表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/106

第十三話

大変お待たせ致しました

 皇都天津上はセオリ地方からインミョウ地方へと広がる国内最大に湖にして、本州西部の水瓶であるセオリ湖に面している。


 建国以来、天津上はそのセオリ湖のもたらす恵みよって繁栄し、周辺地域もその恩恵に与りながら今日まで発展してきた。

 その水瓶としての存在ともに、その湖面の美しさは、まさに天を地上に映し出す鏡と表現出来るほどの物であり、その湖面の情景は周辺住民達、そしてそれを一目見ようと訪れた者達の心を癒す存在でもあった。



 そのスメラギにとって、まさに恵みの水をもたらすセオリ湖も、敗戦以降、インミョウ地方側は、清華駐留軍による汚染が進んだが、その後も国を挙げての水質浄化の取り組みによって美しい湖面と豊かな水資源を確保してきた。


 永遠に淀むこと無き水鏡。


 それは、スメラギの大地と人々の努力によって産み出されてきた生命の泉でもあったのである。


 だが、その水鏡もここ数年は赤き血に染まる日々が続いている。



 皇都天津上の補給上の生命線。



 水瓶と水鏡としての役割に、さらに重きモノが加わった命の泉。


 内海の制海権はスメラギ側が制していたが、陸に面するこのセオリ湖は、陸揚げされたベラ・ルーシャ軍船が入りこみ、スメラギ側との激しい制水権争いを繰りひろげられているのである。


 スメラギ側からすれば、如何に内海の制海権を得ていたとしても、天津上の陥落はスメラギそのものの敗北を意味し、その生命線の確保には多大な出血を強いているのである。

 スメラギ人とニュン、ティグ、ヒュリーををはじめとする亜人種達、そして、彼らの敵であるベラ・ルーシャ、聖アルビオン、清華各国人達の血に染まった母なる泉。



 今回、皇女ルナ、ミナギ・ツクシロ等の天津上先入は、その血に染まるセオリ湖補給ラインを通じて行われることとなっており、それはスメラギ水軍による補給作戦の過程に組み込まれていた。



 そして、その中心を担う“それ”の中に、件の人物達の姿があった。




◇◆◇




 一歩足を踏み出すと、踵と木の産み出す小気味の良い音が耳に届いた。


 一件、水上から地上に降り立ったかと錯覚するほどの空間。

 質の良い木材が敷き詰められ、要所や外部装甲にあたる部分は余すことなく金属部品が用いられている。


 そして、その空間の中央部分にそびえるのは、小さな城のような作りの建物と大型の砲筒を二本並べた形の箱形の建物。

 城のような建物は、船の指揮所や作戦室、見張り台などがある艦橋。砲筒のある建物は、戦艦などに搭載されている“主砲”というモノだろうというのは予想がつく。

 それらを中心として、広大な甲板が艦首から艦尾にまで広がり、そこには多くの物資ややや小口径の砲筒が列を成す。


 そして、その周囲をそれまでの海賊や漁師たちとは異なる、青色の軍曹に身を包んだ船員、いや水兵たちが盛んに行き来をしていた。



 これが、ジゴウさんの言う天津上潜入の中心を担うスメラギ水軍の旗艦であると聞いていた。



 ルナ様やアドリエル、リアネイギスなどは、はじめて目にするそれに興味津々と言った様子であり、私も実物を目にするのは初めてであり、その威容には目を見張るモノがあった。



「符合を」


「こちらに、一、六にございます」


「ふむ、了解した。それで、そちらの方々は?」



 そんな時、艦の様子を見まわしていた私達の元に、長身の青年が歩み寄り、私達を一瞥した後、ジゴウさんから受け取った符合と呼ばれた木片を手に取り、自身の持っていた木片と合わせる。

 合わせ目がピタリと嵌ったことを確認すると、それまでの緊張した面持ちを時、静かな笑みを浮かべて頷くと、再び私達の元へと視線を向けてきた。


 今の私達は、ルナ様の警護の意味合いもあり、頭部までを外套で覆っているため、青年や船員たちには訝しく思えるのであろう。



「もし、こちらをシュテン様にお渡しいただけますか?」


「む? ……っ、しょ、承知致しました。しばし、お待ちを」



 そんな青年の視線に、外套を羽織ったままルナ様が歩み寄り、リヒト様からの親書を手渡す。


 皇室の紋様と神皇の印綬、加えてツクシロ家の花押も入っているそれである。青年は手にすると同時に目を丸くし、慌て転げるように艦橋へと駆け出していき、それからほどなく息をきらせながら私達の元へと戻って来た。



「お、お待たせ致しました。こちらへ、ご案内致します」



 そう言うと、何事かとこちらに視線を向けている水兵たちを横目に、謙るような態度で私達を艦橋へと誘う。

 片膝をついたりしないところは、状況を弁えているのであろう。水兵たちには余計な心配をかけたくはなかったのだ。



「こちらに」



 そして、艦橋内に入り、地下へと続く階段を下りるやや広めの空間があり、いくつかの個室が並んでいる。


 そして、その中央に位置する一室の扉をノックした青年は、戸を引きながら私達を中へと招き入れた。


 室内はそれまで以上に上質な板葺きと畳が敷かれており、一段高くなった座を前に、三人の人物が座し、ルナ様が外套を脱ぐと、一瞬目を見開いた上で頭を下げる。


 その後は、案内役の青年や他の士官の案内で、ルナ様が上座へと移り、私達は彼女から見て右側、即ち出迎えた三人の人物と対面するように腰を下ろさせてもらった。


 本来であれば、対面することなど無礼にあたるようにも思えるが、これはルナ様の護衛という立場を重んじてくれたためであろう。




「キリサキ卿、此度の突然の来訪、大変失礼をいたしました」


「もったいなき御言葉にございます。此度は、如何なる御用件に?」



 ルナ様の言に、最上座に座していた人物。髪や貯えた髭が白く染まった男性であったが、声の調子や体つき、肌の様子などはまだまだ若々しい。


 その人物は、キリサキ水軍の頭領にして、現在のスメラギ水軍を束ねるシュテン・キリサキ。齢七十に近いと言うが、その外見は白くなった頭髪や髭を除けば壮年期のそれである。


 ニュン族等との混血を繰り返しているためか、若作りな人間の多いスメラギ人の特徴を象徴する人物と言えるだろう。


 隣に座する二人の人物は、それぞれミフサ・クシマ、スミザ・ラカミという、キリサキ水軍と肩を並べるハルーシャ水族の頭領であり、今ではシュテンの側近かつ同志として行動を共にしている人物たちだった。



「なんと言うことか」


「陛下が動かれぬ以上、理由はなんと無しに察してはいたが」



 そして、私達がこの場を訪れたわけを親書も交えて説明すると、三人の老将達―と言うには失礼なほど若々しいが―は、表情を曇らせる。


 リヒト様の事は、ある程度は知らされていた様子だが、秘匿の必要性を考えればすべてを知る事は難しかったのであろう。


 今になってこうしてルナ様が動かねばならなかったのだから、それだけ事態は切迫してきていることも。




「ジゴウの案に関しては、我々からは特に異論はない。我々は我々で役目を果たそう。また、殿下の御身も決して傷付けはせぬ。しかしな……」



 そう言うと、シュテン様は私達へと視線を向け、最後にその最上座に座する人物へと視線を向ける。



「ミツルギよ。一度の失敗が、尾を引いたな」


「御意……」




 そして、ひどく声を低くしながらそう口を開いた先にいたのは、今回の作戦に辺り、私達に同行してきた先任神衛、ミツルギであった。


 先日のキツノ離宮での戦闘以降、行動を共にする機会は多かったのだが、以前のような真面目堅物な神衛という姿から、影のある寡黙な人物へと変貌しており、今回の同行の際にも、ほとんど口を利くことはなかった。


 一瞬の判断の違いが、ヒサヤ様を失うという失態に繋がったこと。彼はそのことを悔やみ続けていることは明白であった。



「恐れながら」


「ツクシロ。良い」


「ふむ……、貴女が」


「はっ」




 そう考えると、無礼と分かっていながらも、私は身を乗り出し口を開きかける。


 しかし、そんな私に対し、ミツルギさんが静かな声で私を制すると、私の名を聞いた三者が一様に視線を向けてくる。

 緊張しながら表情を引き締めると、シュテン様が顎に貯えた髭を撫でながらおもむろに口を開き、眼を細めながら私を見つめてくる。


 ミフサ様、スミザ様も無言でそれに倣うと、ジゴウさんをはじめとする他の者達は、何事かと顔を見合わせはじめている。


 とはいえ、私にとっては、目上の方々のこのての視線は慣れたモノでもあった。




「なかなか、苦労をされたようだな。殿下、出立は、船の集結を終えてからになります。それまでは、ご自由にお過ごしくだされ」


「……ええ、分かりましたわ。せっかくですので、艦の案内などを頼めますか?」



 しかし、シュテン様は一言私にそう告げると、ルナ様へと向き直る。

 はじめは何か嫌味の一つも言われるのかと思っていた私だったが、シュテン様の表情を見ると、上手い言葉が見つからずに当惑しているようにも見え、ルナ様達もそれを察したのか、引き締まった表情を緩めつつそう告げる。



「は……、ゼン、ハルカを呼んでこいっっ!!」



 シュテン様もまた、安心したように先ほどの青年に対してそう声を上げる。


 その声は、それまでの畏まった臣下としてのモノではなく、海賊の頭領としての大声であり、身体の芯まで響くその声に思わず目を見開く。




「ふむ、やはり堅苦しい場は苦手ですなあ。殿下、皆々、案内役はすぐに参りますので、しばしくつろいでいてくだされ。それと、ツクシロ殿、娘が色々とせわになった。また、仲良くしてやってくれ」



 驚く私達を横目に、シュテン様は笑顔を浮かべながらそう告げると、ルナ様に一礼しつつその場を後にしていく。


 他にやるべき事があるのであろうし、先ほどの視線は、どちらかというと、あの手の場において適切な言葉が見つからなかったからなのであろう。

 何より、ハルカと再会できることの方が、現時点では、私にとっては重要であるのだ。もっとも、今はそれ以上に問題も発生していたのだが。




「なんて、でかい声……」


「リアさん、毛がすごいことになってますよ?」


「さわらせないわよ」




 突然の口調の変化とそれまでの平穏な雰囲気が一変したことで驚きを隠せなかった私達。特に、私の傍らに座っていたリアネイギスは、その毛並みの良い尾が見事に逆立って普段の倍以上の太さになっている。


 もっとも、それに注目していた私の魂胆などあっさりと見抜かれてジト目を向けられてしまったが。



「じゃあ、私が。えいっ」


「ふわっ!? で、殿下っ!?」



 そんなやり取りもつかの間、リアネイギスの背後に忍び寄っていたルナ様が、そのふわりとしていた尾を撫でる。


 すると、それまでにはないかわいらしい声をあげたリアネイギスが、顔を真っ赤にしてルナ様へと視線を向ける。




「うーん、ふわふわですねえ」


「あ、ちょ、で、殿下……、やめてください」


「うふふふ、あと、ちょっとだけです」


「いえ、そのあ、ふにゅうう…………」




 そして、完全にスイッチが入ってしまったのか、恍惚の表情で尾を撫でるルナ様に対し、リアネイギスは慌てて止めに入るが、尾を掴まれていては自由に動けないらしく、自慢の腕力を用いることも出来ないらしい。


 そして、なおも止まらぬルナ様からの攻撃に、リアネイギスは全身を緊張させたのち、ゆっくりと崩れ落ちていく。




「きゃあっ、リアさんっ!?!?」


「あ、あらっ!? ご、ごめんなさいっ。大丈夫ですか??」


「ううぅ、尾と耳はくすぐりに弱いんです……」




 そんな様に、思わず声をあげた私は慌ててリアネイギスを抱き起こす。突然のことに、驚きもするが、その原因がルナ様の一種の悪戯であったため、他の者達も困惑している様子。


 とはいえ、普段は女ながらに勇ましさがある彼女が、ここまで腑抜けてしまうと言うのははじめて見る様子だった。




「あの、私が耳を撫でた時に怒ったのもそれですか?」


「うう……。少しは鍛えたんだけどな」


「ふふふ。リアのその姿は久しぶりに見たな。油断大敵であるぞ、リア」


「うるさい。それより、触るなっ!!」



 ほどなく、身を起こしたリアネイギスであったが、私の問いにもばつが悪そうに答える、どうやら、アドリエルはその弱点を知っていたらしく、普段はどこか勝手なところのある友人に対する仕返しに勤しんでいる。



「何をやっとるのだか」


「ミツルギ様……」



 そんな私達の様子に、苦笑するミツルギさんが傍らへと歩み寄ってくる。


 苦笑とは言え、再会以来はじめて笑顔を見る事が出来た。先ほどのシュテン様の言が、何かのきっかけになったと言う事なのであろうか?



「お互い、いや、君にも重きを背負わせてしまったな」



 そう言うと、再び表情を消し去るミツルギさん。彼をはじめ、ミロク、ヒムロ、セイワ、トモエの四名も同じ気持ちなのであろう。


 離宮で再会したトモエさんもミツルギさんと同様、自分を責めることを任務に打ち込むことで解消しているように見えていた。

 全員、シオンを信用したためにヒサヤ様を失った事を悔いており、お母様から聞いた話によれば、自裁するのをなんとか押しとどめるのが大変であったという。


 ミツルギ、トモエの両名はそれでもなんとか気持ちを押しとどめているが、他の三名はまだまだ心情的に自分を揺ることが出来ず、お父様が天津上に伴ったのも、死に場所を与えるためであるとか。


 ともすれば、ミツルギさんもまた同じ道を選んでしまう可能性もあるのだった。




「ミツルギ様」


「なんだね?」


「いえ……。私は、信じております。ヒサヤ様の事を」


「…………ああ」


「だから、その、なんと言いますか」


「ふ、分かっているさ。安心しろ、死に急ぎはせん」



 今も眼前で揉めている3人を見つめならが、そんなことを口にする。たしかに、どこか顔色や口調も回復しているように思える。


 変な話ではあるが、シュテン様がはっきりと責任を問うかのような発言をしたことが、逆に吹っ切れさせる事につながったのであろうか?




「私を裁くべき御方は、今上陛下と皇子殿下のみ。勝手に死ぬつもりはないよ。やはり、閣下には適わん」


「そう、ですか。良かったです」


「それはこちらの言葉だ。よくぞ無事だった」


「私も何が起こったのか、いまだによく分かりませぬ。5年もの間、どこで何をしていたのか」


「案外、無意識のうちに殿下を探し続けていたのかも知れんぞ?」


「え?」


「自分では気付いておらぬのかも知れんが、お前の殿下に対する依存は、相当な重症であったからな。可能性は無いとはいえんだろう」


「そ、そんなことは……」




 お互い、軽口をたたきあう中での会話である。しかし、なぜか顔が熱くなってくる。


 別に、ヒサヤ様の事は主君としての忠誠対象ではあったのだが、依存するというのはいったいどういう事なのであろうか?




「冗談だ。顔を赤くしてどうする?」


「あ、いえ、その……、もしかして、からかっておいでですか??」


「もしかしてもなく、そのつもりだ」




 と、そんな調子で混乱する私に対し、口元に笑みを浮かべてそう告げてきたミツルギさん。私の問い掛けに、しれっとそう答えた後。はっきりとした笑みを表情に浮かべはじめる。



「も、もう、知りませんっ!!」


「なーにをやってんのよ?」




 そして、私が再び顔を赤くしてそっぽを向いた矢先、眼前の光景に呆れたような声が耳に届く。


 目を向けると、水兵たちの軍装の腕をまくり、街頭を越しに巻き付け、胸元を派手に広げた姿の女性が一人。


 その日に焼けた小麦色の肌が非常に健康的で均整のとれた体躯を表現している。そして、やや呆れたような表情を向けてくるその整った顔立ちには、どこかで見覚えがあった。


 いや、それ以上に、私自身が見紛うというのは失礼な話であろう。



「お久しぶりですね。ハルカ……」


「元気そうで良かったわ。ミナギ」




 思わず声を詰まらせた私と、幾分私よりも背が高くなったハルカ・キリサキ。




 その両者の胸元には、かつて一つの物を分かち合った銀入りの首飾りが、静かに輝いていた。

更新が大幅に遅れた上に、あまり進まず、文字数も少なくて申し訳ありません。


次回は今少し早く更新したいと思っております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ