第三話
魚が満杯になった樽がいくつも並んでいる。
久々の大漁旗となったわけであったが、ジゴウさんのいる岩場に戻った時にはこの三倍ほどの量がとれていたのだから、十分控えめと言える。
村に駐留する部隊には、漁獲高の減少を報告しているというが、それはあくまでもベラ・ルーシャの目をごまかすためのことだという。
これはベラ・ルーシャ占領下のほぼすべての漁師たちに共通する事柄であり、ベラ・ルーシャのみならず、聖アルビオン、清華、ユーベルライヒの統治下においては数年来に渡って続いている事であった。
ごまかされた魚たちは、氷漬けにされて地下深くに保存されたり、燻製や乾物などの長期保存品へと加工されて各地に運ばれていたのだという。
沿岸部のみならず、内陸の森林、山岳はおろか、主要都市の地下にもそれらの保存場所は確立されており、それが各地で行われている抵抗運動における兵站を担っており、目下、死闘の続く皇都天津上防衛の生命線とも言えた。
「しかし、万一の際には皆様が……」
「問題ねえよ。俺たちは村で食べるために保存しているって事しか知らねえし。殺されるぐらいだったら、二、三人道連れにしてやるさ」
「それに、俺らは帝都に運び入れるやり方も知らないし、その後の保管先も知らないからな。何人か疑われたやつがいるけど、組長以外誰も知らないんだからばれることもなかったってわけ」
私の言に、ボタンさんとケンヤさんは、潮風に揺れる大漁旗を満足げに見つめながら、答える。ここのところは漁の調子も好調だったようだが、中々旗を掲げる機会がなかったのだという。
私の言も、二人にとっては大漁旗ほどの重要性は無いようだった。
「それではジゴウ様は……」
「おいおい、丁寧に“様”。なんて言われたら、爺が腰抜かしちまうぜ? それと、村に着いたら、その口はやめてくれよ? 漁師の振りをしてもらわなきゃならねえのに、お嬢様言葉を吐いたら台無しだ」
「わかっています」
「しかし、この外見だとねえ……。ボタンみたいだったら、別に」
「うるせえぞっ!!」
ジゴウ様は、この辺りの漁師の仲間たち。所謂“組合”と言うモノの長を名乗っているらしく、ケンヤさんのように組長と呼ぶモノが多い。
ベラ・ルーシャにもそう認識されていると言うが、立場がある以上警戒もされているように思える。
とはいえ、部外者の私が気にしても始まらないし、ボタンさんの言うように、ベラ・ルーシャ兵に警戒されないように振る舞うことが今のところは重要であった。
「痛てて、まったく、そんな薄っぺらい身体のどこにんな馬鹿力があんだ?」
「一言多いんだよてめえはっ!! それよりほれ、港が見えてきたら操作しろや」
そんな調子で軽口をたたきあう両者。
お二人は私ほど状況を気にしているわけではないようだが、この辺りはジゴウさんの配慮なのであろうか? とも思ったが、今はそれよりも目の前に見え始めた漁村に意識を向ける方が先であった。
埠頭には赤い軍装に身を包んだ兵士の姿が見て取れ、大漁旗に騒ぐ住民達を強引に押さえ込んでいる様子が見て取れる。
自分達の獲物だと言わんばかりの勢いであり、軍と言うよりは盗賊とも表現した方が正しい様にも思える。
そんなことを考えつつ、並べられた樽へと視線を向ける。
これだけの量があっても、その三分の一ほどは徴用されてしまうという。徴用としては過ぎたる量であったが、これでも以前と比べればだいぶマシになったのだという。
漁獲高の減少や軍機のゆるみからくる賄賂の横行が背景にあるのだというが、それでも獲れた魚を隠し、さらに天津上へと運んでいる事が露見すれば、当然二人は拷問の対象になるであろう。
たとえ兵士でなくとも、軍の協力者に情けがかけられることはまずない。
そして、二人が口を割ればそれこそ漁村の住民すべてが虐殺の対象になってしまう。
血に飢えた軍が、目の前に転がってきた獲物を逃すことはほとんどないのだ。
だが、二人はあっけらかんとして様子でそう告げる。
ジゴウさんの話では、村の漁師たちのほとんどが協力している様子。しかし、核心部分は皆、知らないのであろう。
それでも、何かあった時には、二人の身に害が及ぶことは明白であったのだが。
そんなことを考えつつ、今も目の前でじゃれる二人に視線を向ける。
男女というよりは男の兄弟のようにも見える二人だったが、海岸で倒れる私を救ってくれた恩人である。
それに、それまでにはないタイプの人たちであったので、交流することは新鮮であった。
もっとも、普段の口調を“お嬢様口調”と言われるのは、首をかしげるしかなかったのだが。
それに、ケンヤさんが言った外見というのは……。
「あの、私の見た目はそんなに問題なのですか?」
そして、互いに鼻血を出したり、頬を赤くしながらじゃれる二人にそう問いかける。
すると、二人はまるで計ったかのように同時にこちらへと顔を向け、言葉に詰まる。
「ええと……、まあ、問題があるというか」
「その、なんだ、あんたが考えているような話じゃないと思うんだ」
「で、ですが、わたくしの容姿が問題であるというのは……」
「まあ、それはなあ」
「どうする? やってもらうか?」
「ご迷惑をかけるよりはましです。何でもおっしゃってください」
「ほほう? 爺からは止められたけど、いいよなケン?」
「ほどほどにしておけよ? まあ、こっちも助かるけどな」
と、そんな私の言に、二人は再び顔を見合わせると、ボタンさんが悪戯心に満ちた表情を浮かべてそう口を開き、それに対してケンヤさんは肩をすくめながら応じる。
すると、ボタンさんは喜々とした様子で、傍らに置いてあった壺と手に取り、私の前にまで歩み寄ってくる。
「あの?」
「目をつぶってろ」
「え? うぷっ!?」
そして、壷に手を突っこんだかと思うと、顔に何かが塗りつけられる。
突然の事態であり、まったく警戒をしていなかったことからあっさりとそれを許したのだが、なんだか独特の匂いがするとともに、目の前が真っ暗になる。
「うぷ、こほ、こほっ……、な、なにを……?」
「あーん? そんな、塩みたいな真っ白い肌をした漁師がいる訳ねえだろ? だから、たこ墨を塗ってごまかすんだよ」
「た、たこ墨??」
「ほれ。腕と足にも塗るぞ。ついでに、このなげえ爪は切っちまえよ」
「ふえぇ……」
予想外の事に、私ははじめてと言ってもよいぐらいの根を上げてしまう。
実際、神衛での修練の際にも、身だしなみに関してはうるさく言われていたし、むしろ泥臭さよりも清廉さ重要視されるような背景もあったのだ。
それに、女は女を武器とすることも、将来的には教え込まれるはずであったのだが……。
とりあえず、私はそのような事よりも、単純な変装の心得とある程度の経験を積んでおくべきであったのかも知れない。
「おらよ。獲ってきてやったぞっ!! さっさともってきやがれっ!! 流助共っ!!」
「貴様っ」
港に入ると、近づいてきたベラ・ルーシャ兵を睨んだボタンさんが、思いきり睨み付けながら罵声を浴びせる。
それに対し、色めき立つベラ・ルーシャ兵であったが、思わず目を合わせたケンヤさんや他の漁師たちは苦笑しているだけである。
たしかに、他のベラ・ルーシャ兵も同様であって、険悪な雰囲気がない以上、いつものことと言えるのかも知れなかったが。
ちなみに、“流助”というのは、ベラ・ルーシャに対する蔑称の一つである。
「なんだよ? 渡さねえとは言ってねえだろう」
「ちっ、この鼻ペチャ小娘が……さっさと降ろせ」
「おう。てめらも見てねえで手伝えっ!!」
そして、睨んでくる兵士に対し、ジゴウさんが用意した書類と包みを押しつけると、他の漁師たちに声をかけ、再び船へと上がってくる。
書類は正規にモノだが、包みの中は兵士全員分の財貨が入っており、前回よりも色をつけて渡しているのだという。
賄賂も効く相手には使い続けた方が良いというのが持論で、この手合いだと、際限なく増えていくモノであるから、毎回少しずつ足しているのだ。
ここで、不用意に多くすると、その幅が大きくなりすぎてしまうという難点もあるため、調整が難しいのだという。
正直なところ、黙認しなければならないのは腹の立つ話だったが。
「ん? こいつが新入りか?」
そんなことを考えつつ、並んだ樽を二つもって船から下りた私に、兵士が訝しげな視線を向けてくる。
大人一人がやっと抱えるモノを軽々と持ったのがまずかったのか、ボタンさん達も目を剥いていたが、一応、今の私は墨を塗られて浅黒い肌と男のモノの衣服を身に着けているため、細身の男のように見えているとは思うのだが……。
「ああ。ちょっと前に、入ったヤツだけど?」
「ほう? 貴様、名は?」
一瞬、あきれていたボタンさんだったが、ごく自然な調子で兵士の問いに答える。この辺り、彼女は十分な役者であった。
とはいえ、声に出したらさすがにばれてしまう。そのため、私は答えることなくその場に佇むしかなかった。
「どうした? 早く答えろ」
「ああ、こいつ、耳が聞こえないんだよ。んで、ここ見ろよ?」
「ん?」
そんな私に対し、苛立ちを覚えた兵士。
だが、そこにケンヤさんが割って入り、耳が聞こえないことと同時に、私に顔を上げるように指示を出すと、兵士に私の首元を見せる。
そこには、横に走った深い切り傷が刻まれていた。
「これは?」
「奴隷かなんかだったみたいすけどね。話せない、聞こえないってんですけど、漁だけは出来るみたいなんで、組長に使ってやれって言われてんすよ。この通り、馬鹿力ですしね」
そう言うと、ケンヤさんは私に樽を持って行けと頷き、腕を振るう。
とりあえず、この場をごまかすことは出来たようだが、それでもその後の兵士の視線を感じるのはなんともむず痒かった。
「さてと、もう顔でも洗ってこいよ? 今度ばれたら、攫ってきたお嬢様とでも言っておくから」
「俺がか? 勘弁してくれよ」
「ふふ、でも助かりました。これを使って良いのですか?」
「ああ。水だけは豊富だから遠慮すんなよ」
なんとか積み卸しを追え、徴用を逃れた魚を集落に届けた後で、私は二人の家に案内され、ようやくタコ墨の匂いから解放された。
身体を拭い、用意された座布団に腰を下ろすと、予想もしていなかった疲れが全身を走る。
人目を欺くというのは、予想以上の気疲れを誘発するようだ。
「お二人はこちらで一緒に?」
「ああ。他にも、農作業をやったりしているのが何人かいるぜ?」
「稼ぎは俺らが一番だけどな」
そして、一息着いた私は、室内の様子に目を向け、二人に対してそう問い掛ける。
どうやら、同世代の子達が数人、寄り添うようにして暮らしているようだったが、すでに皆働きに出ているのだという。
たった5年で、ここまで大きな変化がスメラギにあったと言う事であろう。少なくとも、私やシロウたちの故郷である田舎町でも、子どもだけで暮らしているような事は稀であった。
当然、捨て子や親元を離れる子はいたが、面倒を見れる大人もまた側にいたのだ。
「そうですか……。あの? 他のご家族は?」
そして、もう一つ気になっていたこと。
聞くべきか聞かぬべきかとは思いもしたが、ボタンさんもケンヤさんもまだまだ、少年少女と言った年代で、一人前の漁師をやっている。
これは、ジゴウさん達の力と言うよりも、家族から教えられた事だと見ていた分かったのだ。
しかし、いまこの家に、なんと言うべきか、大人の匂いを感じられるモノが無いのだ。
「ん? 親父は兵士に反抗してぶち殺されたし、お袋はショックで狂っちまったからなあ。それまでは兄貴や姉貴がいたけど、兄貴は兵隊に取られたし、姉貴は……、まあ、兵士の玉でも舐めてんじゃねえのか?」
「え? そ、それは……、申し訳ありません」
だが、やはり聞くべきではなかったのかも知れない。
ボタンさんはあっけらかんとした様子で話してくれるが、家族の状況は予想以上に過酷な状況であったのだ。
「おいおい、別に珍しくもないだろ? 実際、ミナギだって、親父さんは戦場のど真ん中にいるし、お袋さんはしらねえ事で追い回されていて、兄貴は行方不明。ついでに、友達もどっか行っちまった。変わりはねえよ」
「し、しかし……」
「まあよ。言い方は悪いけど、それじゃあ、三人とも死んでるのとかわらねえさ。でも、生きているかも知れねえ。それだったら、俺も兄貴と姉貴は生きているかも知れねえんだから、かわらねえよ。」
そして、思わぬ事実に声を落とす私に、ボタンさんは苦笑しつつそう答える。たしかに、考えたくないことだったが、お父様は絶望的な戦場に身を置き、お母様とお兄様の行方は分からぬまま……。そして、ハルカをはじめとする神衛達、シロウやサキのような友人達。
そして……。
「そうかも知れませんね……」
脳裏に浮かぶ一人の少年の姿。自分が守るべき主君にして、サヤ様から託され、そして、友人でもあった人。
皆が皆、行方も生死も分からぬ状況であったのだ。
「まあまあ、そんなに落ち込まないでさ。これでも食ってくれよ。特製の醤油もあるぜ?」
そんな私に対し、先ほどから魚を捌いていたケンヤさんが、丁寧に盛りつけたお刺身を差し出してくる。
それは、まるで料亭で出されたような彩りがされていて、随所でまだまだ反応が残っている。
「お? さすがだな。顔駄目、性格駄目、漁の腕も、操縦も駄目な甲斐性無し唯一の特技が魚捌きだもんな」
「うるせえっ!! お前もちったあ女らしくしたらどうだ? ミナギさんを見習えミナギさんをっ」
「あんだとっ!? 俺のどこが女らしくねえってんだよっ」
「どこからどう見たって、女じゃねえだろうが」
そんな料理を人懐こい笑みを浮かべて見つめたボタンさんであったが、相変わらず相手に対する評価は辛辣なモノであり、結局お互いに悪口の応酬となって、つかみ合いと殴りあいに発展していく。
私としては、お互いに素直になれないんだな。と思うしか無く、下手に止めに入ると二人に怪我をさせてしまう以上、今は目の前の料理に口をつけるしかない。
「あの、いただかせてもらいますよ?」
「おうっ!!」
「どうぞっ!!」
なおもつかみ合いを続ける二人は、まるで計ったかのように私の問いに答え、再びつかみ合いを始める。
それを苦笑しながら眺める私は、静かにお刺身を口に運ぶ。
思えば、これを口にしたのは前世以来何年ぶりのことであろうか? ネギトロに関しては、こまめ書房でマヤさんとサヤ様に振る舞われたが……。
思えば、あの時の人たちも、そして、その後にこまめ書房に集まった者達は、皆離散してしまい、サヤ様に至ってはもうこの世にはいないのである。
食べ物のことで思い返す自分の食い意地にも少々あきれるが、それだけに、美味しい食事と暖かい団らんというモノが、どれだけ大切なモノであったのかを思い知らされた気がした。
しかし、そんな私の回想も、そこから届いた何かがぶつかり合う音と激しい言い争いの声に、中断を余儀なくされる。
「な、なんだ?」
「喧嘩か? 行ってみようぜ?」
「は、はい」
目の前の小さな幸せも、ちょっとしたきっかけで崩れ去ってしまう。乱世とはそんなモノであると言う事を、この時ばかりは、忘れようとしていたのかも知れない。
現実という名の刃を突き付けられることも知らずに……。
ちょっとしたほのぼの回にしてみました。
次回から少し展開を動かそうと思います。




