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第五話

 目の前にて崩れ落ちる少女の目から、急速に光は失われていく。



(なに……? これは)



 ミナギは、まどろみと共に目の前に現れた光景に思わず声を上げようとするが、それが声になることはなかった。


 ――――いったいなぜ? 


 そう思ったのもつかの間、少女の傍らにあった少年が、崩れ落ちる少女を抱え、徐々に大きくなっていく赤き染みの箇所を必死に抑えている。

 よく見ると、周囲には同世代の少年少女が詰めかけており、皆が皆、唖然としながらその光景を見つめているのだった。


 ふと、ミナギは勝手に動いていく視線の先にある見覚えのある顔。


 いや、それに比べれば大分若いそれを認める。だが、意志に反して動く視線は、すぐに彼らの元から外れ、ゆっくりとその場を後にしていく。



(あれは、さっきの?? でも……)



 そんなことを考えていると、ゆっくりとその光景は霧散していき、次第に薄明かりが視界を支配していく。


 そうして、ぼやける視界がやがてはっきりとした人の形を為していく。



「目が覚めたようだね」


「大丈夫ですか? ミナギ」



 そうして、先ほど目にした少年の顔と重なる男性。そして、見覚えのある母の美しい顔。



「夢?」



 そんな二人の姿に、そう呟いたミナギに額に、ひんやりとしたミオの手が添えられる。



「大丈夫なようですね。心配しましたよ?」


「うん……。ごめんなさい」



 頷いたミオの言に、ミナギは身を起こした頭を下げる。見ると、ミオとカザミの他に、老夫婦と宮司夫妻も一緒にいるのだ。


 大樹から落ちたミナギのことを、皆心配していたのだった。



「えっと、ユイちゃんは?」



 そして、ミナギは自分と一緒に落ちた少女のことを思い出し、身を乗り出す。そんなミナギの様子に、ミオは静かに微笑みながら口を開く。



「大丈夫です。ほら、今はみんなと一緒に境内の清掃をしているわ」


「あっ……。よかった」



 そんなミオの言を受け、窓から見える境内でシロウたちと一緒に敷かれた砂利を丁寧にならすユイの姿に、ミナギは安堵し、布団に腰を下ろす。

 正直なところ、幼いユイが元気に掃除をしていて、年長の自分が寝込んでしまったことは少々情けなく思うが。



「大事が無くてよかったですよ。それでは、私どもはこども達の相手をして参ります故、ごゆるりと」



 そんなミナギの様子に、笑みを浮かべた宮司夫妻はそう言って席を立ち、退出していく。社務所の一角を使わせてもらっている様子だが、ミオをはじめ老夫妻もこの場に居るのである。


 何らかのことがあるとは、ミナギも察していた。



「お母様。何かあったのですか?」



 そして、布団の上に正座を、ミオに対して向き直ったミナギは、静かにそう口を開いた。


 ミオや老夫妻。それに、カザミもまた、そんなミナギの反応を予想していたのか、無言で彼女の言に頷き、全員の視線がミオに集まる。



「今朝のことです」


 そして、しんと静まりかえった室内にミオの凍てついた声が響く。少なくとも、ミナギにとっては全てが凍りつくかのような、そんな冷たい声。



「皆は」


「分かっていますよ」



 そして、目を見開いたまま硬直するミナギの姿に、ミオはカザミと老夫妻へと視線を向け、退出を促す。三人ともこうなることは予測していた様子で、ミナギに軽く一礼すると静かに部屋から出て行く。


 どうやら、ミナギが眠っている間にある程度の話はついていた様子であった。



「お母様。わたしは……」


「わかっていますよ。あなたが、本心から言ったことではないと。ですが、わたしを責めねば耐えきれぬほどに、追い込まれたこともまた事実。そして、その責は私にあります」



 口を開き駆けたミナギを制し、静かに口を開いたミオ。その声は、先ほどの凍てついたものではなく、ミナギに対してやさしく語りかけるようであった。



「さて、何から話すべきでしょうか……。――ミナギ、あなたは、どこでわたしの過去を知ったのです?」


「そ、それは」



 目を閉ざし、過去を探るかのような表情を浮かべたミオは、やがて目を見開くと凛とした視線をミナギへと向けてくる。


 それは何かを探ろうとしているのと同時に、全てを見透かしているかのようにもミナギには思えた。


 だが、ミナギに答えることは出来ない。


 ミナギ自身が、ミオの過去を知る術として用いたのは、いまだに脳裏に色濃く残る前世において愛読していた小説なのである。


 そこに描写されていた、敵役としてのミオ。学園の女帝として君臨し、急速に成り上がりを見せた実家の権力と金によって多くの敵を作り、味方からは畏怖と軽蔑を集めた存在。


 そして、彼女が追い求めた一人の少年。そして、彼女が憎み続けた一人の少女。


 二人の存在は、国家の根幹に関わる問題であり、そこに対して凶刃を向けた母は、実家とともに没落し、その後のことは知るよしもなかった。


 だが、今の自分の年齢と当時と今の母の年齢。少なくとも、遊女に身を落としたのは20歳前後のことであろう。


 そこにどんな葛藤があり、どれほどの悪意を向けられながら生きてきたのかまでを知ることは出来なかった。



 ただ一つ。



 母ミオの父。そして、自分にとっては祖父に当たる人物をはじめとする血族の全てが、売国奴と反逆者の汚名を背負い、すでにこの世から抹殺されていると言う事実がそこにはある。


 そして、残されたミオとミナギ自身。


 二人の身に向けられる悪意もまた、それらの汚名を根源としているのだった。だが、周囲の大人たちから向けられる悪意以外にそれを知る術があるはずもない。


 ミオはミナギに教養をつけることには熱心であり、しつけも厳しかったが、過去の記録。特に、自身の過去に関しては徹底的に触れることを避けさせていた。


 元々好きだった読書の際、老夫婦や宮司夫妻の持つ豊富な書籍からも、それらの情報は全て除外されていたのだ。


 ではなぜ、ミナギがそれを知る事が出来たのか。


 大人たちの話の中でも、その結論に辿り着くことは出来なかったのであろう。だからこそ、ようやく8歳になろうかという少女に対しての正面からの問い掛けとなったのであろう。



「ミナギ」


「はい」


「言えぬことであれば、話すことはありません。あなたは、幼き頃より、他のこども達よりも大人びていて、わたしに対しても涙を見せることはありませんでしたね。ですから、あなたは他のこども達とは違うのだと……、私は分かっておりました。だからこそ、あなたの口から言えぬ事実があるかも知れぬと」


「わ、わたしは……」



 凛とした声のまま、ミナギに対してそう語りかけるミオ。


 たしかに、子どもらしい振る舞いを意識したことはないが、ミナギ自身、病気のために前世における年齢相応の振る舞いは出来ていないとも思う。

 だからこそ、こども達の中に入りこんでも大人びていると言った印象を周囲に与えているだけだと思っていたのだ。


 だが、ミオの言から察するに、他の大人たちもミナギのおかしさには気付いていたのかも知れない。


 元々、よい印象を抱いていない相手。そこに、子どもらしい振る舞いをまともに見せない娘がいる。となれば、周囲の大人たちにはいっそう不気味に映ったに違いない。



「ミナギ、無理をすることはありません。いえ、ある程度のことは察せましたよ。ですが、そのことを口にするべきではない。これは、母親としての命です。あなたが背負うべき事でもあるのでしょうから」


「…………」


「それ故に、私も真実の全てを話すことはいたしませぬ。墓場まで持っていくべきことでもあろうと。ですが、あなたが知りうるであろう事実に対して、偽りなく話すつもりです」



 そう言ったミオの声には、音ついた優しさが宿りはじめ、表情も柔らかなものが混じりはじめる。


 一瞬困惑したミナギであったが、前世にあっても、良心に対して隠し事をすることは非常に難しかったのである。



 血の繋がりのある者どうし、何か察することがあったのかも知れない。



 それよりも、母の言う“真実”と言うモノがなんなのか。小説の中にあった物語が、現実として存在する今、自分が知らない何かがミオ達にはあったのであろうか?


 そんな思いがミナギの脳裏によぎる。だが、ミオがそれに応えることがないと言うこともミナギには分かる。


 自分が真実を語らなかったのである。だからこそ、母もそれに応えることもないだろうとミナギは思った。



「私は、自身の未熟さから皇太子妃殿下を害し、数多の人々を没落させました。思えば、若さ故の暴走であったのかも知れませぬ。皇太子殿下に惹かれていたことも事実。そして、愛されるには資格が必要であることも私は理解しておりませんでした」



 口を開いたミオの言に、ミナギは無言で耳を傾ける。


 たしかに、小説の中のミオは、その生い立ちからか、自身の思い通りに行かぬ事など存在しないかのように振る舞い、多くの者を傷付けてきていた。



「ここから先は、おぞましい話になりましょう。そして、あなたは私を軽蔑することになるでしょうね」


「そんなことは」


「よい。……私が、妃殿下に為したこと」



 過去の自身の所業も、今となっては恥辱でしかないのであろう。ミオがそう前置きしたのは、そう言っておかなければ耐えられぬ事であったのかも知れない。


 小説の中の面影は多くが失われているが、衰えることのない美貌とその気位の高さは健在なのである。



 そして、そんなミオの恥辱に耐える表情から語られること。ミオが皇太子妃、小説の中の主人公に為した、“いじめ”の数々。



 改めて聞くと、思わず耳を塞ぎたくもなる。たしかに、身を大きく傷付ける行為とは言い難い。だが、心に響く行為でもある。


 思わず目を閉ざしたミナギであったが、ミオは語るのをやめなかった。



「そのような所業を重ねながらも、あの方は決して挫けることはなかった。そして、次第に私は、殿下やツクシロ様をはじめとする者達に疎まれはじめた。悔しかった。それははっきりと覚えているわ。だからこそ、私はあのような……」



 そこまで語るとミオは口を閉ざす。



 ゆっくりと目を見開いたミナギは、凛とした態度で視線を向けてくるミオを見据える。


「あなたの言うとおり。私がこのような立場に身を落としたのも、贖罪の意識と同時に、現実から目を背けたかったからなのです。あなたを授かったというのに、私はあなたを置き去りにして私は、現実から目を背けた」



 そして、再び口を開いたミオの声は、わずかながらに震え始めている。



「お母様?」


「ミナギ、ごめんなさい」


「そ、そんな。わ、私はっ」


「そうではないの。あなたを傷付けた事に対する謝罪では……」


「どういう……?」


「私は、母親としてあなたとともにあることは出来ない。あなたが傷つき続けていてもなお、私はその事実から逃げ続けた。同時に、私とともにある以上、あなたは私の罪に縛られ続ける」



 最後は、はっきりと声が震えていた。



「ミナギ、あなたは今後、ツクシロ様の養女として生きるのです」


「…………えっ?」



 そして、一粒の涙がミオのその切れ長の目元から落ちるのを見つめたミナギ。


 だが、それとともにミオの口から告げられた言葉を理解することは簡単ではなかった。



◇◆◇◆◇



 窓辺から見える景色は、かつて見ていた景色と酷似している。ほんの数日前の出来事であるはずなのに、ひどく遠く感じる。


 ヤマシナの姓を捨て、ツクシロとなった自分。


 没落した家から今もなお皇国の臣下である家の人間となった身。当然、求められる役割も変わってくる。


 今の私は、初等教育機関への入学に向けた学習に取り組んでいた。養父となったカザミに恥をかかせるわけにはいかないという思いと一つの約束。そして、前世で渇望していた学習に対する興味が、今の彼女に知識を求めさせていたのだ。





 そして、すべてを終えたら共にあろうという母との約束。その日を迎えるに際し、母に対して恥じることのない自分でありたいという思い。

 それが、今のミナギを支え、ミオもまた、自身の背負う罪の精算の為に尽力することを誓い合ったのだった。



 そして、桜の花びらが舞う頃には、同世代からは大幅に遅れを取っていた学習時間の差を見事に克復し、ツクシロ家の者として恥じることない成績を持って初等教育機関への入学を果たしていた。

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