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第六話

 迎えの馬車が到着したのはまだ夜の闇を残す早朝のことであった。


 きっかけとなったあの日。カザミと出会い、ミオから養女となる事を告げられた日からわずかに三日。


 その間、ミオは遊郭に籠もったまま姿を見せることはなく、すべての準備は老夫婦と宮司夫妻が整えてくれていた。



「おばさまたちがお母様の家のモノであったとは。……本当に、今までありがとうございました」


「もったいなきことです。ミナギ様」



 身なりを整えたミナギは、朝も早くから用意を済ませてくれた老婦人に頭を下げる。その様子に、老婦人は普段と変わらぬ笑顔でそれに応える。


 元々、二人はヤマシナ家の家人であり、没落を前に役を辞してこちらに移り住み、件の事件の後には生き残りがいないかと探索に当たっていたが、ヤマシナ一門はミオを除いて消息が知れておらず、二人がミオと再会したのもほんの偶然であったという。


 事件から2年ほどが経過し、すでに主家の痕跡は消失してしまったとあきらめていた折、お腹にミナギを宿して途方に暮れていたミオと再会したのだという。


 はじめこそ、自身のあり方を恥じていたミオは二人に頼ることはほとんどなかったが、遊郭の一件から二人にミナギに預け、その後は主君と臣下という立場から少しずつ家族のような交流ができていったのだという。


 そのため、ミナギがミオに対して激発した事に関しては、驚きしかなかったようである。



「ミナギ様。こちらを」


「えっ? これは?」



 老婦人と挨拶を交わしたミナギに、老父が一本の小刀を差し出してくる。

 澄んだ青色の鞘に収さめられたそれには、白い桜の花びらの装飾が施され、細かい刺繍が為されている。



「ミオ様より、託されました」


「お母様が?」


「青色はミナギ様の凪。桜はミオ様の桜。装飾に関しては、私ら夫婦の好きな模様を付けさせてもらいました。迷惑だったら取っちまっていいですからね?」


「そんなことは……。大切にします」



 短く告げた老夫の言葉を老婦人が補い、二人とも照れくさそうに笑う。ミナギもまた、三人からの思いを受け取り、胸元にしっかりと抱きとめる。



「これが私達の本職なんですよ。おじいさん、金属細工が得意だったでしょう?」


「金物屋さんだと思ってました」


「いや、それはその通りなんですが」


「ほら、あんた」


「あ、ああ……。ミナギ様、もし良かったらなんですが」


「なんですか?」



 そんなミナギの仕草に老婦人はいつもの快活な笑顔を、老父は照れくさそうな笑みを浮かべると、老婦人が老父を肘でつつく。


 そうして、老父は再び照れくさそうに口を開く。



「おそらく……なんですがね、ツクシロ家って言うのは名門の武家なんですよ。それで、成人の折には一本の刀を与えられるんです」


「そうなんですか? えっ? それって」


「ええ。もし良ければ、わしにその刀を打たしちゃくれませんかね? もちろん、カザミ様からの許しを得れればなんですが」


「……っ。はい、お願いします。おじ様」



 そんな老父の申し出に、ミナギは笑顔で応じる。


 先ほど送られた小刀も抜き身にした刀身は薄暗い中でも品のある光を放っており、今まで知ることの無かった老父の熟練の技を本能的に感じていた。


 それに、不器用な老父からの申し出を断るつもりなどミナギにははじめから無かったのである。



「それじゃあ、おじ様、おば様。私はそろそろ行きます。荷物を取りに来る人がいると思いますから、少し騒がしくなってしまいそうですが」


「いえいえ。ミナギ様、つらいことがあったら、いつでも戻って来ていいんですからね? ミオ様は私が説得しますから」


「ありがとうございます。でも、戻ってくる時はお母様と一緒に来ますよ。本当に、お世話になりました」




 そして、時を告げる鐘の音が耳に届いたミナギは、約束の時間が迫っていることに気付くと、二人に対して再び頭を下げる。


 その姿に、老婦人は先ほどまでの暖かな笑みから、顔を曇らせ、そう告げ、老父もまた、無言で顔を背ける。

 そんな二人の姿に気持ちがつらくなってきたミナギは、精一杯の笑顔を作ると、ゆっくりと二人に背を向け、迎えの待つ通りを歩き始める。

 一度、背後を振り向き、手を振ると、ハンカチで涙を拭く老婦人を老夫がやさしく支え、二人とも手を振り返してくれていた。



◇◆◇



「…………行っちまったねえ」


「ああ」



 やがて、通りからミナギの小さな背中が見えなくなると、老婦人は力無くそう口を開く。



「まったく。なんで、ミオ様やミナギ様みたいな子がこんな目にあわなきゃならないんだろうねえ……いくら、皇国のためだからって」


「ミオ様が選んだことだ」


「そうは言ってもねえ」



 二人はミオが起こした事件の顛末とその背景にある真実を知っている。それ故に、ミナギの激発の際には、事実と異なることを飛び出していって告げたかったモノだった。


 しかし、久方ぶりの主君と臣下の間に下された命に逆らうことは老婦人には出来ず、彼女に出来たことは、無き濡らすミナギと一緒にいてあげることだけだった。


 ミナギに対する大人たちの暴力も、事を起こすわけに行かない以上、宥めたり文句をつけたりするぐらいしかできなかったのだ。



 そして、そのことが結果として二人を引き裂くことになった。



 ミオが為していることを知っており、表向きには遊女とその娘という立場であったのだが、ミナギはよい友人にも恵まれ、平穏な生活を送ることも出来たかも知れない。


 臣下として、また家族として過ごした時を考えれば、自分達はもっと力に慣れかも知れないと言う思いは二人には強かった。



「それくらいにしとけ。それより、忙しくなるぞ」


「そうだねえ。店の方は私が何とかするから、頑張んなよ?」


「当たり前だ。おっ?」



 そうして、再び涙を流す老婦人を嗜めた老父は、手に色濃く残るあばた痕を見つめ奈良が不敵に笑みを浮かべ、老婦人も居住まいを正す。



 と、そんな二人の耳に元気のよい少年の声が届く。



「おじさんっ!! おばさんっ!!」


「あら? シロウ君とサキちゃんじゃない。どうしたい? 釜に穴でも空いたかい?」


「そうじゃないよっ!! ミナギはっ!?」


「えっ!?」




 二人の元に駆け込んできた小さな二つの影。シロウとサキは、ミナギと最も仲のよかったこどもである。


 とはいえ、シロウはミナギと遊んだことを親に咎められ、サキに至ってはミナギの目の前で殴打されたことで、彼女の激発を誘発する原因にもなっている。



 だからこそ、ミナギのことをより強く気にかけているのだろうが。



 元気な声とともに二人に纏わり付き、衣服を引っ張ると、今し方ここから旅立った少女の名を口にする。



「やっぱりっ!! どこに行ったんだよっ!! 教えてくれよっ」


「そ、それはねえ」


「あの時のおじさんの所? ねえ、そうでしょ?」


「二人とも。まだ、朝が早いぞ」



 そして、ミナギの名に動揺した老婦人の様子を見逃さなかった二人はなおも追求の声を強める。


 老夫が静かな声で二人を睨むが、それでも二人は追求をやめようとしなかった。



「分かってるよそんなことはっ!!」


「おじさん。ごまかそうとしたって、聞かないよ? ねえ、教えてよ。げんこつもらったっていいよ? これ以上、わがままもいわないよっ!! でも、お別れもしないで行っちゃうなんてひどいよっ!!」


「俺、聞いちゃったんだよ。ミオおばさんとミナギの話を。壁越しだったから、はっきりとじゃないけど、養女になるって別の家に行くって事だろ? でも、昨日はそんな素振りを見せかったから聞き違いかなって思ったんだよ。でも、あいつ、昨日帰る時にすごく寂しそうな顔してたんだ。だから、もしかしたらと思って」



 二人とも最後は涙声になっている。


 そんな二人の必死の懇願に老夫婦もまた顔を合わせる。大人である自分達でさえもつらいのである。子どもであればなおさらであろう。



「約束してくれるかな? 引き留めたりして、ミナギに迷惑を掛けないこと。それと、ちゃんとお別れをしたら、笑顔で見送ること。これが出来なかったら、残念だけど連れて行けないぞ?」


「あんた。いいのかい?」


「お前だって、連れていこうと思ってただろ」


「まあ、そうだけどねえ」


「じゃあ、いいだろ。二人とも、それでいいな?」




 そんな二人の態度に、老夫婦は折れ、二人にそんな約束をさせた上で、歩いて行ったミナギの後を追いかけた。



◇◆◇



 馬車が到着したのは、こぼれる涙がようやく止まった頃のことであった。



「おはよう。ミナギさん。待たせてすまなかったね」


「おはようございます。カザミ様」



 馬車から降り、笑みを浮かべてくるカザミに対して、静かに頭を下げる。泣きはらした顔のことは気にしないでくれた様子であり、後ろめたさも垣間見える。



「友達に挨拶はしてきたかい?」


「いえ……。私が行ったら、また」


「……そうか。すまなかったね」


「行きましょう」



 わずかな沈黙の後、カザミはそう口を開くが、結果としてそれはミナギの涙を誘う結果にしかならない。


 こども達はともかく、彼らの家族はミナギを受け入れてはくれない。そのことが、結果としてミオとの決別にも繋がったのである。


 そして、友達の顔が脳裏に浮かんできたミナギは、再び込み上がってきた涙を隠すように馬車へと足をかける。



 そんな時……。



「ミナギーーーーーーっっっっ!!」


「えっ?」



 聞き覚えのある声が耳に届き、ミナギとカザミ、そして同行してきた彼の部下達が一斉に顔を上げる。


 見ると、朝日に照らされる街路をシロウとサキが駆けてくる姿が目に映った。



「え? そんな、な、なんで」



 その二人の姿に、ミナギは堪えていた涙腺が決壊することを自覚する。



「な、何でじゃないよっ!! なんで、一言ぐらい言ってくれないのっ!!」


「はあ、はあっ。そうだよ。俺達だって……、はあ、はあ」


「でも……」


「デモじゃないのっ!! ほら、シロウっ」


「分かってるよ。まったく、手を引いてやったんだからさ…………ミナギ、これ」



 呆然とするミナギの手を取り、涙を流しながら口を開いたサキとシロウ。

 別れがつらくなるからと黙って出てきたミナギだったが、案の定涙でなにも考えられなくなる。



 思えば、前世での数少ない友人達ともちゃんとした別れは出来なかったのだ。



 小説を読み終え、ひどく疲れたような気がした後は、何やらすべてが消えてしまうような、そんな錯覚を覚え、暗がりの中から眩い光の中を経て、目覚めたのである。


 友人達も、家族にもお礼の一つも言えなかった。そんな過去を考えれば、自分の人生は別れの連続のようにも思える。

 だが、そんな過去も、二人によって氷解されていくような。そんな気がしていた。



「これって……」



 そんなことを思いかえすミナギの手に、小さな銀のペンダントが乗せられる。



「いや、安物なんだけどさ。みんなで出しあって買ったんだ。形として残ってるといいなと思って」


「ごめん、ミナギがどういうのが好きなのか分からなかったからさ」



 照れくさそうにそう言うシロウと本当に申し訳なさそうに顔を逸らすサキであったが、改めてそれを見つめると、ミナギはこみ上げてくるモノに耐えきれず。思わずその場にて膝を折る。



「えっ!? ミナギっ?」


「だ、だいじょうぶ??」


「うん。大丈夫だよ……。二人とも、ありがとね」



 突然のことに、二人は目を見開くが、何か以上があったわけではなく、思わず感極まっただけであり、ミナギは涙に濡れた顔に笑みを浮かべて二人へと視線を向ける。



 せめて、最後ぐらいは笑顔でいたかったのだ。



「でもさ、ひどいよミナギっ」


「えっ?」


「悲しいのは分かるけどさ、一言ぐらい言って欲しかったよ」



 そんなミナギの笑顔に安堵したのか、シロウとサキも柔らかな笑み浮かべるが、ほどなく表情を硬くする。



 そして、何事かと目を丸くするミナギに対して、そう口を開く。



 老夫婦から聞かされたことを考えれば、ミナギの気持ちも理解は出来る。しかし、サヨナラの一言ぐらいは二人は言いたかったのだ。


 そして、シロウがたまたまミオとミナギの会話を聞いていなければ、この場に二人がいる事もない。本当に、今生の別れになってしまう可能性があったのだ。



「それは……、本当にごめんね。でも、わたしのせいで」


「あーもう、無し無し。俺らなんて母ちゃんからぶっ飛ばされるなんていつものことなんだからさ」


「私だってあの時はたまたまだよたまたま。あの後お母さんも泣いて謝ってきたしさ」


「そういうこと。だから、そのことを謝るのは無し。と言うより、黙って行っちゃおうとしたことも良いからさ。笑って笑って」


「ミナギはかわいいんだから、笑っていないと駄目だよ。と言うより、黙っていると泣きそうな顔に見えるから、笑っていてくれないと周りも困るよ」


「…………ふふ」



 そんなことを考え、表情を曇らせたミナギに、シロウとサキは顔を見合わせ、慌てて元気よく声を上げる。


 ミナギに対して気を使わせないようにしていることは、明白であり、その仕草が嬉しいのと同時に、道化ているように見えたため、ミナギは自然と笑みがこぼれる。



 本当に、二人には感謝してもしたり無いように思える。



「そうそう。その顔」


「うん。サキちゃん、シロウ君。本当にありがとう。ユイちゃんたちにも、そう伝えておいてくれる?」


「ああ。分かったよ」


「もう、行っちゃうの?」



 そんなミナギの笑みを見たサキが満足そうに頷くと、ミナギは笑みを残したまま二人に礼をいう。そのことに、別れの時を察した二人の表情が曇る。



「うん。お母様との約束だから」


「そっか……、えっと、ミナギ。じゃあね」


「ありがとう。でもね、サキちゃん、シロウ君。また会えるし、会いたいからさ別の言い方にしよう?」


「え?」


「また、会いたいよね?」


「あ、う、うん。もちろんっ!!」


「当然だよっ!!」


「うん。それだったら、“じゃあね”。じゃなくて、“またね”。にしよう?」


「“またね”?」


「うん」



 そう言って顔見合わせるシロウとサキ。だが、顔を見合わせた後、再びミナギへと向き直る。



 そして、誰かが合図することなく。三人の声が重なり合う。



「またねっ!!」

 


◇◆◇◆◇



「……またね。か」



 ゆっくりと目を見開き、身を起こしたミナギの目に映る光景は、ツクシロ家において与えられた自分の部屋のもの。


 シロウたちとの別れの夢は、ひどく懐かしさを感じさせてくれた。




 あれから間もなく一年。手紙のやり取りなどをする暇はなかったが、元気でいてくれるとミナギは信じていた。



「今日から……なのね」



 窓から見える庭木は、美しい白桃色の花を咲かせている。そして、ミナギは母ミオとの約束を果たすべく、最初の地へと向かおうとしていた。




『私が背負うべき咎をあなたに背負わせることは心苦しく思います。ですが、あなただからこそ、出来ることでもあるのです』


『身命を賭して、皇国のひいては皇室のために尽くすのです』



 あの日のミオの言葉が脳裏に蘇る。

 



 この日、初等教育機関に入学するミナギ。そこには、同期生として現皇国皇孫。



 すなわち、小説における主人公と皇太子の間に生まれた子どもが、入学することになっているのだった。

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