第七話
操作をミスって予約投稿ができていませんでした。
基本、20時から22時ぐらいの間で投稿していきたいと思っています。それでは、第七話をどうぞ。
庭に植えられた桜の木は、静かに花開く時を待つ蕾たちによって柔らかな彩りの時期を迎えようとしていた。
寝床から身を起こし、縁側から庭に目を向けたミナギの目に映る蕾たち。一瞬、それに対して親近感を感じた彼女だったが、すぐに首をふるうと自分に対して静かに言い聞かせる。
蕾たちはやがて鮮やかな白桃色の花をさかせ、春というすべてのはじまりの季節における主役となる。
だが、自分に求められる役割は、主役などではない。と、浮ついた気持ちを抱くべきでもないことを、ミナギは自分自身に言い聞かせていたのだ。
◇◆◇
緊張や浮ついた気持ちもあるけど、やはり“学校”に通うとなれば緊張以上に期待のほうが大きくなる。
前世でも学校には当然のように通っていたが、小学校のころから病気の発作が出始め、友達と外で思い切り遊んだりすることは難しかったから。
しかし、今の私は、病気とはまるで縁のないほどの健康体。
まるで、前世で憑き物をすべて払い落としてきてしまったかのように、生まれてこの方風邪を引いたこともないのだ。
まあ、大人に叩かれたりしてもぴんぴんしているような体なのだから当然かもしれないけど。
そんなことを考えつつ、新品の制服に袖を通した私は、一から仕立てられた衣服の着心地の良さを確認しつつ、姿見に自身の姿を映してみる。
この姿見は最近作り出されたようで、鏡自体は市中には出回ってないらしい。
らしい。というのは、実際に見知ったわけではないから。
生活をするうえで不自由を感じたことはないけれど、所謂上流階級に属している今となっても、この国の文化レベルを把握できていないのだ
。
ツクシロ家に来てからは前世よろしく引きこもって受験勉強に取り組んでいたのだから当然かもしれないけど。
そんなことを考えながら、姿見に映る制服姿の少女に視線を向けろと、まるで自分ではないようにも思えてる。
上下一体の袴を動きやすく改造した和洋折衷といったつくりの制服であるが、白地に紺の装飾が細部に施され、足元にまで伸びる胸の直垂には、日の丸をかたどった紺色の刺繍が施されている。
前世であれば、漫画などのコスプレだと笑ってしまいそうだけれど、実際にこの世界にあって、それを身に着けているためか、それをおかしいとは思えないのだ。
私の祖国スメラギ皇国は、文化や言葉なども日本によく似ているが、さすがに国旗や国歌まではそのままではないらしい。
お父様に聞いてみたところ、皇室の紋としは日の丸に近い紋様があるらしいし、君が代に関しては世間的にも好まれる和歌として有名なようだ。
日本みたいに変なところから攻撃されることもないみたい。……何でこんなことを思ったのかは後で考えることにしよう。
そんなことより、私にはやることがある。
「お兄様。おはようございます」
私は廊下の前方から歩み寄ってくる青年の前まで駆け寄り頭を下げる。さすがに三つ指をつくわけにはいかないので最低限の挨拶だ。
「おはよう。相変わらず早いな」
そういって、私に対して静かな笑みを返すのは、私の義兄にあたるハヤト・ツクシロ。
私と同様に父、カザミ・ツクシロの養子で、今年13歳になる。涼しげな目元や洗練された所作は父によく似ている。
とはいえ、温和で腰の低い父と比べ、寡黙で時折鋭い視線で周囲を射抜いたりすることから周囲には冷厳な印象を与えることがあるようだった。
私も父から紹介された時に、しばし、無言で見つめられ、そのまま軽く会釈をして部屋に戻ってしまった時には、歓迎されていないものだと思っていた。
しかし、夕食の際に静かな声で「改めて、よろしく頼む」と言われ、「女の子とどう話してよいか分からなかった」と打ち明けてくれた。
その時私は、この人は冷たいんじゃなくて不器用なだけなんだなと思い、それからは積極的に交流を持った。
慣れない勉強のやり方を聞きに行った際には親身になって見てくれたり、夜中まで勉強をして眠ってしまった時には、寝床にまで運んでくれたりもしたという。
もっとも、話しかけるまではお母様の存在を理由に疑って掛かっていたとも言う。
父からは詳しく聞いていなかったが、兄の通う学校――正式な呼び方は違うらしい――において、時折耳にするある女性の噂。
そして、在学中に大逆行為に及んだという“ミオ・ヤマシナ”という女性名を女中たちが噂していたのだという。
もっとも、女中たちは父からお母様のことを言い含められていた様子で、悪口の類ではなく、たまたま“ミオ・ヤマシナの娘が養女になる”という話をお兄様が耳にしただけだという。
父も女中たちも、悪く言う事はなかったのだが、学校などで耳にする噂から私に対してもどこか構えてしまうところがあったのだという。
父に聞いても、ミオの罪過を肯定すると同時に否定するというなんとも歯切れの悪い答えが返ってきたという。
とはいえ、初めての家でおどおどしている私に、伝え聞いた女の影は見当たらず、むしろ緊張してカチコチに固まっている姿に毒気を抜かれてしまったというのだから喜んで良いのやら悪いのやら。
しかし、そのおかげで、その涼しげな目を鋭く向けられて居住まいを正してしまう以外には、兄妹仲良く過ごせてもいたのだ。
「日課でもありますので」
そんなことを思いかえしながら、私はお兄様に笑顔を向け、居間の襖をあける。先に入ったお兄様の後に続くと、台所にて朝食の準備をする女中さん達の姿が目に映る。
ツクシロ家の屋敷では家族三人の他に、女中や父の側近が数名暮らしており、彼女達は彼らの食事も賄っているのだ。
「おはようございます」
そんな女中たちに声をかけ、座卓に置かれたおひつを明け、丁寧にご飯を盛り始める。
炊きたてをわずかに寝かせた白米のよい匂いが鼻腔をくすぐる。それに気分をよくし、こぼさぬように丁寧に盛っていく。
この家に来た時からやっていることで、はじめは女中たちに恐縮されたのだが、毎回ご飯を並べられると入院していた頃を思い出してしまうのだ。
お父様たちには、今までやっていたことだからと言ってごまかしたが、1年もたてば女中さんたちも慣れてくる。もともと、図太そうなおばさんが中心なのだ。
「ミナギ様、今日は前掛けをつけたほうがいいですよ。せっかくのお服が汚れます」
「あ、そうですね。ありがとう」
ご飯を盛り終え、味噌汁に手をかけようとした私に、恰幅の良い女中さんが声をかけてくる。
もともと、旅館業を営んでいたらしく料理の腕前は天下一品で、礼儀作法なども心得ている。とはいえ、そこまで堅苦しいことを好まない私たちの前では、気のいいおばちゃんとしてふるまっているのだが。
今も、こうして私の身につけている新しい制服を心配して、エプロンを渡してくれた。
そうこうしているうちに、朝の執務を終えた側近たちがやってきて、私達への挨拶の傍ら、座卓に腰を下ろしていく。
父のやり方なのか、朝食だけは家にいる者は全員で摂ることになっているのだ。夕食ともなると、人数が多すぎたり父が席を外すので別であったが。
そして、女中さん達も席に着き、あとは父が来るのを待つのみであった。
◇◆◇◆◇
普段通りに振る舞っていても、実際には緊張していることは端から見ていてよく分かった。
カザミは少し遅れて居間に入り、すでに準備を終えていた朝食を皆と取り始めている。部下からの報告を聞く傍ら、今も笑顔で食事をしているミナギへと視線を向ける。
今日、学舎への入学の儀が執り行われる予定であり、ミナギが希望した学舎での日々が始まろうとしている。
真新しい制服に身を包み、食事と取る傍ら、浮かべていた笑みが消え、凛とした表情が浮かぶことが多々あるのだった。
そんな彼女の様子を垣間見たカザミは、昨日のミオとの会食のことを思いかえしていた。
◇◆◇
ミナギの養子縁組以来久方ぶりの再会であったが、今日は遊郭に足を運ぶ必要は無かった。
正直なところ、あそこは疲れる。嗜まないわけではないが、本質的にああ言ったことへのこだわりは薄いと思っている。
指定された場所は、繁華街の外れにある小さな居酒屋の座敷。
ややくたびれた外観や煩雑な店内の割には、奥の座敷は整理が行き届き、畳みも見事なモノであった。
「待たせてしまったな」
ミオから告げられた偽名を伝え、奥へと通されて待つこと数分。
落ち着いた清潔感のある衣服を身に着けたミオがやって来た。遊郭での派手な衣装やミナギの事を話に行った際の普段着とも異なる、ある意味では学生の身分以来の彼女を見たような気がした。
「いえ、それほどでは」
「ならばよかった。料理は適当に運ばせる。まずは、やってくれ」
「ん」
ゆっくりと注がれた酒も上質なもの。以外なことに返杯を進めたら彼女も乗り気で、注がれた酒をゆっくりと飲み干す。
一瞬驚いた表情を浮かべると、あの場にいれば嫌でも強くなる。と静かな笑みを浮かべながら答えてくれた。
そして、運ばれてきた料理に鼓を打ち、落ち着いた雰囲気になってきたところで、ゆっくりと口を開く。
「明日、ミナギさんは、白桜へと進む。当然、白の会の者となる」
「…………そう」
そんな言葉に、ミオは一瞬視線を動かすが、すぐにゆっくりと頷く。
「君の依頼通りになったわけだが、本当によかったのか?」
「なぜ、そう思う?」
「私は、君も彼女も平穏に生きてくれればよいと考えていた。すでにヤマシナ家は断絶したも同然。君が平穏に生きているならば、“罪”に関しては咎められることはない」
「だが、それでは償いにはならぬ」
「何を償うというのだ? 君には……、いや、ミナギには罪など無い」
「そうだな。ミナギ個人には無かろう。だが、その身に流れる血には、“大逆”という罪が残る」
「ミナギも、君のようにその精算のために生きさせるというのか?」
かつての“罪”と読んだ出来事を思い出しながらの問いであったが、ミオはそれに関してはゆっくりと首を横に振るう。
「いえ。私の精算が済むまで……。いや、あの子がそれを選ばぬのならば、それでもよいと思っていた。そこに導いたのが私であっても、それを拒否できるだけの考えはあの子は有している」
「たしかにな。あの子は、自分で道を選んだ。かつての君のようにな」
「私は父たちの操り人形であっただけ。あの子のような強さはないわ」
「しかし、こうして精算のための場を次々に設けている様子だが?」
「ふっ……気付いていた?」
「でなければ、このような場に足は運ばぬよ」
自分の言に不敵に微笑んだミオの表情は、今日はじめてと呼んでよいほどの妖艶さを帯びる。没落令嬢がわずかな時に遊郭の長にまで上り詰めたのだ。
その妖艶な笑みの奥底で、いったいどれほど多くの闇を吸ってきたのか。
「やはり、君の所にも届いていたか」
「ええ。時間はあまりないかも知れない」
「どのような結果になると思う?」
「分からないわ」
そんなことを考えつつ、表情に影を落としたミオに問い掛ける。しかし、彼女もまた力無く首を振るうだけであった。
「それまでに、ハヤトもミナギも。いや、此度のこども達、そして、あの方が健やかに成長できているといいが」
「そう願うしかないわね。どちらにせよ、あの子たちには苦難を背負わせてしまう」
互いにそう言い、同時に酒を煽る。
強く、味もよいが、悪酔いしそうな味ではない。
「そうなった時は……」
「うん?」
だが、それが時には思い切った言にも繋がる。
「あの子とともに暮らしてやってくれ。贖罪であれ、精算であれ、それを為す際には、母親として側にいてあげるんだ。少なくとも、君には本人に咎のない罪を背負わせ、その精算に当たらせているいう大きすぎる罪ができた。君の罪が、本来であれば“背負うことの無かった”ものであったとしてもな」
そう言ってミオの目を見据える。
そこには、遊女としての道を究めたものが見せる、どこか虚ろで淀んだ光ではなく、凛とした女性の強さを秘めた光が灯っている。
こんな光は、他にもう一方ぐらいからしか感じたことはない。失った妻もまた、このような光を灯すことなく、逝ったのだ。
「ふふ。そうなった時に、あなたはあの子を手放せるの?」
「誰が手放すものか。母娘ともども、私が、いや、私達が……もらってやる」
「まあ、男らしいこと……。だが……ふふふ」
酔いの勢いとは恐ろしいもの。身体全体が熱湯風呂の使っているかのように熱くなっていくことが分かる。
だが、そんな勢いに任せた言に対し、それを送られたミオもまた不敵な笑みを浮かべると、席を立って傍らに寄り添ってくる。
「待て待て。今日はそんなつもりではないぞ」
「何を勘違いしている。単なる礼だ。ふふふ、私が寄り添うことなど滅多にないのだぞ? だから、ありがたく受け取ることだ」
一瞬、狼狽する羽目になったが、ミオはまたしても不敵な笑みを浮かべて寄り添ってくる。その言に、悔やみつつ脳裏に浮かんだ考えを振り切るしかなかった。
◇◆◇
(まったく。ミオさんも困ったお人だ)
「あの、お父様。どうかなさいましたか?」
「ん? 何がだっ!?」
「いえ、お顔が赤く染まっておりましたので」
「ああ、昨日の会食の酒がな」
「そうなのですか? であれば、お味噌汁のおかわりをなさいますか?」
「あ、ああ。頼む」
昨日のことを思いかえし、顔を熱くするカザミは、心配そうに声をかけてきたミナギにミオの姿を重ねてしまい、さらに顔を赤く染める。
とはいえ、ミナギ以外の全員がある程度の事情を察しており、そんな義親子のやり取りを微笑ましく見つめていることには気付かなかった。
「さて、ミナギも今日から学舎の児童となるな」
よそってもらった味噌汁を飲み終え、気持ちを落ち着けたカザミは、改めてミナギに対して向き直る。
「はい」
「私も関係者だ。何らかの形で携わることにはなるだろう。その場にあっては、父と娘ではなく、上司と部下になり得る。だが、どこであろうと、お前と私は親子だ。そのことだけは、常々忘れることのないようにな」
「はい」
上司と部下である以上、私情を挟むことはない。だが、仕事上の関係を除けば、父と娘であることに代わりはなく、事の場においてはミナギの失はカザミに対して返ることになる。
そして、如何なる時でも親子である以上、頼り頼られる関係になると言う事であった。
カザミ自身、そのことにはミオのことも触れていたのだが、ミナギはそれには気付かず、再び力強い返事を返していた。