはだけさせたり緩めたりして熱を服の外に逃がす必要がある。跡野が駿河の全身に水を掛けたのは体を冷やすためだ。それに、跡野が作った水嚢でマネージャーが冷やしていた箇所。首の付け根、脇の下、足の付け根は太い動脈が通っている箇所。そこを冷やせば血液を冷やす事が出来て体全体を冷やすのに効果的だ。跡野がバインダーで扇いでいたのも駿河の体を冷やすため。ベンチで足を高くしたのは臓器に血液を届かせるための重要な処置だ。駿河の症状は熱中症の重症とされるものだ。その症状が出たら迅速に救急車で病院に運ぶ必要がある。それに、救急車が到着する間にどんな処置を施したかも駿河の命に関わる大切な事だ。お前は、駿河の命を救おうとしていた跡野を止めようとしていた。それがどんな意味か分かっているのか?」
「……それは」
「俺は跡野の怒鳴り声を聞いて職員室から飛び出してきた。だが、既に跡野が現場で指揮者として全員に適切な指示を出していた。だから俺に出来る事は既になかった。緊急事態では複数の者が指示する立場に立つと逆に混乱する。だから、俺は跡野が間違えたら止めるつもりだった。でも、跡野は完璧な応急処置をした。神崎、お前にそれが出来たか?」
「いえ……」
「そうだ。お前には出来なかった。それどころかお前は事態を悪化させようとした。どれだけサッカーが上手くてもお前はまだまだ未熟だ、反省しろ」
「…………」
先生の説教に押し黙る神崎を置いて、先生は歩き出す。俺は、神崎を振り返らず先生の後についていった。
ここで俺がどう神崎を慰めようと、俺がやったら逆効果だ。きっとそれは佐原や他の二年三年がやるだろう。それこそ、あいつらの大切な役割だ。
「跡野、校門で待ってろ。車を回してくる」
「はい」
走って駐車場の方に向かった先生を見送り、校門まで歩いて行く。校門に近付くと、鞄を両手でギュッと握った二ノ宮と音瀬が居た。
俺が二人に近付くと、二ノ宮が絞り出すように声を発した。
「跡野、ごめん……」
「俺こそごめん、さっきは言い過ぎた」
頭に血が上っていたさっきと違い、クールダウンした今はさっきの怒鳴り様はやり過ぎだと分かっていた。
「いや、言われても仕方ない。香織の事をちゃんと見てなかった私が悪い」
「駿河自身にも自己管理出来てなかった落ち度はあるからな」
「……跡野、香織大丈夫だよね?」
「大丈夫だ。運ばれる前には意識が戻ってた。きっと病院で点滴打ってもらって安静にしてる頃だろ」
「そっか」
本当はそんな確信なんてなかった。酷く落ち込んでいる二ノ宮とさっきから一言も発せていない音瀬を安心させるために言ったが、一度意識を喪失して倒れたのだ。まだ完全に安心できるかどうかは分からない。
「三人とも乗れ」
重い雰囲気が立ちこめる中、先生の乗ったワゴン車が目の前に止まり、窓を開けた先生に促されて俺達は車の中に乗り込んだ。
病院のロビーに入った瞬間に、奥から保健室の先生が顧問の先生に駆け寄る。そして何か話をしたあと、顧問先生が俺達の方を向いて付いてくるように促した。
先生について行った先には一室の病室があり、その扉を先生はノックして開ける。
「香織!」
扉を開けた瞬間、患者衣を着た駿河が居た。駿河を見た途端、二ノ宮は駆け寄って駿河を抱き締め、音瀬はその場で顔を両手で覆う。
「二ノ宮先輩……」
「ごめんね、ごめんね香織。私がちゃんと見てなかったからこんな事に……」
「いえ、私が、私がちゃんと水分を取ってなかったのがいけなかったんです」
ちゃんと受け答えが出来ている。目もしっかり二ノ宮を見ている。声の調子も問題ない。それを確認して、一先ず心配ないようだと安心できた。
「駿河、自己管理について色々言いたいことはあるが、何より無事で良かった」
「はい、ご迷惑をお掛けしました」
先生は病室の外に出て室内には俺達四人が残された。音瀬はゆっくりと近付いて、ほとんど声にならない声で「ごめんね」と駿河に謝った。
俺は、壁に背中をもたれ掛からせて三人を離れた位置から見ていた。しばらくそうしていると、二ノ宮が音瀬の手を引いて「少し出てよう」そう言って、病室の扉が閉まった。俺は病室の扉が閉まり、二人の足音が離れて行くのを聞いて、背中を壁から離した。
「跡野先輩……」
「どうして水分補給を怠った」
「……」
「どうして暑いのに厚着をしてた」
「……ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃ済まなくなるところだったんだぞ! もう、そうやって俺に謝れなくなるかもしれなかったんだ!」
ああ、きっと俺が事故に遭ったときに、駿河は俺と同じ気持ちだったのだろう。もう二度と会えなくなるかもしれない。もう二度と声を聞けなくなるかもしれない。そんな恐れが胸に押し寄せていたのだろう。
そんな経験をした駿河に、俺はなんて酷い事を言ってしまったのだろう。意識が戻らなければ良かった、なんて……。
「もう、駿河に謝れなくなるかもしれなかったんだぞ。傷付けてごめんって、意識が戻らなければ良かったなんて言ってごめんって、謝れなくなるかもしれなかったんだ……」
頬に熱い雫が伝う。堅いタイルの床にポトリ、ポトリと音を立てて幾つも落ちるその雫を止められなかった。
「良かった……本当に、無事で……」
「先輩……ごめん、なさい」
目の前で駿河が泣き出し、俺は、思わず駿河の頭を撫でた。
涙を拭いた駿河は俺を見て、必死に笑う。その駿河に俺もヘタクソに笑った。
「先輩、私が入って間もない頃に行った試合の事を覚えてますか? 丁度、全国大会常連の強豪校が遠征に来てて、うちと練習試合をした時です」
駿河の話は覚えている。凄く、いけ好かないミッドフィルダーの居るチームだった。
「うちの練習を見て、ボール回しが下手だ。あんなフォワードがレギュラーだったら一点も取られないな。レギュラー出る意味ないだろ。そんな事を平気で言う人が居て、正直私ムカッとしてました」
「安心しろ、俺だってイライラしてたぞ」
「でも、試合が始まって十五分も経たないうちに、その相手選手がプレイ中に倒れて。会場のみんなが固まりました。でも、その中でたった一人だけ、先輩が私と二ノ宮先輩に叫んだんです。二ノ宮、救急車! 駿河は氷と水とドリンク持って来いって。それで先輩は相手チームのマネージャー、レフリーをしていた他校の先生よりも先に、倒れた選手に駆け寄っていきました。私は、そんな先輩の背中を見て憧れました。カッコイイ、こんなマネージャーになりたいって」
「俺は選手だったんだけどな」
おどけて見せて褒められた事への照れ隠しをする。むず痒かったが嬉しかった。
「それから、先輩に必死について回って先輩の真似をしました。初めはマネージャーとしての目標でした。でも……気が付いたら憧れの先輩になっていました。先輩の役に立ちたくて一日でも早くマネージャーの仕事を覚えようと頑張りました。先輩に褒めてもらえるように頑張りました。先輩の隣に居れるように頑張りました。先輩に怒られたときは凄く落ち込みました。先輩に迷惑を掛けてしまった時はもっと落ち込みました。……先輩が音瀬先輩を好きだと知った時は、凄く、凄く辛くて悲しくなりました。そして、先輩が私を庇って事故に遭ってしまった時、私は自分の事が大嫌いになりました。でも、先輩が目を覚まして戻って来てくれたと聞いたとき、嬉し過ぎてもうそれ以上は何もいらないと思いました」
駿河は胸の前で祈るように両手を組み、俺に視線を向ける。
「でも、私はワガママになりました。先輩がただ生きていてくれるだけでよかったのに。先輩が笑って私の名前を時々呼んでくれるだけで良かったのに。いつのまにか、先輩の隣に、先輩の一番近い場所に居たい。先輩の一番大切な人になりたい。そう思いました。だけど、私はその想いを告げようとした日に先輩を打ってしまって、それで、言い出せなくなって話し掛けるのも怖くて」
「駿河、俺は駿河の事が好きだよ。恥ずかしいけど、失礼かもしれないけど、ついさっき俺はそれに気付いた。駿河が倒れたとき、駿河が手の届かない場所に行ってしまうかも知れない、そう思ったときに冷静でいられなくなった。駿河を助けるので必死だった。それで駿河がそこに座ってるのを見て、本当に良かったと思ったし、もう絶対遠くへ行かせたくないと思った」
ああ、俺は何を言ってるんだろう? こんな歯の浮くような台詞、俺の柄じゃない。でも、止めどなく溢れてくる。
俺は駿河香織が好きだ。それに気付いてから、想いが止まらない。
「駿河、俺と付き合ってくれないか?」「先輩、私と付き合ってくれませんか?」
「もちろん」「こちらこそ」
「「フッ……」」
言葉が重なる。想いが重なる。それが堪らなく気恥ずかしくて、溢れ出すのを抑えきれないくらい嬉しくて、狂おしいほど愛おしかった。
「駿河、ごめん。俺の事、許してくれるか?」
俺がそう訪ねると、駿河はニッコリ笑った後、ハッとしてそっぽを向く。
「許してあげません」
「な、なんでだよ」
思いも寄らない返答に面食らった俺は、つい情けない声を出してしまう。そんな俺を見て駿河はニコニコ笑いながら言った。
「香織、って呼んでくれたら許してあげます」