第一話
戦いから一夜明けた天津上の光景は、前日のそれとは一変していた。
「予想はできていたが……、何たる有様」
戦の後始末を終え、仮眠をとったフミナはルナやミツルギ等とともに、洪水被害にあった区画へと足を向けていた。
人々を養い、恵みを与えてくれる水も、ひとたび人間に対して牙をむいてくれば、人間に抗うすべなどない。
人間社会にあって用いられる法術と、その根源たる刻印の力は、これら大自然の力そのものの使役であることを考えれば、その本元の力はそれすらも凌駕するのである。
「船団はどうなっている?」
「いくつかやられましたが、大型艦は問題なく航行可能です。ですが、この状態では接岸は不可能ですから、小舟による荷揚げや上陸になります」
「致し方ないな。昨日のうちに乗り込んでいた、子供たちだけでも脱出を」
「はっ。ですが、殿下。あなた方が戦い続ける限り、私たちは物資を運んできます。そのことだけは忘れないでください」
フミナの視察に際し、湖上にて船団をまとめていたハルカも上陸し、今後の動静をうかがっている。
彼女の言は頼もしくも思えるが、現状は正直なところ、厳しいの一言である。
謎の閃光によるセオリ湖の大氾濫と夜半にかけて行われた黒装束の一団による襲撃。
それは、この五年間の天津上防衛のそのすべてを無に帰しかねないほどの打撃をスメラギ側に与えていた。
平和を謳歌していた皇都を瓦礫と化してまで続けられていた抵抗。
それは、司令官である皇女フミナのカリスマ性とスメラギの歴史を象徴する千年の都を敵の手に貶めてならないというスメラギ将兵の意地が見せた防戦であったのだ。
だが、それらのすべては、後背となっているハルーシャ、クシュウなどから送られてくる物資や各地から続々と集まってくる志願兵たちによって支えられていたのである。
そして、それらを出迎える玄関口は、天津上にあるセオリ湖岸に面した港であり、泥沼化した市街戦の中でも、この港を巡る攻防こそが天津上の命運を握っていたのである。
そして今、その港の防衛も一瞬にして瓦解し、周辺に集積されていた物資はおろか、いまだに脱出のままならぬ天津上住民たちすらも巻き込んで、水の藻屑となって消えているのだ。
「それで、閣下……。その、ミナギは……」
「今は二人にしている。この状況だ、無理をして暴走されても、目の前で泣き出されても迷惑だからな」
そして、昨日の襲撃。
それによって、こちら側が失ったものはあまりにも大きい。
少なくとも、防戦と交代一方だったスメラギ側が、泥沼化したとはいえ、互角の戦況にまで持って行けたのは一重に、フミナの知恵袋として、加えて全軍の実質的な指揮官であったカザミ・ツクシロの存在があまりに大きい。
だが、その頭脳ともいえるべき存在を、スメラギは一夜にして失ってしまったのである。
そして、そんなスメラギの頭脳であった男は、今、自身の愛娘に付き添われて、永遠の眠りについている。
だが、それに対するフミナの言は少々辛辣でもあった。
「姉上、それはっ」
「ルナ様。やさしさは時として人を傷つけることもある。殿下も、分かっておられますよ」
そんなフミナの言い分に対し、妹のルナは声を荒げる。
しかし、状況が状況であることと、ミナギの性格をよく知っているハルカには、フミナの意図は理解できている。
他人の甘やかしにすがり続けるほど、愚図な女ではないことも。
「ふん、余計なことをいうなキリサキ。さて、今後のことだ。貴様もシュテンの代わりに参加しろ」
「承知いたしました」
そんなハルカの言に、顔を背けつつそう口を開くフミナ。
状況が状況である以上、貴重な戦力の一人には早く自分を取り戻してもらいたい気持ちは彼女とで同様である。
とはいえ、難しい状況にあることに変わりはなかった。
◇◆◇
すでに陽は上っていた。
しかし、眼前に手眠りにつく男が目を覚ますそぶりはなく、寝息を立てることも、身じろぎすらもない。
そして、首筋へと視線を向けると、そこには切り裂かれた傷跡。
あれから、最低限の処置を行い、その身の営みが消え去った後では、もはや血が流れることもない。
つまりは、眼前の男、私の父であるカザミ・ツクシロの死は、覆しようのない事実であるのだった。
「お父様……」
これで幾度目かであろうか? 力なく、父に対して呼びかけ続けたのは。
もしかすれば、私の呼びかけに答えて父は目を覚ますのではないか、そんな感情が沸き起こると同時に、実際に父を介錯したのは自分であるのだという事実が突きつけられてくる。
父は、私の手によって葬送されることを願い、そうすることで暗殺者に対する私の怨嗟を和らげようとした。
私に、恨みを抱いて生きてほしくない。
それが父の願いであり、私はそれを受け入れた。
実際、逃走する暗殺者を追い、その眼前に洞筒を突きつけた時の私は、憎悪と怒りに心が支配され、あの男を射殺するのに何の感情を抱くこともなかった。
このことがなければ、仲間に救われていずこへかと逃げ去った男のことを怒りと恨みに支配されたまま、どこまでも追いかけていたはずだ。すべての責務も何もかもを投げ出したまま。
とはいえ、仇を討ちたい気持ちはある。
父はこのスメラギにとっても必要な方であり、暗殺などという手段を肯定することはできない。
だからこそ、私は待っていたのかもしれなかった。
「ミナギ、大丈夫?」
「ハルカ……、無事だったのですね」
「ええ。……閣下」
ゆっくりと開かれた扉から届く声。
声の主であるハルカは、私の傍らに腰を下ろすと、父に対して瞑目する。
総司令という立場以外で父と接する機会のあった数少ない同窓であり、親友である。その人となりを理解してくれていた彼女もまた、素直に父の死をしのんでくれていた。
「立場を考えれば、常に死とは隣り合わせのこと。それでもまだ、信じられません」
「ミナギ……。私の前でぐらい、泣いたっていいよ?」
「もう、十分泣き尽くしましたよ。本当に涙が枯れつくすほどにね。それより、ハルカ。殿下からの伝令ではないの?」
「ちょっとぐらい話をする許可はもらってあるよ。それで、行くの?」
「殿下のご命令、そして陛下の勅命があれば」
ハルカがここに来たのは、フミナ様なりの私への気遣いであろう。
それはありがたいことであったが、同時に特別扱いさせてしまった後ろめたさもある。ただ、ハルカに対する答えの通り、お父様の仇討は、フミナ様やリヒト様の命があればすぐにでも立つつもりであった。
個人的なこともあるが、スメラギ側としても、神衛軍総帥の暗殺を、報復もなしに終わらせる理由もないのである。
ただ、フミナ様からしてみれば、肉親を失った私の暴走を懸念しているとも思う。
あの方は、祖父母と母、そして、多くの臣下を同時に失い、父とも離れ離れの中を、気丈にも戦い続けてきたのである。
だからこそ、その”死”に対する行き場のない感情というものも理解している様子だったのだ。
「そ。なら、行きましょうか?」
「はい……。お父様、しばし、お別れです」
「っ!? あんた、わざとやっているでしょ?」
「なんのことやら」
そして、そんな私の答えにハルカも安心した様子で頷く。
部屋からでる途中、お父様に対して顔を向け、そう告げると、ハルカは顔を背けて何か怒ったような口調でそう告げてくる。
相変わらず、激情な面がある親友に、私は肩をすくめてそう笑いかけるしかなかった。
「来たか。まあ、座れ」
作戦室ではなく、昨日に通された御殿の間に向かうと、上座から一段降りた場に座したフミナ様が声をかけてくる。
ミツルギさんやアドリエル達だけでなく、昨日は同席していなかった各指揮官とも思われる人たちも今回は同席しているようだ。
「まず、カザミ・ツクシロの逝去に際し、心よりお悔やみ申す。ミナギ・ツクシロ、貴殿の父は、スメラギの柱石として国家が為に尽力し、その職務に殉じた。彼の功績は、有史の限り語り継がれることと私は思う。 諸君らも、先人の功に後れを取らぬよう、尽力願いたい」
「ははっ!!」
「また、カザミとともに、凶刃に倒れたすべての者達の霊に報いるためにも、我々は必ずや勝利をしなければならぬ。諸君の奮闘を期待するとともに、今後の方針を打ち出した地と思う。各々、忌憚無き意見を述べてもらいたい」
そして、私とハルカがそれぞれ左右に対座して腰を下ろすと、フミナ様がゆっくりとした口調で、父、カザミの逝去を告げる。
皆が皆、すでに知りえていた事実であれど、こうして口に出されると、現実として受け止めざるを得なくなるのであろう。
だが、いつまでも悲しんでいても故人が生き返ることはなく、先に進むことがないのもまた事実。
皆の声を受けたフミナ様は、先程までのややうつむき加減であった表情を改め、凛とした皇女となって臣下たちにそう告げた。
「では、戦況に関してご報告いたします。昨日の攻勢より…………」
そこから、現在の戦況などが臣下達の元から報告されていく。
父の戦死という巨大な損失の他、昨日の襲撃によって死亡した軍人、民間人は数百名を数えている。
水没の被害者も加えれば千名を越えるとの見通しもあり、その大半が民間人というのは、兵士の士気に大きな影響を与えかねなかった。
だが、補給面の損害はそれを凌駕しており、要となっている食糧の備蓄は深刻な状況にあるという。
ハルカ達、キリサキ水軍を中心としたスメラギ水軍としても、今回の補給戦にて消耗しており、ハルーシャ、クシュウをはじめとする後方地域の物資もそう簡単に集められるものではない。
また、都市の西側にある平野部分が浸水による被害を受けたため、港防衛のための防御陣地も再構築の必要が求められた。
他にも、一夜にして噴出した問題は多く、如何に、それまでの戦闘が不安定な天秤の元に行われていたのかを如実に表しているのだった。
「どれも、一朝一夕に解決することではないな……、さて、もう一つ気がかりなことがある。今回のような水害を起こしたあの光。ケゴンの地を焼き尽くし、我が父の半身を焼いたあの光の正体……。何か、見当のついているものはあるか?」
それぞれの問題に関して吟味した後、フミナ様は天を仰ぐような仕草をしたのち、臣下達へと視線を戻す。
そして、その口から出た言葉は、昨日の禍々しき光の正体。
ちょうど、私が昏睡し、床に伏した際に起こった出来事であったが、皮肉にも、そのことが私にとある一つの光景を刻みつけている。
夢物語と片付けられる事でもあったが、一方的に切り捨てて良いものなのかは分からなかった。
「一つ、よろしいでしょうか?」
「ツクシロか……、そなたはケゴンにおける悲劇の生き残りであったな。なにか、あるのか?」
「いえ。事実とは言いがたいものでありまして、夢物語として片付けられるような、そんな話になるかも知れませんが」
「むう……、はっきりせんな。だが、皆も分からぬ以上、些細なことでもかまわぬ。話してみろ」
そして、沈黙が御殿の間を包み込んだのを見て、私は口を開く。
皆が皆、あの光の正体は分からず、一様に困惑するしかない中、この様な話をするのが果たして適当なのかは分からない。
だが、その光自体が夢物語の中に出てきそうなものなのである。
信じてもらえなくとも、私が恥をかけば済む事でもある以上、話すことだけは話しておく方が良いと思えたのだ。
それから、私はその時の事を偽りなく告げる。
声の正体がなんなのかは分からなかったが、暴風にの中にある島の事を告げると、場がざわめきはじめていたのだ。
「そう言えば、あの中に紛れ込んだら二度と帰れない言われていたけど、それはここ最近のことなのよね」
「キリサキ、それは?」
「父の話に寄らば、ここ十年ほどの事だそうです。それまでは、風雨に紛れても帰ってくることは出来たそうなのですが、最近では行方不明になる船が続出していると。また、あの場には無数の島々があるという事も聞き知っております」
「……ツクシロが申した島の位置は、たしかなのだな?」
「あくまでも、昏睡した際に見た夢における話にございます。ですが……、馬鹿なことを申されるかも知れませんが、声の告げる言葉には、妙に真実みがありました」
「ううむ…………」
そして、皆がざわめく中、ハルカが思い返したように、船乗りの間では、あの周囲は魔の海域と呼ばれ、非常に危険な地域であること。また、島嶼群がいくつか存在していることを聞くと、他の者達も顔を見合わせはじめる。
もちろん、私が夢で見たことである以上、全面的な信用はないのであろうが、それでも可能性に賭けたいという気持ちはあるのではないだろうか?
「失礼いたしますっ!! 皇女殿下に、ご注進を」
「何事だ?」
「はっ!! ただいま、ベラ・ルーシャ側からの文が届けられましたので」
「…………そうか。こちらへ」
そんな時、御殿の間の扉が慌ただしく開かれると、一人の士官が書状を手に駆け込んでくる。
ベラ・ルーシャ側と言う事は、ある種の降伏勧告めいた何かであろう事は分かる。
先ほどの説明で、ベラ・ルーシャ側は天津上を包囲しているとは言え、前線から距離を取って対陣の構えを取っているという。
こちらの港が半壊し、物資の多くを失ったという情報は得ているはずであるのだ。
「…………なるほど。これは、夢物語に縋らざるを得ぬかも知れぬ」
そう言うと、フミナ様は表情を曇らせ、苛立ちを隠すかのような様子で傍らに控えるルナ様に書状を手渡す。
昨日の会見以来、ルナ様の存在は将兵達に知らされており、この場においては序列二位の場に座している。
だが、フミナ様に対し、どちらかと言えば温厚なルナ様もまた、表情を曇らせている。
「姉上……」
「読んでくれ」
「はい……。『我が、全能なる“白き女神スニェーキア・ヴァギィーニア”の代弁者にして、この地上の統治者たる教皇ヴェネディクスより、汝等劣等民族に対し、降伏か破滅か、選択の時迫り事をここに宣言致す』」
一通り目を通したルナ様は、フミナ様を一瞥した後、文面を口にする。
要は、一週間以内に皇国そのものが全面降伏をしなければ、かの閃光によってスメラギ全土を焼き尽くし、劣等なるスメラギ民族そのものを根絶する。
という、余りに理不尽喝暴力な降伏勧告の内容であった。
ちょうどこちらが戦力を減退し、物資の調達も困難になった状況かつ、救えるべき民が大勢いるその時を狙ってきたのであろう。
一週間の猶予は、キツノにあるリヒト様、カスガの地に籠もる巫女様、クシュウの地にあるフィランシイル総督フィリア様、キルキタの地にて抵抗を続けるシイナ閣下等の言質をとることも可能な時間を計っているのだろう。
だが、そのような言を頭から信じるほど、ベラ・ルーシャという国家が信用できるはずもなく、降伏したところで清華やアルビオンのようなハイエナ国家が虎視眈々とスメラギ利権の回復を狙うことも容易に想像がつく。
何より、ベラ・ルーシャの傘下に入れば、待っているのは民族浄化しかない。
となれば、あの邪悪なる閃光の脅威を受けつつも、抵抗を続ける以外に手はないのかも知れなかった。
室内が沈黙に包まれる中、私がそう思考したのと同じように他の皆様方も口を噤んでいる。
選択の余地もない状況下である。そして、この場におけるすべての決定権は、今もなお瞑目している齢十五才の少女に託される格好になっているのだ。
「皆も分かっているように、どちらを選択したところで、我々の未来には困難しか無い。ただ、先々帝陛下が選ばれたように、困難を受け入れ、堪え忍ぶことも時には必要かも知れぬ。……しかし、今回ばかりはそれも適うまい」
目を見開いたフミナ様は、ゆっくりとまるで自分に語りかけるようにそう口を開く。
彼女自身、降伏も徹底抗戦も待っているのは過酷な現実であると言う事を理解しているのであろう。
再び瞑目しつつ俯いたのは、そのせめぎ合いが彼女の中にあってのことと思う。
しかし、予想に反し、俯いたフミナ様の口元には、笑みが浮かんでいたのだった。
「だが、ヤツ等は勝利を過信したことに驕り、一つの失態を犯した」
そして、顔を上げたフミナ様の言に、その場に詰める者達は困惑し、顔を見合わせる。私も目を見開いてフミナ様へと視線を向けると、フミナ様はその笑みを私に対して向けていたのだ。
「ツクシロ、そなたの夢物語が真実であるか、賭けてみようではないか。どのみち、件の邪悪なる閃光をどうにかせぬ事には我々に勝利はない。だが、ヤツ等は我々に一週間という時間を与えた。その驕りを、その愚かさを、後悔させてやるのだ」
皆が困惑する中、力のこもった声でそう告げるフミナ様の言に、私やハルカをはじめとした臣下達は、皆一様に顔を上げる。
それは、消沈していた私達に、希望を灯すべく告げた一つの宣言なのであろう。
(この状況下にあってなお、勝利を求める。……やはりこの方は、民を導ける御方なのですね)
ハルカやアドリエル等と顔を見合わせながら、私は力強い視線を向けてくる、年下の主君の覇気に辺り、思わずそう思っていた。
◇◆◇
絶望に覆われつつあった都市に灯る小さな希望。
それは、後に起こりうる悲劇を先延ばしにする結果にしかならないのかも知れない。だが、この時の彼らの心のうちには、たしかな希望が灯ろうとしていた。
そして、悲しい別れのあとに迫る再会、そして、その後に待ち受ける何か。
運命という名の物語がミナギに何を与えようとしているのか、この時の彼女には知るよしもなかったのである。
新章の投稿を開始いたしました。
また、タイトル、あらすじ、ジャンルなどの変更も検討中ですので、決定しましたらお知らせいたしたいと思っています。
また、登場人物一覧や細かい設定なども今日明日のうちに投稿したいと考えております。
以前にアドバイスしてくれた方、お待たせしてしまい大変申しわけありませんでした。
今少しばかり、お待ちいただければと思います。それでは。




