第五話
剣を振るった先に、男の姿は無かった。
しかし、気配は消えずに私の周囲に常に張り付き、隙あらば攻撃をしかけてくる。
今も繰り出された蹴りをかわすと、即座に砲筒を放つ。
しかし、乾いた音がこだまするだけですぐに男の姿は消え、背後に鋭い殺気を感じる。
即座に倒れ込むようにして攻撃を躱すと、そのまま草地を転がりながら身を起こし、再び地を蹴って一気に距離を詰める。
そんな私に対して悠然と視線を向けてくる男。躊躇うことなく剣を振るうも、驚くべき膂力でそれを受け止められ、刀身を掴んだ男はそのまま私を無造作に投げ飛ばす。
剣を離さなかったためか、一瞬男の表情が歪んだことは理解できたが、空中にて完全な無防備状態になった私の視界から、男の気配は消えている。
即座に殺気。振るわれてきた蹴りに対して、足を曲げてそれ受け、しびれを感じつつも反動を利用して一気に距離を取り、同時に着地をした私と男は、再び睨み合いに入る。
先ほどから繰り返されるやり取り。
互いに傷を負うこともなく、端から見れば一進一退の状況であろう。
だが、私は肩で息をし始めているのに対し、男はやや呼吸が乱れているだけに過ぎぬ状況。
さらに言えば、私は視界で男の姿を追いきることは出来ず、気配を感じたその時にはすでに先手を取られているというのが実情だったのだ。
ただ、私を相手取るのに、武器は不要と言い切った男に対し、一撃も浴びせられていないことだけが私の自尊心をわずかに慰めてくれている。
「っ!?」
だが、やはりこちらの攻勢は男に対してまったく無意味であり、捉えたかと思い、暗器を放れば、その先にあるのは男の残像だけ。
そして、気配を察すると同時に跳躍して一撃を躱す。先ほどからその繰り返しであったが、ついに私の足は悲鳴を上げた。
「くぅ……っ!!」
着地と同時に大きくバランスを崩し、草地に身体を投げ出した私。
すぐに起き上がろうとするが、足に上手く力が入らず。何とか膝立ちになって男の姿を追う。
だが、気配を探るのも束の間、首元に突き付けられた冷たい感触に、全身に冷や汗が吹き上がってくる。
「続けるか?」
「…………殺しなさい」
突き付けられたのは私が投じた暗器の一部であるだろう。
男の声には余裕があり、仮に私が続けるとでも言えば、戦いは続けたかも知れない。だが、この状況にあっては私が勝利を得る可能性ははっきり言えば無い。
となれば、勝利は得られずともお父様の仇を果たすことだけを考えるべきかも知れなかったが、仇と憎むべき本当の相手は別に居り、この男は単にそれの幇助をしたに過ぎない。
だからこそ、私は気づかれぬように法術を開放することが出来なかったのだ。
「殺す必要がない相手を殺すほど、血には飢えていない。なら、俺の好きにさせてもらうぞ?」
「断る。ひと思いに殺しなさい」
「死に急ぐ必要は無いだろう? それだけの美貌だ。失うには惜しいぞ」
「…………私にとって、貴方は父の仇。そのような男に身を預ける……つもりはありませんっ!!」
「おっと?」
だが、男の方も勝利の余裕からか、私を殺めるつもりはないらしく暗器を突き付けたまま、降伏を促してくる。
しかし、理屈では分かっていても、心のどこかで男に対する憎悪は消えないのである。
声を荒げ、一瞬男が隙を見せた間に、地を蹴り、距離を取って男と正対する。
だが、状況は最初に戻っただけで、もはや離脱が適うような状況ではない。何よりも、男と対峙している間に、先ほど捲いた者達の接近が十分に考えられるのだ、
となれば、私にできる事は何であろうか?
「っ!!」
そう考えた私は、天を仰ぎつつ、首に手にした暗器を突き付ける。
任務を果たさぬままの自裁など、責任の放棄でしか無く、逃げでしかない。だが、頭で分かってはいても、感情が許してはくれなかったのだ。
「…………何の真似だ?」
そんな私に対し、男は顔にはっきりとした怒りの色を浮かべる。私が感情を爆発させて、このような行為に走っていることには気づいているのだろう。
そもそも、当初は敵に捕らえられることで内部への侵入を計るつもりであり、話の通じそうな相手を探すことが、先ほどアドリエルとともにわざわざ発見された理由でもあるのだ。
しかし、寄りによってこの男と出会ってしまったことが私の運の尽きとでも言うべきであろうか?
この男の手に掛かるのならば、この男の縛に付くのならばいっそのこと……。首に暗器を突き付け、考えるのはそのような事ばかりであったのだ。
「……っ。お母様、お父様、お許しください」
「おい待てっ、やめろっ!!」
そして、考えれば考えるほど、私は今の状況が理解できなくなり、任務等々よりも眼前の男の事だけが頭によぎり続ける。
なぜ、この男に対してここまで感情が揺れ動くのか、父の仇の一人であることに代わりはなく、そして、私にとっての仇となる者達はこの男以外にも大勢いる。
それなのに、この男を前にすると私の感情は抑えつけようがないほどに昂ぶりつつけ、もはや何が何だか分からないのだった。
そして、気づいた時には、涙を両の眼から溢れさせ、両の手に構えた暗器を振り上げる。
男もそれまでの困惑から私の行動に驚き、地を蹴って迫り来るが、振り上げた腕はもはや止めようがない。
このまま首に暗器を突き立てれば、すべては終わる。
前世において、病気によって何も為すことの出来なかった私が、新たに生を得た世界で為すべき事、成してきたことのすべてが終わる。
腕を振り上げてから、首筋に暗器が突き立てられるまでの数瞬に、これまでの人生が走馬灯となって流れてくる。
はっきりと見えてくるその光景。かつてとも過ごして来た人、日常。それらが次々と思い返され、やがてそれは眼前の男の姿へと変わる。
すでに手を伸ばせば届けの距離にまで近づいてきたのであろうが、すでに時遅し。私の首に暗器が突き立つのは、次の瞬間でしかない。
だが、その瞬間に、時は再び私を求めてくれたのであろうか?
(な、なぜ??)
そう思った私の眼前にて、手にしていた暗器が私の手からこぼれ落ち、同時に私は激しい頭痛に襲われはじめる。
昂ぶった感情による危機を身体が察したからなのか、それとも他に何らかの因果があるのか。
いずれにしても、唐突に襲いかかって来た激しい頭痛が、結果として私の命を救っていた。
◇◆◇◆◇
頭痛に襲われる中で見開かれた目の前は、見覚えのある薄紫色の世界に支配されていた。
だが、それまでのそれと異なるのは、今の継続して頭痛が、いや全身が痛みに襲われているという事。
そして、今までと異なり、大勢の白衣姿の研究者と思しき人間達が、私の方へと視線を向けているのだ。
(うっ……ぐっ、な、なんなの?)
【いつものことですよ。今回は、私が抵抗しているから余計に強いですが】
(っ!? また、貴女ですか? いったい何が起こっているんですか?)
【…………貴女も悪いのですよ。さっさと、私を殺しに、来てくれないんですから】
(だから、それが何のっ!!)
そして、研究者たちを睨みつつ、痛みに耐える私の脳内に、再び聞き覚えのある声が届く。
その声の主もまた、何らかの痛みを与えられているのか、口調がおかしい。私の脳裏に直接語りかけてくる以上、すぐ側にいることは間違いがなかったが。
「ふん、ここに来て抵抗するか。強情なことだ」
「しかし、閣下。この状況では……」
そんな私の耳に、聞き覚えのある声が届く。
忘れもしない、無機質で他者を見下す響のある声。これの声の主は、間違いなくシオンであった。
(うぐぐっ……)
【そんな、無茶をせずとも目の前にいますよっ!!】
そして、強引に頭を動かそうとする私に対し、声は多少苛立ったような様子で声を荒げてくる。
こちらと同様に痛みに耐えているからであろうが、それでも頭を動かしたおかげで、その姿を目にすることが出来る。
「どこまで抵抗できるか見物ではあるな。ま、天津上を狙い撃つことは難しいであろうが、あの変態は一発でも撃てば満足する。気にせずに続けろ」
「ですが、彼奴等が通告を無視して工作員を送り込んできたことは」
「打つなとは言っておらん。今一度、彼の閃光を目にすれば、ヤツ等の戦意は挫ける。分かったら、さっさと出力を上げろ」
「はっ……」
だが、私の苦労も束の間。
シオンの指示によって、何らかの出力が上げられたのか、私の全身を襲う痛みは、それまでとは比べものにならない程に増してくる。
(ああああああああっっっ!?!?!?)
【うううううううっっ!! ぐうっっ…………、何をしているっ!? 耐えなさいっ!!】
(そ、そんなこと言われても……っ!!)
【あと少し……あと少しで良いですからっ!!】
思わず叫び声を上げた私に対し、声もまた痛みに耐えるかのように、息も絶え絶えに私を叱咤してくる。
何がなんだか分からなかったが、それまでのモノに比べて、どこか懇願するような声色となっている。
それに対し、歯を食いしばって何とか痛みに耐えるが、なぜか、身体中から力が抜けていくような気がしている。
そして、意識が途切れそうなほどの倦怠感に襲われたその時、大地が激しく震動しはじめる。
「着弾点、ハルーシャ地方南方。完全に失敗です」
「ふん、役立たずが……。だが、あの変態もある程度は満足するだろうよ……、この後は、丁重に労ってやれ」
「はっ」
震動が収まると、私の身体から痛みは消え、倦怠感が全身を襲う。
そんな私に対して視線を向けてくるシオンに対し、周囲の研究者たちが力無く何かを報告している。
そのことに対し、見下すような視線を向けてそう告げたシオンは、すでに私の方を見ることは無く、その場から立ち去っていく。
(ま、待てっ!!)
だが、逃がすわけにはいかない。しかし、身体の自由は効かずに、荒げた声もシオンに届くはずはない。
身体を必死で捩っても、腕も足も自由は効いてくれなかったのだ。
【無駄ですよ……、今の貴女があの男を討つのは】
(で、ですが……っ)
そんな私に対し、息も絶え絶えといった様子で語りかけてくる声。こちらも同様に、激痛からは解放されたようだ。
【事を為すにしても、それは私を殺した後です。そうでなければ、あの男やベラ・ルーシャは確実に天津上をこの地上から消し去るでしょう。もはや、猶予はありませんよ】
(ですが、貴女はどこに……)
【島のどこか。しか私には分かりません】
(それは……、あまりに身勝手ではありませんか? 私達とて、託された任務があるのですっ!!)
【そうですね。だから、さっさと私を殺しにこいと言っているのです】
(…………どういう、ことです?)
【分かっていることを、わざわざ確認するというのは効率的ではありません】
そこまで言うと、私は声の言いたいことを脳裏に浮かべる。
私達の任務は、セオリ湖へと襲いかかった超兵器の破壊。そして、あわよくば、この島にいるであろうヒサヤ様の奪還。
だが、その任務を果たすことが、声の主を殺す事につながるとすれば……。
(もしや貴女は……)
【気づいたようですね】
(ヒサヤ様なのですかっ!?)
【…………違います】
一瞬、脳裏に浮かんだ人物の名。
だが、返ってきた変事はあまりに冷たく、同時に失望を隠そうとしない。たしかに、声の主は明らかに女性であり、ヒサヤ様の年齢を考えれば、あり得ないとしか言い様はない。
【まったく……。天津上を襲ったかの禍々しき光。あれの原因は私なのですよ】
(どういう……?)
そして、声はあっさりと、私に対して予想された答えを口にする。
正直なところ、自分が何かに囚われているような状況で、そのような事を想像したくはなかった。
しかし、思えば私が激しい頭痛に倒れたのは、決まって今回のような事が起きた時。ケゴンや天津上に光が襲いかかった時であるのだ。
となれば、私の脳裏に、声の主が危機を伝えていたとも考えられる。
(私は……、貴女の思いを無碍にし続けていたのですね)
【それは致し方ないことです。なれば、私の願いを聞き届けてください】
(しかし、私一人では……)
【何のために、他の皆様とともに? それに、貴女の助けになる者達はいくらでもいますよ?】
(どういう?)
【先ほどまで貴女が対峙していた男。名を沙門天のシリュウと言うのですが、あの男を頼りなさい】
(っ!? ……ふざけないでください)
【ふざけてなどいません。あの男は組織の幹部であり、味方も多い】
(だがっ、あの男はっ!!)
【父の仇ですね?】
(っ!? あ、貴女はいったいっ!?)
【何なのでしょうね? それよりも、あの男を憎むのならば、死に様を見届けてやるぐらいの気概を持つべきでは?】
(どういう……?)
【あの男もまた、自身の罪を償おうとしている。ですが、あの男が愚かな死を遂げたら、貴女の父、カザミ・ツクシロの死が汚されるのではありませんか?】
(…………しかし)
【っ!? どうやら、ここまでのようですね。私は待っています。貴女の手で、この様な生を終わらせてくれると。そして、網時間は残り少ないですよ?】
(ま、待ってくださいっ!!)
そして、問答は唐突に終わりを告げる。
私の視界から薄紫色の光は消え失せ、ほどなく暗き闇が私の視界を覆っていく。
そして、その闇の中に一条の光が灯りはじめたかと思うと、私の視界には新たな光が灯っていた。
しかし、その光の中から目に映ったのは、知らない天井であった。
「こ、ここは……?」
周囲に視線を向けつつ、そう口を開いた矢先、私は自身の身体のおかしさに気づく。
手足は先ほどと同様に拘束され、あろう事か衣服を身に着けぬ状態になって拘束されているのだ。
そして、私の周囲では、白衣に身を包んだ研究者然とした女たちが、無言で動き回っていた。
「くっ、は、放しなさいっ!! 貴様らっ、どういうつもりですかっ!!」
そんな研究者たちに対し、声を荒げるも、彼女達は私を一瞥するだけで、すぐに作業へと戻ってしまう。
どうしたらよいのかも分からず、私は強引にそれを外すべく身じろぎするも、やはり身体の自由は効かなかった。
そして、ほどなく扉の開く音が耳に届いたかと思うと、ゆっくりとした足取りで室内へと入ってくる一団。
研究者たちが一斉に頭と垂れる彼らは、一部を除いて私に対して嘲笑めいた表情を向けると、私が拘束されている台座の傍らに立つ。
「アークドルフっ!! 貴様、やはり生きていたのですねっ!!」
そして、その先頭に立つ巨漢の男の姿に、私は思わず目を見開き、声を上げる。
その男はアークドルフ・ヴァトウーティン。かつての、ベラ・ルーシャ総督であり、ケゴンの地において、私が射殺したことになっている男。
サヤ様との邂逅や声が見せる映像によって、生存は知っていたが、いざこうして目の前に姿を見せられると、怒りや苛立ち以前に驚き方が強い。
「ほう? まだ、私のことを覚えていたか? ふふふ」
「っ!?」
そして、そんな私の言に、嘲笑を向けて来たアークドルフは、ゆっくりと私の頭部に、白塗りの砲筒を突き付けたのであった。




