第一話
なにか、包み込むようなものに身体が包まれている。
それと、背中に触れる何かざらざらとした感触も相まって、遠退いていた意識は次第に戻りはじめる。
ゆっくりと目を見開くと、そこはすべてが白く色を失ったかのような光景が広がっている。しかし、それも一瞬のことで、すぐにその白き世界が、瑠璃を溶けこんだかのような鮮やかな青色の世界へと変わる。
その青き世界に、薄く広がる白きモノ。どうやら、私は寝転んだまま空を見上げているらしい。
意識は戻ってきたが、身体を動かすのがひどく億劫で、手足の節々も何やら硬直しているように動かすのがつらい。
とはいえ、このまま空を見上げていても始まらない。なんとか、身体を動かそうとすると、耳に届いてくるのは水の音。
そこにいたって、ようやく自分を包んでいるのは水であることを自覚した。
「ど、いう……」
引きつる顔を何とか動かして声を出してみたが、やはり口も上手く動かず、まともに声を出すことも出来ない。
となれば、無理矢理にでも水から這い出ないことにはどうしようもない。現時点で、身体の自由が効かないほどに身体は冷え切っているのだ。
しかし、背中に当たる感触はおそらく砂の感触であるだろう。となれば、私は海岸に横たわっているのであろうか?
「うう……っ」
そう考えると、自由の効かない身体に鞭打ち、なんとか身体を動かして、寝返りを打つように身体を回す。
はじめは湿った砂と水。そして、顔を上げると乾いた黄白色の砂が目に写った。
「ぐうっ」
再び腕を動かす。ほんの僅かだが身体が前へと進む。水を吸った砂であるため、重くなっており腕が取られることは少ない。
しかし、水辺から這い出て、砂の所にまで来ると、腕が砂に取られ、足でそれを蹴ることも難しくなってくる。
そうでなくとも、身体は疲弊しており、想像以上の疲労感が全身を襲ってくる。
砂の中を這いつくばりながら、必死に前へ前へと進もうとしていた私は、いつの間にか意識を失っていたのだ。
◇◆◇
いつの時代でも、人々にとっては日々の糧を得るという事に変わりはない。
ましてや、それが戦乱の時代となれば、糧を得ることの重要さは平和な時代に比べても格段に増す。
海辺に生きる人間達にとって、その糧となるモノは母なる海から得られる。
とはいえ、日々少なくなっていく仲間。減っていく糧。
戦乱の時代にあっては、人々の生活以上に優先されるモノが存在し、それが一部分のためだけに使用される。そして、その一部分に属さない者達は、その残ったモノだけを糧とするのであった。
しかし、彼らにとって、その日の糧となるべきモノは、あまりに唐突であり、そして、糧とするには少々憚られるモノでもあった。
「今日はけっこう釣れたな~」
「ああ。船が出せなくなっちまったからどうなるかと思ったけどな。とりあえず、いつもの所に持っていこうぜ?」
「ああ。村に持って帰ったらみんな持ってかれちまうしな」
新春の陽光を受けて、光り輝く海岸を練り歩く二人。
お互いにまだ年若い男女で、両者ともに脇に抱える籠一杯に魚を抱えている。
二人は近隣の漁村に住む友人同士で、普段は家業の漁を手伝いながら生計を立てている。だが、国内が戦乱に包まれている今、漁のために船を出すことも制限されるしまい、仮に、許可が下りても採ってきた魚介類の大半は徴用されてしまうため、まともに船を出すことも出来ないのであった。
そのため、漁師の多くは徴用のための漁では漁獲量を減らし、隠れて得た魚は、漁村から離れたところで燻製などにして保存していた。
「それにしても、どうなっちまうんだかねえ」
「そうだな。村にも外国の兵隊が来るようになったし……、兄貴たちもつれて行かれちまったしなあ」
男が釣り竿で肩を軽く叩きながら、そう口を開く。
女の言の通り、彼らの住む村にも外国、大人たちが言うには、ベラ・ルーシャという国らしいが、その兵隊が村に来るようになり、食糧などは安く買いたたかれていると言う。
加えて、村の若い男女も兵隊として連れて行かれてしまっていたため、今では二人にも仕事が回って来ている状態だった。
「んでも、なんで天子様と戦っている連中が連れて行くんだ??」
「んなこた知らねえよ。俺だって、連れて行かれそうになってんだし」
「はあ? 何でお前が?? まあ、腕っ節は強いけど、男にはかなわねえだろ」
「だから、知らねえって言ってるだろ。まったく……」
そんな状況にあっても、両名ともに世情事態には疎い。
彼らが“天子”と呼んだ皇女フミナ姫に率いられた国軍。即ち、スメラギ皇国軍は、各地でベラ・ルーシャ軍と交戦しており、本来だったら彼らもその幕下に馳せ参じて戦うというのが筋である。
しかし、彼らの知り合いや兄弟達を連れて行くのは、決まってベラ・ルーシャ側であるのだ。
もちろん、村を占領しているのだから当然と言えば当然だったが。
そして、女の方も、兄に続いて姉と二人、ベラ・ルーシャ兵達に徴兵されそうになったのだが、たまたま運良く難を逃れている。とはいえ、兄も姉も連れて行かれてしまった以上、次は自分の番であることも覚悟している。
そんな女に対し、男は歩きながら女の全身に視線を向けていた。
「なんだよ?」
「うーん、男勝りだし、性格はがさつだし、顔は微妙だし、胸……あいてっ!?」
「いきなりなにを言い出しやがるっ!!」
「痛えなっ、蹴ることねえじゃねえかよっ!!」
しんみりとした雰囲気を察しての男の言であったのだが、実際には悪口のような形になってしまったのはまずかっただろう。
誰に習ったのか、きれいな周り蹴りが男の尻に炸裂し、見事に男の言の大半を肯定する結果になる。
実際、男勝りの性格であるため、男女を問わず友人は多いのだが、男の言の通り顔と体型が少々残念であるため、その手の縁には恵まれていないのだが、事実を突き付けたかったが必ずしも好結果を生むとは限らない。
「まったく……、おらさっさと行くぞっ」
「あ、待てよ。悪かったよ……っと、どうした??」
無礼な発言を制裁し、尻をさする男を尻目にさっさと歩き出す女。それを慌てて追いかける男であったが、謝罪を口にしたと同時に目の前で女が立ち止まったため、抱きつくような形になってしまった。
いつもであったら、鉄拳制裁が飛んでくるところであったが、今回はお咎めなしどころか、女は男の事が目に写っていない様子で呆然と前を見つめている。
「アレって……人?」
「へっ? あ、本当だ。おいおい、土左衛門か??」
「馬鹿なこと言うなよ、行くぞ」
「分かったよ。つか、震えているのか?」
そんな女の言に、視線を向ける男。
視線の先には、海岸に横たわる何かが目に写っている。砂の白さと相まっているが、長い黒髪は、ここから見てもきれいに手入れされているのが分かるほどで、たしかに人であると思われた。
冗談半分で口にしたことに、女は声を震わせていたが、それであるとすれば遠目で見てもきれいな姿ではないと男は思っていた。
「あ、やっぱり人だな。おーい、大丈夫かっ!?」
「えっ!? ば、馬鹿っ。見るなっ!!」
駆け寄って行くと、やはり人の姿をしている。ただ、衣服が水に触れて身体の線が露わになっている。と言うよりも、身に着けた衣服も身体にピタリと合っていて、首や手足のところどころにベルトのようなモノがつけられていた。
そんなことを考えつつ歩み寄った二人であったが、目の前に倒れる人は、女性であるようだった。
「おいっ、大丈夫か??」
男を追い越して上着を脱いだ女が、倒れる女性にそれをかけ、膝で抱き上げる。
身体が冷え切り、反応もないが、僅かに身じろぎするのとか細い呼吸を感じたため、何とか生きているというのは分かった。
しかし、二人とも抱き起こされた女性の姿に思わず息を飲む。
色白の肌に手入れの行き届いた黒髪が、水を吸って肌を纏わり付いているのだが、その容姿は今まで見たこともないほどに美しいモノであったからだった。
「………………あっ、ゲン。見惚れてないで小屋に運ぶぞ。さっさと背負えっ!!」
「お、おう。なんか、スゲエ美人だな」
「鼻の下を伸ばしているんじゃねえっ。早くしろっ!!」
しばらくの間、つらそうに息をする女性に見惚れていた両者。
だが、いつまでも見惚れていては助ける意味が無くなってしまうため、女が今も鼻を伸ばす男、ケンを睨み付けながら声を荒げる。
細身ではあったが、中々の長身であるため、小柄な女では引きづるような形になってしまうのだ。
もっとも、女としては、ケンが女性を見てにやけていることの方が気に入らなかったのだが。
「分かったよ……ふぉっ!?」
「どうした?」
「いや、大分冷えているな……。先に行って、火でも焚いておけよ。燻製で使うし」
そんな女の心情に気づかぬまま、男は女性を抱きかかえると、その冷たさとある部分の柔らかさに素っ頓狂な声を上げ、思わず女性に対して視線を向ける。
今のところは気を失ったままのようだが、それでも見たことがないほどの美人であることに変わりなく、ちょっとした悪戯心が芽生えてもいた。
そんなケンを、女は眉を顰めながら睨み付ける。
「な、なんだよ?」
「小屋は常に火が付いているわけ何だが?」
「あっ?」
「お前、何かしようとしていたな?」
「ち、違うって。胸の柔らかさを堪能しながら、ゆっくり行こうなんてそんなつもりはないぞ?」
「うるせえ、このばかっ!!」
そして、あっさりと自分の煩悩を暴露してしまったケンは、お約束とも言うべき制裁を女から受ける羽目になったのだった。
◇◆◇
凍りついていた身体が、まるで湯につかって溶けていくような、そんな気がしていた。
先ほどまで海岸にいたはずであったが、今はそこではなく、薄く開けた目には、板葺きの天井がぼんやりと写っている。
そして、妙に魚と炭や木片の匂いが鼻腔をくすぐる。よくよく考えれば、食事をした記憶自体が忘却の彼方だった。
「それで、海岸にはこれが?」
「ああ。この人の服とか、なんだ道具なんじゃないのか?」
「だとは思うが。しかし、これは……」
「つか、この赤いのはなんだ?? ナイフとか刀は分かるけど」
そんな私の耳に、年若い男女と初老の男性の声が届く。
声に害意は無く、私が意識を取り戻したことには気付かないまま、談笑を続けているようだった。
「それは……、砲筒です」
「うおっ!?」
「お、気がついた?」
そして、男が手にしたモノ。
赤い塗装を施され、金属と木材部分が融合した筒状のそれは、私が白の会時代に託された二つの砲筒のうちの一つである。
もう一つは、白塗りの塗装をされ。
「くっ……」
「おい、大丈夫か?」
そんなもう一つの砲筒のことを思い返すと、途端に頭痛に襲われる。あの後、見せられた映像が真実だとすれば、あの男がすべての元凶であるとした思えないのだ。
そんな私に対し、やや年長の少女が駆け寄ってくる。短く切り揃えて髪に、日焼けしたからだが活動的な印象を与えてくる。
「あ、申しわけありません。助けていただいたようなのにお礼が遅れて。本当にありがとうございました」
「あ、ああ、いや、別に良いけどな。俺はボタンで、こいつはケンヤ。で、このじいさんはここいらの組合長のジゴウじいさん。でだ、あんた、なんであんなところで倒れていたんだ?」
とはいえ、礼をいわないのも失礼だと思い、慌てて正座をして三つ指をつく。
命を救ってもらえたのだ。具体的な礼をすることは出来ないが、お礼ぐらいはしておかないと気分が悪い。
しかし、私の礼に少女、ボタンは面食らった様子で、頭を掻きながら顔を逸らした。
「はは、ボタン。自分との違いに面食らったか?」
「うるせえっ。お前だって、散々鼻の下伸ばしてただろうがっ」
「え、いや、そりゃあな」
何事かと思った私であったが、もう一人、ボタンさんと同世代の少年、ケンヤさんの言に納得する。たしかに、あまり礼などは気にしないタイプの人のようである。
とはいえ、こちらとしても最低限の礼のつもりであったのだが。
「まったく、このスケベ野郎が。それより、お前。なんで、あんなとこに倒れていたんだ?」
「(お前……)それが、その記憶にないんです」
「はあ? 船から落ちたとかそう言うのじゃないのか?」
「もしくは、遊びに来ていて溺れたとか」
いきなりお前と呼ばれたことには少々驚きもしたが、ボタンさんの口が悪いのは普通のことのようで、ケンヤさんとの掛け合いも仲の良さが見とれることだった。
とはいえ、私自身、どこにいたのかという記憶はない。精々、飛竜から突き落とされた記憶があるだけ。
二人が言うように、船に乗っていた記憶も海に遊びに来ていた覚えもない。
「このご時世で、海で遊ぶ余裕のあるモノがいるわけ無いだろ。それより、えっと……」
「あ、申し遅れました。私は、ミナギ・ツクシロ、元々は……あの? 如何なさいましたか?」
そんな二人を初老の男性、ジゴウさんがあきれるように嗜めると、私に対して顔を向けてくる。しかし、名が分からない様子だったので先に越えたのであるが、ジゴウさんはそれを聞いて目を丸くしている。
「ツクシロ……と、申しますと。カザミ・ツクシロ閣下の?」
「あ、はい、私の義父です」
「なるほど。それでは、この衣服もそうなんでな?」
「はい。私の……、はて? なんだか小さいような?」
お父様の名を出す男性に対し、正直に答えるのはどうかと思ったが、現状、話しておいた方が良いようにも思える。
そもそも、三人から害意は感じられず、いざとなれば制圧できる見込みはついている。
そんなことを考えていると、ジゴウさんがテーブルに置かれていた衣服を渡してくれた。ところどころ破れたり、傷がついてもいて、何よりも撃たれた胸元には小さな穴が空いている。
そして、左胸の血が滲んだ後が薄く残ってもいた。
これは間違いなく自分のモノだというのは分かるが、如何せんサイズが小さいようにも思える。
試しに胸元に抱いてみたりもしたが、肩幅はともかくとして、全体的に短くなっているように思える。
と、ここまで来てさらなる違和感を感じる。服を身体に当てる際に、胸元が妙に邪魔になるのだ。
「……もし」
「は?」
「私は、いくつぐらいに見えますか?」
「と、言いますと?」
「いえ、何歳ぐらいに見えますか??」
そこまで考えると、私は一つ思い当たることがある。
身体全体を見たわけではないが、なんとなく視線が高くなっているように思えるし、加えて……。今見に着けている服では胸回りが妙にきつく感じるのだ。
「17,8ぐらいじゃねえの? 俺らと同じぐらいみたいだし」
「それにしては、見た目も胸も……ごばっ!?」
「うるせえっ、この馬鹿っ」
ジゴウさんに代わってそう答えたボタンさんは、不用意な発言をしたケンヤさんを叩きのめしている。
驚きつつも、止めに入りながらも私はその言を考察する。
正直なところ、大人びているとしても12,3の小娘が、17、8に見えるというのは考えにくい。ちょうと、子どもから大人へと成長する時期であるのだ。
そして、今の殴られているケンヤさんの言から、年上かと思っていた二人とは同じぐらいの年頃に見えるようだった。
「そ、そのぐらいにしてください。ですが……、えと、今は何年ですか?」
「先帝陛下の崩御から。と言うことでよろしいですかな?」
「っ!?」
何とか二人を宥めつつ立ち上がると、ボタンさんは思っていたよりも背が低く、ケンヤさんとはほとんど変わらない。
と言うことは、身長が高い分だけ年長に見えることもあり得る。ちょうど身長も伸びていた時期だったから、アレから時間が経っている分だけ成長したとも思える。
となれば、さっさと年代を聞いてしまえば良いだけの話であった。
しかし、私の問い掛けに、ジゴウさんは思わぬ返事をしてくる。
陛下の崩御。
“あの時”からそれほど時間が経過していないとなれば、その事実を知る男は間者の類と推測で出来る。
もっとも、間者としては無能そのものな反応でもあったが。
「ああ、落ち着いて落ち着いて。みんなもう知っていることですから」
「知っている……、お二人も?」
「ああ、まあ、な」
「あん時は、びっくりしたよ。何がどうなっているのかも分からなかったしね」
そして、目つきを鋭くした私に対し、三人は背中をすくませる。
間者であるならば容赦はしないつもりであったが、反応を見る限りではその可能性は低い。
だが、ジゴウさんの皆が知っているという返事。
ボタンさんとケンヤさんも分かっている様子から、それは事実であろうのだろう。であれば、いったいどれだけの時間が経過しているのか?
「それでは、あの時からどのぐらいの時間が?」
「今年で5年目です。ベラ・ルーシャの侵攻からもね」
そして、何とか気分を落ち着けた私の問いに、男性は真剣な表情でそう答えたのであった。
新章は隔日連載になる予定です。




