第二十一話
遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
目を閉ざし、一人瞑想する白髪の女性。
その落ち着いた立ち振る舞いに加え、顔立ちや外見は、自分達と同年代の少女であり、“巫女”としての威厳や風格を持ち合わせていると言っても、年齢相応の脆さが見え隠れしているようにケーイチには思えていた。
席を外せと言う“命令”ののち、彼はミナギ等とともに別室へと移されたが、特段拘束されるわけでもなく、巫女や武装神官たちに攻撃を加える素振りを見せなければ自由に過ごしてかまわないとも言われている。
そこに来て、ケーイチは、神将シイナ家の子息の一人であり、武装神官たちも遠目に巫女を見つめる事を咎める理由もなかった。
「なにか、御用ですか?」
しかし、見られている側は、例え精神修養をしっかりと終えていても、気にはかかるもの。
目を閉ざしたまま、当代の巫女、カエデはケーイチに対し、平坦な口調で声をかける。
「いえ。特に用事というモノは」
「そうですか。神将家の子息も存外役に立たないモノですね」
「う……、と言われますと?」
「貴方は立場上、皇太子ヒサヤの尊に次ぐ地位にある。加えて、我々に手を出さねば自由にしてかまわないとも申しました。なれば、彼の者達を貴方の手で成敗することに、何を躊躇いますか?」
「……なるほど。ですが、今の私は単純なる同行者。事を荒立てるつもりはありませんよ」
「そう。……やはり、同期生達を殿下に害されたことがしこりとなっているのですね?」
「さて、どうなのでしょうか?」
そう言うと、カエデは目を見開いてケーイチに対し、冷たい目線を向けながら口を開く。
たしかに、ケーイチ自身、ヒサヤと言うよりはシリュウに対して思うところはある。
もちろん、カザミや同期生達を失った事は自分の力不足という側面を強く恥じてはいるが、ヒサヤが率いていたのは幹部直属の最精鋭。
それらをすべて相手取り、討ち取った以上出来うる限りの事を彼はしている。
その上で、ヒサヤに敗れ、倒されていく同期達を救う事は適わず、さらに現れた暗殺者に銃撃されて負傷している。
恨みを持つよりは、自身の無力さを恥じる。
そう思いながら、皇太子であることが判明したそれまでの仇敵に対する怨嗟を彼は押さえ込んでいるのだった。
「ふう……。あの娘といい、貴方といい、見上げた忠誠心ですね……。彼があなた方に何をしてくれたというのです?」
そんなケーイチの心情を読み取ったカエデは、その整った顔立ちをさらに歪めるようにしてケーイチを鋭く見つめてくる。
はじめて表情を動かした。
そう思ったケーイチであったが、その問いに対しては、はっきり言えば考えたこともなかった。と言うのが本音である。
祖父より、国家、皇室への忠誠は幼き頃から教えられてきた。
盲目なる忠義ではなく、時には諫言もし、過ちを正しつつともに国家のためにあれという。
現に、祖父サゲツは、五年前に薨去した皇太子妃サヤに対しては、皇室の在り方を否定する言動が見られるとして、攻撃することはなくとも厳しく接する一面があったし、件のヤマシナ家が関連した事件に際しては、断固討伐を主張。
ミオの無実を知りつつも、禍根を断つとして、彼女に対する恩赦には反対し続けていた。
とはいえ、彼女を背後から援助していたという事実も、ケーイチは知っていたが。
しかし、それらを考えると、何をしてくれた? という問いかけには答えようがなかった。
「何を。と言われても答えようがないというのが本心ですね。自分は、生まれた時より臣下として生きてきていますし」
「そう……。つまりは、人形と同じわけね」
そんなケーイチの言に、カエデは顔を背けて声を落とす。
カエデ自身、ベラ・ルーシャの傀儡として操られ続けていた過去があり、人形として生きてきたことには嫌悪感が大きい。
だからこそ、ケーイチやミナギのような盲目なる相手に対しては、少々きつく当たってしまう面があることを彼女は否定できなかったのだ。
人形。と彼を形容した言も、彼に対する意地悪のつもりがあったことを否定出来なかった。
「……ふむ、たしかに、国家、皇室のために動き続ける人形。その通りかも知れません」
「変な男ね。顔が駄目かと思えば、性格までひねくれている」
「うっ……、そ、そこまで言いますか??」
「あら、傷ついた? 自覚していると思ったんだけど」
しかし、カエデの意地悪に対して、ケーイチは真剣な表情のまま頷き、それを肯定してくる。
思いがけぬ反応に、カエデは一瞬目を見開いたが、すぐに苦笑しつつ、今度は本気で悪口めいた言葉を口にしてしまう。
ケーイチもケーイチで、今度は本当にショックを受けたように、表情を歪め、顔を落とした。
たしかに、彼はヒサヤやハヤト、スザクのような整った容姿とは無縁であり、大柄な身体と強面の外見は、無骨な軍人の典型とも言える外見である。
実際の所、彼もそれを自覚しているからこその反応であるのだが、カエデは真っ正直な反応に思わず顔を綻ばせていたのだ。
「ふふ、それで、私を見つめていたのにも理由はないし、こうして私に平然と話しかけてくる。いったい何がしたいのかしらね?」
「本音を言えば、なんとか力をお貸しいただきたく思います。もっとも、巫女様の御心を騒がせることは望みませんが」
「はあ……、結局そう言うこと。まあ良いわ、下手に取り繕われるよりはね」
「っ!? では?」
そして、多少機嫌が良くなったのか、ケーイチに対して親しげにそう問い掛けたカエデは、彼の本音に触れて少々顔を歪めるも、隠し立てせずに本心を語った点は好印象でもあった。
「でももう、ミュウが部屋に行っているからできる事はしているわよ?」
「ミュウ?」
「そう。ミュウ・ティラ・パルティヌス……、私をケゴンの事件の際に救い出してくれた恩人。ただ、自由の身にしてくれなかったのはちょっとひどいけど」
「パルティヌス? では……」
「その辺りは、本人の口から語られるんじゃない? せっかくだし、一緒に見に行ってみましょうか?」
「は。護衛いたします」
「ふふ、良きに計らいなさい」
そう言って、立ち上がるカエデに対し、ゆっくりと近づいたケーイチに対し、周囲の武装神官たちは、頭を下げて彼女の背後へとケーイチを導く。
元々も家格はあれど、普段孤独である巫女に対し、物怖じせずに語りかけてくれた事実を、周囲の神官たちもありがたく思っていたのだった。
「でも、真実とかそういのが、必ずしも人を好くわけじゃないのよね」
「……?」
そんな周囲の様子を気にすることなく、小さくそう呟いた彼女の言は、ケーイチに耳にのみ届いていたのだった。
◇◆◇◆◇
“血の式典”事件の際、ヒサヤ様の護衛から離脱したミラ教官――その正体である亡国パルティノン最後の皇后ミュウ・ティラ・パルティヌスその人――は、ケゴンからわずかに離れたベラ・ルーシャ軍の本陣へと潜入し、そこで囲われていたカエデを救い出した。
それから、巫女の逝去と巫女としての力を覚醒させた彼女を伴い、このカスガの地へと脱出。
それ以降、彼女の成長を見守ってきたのだという。
「本来だったら、すぐにでも天津上やキツノに駆けつけなきゃ成らなかったんだけど、あの子を放って置くわけにいかなくてね……。殿下やミナギちゃんが無事で良かったわ」
はじめこそ、申し訳なさそうにそう語ったミラ教官改め、ミュウ様は、そこから表情を改めて、件の超兵器“女神の檻”に関する事実を語ってくれた。
根本的な原理までは彼女や巫女様の知識を持ってしても分からないと言う。
ただ、その力の根源体。
それは、巨大な魔力を持った“人”であるという。
その根源体となった人物の魔力を、あらゆる種の刻印へと送り込み、それらの力を巨大水晶へと集約させ、一気に解き放つ。
それは巨大な閃光となって対象を破壊すると同時に、周囲に恐ろしい呪印ばらまくという。
リヒト様の半身を冒した呪いそれであり、今、お兄様の身体に起こっている変化もまた、その際の閃光がもたらした呪いの一種であるというのだ。
「ほう? ヤツ等はそのような兵器を……。まあ、ベラ・ルーシャ本国の者達からすれば、スメラギや敵対国家への使用には躊躇いがないであろうな」
「事実として、ベラ・ルーシャ、聖アルビオン、清華等各国に人道という言葉ありませんね。貴方は、ベラ・ルーシャに組している以上、よく分かっているでしょう」
「ふん。そのような題目を唱えたところで飯は食えぬ」
一連の説明を受け、私達がその脅威に息を飲んでいる傍ら、不敵な笑みを浮かべたまま口を開いたスザクに対し、ミュウ様はわずかに苛立ちを覚えながらもそう口を開いている。
とはいえ、スザクが口にした“飯は食えぬ”という言葉は、現実問題として、明日を生きなければならない人間達の本音であるのかも知れなかった。
「しかし、巫女様がそれに関わっていたのだとすれば、制御の手段は……」
ミュウ様の言に、期待こめて私はそう口を開いたのだが、それは敵うことなくミュウ様は力無く首を振るう。
「巫女様の魔力を利用していたことは事実よ。だけど、あの子はそれ以上の関与はしていない……。そのサレムとか言う男がどこでその情報を入手したのかは分からないけど、恐らく、欺瞞情報を掴まされたのね」
「となると、女神の檻の制御にも」
「巫女様は関わっていないわ」
「つまり、我々が島から出れたのは、ジェガ等による制御が成っていた?」
「察しが良いわね。さすが、ハヤト君。恐らくそう。彼らの背後にいる組織は、巫女様を用いてそれを為していたつもりのようですが、その辺りはジェガ等の狡猾さが勝ったと言う事でしょう」
「となると、あれを止めるには……」
「その根源体を破壊……。正確には、殺す以外に手はないわね。ただし、結果としてどのような暴走が起こるのかも分からない」
「手詰まりか。最悪、強攻策を持ってとも思ったが……」
そんなミュウ様の言に、ヒサヤ様は額に手を当て顔を顰める。
実際、外部からの制御が不能である以上、破壊する以外に手はないのだろう。だが、それによって起こりうる可能性……。加えて言えば、毒を受けている以上、あの島が消えるほどの暴走が起これば、脱出に成功したとしても組織の人間は誰一人助からないことになる。
アドリエルやリアネイギスは、それも自業自得と言い切るかも知れないし、私と手それは否定できない気持ちもある。
ただ、ヒサヤ様やサキ、シロウ、ユイまで巻き込みかねない状況を考えると、それを良しとは出来なかった。
「脱出と破壊を平行しないとならない分けね。スザク、あんたらなら死んでも良いし、殺しも好きでしょ? 今までの罪滅ぼしに頑張りなさいよ」
「ふざけるな。なぜ、俺達が貴様等に協力せねばならん?」
「こんな話を聞いといて、協力しないつもり? 曲がりなりにもあんただってスメラギ人じゃない。ちったあ、罪を自覚したらどうなの?」
「知ったことか。俺達は殺しが好きだから、組織に従属している。女神の檻によるスメラギや世界に対する脅威など、むしろ歓迎するところだ」
そう言って、サキがスザク等に対してそう言いつつ詰め寄るも、彼らは彼女を敘言を鼻で笑い、協力を拒否する。
彼らがどのような経緯で組織に連れてこられたのかは分からない。
ただ、スザクの殺しを肯定する発言に、誰一人異を唱えず、むしろ笑みを浮かべて肯定した以上、それは本心なのであろう。
しかし。
「強がるのはやめなさい」
「っ!? 何ぃ?」
「巫女様……」
そんな声とともに、襖が開かれ、室内に足を踏み入れてくる巫女様。
入室するや否や、座ることなくスザクの前に立ち、彼を侮蔑するようなそんな冷たい視線を向けている。
強がるな。とは、いったいどういう事なのか? 室内にいる全員の視線が巫女様へと集まる。
「殺しが好き? 組織にいるのが良い? そんなことが理由じゃないわ。貴方は、そして、貴方たちは、単に野に放たれるのが怖いだけよ」
「なにぃ……?」
「地獄天のスザク。その正体は、閤家カミヨ家が子息、トモヤ・カミヨの双子の弟。しかし、幼き頃に引き離され、彼の影として生きることを宿命付けられた。そして、わずか十歳の頃に、養子先から失踪。当時ベラ・ルーシャ総督であったジェガ等に拾われ、今に至ると」
「貴様……、なぜ」
「私も、ジェガ――アークドルフに飼われていた身。貴方には見覚えがあるのよ。そして、結局、私も貴方も、何かに縛られていなければ生きていられない。自分の足で地に立つことが怖くて怖くて仕方がないのよ」
「っ!? 貴様っ!!」
「させるかっ!!」
そして、自身の過去を暴露され、さらにはその本心すらもさらけ出されたスザクは、それまでの他者を小馬鹿にしていた態度を一片、憎悪を表情に浮かべて巫女様へと躍りかかる。
しかし、すぐさま背後に控えていたケーイチさんが巫女様を守るように立ち、慌てて飛び掛かった私達がすぐに彼を押さえ込む。
他の暗殺者たちもその様に色めきだったが、サキが構えた矢をスザクの眼前に突き付け、武装神官たちが無駄の無い動きで彼らを取り囲むと、それ以上の抵抗をしようがなかった。
「ま、どちらにせよ。私を殺そうとした以上、相応の報いは受けてもらうわ。連れて行って」
「ぐっ、貴様、離せっ!!」
「冗談じゃない。殿下にも、巫女様にも手は出させんぞっ!!」
そして、スザクをはじめとする暗殺者たちは、ケーイチさんや武装神官たちに抑えられて部屋から連れ出されていく。
一瞬の激発に対応した鼓動を自覚しながら、私はその光景に目を向ける。
もし仮に、彼らが協力を申し出ていれば……。とは思わずにはいられなかったのだ。
どのみち、毒を投与された身である。牢獄内にて、最後の時を待つ以外、彼らに選択肢は残されぬ事になったのだ。
「毒に関しては、私がなんとかしてあげるわよ。いっそ、氷付けにでもしておけば進行は止まるわ」
「それよりも、協力を願い出てくるわよ。あの手の者達は、殺し合いで死ぬことは肯定できても、毒で死ぬことなんて受け入れられない」
そんな私の考えを察したのか、笑みを浮かべながら物騒なことを口にするミュウ様に対し、巫女様は冷めた表情で暗殺者たちの心情を告げてくる。
たしかに、彼らのような目先の快楽を優先する人間が、迫り来る死を受け入れるとは思いがたかった。
「さて、シイナが戻って来たら、本題に入るとしましょう。時間はもう無いはずだしね」
「本題?」
ゆっくりと腰を下ろして、そう口を開いた巫女様の言に、私達は再び顔を合わせる。
可能な限りの情報はミュウ様の口から聞くことは出来たと思うが、巫女様の表情には、どこか重大な秘密があることを告げてくるように思える。
「ええ。特にミナギさん、貴女は知っておかねばならない事実なのよ。その“女神の檻”に関する真実はわね」
そして、声を落としながらそう告げてきた巫女様の視線に、私は背筋に冷たいモノを感じざるを得なかった。




