第十八話
灯された炎の揺らめきが、それに当てられて激しく踊り始める。
周囲を包み込む音色。
横笛、鈴、錫杖によって奏でられるそれにあわせ、白き装束に身を包んだ者達が一糸乱れぬ舞を披露する。
戦神の舞い。
スメラギ皇国にあって、神衛軍の出撃。つまりは、皇族達による親征の際に戦勝を祈願して捧げられる舞であり、元来特徴的な作りである神衛軍の正装は、このために用意されていると言う。
手にした鈴や錫杖は、戦場にあっては得物へと姿を変え、余分に見える帯や袖の部分は、一見邪魔のように見えて、相手との間合いを正確に計るために計算されている。
彼らにとって、この舞がそのまま戦いの型となっており、熟達者達の戦いぶりは一種の美しさを誇るほどに洗練され、時には敵対者すらも魅了し、味方を鼓舞する。
今、ミナギやミオ、ユイ、ミツルギと言った面々の舞に、それを始めて目にする同志達の大半は目を奪われ、同時にその洗練された動作に不思議と戦いへの高揚感に包まれていく。
戦いを前にした死への恐怖、未知なる未来への不安。
それらを戦への高揚感によって超越させ、恐怖や不安を取り除くことは、結果として兵の損失を抑えることにも繋がる。
そして、これを舞う者達すなわち皇室神衛もまた、舞を通じて高揚感とともに戦への覚悟を固め、守護すべき相手への忠誠や献身を身に刻んでいくのであった。
◇◆◇
「それでは、みんな。頼むぞっ」
戦神の舞いを終え、身支度を調えた私達は、そのまま黒装束に身を包んだ同志達の元に混じる。
神衛の白き衣装は隠密行動には合わないが、これはこれで私達にとっては身体同然のもの。それでも、お母様の手の者達もあわせれば十人前後に増える白装束の一団は、この場にあっては異様に映る。
「ユイちゃんも、神衛服を大事にしていたんですね」
「成長に合わせて改造した。器用でしょ?」
「ええ。ほとんど違和感無いですよ」
「……これでも、神衛であったことは忘れたことはない」
「分かっていますよ」
今回、お母様とともに潜入していた数人の神衛。私達もあわせればちょうど八人になり、戦神の舞いを行うのにちょうどよい人数になったのである。
もっとも、私とユイは初めての本番であったため、上手くいったのは全くの偶然と言えたのだが……、今回の作戦に当たっては幸先良い結果になってくれたようだ。
「…………死なないでね」
「え?」
「ミナギが死んだら、たくさんの人が悲しむ。だから……」
「ええ。ユイちゃんもね?」
そんなことを考えていた私に、相変わらずのぼそりとした話し方でそう口を開いたユイ。
たしかに、彼女の言うとおり、お母様やヒサヤ様。ハルカ、サキ、シロウ、アドリエル、リアネイギス等の友人達やミルや老母様、老父様達など、ようやく再会できた人達との別れは悲しすぎる。
だが、それはユイもまた同様だろう。
そう思ったからこその返事だったのだが、ユイは私の返事に一瞬目を見開いて逡巡するような様子を見せ、少し間を置いてからゆっくりと頷く。
他人を気遣う余裕はあるようだが、自分のことにまでは気が回らなかったのだろうか?
「それじゃ、私は行ってくる」
「ええ。お互い、悔いは残さぬようにしましょう」
そして、ユイは他の者達とともに、脱出行の下準備へと向かう。すでに時は動き始め、留まることは出来ないところにまで来ている。
となれば、私達に出来ることは、自身の全力を尽くすことだけだった。
◇◆◇
飛竜に跨がると、手綱を握るヒサヤ様の背中が普段よりも大きく見えた。
舞を終えた私は、ヒサヤ様とサキとともに本拠地へと向かい、宛がわれた任務を果たすべくジェガ等、集結した幹部達の眼前にある。
「薬は二十四時間で切れる。時間を過ぎれば……分かっているな?」
飛竜の背に跨がった私達に鋭い視線を向けながらそう口を開くジェガ。
手渡された錠剤は、島のガスを吸っていなくても全身に流された毒の覚醒を押さえ込む。
しかし、時間をほんの一秒でも過ぎれば、私はそれを射ち込まれた時に味あわされた苦痛の数倍以上の痛みを与えられ、全身から血を吹き出しながら死に至るという。
捕縛された際に、組織の情報が漏れぬ為の処置であると言うが、法術によって苦痛を与えることも可能であることを考えれば、その気になれば外からも毒を覚醒させられるとも思われる。
それが可能であるのならば、こちらとすればお手上げであるため、今は錠剤と口元を覆う特殊布を信じる以外にはない。
この特殊布もまた、覚醒を抑える薬が染みこまされていて、双方の効果を考えれば期限は一日半という所だろう。
一日半という期限は、ベラ・ルーシャ側から天津上へと突き付けられた期限を半日残す時間であり、最大限にまで巫女との接触に時間を費やしたとすれば、女神の檻の破壊は半日で行う必要があることになる。
どちらにせよ、時間との戦いと言う側面は覆しようがなかった。
「ふ、あの時の娘と任務をともにするとは思わなかったな。お手柔らかに頼む」
出立の刻限が迫り、シリュウ――ヒサヤ様の駆る飛竜の傍らには、同じ幹部であるスザクが坐乗する飛竜が翼を休める。
私は無言で彼を睨み付けたが、とうのスザクはどこ吹く風といった様子。
スザクは私が目を覚ました後、最初に対峙した男。その時はベラ・ルーシャの軍人としての対戦であったが、その尋常ではない技量は今思い返してみても背に冷たいモノが浮かび上がる。
ただ、初対面の時から、ある男に似た顔立ち故にか、生理的に受け付けない面のある男でもある。
今回の作戦を成功させる上では、避けては通れない相手でもあるのだが。
「行くぞ」
「はい」
「ミナギ、掴まるよ?」
「ええ。落ちないでくださいね」
スザクの言を無視し、無言で睨み付けていた私に対し、手綱を握るヒサヤ様は短くそう告げ、手綱を振るうと、私と背後に座るサキは眼前の相手の身体に抱きつくようにして、振り落とされぬよう力をこめる。
即座に、全身に感じる浮遊感。
何かが身体の芯を突き抜けているような感じを受けたと思った時には、本拠地最上部に灯る禍々しき光が間近にあった。
跳び上がった飛竜は、瞬時に私達を虚空へと運んだのであろう。それから、巨大な翼を悠然と羽ばたかせると、漆黒の闇間を悠然と進んでいく。
「…………やっぱり敵わないわね」
そんな時、サキの呟きが耳に届く。気持ち、胸元に掴まる彼女の力が強くなった気がするのだが、それは緊張のためであろう。
「そうですね。周りの者達も精鋭のようです」
「そうじゃないわよ。今更、あいつ等なんかに、遅れは取らないわ」
「では、何がです??」
「……良いでしょ。なんだって」
しかし、私の考えは外れていたようで、なぜか不機嫌そうにそう答えたサキに、私は困惑するも、それ以上彼女は答えてくれなかった。
「二人とも、私語は止せ。それより、薬を飲んで布を当てろ。そろそろ島のガスも届かなくなる」
そんな私達に、ヒサヤ様はそう告げると、顔を覆う布を外して錠剤を口に含む。
普段から口元を覆っているのだが、組織の人間の前では火傷を隠していることになっており、今もそのための擬態をしているため、いちいち取り外すのが面倒そうでもあった。
「……改めて、あの光は薄気味悪いですね」
「スメラギを滅ぼす光だからな。見ていて良い気分はしない」
助剤を飲みこみながら、私は後方にて瞬く光へと視線を向ける。
ヒサヤ様の言の通り、私達にとってはまさに呪いとも言える光。あの光が、天津上に降り注げば、“千年の都”と形容される皇都天津上は、数多の兵士達の思いとともにこの地上から永遠に消え去ることになる。
そんなことは絶対に許すわけにはいかなかった。
「でも……」
「どうしたの?」
「いえ、何でもありませんよ」
思わず口をついた呟き。
視線の先にある禍々しき光は、先ほども言ったように、不快なモノでしかないはず。
だが、どういうわけなのか、再びその光に視線を向けた私は、光の瞬きがひどく悲しんでいるような。そんな風に見えたのである。
とはいえ、スメラギに害をもたらす兵器である以上、そんな感情を抱いたところで目的に変化があるわけ無い。
今は、目の前にある責務を果たすのみ。
遠き海上へと光の瞬きが遠くなる中、私は自身の心に強くそう語りかけていた。
◇◆◇◆◇
「飛竜部隊が影響圏に入ります」
「予定通りか。停止させろ」
水晶球に映りこむ飛竜達の影。
組織の暗殺者たちがその背に乗り込み、標的の下へと向かう。それまでに何百、何千と繰り返された光景であった。
しかし、こうして表に出た禍々しき光を目にすると、それを操り続けて来た彼らとしても薄気味が悪い。
「ジェガは、実験に成功したと言っていたが……」
円座に腰掛け、その表情に闇を纏った男が静かに口を開く。
この場に集まった者達。それまで、世界を影で操ってきたと自負する彼らであったが、互いの素性を探らぬと言うのは暗黙の了解でもある。
だが、珍しくも、眼前にて瞬く禍々しき光を前に、全員の見解は一致しつつもあった。
「秘密裏に。という約定は忘れたようですなあ」
「まあ、良かろう。あの男は色々と知りすぎた……。後のことはヤツがすべて片付けるはずだ」
ジェガが、アークドルフと名乗るベラ・ルーシャスメラギ方面総督だった頃より続けて来た研究。
それは、スメラギ沖に隠した“女神の檻”をさらに強力な兵器として生まれ変わらせると言う事。
元々、この者たちに協力していたスメラギ人が研究を進めていたものであり、その内情は極めて非人道的なものでもある。
それ故に、スメラギの巫女なる者に目を付け、次代を担うという少女を捕らえ、そのために利用してきたのだ。
生憎と、こちらの都合によってスメラギ討滅を早めた結果、件の少女の逃走を許し、今となっては“スメラギの巫女”を名乗ってこちらに対して反抗している。
だが、その巫女以上の素材をあの男達は手に入れ、こうして研究を実現させた。
こうなれば、スメラギの滅亡はほぼ決定されたようなもの。残された時間は、“猿”と呼んで侮蔑を向ける彼らの中では、精一杯に譲歩した同情でもあるのだった。
「ジェガ以上に御しがたい男ではあるが……」
「御しがたくはあるが、あの男は自分の欲望には忠実だ。今回も金と自身の元から消えた女が側にやってきた。あの女をくれてやるのは惜しいが、手懐けるためには投資も必要であろう」
そして、秘密を知るもう一人の男。
懸念の通り、殺戮に狂うジェガ以上に扱いづらく、こちらに服従することなどあり得ない男であったのだが、幸いにも自身の欲望に忠実であり、野心も感じない男である以上、その欲望を満たしてやれば良い。と言うのも共通した認識であった。
「まあ、今はあちらの出方を見てやるとしよう。仮に、下手を打った時には……」
そう言うと、発言者の男は口元に笑みを浮かべる。
如何に御しがたい男であろうとも、主導権は常にこちらにある。その場にある者達は、皆が皆、そう言った認識を持ち、悠然と水晶球の先へと視線を向けるのだった。
◇◆◇◆◇
船渠へと通じる横穴から、一人また一人と脱出船へ乗り込んでいく。
前々からの手筈通り、島で働く民間人――暗殺を生業としない曰く付きの人間達は、脱出のための生活物資を手に地下道を駆使してこちらへと足を向けていた。
訓練された人間でない以上、行動の際に漏れる音を消すのは容易ではなく、作戦に賛同していない人間達の視界に晒される者達も多い。
そんな者達を、出来うる限り視界から遠ざけるための手段。それは、古来からの作法通り、“囮”と言うものを用いていた。
それも、美しくかつ勇猛という名の極上の囮を。
「爆破班や誘導班はどうなっている?」
「今のところは順調なようだ。ま、これくらいのこと、そうでなくては困るがな……」
そんな“囮”役を担うのは、ニュンの皇女、アドリエルとティグの皇女、リアネイギス。
ともに国内でも著名な亜人種であり、その中でも二人は外見の美しさは当然のように目を惹く人物である。
加えて、ミナギが捕縛されたことにより、彼女達の情報も組織に流れているため、囮にはもってこいであるのだ。
また、万が一の間違いが無いよう、追撃には同志達の一部が加わってもいる。互いに認識できるような印を持ち、追撃を続ける彼女ら。
どこか、見下したような言い分の両者であったが、二人にとっては、どうにもこの作戦はきな臭かった。
「ミナギは単純なところもあるからともかく、ツクシロ閣下はなんであんなに軽率なんだ?」
「さてな。あの方なりに考えがあると思うしかあるまい」
「だけどさ……、巫女なんかが頼りになるの?」
「ならぬだろう。閣下やサレムとやらはああ言うが、“女神の檻”は侵略者どもが生みだした魔の兵器。当代の巫女がそれに拘わっていたとしても、それは幼子の時節。とても、有益な情報を拾うことなど出来ぬ」
追撃者達を三枚に下ろし、額をなんなく射抜きながら互いに言葉を交わしあう両者。
当初より、ミオはどこか隠し立てをしているように思っていた両者は、あえて距離を取って事の趨勢を見据えている。
サキやシロウのような、闇の世界に身を浸して者達ですらも気づくことのない独特の嗅覚を、彼女達は持ち得ているのだった。
「殿下、ミナギ、ケーイチ、ついでにハヤト先輩……。わざとよね?」
「サキはおまけであろうがな」
「だが、そう決めた以上は、結果を出す。だからこそ、あの女は今日のこの日まで生かされていたのだろうよ」
「失うには、余りに大きな損失だったがな。さて、もうひと頑張りと行きますか」
そして、二人は互いに共通する認識をすべては口にすることなく、再び闇の中を走り続ける。
選抜された人員を考えれば、ミオの意図はなんとなくも読めるし、なぜそのような事をしようとするのかも察しはつく。
だからこそ、二人は黙ったまま状況に身を任せてもいるのだ。
……自身の死を持って、今回の事に決着をつけようというミオを止めることなど二人には出来ないし、それをするほどの義理も彼女達にはなかったのだから。
ブクマは気にしない方が良いのでしょうが、やはり気にはなりますね。
不満な箇所などもありましたら、改善できるところは改善しますので、不満点などはいつでも受け付けています。
実際の声というのは、何よりも力になりますので。




