第十七話
引き金を引き絞ると空気を裂く音が周囲に響き渡り、わずかな間を置いて周囲に広がった断末魔とともに一際大きな影が湖へと落下していく。
船が通過した後、湖から浮かんできたそれは巨大な鳥と兵士の姿をしていた。ベラ・ルーシャ飛空部隊に属する鷹獅子と呼ばれる生物で、自然に生育していた大鷹を戦用に改良された生物である。
元々、大陸には鷹獅子の他、飛竜や鷲獅子、鷲馬と言った飛空生物がおり、各国もそれらの生物を確保することで空の戦いを有利に進めようと画策しているのだった。
当然、スメラギにもそれらの生物は存在しているものの、飛空部隊の大半はベラ・ルーシャ占領地域にて蜂起した抵抗勢力の支援に赴いている。
大量の物資を空輸することはさすがに困難であるし、空からの攻撃は、単騎でも脅威となる事から、ベラ・ルーシャ占領地域にて蜂起している抵抗勢力の支援に赴いているのだ。
そのため、天津上などでは、空からの攻撃には地上部隊の力で対処する必要がある。
多くは法術や弓をもって対処するが、今の鷹獅子騎士のような精鋭も中には混じる。
私の法術だけならともかく、達人技と言えるアドリエルの弓をすべて躱すだけの技量を持っていたのだ。
もっとも、私が砲筒を使役できるとまでは思っていなかったようだが。
「ふう、なんとかなって良かったわ。とりあえず、私達の船から入港して、フミナ様に謁見するけど、その後のことはそっちでなんとかしてね?」
「ええ。十分です」
「言っておくけど、無茶はしないでね?」
「分かっておりますよ」
「ん。よおしっ、二番艦以降は胡蝶陣形に切り替え。補給船団は本艦に続き、順次天津上に入港、急げぇっ!!」
鷹獅子騎士を撃破した私に対し、ハルカはそう告げると、水兵たちに対して声を張り上げる。
すると、その言を受けた船団全体が羽を広げた蝶の如く広がって行き、そこから私達の乗る一番艦を先頭に補給船団が中央に縦列していく。
この辺りは熟練の操舵主達の技であり、船の織り成す芸術行動とも呼べるだろう。
そして、そのまま天津上へと近づいていく船団。
街の港から皇居、そして白桜学院跡までは緩やかな傾斜になっている天津上であったが、ちょうど私達の船からは隠れているその丘陵の先。
今もなお、ベラ・ルーシャ軍が包囲陣を敷く激戦地であると聞いているが、その場に向かって空を翔る白き軌跡が幾重にも描かれ、その先では噴煙とともに炸裂音が響き渡っている。
青き空を翔る光跡はなんとも美しき光景と言えたが、それが炸裂した先では、一方的な殺戮と破壊が行われているのである。
旗艦から放たれる砲弾が底をつくにはまだまだ多くの時間を要しているのであろう。
「姉上様……」
そんな光景に目を奪われている私の傍らから、ルナ様の呟きが耳に届く。
仮面越しに前方を見つめる視線の先には、ところどころに破壊の跡があれど、荷揚げされた物資が列を成し、それを各所へと運ぶ補給部隊がせわしなく動き回っている様が見て取れる。
そんな兵達の中央にあって、動くことなくこちらを見つめている一団。その中央には、騎乗したまま漆黒と深紅に彩られた外套を身に着けた人物がこちらに対して視線を向けているのが、遠目にもよく分かる。
そして、それは。今、ルナ様が“姉上”と呼んだ人物。即ち、スメラギ皇女フミナ様が、私達の到着を待っていてくれているのであった。
「わざわざお出迎えか……、とりあえず、私がお目通りしますから、ルナ様やミナギはついて来てください。気難しい方ですからね」
「はい」
「分かりました」
そんなフミナ様の姿に、ハルカがやや驚き混じりに声を上げる。
彼女の様子を見ると、フミナ様の出迎えなどは非常に珍しいことのようであり、すでに通達が行っているのか、はたまた姉妹の繋がりが引き寄せたモノであるのか。
とりあえず、私達の目的を果たすための最初の関門は突破できそうな様子であった。
◇◆◇◆◇
降り注ぐ砲弾の雨に対し、ベラ・ルーシャ側にはそれまでの攻勢を緩める以外に打つ手はなかった。
それまでは、迎撃に向かっていた飛空部隊も長年の戦闘で疲弊し、本国からの増援にも限りがある。
兵隊とは異なり、数に限りがある戦力の運用には、彼らは決して長けてはいなかった。
だが、大陸に広大な領土を持ち、一部の特権階級を除いたほぼすべての民。特に、農奴と呼ばれる最下層の階級の人間達は、個人の意志は認められず、こうしてベラ・ルーシャ本国から見れば最辺境に位置する極東の島国にて捨て駒同然に扱われる。
ただ、それ故に脆弱な軍であるのかと言えば、果たしてそうは言い切れない。
スメラギ側がそうであるのと同様に、はじめは素人同然であった彼らも、過酷な戦闘を生き残るにつれて精鋭化し、功績によっては農奴という立場からの脱出も、限定的に認められるようになって以降、それまでの反抗や離脱は影を潜めはじめている。
もっとも、迫害する側が、上層部。即ち教団指導部から叩き上げの農奴上がりに変わっただけで、それも力によって抑えつけるようになったからでもあったのだが。
それでも、数を頼みにする精鋭という、ある意味では恐ろしい戦闘集団と化しつつあるベラ・ルーシャ天津上方面軍であっても、はるか数十キロを隔てた海上から一方的に撃ち込まれてくる砲弾の雨には抗いようがなかったのだ。
そして、そのような理由があろうとも、最高指導部に残された時間は確実に減りつつある。
教団と呼ばれる宗教組織が支配し、教皇なる人物がその頂点に君臨する国家にあっては、教皇の口から発せられる命は、教団の信仰対象でもある“白き女神スニェーキア・ヴァギィーニア”よりもたらされる神託と同義となる。
そのため、教皇の命を達成できぬ指導部は、“異端”として、教皇直属の神殿騎士たちによって粛清される運命にある。
ベラ・ルーシャ軍が、数を頼みとして、如何なる犠牲を払ってでも作戦目標の達成を重要視するのは、そう言った背景があるのだった。
そして、降り注ぐ砲弾の雨の中、方面軍指導部の苛立ちは募っていく一方であったのだ。
「いったい、攻撃部隊は何をしておったのだっ!!」
砲弾の炸裂音に混じり、憤怒の極みに達した怒声が、司令部の置かれた大天幕を揺らしている。
声の主は、この時の方面軍司令官、ニキータ・マリノフスキー将軍。
教団の最高指導部に名を連ね、旧パルティノン時代から続く軍人の家系に育った生粋の軍人であり、自身もフィランシイルやティグルードなどとの抗争において、戦功を立てた猛将でもある。
普段は寡黙な人物でもあったが、教皇の命は絶対であり、彼のような上層指導部に身を置く人間であっても、その“粛清”から逃れる術はない。
そのためか、普段の彼らしくない憤怒が顔を出していたのである。
そんな最高司令官の声に、直属の将軍や側近たちも俯き加減で唇を嚼む。皆が皆、長年マリノフスキーに付き従ってきた歴戦の猛者たちばかりであるのだ。
それが、すでに一年以上、十代の小娘に翻弄され続けている。屈辱を感じているのは、最高司令官だけではないのである。
「指揮官のグルドフ、ルトビスカヤの両名からは、自裁を求める嘆願が届いておりますが」
「ふざけるなっ!! 今更ヤツ等の首などいらんわっ。そんなに死にたければ、フミナ、ツクシロと刺し違えてこいと伝えろっ!!」
そんな最高司令官の怒りに対し、年長の将軍が先の港占拠に失敗した指揮官達の言を届ける。
怒りに震える最高司令官である。感情にまかせて二人を処断しても何ら不思議でもなく、ベラ・ルーシャにあっては、作戦の失敗が即死に繋がることも珍しくはない。
だが、歴戦の猛将であっても、粗暴を取り柄とするわけではないマリノフスキーは、そんな嘆願を軽くあしらうと、件の指揮官達に対して“裁き”を申し渡す。
敵の最高指揮官達の命。これを取って来ない限り、彼らには休息も安寧も許される事は無く、最高司令官の命である以上、履行は絶対。つまりは、二人は戦場での死という名誉に預かることになったのである。
この辺りは、死を美徳とする、万国共通の軍人気質を上手く用いた鼓舞であるとも言えた。
「はっは。なかなか、ご立腹のようですな。閣下」
「む? 猿が……何用だ?」
そんなマリノフスキー達のもとに、まだ年若き男の声が届く。
ゆっくりと天幕の中に足を踏み入れてきた男は、声の通りの青年であり、その外見はベラ・ルーシャ軍人の中枢を占めるルーシャ人のそれとは異なる。
黄色系の肌と黒髪。それは、末端の農奴及び兵士の大半を成す者達と同様のそれであり、マリノフスキー達からしてみれば、家畜同然の扱いにたる地位に位置していた。
「つれないですな。閣下ほどの御方が、“異端”として裁かれる運命にあるのは、国家の損失であるというのに」
「……ただで粛清されるほど、鈍ってはおらんわ」
「御意。ですが、我らとしてみれば、閣下の御身をそのような戯れ言に晒すのは忍びないのです」
「…………ふん、ようやく人形遊びが形になったか」
そう言って、男が差し出してきた書類を手に取り、目を通していくマリノフスキー。
面白く無さそうに“人形遊び”と罵った計画がそこには記されていたが、切って捨てるほど価値のない事と斬り捨てる様子もない。
(受け入れられたか……、いかな猛将とて、理不尽な死は恐れるモノか)
書類に目を落とすマリノフスキーの姿に、男、スザクは無言のままに眼前の男をそう称す。
思考における口調はどこか小馬鹿にしているようであったが、盲目な忠義や理不尽すらも受け入れる盲従を軽蔑する彼にとっては、マリノフスキーの態度は賞賛に値すると思ってもいた。
そして、書類を机に放ったマリノフスキーが静かに頷くと、他の将軍達は驚きと苦渋の入り混じった表情を浮かべる。
自分達の未来が、自らの手ではなく、他人の手によって切り開かれる。自尊心の高い彼らにとっては受け入れがたいことでもあった。
そんな将軍達に対し、冷笑を向けたスザクは、ゆっくりと踵して天幕を出ると、即座に指笛を鳴らす。
ほどなく、砲弾の雨に揺れる天津上の地に、一羽の鳥が羽ばたくと、彼の指先へと降りてくる。
スザクは赤く染めた布をその鳥の足に結ぶと、再び空へと彼を飛び立たせた。
「人形遊びか……。たしかに、その通りかもしれんな」
飛び去る鳥の影を見つめつつ、スザクは静かにそう呟く。
スメラギ皇都天津上。生まれの地であるが、なんの感慨を抱くこともない古都は、その大半が破壊し尽くされ、数多の血を吸っている。
だが、その流血の惨事も間もなく終わろうとしていた。
◇◆◇
「くだらぬな」
「あっ!?」
手にした書状を、フミナ様は一笑の下に投げ捨てると、ルナ様は驚きとともにそれを拾い上げる。
今、彼女が一笑に伏したそれは、今上神皇リヒトの皇から下された勅命文書である。
彼女の行為は、不敬として一刀のもとに斬り捨てられても致し方なき行為であったが、その場にいる者達は、ルナ様を除けば硬直するしかなかった。
五年の歳月を経て、成長したフミナ様。
そのお姿は、ルナ様の双子の姉と呼ぶには余りに成熟しており、戦乱に身を置くことの過酷さを体現しているのと同時に、如何なる反論をも許さないと言った威厳すらも感じさせているのだ。
「し、しかし、殿下。今上陛下の御身に残された時間はございませぬ。何卒、懸命なる御判断を」
「それで、戦場を知らぬ貴様にすべてを託せと? ふ、双子の妹と言うが、姉の心情を察せぬどころか、身の程すらも知らぬようだな」
「そ、それは……、た、たしかに私は未熟であり、殿下の如く前線に立って武勇を示す事は適いませぬ。ですが、前線にあって兵達とともにあることは出来まする」
そんなフミナ様に気押されながらも、ルナ様は口を開き続ける。しかし、同年とは思えぬほどの落ち着きと有無を言わせぬ眼光に、なんとか言葉を紡いでいるという印象の方が強かった。
「もう良い。小娘の戯れ言に付きおうている暇はない。下がるがよい」
「殿下っ!!」
「……下がれと言っている」
「っ!? それでも、下がりませぬっ!! 私は陛下の勅命を携えてきたのです。これ以上の無礼は、陛下に対する不敬と思っていただきたいっ!!」
「る、ルナ様っ!!」
そんなルナ様の様子に、フミナ様は話にならんとでも言うように、首を振るうと、ルナ様に、そして私達に対しても退出するよう口を開く。
しかし、ルナ様もルナ様で、リヒト様より預かった待命を果たさないわけにはいかないのであろう。
無謀とも言える態度と口調でフミナ様に詰め寄っていく。
慌ててアドリエル達とともに。ルナ様を抑えたものの、すでにフミナ様の行動は完了していた。
「不敬か。貴様、皇女に対していつからそんな口を叩けるようになった?」
首筋に突き付けられた剣が鮮やかな光を発している。
「先日を以て、私は皇籍に復帰いたしました。私は第二皇女。皇位継承権を明確にされていない以上、あなた様と同格にございます」
「……ふ、まあよい。ツクシロ」
「は」
「はいっ?」
首に刃を突き付けられながらも、凛とした態度を崩さないルナ様に対し、以外に思ったのか表情を緩めるフミナ様。
不意に呼びかけられたため、驚き混じりの声を上げるものの、この場にあっては、私よりも側近中の側近である人物が対象であるに決まっていた。
「…………父親の方だ。馬鹿者。まあ良い。一時休息をとる。一刻の後、貴様らは第二皇女とともにこちらへと戻ってくるが良い。他の者達は有事に備えよ」
そう言うと、フミナ様はルナ様や私達に対して背を向け、謁見の間から退出していく。
有事に対して言及したように、すでに砲撃は止んでおり、まもなく包囲戦が再開されることは間違いない。
つまり、フミナ様に、そして天津上にとっての久方ぶりの平穏は、すでに残り僅かとなっているのだった。
そして、フミナ様とツクシロ閣下、お父さまは、この僅かな間に防衛戦の指揮と整えるのであろう。
私達の来訪は完全なる予想外であり、彼女達の貴重な時間を奪うことになったのかも知れなかった。
そんなことを悔やむのはルナ様も同様のようであり、退出していくフミナ様の背を追う目の光は、なんとも悲しみに包まれているように思えたのだ。
「ルナ様、いったんはおくつろぎください。フミナ様も、きっと分かってくださいます」
「ええ。ごめんなさい、私の力及ばず」
「殿下、我々とて、なんの助力も出来ませんでした。御自身をお責めになりますな」
「むしろ、時間を設けてくれたのです。案外、話は通じているかも知れませんよ?」
そんなルナ様に対し、声をかけるも、表情は沈んだままである。影として生きることを己の責務としていたためか、責任感の強い方でもある。
今もまた、姉に貴重な時間を奪い、成果が上がらなかったことを責めているのであろう。
リアネイギスの言うように、良い方向に物事を考えることも時には重要だと思うが。
「ツクシロさんも、せっかくお父さまと再会できましたのに」
「それは、お気になさらずに。顔を合わせられただけでも、十分ですよ」
そう言って顔を向けてきたルナ様の目はいくらか潤んでいた。
だが、私としては、お父さまの顔を見られただけでも十分満足できていたのだ。
激戦の続く天津上にあって、いささかお疲れの様子ではあったが、私と目があった一瞬、お父さまの口元が緩んだような、そんな気がしていたのだ。
今の私にとっては、それだけで十分であった。
◇◆◇
一つの戦いと任務は終わり、血で血を洗う死闘は、新たな段階に移ろうとしている。
しかし、その意地と誇りを賭けた戦いの舞台に、“招かれざる客”の影が徐々に伸びようとしていた。
新たな脅威が、忍び寄る皇都天津上。だが、その地にある者達は、まだその事実を知らなかった。
次回から急展開&戦闘シーンかつ恋愛絡みの展開を増やしていく予定ですので、お楽しみに。




