第六話
宵の闇が濃くなる頃を見計らい、私達は村を出た。
ベラ・ルーシャ軍による焼き討ちであったが、当然そんなことが表に出るはずもなく、しれっとした様子で状況確認にやってきた兵士達を横目に闇の中を駆け抜けていく。
ボタンさんとケンヤさんの二人は、仲間とともに生き残った村人を連れて村から離れており、同行はしていない。
短い間ではあったが、見ず知らずの私を助けてくれた恩人でもあるのだ。今は、彼らにとってのこれ以上の悲劇を避けることの方が先決だった。
それに、ジゴウさんとの約束の日まではまだ余裕があり、そこで再会する事は約束している。
だからこそ、今は為すべきことを為すだけである。
宵の闇に包まれた森に入ると、宛がわれた軍馬の速度はやや鈍るが、それでも木々の間を駆け続けている。
私は眼前を駆けるアドリエルの姿を追うだけであったが、次第にリアネイギスの姿は消え、気配のみが周囲にあるだけ。
そんな中でも、アドリエルだけは、そのまま私を先導するように馬を疾駆させている。
しかし、そんな彼女もまた、馬の速度を緩めはじめ、やがては馬蹄の響も収まりはじめる。
「……さて、そろそろ良かろう」
「どうしたのです?」
「すでに我々の勢力圏だ。しかし、5年も行方知れずだったというのに、衰えていないようだな」
ゆったりと馬を歩かせながら、アドリエルの傍らへと馬を進める。
そして、闇の中からリアネイギスをはじめとする者達が姿を見せ始め、私とアドリエルをかこむような形になって馬を進める。
彼女の言う勢力圏というのがなんなのか、出発の前後で説明はなかったが、なんとなく予想はついている。
漁村はセオリ地方とバンドウ地方の狭間に位置するコロザ半島に有り、皇都天津上とはクマソ大森林地帯を間に挟んでいる。
沿岸部から入り江を回り込むようにして山間部に入ったことは確認しており、宵の闇が深くなっていることを考えると、森林地帯に到着したと見ていいだろう。
「向かう先は、お二人の故郷ですか?」
「そうだ……、と言いたいところだが、正確には異なる」
「ベラ・ルーシャ兵と事を構えて、村に戻るわけにもいかないわ」
森の闇の中を進みながらの問い掛けに、アドリエルとリアネイギスはそう答えるが、具体的な目的地は告げてくれなかった。
勢力圏と言えど、どこに目があり、どこに耳があるのかは分からないからであろう。
「宵のうちに出来る限り進んでおきたいが、多少の時間はある。何か聞きたいことはあるか?」
「そうですね……。学院の皆様はどうなっているのでしょうか?」
「……ふむ。両陛下や妃殿下のことは」
「知っています。ミスズ様のことも」
場所は言えないとはいえ、多少は安全になったと言う事であろう。
私に対してそう問い掛けてきたアドリエルに、私は最も気になることを口にする。当然、それは学院の関係者のことであった。
お父様とお母様は無事であることが分かっていたが、他の神衛達、お兄様やハルカ達のことを聞くのは、怖かったのだ。
そして、お母様がサヤ様にしたことも、知っては居たが口にしたくはない。
「そうか。ツクシロ閣下は、今もなおフミナ皇女殿下とともに天津上にて、交戦している。そして、ミオ様とハルカは無事だ」
「っ!? そうですか。ハルカは」
そんな私の言に、やや顔を背けながらそう答えたアドリエル。
その行動が意味する事実を察しつつも、私は親友の無事を知る事が出来たことに安堵する。とはいえ、サヤ様達の最後を看取る形になった彼女が、どんな心境で教まで戦ってきたのかを考えると、少々いたたまれない気持ちもある。
「ああ。彼女は、ケゴンを脱出したのち、ツクシロ閣下等とは別れて、実家のキリサキ家へと戻っている。彼女等が海にて奮戦しているからこそ、今日までスメラギがもっていると言っても過言ではない」
「そうですか。……それで、他の皆様は?」
アドリエルの言は、ジゴウさんから告げられた国情にも適っている。
ハルーシャやインミョウ沿岸部にて、聖アルビオン、清華両国の補給線を破壊したのは、彼女等の動きが大きかったと言う事であろう。
だが、アドリエルはすべてを語ってはいない。
リアネイギスははじめから顔を背けたままであり、すべては彼女の判断に委ねたと言う事であろう。
実際の所は、口にすることも憚られるのかも知れなかったが、それでも私は彼女の口から真実を告げてもらいたかった。
「現時点で、ケゴンの地から脱出に成功、および生存が確認されているのは、皇太子リヒト殿下、いや、今上親王殿下、カザミ・ツクシロ、サゲツ・シイナ、ミオ・ヤマシナ、アイナ・トモミヤの四名の要人。そして、ミツルギ、キリサキ以下神衛数十名のみ……。ミナギ・ツクシロ、ハヤト・ツクシロ。そして……、ヒサヤの皇子は行方知れずのまま、現在に至っている」
そして、私の思いと察したのか、フッと溜息を吐いたアドリエルは、私の視線を向けることなく、静かにそう口を開く。
行方知れず。
そう告げたのは、私に対する最大限の配慮であったのだろう。だが、あえて名前を出した二人を除き、他の神衛達は……、おそらくはあの大爆発に巻き込まれたのだと思われる。
ケゴンの地周辺は今もベラ・ルーシャによって占領されているため、遺体の捜索も出来ないであろうし、あの暴虐たるベラ・ルーシャ軍が、自分達に抵抗した神衛達の遺体を弔うことなどあり得ないだろう。
そして、やはりヒサヤ様は変わらず行方が知られていないのだという。あの時、私はシオンの裏切りによって銃撃され、彼の駆る飛竜から投げ出された。
そこから、サヤ様のいる異世界へに取り込まれたのか、気がついた時にはあの海岸に打ち上げられていたのだ。
運良く川にでも落ち、そのまま海に流されたのか、異世界の出口があの海岸であったのかは不明だし、考えたところで分かるはずもない。
どちらにしろ、私は己が果たすべき任務を果たせず、みすみすヒサヤ様を犠牲にしてしまったことに変わりはないのだ。
「……くっ」
「ツクシロ。事情は聞いている……、だが、シオンの裏切りなど、誰も予測していなかったことだ。自分を責めるのはよせ」
「そうだな。今は、そなたが生きていたからこそ、下手人が誰なのかが証明される。少なくとも、ヒサヤ様の捜索も続いているのだ。だから、自分を責めてる必要は無い」
そんなことを考えた私に対し、リアネイギスとアドリエルが揃ってそう口を開く。
失態を悔やまれたところで事態が解決するわけではないことは分かっているのだろう。とはいえ、そう簡単に割り切れるものでもない。
ただ一つの救いは、サヤ様から告げられた事実として、ヒサヤ様は生きておられることだけ。
今はそれにすがるしかないというのが、私の本音だった。
「それと、たった一つだけ、確定していることがある」
「と言いますと?」
二人の言を受け、そんなことを考えている私に対し、アドリエルは鋭く視線を向けて口を開く。
「殿下は生きておられる」
「分かっています」
そして、彼女の口から出た言葉。
瞬時にそれに応じることが出来たが、自分の中にあった事実が、他者の口から語られた事は大きい。
「ほう?」
「どういうことだ?」
そんな私の返答に、はじめてと言ってよいほどに二人が目を丸くしている。
おそらくではあるが、二人もその事実を知った時は覆いに驚いたのであろう。リアネイギスに関しては、私の返答に興味があるのか、頭部の虎耳をふるふると動かしており、気になって仕方がないようだ。
とはいえ、私には答えようもないのだが。
「細かいことはともかく、私には分かります。それに、ハルカが生きていたのならば、ヒサヤ様も当然、生きておりますよ」
そう言うと、私は無意識のうちに首からかけられたペンダントに触れる。
元々、シロウたちから送られたモノで、はじめは三つの飾りが一つに合わさっていたデザインだったが、とある一件で三つの飾りが分かれてしまったのだ。
そして、その時に、ともに危機を乗り越えた二人にこのペンダントを贈った。
いつでもともにいる。
安直だとは思うが、二人に対してはそんな気持ちを素直に伝えたかったのだ。だからこそ、これがある限り二人は無事。
そう思うことにしているのだ。もちろん、サヤ様から聞かされたことと、サキほどのアドリエルの言を受けたからこその確信でもあったのだが。
「ふうん。ま、めそめそされるよりは、マシだね」
「すいません。あと、リアさん、口調が前のモノに戻っていますね」
「あっ。こ、子どもっぽくて恥ずかしいからエルの真似をしていたとか、そういうわけではないぞ?」
と、そんな調子で自分を取り戻した私に対し、リアネイギスが肩をすくめながらそう口を開く。
先ほどまでの真剣な表情から、ずいぶんと砕けた様子に変わり、かつてのようなさっぱりとした性格が表に出てきたように思える。
ただ、別に子どもっぽさとかその辺りは無いと思うが……。スタイルなどを見ても、そこいらの大人よりも色気があるのだ。
「は、はあ……。でも、リアさんを見れば誰も子どもだとは思わないのでは?」
「そ、そうだよね? どうでも良いけどミナギだって、まあ、ずいぶん……」
「貴様ら、私に対する当てつけか?」
そんな調子で、リアネイギスの胸元や腰元に目を向けた私に対し、彼女も同様に視線を向けてくる。
たしかに、知らない間にずいぶん成長していたようで、衣服がずいぶんきつかったのは事実である。
とはいえ、アドリエルが、眉間にしわを寄せて睨んできた理由までは分からなかったが。
「べっつに。さてと、もう一走り行くかい?」
「そうですね。お話、ありがとうございました」
「……んん。ミナギ、他の者達の事も、話さねばならぬことはある。次の機会にな」
「ええ、よろしくお願いします」
「では、参るか。馬を代えろ」
そして、そんなアドリエルの声を、そ知らぬ表情で受け流したリアネイギスは、水からの乗馬の傍らを進んでいた黒馬へと身を移す。
少数の行動であったが、長き距離を疾駆するのである。自分達の体力もそうであったが、当然馬たちも疲れる。
だが、軍馬の類は人を乗せていなければ疾駆をしていても疲労は小さくて済む。そのための訓練を積んでいるのは乗馬も同じであり、それ故に僅かでも長く疾駆する方法は数多に研究されていた。
元々は、遊牧民族の専売特許と言えたが、スメラギはパルティノンとの友好関係から、騎馬隊の運用に関しては長くこの方法を用いていた。
もっとも、森林と山岳が比較的多いスメラギでは、別の乗馬術の研究の方が長く続いたのだが。
「よし、行こう」
そして、馬を代えた私達一向は、再びアドリエルを先頭にして、馬の手綱を打ち、太腿にて鐙を引き締めながら、疾駆を再開する。
周囲の暗がりの中を、刃のような風が通りすぎ、頬を撫でていく。風の動き、それは昼でも夜でも変わりはないことであった。
◇◆◇◆
水の流れと得体の知れない音が入り混じり、方々から青紫色の光が放たれている。
一目見て、不気味な空間であることが分かるその場であったが、そんな空間の中には、何人もの人間が行き来をし、やや狂気の入り交じった眼光で光の中へと視線を向けていた。
「いつ来ても、不快にしか思えんな」
「帰還早々の言がそれか? スザクよ」
その中で、一人、赤を基調として軍服に身を包み男、スザクは周囲の様子を変わらぬ冷笑混じりの表情で見つめた後、そう口を開く。
その周囲を嘲る態度と装いに、他の者達が眉を顰める中、一際眩く光を放つ“ソレ”の間に立つ男が、抑揚乏しくスザクに対して口を開く。
全体的に虚ろな雰囲気に包まれた男であったが、その目許から放たれる眼光には、どこかどす黒い何か満ちあふれているような、そんな雰囲気を目があったモノに与えている。
「クリスタルに閉じ込められた人間を見て、にやけられるような変態ではないのでな」
「ふん、生身に限るか?」
「今はいらんし、女に困ったことなど無いから不要だ」
「そこまでは聞いていないがな。それで?」
「いや、少し、思うところがあってな」
そう言うと、スザクは男の傍らに立って、眼前にて光を放つクリスタル――その中に浮かぶモノへと視線を向ける。
「ふむ……」
「どうした?」
「いや、良い体をしていると思ってな」
「そうか。だが、こいつはあきらめろ」
「ふ、分かっている、なんとなく見たくなっただけだ。それではな」
男に対し、スザクはその中のモノをひとしきり見つめ、彼にしては珍しく目許にも笑みを浮かべながらそう言うと、満足したとばかりに踵を返す。
男に告げたわけでないが、彼自身、眼前のソレにどこか思うところがあったのであろう。
そして、男がそのことに気付かぬはずもなく、スザク自身もそのことは理解していた。
「……あの時のモノが目覚めたと言う事かな?」
そんなスザクの態度に、男は再びクリスタルへと視線を向ける。
男の言に反応したのか、それは閉ざした目許を中心に苦悶の表情を浮かべはじめる。
「ほう? まあ、良い。そろそろ、お前にも役だってもらわねばならぬからな……、おい、用意をしろ」
そんな“ソレ”の様子に、満足げに頷いた男は、周囲に詰める狂者達に対してそう告げる。
一瞬、凍りついたように固まった狂者達であったが、すぐに男の言を理解し、喜々として自分の役割を果たすべく動き始める。
それを、ゴミを見るかのような眼で見つめた男もまた、口元に笑みを浮かべて“ソレ”に視線を向けると、ゆっくりとその場を後にする。
クリスタルの中にて、今後起こるであろう苦痛を察したソレが、自慢の黒髪を青紫色に光る液体の中で、ゆらゆらと揺らしながら、去りゆく漢に怨嗟の視線を向けていることを無視しながら。
次回は25日水曜日に投稿予定です。
ご指摘等がございましたら、遠慮無くよろしくお願いします。




