第二十話
二日間もあけてしまい、申し訳ありませんでした。
光が霧散すると、そこは落ち着いた間取りの和室であった。
い草や檜の良い香りが鼻腔をくすぐり、一瞬、気持ちを落ち着かせてくれるその部屋。だが、生憎とそれらをゆっくりと楽しませてくれるような状況ではなかった。
「カスガ離宮へようこそ。暗殺者の皆様」
灯火に照らされた切っ先が鮮やかに光り輝きつつ私達の眼前に突き付けられる中、落ち着いた女性の声が私達に耳に届く。
私達に向けられた殺気に対し、その声の主からは、なんとも近づきがたい、殺気よりもさらに恐ろしいものを前にしているような雰囲気が漂っているのだ。
腰まで伸びた雪のように白い髪がその存在をさらに神秘的なものにしているのも大きいとは思うが。
「……貴公が、当代の巫女カエデか?」
「その通りでございますよ。皇太子殿下」
そして、そんな女性の姿に私達が沈黙している中、言葉通り、この場にあっては唯一彼女と対等の立場にあるヒサヤ様が口を開く。
予想されたことではあるが、すでにヒサヤ様の正体。いや、私達のことも含めて知り得ている様子であり、その問い掛けに巫女様は不敵な笑みを浮かべながら応じる。
「お見通しか。で、俺達はともかく、なんでこいつ等まで呼び寄せたんだ?」
その返答にヒサヤ様は軽く頷くと、今度は私達の傍らにて巫女様をはじめとする武装神官たちを睨み付けている一団を指し示す。
「なぜ? と言われましても。離宮に忍び込んだ不届き者を捕らえさせていただいたのですが?」
「そうか。で、なんで俺達まで同じ扱いを受けているんだ?」
「私の暗殺狙い、聖地に土足で踏み行った罪は同等ですので」
「おいおい、そう来るか?」
「ふふ、殿下も中々に滑稽ですな」
「あっさり捕まったお前が言うな。まったく、散々おちょくりやがって」
「余裕にございますね。お二人とも」
そんなヒサヤ様の言に、巫女様は表情を動かすことなくそう応じる。
ヒサヤ様ももう一方の一団を率いるスザクも、苦笑しながら肩をすくめるも、巫女様の合図で武装神官たちの得物がさらに鋭く突き付けられる。
「本気か?」
「私は、巫女にございますが、正式に神皇陛下の勅裁を受けたわけではございませぬ。そして、貴方様は暗殺者シリュウその人でしかない。私達は、お互いに紛い物という事ですよ」
「……だから、天津上やキツノにも介入しなかったのか」
「ええ。先代巫女の死に乗じ、カスガの地に居座る不届き者。私をそう罵った人間がどれだけいたことか……、私とて、望んでこの地にあるわけではないのに」
そんな巫女様側の態度に、さすがにヒサヤ様は目を見開き、その後は視線を鋭く巫女様を睨み付ける。
それに対する巫女様は、表情を動かすこともなく、ただただ空疎な態度のままそう告げてくるのだ。
実際、私が知らない五年間の反応等は知るよしもない。
当然、ヒサヤ様にサキ。囚われの身であったお兄様も分からないだろう。となれば、ケーイチさんぐらいだとは思うが。
「実際、どうだったんです?」
「たしかに、祖父は良い顔をされていませんでした。ただ、キルキタは常に交戦下にありましたから」
小声でそう問い掛けて見たが、やはり有益な情報はない。
ケーイチさん達、シイナ家軍はベラ・ルーシャ占領地域のまっただ中に位置するキルキタ高原で激しい交戦を続けているのだから致し方ないとは思うが……。
やはり、サゲツ・シイナ閣下のような保守的な人物の支持は得られていないと言うことなのだろう。
「なるほど……。それで、俺達をどうするつもりだ?」
「帰ってもらうつもりですが、そのままにするとまた襲いかかってきそうですしね。ま、少し考えますから、そちらで休んでいてください」
「ま、待ってください。こちらの者達はともかく、私達は巫女様を害そうなどとは思っておりませぬ。どうか、お話だけでも聞いてはいただけませぬか?」
そうして、何かを得心したかのように頷いたヒサヤ様は、自分達の処遇について巫女様に問い掛ける。
なぜそのような悠長な事を言っていられるのかは正直分からなかったが、今ここで引き下がっても、残された時間はわずかしかないのだ。休んでいる余裕などははっきり言ってない。
しかし、私の言に巫女様はわずかに表情を歪めると、やれやれといった様子で首を振り、ゆっくりと口を開いた。
「…………話の内容など大枠では分かっていますよ。先に言っておきますが、私は“女神の檻”の制御方も解毒方法も知りませんよ? どうやら、貴女たちのお仲間は私の力を過信していたようだけど」
「えっ?」
「そ、それじゃあ……、何のために」
そんな巫女様の言に、私とサキは思わず目を見開き、言葉を詰まらせる。ケーイチさんやお兄様も同様なようで、口にこそださなかったが、一瞬眉を顰めている。
「はぁ……。落胆されても困りますけどね。ま、どうするかは少し考えますから、さっさと出て行きなさい」
「し、しかし……」
「出て行きなさい」
「っ!?」
そんな私達に対し、やや呆れ口調の巫女様。
とはいえ、ここで引き下がるわけにも行かず、さらに反論を試みようとした矢先、それまで以上に冷たくかつ厳かな巫女様の声に、私はおろこ、ヒサヤ様やスザクまでもが目を見開いて凍りつく。
このスメラギにあって、唯一神皇と対等の位置にある女性。
その人物が持つ風格と恐ろしさは、百戦錬磨の暗殺者すらも凍りつかせるほどの威厳に満ちていたのであった。
◇◆◇◆◇
すでに陽は傾きはじめていた。
作戦の開始まであと数時間。だが、それまでにヒサヤ等からの合図がなければ、脱出計画は破棄され、本拠地への陽動爆破と同時に全員で“女神の檻”への破壊へと向かう。
そうなれば、島からの脱出を望む島民等の望みは叶わぬモノとなるが、女神の檻が健在である以上、下手に脱出すればあの禍々しき閃光によって海の藻屑と成り果てるだけである。
「何か見えましたか?」
「いや、何も……。して、何用にございますか?」
隠し船渠のある岬に立ち、北方を見つめるアドリエルに対し、ゆっくりと歩み寄ってきたサレムは、飲み物の入った水筒を手渡しながら彼女の傍らに立つ。
リアネイギスが周囲を警戒していたが、とりあえずの危険はないと判断したのだろう。
両名ともに、シロウやユイはともかくとして、この男をはじめとする同志全員をアドリエルもリアネイギスも信用しているわけではなかった。
「いえ。今となって、不安になってきましてね」
「ほう?」
「私の得た情報では、“女神の檻”への巫女の関与。毒に対する知識。これらは巫女と接触できれば解決できること。そう思っておりましたが……」
「甘い見通しであろうな」
「はは。ミオ殿やリアネイギス殿にも言われました」
そう言って力無く笑うサレムからアドリエルは無言で視線を外し、いまだに波高い海と緑に覆われた大地を見つめる。
“女神の檻”に光が灯ってから、島の周囲を覆っていた暴風雨は南方へと去り、今ははじめの潜入した時とは比べものにならない程の晴天に恵まれている。
とはいえ、島は火山ガスが方々から噴き出しているため、決して澄んだ空気になっているわけではなかったのだが。
しかし、ミナギ等からの合図を見届けるには十分でも、脱出行動のためにはこの好天は好ましくない。
追撃を受けるのは明白であるし、非戦闘員を抱える以上、こちらが不利になることは火を見るよりも明らかなのだ。
「…………サレム殿。その情報の出所はどこなのですか?」
「え? ジェガやシオンへの内偵によって積み重ねた情報ですが……」
「彼らが気づかぬとは思えませぬが?」
「もちろん、いくつもの欺瞞情報や改鋳、改変は見つかりました。検討を重ねた末に辿り着いた情報ではあるのですよ」
「ふむ。そこで、巫女の関与を?」
「はい。彼女の離反以降、制御に手こずっていた様子ですし、巫女の力を持ってすれば遠方からでも制御は可能。現に、当代の巫女はホクリョウ地方の出身でありますが故に」
「あくまでも、想像か。悪いが、本拠地攻めの覚悟を決めておいた方がよい。私はそう考えるぞ?」
「やはり、そうなのですね」
アドリエル自身、サレムに対する不信感から出る言葉だというのは理解していた。
実際、彼らの力でジェガ達から情報を来出すことが可能かと言えば、答えは否であろうし、巫女の行動を考えると、素直にこちらに味方するとも彼女には思えなかった。
それに、ヒサヤたちには毒を制御する薬を多めに渡しており、ある程度の時間は確保できる。
それを考えれば、協力を取り付けたとしても、巫女がヒサヤたちをこちらへ帰すとも思いがたかった。
「しかし、数年かかってようやく得た機会なのです。……間違いなくこれが」
サレム自身が腹芸をしているのか、心の底からそう考えているのかまではアドリエルには分からない。
ただ、今の彼の発言は、たしかに同志達の多くの代弁であろう。重ねた罪は大きけれど、そこに至った状況は同情にも値する。
赦免に至るかどうかは別としても。
「分かっています。だが、それは脱出ではなく、組織の壊滅によって成される。そのこと覚悟するべきでしょう――――むっ!?」
「こ、これは……っ!?」
そんな時、傾きはじめた夕陽からもたらされる陽光は姿を消し、アドリエルとサレムの立つ岬周辺、いや、島全体が緩やかに闇に包まれはじめる。
そして、二人が導かれるように本拠地最上部へと視線を向けると、それまで禍々しく光り輝いていたそれは、徐々に光を失い、やがては深紫と漆黒の光が小さく渦巻くような姿となって停滞しはじめる。
すると、彼女達の背後では、それを待っていたかのように、闇に飲まれた太陽が再び顔を出したかのような、赤々とした巨大な火球が天へと上り、やがて激しい光ともに霧散する光景が、遠きスメラギ本土上空において起こったのだ。
「賭に勝った。と言うことか?」
「そのようですね。行きましょうっ!!」
その光景に、一人ゆっくりと呟くアドリエルに対し、力強く応じて地を駆けていくサレム。
しかし、それに応じたとは言え、アドリエルはどうにもならない違和感を取り除くことが出来なかった。
「……これだけ、時の余裕を持って事が成る? 出来すぎてはいまいか?」
「まあ、間違ってないわね」
「リア……。やはり?」
サレムの背を見送り、一人そう口を開いたアドリエルに対し、闇の中からゆっくりと現れたリアネイギスが応じる。
やはり、二人ともに感じた違和感はたしかなものであるようだ。
「とりあえず、閣下の言うとおりに動くしかないわ。少なくとも、シロウやユイまで犬死にさせるわけにはいかないしね」
「閣下は残られるか?」
「恐らくね。手の者達も、覚悟は決めている。となれば、船の方は私達がどうにかするしかない」
「うむ……。敵幹部クラスをどうにかせぬ事にはな」
そうして、お互いに為すべき事を確認しあう二人。
予想外の状況に、事が早まることは明白であり、ヒサヤやミナギの帰還は期待出来そうにもないのだ。
「戻ろう。ま、たまには本気を出すのも悪くはない」
「ふ、ティグの皇女よ……闘神の血が騒ぐか?」
「捨て駒にされてやるほど、物わかりのいい性格をしていないんでね。さ、行こう」
そして、互いに不敵な笑みを浮かべあうと、二人は船渠へと通じる道を駆け出しはじめたのだった。
◇◆◇◆◇
南の空が暗闇に包まれたかと思うと、ほどなく上空へと放たれた巨大火球。
当然、私もヒサヤ様も法術を使役などしていないし、それはカスガ離宮とは関係のない場所から放たれたモノであるのだ。
「まずいな。こんな無意味なことを他に実行する者がいるとは……」
「ど、どうする……? 巫女さんの協力は無理そうだし、いっそ強行突破とか」
「無理ですよ。朝のように連れ戻されるのがオチです」
私達が軟禁されている部屋は、二十畳ほどの広さを誇る和室で、廊下や外に設けられた檜舞台を通じて巫女様の部屋と繋がっている。
邪魔さえしなければ自由にして良い。との事であったが、スザク等と同室内で睨み会っている以上、好きに動くわけもいかないのだ。
「ふ、何を企んでいるのかは知らぬが、貴様等にとっては望まぬ状況にあるようだな」
「貴様等にとってもな。巫女の暗殺も果たせず捕らえられ、無益な時間を過ごす。毒でもがき苦しみながら死ぬまであとどれほどだ?」
「さてな。貴様等はすでに対策済みと言う事か?」
「知るか。どちらにせよ、貴様に話すことではない」
そんな私達に対し、不敵な表情を浮かべたスザクが口を開く。
他の暗殺者たちは不快気な表情で私達を睨んでいるが、この男だけは相変わらず余裕な表情である。
実際問題、私達と同様に彼らにも島外での活動には制限があり、二十四時間。つまり、今日の深夜0時を迎えた時には植えつけられた毒が全身を蝕む。
サレムさんの用意した薬があるとはいえ、これを全面的に信用するほど楽観的ではない。
すでに状況が動いてしまっている以上、事前の予定はすべて疑って掛かった方がよい。
「ふん。それより……、いつまでそうしているつもりだ?」
「あ?」
「両手に花と言うわけか? ふん、俺に対する嫌味か」
そんな私達に対し、不敵な笑みをやや陰らしつつ口を開いたスザク。他の男性暗殺者たちも忌々しげに私達を見つめている。
たしかに、突然の状況に、私とサキがヒサヤ様の両腕に腕を絡める形になっているのだが。
「それこそ、知ったことか」
「スザクこそ、見た目だけはいいんだから、そのクソみたいな性格を直せばいいんじゃないの?」
「あんたっ、言うに事欠いてそれかい? 阿婆擦れが」
「どっちが……。男に媚びを売って生きてきたのはお互い様だろ」
吐き捨てるようにそう告げたヒサヤ様に便乗する形で、スザクに対してそう口を開くサキ。以前からだが、この二人は仲が悪かったらしいが、そんなサキの言にスザクの周囲に座す女暗殺者が声を荒げる。
私達がヒサヤ様を守ろうとするように、彼女もまたスザクを守護しようとうのであろう。
しかし、サキもそれに怯むことなく彼女を睨み付け声を荒げると、他暗殺者たちも得物に手をかけて彼女を睨み付けてくる。
巫女は自分達の優位を確信しているためか、私達から武器を取り上げることはせず、この場にあっても皆が皆、武器を持っているのだ。
「サ、サキ、落ち着いて」
「こんなところで揉めても仕方ないだろう」
そんな状況であると同時に、お互いに血の気の多い暗殺集団。プロの暗殺者であるが、その性質はチンピラに近いという事もあり、ちょっとしたことでも殺傷沙汰に発展しかねないのだ。
実際、お互いにあっさりと殺気だってしまった以上、止めないわけにもいかず、私とお兄様がサキを宥める。
しかし、彼女いまだに女暗殺者を睨んだまま、得意の弓を握りしめている。
懐に飛び込まれでもすれば、冷静に射殺する――暗殺者たちを睨む彼女の視線はそんな思いを語っている。
白桜時代から、その弓の才は抜きんでていたが、この五年の間にそれだけの腕前にしあがってもいるのだ。
だからこそ、苛立ちをそのまま彼女等にぶつけているのであろう。しかし、ここで事を起こしてさらに巫女様の不興を買うわけにもいかなかったのだ。
「な~にを、やっているのかしら~~?」
そんな一触即発の状況の室内に、襖の開かれる音と柔らかな女性の声が響き渡る。
「えっ!?」
そして、視線を向けた私の目映る声の主。それは、全員が一瞬目を奪われて当然とも言えるような、気品に満ちた美貌の持ち主であると同時に、私にとっては見覚えのある女性であったのだ。
「ミ、ミラ教官……?」
「ふふ。お久しぶりね~、ミナギちゃん。うーん、ますますミオさんに似て美人になったわねえ~」
そんな私の言に、五年前と変わらぬ。いや、初対面の十年前と何ら変わることのない柔らかな笑みを浮かべた女性は、私が呼んだ“ミラ教官”という言にゆっくりと頷いていた。
投稿をあけた分当然かも知れませんが、今の展開はお気に召さないのでしょうか?
正直なところ、この展開を変えるのは無理ですのでブクマを外すなとか言えるわけもないのですが、気に入らないところとかがあったら言ってもらえると創作の糧になるのですが……。
もし、気が向いたら遠慮なくお願いします。




