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第二十一話

 皇居内が、いや天津上全体が激しい揺れに見舞われていた。


 突然のことに、駆けていた足を止めて姿勢を保つ。ほどなく、揺れは収まったが、突然の事態に私達は顔を見合わせるしかなかった。



「い、今のはいったい?」


「……法術の類であろう。昼のの閃光と同等のモノにしては、揺れが少ない」



 私の言に、アドリエルがその彫刻の如き美貌を歪ませながら答える。


 たしかに、巨大な爆発の類であったようにも思え、揺れが続いたのはその余震の影響であろう。


 だが、法術だとすれば、恐るべき力を持った術師がベラ・ルーシャ側にも現れたと言う事になる。



「どっちにしたって、こんな所じゃあ状況は掴めないよ。それに、お客さんよ?」



 そう言うと、リアネイギスは前方を睨む。

 ここから先は、作戦室をはじめとした中枢施設があり、その前には広めの空間がある。

 そして、ゆっくりと進む私達の視線の先にて、守備兵たちと黒装束の者達が激しく交戦している様が見て取れたのだった。



「数は勝っているけど……、やるわねあいつ等」


「たった4人か。しかし、全員が全員、兵を殺さぬように戦っている……、しかも、動きを確実に奪うようにしてな」



 物陰から広間を覗うと、数十人の兵士達が表情を歪めながら、床に倒れ伏し、残った兵士達も交戦を続けている。


 しかし、相手は四人だけ。それも、得物をほとんど用いることはなく、体術のみで兵士達を相手取っているのだ。


 少なくとも、ここに詰めている兵士達は神衛やフミナ様の近衛には及ばぬといえど、実戦経験豊富な精鋭が集められている。

 実際、四人は優位に戦闘を進めているとは言え、兵士達の粘り強さに、やや苛立ちを覚えているようにも思える。

 だが、四人の動きは、改めてみても常人のそれを遙かに凌駕しているようにも見える。


 実際の所、まともに殺し合ったら、私やアドリエルでさえも適うことはないし、リアネイギスが本気で対峙してようやく一人を倒せるかどうかと言うところであろう。



「意図は分かりませんが……、どちらにせよ、一人ぐらいは倒しておくべきでしょう。砲撃を合図に」



 敵の動きを見て、私は腰に下げた砲筒を手に、二人に向き直る。


 正直なところ、不意打ちは趣味ではないが、今はそのようなことを言ってる場合ではない。


 相手の力量を考えれば、確実に倒せる手段を取っておくことは当然であるのだ。




「うむ。私はあの細身の女を相手取る」


「長身の男は私がやるよ。ミナギはあの髪の白いのね」



 それぞれに、相対する敵を見定める。


 アドリエルは、弓を手に兵士達の攻撃をいなしつつ動きを奪っている細身の女、全員が顔の半分を隠しているが、腰まで伸びた黒髪と切れ長の目元から女性と判断できる。


 リアネイギスは、私達の中では戦闘能力では群を抜いている以上、中心にある長身の男を相手取るしかない。


 そして、私が相手をする白髪の小柄な女とアドリエルが相手取る細身の女を倒した後は、苛政に入る必要があるとも思われる。



「分かりました。では、残りの一人を」



 そして、私は四人の中ではもっとも力量に劣る男を見定め、砲筒を向ける。


 他の三人と比べ、兵士達にやや押され気味のその男。他の三人であれば、最悪危機を察して、銃撃を躱しかねないが、攻勢と防戦に必死なその男ならば、狙撃は十分に可能と思うのだ。


 そして、私が狙いを定めて引き金を引くと、空気を斬り裂く乾いた音が周囲に轟く。


 刹那、件の男は頭部を撃ち抜かれて後方へと弾き飛ぶように倒れ伏し、額から血を吹き出させると、全身を痙攣させ、やがて動きを止める。


 突然の事態に、残りの三人と兵士達がまるで時を止めたかのように硬直していた。



 その時には、私達は床を蹴り、各々の得物を手にそれぞれへと相手へと躍りかかっていく。


 私が相手取る予定の白髪の女は、アイラインの目立つ派手な目許から放たれる虚ろな光を私に向けると、ゆっくりとした動作で後方へと飛び退きつつ。両の手に光を灯す。



「っ!?」



 動作の割に早すぎる法術の行使。咄嗟に身を捩ると、身体を掠めるように突き抜けていく火球。


 集中時間も非常に短いのだが、それ以上に脅威に感じたのは、相手が私を倒すことではなく、動きを奪うことを優先していたと言う事。

 あれだけの速さならば、私の半身を焼くことも可能であったはずだが、あえて腕か足を狙い、戦闘不能を狙ったようである。



 結果として助かったものの、相手の力量はこちらの想像を遙かに上回っている様子だった。



「やるね」



 抑揚少なくそう言い放った白髪の女は、意外にも幼さの残る声をしていて、一瞬の戸惑いを私に覚えさせる。

 よくよく見れば、身体付きはまだまだ頼りなく、女としての柔らかさもほとんど見えない。

 化粧を施した外見と卓越した法術技能が、女の年齢を隠していたのであろうか?



「? どうかしたの?」


「っ!? あなたは……」


「何が目的かって? なんで、そんなことを貴女に言う必要があるの?」




 そんな眼前の女、いや少女に対し、私はなぜか同情めいた感情を抱いたことを自覚する。

 戦いの場にあってはふざけているとしか思えない感情であったが、どうしても、眼前の幼さを感じさせる少女が、自身の才能や外野の事情によって、無理に大人ぶることで戦場に立っているような。


 そんなお節介すぎる思考が頭をよぎってしまったのだ。


 だが、生憎と眼前の少女にそんな私の思考が通じるはずもなく、少女は唯一露出している目許を歪めてそう口を開く。



「それは、そうですが……、では、問いましょう。あなたは、そうまでしてお父様やフミナ様の命が欲しいのですかっ!?」


「え?」



 目的を問うたところで意味は無い。


 だが、まだ幼き彼女が、なぜこの様な暗殺集団に加わり、お父様やフミナ様の命を狙ってくるのか。その理由には素直に興味が沸いているのだ。

 もちろん、返事などは期待していない。単なる私の戯れであり、興味が沸いたことを唐だけのこと。


 しかし、予想に反して、少女はそれまでの無気力な態度を改めて、大きく動揺したような仕草を見せる。



「っ? では、貴女だけではなく、他の二人に対しても、問いましょう。何故、我が父、カザミ・ツクシロとスメラギ皇女フミナ姫の命を狙うかっ!?」


「ちょ、ミ、ミナギっ!?」


「何だ、突然っ!?」



 そんな少女の様子に、私は再度、今度は周囲に届くように声を張り、同じ言を口にする。


 突然の事態であり、交戦していたリアネイギスとアドリエルすらも呆気にとられたような声をかけてくる。

 幸いにして、対峙していた男と女も少女と同じような反応を見せており、二人が不覚ととることはない。



「ほう? どこか、思うところはあるようですね。では、答えを聞きましょう。何故かっ!?」



 だが、私としても効果があると分かれば、止める理由もない。硬直した少女と他の二人に対してさらに問い詰めるように口を開く。

 もしかすれば、これ以上の流血を避ける事が出来るかも知れない。そんな考えが頭をよぎっている。


 だが、それは余りに楽観的な考えでしかなかった。



「えっ!?」



 突如として、響き渡る空気を斬り裂く乾いた音。


 静寂を斬り裂いたそれは、困惑をこの場に居る全員に与えてくる。そして、ほどなく同じ音が、今度は連続して二つほど連なり、いよいよ自体は混沌してくる。



「これは……、おいっ、シリュウを止めろっ!!」


「分かった。こっちは、なんとかしなよ」


「当然だ」



 そして、三人の動きも、それに触発されるかのように速かった。


 男が事態を察して、女に対してそう声をかけると、少女と並んで女の消えていった作戦室の扉の前へと飛び退り、行く手を阻むように陣取ったのである。



「なにを? そこをどきなさいっ!!」


「それは出来ないな……、特に、お前を通すわけにはな」


「戯れ言を……」



 そんな男達の動きに、一瞬遅れとを取ってしまった私達。アドリエルやリアネイギスの他、動ける兵士達ともに二人を取り囲む。


 状況は一変し、アドリエルが番えた二本の矢は確実に二人の額を射抜くよう、その切っ先を輝かせながら、開放の時を待っている。

 だが、男の口から発せられたのは、はっきりとした拒絶。だが、私に対する言は、なぜかわずかな親しみが籠もっているようにも思えるのだった。



「まったく……、エル、殺すことはない。こいつ等も勝てない戦いはする気はないだろうし、あんたの矢を待って逃げるつもりさ」


「であろうな。見た目にも、期を窺っている」



 だが、そんな私達のやり取りに、苛立ちの籠もった声を上げるアドリエルとリアネイギス。


 たしかに、悠長に話している暇はない。



「そうかよ。じゃあ、どうするつもりだ?」


「こうすんのよっ!!」


「うおっ!?」




 そんな二人の言に、男はいよいよ追い込まれたことを察し、表情を歪める。


 だが、リアネイギスにとってはそのような仕草すらもお構いなしであったようだ。



 男の言が終わるや否や、床を蹴って一気に距離を詰めると、決死の表情で繰り出された重い蹴りと放たれた矢を回避する両者。


 だが、命を優先したその行動は、本来の目的を二人から解き放つ結果になってしまった。


 重厚な作りの扉であったが、ティグ族にとっては、紙切れ同然の厚さしかなく、激しく音を立てながら、強引の作戦室への通路は産み出される。




「お父様っ!!」



 そして、開かれた扉の隙間から、作戦室へ飛び込んだ私は、その直前に自身の内部で、激しい鼓動が起こった事を自覚した。


 否。先ほどの、炸裂音の時からある程度は覚悟していたのかも知れない。だが、現実としてそれを受け入れるには、自身の目で、それを確認する以外にはない。



 その事実。



 視線の先にて、悠然と佇む黒装束に身を包んだ男と黒髪の女。


 その足元には、スメラギ皇室の守護者。神衛軍の総帥たる男の象徴でもある、白き軍装といくつかの装飾品の煌めきがそこにはあった。



「お父…………様?」



 それを察した瞬間、世界のすべてが色を失ったような錯覚に襲われ、すべてが低速となり、私の歩みも、気持ちほどの速さは無い。

 ただただ感じるのは、激しくなり続ける鼓動。耳に届くほどに大きく、激しく脈打つそれは、床に横たわった壮年男性と目が合うその時まで続いていた。




「ミナギ……、無事だったのだな」



 優しく、耳に届く声が、これが現実であるという、残酷な事実を私に告げていた。



◇◆◇



 空気を斬り裂く乾いた音が、その場に立つ唯一の男、沙門天のシリュウの耳に届く。

 同時に、眼前にて対峙していた壮年の男、カザミ・ツクシロは、呻き声とともに胸元を穿たれそこから赤き血を吹き出しながらゆっくりと崩れ落ちる。

 事態が飲み込めず、音がした方角へと顔を向けたシリュウ。

 視線の先では、彼と同じく黒装束に身を包み、手にした筒状の何かをこちらへと向けた男が立っている。



「か、……閣下? ツクシロ閣下っ!!」



 一瞬の静寂が二人を包み、ほどなく男の悲鳴が耳に届く。


 血に染まったこの場にあって、シリュウとその男以外に唯一生存している男。

 見たところ、まだまだ年若く経験も少なそうであったが、全身に傷を負いながらも、上司と仰ぐ男の元へとずりよってくる。



「ふん……」



 そんな男、いや青年と呼んだ方が良い年代の彼に対し、男は手にしたそれを向けると、口元に笑みを浮かべたまま、再び乾いた音を奏でる。



「ぐあっ!! う、ぐうううっ……」



 這いずり回りながら、カザミへと近寄っていた青年は、脇腹を穿たれて痛みにもだえる。


 シリュウはその間、カザミから青年へ、そして男へと交互に視線を向けるも、目があったのは最後の男のみ。


 男からしても、シリュウの考えは読み込めず、再び鼻で男を笑った後は、先ほどの法術によって穿たれた穴から外へと身を投じる。


 それを見送ると、シリュウは再びカザミへと視線を落とす。


 正直なところ、男が現れなかったら、この場に突っ伏していたのは自分であると彼は思っていた。


 はじめこそ、自分と互角に対峙しているように思えたのだが、途中から彼とともに交戦していた青年士官達が苦戦し、倒れるモノが出はじめる。


 するとカザミは、それまで以上の動きを持って自分の相手の傍ら、青年士官達の支援に入り、疲労が蓄積した青年士官達に変わって、自分隊のほぼ全員を相手取った。



 もちろん、そうなれば自分も自由に動ける以上、抵抗を続ける士官達は容赦無く倒して回り、生き残りたちがそれに止めを刺す。


 しかし、それはカザミに対して、怒りを誘発する結果にしかならなかった。



 結果として、今もうめき続ける青年士官以外を討ち取ることは出来たが、こちらも自分以外の手の者を失っている。


 実際の所、呻いている青年以外を倒した時点では、こちらは数人が残っていた。

 だが、数人掛かりで挑み掛かったカザミは、はじめに対峙していた時よりも、格段に技のキレが増していた。

 結果として、カザミに重傷を負わせたものの、自分を除く全員が倒され、自分も負傷していた。


 仮に、あのまま続けていたとすれば、よくて相討ちが精々であっただろう。



「…………どうした? 何を呆けている」


「っ!? まだ、息があったのか?」


「ふん、生憎とな」


「…………っ」



 そんな時、倒れ伏したカザミがシリュウへと視線を向け、息も絶え絶えとした様子で声をかけてくる。


 一瞬鼓動が跳ね上がったシリュウであったが、不敵な笑みを浮かべるカザミの首もとに対し、剣を突き付ける。

 どのみち、この男の撃破が今回の目的であるのだ。トドメは確実に刺す必要がある。



「まあ、待て。私はもう助からん……、貴様もスメラギ人ならば、慈悲の心はないのか?」


「俺がスメラギ人? そうなのか?」


「む? 違うのか? 外見だけならば」


「そうではない。俺には、数年より前の記憶がないのだ」


「ほう? 難儀だな……」



 一瞬、ふざけたことをと思ったシリュウであったが、カザミはすでに得物を手放し、起き上がることも不可能な状態である。

 万が一、不意を突こうとしても、首を飛ばすことは造作もないとシリュウは判断していた。



「まあ、よかろう……。せめて、倒した相手に顔ぐらいは見せたらどうだ?」


「なんだそれは?」


「ふん、戦ってみて、思うところがあったのでな。減るものでは無かろう?」


「分けが分からん。…………ほれ」



 そして、困惑気味のシリュウに対して、そんなことを口にするカザミ。


 はじめはくだらぬ事をと思ったシリュウであったが、なぜか、今だけはこの男の願いを叶えてやりたくなっている。

 だが、シリュウがそのことに気づくことはなく、特に考えることもなく顔を覆う布をとる。


 赤く焼けた皮膚が露わになると、それまで当たることの無かった風が吹き抜け、顔に痛みが走る。


 そして、シリュウの素顔を見たカザミが、どこか、得心したように頷いたのを見ると、なぜかシリュウは不快な思いを感じ、すぐに顔を布で覆う。



「もう良いだろう?」


「ああ…………、なるほど。違和感を感じるわけだ」


「なんだ?」


「お前、いや……」



 カザミが何を告げようとしているのか、シリュウには理解することが出来ない。


 カザミ自身も、自分の考えをシリュウに伝えたところで意味があるのかも分からない。ただ、死にゆく身の程にある以上、口にすべきことはするべきであるという思いもある。



「シリュウっ!!」


「どうした?」


「っ!? 殺しち……、まったのかい?」


「それが俺の任務だからな。だが、しぶとくまだ生きている。ま、すぐに死ぬだろう」


「そう……」



 そんな時、室内に響く女の声。


 すぐに顔の布をとった女が、シリュウの傍らに立ち、倒れ伏したカザミに視線を向けると、その気の強うそうな整った顔を青ざめる。

 シリュウもカザミも何事かと思ったが、女はそれ以上の言を口にすることはなく、呆然とその場に立ち尽くすだけであった。



「どうした? むっ!?」



 そんな女の表情に、シリュウは首を傾げならが問い掛ける。


 しかし、女からの返答を待つことは適わなかった。後方の扉が、激しい音ともに破られ、埃の舞う中を一人の女が駆け込んできたからであった。



「お父様っ!!」



 その駆け込んできた女。ミナギ・ツクシロとシリュウは束の間、視線が交錯する。


 一瞬、凍りついていた心奥底で、何かが蠢いたような感覚をシリュウは覚える。だが、それが何なのか分からぬまま、呆然としたままこちらに歩み寄ってくるミナギの姿を、シリュウはなんとも冷めた表情を盛って見つめていた。




(なんだ、この女??)




 そんなことを考えるシリュウは、まるで自分が眼中にないとでも言うように、脇をすり抜け、カザミの傍らに膝をつくミナギの姿を無意識のままに追い続けている。



「ミナギ、無事だったのだな……」



 そんなカザミの言に、シリュウはミナギという名をこれまた無意識のままに脳内に刻み込んでいる。


 いったい何がそれをさせているのかまでは分からない。だが、それ以上、シリュウがミナギに興味を持つ事は適わなかった。



「そこまでだっ!! 暗殺者どもがっ」


「閣下っ!? ……貴様ら、生きてここからでられると思うなよっ!!」



 いつの間にやら増援が来ていたようであり、兵士達の先頭に立つニュン族の女とティグ族の女が、それぞれ怒りで自慢の美貌を歪ませながらこちらを睨んでいる。


 だが、シリュウとしてもそれをそのままに受け止めてやる義理はない。


 応戦しようと女が手にした弓を構える中、シリュウは口元に冷笑を浮かべて、手にした剣をミナギの首筋へと向ける。


 その様子に、敵兵達は一様に動揺したようだが、その一瞬だけでこちらとしては十分でもあるのだった。



「行くぞっ!!」



 刹那、シリュウは女を抱きとめて床を蹴ると、一気に跳躍して、先ほど穿たれた大穴へと向かう。


 途中、光を纏った鋭き矢が自分達を追尾してきたが、それでも見えていれば問題ではない。


 一振りで叩き落とすと、女を先に離脱させ、シリュウも穴の縁に足をかける。



 そんな時、何を思ったのか、シリュウは自分達を追ってきているであろう敵兵達へと顔を向ける。



 なぜか先ほどの女、ミナギの表情が気になったのであるが、それは思いもよらぬ形でもってかなえられることになった。


 シリュウが振り返ったまさにその時、目から光を消し去り、その美しい顔から表情すらも消し去った女、ミナギ・ツクシロが、手にした砲筒の銃口をシリュウの眼前に突き付けていたのである。



 そして、引き金が引かれるのとシリュウが縁を蹴るのは同時のこと。



 さらに、乾いた音がその場に轟くのはその一瞬の後のこと。ついで、放たれた弾丸が、シリュウの顔を覆った布、そして、焼け爛れた顔の表面を抉りとったのは、音とほぼ同時のことであった。



◇◆◇



 自身が為したことを、何の感慨もなく見つめたのはある意味ではじめてであったのかも知れない。

 今となっては、先ほどまでお父様とかわしていた会話すらも覚えていない。

 何よりも、今目の前から落下していった男を殺すこと。それだけが、自分のがなすべき事であると信じ、行動しただけ。


 だからこそ、落下した先で飛竜によって拾われ、血塗れた顔をこちらに向けた男を殺すという目的が、次なる私の任務。いや、すべてとなったのだった。


 そうと決めると、穿たれた穴から元の場へと戻る。


 床に倒れる壮年男性、そして、そこに寄り添うニュン族とティグ族の女性や仲間を救うべく駆け寄る兵士達の姿を見ることで、ようやく自分が帰ってきたような、そんな感覚を覚える。



「ミナギ……そのような顔は、してほしくなかったな」


「お父様……」



 アドリエルに支えられて身を起こしたお父様が、その血色を失った表情を私に向けてくる。


 全身は傷つき、胸元を穿たれているのである。

 激痛と死の恐怖に支配されてもおかしくない状況で、お父様は私に微笑みかけてくれているのだ。



「さて、父からの最後の願いだ……。葬送は、お前の手で成してくれ」



 だが、その微笑みの中から放たれた言葉は、私にとっては拷問と同等のもの。

 葬送を成す。

 つまりは、私に介錯を、止めを刺せというのである。



「い、嫌です……、そ、そんなことを」



 声が、そして全身が震えている。当然、そんなことが出来るはずもないのだ。



「ミナギ、お前は今、憎しみに支配されて人を殺めようとした。私は、そんなことは望んでいないぞ」


「そ、そんな……。お、お父様を、あ、殺めようという男を、憎むなとおっしゃるのですかっ!?」


「その通りだ。だからこそ、私の葬送はお前に託す……。憎しみを、父殺しの咎によって、消し去るのだ」


「そ、そんなの……、そんなのひどすぎます」



 涙がこぼれ落ちてくる。


 お父様が、今なお死の縁にあって、苦しみ続けているのは、無理矢理に作った笑みからこぼれ出る苦悶と浮かんだ汗によって理解できる。


 だが、憎しみを消し去れと言うのはどういう事なのか? 今こうして、お父様は他者の手によって私の目の前から奪われようとしている。

 お母様を傷付け、どん底から逃げようとしていた私を救い、幸せを、友を、責務を与えてくれた、そして、ついにはお母様までを救ってくれた父を……。


 ケゴンの地での別れから、再会する事の出来たにも関わらず、お母様やミルとともに、幸せに暮らせる日が来ることを約束したというのに……。



「そうだ。ひどい父親だ……、いや、私は父親であったのだろうか?」


「なんてことを言うのですっ!? 私の父は、お父様ただ一人ですっ!! 他に誰も、おりませぬっ」


「ああ、それだけで十分であるはずなのにな……。だがな、ミナギ。私は、お前が憎しみに囚われて、生きて欲しくないのだ……。憎しみは、人を生かす力にはなるが、幸せにする力にはならん。ミオが……、そうであったようにな」


「っ!?」



 ゆっくりと目を閉ざしながら、静かにそう告げるお父様に対し、私は目を見開いて、沈黙するしかない。


 だが、何も言うわけにもいかなかった。私達が、父と娘としていられる時間はあと僅かしかない。



 そんなことは、動揺する私でも容易に理解できていた。



「お母様が……、憎しみに囚われて?」


「……誰の手も借りることなく、ミオはお前を立派に育て上げた。それは、サヤを苦しめ、自身をどん底に落とした全ての者達に対する憎しみが、お前を幸せにするという思いに昇華したが故のこと……、だが、結局、お前を幸せにするには、一人では不可能であったのだ」



 たしかに、お母様は厳しくも愛情を持って私を育ててくれた。しかし、目の届かないところで、私は身に覚えのない苦しみを受けていたことも事実。

 もちろん、同じ境遇の者がいたとすれば、シロウやサキ達、老夫婦の存在があった分だけ私は幸せだったと思う。


 だが、お母様はどうであったのか?


 結果として、私は自信の過ちによってお母様を傷付け、私達は離ればなれになってしまった。

 これが、憎しみを糧に生きた結果だというのであろうか? そうであれば、あまりに悲しすぎる。



「私は、ミオを救えず、お前にも過酷な願いを託す……、憎しみを、糧に生きずとも、幸せになる事は出来るはずだ。だからこそ、お前の手で……、愛した娘の手で……」


「お父様っ!?」



 それまで、気丈に話していたお父様であったが、ついに限界が来たのか、表情がうつろになり始め、話もおぼつかなくなり始める。


 このままでは、お父様は未練を残したままの旅立ちを余儀なくされてしまうだろう。



「う、うう……」



 頬を伝う涙が熱くなってきている。もはや止めることも出来ないそれを感じつつも、私は、老父様より託された剣を抜き、刀身を握ってお父様の首筋に突き付ける。


 じわりと滲みはじめる血の感触とほのかな痛みが手に伝わりはじめる。この痛みは、お父様に対する私自身の思いを告げるための戒め。


 大罪を負う私の痛みぐらいは、天へと持っていってもらいたかったのだ。



「すまぬな、ミナギ……。私は、あまりよい父親ではなかったなあ」



 最後に、はっきりと目に光りをたたえ、静かに微笑んだお父様。


 さらばだ。と、声にならぬまま口元が動いたのを合図に、私は静かにお父様の首筋を薙いだ。



 その刹那、それまで過ごして来た日々が、まるで現実に目の前にて起こっているかの如く流れはじめる。



 今日の日の再会、ケゴンでの別れ、仮任官の席での照れくさそうな笑顔、日々の成績や白の会でのやり取り、時に厳しく対峙された稽古や勉強。


 そして、その合間合間の何気ない日常、それらが淀みなく流れた後、はじめてであった、十年前のあの日。

 どこか困惑しつつも、何とか私を悲しませぬように接してきた年若い日のお父様の姿。



 そして……。



「っ!?」


「えっ!?」




 お父様が、最後に目に光を灯したその瞬間、私の眼前には、今まで見たこともないような光景が映りこむ。




 ベッドの上で、凛とした中に慈愛のこもった表情を浮かべる女性傍らにて、誕生した娘を嬉しそうに抱きしめる青年の姿が……。




 そして、その光景がゆっくりと目の前から消えていくと、お父様の目も、ゆっくりと閉ざされていく。


 それは、まるで眠るように……。




「さようなら、…………お父様っっ」




 それを見送った私であったが、お父様が旅立たれたことを悟ったまさにその瞬間、抑えきれない何かが私の中から、何かが崩壊するかのように溢れ出していった。

以上で、乱流の章は終了となります。

次章、『殉愛の章』は、一日を開けて土曜日から開始したいと思っております。完結まで残り一章となりましたが、最後までお付きあいいただけたら幸いです。



出来ればですが、私ではなく、旅立つカザミ・ツクシロという男とミナギに対して何かコメントなどをいただけるとありがたいです。


それでは、失礼いたします。

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