第七話
暗がりの中で灯る水晶球が映し出すのは、円卓に腰を下ろし、こちらを見つめてくる数人の男女であった。
その室内は最低限の照明だけがともされ、それぞれの顔を見ることは難しい。
そして、彼らは――この水晶を見つめる二人の男を含めても、互いを信頼しあうことなどなく、全員の間にあるのは利害関係の一致という事実が存在するだけであった。
『勝手な真似は困りますなあ……、通告を突きつけたのはこちら側。工作員の侵入など、そちらにとってはさしたる問題ではありますまい?』
『加えて、三分の遅刻です』
『時間厳守。我々の最初の取り決めではございませんかな?』
「ふん、分かっている」
水晶球の中から聞こえてくる声に、視線を向ける男たち、ジェガとシオンはそんな下らぬ問答を鼻で笑うかのように答える。
時間厳守などとほざいておきながら、下らぬ問答に時間を費やす愚かさには気づいていないらしい。
『まあ、良いでしょう。次なる標的です』
そんな両者の態度に、水晶球から聞こえてくる声もいくらか鼻白んでいる。
しかし、これ以上下らぬ問答を続ける理由もなく、声とともに水晶球の映像はうつり変わる。
そして、映像に映り始めたのは、背中まで伸ばした雪のように白い髪が特徴の美しい少女の画。
スメラギの神職が身に着ける衣装をまとい、その表情にはどこか憂いの色が見て取れるが、その姿は、一〇人の人間がいれば九人はその美貌や見た目に惹かれるであろうと思えるほど、その少女の姿は人目を引いていた。
『“総督閣下”はよくご存じでしょうな?』
「ああ」
総督。と呼ばれたジェガは、その嫌味のこもった言動に苛立ちを覚えながらも答える。
たしかに、ジェガにとっては忘れることのない少女であるのだ。
『あの時、あなたが反抗することを許していなければ、このような手間はいらなかったのですがねえ』
「だが、今となってはスメラギに絶望を与える材料でもある。先代と同じようにな」
『その通りですね。……フミナの暗殺に関しては、運が良ければという要素はございましたが、今回ばかりは確実に消してもらいますよ』
ジェガに対する嫌味に、シオンは侮蔑の色を含んだ声で答える。
そもそも、ケゴンの際に件の少女、当代のスメラギの巫女を逃がしたのは、ジェガだけでなくこの者たちが送り込んできた人間の失態もある。
「あの魔女の動向は?」
『定期的に“巫女”の元と“女狐”の元を往復しております。この女に関しては泳がしておくほうがよいでしょう。下手に手を出し、暴発を生んでも意味はない』
「ふ、精々、処理方法を考えておくことだ。実際の手はこちらで下す。だが、絵図を描くは貴様らの領分。精々、頭をひねることだな」
そして、ジェガが不機嫌を隠すことなく問いかけた“魔女”なる存在。
この女の動向を把握していなかった責任は、何もこちら側だけのおのではない。と、言外に告げたシオンに対し、水晶球の中からは、舌打ちや歯ぎしりの音がわずかに聞こえてくる。
『…………報酬は明日に届く、前回に続き大物であることを踏まえ、金額は弾んである』
『確実かつ、喧伝的に処理をすること』
『方法はそちらに一任する。以上、通信終了』
そして、シオンに言い負かされそうな雰囲気なったのを察したのか、彼らは一方的にそう告げるとさっさと通信を打ち切った。
「蛆虫どもめが……」
「だが、金づるだ。さて……」
そんな男たちに対し、光が灯るだけとなった水晶球をにらみつけるジェガ。
それに対し、不敵な笑みを浮かべて応じたシオンは、水晶球が先程とは異なる光を発していることに対して視線向ける。
そして、浮かび上がってきたのは、先程の者達とは異なる人間たち。
赤き絨毯がひかれた先にて、一人の男を上座に仰ぎ、一三名の人間が左右に分かれて列をなしている。
そんな光景が浮かび上がってきたのであった。
◇◆◇
ミナギの表情はいくらか和らいで来ていた。
それに安堵の表情を浮かべ、ミナギの顔に浮かんだ汗を拭ったミオは、薄化粧のついたタオルを見つめたのち、傍らに腰かけているヒサヤと衣服などをもって戻ってきたサキに視線を向ける。
「それで、どういうおつもりなのか、ご説明願えますね?」
声色自体は柔らかく、表情も別に怒りを抑えているわけではない。だが、眼前のミオに対してはどんなごまかしもきかないということは、ヒサヤもサキも理解できている。
ヒサヤ自身は一度きり、サキは子どものころに会ったのが最後であったのだが、そのころと比べてみても、歳月の経過を感じさせず、凄みだけが増した眼前の女性。
かつて、“女帝”とまで評されていたのがどういうことかを、二人は一目で理解できたような気がしていた。
「……そちらの意図には、あっさりと居場所を露見させたことで気づいていました。ジェガがミナギを殺さないだろうということも」
「それで?」
「内部に侵入するために捕えられるというやり方は悪くはない。だが、この島にいる人間の大半は、正規神衛と対等か、上に行く人間ばかり。となれば、状況が悪ければなぶり殺しにもされかねない。だからこそ、短期間で彼女の能力を上げる手段を選びました」
実際、ジェガが何をもってミナギを生かそうとしていたのかはわからない。
ヤツの側近しか知らぬ島の秘密はいくらでもあり、天津上を襲った超兵器の存在も、島も守るための側面以外では知る由もなかったのだ。
「そして、毒を体に流され、やつ等に忠誠を誓う以外には生きられぬ体となったわけか」
「解決方法は探っております」
ヒサヤの言に、ミオの口調がはっきりと変わる。
当然と言えば当然で、実の娘が体を改造され、毒によって他者に隷属するような体にされて怒らぬ母親がいるはずもない。
「探っている……か」
「おば様」
「サキ、良い。ミナギのこと、私に任せてくれませんか? 今更、重ねてきた罪に対して償えるとは思えませんが、それでも……」
「そのようなことは不要です。この任務を与えたのは私。ミナギにもまた、覚悟はさせておりました故に」
怒りを押しとどめているような、そんな様子のミオに対し、サキが慌てて身を乗り出してくるが、ヒサヤはそれを抑えてミオに対し向き直る。
しかし、予想に反してミオは怒りを抑えた表情から、普段通りのモノへと態度を変える。
「? では、なぜ?」
「この子が申したことが真実であるのか、それをまず知らねばならぬと考えておりました。実際、殿下がこの場にいらっしゃることに確証はなかった。ですが、今のあなたは」
「私がこの地にあることを、ミナギが?」
「ええ。私が手の者を動員して探ったにもかかわらず、殿下の消息は知れぬままでした。ですが、この子はほんのわずかな時で殿下を探し当てた」
ヒサヤとサキの疑問に答え、眠りについているミナギの頭をなでるミオ。
それは、娘の成長を喜ぶ半面、こうして危険な状態へと追い込んでしまった負い目を感じさせる表情でもある。
ヒサヤもサキも、ミオが負った罪の詳細までは知らなかったが、それでも、こうして眼前の気高い女性が、遊女にまで身を落とすほどの罪を重ねたとまでは思いがたかった。
「おば様。あの、殿下は、ツクシロさんを……。でも、それは洗脳されていて、任務に従っただけで」
「サキ、良い。そんなことは言い訳にはならない。ミオさん、許してくれとは言わない。私は皇位を投げ出してでも、重ねた罪は償うつもりです。だからこそ、ミナギのことは私に任せてくれませんか?」
「殿下、そのようなことは不要ですと申し上げましたよ?」
「それでもです。天津上では、フミナが地獄の戦場で戦い続けているというのに、俺はのうのうと敵の駒として生きてきた。だから……」
「殿下、人には償える罪と償えぬ罪がある。私はそう考えます、殿下はそのお立場上、手にかけた者達の犠牲を無駄にせぬだけの人を救えるお立場にあります。なれば、自身を責めず、人々のために生きてください」
「しかし……」
「わたくしとて、偉そうにそのようなことを申せる立場にはございませぬ」
「なぜですか? 母は、常々、ミオさんのことを案じていた。高官たちが口にすることなど、単なる戯言なのでしょう?」
「そうではございませぬ」
「では、なぜに?」
ヒサヤもサキも、ミナギの母親であるということを抜きに、眼前の女性が噂にあるような罪を犯したとは考えていない。
しかし、ミオの態度は頑なな面もあり、その辺りが二人にとっては納得がいかなくもあった。
だが、先ほどから話を聞いた限りでは、ケゴンの一件以降、現神皇となったヒサヤの父、リヒトを守護し続けてもいるという。
ならば、いったい彼女にはどんな罪があるというのであろうか?
「…………あの日、ケゴンにて起きた騒乱のさなか、皇太子妃サヤ……、あなた様の母上を手にかけたのは、この私だからなのですよ」
「えっ!?」
そんな疑問を抱いていた二人に対し、ミオは顔背けること、ヒサヤに対して向き直り、ゆっくりとそう告げたのであった。
◇◆◇
倦怠感が全身を包み込んでいた。
ゆっくりと体を起こすと、倦怠感と同時に、全身に異物感を感じる。何事かとも思ったが、今はそれ以上に自身の状況に困惑するしかなかった。
「目覚めたようだな」
「っ!? 貴方はっ」
傍らに腰を下ろし、私に視線を向けていたのは、沙門天のシリュウ。顔半分と布によって覆っているが、私を見つけてくる眼光はそれまでと変わらぬ、いや、なんとなくだが困惑の色が見えるものであった。
しかし、寝床の傍らにいる男に対し、嫌悪感が全身を包んだ私は、布団を抱えるようにして思わず後ずさってしまう。
我ながら、やはり女であることに変わりはないのだなと思わずにはいられなかった。
「……何もしていないから安心しろ。それより、立てるか?」
「な、何をするつもりです?」
「ジェガ様のところに行くだけだ。それだけ元気なら問題ないだろう……行くぞ」
そういって手を伸ばしてきたシリュウであったが、私は思わずその手を払いのける。
予想外であったのか、一瞬、目元に動揺の色を浮かべたシリュウ。
しかし、今度はそれに腹が立ったのか、強引に私の腕をつかみ、引き起こそうと試みてくる。
「ちょっと、は、離してくださいっ!!」
「強情な女だな……、別に取って食うわけではないぞ?」
「私の体をなめるように見回しておいて、言えるセリフですかっ!?」
「俺はあまり見ていないぞ」
「見た事実は変わりませんっ!!」
シリュウの膂力を相手に必死に抵抗していた私だったが、命のやり取りにつながりかねないのに、思い浮かんできたのは昨日の光景。
体を切り裂かれたにも関わらず、自身の羞恥心を優先するのはいかがなものかとも思うが、この時の私には死への恐怖等よりもシリュウに対する気恥ずかしさと言った情の方が強かったのだ。
「なーにをやってんだか?」
そんな私達のやり取りを、部屋の入り口から見ていた女性が呆れた声を上げる。
整った顔立ちに、気の強そうな切れ長の目元は、どこか見覚えがあるように思えたが、厚く塗られた化粧はどこか男に媚びているような雰囲気が感じられる。
組織の遊女か何かなのであろうかとも思うが、一応、幹部だというシリュウの部屋にノックもせずに入り込めるモノなのであろうか?
「シリュウ様、ジェガ様達には伝えてきましたからさっさとつれて行った方が良いんじゃないですか~?」
「ああ、分かっている。ほら、もう触らないから大人しくついて来てくれ」
「ど、どこへ行くというのですか?」
「今、言っただろっ。ジェガ様の所だ」
「どういう……」
「新しい僕を見ておきたいだけだろ。行くぞ」
そう言うと、シリュウは私をおいたまま女性を伴って部屋から出て行く。
“僕”という言葉には、はっきりいって抵抗感があるが、現状武器もなく、衣服に仕込んだだ暗器の類も取り外されているはず。
となれば、いったんは臣従の意を示して、武器を得、当初の予定通りに情報収拾に当たるのが得策なのであろうか?
そんなことを考えるも、今の状況は、予定通りとも言えるのだが、まさか肉体までを改造されるとは思いもしなかった。
「あら?」
そんなことを考えながら、衣服に手を当てて暗器の隠し場所を探ると、以外なことに服に仕込んだそれらは、手がつけられないまま残されている。
なぜ、と思ったが、眼前にて私の考えを見透かしたかのように、女性がこちらを振り返る。
「暗器とかはそのままにしておいたわよ。どんな罠が仕掛けてあるか分からないからね」
「戯れ言を……、どういうつもりです?」
「信用無いわねえ。言ったままよ」
口元に笑みを浮かべつつ、そう告げてくる女性であったが、どういう意図があるのかまでは分からない。
とはいえ、彼女の言い分を信じて良いような気がどこからかしてくることも事実であり、おかしな話だが、彼女が善意でそうしているように思えてしまうのだ。
いったいなぜなのか?
「もし……。私は、貴女とどこかでお会いしたことがあるのでしょうか?」
「カザミさんの暗殺の時には、現場にいたわよ」
「……っ、その時ではなくっ」
「まあまあ、落ち着いて。その辺はどうなのかしらね? それより、着いたわよ」
疑問に思うと、気持ちそのままに女性に対してそう問い掛けていた。
そして、件の天津上に彼女があった事はすでに分かっていたし、その返答が、私の問いかけを無言のままに肯定していた。
私は彼女とどこかで会ったことがある。それも、なぜか無条件に彼女を信頼して出来るほどに。
そう考えると、彼女の外見には、やはりどこかで見覚えがあるように思えてくる。
「あなたは……」
「おい、早く来い。君はここで待っていてくれ」
しかし、口を開きかけた矢先、扉を開いたシリュウの言にそれ以上の問いかけは許されなかった。
「はいはい。仰せのままに。殿下」
「殿下?」
「こいつの軽口に一々反応するな。行くぞ」
「ちょ、ちょっとっ」
そして、シリュウの言に肩をすくめながらそう言った女性の言に眉を顰めた私だったが、やや苛立ち加減のシリュウに部屋の中へと引っ張り込まれることになった。
とはいえ、こうなった以上、女性と関わる機会はまだまだある。そう考えるしか無く、私は、シリュウとともに鋭い殺気に満ちた室内へと足を踏み入れるしかなかった。
◇◆◇
ミナギとシリュウ――ヒサヤの姿が消えると、サキは思わず壁にもたれかかり、大きく息を吐いた。
「はあーーっ、相変わらず、勘の良い子ね。しかし、どうやって打ち明けたら良いんだろう?」
そう呟きながら、サキは先日に起こってしまった悲劇を思い返す。
結局、ヒサヤの洗脳を解く手段は見つからず、みすみすヒサヤをカザミの下へと向かわせてしまった。
止めを刺したのは、別の人間だと聞いているが、ヒサヤの攻撃がそれを許す原因になった事は事実であり、自分達もまた、同胞であるスメラギ兵達に剣を向けた事実が存在する。
幸い、肉体強化によって命を奪うことは避けられたものの、彼らから見れば自分達は裏切り者でしかない事をサキは理解していた。
そして、自分が、子どもの頃からの親友に対して、許されざる罪を犯してしまったと言う事も……。
「いったい、わたしはどうしたら良いんだろう? ねえ? 殿下……。なんで、洗脳されている時だって私を……」
そう思いながら、サキは壁に背を預け、目尻に熱いものが浮かんで来たことを自覚していた。
親友に対する思いと主君に、いやこの数年感ともに過ごしてきた男に対する思いがせめぎ合い、二人がいた頃に抑えていたものが込み上がってきたのだった。
「……すべてが終わったら。なのかな?」
ひとしきり涙を流すと、サキはそれを拭い、ゆっくりと立ち上がる。
悩んだところで答えが出るはずもなく、何よりも、親友だった子の父親を奪ったことに対する贖罪の方が、目下の問題なのである。
「さて、ミナギ……大丈夫かな?」
そして、いったん立ち直った後は、室内にいるかつての親友の身を案じるしかなかった。
こう言った展開って女性心理としてはどうなんですかね?
書いてしまった以上、こういう展開では思っておりますが……。おかしな点等がありましたら、遠慮なくご指摘ください




