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第十六話

 スメラギ皇都天津上外縁部に鋼鉄の砲弾が降り注ぐ中、それを遠望するセオリ湖の湖水に、朝日を浴びた無数の黒き影が映りこみはじめる。


 数年来に渡るスメラギとベラ・ルーシャの壮絶なる攻防が続く皇都天津上。


 彼の地にあって、まさに動脈とも言うべき補給ラインは、数多の人員と物資を投入しての防衛と流動が続いている。



 先のスメラギ水軍旗艦による艦砲射撃は、大戦での敗戦を受けたスメラギ60年の悲願の結晶とも言える成果であり、この一つの巨大な戦闘艦の出現によって、スメラギは命脈を保つ一手を得ている。



 そして、補給ラインを支える次なる一手。それは、皇女フミナ直卒の近衛部隊並びに天津上守備隊の流血をもってあがなわれる港の確保。

 絶望的な戦況にあっても、兵士達の休息と安寧を確保せんと務めた皇女フミナであったが、こと港の防衛に関してはありとあらゆる流血を問わず、今もなお、自ら陣頭を切って防衛に当たっている。



 そして、第三、第四の手。



 一つは、セオリ地方の水瓶であるセオリ湖に対し、セオリ地方の血脈であるフシミ川。

 主力艦隊の突入はこの大河によって行われ、水の上での主戦場もかつてはこちらに集中していた。

 だが、スメラギの補給ラインの寸断こそが天津上陥落の一手となることを悟ったベラ・ルーシャ首脳部の、“ごく一部”は、セオリ湖西部に位置するインミョウ地方。


 コイン(湖陰)とコミョウ(湖明)と称される南北二つの地域からなるこの地方は、セオリ湖とインミョウ山地によって寸断されている。

 そのため、同地を支配していた清華人民共和国軍は、南北の連携不備から敗北を重ね。ついには本隊の本国への撤退を決定している。


 しかし、天津上への攻撃と占領各地のでの抵抗運動への対処に手を焼くベラ・ルーシャ側は、北部コインのカスガの地に籠もるスメラギの巫女一党とセオリ湖への突入口の一つであるミノギ運河。

 内海とセオリ湖を隔てる僅か十キロ超の小河川であったミノギ川を大改修の末に完成した運河であり、現状、スメラギ川が一方的に使用可能な唯一のセオリ湖突入口でもある。

 この運河は、元々清華人民共和国の統治下において策定され総督府主導にて開発が進められていたが、ベラ・ルーシャなどと同様、統治下における住民達に対する搾取に躊躇のない清華総督府は、統治下にあるスメラギ人達を強制的に徴用し過酷な労働条件下に追い込むことで完成させた。

 もちろん、計画なども杜撰の一言であり、完成には当初予定された数倍の時と住民の命が捧げられた、スメラギ人にとっては血の結晶とも言える運河である。

 開戦当初、この地は当然の如く清華の統治下にあり、補給部隊は、陽動を務める本隊の影に隠れるように、偽装や少数行動を繰り返すことで天津上突入を果たしていたのである。


 しかし、海戦から一年。


 運河の出口の位置するタカマツ及びコウヅと呼ばれる二つの城塞にて、返事が起こる。

 事の中心にあったのは、清華人民共和国側に登用されていた二人の名誉清華人。ナハル・ベツギとルネ・セイミ。

 元々は、征家レイゼイ家家臣の家柄出身の両者であったが、清華の統治下において、自らの意志で総督府へと出仕。

 やがて開発の遅れるミノギ運河の事業を引き受け、短期間で完成にまでこぎ着けるという功績を挙げ、やがては清華を牛耳る人民委員会なる組織から、清華人を名乗ることを許されている。

 結果として、スメラギ人からは怨嗟を、清華人からは侮蔑を含んだ賞賛を浴び続けてきた“売国奴”達であった。


 そんな両者であったが、地位を得ていこう、無難に職務をこなしていた両者の元の届けられたのは、ケゴンの地で起こった“血の式典”とそれにともなうベラ・ルーシャのスメラギ侵略の報であった。

 それと時を同じくして、カスガの地に現れた次代の巫女と天津上において再軍備を宣言した皇女フミナの檄に答え、インミョウ地方でもスメラギ住民による蜂起が起こった。

 そして、総督を失い、状況に混乱する清華総督府は、実績のある両者にこれの鎮圧を命じ、両者は短期間で放棄を鎮圧。


 当初、清華側を圧倒していた巫女一党おもカスガへと押し返すほどの戦功を上げる。

 当然、総督府は歓喜を以て両者を迎えると、彼らが捕縛していた放棄の首謀者たちの処刑を“褒美”として彼らに命じる。

 “売国奴”である彼らが、国を憂いて立った者達を処断すれば、インミョウ地方のスメラギ人の怨嗟は、さらに彼らに向く。

 混乱の渦中にあっても、そう言った狡い思考には長けている人民委員会幹部達であったが、これが予想外の結果を生むことになる。


 処刑台へと赴いた両名とそれを見物する幹部達。そして、磔にされ、引き絞られた弓矢をもって処刑を待つ首謀者たち。


 しかし、両者の合図と同時に、倒れたのは件の幹部達。


 状況が飲み込めずに混乱する幹部達であったが、政戦両面において多大な功績を挙げていた両者は、すでにスメラギ人を中心とした者達の掌握は済ませており、放棄の鎮圧と巫女兵団のカスガ後退はすべてが彼らの策謀によって成されたいた壮大なる狂言であったのである。


 幹部達の負傷によって、更なる混乱に負い散った清華総督府を尻目に、堂々とインミョウ地方を進軍した彼らは、ミノギ運河と内海を結ぶ出口を挟むように建つタカマツ、コウヅの両城塞を奪取し、同地に立てこもった。


 この時になって、清華並びにベラ・ルーシャ、聖アルビオンの各国は、事態の重さに気付くことになる。



 包囲戦の開始から一年余りが経過した天津上にあって、陸上からの補給線はほぼ完全に潰えた状態にある。


 つまりは、天津上の陥落とスメラギの滅亡は時間の問題であるという認識が、各地での放棄や水上での敗北を喫していた彼らの間での共通の認識であったのである。



 だが、この両城塞の奪取は、間を通るミノギ運河の自由航行をスメラギ側に許すことを意味し、事実として現在まで生命線とも言える補給ラインの確保を成功させている。


 当然、天津上での壮絶な攻防戦を一手に引き受けているベラ・ルーシャの怒りは大きく、不備を重ねた清華側に対し、両城塞の奪還とミノギ運河の封鎖を厳命という形で通告してきた。

 国内にあっては、旧王朝の反抗勢力を抱える清華にとって、ベラ・ルーシャまでを敵に回すという選択肢は無い余りに危険であり、結果としてインミョウ地方の占領を半ば放棄する形で、両城塞およびカスガの地の包囲に総督並びに本国軍の一部を投入しているのである。


 いまだに全域の支配を続けるベラ・ルーシャと9割方手を引いている聖アルビオンの両者と比べればなんともどっちつかずの選択をしている清華であったが、国内機構の不備が末期状態に近づいている国家のとれる道はこの様な結果でしかないのであった。


 とはいえ、曲がりなりにも総督府が抱える全勢力を差し向けられている両城塞は、ある意味では天津上以上の壮絶な籠城戦を続けていた。

 


◇◆◇



 水上を滑るように通り抜けていく船団から、数隻が離脱していく。


 それらは、ほんの僅かな物資を運河の左右を支える城塞へと運び込むのである。そして、それを出迎えんと川辺に集まっている兵士達からの喊声とも言える声は、こちらが聞く範囲でも弱々しいモノ。


 満足な物資が用意できていないことは明白であったが、彼らはすでに天津上防衛のための捨て石となる事すらも肯じえているのだという。




「周囲の木々は、生木が姿を見せ、葉はほとんどない……。加えて、城壁の色すらも変わっていますね……」



 こちらに対し、必死に手を振り、応援の声を口にする兵士達の姿とその背後に広がる情景に目を向けた私達は、なんとか笑顔を作りつつも、その光景には眉を顰める以外に無い。


 頬は痩けながらも、なんとか戦える身体を維持している兵士達。だが、無理に笑顔を作っているように見える兵士達の表情は、どこか大切何かを欠落しはじめているような、そんな底知れぬ何かを感じずにはいられなかった。



「非常食はおろか、木の皮、草の根を食べてまで生き長らえようとしているのよ」


「式神達も泣いているな。兵達の心情を考えれば、な」



 リアネイギスとアドリエルの声が耳に届く。


 両者ともに声を落としているのは、逃げ道無き地獄に身を置く兵士達の心情をおもんばかっての事であろう。


 実際、兵士達の口からは、フミナ様や天津上を案ずる声ばかりが聞こえてくるのである。

 彼らもまた、自らの責務を理解し、そのための捨て石となる事は覚悟しているのであろう。




「ベツキ閣下とセイミ閣下が、“売国奴”という汚名を背負ったのは、すべてはこのためであったと言う事だ。恐るべき慧眼であるが……」


「すでに生きることに疲れていたと見るのが正しいかも知れないわね」




 そう呟いた二人の言に、私も目を閉ざして同意する以外にはなかった。祖国のため、汚名を着ることなど、生半可な覚悟でできる事ではない。

 両者の功績は巨大であれど、他に打てる手はまだあったのではないかと思わぬこともないのだ。


 今もなお、二人とそれに率いられた兵士達の尽力はスメラギのすべてを救う事につながっている。だがそれは、やがて来る自身の破滅を待っているかのような。そんな一種の狂気めいた何かすらも感じざるを得ないのである。



(フミナ様もそうなってしまっているのだろうか? そして……)



 それまで、決死の覚悟で戦いを続けている者達への畏敬の念は大きく、ただただ助けになる事を願っていた私達。


 だが、その笑顔や覚悟の裏にあるものの存在が、無意識に脳裏によぎる。


 水上の先に待つ主君の姿。そして、その傍らに立っているであろう人物とその隣に建つことを願っている一人の人物もまた、国のために背負ったモノの大きさによって、破滅の道を選ぼうとしているのではないか。


 そんな思いを、私は再会したお母様の姿に重ねざるを得なかったのだ。




「あ……?」



 そんな時、私は周囲を流れる風が変わったことに気付く。


 同時に、それまでの潮の匂いが去り、柔らかな草木の匂いに周囲が包まれはじめていく。それに導かれるように、視線を進行方向へと向けると、眼前には青き空と白き雲をはっきりと映し出す巨大な鏡が横たえられていた。


 思わず息を飲む光景。


 数年ぶりに目にしたセオリ湖の情景に、まさに私は言葉を失っていたのだった。




「何を呆けているのよ? そろそろ、始まるわよ」


「……分かりました。精一杯務めましょう」



 そんな私に対し、背後からハルカの少し呆れたような声が届く。


 今回、シュテン様の下を離れ、補給船団の指揮を彼女が預かっている。しかし、補給船団といえども、天津上眼前のセオリ湖には、ベラ・ルーシャ軍が強引に持ち込んだベラ・ルーシャ海軍の艦艇が侵入しており、当然捕球を妨害するべく動いてくることは明白である。


 それらを打ち破ることなく、補給船団の安全なる天津上入港はない。


 そのため、ハルカは海戦とは無縁である私達にも、当然のように助力を願ってきていた。



 海戦にあって、船の操船能力や砲筒の攻撃力と同時に、魔力に優れた法術師の存在は必要不可欠なのである。

 そして、驕るわけではないが、私達はこと、法術に関しては、他者より抜きんでいるという自覚があった。




「頼りにしているわよ」



 そんな私の言に対し、口元に笑みを浮かべたハルカは、軽く私の肩に手を置き艦橋へと戻るよう促す。

 置かれた手が僅かに震えていたが、指揮官としてはじめて望む責任の重さを彼女はしっかりと受け止めているようであった。



 ◇◆◇



 結果として、ハルカ・キリサキ率いる補給船団は、セオリ湖に侵入していたベラ・ルーシャ海軍を完膚無きにまで叩きつぶし、その美しい湖畔を残骸と侵略者の薄汚れた血で汚すことに貢献していた。


 第三の手であるミノギ運河の死守。そして、第四の手であるスメラギ水軍によるベラ・ルーシャ海軍の撃破。



 これらによって、ようやく天津上への補給は成るのである。



 そして、それに僅かな貢献をしたとある一行もまた、天津上にて目的人物と邂逅しようとしていた。

説明過多になってしまいましたが、国内情勢も多少触れておきたいと考えました。


ご意見などがございましたら、是非ともお願いいたします。

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