第二十七話
投稿が遅れてしまって申し訳ありません。
白き光が消えると、周囲に満ちた血の匂いが鼻腔をくすぐり、同時に夜の帳の中をさらに深く彩る深紫の光が私達の眼前にて満ちていた。
そして、その光の中にある二人の人物の姿。
一人は初老を迎えながらのその強靱な体躯に衰えは見られず、表情もまた精悍なそれを抱く男ジェガ。
普段は不遜と暴虐さを纏った男であったが、今ではその男の表情に灯るのは、眼前にて起こり得る事実に対する驚愕であろう。
私自身、ジェガに対して抱く感情は悪感情しかない。
祖国スメラギを蹂躙したベラ・ルーシャの元総督であり、お父様やサヤ様達の命を奪った元凶の一人なのだ。
だからこそ、その男の驚愕に対して意識を向けることはほとんどない。
むしろ、ジェガの足元に踞りながらも、こちらにゆっくりを顔を向けてきた少女の姿に、私は、いや、私達は目を奪われていたのだ。
「ユイ……ちゃん? な、なにをっ!?」
私達に対して視線を向けてくる美しい白髪を持つ少女ユイ。
今し方、彼女が私達に顔を向け、口元から血を流しながらも笑みを浮かべながら口にした言葉。
“最後”
と、彼女ははっきり口にしたのだ。
「この男だけは……、この男には、死すら生ぬるいっ!!」
そして、状況を飲み込めていない私の問い掛けに、ユイは顔を歪ませながらジェガの衣服を掴み、寡黙な彼女にしては珍しいほどに力強い声で答える。
死すら生ぬるいとはどういったことか?
ユイとジェガを包む方陣が意味するところ何か、理解するよりも混乱の方が大きかったのだ。
「こ、小娘ぇっ!!」
「ふふ……。生きたまま、闇の中に落ちる恐怖……。それが、貴方への罰」
そして、困惑する私達の眼前にて、黒紫色の光はさらに光度を増し、やがてユイとジェガの身体がゆっくりと方陣の中に沈みはじめる。
何事かと思った矢先、ジェガがはじめてと言って良いほどに顔を恐怖に歪めて、声を荒げる。
すでに動きの自由は奪われているのか、ユイに突き立てた剣はそのままであるにも関わらず、彼に打つ手はないのだろう。
そして、そんなジェガに対し、息も絶え絶えな様子で笑いかけるユイ。
今のままでは彼女もまた、方陣に飲みこまれてしまう事は間違いのないことであるのだが、彼女を救う手立てなど有りはしない。
「ミナギ、行くよっ!!」
「サキ……そうね、ユイちゃんっ!!」
そんな状況の中、傍らにて状況を見守っていたサキが私に対して力強くそう告げると、私達は並ぶようにして方陣の傍らへと駆け寄る。
すぐにシロウも駆けつけてきて、方陣へと飛び込みかける私達であったが、どういうわけか、方陣の周囲にはまるで透明の壁があるかのように私達の行く手を阻んでくる。
「くっ、ユイちゃん、馬鹿なことはやめてっ!!」
「そんな男を道連れにして何になるっ!! すぐに法陣を解けっ、ユイっ!!」
「無理。この男は、この男だけは私の獲物。横取りは許さない……」
本陣の傍らに立ち、そう呼びかけた私達から顔を背けて口を開いたユイ。
垣間見える表情は、普段から感情表現に乏しい彼女とは思えぬほどに暗く、恨みのこもったそれ。
その表情からは、彼女がジェガに対して抱く憎悪の大きさが無言のままに伝わってくるほどでもあった。
「ユイちゃん……」
そして、私はそれ以上彼女に対してかける言葉が見つからなかった。
恨みを抱き、自身の身を犠牲にしてでも倒したい相手と言うモノは私にもある。だからこそ、彼女の気持ちも分かるつもりなのだ。
それは、サキやシロウも同じようで、私と同様に口を噤んで為す術もなく法陣に飲みこまれはじめたジェガとユイを見つめるしかない。
そんな私達に対し、ユイはゆっくりと顔を向けてくる。その表情は、笑みとまではいかなくとも、先ほどまでの憎悪に満ちた表情では無かった。
◇◆◇◆◇
スメラギ皇国ホクリョウ地方。
四季の変化に富むスメラギの気候の中で、広大な草原と深い森林や湿地帯など、様々な自然条件が混在する地方であり、南部の地峡にてスメラギ本土と結ばれているのみの、小大陸でもある。
民族区分も、スメラギ人とアムル人が混在し、歴史的のもスメラギ皇室に対する反乱などもいくつか起こっている。
その後は、穏健な政策もあいまって徐々にスメラギに同化し、平穏な日々が続いていたが、折しも先の大戦の末期。
大陸での大戦に勝利したベラ・ルーシャ教国がユーベルライヒ、聖アルビオン、清華らとの激しい交戦を続けるスメラギの後背を突く形でホクリョウ地方に侵入。
多くの民間人が犠牲になっただけでなく、その後の占領、分割統治下にあっても、強制移住や強制収容所など、スメラギ・アムル両民族に対する過酷な統治が続けられていた。
ユイが生まれたのはそんな地だった。
彼女には同じく雪のように美しい白髪を持った姉がいるだけであり、本当の両親を彼女は知らない。
ただ、姉とともに宛がわれた育ての両親――スメラギ人の父と大陸からの移住民族の母とともに創り出された家族としての日々を送っていた。
ベラ・ルーシャがどういった意図でこの様なことをしたのかは分からない。
分かっているのは、両親共に生殖能力を奪われ、教国政府からの命令で結ばれた夫婦であったと言う事。
ただ、二人は良くも悪くも善良な男女で、ユイと姉カエデ――二人はユフィアとコーネリアという名を“与えられていた”――にとっては、優しい両親であった。
そんな形で産み出された家族と過ごす日々。
ただ、大戦の終結から五十年近くが経過したその頃には、ベラ・ルーシャの統治も当初ほどの過酷なものは無く、教団幹部やその家族に対する優越以外は、一応の平等な扱いが約束されていた。
曲がりなりにも宗教を基軸とする国家であるため、福祉環境などは整っていたことも大きい。
ユイの家族もまた、裕福ではなかったが食うに困るほどの過酷な日々を送ったいたわけでは無かったのだ。
しかし、そんな平穏も一人の人物の登場によって終わりを告げる。
大戦時における教国軍の英雄を両親に持ち、その後も大陸にて他国を蹂躙してきた猛将アークドルフが、毛嫌いするスメラギ方面総督として赴任してきたのである。
当初は誰もが困惑した人事であったのだが、今となっては、“女神の檻”を巡る思惑があった。
彼の目的は、“女神の檻”の動力源となる人物の捜索。
当時、すでにミオ・ヤマシナが実験体として利用されていたのだが、思うような成果を得られていない現状に、自ら乗り出してきたのである。
差別主義者である彼は、スメラギ人やアムル人を同じ人間とは思っておらず、非人道的な扱い後ろめたさを抱くこともない。
それ故に、彼の赴任と同時に、すでに当初の半数近くにまで減っていたスメラギ人やアムル人の平穏な生活は終わりを告げたのである。
礼状無しの逮捕と強制的な人体実験。用済みとなった人間は奴隷となって大陸送られる。
そんな状況下の中、ユイたちの家族にも運命の日はやってくる。
◇◆◇
あの日、顔を真っ青にしながら仕事から帰ってきたお母さんは、私と姉さんをクローゼットの中に隠れさせた。
普段は優しく、私達を乱暴に扱うことなどとは無縁の人だったけれど、その日は有無を言わさぬと言う行動。
家畜の世話をしていたお父さんもそのただ事ではない様子に、すべてを察していたようだった。
お母さんは、教団幹部の屋敷に下働きとして奉公をしており、そこから話が出たのであろう。
その幹部は、傲慢な人間が多い教団関係者としては珍しく、教団設立以来の志を全うするために福祉や貧民救済に力を入れている人物であり、お母さんのような被支配民族出身者を雇って仕事を与えていた。
おそらく、スメラギ人のお父さんと、アムル人の私達姉妹のことを案じたのだと思っている。
「大丈夫だからね? 私達がいなくなっても、コルデー様が来るまでは絶対に出ては駄目よ?」
私達を抱きしめ、そう告げたのがお母さんの“生きている”最後の姿。お父さんはそれきり姿を見てはいない。
ただ、それからしばらくして何か、争ったりするような物音は恐怖とともにいまだに脳裏に刻みつけられている。
そしてその後、どこか苛立ったような男達の声が震えながら抱き合っていた私達の耳に届いたのだ。
「こいつ等にはアムル人の姉妹がいるはずだ。探し出せっ」
あの野太く恐怖とともに身体をつく声。今になっても、恐怖で身体の芯を振るわせる男、アークドルフ。今となってはジェガと名乗る男の声が耳に届くと、クローゼットの隙間から見えたのは、家中の家具や隠れられそうな所に剣を突き立て、激しく揺すったり、叩いたりする兵士達の姿。
このまま隠れていては、いずれ二人とも見つかってしまう。
私が考えられたことを、姉さんが考えないはずはなかったのだ……。
「良い? 何があっても、出てきちゃ駄目よ?」
「お姉ちゃん……?」
「良いわね?」
そして、抱きしめていた私を放し、クローゼットに何が叩きつけられたのと同時に、転がり出るように外に飛び出した姉さん。
私は必死に口を押さえて声を出さないように努めていたが、そんな姉さんに突き付けられた剣と、見下ろすように冷たい視線を向けてくるジェガの姿が、視線の先にはあった。
「お前一人か? 妹は?」
「とっくに逃がしたよ」
「嘘は良くないな。まだ、三歳かそこらのはずだ。どこにいるんだ?」
「だから、もういないって言っているでしょっ!!」
そんな二人のやり取りを、私はただ震えながら聞いていることしかできなかった。いや、おそらくジェガは気づいていたんだと思う。
知っていながら、気丈に振る舞う姉さんの様子を楽しんでいただけなんだと思う。
「総督閣下。その辺りに……。あまりやり過ぎると、本国に報告しなければなりませんぞ?」
「ほう? 俺としては、貴様の猿どもに対する扶助の方がよほど本国の気に障るように思えるのだがな?」
「さようでございますか。しかし、閣下。目的が果たされたのですから、これ以上の行為は不要と考えますよ?」
「ふん。目的か……、つまりは?」
「貴方が探していた巫女……、それは彼女でございますよ。我が一族は、“天の巫女”様にお仕えした身。その御方が誰なのかぐらいは……」
そんな時、慌てて室内に駆け込んできた妙齢の女性。
彼女はお母さんが奉公していた家の女性当主であり、その言の通り、彼女の祖母に当たる人物は、“白の女神”を補佐する“天の巫女”なる人物に仕え、教団の基礎を作った人物。
そのため、総督とも対等なる地位を得ていたのであり、また、姉さんがどんな運命を背負って生まれてきたのかも知り得ていたのだ。
「ほう? はっはっはっは。猿どもの中にも真に使える人間がいたと言うことかっ。なれば良いわ、そこにいる小娘は貴様にくれてやる。好きにしろ」
「っ!? そんな、気づいて?」
「中々気丈だったがな。俺が気づかぬとでも思ったか?」
そんなやり取りを震えながら見つめていた私は、その時点で何も考えることはできなかった。
ただただ、思うがままにクローゼットを飛び出したのは、幼さのあまり致し方ないことだと思う。
「お姉ちゃんっ!!」
「ユイっ!? 出てきちゃ駄目って……」
そうして姉さんに抱きついた私であったが、そんな様子を見ていたジェガは、コルデーさんに対して冷然と話しかける。
「ふむ。妹の方も、巫女様と離れたくない様子だが?」
「っ!! カエデさん、良いわね? ユイちゃんは、こっちに来て」
それを受けて、コルデーさんは姉さんにそう話しかけると、優しく私を抱きしめて姉さんから引き離す。
当時、泣いたかどうかまでは覚えていない。
ただ、私を一瞥した後は、目を合わせることもなくジェガ等と一緒に去っていった姉さんの姿と今に倒れて冷たくなっていた……、ひどく暴行されていたお母さんの姿だけはいまだに目に焼き付いていている。
「ごめんなさい……。こんなことが正しいはずはないのに」
はじめこそ、私にそんなお母さんの姿を見せまいとしていたコルデーさんであったが、私が無理矢理に抜け出してしまってからは覚悟を決めたのであろう。
力無く項垂れつつ、家の者を呼んで埋葬してくれた後、無言でお母さんを見送った私に対してそう呟いたのは、彼女なりの贖罪であったのだろうか?
その後、私の身を守るべく、スメラギ人の奉公人夫婦と一緒にホクリョウ地方から逃がし、その先で私はミナギ達に出会った。
彼女達のおかげで、私は絶望することなく過ごすことが出来たのだと今更ながらに思える。
だからこそ、ミナギとのお別れをシロウとサキが私を無視してやってしまったことには、腹が立った。
ミナギはサキと違ってお姉さんぶることはせず、ツクシロ閣下の事もあって何事にも控えめであったのだけど、それだけに私達のことを誰よりも大切に思ってくれていた。
そう言う人だからこそ、私はいなくなってしまった姉さんの姿をミナギに重ねていたのかも知れない。
だからと言って、木に登って下りられなかった時に、助けに来てくれるとまでは思っていなかったけれど。
神衛の候補生として白桜に行くことを決めたのも、ミナギがツクシロ家の養女になって、神衛の候補生になっていることを知っていたから。
コルデー様がつけてくれた夫婦は、教団幹部の信頼を得ていただけあってその手の情報などを良く集めてくれたのだ。
だからこそ、ベラ・ルーシャの再侵攻の際に、真っ先に殺されてしまったのだが。
……こうして思い返してみると、別れの続いた人生だったと思う。
そして、その背後には、すべて眼前にて喚く男の影あった。私から家族を奪い、大切な人達を傷付け、今となっては、私自身の命すらも奪おうとしているこの男が。
「おのれっ!! 小娘ぇっっっ!!!!」
法陣はさらに光を増し、私達の身体を飲みこんでいく。永遠に続く闇の中に落とされ、終わることのない闇の中にてもがき続ける。
闇法術と言われる法術の中での最上位法術であり、私が“巫女の妹”で無ければ使役することなど不可能であっただろう。
ただ、最上位の使役は、刻印の保持者自身の身をも滅ぼすという曰く付きであり、私以前の保持者もまた、自身と敵対する人間を道連れに闇に身を鎮めていったのだという。
「怖いの? 散々、人を苦しめて来て……、自分が苦しむことが?」
「な、なにをっ!?」
しかし、自身の滅びを前にして、眼前の大男が喚く様は滑稽でしかない。こんな男が、私の家族を奪い、ミナギやサキ達を苦しめ続けたのだ。
「どうせ、どれだけ多くの人を苦しめてきたのかなんて覚えていないんでしょ? だったら、数え切れないほどの人の恨みを全部背負って、闇に沈んでいなさいよっ!! 貴方になんて、死すらも生ぬるいのよっ!!」
そう思うと、口も饒舌になる。ただ、この男を葬ったところで、この男に対する恨みが消えることもない。
「ユイちゃんっ!!」
そんな時、再び耳に届くミナギ達の声。
視線を向けると、ミナギもサキもシロウも涙を流して私を見ている。戦いの最中に何をしているの? とも思うが、それはそれで嬉しくも思える。
「みんな……。泣かないで、それから、ありがとう……、私と仲良くしてくれて」
「くっそ、そんなことを言うなよユイっ!!」
もう後戻りなんて出来ない。それが分かっていたからこその感謝だと思う。そんな私に対し、涙を拭って声を荒げてくるシロウ。
ちょっと、お馬鹿なところもあったけど、みんなを引っ張ってくれた頼りになるお兄さん。私にとっては大切な人だったと思う。
でも、皇子様に対して遠慮することはないと思う。
「そうよ。あんたが、死んじゃってどうなるって言うのっ!!」
シロウの言に応えるように口を開いてくるサキ。
気の強いお姉さんで、ちょっと口うるさいところもあったけど、私達を守るために自分の身を犠牲にすることも厭わない、本当に優しい人。
あんな事までしたんだから、本音を言えば、幸せになって欲しい。優しい人だから、自分を不幸にしてしまいそうだけど……。
「本当に、やめて……ユイちゃん」
そして、今また涙を流したまま私を見つめてくるミナギ。
私には想像もつかないような重いものを背負っているみたいだけど、本当にまた会えてよかった。
なんでだろう? 彼女に対しては、どうしても言葉が浮かんでこない。ただただ、また、会うことが出来て良かった。それだけが、私が抱いた気持ちだった。
そして、彼女達の背後にて彼女達を守るように戦う四人の男女。
皇太子ヒサヤ様、ミナギの兄ハヤトさん、ニュンとティグ皇女アドリエルとリアネイギスの両先輩。
あまり、話す機会もなかったと思うけど、三人が信頼をすると言う事は、いい人たちなんだと言う事は分かる。
特に、ヒサヤ様……。
立場も分かるし、簡単な事じゃないと思うけど、ミナギとサキを泣かしたら、闇のそこから怒りに来るから覚悟をしておいて欲しい。
「あれ?」
周囲にある人達に対し、一通り思いを向けた私だったが、ふと、頬を伝わる暖かい何かを感じ取る。
拭ってみると、手には地に混じって赤く滲んだ液体がついている。
「これって、涙? そういえば……」
今から思い返すと、姉さんと別れ、お母さんの死を見届けた時から、私は泣いた覚えがない。どんなに悲しいとかつらい事があっても、あの時経験した事から比べれば。という思いが今まであったのだろう。
だからこそ、自分の死に直面して、いや死すらも生ぬるい事に直面して、ようやく感情が表に出たのだろう。
そして、そうなってみて、ようやくその感情も理解できた。
「そっか……。私は死にたくないし、みんなとも別れたくないんだ……。でも、どのみち私は……」
ふと、赤く染まった胸元に目を向ける。
ジェガによって不意を討たれ、致命傷を負わされている。どちらにせよ、私は助からないのだ。
だからこそ、この憎く思う男だけは連れて行く。そして……。
「ばいばい……、私の、大事な……」
さすがに限界が来たのだろう。黒紫の光はさらに光度を増し、視界は徐々に狭くなっていく。
言いたかったはずの言葉も、もはや口には出来ないのかも知れない。だからこそ、最後にこのことだけは言っておきたかった。
「みんな、ありがとう……」
◇◆◇◆◇
そして、静かに、そう口を開いたユイの思考は、静かな眠りについていった。




