第十五話
「ミナギ、殿下の元に戻るのですね?」
サレムさん達と顔合わせをしたお母様は、夜のうちに殿下の元へと戻らねばならない私とサキの元を訪れそう口を開く。
サキは普段からヒサヤ様――シリュウの側についているし、私は先日の褒美として与えられた身。側に置いておくのが普通でもある。
「はい。あの……、お母様は、ヒサヤ様にもすでに?」
「ええ。貴女が捕らえられて、眠っている時にね」
「私も会っていたんだけど……」
「私が黙っておくように言っておいたの。元々、影で動くつもりだったが故に」
「そうですか」
戻って来たお母様はそれに対して特に表情を変えることはない。先ほど、一瞬だけ私に見せた寂しげな表情は影を潜めている。
あれは何であったのか。お父様の死と私の肉体改造を悲しんでのことなのであろうか?
「ミナギ、サキちゃんと一緒にヒサヤ様の元に戻るのならば、気持ちに決着をつけておきなさい」
「えっ?」
「貴女はまだ迷っているわね。父の、カザミの死に加担したあの方を許すべきなのか否かを」
「…………それは」
そんな私に、お母様は特に表情を動かすことなくそう告げてくる。
ヒサヤ様の事、お父様の死に対する恨みや怒りは抑えられているものの、心の奥底ではまだ許していないことが自分なりには分かる。
サキやシロウ達に対する感情とは異なる何かが、ヒサヤ様に対しては残っているのかも知れない。
「気持ちは分かる。私とて、無条件に許せるかと言えば許せない。だが、カザミを手にかけたのは殿下ではない。そして、記憶を取り戻した以上、私達の主君たる人物であるのだから……そう、許す許さないの問題ではない」
「それならば、私も」
「だが、私の気持ちを貴女に強要するつもりはない。他者から、外から押しつけられた感情で迷いを無くせるほど貴女は大人ではない」
そう言うと、お母様はどこか疲れたような表情を浮かべて傍らのイスへと腰掛ける。
やはり、お母様とて感情を持てあましてもいるのだろう。その表情は、私とサキの前だからこそ見せる感情であると思う。
そして、私は……。
「仮に、私がヒサヤ様を害すことになってしまったら」
「分かっているとは思いますが、ハルト様がヒサヤ様になるだけ。そして、あの方もカザミを害した記憶と貴女から向けられた悪感情に悩むことになるでしょうね」
とんでもないことを口にしたと言う自覚はある。
ただ、お母様とサキ、二人はようやく私の本音が聞けた。ともとれる反応を見せ、一度頷いた後、お母様はそれに答える。
その答えは、分かっていたことではあっても、私にとっては重くのし掛かってくる。
隠しておいた本音を暴いておいて、その退路を断つと言う。
「……っ、お母様、ひどいです」
「それが私達の立場。あとは、貴方が決めることですよ」
「あ、ミオさん」
思わず目頭が熱くなり、お母様を睨む。
しかし、お母様は目を背けることなく私の視線を受け止め、静かな口調でそう答え、席を立つ。
その後をサキが追うが、これは私を一人にする為のことであろう。
二人とも、私の感情を否定はしなかった。しかし、お母様は遠回りではあれど、私がそれをできぬよう感情を抑制させてきた。
何より、私はお父様の臨終の際に、相手を憎むなと告げられてきた。憎しみを糧に生きて欲しくないと。
そのために……。
「っ!?」
その時の事を思い返し、私は頬を流れた涙を拭う。
お父様を害したのはヒサヤ様。これは否定しようもない。そして、お父様に致命傷を押させたのは、別の暗殺者。これは、ケーイチさんの言からも確認できている。彼は嘘をつくような人間はない。
そして、お父様を介錯したのは私。
つまり、直接的にお父様の命を奪ったのは私なのだ。
そう考えると、私は今もなお、両の手の平に走る赤き線に視線を向ける。お父様を介錯する際、私は自身の血を剣を滴らせ、お父様を斬った。
父殺しという罪を背負わねばならない私の痛みを、お父様に知ってもらいたかったから。
◇◆◇◆◇
「…………俺を斬るつもりか? ミナギ」
鯉口を切りながら、昨夜の出来事を思い返していた私に対し、ヒサヤ様は表情を変えることなくそう口を開く。
斬る。
それが出来てしまえば、どんなに楽であろうか。だが、一瞬気持ちは晴れても、失ったものの大きさと罪が私にのし掛かってくるだろう。
何より、私の気持ちとして、心の底からヒサヤ様を恨んでいるわけでも、彼を斬りたいと思っているわけでもない。
「私が、あなた様を斬れるとでもお思いですか?」
そんな気持ちがあってか、自然と語気が強くなる。ヒサヤ様自身の気持ちは分からない。ただ、すべてを背負う覚悟があったとしても、死はそれから解放される唯一の救いになる事もある。
「お前に斬られるのならば、俺は受け入れるぞ?」
「…………ずるいですよ。貴方もお母様も」
思えば、この人は昔から勝手であったとも思う。
皇子としてではなく、一人の少年として生きることを許されていた少年時代。言い方は悪いが、私達の心配を余所に本当に奔放に生きていた。
そんな中でヒサヤ様の誘拐事件があり、私とハルカが巻き込まれたことで、多少気持ちに変化を見せていたようだが。
それでも、その後は神衛への加入を希望して、そこでも私達は彼を気遣い続けた。
気持ちは買うし、ヒサヤ様が才能を持ち合わせていたことが幸いしたが、状況を混乱させたことは事実。
そして、ケゴンでの一件。サヤ様との永遠の別れは一言では済まされぬほど悲しいことであったと思う。
しかし、記憶を奪われ、この島にあった時も、サキが、シロウが、ユイが彼のことを見守り続けていた。
その身に宿していた才覚はたしかなモノ。常に見舞ってくれる人間が側にいたのも天性のモノなのかも知れない。
しかし、今の言のように、無意識に人に重きを背負わせるのは、本当にひどい人だと思う。
「一つ聞かせてください」
「なんだ?」
「あの墓標……。あそこで眠っているのは、たしかに私なのですね?」
「今となってはよく分からないがな」
「貴方は……、まあ、良いでしょう……。その時、貴方はすでに記憶を奪われていたようですが、私の死に、貴方は何を思ったのですか?」
「ミナギ?」
そこまで言うと、自分自身でも何を言っているのかよく分からなくなっている。
ただ、あの墓標を立てた際に、ヒサヤ様が何を思い、今何を思っているのか、私はどうしてもそのことが知りたくなったのだ。
「横たわって冷たくなっているお前の姿を見た時……なんと言えば良いか、なにか、大事なモノが消えたようなそんな感覚にとらわれていたな。記憶を失っていなかったら、信じようともしなかったと思う」
「そうですか……。私も、貴方の消息が知れぬ。と聞かされた時は、後悔の念に囚われ続けておりました」
「それは、神衛としてか?」
「そう思っておりましたが、今となってはよく分かりません」
「ほう? お前だけは、俺に対しては臣下以上の感情を抱いてはくれなかったように思ったんだがな」
「そう、かも知れませんね……もう、この話はやめておきましょう」
ただ、聞いたところで何があるのかという事もない。少々、胸のつかえは残るが、結局、当人を目の前にしてしまえば、私にヒサヤ様を害する事など出来はしない。
それが分かっただけでも良かったし、胸のつかえは、彼を許して良いのかという感情の残り火であろうと思う。
「良いのか? 俺を斬りに来たんじゃ?」
「私がそんなことをできるとお思いですかっ!? 五年の空白はあれど、数年間、私は貴方にお仕えしてきたのですよ!?」
「わわ、怒るな怒るな」
この期に及んでなお、ヒサヤ様はそんなことを口にする。この方はそんなに私を悩ませたいのであろうか?
ほんの僅かでも、主君を斬りかねない感情を抱いたことは、私にとっては消し去りたいほどの汚点なのだ。
「怒ってなどおりませんっ!! ただ、殿下」
「そこで敬称で呼ぶか。なんだ?」
「サキを……どう思っておりますの?」
「何?」
そして、苛立ちを抑えながら、私は聞いておくべき事を口にする。
「長年、サキは殿下の身を守って参りました……、それでその……、傷物にされておりますよね? 自覚はおありですか?」
「…………っ」
「無かったのですね……はぁ……」
「い、いや、分かってはいたぞ? ただ、お前に知られたのは」
「そんなこと、女同士ですもの。口にせずとも分かります」
そして、私の言に、ヒサヤ様ははっきりと表情を青ざめさせていく。私に知られることの何がまずいのかまでは分からなかったが。
それでも、ばれていないと思い込んでいたのは、正直二人揃ってひどいと思う。
主君と親友が結ばれる。身分や家格の差などはあるかも知れないが、それでも喜ばしいことであるのだ。
「それで、殿下。責任は、しっかりととっていただけるのですね?」
「ちょっとまて。なんで、お前に詰め寄られなきゃならんのだ?」
「え? …………たしかに、お二人の問題ではありますが。まあ良いです、お父様のことを許したのですから、覚悟を決めてください」
そう言った刹那、チクリと胸の奥底が痛む。しかし、それを自覚する前に、ヒサヤ様は慌てふためいていた表情を改めて私を見つめてくる。
「許して……くれるのか?」
「……そう言う問題ではないと思いますが?」
「ここでは、主君と臣下はやめてくれ。俺とお前の間での話だ」
「……正直なところ、許すべきではない。と言う感情は残っています」
途端に、再び何とも言えない空気が私達の間に流れる。ただ、主君と臣下という立場でごまかそうとしていた私にもこれは非があるように思える。
だからこそ、私は正直な心情を口にすることにしたのだ。そして、ヒサヤ様は真剣な表情を私に向けて来てくれる。
「ただ、お父様は私に、憎しみに身を委ねて生きて欲しくはないと。お母様のように、自身を傷付け続けて欲しくはないと、今際の際におっしゃいました。だからこそ、私は……」
そこまで言うと、私はいったん言葉を切る。こうして口に出して見てはじめて分かったが、結局私はヒサヤ様を斬りたい、許したくないなどとは思っていなかったのだ。
ただただ、お父様の命を奪う原因を作ったヒサヤ様を、許して良いのかという疑問に縛られていただけ。
「許せるかどうかはさておき、許すために務めようと思います。単に許したくないという感情だけで、ヒサヤ様に接するのは失礼だと思いますから」
「そうか……。ふふ、良かったよ」
「きゃっ!? ちょ、ちょっとヒサヤ様?」
そんな私の言に対し、ヒサヤ様はどこか安心したのか、突然私の手を引き胸元に抱き寄せてくる。
想定外の事態であったため、ふりほどくことも出来ず、私はいつの間にか抜かされていた彼の胸元にしっかりと納まる事になってしまったのだった。
ただ、五年の歳月を経た彼の胸元は、大きく心地よかったが。
「うーん、ようやく神妙な面持ちから解放されそうだ。それにしても、お前、ますますミオさんに似てきたなあ」
「あ、貴方と言うひとは……、サキに言いつけますよ?」
「なっ!? ちょっと待て、これは浮気ではなくてだな」
「臣下に対して、友人に対しての愛情表現だと? それは、少々失礼なのではありませんか?」
「分かった分かった。だから、そんな目で見ないでくれ……。とまあ、冗談はここまでにしておいて」
「そうですか」
と、ほんの僅かな悪ふざけは終わりを告げ、元の組織幹部としての顔に戻るヒサヤ様。
その表情は、胸のつかえが一つ取れたような、そんな表情にも見える。
そして、それは私にとっても同様であるはずなのだが、やはり胸のシコリに関しては消えぬままであった。
◇◆◇◆◇
薄紫色の視界は、今日も変わることはない。
しかし、自分の心の奥底にある感情。それには、一つの変化が見られてように思える。ただ、それを表現する手段が今の自分にはなかったのだが。
【…………吹っ切れた。とでも言うべきですかね。ただ……、そこまで鈍いのは考え物だと思いますよ?】
身動きする事も出来ぬなかで、私は一人そう呟く。それが、今も周囲で作業を続ける人間達にも、ほくそ笑みながら私を見つめてくる者達にも通じることはない。
否、私の意識もまた、あと数日で消え去ることを自覚してからは、そんなことを考える気もほとんど起きていなかった。
ただ、ただ一つだけ。この感情の行方だけは、彼に、彼女に伝えたかった。
【すでに、時遅し……ですか。機会はいくらでもあったのに、それを逃したのだから仕方ないのでしょうかね……くぅっ!?】
その刹那、全身に繋がれた電極から、一斉に肉体に何かが流れ込みはじめる感覚。ついに、時は動き始めてしまったのだ。
【願いは……叶えられませんでしたか……ですが、これだけは、お母様……】
そして、痛みとして全身を襲う感覚に遠退きはじめた意識。間もなく、私の自我は消え、敵の思うまま、相手に危害を加えるための装置に成り果てる。
そんな事実を、私は本能的に感じ取っていた。自分の意志ではないとはいえ、ケゴンを焼き、セオリ湖を焼いた身である以上、もはや許されることではない。
だからこそ、彼女に対して私は、自分を殺しに来てくれることだけを願っていた。そして、もう一人……。
束の間の再開を果たすことが出来た女性だけが、今となって私の希望になっていた。
【……後のことは、お任せ致します……さようなら、ヒ………………】
そして、遠退きはじめた意識は完全に闇に飲まれていく。その刹那、口にしようとした者達の名。せめて、彼女達の未来における平穏。それだけを、彼女は願ったのだ。
スメラギ南部に広がる低気圧の巣。常に風雨に晒され、艦船の航行を不可能にする魔の海域。
その地にあって、この世界において猛威を振るい続けて来た暗殺集団の本拠。
その地の中央部。本拠地最上階の一角に、禍々しき黒と紫の光が灯りはじめたのは、まさにその時の事であった。
そして、この現象は、島の周囲を取り巻く暴風雨を取り去り、スメラギの全土にその光をもたらしていたのである。
運命の日まで残り三日。それが消し去ることの出来ない事実であることが、白日の下に晒されたのであった。
か、感想とかはいつでもお待ちしているんやで?(震え声)
まあ、冗談はおいておき、少し軽い展開を書いてみました。ただ、女性の気持ちというのまでは良く分からないと言うのが本音ですので、違和感を感じるかも知れません。
その辺りも、指摘する部分がありましたら遠慮なく言ってもらえればと思います。今作には難しくても、続編や別作に生かせたらと思っておりますので。




