第二十八話
長らく更新できずに大変申しわけありませんでした。
頬に一条の涙が伝っていた。
はじめからこうなることは分かっていたはずであったが、やはり運命という物は変わることはなかった。
いや、変えようとしなかったのだから当然であろうか?
「……巫女様。いや、カエデちゃん?」
「その呼び方はやめて」
そんな私に対し、傍らに立つ女性は閉ざしていた目を見開きながら口を開く。
周囲に灯していた無数の火球を闇夜に向けて放ち、この地に攻め寄せてくる者達を片手で葬ったにも関わらず、私に対しての同情がこもった表情とまるで子どもを慰めるかのような口調は、ひどく鼻につく。
「あのねえ……、そんな顔をしている子を前にして、畏まった接し方なんか出来ないわよ」
「よけいなお節介よ。これだからおばさんは」
「今更そんなことを言われても怒りませんよ。百年以上生きているんだから」
私の苛立ちが分かったのであろう。
しかし、そこは年の功と言うべきか、普段であれば冗談めいた激高を向けてくる彼女――ミュウは、真剣な表情のままに私を見つめてくる。
「敵わないわね……」
「そりゃあね。それで? 話して楽になる事もあると思うわよ?」
「不要だ。今は、眼前の戦いに勝つことのみ」
「負けるわけがないと思うけど?」
「それでもだ。皇太子等を死地に送り込んだ以上、私が敗れては」
「はあ……、強情ね。まあ、それなら良いわ」
そう言うと、ミュウは再び部隊から剣戟の音が木霊する宵闇へと視線を向けると、瞼を閉ざして精神を集中させはじめる。
彼女の言うとおり、自身が垣間見ていた未来が現実のモノになったことを吐露してしまえば、多少は楽になったと思う。
しかし、自分は結局最後まであの子を助けようとしなかったのだ。
あの小さな身体で自身の運命に抗い続けていたあの子を。だからこそ、それを背負うことが自身の咎であり、ミュウを頼ることは筋違いでもある。
もっとも、自身の咎として背負うこともまた、ただの自己満足でしかなかったのだが。
「ユイ……、それでも、貴女は幸せだった?」
そして、垣間見ていた未来の中で、失われた少女が大切な思い出として持ち得ていた友人達の姿を思い描いたカエデは、闇夜の中に静かにそう問い掛ける。
巫女として、この五年間戦いを続けてきた彼女にとって、すでに守るべきモノは肉親だけではなくなっている。
何よりも、彼女はすでに大きな罪を犯している身。身内の死を嘆き悲しむことは許されざる事と自身に命じていた。
そんな彼女の心をただ一つ慰めたのは、失われた少女が、最後まで一緒にいたいと願った友人達に看取られる形で逝ったこと。それだけが、彼女にとっての救いでもあったのだ。
「感謝するわ。届くはずのないことだけど……、精々、死なずにまた、私に礼をいわせてね」
そうして、カエデは眼前の闇夜に向けて静かにそう呟く。
彼女に見えている未来。それは、彼らにとっては過酷でしかない未来であるのだが、そのすべてが不幸に覆われているわけではない。
不幸に落ちる未来もあれば、幸福に満たされる未来もあるし、その両者がせめぎ合う未来もある。
そして、カエデ自身もまた、彼らにとっての幸福ある未来を願ってやまないのであった。
◇◆◇◆◇
光は消えていった。怨嗟の怒号と儚き笑みをだけを残して……。
「ユイ……」
消えていった光を見つめならら、ゆっくりと膝をついたサキを私は後ろから抱きしめることしかできなかった。
涙は出てこない。
ただ、これが現実と言うことを信じたくないからなのであろうが、それでも、彼女は、ユイは私達の目の前でジェガとともに永遠の闇に飲まれてしまったのだ。
たしかに、敵の首領であり、私達にとってもスメラギにとっても許すことの出来ない怨敵。
闇の中で永遠の苦しみを味わい続けることは、それに相応しい罰だとも言える。
だが、ユイがそれを味わう必要があったのだろうか?
たしかに、彼女が命がけで罠を張らねば、ジェガを捕らえることは出来なかったであろう。
身命を賭して怨敵を討ちとった功績は賞賛に値することであろうと思う。だが……。
「二人とも、立て」
「殿下……」
そんな調子で失われた少女の死を嘆く私達に際し、傍らに歩み寄ってきたヒサヤ様が冷然と言い放つ。
「戦いはまだ終わってはいないんだ。……ユイが生みだした好機を無にするつもりか?」
そして、そう言い放つとヒサヤ様は私達から目を放し、私達と同じように呆然自失といった様子のスザクの襟元を掴むと、沈黙したまま状況を見守っていたキラー等の元へと彼を投げ飛ばす。
「ぐっ!?」
「さて、クズがクズに相応しい最期を遂げた。お前達はどうする?」
「ちっ、ガキが……、やはり裏切りやがったのか」
「裏切り? 俺ははじめから貴様等の仲間ではない」
「んだと? 一緒になって散々やりたい放題やりやがったクセに、言うじゃねえかシリュウ」
そうして、沈黙に包まれた甲板の中央に立ち、鋭い声でそう言い放ったヒサヤ様に対し、キラーやゲブンが顔を歪めながらそう応じる。
彼らにとっては、ヒサヤ様は今だ幹部の一人であり、たしかに裏切り者といえるのかも知れない。
だが、ヒサヤ様からすれば、自身の意志をねじ曲げられ、同胞に対する殺戮を強要されたようなもの。
お父様……カザミ・ツクシロをはじめとする多くの人間の命に対する責任を無理矢理に背負わされたと言っても過言ではないのだ。
それに、組織の幹部沙門天のシリュウという男はもう存在していないのだ。
「シリュウではありません。この方は」
「あー、ミナギ。やめとけやめとけ。こいつ等に言っても意味は無い」
「あ、はい……」
そう思い、ヒサヤ様の前に進み出て声を上げた私であったが、当の本人からなんとも軽い調子で止められてしまったため興が冷める。
たしかに、ヒサヤ様の正体を告げたところで、ヤツ等にとっては殺しでのある標的に代わるだけである。
であれば、裏切り者として戦った方がまだいいような気もするし、正直言えば、皇太子としてのヒサヤ様の剣をこんな人間達に振るって欲しくもない。
……お父様の仇である男を、これ以上汚させたくもないのだ。
「ふん、相変わらずふざけた男だ」
「ああ、お前は知っているんだったな。スザク。まあ、いちいち話す必要もないだろう? ――どちらにせよ、ここで死ぬんだからな」
「……ふ、そうだな。順番が代わっただけだ」
そんな私の心情を知るはずもなく、投げ飛ばされていたスザクが、表情を歪ませながら立ち上がり、ヒサヤ様を睨み付ける。
少なくとも、スメラギ人であることに間違いのない唯一の男であったが、生憎と皇族に対する尊崇などは持ち合わせていないようだ。
トモヤの弟だというのだから当然かも知れなかったが。
そして、互いに得物を構えて睨み会う両者。
幹部が集結している場であり、首領のジェガが倒れた今、この場においての頂上対決と言うべき二人の対峙に、全員が息を飲む。
だが、戦いは二人だけのモノではない。
「ジェガとユイが倒れたが、こっちは殿……シリュウとミナギ、サキ、ハヤトさんが加わったんだ。形勢は逆転だな」
「何を言っていやがる。雑魚が1人や2人増えたところで、死体の数が増えるだけだ」
「ほう、言うではないか……? こちらも、人たる身で無くされた借りがある。落とし前は付けさせてもらうぞ」
ヒサヤ様とスザクの覇気にやや気押されていたシロウやキラーも互いに声を上げ、お兄様もまたキラーの挑発めいた言動に、鋭い視線を向ける。
人と獣の融合体と言った姿にされてしまったお兄様であったが、人たる心を失うこともなく、今もなお私達とともにあってくれている。もう二度と会うことはないと覚悟をしていたが、私達を救ってくれたあの時と同様に、漆黒の翼……フィランシイル皇族としての象徴は、人たる身ではなくなったと言えど、雄々しく羽ばたこうとしている。
「ユイの犠牲は無駄にはしないっ!! みんなっ、絶対に勝つよっ!!」
「おうっ!!」
そうして、ユイが消えていった法陣の跡から立ち上がり、私とヒサヤ様を挟むように立ったサキが、背後に控えていた同志達に対して声を上げると、彼らもまた同様に声を上げる。
多くが激しい戦いによって傷ついていたが、自身に身を犠牲にしてジェガを討ち取ったユイの姿に、全員が思うところがあったのだろう。
苦痛に顔を歪める者。実力差に震える者。それぞれであったが、皆が皆、眼前の敵種達へと鋭い視線を向けているのだ。
幼き少女の命は、死して同志達に勝利への灯火を灯したのだ。
「ふ、現金なヤツ等だ。まあ、いい。行くぞ、ミナギっ!!」
「はいっ!!」
「私も忘れないでくださいよっ!!」
そして、そんな周囲の光景に、やや戸惑いがちのまま口元に笑みを浮かべたヒサヤ様の言に、私は力強く応え、苦笑混じりにそう口を開いたサキとともに最後の戦いに向けて地を蹴ったのであった。
◇◆◇◆◇
「健気なモノだな」
薄紫色の光が灯る一室に、シオンの冷然とした声が響き渡る。
ちょうど彼の視線の先、全身に傷を負い、片膝をついて息を荒げるミオの視線と交差するその場に灯る水晶球に映るのは、再び激しく交戦を開始した船上の様子。
先頃、ジェガと一人の少女……ユイが命運をともにし、両陣営ともに意気消沈したかのように見えたが、そこは光とともに現れた一人の青年。
スメラギ皇太子ヒサヤの尊……組織幹部、沙門天のシリュウとしての名を持つ青年が口を開いたことを契機に、両陣営ともに再びの戦闘を開始したのである。
一人の少女の死が全員に力を与えたのは明白であったが、そのきっかけを作ったのは間違いなく彼の一声であったのだ。
ミオとすれば、先を託すべき者の存在に頼もしくも思える反面、こうして眼前にて冷笑を浮かべる男とそれを結託する黒幕たちがよけいに忌々しく思えても来る。
『中々のショーでありましたな……。闇に沈んでいくジェガの怒号など、いっそ清々するほどのモノであった』
『過ぎたる野心を抱いた愚か者には相応しい末路だ。まさか、自身が囲っていた少女に引導を渡されるとは思いもしなかったであろうよ』
『何にせよ、こちらにしては好都合。ヤツは秘密を知りすぎていたが故にな』
そんなシオンの言に、満足げに頷く黒幕たち。
扱いづらい男が消え、スメラギの皇太子が殺し合いの渦中にいるという滑稽さに満足しているのであろう。
そこには、世界を裏から操ってきた人間達の誇りと驕りが混在していた。
「……クズどもが」
「なんとでも言え。口先だけで、何も出来ぬ小娘が」
そんな眼前の光景に、怒りを抑えきれないミオ。
だが、傷を負っている身であっては、その怒りの発露も難しく、口先にて相手を罵る以外にはなく、それもまた勝者となった男や黒幕たちからの侮辱を誘うだけであった。
『そのぐらいにしておきたまえ。せっかくの機会だ。母娘ともども、丁重にお迎えしたい』
「ほう? こやつも利用するのか?」
『動力源の元になった娘であればね。それに、貴様もいればさらに優秀な動力源が生まれるかも知れん』
「っ!? 貴様等っ!!」
そんな両者のやり取りに、黒幕の一人がそう口を開く。
その言葉の意味するところ。ミオやミナギを、人ではなく、破壊兵器の一部としか思っていないその言動に、声を荒げるミオであったが、彼らはそれを意に返すこともなく会話を続けていた。
「ふむ……。まあ、よかろう。それも契約だ」
『けっこう。では、余興はもう十分……、猿どもの始末はお任せしますよ?』
「ふん。まあ、到着を待っていろ」
そう言うと、シオンは水晶球に触れ、投影画面の光を消すと、その場は静寂に支配される。
そうして、ほんの一瞬、ミオへと視線を向けたシオンは、冷笑を浮かべながら視線を逸らすとゆっくりと、ミナギが囚われている薄紫色の液体に満ちた水晶体。
所謂“檻”の前へと立つ。
「くっ……、止めぬかっ!!」
「おっと。まだ、動けたか。まあよい、撃つのはいつでも可能……。止めたければ、止めてみるが良い」
そんなシオンに対し、ミオは全身に負った傷から血が噴き出すこともかまわずに地を蹴り、剣を振るう。
隙を突かれた形になったシオンであったが、その鋭い剣伎をなんなく受け止め、そのままにミオを押し切ると、お返しとばかりに鋭い斬撃を見舞う。
間一髪のところで躱し、後方へと遠退いたミオであったが、やはり実力差は大きい。
「ふむ……。ちゃんと、仕込んだ事は忘れていないようだな」
「ほざけっ!! 貴様に学んだことなどっ」
「無いわけがないだろう? お前達に剣伎を教えたのはこの俺だ。……ああ、夜伽の技を教えたのも俺だったな」
「っ!! 黙れっ!!」
いったん間合いをとり、傷ついた身体で自身を睨み付けてくるミオに対して満足げに頷くシオン。
ミオが負っている無数の傷は、すべて彼女が本気の斬撃を躱した事による結果。
シオン自身、仕留めるつもりであった攻勢をほとんど躱されている以上、本心では多少の焦りがある。
だが、ミオにとって、シオンは不倶戴天の敵であるのに対し、シオンにとっては駒の一つの過ぎない女。
実際の所、実力は拮抗しているはずであるのだが、そう言った類の感情の差が、二人の間には大きな壁として立ちふさがっていた。
「くっく……。まさか、あの時に仕込んだ子が、こうして役に立ってくれるとはなあ……。絶望のあまり、あそこまで簡単に落ちるとは思ってもいなかったが」
「っ!! 感謝はせぬぞ」
「ほう? 落ち着かせたか」
それを知っているシオンは、さらにミオの怒りを煽るべく二人の間に存在する過去を口にしていく。
だが、今回ばかりは予想外にも、ミオの剣伎は冴え渡り、躱しきったと思っていたシオンの身体を斬り裂く。
痛みに対する耐性は十分にあるシオンは、涼しい顔をしつつも、衣服が赤く染まっていく様子に、口元を歪める。
余裕めいた素振りは見せているが、実際の所、シオンもまた、自身の計画を尽く邪魔立てしてきたミオに対しては苛立ちも募っている。
冷静になって自身に向かってくるのであれば、苛立ちは余計に強くもなるのだ。
「ミナギは……、私にとってすべてであった。それを与えたのは貴様……。だからこそ、吉舎様だけは生かしてはおけぬっ」
「そうか。さすがは、母親だ。しかし、良いのか? 大事な愛娘は、危機に陥っているぞ?」
「なにっ!? しまっ!?」
その刹那、それまで以上に激しく舞い上がる血飛沫。
ほんの一瞬の油断。
ミオにとって、ミナギという存在の大きさが、今回ばかりは仇になってしまったのだ。
そして、シオンはそんな油断――ミナギの危機という言葉にあっさりと反応してしまったミオの隙を見逃すほど甘い男ではない。
シオンにとっても、これまで致命傷を与えられなかったミオを倒す千載一遇の機会でもあったのだ。
「ぐっ!? うぅぅ…………」
呻き声とともに、全身に粟を浮かべて膝をつくミオ。
その押さえた脇腹からは、血が留まることなく流れ落ちるだけでなく、そこに混じっているのはそれだけではなかったのだ。
「くくく……。まだ、死にたくは無かろう? ゆっくりと、愛娘や祖国が崩壊する様を見ているといい」
「き、さま……」
「おっと。動けば、内臓が飛び出るぞ? もっとも、その出血ではどのみち助からぬだろうがな」
苦痛に顔を歪めつつ、睨み付けてくるミオを鼻で笑い、今度こそゆっくりと“檻”の前に立つシオン。
そのままゆっくりと水晶球に手をかざすと、檻の内部に満たされた液体が、柔らかな光を増して行き、同時に、檻に囚われたミナギの表情がさらに険しくなっていく。
「ミ、ミナギっ!!」
そんな光景に、振り絞るような声を上げるミオ。
しかし、ミオの声にミナギが応えることはなく、さらに増していく光の中で、閉ざされた瞳から流れ落ちる血の涙とともに、薄紫色の光りに、どす黒い漆黒の光が混ざりはじめる。
絶望に満ちた少女の叫びとともに、その場が眩い光に覆われたのは、それから間もなくのことであった。




