第十八話
「私たちはミツルギ殿とともに、外で待機している。だが、あまり無茶をするなよ?」
「分かっていますよ」
「ルナ様も、あまり背負いすぎぬようにしてくださいね。指名は当然果たすべきことですが、姉妹で仲たがいしてしまうのは悲しいですから」
「はい……、ありがとうございます。リア様」
他の者達が退出していくと、アドリエルとリアネイギスもそれに倣い、私とルナ様にそう声をかけ、立ち上がる。
フミナ様の命により、私とお父様以外の者たちは、間もなく再開されるであろう攻防戦での有事に備える。
使者として来訪したアドリエルとリアネイギスも、謁見が終わるまでは、戦力としての助力を求められるであろうことは容易に想像がつく。
ニュンとティグの皇女である両名は、フミナ様と同様にその存在だけで、兵たちの力にもなりえるのだ。
そして、ミツルギさんは先程の謁見に参列していた。ミロク、ホムラ、セイワの三名とともに先に退出している。
皆、ヒサヤ様の護衛を果たせず今日の結果を生んだという苦悩を抱える神衛達であり、憔悴した容姿を見るのは何ともいたたまれない気持ちになった。
そして、傍らに坐すルナ様へと顔を向ける。
リヒト様からフミナ様のご気性と説得には困難が予想されることは聞かされていたが、気性等々以前に、積み上げられた経験の差で圧倒された気配のある会見。
無言で先程までフミナ様の坐していた場を見つめるルナ様の表情は、自責の念を抱くかのごとく沈んでいるように思える。
そして、私には、眼前の少女に対してかけることが浮かんでこなかった。
「ほう? この場に残っていたのか」
「っ!?」
「そうかしこまるな。他者の目はないのだしな」
互いに沈黙し、静寂の中で時間だけが過ぎていたが、ほどなく襖が開かれ、フミナ様とお父様が姿を見せる。
私たちが先程と変わらぬまま坐していたことに、何の気なしに口を開いたフミナ様は、先程までのような硬質な態度とは打って変わるようにして、ルナ様の眼前へと腰を下ろす。
やや驚き加減のルナ様と私だったが、それを見守るように坐したお父様に手招きされ、私もその傍らに座りなおす。
「いろいろ、考えていたようだな。だがな、ルナよ。こうして初めて顔を合わせたのだ。あまり、姉を困らせてほしくはなかったぞ?」
「っ!? で、ですが姉上」
そして、先程までの不機嫌な表情から若干の硬さが残るものの、穏やかな表情を浮かべたフミナ様。口調も先程よりも穏やかものになっている葉に思える。
先程までの態度は、あくまでも皇女としての仮面であったのだろうか?
「父上の命を果たす覚悟はたしかに買おう。だが、現実を見なければな」
「現実……? しかし、継承権は」
「分かっている。だが、この天津上にて戦い続ける者達はどうなるというのだ?」
「うっ……」
「そなたは、前線にて兵たちとともにあると申した。だが、そのようなことは皇族であれば当然のこと。前線にあるだけでは、ただの役立たずなのだ」
「…………」
そして、口を開き始めると、さらに優しく親しみのこもった口調となって語りかけるフミナ様。
ルナ様もそうだが、私にとっても、眼前の皇女の変化は思わず目を剥かざるを得なかった。
とはいえ、天津上脱出に関しては、先ほどまでと同様に強硬な態度を崩していない様子で、大きな変化は見えない。
たしかに、フミナ様が言うように、天津上の現状を鑑みれば、指揮官が前線に立って兵を鼓舞することなど当然であり、状況によっては自ら敵兵を蹴散らせるだけの武を示す必要すらも感じさせられる。
実際、港を巡る攻防も、フミナ様の陣頭指揮によってあっさりとベラ・ルーシャ軍を打ち払ったというのだ。
結局の所、各方面からの支援もたしかに求められられているが、フミナ様が五年の歳月を経て、自身に宿した“神性”こそが、今の天津上には求められていることなのだろう。
そんな時、私達の耳に、外からの笑い声が届いてくる。
物資が届き、兵糧の確保と武器の補充が成った兵士達の喊声が、風に乗ってここにまで届いたのであろう。
砲撃もすでに止み、ベラ・ルーシャ側の攻撃が再開されるまでの僅かな時が生んだ現象でもあった。
「彼らがなぜ、笑っているのだと思う?」
「…………姉上と共に戦えることを喜びとしているからでは?」
それを受けたフミナ様の問い掛けに、ルナ様はゆっくりと答える。
当然、安易な答えとしては、物資が行き届いたことに対する安堵であろう。
だが、それであれば心の底から笑うことなど出来はしないだろう。
そう考えれば、ルナ様の言も一理あるとは思うが、フミナ様の表情を見ていると、正解とは言いがたい様子であった。
「この天津上の、いやスメラギ全土の戦場では、常に死が隣り合わせになっている。それも、互いに血で血を洗う死闘の末のな」
ゆっくりと目を閉ざすフミナ様の言に、私もルナ様もただ頷くしかない。
「そして、平穏に暮らそうとしても、ベラ・ルーシャをはじめ、清華や反逆者どもによる過酷な統治と理不尽な仕打ちに晒される。結局は、根無し草と成るまで枯れ果てる以外にはない」
やや力無くそう告げたフミナ様の言に、私は、ボタンさん達の漁村を襲った悲劇を思い返しながら頷く。
彼らはベラ・ルーシャの占領下にあって、細々と暮らしていた。
だが、余りに理不尽な理由、つまりは、私やリヒト様等抵抗を続ける人間の捜索と称した殺戮劇によって命を奪われた者が大勢いたのだ。
「結局の所、彼らは現実に絶望し、戦場での雄々しき死を求めて、この地に集結してきているのだ。この天津上の地下に張り巡らされた宿所。そこは、最低限の軍紀以外は自由の地……死と隣り合わせであるからこそ、皆が一時の勝利に騒ぎ、敗北を笑うことで解消している。そんな世界なのだ。ここは」
再び目を見開き、声をするどくそう告げるフミナ様。
実際に目にした分けではない、私とルナ様にはどうしても現実味のないことであったが、見開いた目から放たれる光は、その事実を肯定していた。
「私は、兵達に死することと、眼前の快楽に身を委ねることだけを頼みに、五年間戦わせ続けてしまった。この責を果たさずして、天津上を去ることなど到底出来はせぬのだ」
静かに、諭すようにそう告げてくるフミナ様。
その言葉に、私は年下の、齢十五になったばかりの少女が、重すぎる責を背負い、それに対して抗い続けていることを察したように思える。
しかし、フミナ様の表情には、彼らに死を与えることを肯じえるような、そんな弱さの類の感情までは感じられなかった。
「だが、私は彼らをただでは死なせぬ」
そう言うと、再び言葉を切って立ち上がるフミナ様。
こちらへ来るようにと手巻きされた私達は、その後に続いて窓辺へ、そしてそこから外へと通じる天守へと出る。
そこからは、天津上全体が一望でき、方々からの歓声が嫌が応にも届いてくる。
どうやら、各所での小競り合いが再開しているようであった。
「フミナ様ーーっ!!」
そんな時、どこからともなく張り上げられた声。
見ると、白桜の校庭であった場所に貼られた天幕群から数人の兵達がこちらに視線を向け、それを合図に方々から歓声が上がっている。
皆が皆、フミナ様の姿に意気が上がっている様子だった。
「この様な者達を死なせることが出来るか? ルナよ、そなたの申すともにあると言う言葉には、彼らとともにこの天津上にて散華する覚悟があるということだろう。だが、それは所詮、責咎の放棄でしかない。私達、皇族にとっては、安楽の道でしかないのだ」
「っ!?」
それを目にしたフミナ様は、答えるように手をあげ、兵士達からの更なる歓声が周囲を包む。
あえて、言葉をかけることはなく、フミナ様は兵士達を一望すると、ルナ様へと視線を向け、静かに、そしてそれでいて体の奥底にまで突き刺さるかのような、そんな声で諭すように語り掛ける。
目を見開き、何も答えることにできないルナ様から視線を外すと、そのままゆっくりと視線を虚空へと向ける。
私は、そんなフミナ様に対し、無礼ではあると思いつつも率直な疑問を問いただす。
「死によって、彼らを救うつもりはないと?」
「そうだ。私は、勝利をもって彼らを救う。例え夢物語であっても、私は命ある限りあきらめぬ」
「…………ですが、継承の儀はどうなりまする? それを放棄することもまた、責咎の放棄と相成りませぬか?」
そんなフミナ様に対し、ルナ様もまた眼光鋭くそう問い詰める。
それまでの、礼儀正しく温和な印象のあったルナ様であったが、そのお姿を見ると、やはりお二人は姉妹であることがよく分かる。
そして、フミナ様が責咎の放棄を嫌うならば、継承の儀の放棄は決して肯じえることではないはずでもあった。
「そなたがフミナとなればよい」
「な、何をおっしゃるのですっ!!」
「私は真剣だ。私が死したとしても、そなたがフミナとなれば良い。いや、皇女ルナとして、堂々と父上からすべてを受け継ぎ、兄上に継承すれば良い」
「で、殿下、それはあまりに……」
「よせ、ミナギ」
そして、特段表情を動かすことなくそう告げたフミナ様であったが、それはあまりに無常なことでもあると思う。
ルナ様とハルト様の負った縛。
それは、フミナ様とヒサヤ様の死とともに、彼らの人格を受け入れ、その身を捧げるというものである。
それはつまり、ルナ様の死を意味する。当然、覚悟をしている事とは思うのだが。
「ツクシロ、良い。私とて、それは理解している。今のルナの身に刻まれし縛。それは、私の死にともなって、そなたの人格を奪い取るというモノ。であったな……、今まで放って置いて済まなかった」
そう言うと、フミナ様はルナ様の胸元に手を添える。
「えっ?」
「皇室のためであれ、私はすでにその役割を果たすことはできぬのだ。父上もお許しになるであろう」
静かにそう告げ、フミナ様は目を閉ざす。
すると、胸に当てられた手から柔らかな光が漏れはじめる。
それは、刻印が灯す光によく似たモノであり、やはり皇室に伝わる秘儀には、この世界における力の根源たる刻印が関わっているようであった。
「ま、まさかっ!? おやめください姉上っ!!。わたくしは、今まで姉上とともに生きてきたのです。それを……」
「これからもそれでよかろう。だが、私の影である必要はない」
フミナ様の行動と自自身を包み込んでくる光に動揺するルナ様に対し、フミナ様はこれまでにはないほどのやさしい表情を浮かべているようにも思える。
ルナ様にかけられた縛を解くことができるのはフミナ様だけであることは聞き知っている。だが、ルナ様にとって、それは今日の日までの自分を否定することにつながるのであろう。
影として生きることで、姉とのつながりを何よりも感じていたがゆえに、その縛が取り除かれ、一人の人間として生きる。
字面だけでは、幸せなことかもしれなかったが、それはそれで人生の否定にもつながりかねないのだ。
とはいえ、フミナ様としても、他人、いや自身の分身ともいえる妹の人生を奪い取ってまで生きながらえることなど、受け入れがたいことであるのは容易に想像できる。
「リヒト様は、これを狙っていたのでしょうか?」
「そうであろうな。殿下のご気性を考えればな……」
光に包まれるお二人を見つめつつ、私は静かにそうつぶやく。
傍らに座すお父様がそれに答えてくれたが、その表情は何とも複雑なもの。臣下としては、フミナ様の言い分も、ルナ様の言い分もわかるのであろう。
しかし、国家のことを考えれば、果たしてこのことが正しきことなのであろうかという疑問も確かに存在する。
現に、フミナ様はフミナ様であり、ルナ様が肩代わりできる人物ではない。
そして、天津上の兵は、スメラギ全土で戦う兵や民たちは、病床に臥せるリヒト様以上に、皇都にあって戦い続けるフミナ様の姿に希望を見出しているようにも思えるのだ。
となれば、フミナ様の死は、たとえ人道にもとることであっても避けなければならないのではないか?
そう思いながらも、私もお父様も眼前で起こる儀式を止める気にはならなかった。
何よりも、リヒト様はこれを狙っていたのであろうことは、私でも理解できる。フミナ様の覚悟は、五年もの長きに渡る戦いを見ていれば容易に察しうることも出来たのだろう。
そんなことを考えていると、ほどなく、二人を包んいていた光は弱まっていく。
「…………姉、上」
「……これで、そなたが私の影である必要は無くなったな」
呆然とするルナ様と口元に小さく笑みを浮かべるフミナ様。
その言の通り、おそらくはフミナ様の死にともなうルナ様の責務は消え失せ、ここにあるのは光と影の責務を負った姉妹ではなく、二人の皇女の姿だけがそこにあった。
「ですが、私は……」
「私の変わりをそなたがすることは不可能なのだ。そして、私は皇女として、皇位継承者として生きるには、戦場に身を置きすぎた」
「…………しかし、今更生き方を変えることは」
「ツクミナ家では、私の影として生きることを叩き込まれてきたのであろう? なれば、皇女としての振る舞いは私よりも心得ているはずだ」
「そ、そうなのですか?」
「ふ、父上も母上も、その辺りの責務にはいい加減でな。私も兄上も、奔放に過ごすことを許されていた。……そなたやハルト兄様が責務との狭間で血反吐を吐いている間にな」
なおも苦渋に満ちた表情を浮かべているルナ様に対し、フミナ様は力無く笑みを浮かべた後、やや不機嫌な表情を浮かべる。
たしかに、初等科時代のヒサヤ様は、自由奔放であり、私も振り回されたりしたことは覚えている。
対して、ルナ様とハルト様は、初対面の時点で気品を感じさせる立ち振る舞いを完成させていたようにも思える。
さすがにこんなことを考えるのは、は不敬でしかないと思うが。
「フミナ様、御自身を卑下なさることはございませぬぞ。ですが、ルナ様も同様にございますぞ? 人には、己が成すべき責務が存在し、フミナ様は戦場にあって兵達を導くことを責務とした。そして、ルナ様は影として生きることから、皇族として民を導く象徴としての責務を生きる糧とすることも可能なのではござりませぬか?」
そんな二人に対し、お父様は優しく諭すように語りかける。
長年に渡りフミナ様を支えてきたお父様の言に、お二人は沈黙した耳を傾けている。
「…………今は、分かりませぬ」
「それで良かろう。どのみち、私は天津上から出ることはない。父上の元に戻り、ハルト兄様と共に父上を支えなさい」
「私は…………」
「良いわね?」
そして、絞り出すような声をあげたルナ様に対し、フミナ様はそれ以上言葉を紡がせんとばかりに眼光鋭く告げる。
その様子に、ルナ様もまた、表情を引き締めて頷くだけであった。
「さて、ツクシロ」
「は、はいっ!?」
そうして、ルナ様からの返事を受け取ったフミナ様は、私に顔を向けてくる。
「貴女は、ルナをキツノへと送り届けた後、ヒサヤ兄様の捜索に当たりなさい」
「えっ!?」
「私と同様、奔放に生きてきた男であるが故、皇位の継承とは無縁であるでしょう。ですが、今のまま消えられてはハルト兄様が表舞台に立つことは出来ぬ」
「……ですが、ヒサヤ様の消息は」
そうして、フミナ様から告げられたのは、皇子ヒサヤ様の捜索。しかし、手がかりは何も無い。戦争のドサクサの中で、消息は完全に絶たれてしまっているのだ。
「貴女だって、五年間に渡って消息を絶っていたのよ? 本当になんの手がかりもなくね。だからこそ、ヒサヤ兄様もどこから現れる。そんな予感がするのよ」
「ミナギ、私からもお願いする。誰かがやらねばならぬことであるのだ」
沈黙する私に、フミナ様とお父さまがそう告げてくる。
誰かがやらねばならない。それはその通りであろう、加えて、今は全ての者達が己が責務を負い、戦いに挑んでいる。
だが、私はわずか数日前に帰参した身であり、ルナ様の護衛が終われば、次なる任務に当たることになる。
なれば、リヒト様やお母様からも同様の命を受ける可能性は十分にあるのだ。
「お父さま……。殿下、その命、たしかに承りました。ですが、私の主君は、あくまでも今上陛下でございますが故」
「分かっている。今日のうちに書状をしたためておくから、その辺りは父上に判断を委ねるとしよう」
「ははっ…………え?」
そして、フミナ様の言に頭を垂れた私であったが、顔を上げると同時に、周囲の急速な変化に思わず声をあげる。
先ほどまで、好天に恵まれていた外の様子が、一転暗雲に包まれはじめていたのだ。
「何事だ?」
「分かりませぬ。これは、……式神達よ」
フミナ様やお父さまも周囲の変化に眉を顰め、お父さまは懐から取り出した札を並べて、式神達を呼び寄せている。
ルナ様もそれに倣い、札を並べて精神を集中させている。
法術とは異なる術式であり、私やフミナ様はただただ二人の邪魔をせぬよう沈黙する以外にはない。
「分からない?? どういう……?」
「存在せぬ事というのか? いや、これは……」
しかし、式神達からの反応は芳しくなかったようで、お父様もルナ様も困惑している。だが、そこは年の功と言うべきか、何かを探り当てたかのように声を上げるお父様。
だが…………。
「うっ!?」
私はお父様の答えを聞き取ることはできなかった。
突然の激痛が頭部に走り、思わず膝をついた私は、とたんに全身に寒気が走り、冷や汗が全身に浮かびはじたことを自覚する。
「ツクシロっ!? 如何した」
「ミナギっ……むっ!? こ、これは……っ!?」
「な、なに、これはっ!?」
そんな私の様子に、困惑するフミナ様とお父様の声。
しかし、それ以降の声は私の耳に届くことはなく、意識も深い闇にの中に沈んでいくことを自覚する。
そして、最後に感じることが出来たのは、瞼を越えるほどの眩い閃光と全身を揺らせる激しい震動が起こったことだけであった。




