第三十話
初めて会ったその時から、彼女に惹かれるモノはあったのだと今更ながらに思う。
母親譲りの派手な外見からは想像出来ないほどに控えめで大人しい少女。それが、遊び仲間に誘った時の、ミナギ・ツクシロという少女に対する印象だった。
ただし、親たちから、彼女と遊ぶことにいい顔はされず、あげくに自分や彼女に暴力が振るわれたことがあった時、彼女はそれに怒ることもなく一人泣いている姿を自分達にそれを見せまいと強がるなど、今から思えば大人しい割には意地っ張りな面もあったように思える。
だからこそ、彼女が養女として故郷の町を離れてしまうと聞いた時は、はっきり言ってショックだった。
親たちが彼女と母であるミオさんを嫌っている事は分かっていたけれど、なんだかんだ、彼女は自分達と一緒に過ごしていってくれる。
彼女の出自を知れば、そんなことはあり得ないのだけれど、子どもながらにそんなことを考えていたのだ。
その後、彼女に会えないまま数年。
それでも、あれだけの事情を抱え身である。彼女を知る大人たちは、どこからか彼女や母であるミオさん、養子先であるツクシロ家の動向を口にする場面があり、彼女が皇都にある白桜学院に通っていることも知る事が出来た。
「そんなことを言っても、私達じゃ無理だよ」
「私は大丈夫だけどね」
そして、無謀にも口にしたのは、中等科への一般入学生試験への挑戦。
サキとユイの言葉通り、ユイ以外の者達にとっては高すぎる壁であったのだが、その時の自分の決意は固く、老夫婦や神社の神主さんなどといった教養のある人達をつかまえて、人生におけるすべての勉強に対する労力を使い果たしたと言っても過言でない勉強によって合格を勝ち取った。
今更だが、本当に今更だが、なぜそこまでして彼女と同じ道を進もうとしたのか。
今になってはじめて分かったような気がしていた。
「何を、やっているんだよっ!! 速く逃げろっ」
「で、ですが……。うぅっ!?」
徐々に熱くなり始める腹部と霞み始める視界。
先ほど、自分に毒を食らわせやがったロイアは、ミナギによってあっさりと倒され、足元にはロイアの首が転がり、周囲は赤く染まっている。
当面の脅威は去ったのだろうが、それでも船は紫と黒の光に包まれ、もはや一刻の猶予もない状況もじゃ変わりない、
呑気に昔のことを思い返していた自分が馬鹿馬鹿しくも思えるが、今は眼前の女を助けることの方が先決だった。
「ミナギっ、くそ、身体がっ!!」
だが、すでに毒が回り始めているのか、身体の自由は効いてくれない。
目の前にあって、痛みに苦しむミナギを連れて、船から降りるだけ。それだけであるのに、身体の自由が効いてくれないのだ。
「シロウっ!! ミナギっ!!」
「殿下……、何をっ!?」
「こっちのセリフだ。早くっ!! 船から降りるぞっ」
そんな時、背後から聞こえてきた言葉。
風のように自分の脇をすり抜け、痛みを堪えるミナギを抱きかかえたのは、スメラギ皇太子ヒサヤの尊。
いや、自分にとっては、沙門天のシリュウという名の方がなじみ深い。
自分が島に連れられてきた時には、すでに幹部の座に納まっていた男であり、ぬるま湯で育ったと思っていた皇子様にもかかわらず、その才能はとんでもないモノをもっている。
今も、緊迫した状態の中で颯爽とミナギを助けに来ているのだ。役者が違うと言うのはこういうことを言うのかも知れない。
「シロウ、何をぐずぐずしているんだっ!? 行くぞっ」
「殿下、いや、シリュウ……、俺は、ここまでだ」
「何?」
「殿下、シロウ君は……」
「このクソ女にな。もう、俺は助からん」
そんなことを考えつつ、動こうとしない自分に対して苛立ちの籠もった声を上げるヒサヤ様。
しかし、焼け付くような痛みはさらに増し、毒が回ってきているのか、全身は気だるく、視界もぼやけはじめている。
足元に転がるロイアの首を、苛立ちをこめて蹴ったが、今更どうにもならないことであった。
「シロウ君……」
そんな自分にたいし、殿下の腕に抱かれたミナギは、今にも泣きそうな声で呼びかけてくる。
「はは、変わらないんだな。やっぱり……」
「えっ……!? っっ!?!?!?」
「おぉっ!?」
そんなことを口にした時、自然と彼女の唇に口づけをしてしまっていた。
そんな潤んだ視線を……、惚れた女から向けられてしまっては、死に臨んでは気持ちを抑えきれるはずもない。
正直なところ、どう考えても惹かれあっている二人に対して、嫉妬していたんだと今更ながらに思う。
男の嫉妬など見苦しいだけだったし、相手の気持ちも考えない行為は決して褒められたことではないだろう。
だからこそ、ミナギに対する思いと同時に、殿下に対する意趣返しも含まれた口づけだった。
「シ、シロウ君?」
「おいおい、怒るところだぜここは?」
「な、なにをっ!? うう……」
突然の行為に、困惑するミナギ。
そんな純粋な様子に自分は惹かれたんだろう。誰に対しても優しく、常に一生懸命な姿に。
こんな状況下で何をやっているのかと普段であれば思うところであるし、ビンタの一発でももらった方がマシであったが、それでも、泣き顔を無くせた事だけは良かったと思う。
「さて、皇子様とお姫様を守るのは、臣下の務め。ついでに、不敬罪ってヤツだ。命に代えてお守りいたしますよ」
「…………シロウ」
そんな、ミナギの様子に、もう目を合わせることは出来なかった。
見れば、こちらの様子に気づいた生き残りが、いまだに狂気の光をたたえて目でこちらに向かってきている。
一刻の猶予もない状況であることに変わりはないが、ヤツ等にとっては殺しが何よりも優先される。
だからこそ、恋敵に対して憎まれ口を叩く最後の機会でもあったのだ。
「何も言わんでくれ。――ただ、幸せにしろよ。クソ野郎が」
「……ああ。あの世で、羨んでいろ。バカ野郎が」
立場を考えればあり得ない暴言。だが、殿下、いや、ヒサヤは自分の悪態に対してそう応じると、ミナギを連れて甲板を蹴る。
「えっ!? あ、シロウ君っ!!」
何事かを理解できていないミナギは、そのままにヒサヤに連れられていく。
その困惑した姿は、彼女らしくはない姿であったが、最後にそんな姿を見る事が出来たのも良かったと思う。
「ただし、お前らは行かせないぜ?」
そして、背後に迫り来る暗殺者達の剣を、背を向けたままに受け止め、躊躇うことなく薙ぎ払う。
当然、身体の自由は奪われており、いくつか身体に受けるが、もはやそれも意味は無い。
そう。ヒサヤとミナギの離脱を待っていたかのように、周囲を包んでいた光は、上空から更なる激しい光の束となって船全体を覆う。
ヒサヤとミナギは無事か。サキやアドリエル達は脱出できたのか。他の連中はどうなったのか。
そんなことを考えていたシロウは、これまでの出来事を思い返すかのように、脳内に流れていく。
暗殺者となってからの日々、白桜に入学して以降の日々、受験勉強や、サキ達と遊んだり、悪さをして親に怒られた日々。
まさに、走馬灯のように過去の日々が脳内に流れる。
そして……。
「ははっ、やっぱり、未練なんだなあ」
腹部に突き立つ感覚。
それと同時に、眼前に浮かんだのは、はじめてであった時から、先頃に再会した際のミナギの笑顔。
「……生きて、幸せにな」
それを見ながら、ゆっくりとそう口を開いたシロウの視界は、ゆっくりと強さを増した光の中に飲みこまれていったのだった。
◇◆◇
海に飛び込んだ後から途切れていた意識に、小さな炎が灯りはじめる。
「う、うう……」
「無事か? ミナギ」
「は、はい……。殿下は?」
「なんとか……な」
耳に届いたヒサヤ様の声と見開いた眼前にある顔。
一瞬驚きもしたが、すぐに私の傍らにごろりと転がったヒサヤ様。よく見ると、全身に傷を負い、疲労も困憊の様子であった。
「お待ちを。……この様な身で、私を」
すぐに水魔法を用いて応急手当を施すも、身体に負った傷は戦闘によるモノだけではない。おそらく、海中を泳ぐ際にも負った傷があるのだろう。
「シロウから頼まれたからな。それにしても……」
苦笑しつつそう口を開いたヒサヤ様は、もう良いとでも言うように手で私を制すると、先ほどまで私達がいた海上へと視線を向ける。
その先には、沖合にて灯る赤き炎がゆっくりと揺らめいていた。
「…………こんな、こんなことって」
あの炎の下で、シロウをはじめとする同志達、そして、生き残っていた暗殺者達の大半が焼き尽くされたのであろう。
女神の檻による攻撃。すなわち、“私”の力を根源とした攻撃によって。
「立て……。まだ、終わってはいないぞ」
「……分かっております」
「では、行け。本当であれば、守ってやりたいところだが……、どうやら、客が来たようだ」
そう言うと、ヒサヤ様は浜辺に浮かぶ暗がりの先からゆっくりと歩み寄ってくる影を睨み付ける。
実際の所、先ほどまでは互いに周囲を気にしての戦い。とてもではないが、決着をつけられる雰囲気ではなかったのだろう。
「中々にしぶとい。ですが……」
「ここまでだと言いたいんだろう? だがな、スザク。それは、俺のセリフだ」
互いにそう言い放ち、剣を構えるヒサヤ様とスザク。
組織の幹部として、今となって唯一の生き残りとなった両者である。もはや、壊滅したと言っても過言ではないこの状況にあって、スザクの存在は組織最後の象徴でもあるのだ。
「殿下……。今少し、早くお渡しするべきであったのだとは思いますが」
そんな状況に、私は二人の間に割って入り、ヒサヤ様に対し、腰に下げていた剣を差し出す。
老父様より託された剣、
いつ渡すべきかと時を計り続けていたのだが、決着に際して、渡さぬわけにはいかないだろう。
「はは。まあ、そうであるが、それはそれでお前らしい」
そんな私のどこか機会を計り損ねている行動に、思わず苦笑したヒサヤ様は、手にとって剣をゆっくりを引き抜く。
周囲の炎――爆破され、いまだに燃え盛る本拠地を中心に島全体に延焼している状況下にあって、剣はまさにその炎を纏ったかのような光を放っている。
「ふん。主君と臣下の儀式ですか……。おあいにくですが、二人まとめてあの世に送ってやるとしましょう」
「そうはいかん。こいつにはまだやることがあるんでな。お前の相手は俺一人でやってやる」
「ほう?」
そんな私達のやり取りを、鼻で笑うように見届けていたスザクもまた、ゆっくりと剣を構える。
「さて、ミナギ。もう行け」
「……大丈夫、なのですか?」
「俺を誰だと思っている? 少なくとも、カザミさんの死に対する償いをするまでは、俺は死なぬ。それに……、俺の死に様はお前が見届けるんだろう?」
「っ!? ……分かりました。ヒサヤ様、いえ。沙門天のシリュウ。貴方の死に様は、私が必ず見届けます。それまで……、死ぬことは許しません」
「ふ、心得た」
そう言うと、ヒサヤ様もまたスザクに対するように剣を抜き、ゆっくりとスザクを睨むように視線を向ける。
私にとっては、サヤ様より託された主君であり、同時に、お父様の命を奪う原因ともなった男。
お父様の死に対する恨みを抱くはずもないが、ほんの僅かにここの奥底に残っているわだかまりをヒサヤ様は見抜いていたのであろう。
そして、“死に様を見届ける”という決意が、お互いに生きるための意味になるという事も。
「ご武運をっ!!」
そう言うと、私は濡れた地を蹴って、いまだ燃え盛る炎に包まれる本拠地へと足を向ける。
その地にあって、いまだに光を灯す“女神の檻”。
その光が消えぬ限り、私の罪は消えることはない。そして、目覚めの時より託され続けた願いを、今こそ叶える時であるのだった。
「待っていてください。もう一人の私……」
そんな光を睨みながら、ゆっくりと口を開いた私は、そのままゆっくりと唇に手を添える。
失われた青年が残していった、わずかな温もり。
残っているのか、実際には分からなかったが、今はそんな思いにも縋っていたい気がしていたのだ。
◇◆◇◆◇
海上に降り注いだ光は、その場にあった大型艦艇を一瞬にして焼き尽くしてしまっていた。
ミオとシオン。
お互いに、その船に乗っていたのが誰であるのか、知らぬはずもなく。前者は苦痛に歪む表情に、さらなる怒りの色をたたえ。後者は満足げに笑みを浮かべて頷く。
「貴様っ……、なんと言うことをっ!!」
「それがどうした? どのみち死んでもらう予定だった者達だ」
『それは分かりますが、おかしいですねえシオン殿』
そんなシオンに対し、声を荒げるミオ。加えて、そんなシオンに対する糾弾は、思いもがけぬ場所からも加えられた。
「おや? 皆様、おそろいで。先ほど、要件はお聞き致しましたが?」
とぼけるかのような口調でそう告げたシオンの視線の先に、再び水晶版に映し出された円座に腰掛ける男達の姿が浮かび上がる。
その声色は、落ち着きのあるものであるとは言え、どこか苛立ちを抑えつけようとしているようにも思える。
シオンの態度は、それを助長したのであろう。
『ええ。たしかに、我々は用件をお伝えした。ですがねえ、先の契約では、天津上攻撃を優先するというお約束であったはずですが?』
「おや、それはそれは……失敬。私としたことが、標的を勘違いしていたらしい」
『頼みますよ』
「先に攻撃するべくは、貴方方でございましたなあ」
『何……?』
そして、なおも慇懃にシオンに対してそう告げた男達。だが、シオンから告げられたのは、あまりに意外な言であった。
『君は、何を言っているのか分かっているのかね?』
「ええ。先ほどの船を焼き尽くすには過ぎたる力でしてね。いまだに、その場を焼き尽くす事が出来るほどに出力は可能なのですよ」
そう言うと、シオンは先ほどと同じように、ゆっくりと女神の檻前方に置かれた水晶球に手を添える。
『愚かな。君がそちらで預かることが出来るのは、空くまでも攻撃の設定目標のみ。砲撃は空くまでも我々の手の中にある』
「…………」
黒幕たちも、突然の反乱宣言に驚きと困惑を隠せないのであろうか。先ほどまで押さえていた声が震えがかる。
『それとも、君の意思によって攻撃を開始する手段を確立したとでも言うのかね?』
「まさか、私の身には過ぎたる力にございますよ」
『なれば、先ほどの件は不問に……』
「私ではなく、彼女自身がですがね」
『なにっ!?』
そして、そんな黒幕たちの問い肩をすくめつつ応えるシオンに対し、黒幕たちは普段の不遜なる態度に磨きが掛かっただけと思い、さらに言葉と続ける。
だが、彼らの言葉を遮るようにシオンが口を開いた刹那。
それまで閉ざされていた、女神の檻動力源に囚われの少女、ミナギ・ツクシロの目が見開かれ、水晶版越しに黒幕たちを恨みの目で睨み付ける。
そんな動力源の様子に、事態を察した黒幕たちは慌てて立ち上がる。
だが、シオン等のいる室内が急速に瞬いたと同時に、水晶版越しに映し出されていた黒幕たちの姿もまた、紫と黒の織り成す禍々しき光に飲みこまれたのだった。




