第十五話
遅くなってしまって申し訳ありません
国家間同士の全面戦争と言えど、毎日が血で血を洗う戦いの日々であるとは限らない。
数年越しにも及ぶ市街戦ともなればそれは顕著であり、全面戦闘が行われた次の日には、小さな小競り合いが数日にわたって続く時もあるし、全面戦闘が数週にもわたって続けられることもあり得る。
足かけ、5年にも及ぶ壮絶な市街戦を展開しているスメラギ皇国皇都天津上もまた、その日は久方ぶりの平穏な朝を迎えようとしていた。
しかし、そのような平穏もまた、戦争という異常事態にあっては簡単に打ち破られる。
それは、新春の陽光が山陰からまさに顔をださんとしているまさにその時の事、後方からの補給を終え、久方ぶりに品揃えの良い朝食を心待ちにしていたベラ・ルーシャ将兵達にとって、虚空に轟いた羽音はまさに死を告げる天使の羽音であった。
羽音とともに飛来した何かが、食事の用意をしていた炊事担当兵を、炊事場もろとも虚空に跳ね上げたのを合図に次々と飛来する何か。
一瞬の空白のうちに、その何かを目にすることができた兵士の目に映ったのは、先端の滑らかな円錐状の鉄の塊。
血に塗れた肉片やえぐり取られた大地がこびりつくそれは、やがて赤き光を灯すと、それを見ていた兵士の身体を閃光とともに吹き飛ばし、その思考と記憶、そして彼が生きていていたという事実すらも忘却させていく。
そして、このような事態は天津上周辺に展開するベラ・ルーシャ軍の各所にて巻き起こっていた。
海上から降り注ぐ砲弾の雨は、今も天津上にこもるスメラギ将兵にとって、つかの間の平穏を意味する。
海からの一方的な攻勢に、ベラ・ルーシャ軍は為す術無く後退し、一部隊が港へと殺到する状況をどうにかすれば良い。
それ故に、瓦礫の中で郊外へと降り注いでいる砲弾を見つめつつ、今もなお衰えぬ戦意を持って、スメラギ兵達は一時の休息を満喫していた。
「忘れも知れん。五年前のあの時の戦。ちょうどケゴンの事件で天子様が亡くなられ、その後にユーベルライヒも逃げちまった。んで、今みてえに天津上にこもっているわけでもねえ、正直なところ、本気駄目だと思った戦だった。しかし、その時にな」
砲撃に合わせ、セオリ湖から兵糧をはじめとする物資を輸送し、傷ついた将兵や残された民間人を脱出させる。
すでに五年もの長きに渡って行われ続けている事であったが、至近ではベラ・ルーシャ軍による港への攻勢も激しさを増して来ている。
物資の量こそ変わることはなく、少なくとも将兵が飢えるわけではない状況にはあったが、この港が陥落すれば文字通り天津上は死の都へと変わる。
その時に備えた備蓄も進んではいるが、今日のこの日。補給が行われる当日に関しては食糧の大盤振る舞いが行われる。
そして、港の防衛にあたらぬ将兵にとっては、待ちに待った食事の肴は必要でもある。
この場においては、古参の兵士による武勇譚がそれに該当していた。
「今もなお、フミナ様が好んで身に着けられる漆黒と深紅の外套。あれを身に纏ったフミナ様が、撤退する俺達を背に、たった一人で最後尾の残られた。今になって知らされたことだが、あの頃はろくに戦ったこともねえ俺達を、強引に戦場に晒して経験を積ませる意図があったんだと。それで、生き残った俺達を絶対に死なせたくはない。そんな思いがあったとは思うんだが、それでも無茶だとおれは思ったよ」
食事を口にしつつ、熱っぽくそう語る兵士。いや、すでに5年モノ間戦い続けた彼は複数の部隊を束ねる指揮官にまで成長している。
そして、今自分が為すべき役割もまた、当然のように理解していた。
「当然、ベラ・ルーシャの連中は襲いかかってくる。何しろ相手は10歳の少女。加えて、こちら側の総司令官様と来ている。しかし……」
そう言って指揮官はゆっくりと目を閉ざす。
まるでその時の光景を思い返し、自分が見た最高司令官の姿を今一度目に焼き付けんとするかのように。
「出来上がったのは文字通り、ベラ・ルーシャ兵の死体の山。んで、矢とか砲筒で遠距離から殺そうとするも、矢は全部叩き落とされるし、砲筒の弾はまるでフミナ様を避けるかのようにみーんなそれていっちまう。そうこうしているうちに、ベラ・ルーシャもあきらめて後退していく。そんなことが何回もあったんだ」
信じられるか? とでも部下の兵士達に問い掛けるように視線を向ける指揮官。しかし、それは決して誇張ではないことを部下達もまた心得ている。
実際、彼らとて“それ”を目にしているのだ。
「その時、俺は思ったね。この御方とともに戦っていれば絶対に死なんと。仮に死んでも後悔はないってな。それによ、お前らが戦ってきたベラ・ルーシャ兵を見ただろ? あいつ等は後ろにいる偉そうな連中に駆り立てられて、万が一逃げでもしようもんなら、味方から矢が飛んできて、最後は斬り殺される。好きで戦っているのなんかほとんどいやしねえのさ」
そう言うと、指揮官は残ったにぎりめしをほおばると、勢いよく立ち上がる。
「たしかに、普段は飯は少ねえ。俺も指揮が下手でお前らを苦労させる。でもな、ベラ・ルーシャの連中は教皇の為には死なねえが、俺達はフミナ様のために死ねる。っつうことは間違いねえ。なら、最後に勝つのは俺達だ。他人のために戦える人間が、戦わされているヤツ等に負ける事なんて絶対にないんだからなっ!! だから、今は食って寝て騒げっ!! 元気があったら、そこいらの姉ちゃんと楽しんでこいっ!!」
そう言うと、それまで黙って聞いていた兵士達から歓声が上がる。
指揮官の言には根拠などはなく、過去の事実と今目の前にある満腹感が元気を引き出しているに過ぎない。
だが、人は常に希望を求めるもの。だからこそ、兵士達の希望となって戦い続ける総大将の存在がさらに際立っていくのだった。
そして、そんな兵士達の声を耳にした総大将は、珍しく皇居内部に身を置いていた。
◇◆◇
晒された上半身は、齢十五の少女とは思えぬほどに成熟していると同時に、数多の傷が赤く晴れ上がり、一種の刻印の如くその身に刻まれている。
おおよそ、少女のモノとは言えぬその身体こそが、齢十歳にして国家の命運を担った彼女、スメラギ皇女フミナが如何なる時を送ってきたのかを無言のままに証明していた。
そして、今もまた出血した傷口が斬り裂かれ、骨に突き刺さった鏃を医師が額に汗を浮かばせながら抜く作業に従事していた。
彼はキツノ離宮にて神皇リヒトの側に仕える典医の一番弟子であり、老境に入り始めた熟練の医師。だが、そんな熟達者であっても、その施術は困難を極めているようだった。
常人であれば、とうの昔に意識を放り出しているほどの傷。だが、治療される側は、冷や汗こそ浮かべている物の、各所から上がってきた報告書に目を通すことに余念はない。
むしろ、城外から聞こえてくる笑い声に、時折愛おしそうな笑みを浮かべることすらもあるほどだった。
「ふう、殿下。お手数をおかけ致しました」
「毒は?」
「軽いものでございました。ですが、あまりご無理はなさらずに。これ以上、傷が増えれば得物を振るうことも困難になりまする。加えて、鏃や弾による毒が身体を蝕みまする」
「分かっている」
そんな皇女の胆力に驚嘆しつつも、傷口の縫合を終え、手際よく布を当てた医師は、表情を曇らせつつそう口を開く。
自分の言に皇女が頷くことはない。だが、言わぬわけにもいかぬこと。
案の定、フミナは顔を向けて一言頷くだけであった。
「殿下、これ以上前線に立たれることは……、殿下の御身に……」
「今更だな、カザミ。外を見ろ。平和を謳歌していていた天津上が、今では瓦礫に塗れた死の都とかしている。だが、将兵や民間人たちから笑い声すらも上がっている」
「御意……」
「彼らは皆、私には矢も弾も当たらないと信じている。私が常に前線に立ってともに戦うと信じている……これまでに散った者達も同様に思いながらな」
下がっていった医師の背中を見送ると、それまで彼女の傍らに控えていた、現状の№2であるカザミ・ツクシロが、眉間にしわを寄せながら口を開く。
フミナと同様、この五年間戦い続けてきた彼もまた、各所に傷を負い、食事の量も減っているため、以前の整った容姿も、鋭さを増した精悍なモノに変わっている。
そして、彼にとっての最大の責務は、この眼前の皇女を如何にして生き長らえ等セルかと言う事にある。
フミナに万一の事態、つまりは“死”が起きれば、その時点で天津上は陥落する。
たった一人の希望となって、奮戦し続ける皇女。
この存在と皇都に対する愛着こそが、5年近くにもわたる攻防戦を戦い続けているのだ。
カザミをはじめ、この場に詰めている側近たちも皆同じ気持ちである。
であるからこそ、前線にて傷つき続けるこの皇女の存在を不憫に思う気持ちも同時に存在していた。
「来たか。殿下、間もなく補給艦隊が到着するとの由」
僅かな沈黙に包まれる皇居。
それを破るかのように、駆け込んできた伝令の言にカザミは頷くと、眼前にて外を、降り注ぐ砲弾の雨を見つめながら休息をとる兵士達を、微笑ましげに見つめていたフミナに対してそう告げる。
「そうか。では、皆で迎えてやるとしよう。カザミ、こども達の選抜は?」
「すでに」
「あと、どれほどだ?」
「報告によれば、今回の船団にて脱出できれば、次回にも」
「うむ……。まもなく、終わるか」
すっと表情を引き締めたフミナは、先ほど治療を受けたばかりの腕を振るいながらそう口を開くと、愛用の漆黒の表地と深紅の裏地の外套。
かつて、友邦国神聖パルティノンの全盛期を現出した女帝が好んで身に着けていたそれと同様の装飾を羽織り、力強く歩き出す。
現状、天津上唯一の出口となっている、セオリ湖畔に設けられた港。
古代より、セオリ湖とフシミ川を中心とするセオリ地方の水運の拠点として活用されており、今となってはまさに天津上の心臓部分となっている。
それ故に、半包囲を完成させているベラ・ルーシャにとっては皇居と並ぶ最終制圧拠点と黙されており、砲弾の降り注ぐ包囲陣を背後に、今もなお交戦が続いていた。
二月に一度行われる補給日。
スメラギ水軍旗艦より行われる艦砲射撃を合図にそれが開始されるのだが、一度始まればベラ・ルーシャ軍に為す術はなく、スメラギ側は一時の休息を得る事が出来る。
だが、こと皇居内部の上層部と港の防衛部隊に関してはこの限りではなかったのだ。
今もなお、崩れた瓦礫の影に身を隠したスメラギ兵が、慎重に前へと進んでいくベラ・ルーシャ兵の首を薙ぎ、続いてきたベラ・ルーシャ兵ともみ合いになっている。
そこに駆けつけて来て、スメラギ兵が嬲り殺されてしまっている間に、他のスメラギ兵が駆け寄ってベラ・ルーシャ兵達を屠る。
文字通り、泥沼の攻防が続いているのである。しかし、その泥沼の攻防も、ほんの一時、休息を得る事が出来ていた。
それの理由は、皇居より来襲した皇女フミナ直卒の近衛部隊の強襲。
それまで、兵士同士での泥沼の攻防が続いていた戦場にあって、瓦礫でもかまうことなく疾駆し、正確にベラ・ルーシャ兵を蹂躙し、指揮官級の首が虚空へと舞い上がる。
基本的に、数を頼みとするベラ・ルーシャ軍にあって、本気で数の暴力をモノともしない部隊という者の存在は、ただただ畏怖の念を抱くしかなく、彼女等の登場は、その日の港の制圧が不可能になった事を告げる合図でもあったのだ。
そして、瞬く間に攻撃部隊を殲滅し、指揮官と副官の首を虚空へと飛ばしたフミナとカザミは、返り血に染まった近衛部隊とともに、ゆっくりと入港してくる船団を出迎える。
ただ、彼女等、正確には皇女フミナのみが知らぬ来客が、その船団には乗り込んでいたのであった。




