第二十話
それは、ようやく春の兆しが見え始めた、ほのかな暖かさに包まれた日であった。
互いに将来のことを語り合うお母様とサヤ様。この頃には、サヤ様は普通の少女としての日々を過ごし、ミスズ様やアイナ様とも和解している。
そして、いよいよ卒業を明日に控えた日。お二人にとっては、最後の登校日を迎えようとしているようだった。
「今日も良い日ね。ミオ、結局進路はどうするの?」
「神衛として、皇室の仕えるつもりでではあるが……、実は縁談がいくつかあってな」
「縁談??」
「声が大きい。……私の家は成り上がりだ。加えて、ユーベルライヒの傀儡でもある。如何に金があったとしても、権威まで得る事は相当困難なのよ」
「ええと、つまり。閤家か征家の縁者との縁談?」
「うむ。アイナの兄とのな」
「…………うーん、そうなんだ……。何というか、お嬢様って大変なのね」
「色々とな。好き勝手に生きて来た以上、わがままを言うわけにもいかぬ故……。サヤは私の分まで、リヒト様と幸せになることだ」
「ちょっ、面と向かって言われると」
学院へと向かう道すがら、お二人は楽しそうに会話を弾ませている。
今後は学生と一士官という立場になり、互いに会う時間も限られるモノになる。そのため、前日お母様はサヤ様の家にお世話になった様だ。
縁組みなどを拒否せずに受け入れ、実家に対しては従順であることから、ヤマシナ家はお母様の行動を掣肘することも無い様子。
それでも、外泊などを気にもとめられないというのは、ひどく寂しいことなのではないだろうか?
とはいえ、お二人の間に変なわだかまりはない様子で、年齢相応の恋話に花を咲かせている。
リヒト様の名を出すと恥ずかしそうに顔を赤らめるサヤ様の様子は、入学後の様子から考えると微笑ましくなるほどに純粋な嬉しさに満ちあふれている。
傍らでは、成長したサヤ様も同じように頬を赤らめているが。
「お互いに初心なモノだ。……それとも、過去を気にしているのか?」
「そんなことは……無いと思うけど」
「思うって……。ふう、私が保障するわ。あなたは普通の女子学生で、未来の皇太子妃殿下。ユーベルライヒとの関係なんて全くない。とな」
「こ、皇太子妃ってっ……。とまあ、のるだけのってみたけど……。正直、怖いの。今でも夢に見ることがあるし。もし、わたしの意志とは関係無く、リヒト達を……なんて事になったら、私は」
そして、お二人の会話はまだまだ続き、お母様の不器用な冗談にサヤ様が頬を赤らめている様子は本当に微笑ましいように思える。
と言うよりも、私が小説で読んだサヤとミオはどこに行ってしまったん
だ? と思える程に、二人は仲むつまじく過ごしているように思える。
しかし、そんなサヤ様の微笑みも、次第に表情から消えてゆき、どこか寂しげな表情を浮かべはじめている。
暗殺者として育てられた過去が、こうして芽生えた恋心すらも抑えつけようとしているのであろうか?
「幻術か何かと言うことか? たしかに、人の医師を操る法術は存在すると言われているが……」
「そう言うんじゃないけど、訓練の過程で命令に対しては忠実でいるように仕込まれているから、いざ、私の知らないところで何らかの命令が出たとしてたら」
そんなサヤ様に対し、お母様はなんとか慰めようと口を開いているが、やはりこの頃から口下手であったようで、上手く説得できないでいる。
「そんなことを心配しても仕方ないであろう? 目の前で、『皇太子を暗殺しろ』等とでも言われ他のならばともかく、知らぬ所で……どうした、サヤっ!?」
しかし、そんなお母様の言に対し、サヤ様は答えることなく、呆然としたまま虚空を見つめている。
突然の変化に、お母様は思わず絶句し、肩を掴んで揺するように声をかける。
それだけ、サヤ様の変化は突然であり、先ほどまでの過去に思い悩む少女の姿から、今は感情のない人形のような表情へと変わっているのだ。
「しっかりいたせっ!! どうした?」
「どうしたんだい?」
そんなサヤ様に対し、お母様は必死に声をかけるも、それが報われることはなく、そんな二人の様子に対して、道を歩く人達が何事かと歩みよってくる。
通りの真ん中で、女子学生が大声を上げているのである。通行人たちからすれば何があったと思うのは当然のことであろう。
しかし、そんな光景を見つめている私の目に写る一人の男。その姿に、私は思わず目を見開き、声を上げる。
『えっ!? あ、あれは……っ!!』
『そう……。私達が知る名では、“シオン”もっとも、これは単に分かりやすくしているだけの事よ。この時のヤツは、今とは異なる顔をしていたはず』
『それって……』
『私を監視していたのこの男……そして』
見覚えのある男の顔に、私は苛立ちがこみ上げてくることを自覚する。
それまで師事していた男が、突然武器を奪い、私を銃撃してきたのだ。しかも、記憶がたしかならば、ヒサヤ様を連れ去っていることは間違いないのだ。
そして、怒りがこみ上げてきたのはサヤ様も同様であるようで、先ほどまでの頬を赤らめていた女性の姿はそこにはない。
むしろ、それまで見たことの無いような形相でシオンを睨み付けている。
そして、事態は思わぬ方へと動き始める。
シオンが周囲に紛れてサヤ様に近づき、その首筋に手を触れて、何があったのかと声をかけた刹那。
それまで、呆然としていたサヤ様がゆっくりと歩き出したのである。
「サヤ? 大丈夫なの?」
「…………っ……っ」
心配そうに声をかけるお母様に対し、サヤ様は小声で何かを呟きながらも歩みを続ける。心配そうに近づいてきていた大人たちも、その様子に顔を見合わせ、お母様が「ご心配をおかけしました」と頭を下げると、皆、口々に「お大事に」と苦笑を向けている。
当然、シオンもまたその中に加わっている。ただ、サヤ様の歩みが止まることはなかった。
「サヤっ!!」
「行動。承認。……命令内容『皇太子の暗殺』300(トリースタ)。了承っ!!」
「えっ!? うっ!! サヤっ!? ……しまった」
そうして、なおも声をかけるお母様に対し、サヤ様ははっきりと聞き取れる声で、静かにそう口を開くと、お母様に持っていた剣を、目にも見える速さで奪い取ると、お母様を突き飛ばして地を蹴る。
突然の行動に困惑し、あまつさえ武器まで奪われたことを悔やむお母様であったが、すぐに起き上がり、同様に地を蹴る。
しかし、すでにサヤ様は遙か彼方にまで掛けて行ってしまっており、学院に駆け込んだお母様は方々を探し回るも、サヤ様の姿を見つけることは出来なかったようだ。
「っ……。サヤ、どこに」
「ミオ? ミナツキがどうかしたのか?」
「殿下……、ツクシロ様も」
「どうしたんだ? あれ? お前、剣は?」
「そ、それが…………」
そんなお母様の所に、リヒト様とお父様が呑気な様子で通りかかる。
お二人は幼い頃からの友人同士であり、お父様は護衛も務めていたという話は聞き及んでいる。
元はそれほど親しい間柄ではなく、白の会では寡黙な総代、教室では女子生徒の中心人物であったお母様と正反対に男子生徒の中心だったお二人。
それが、急速に仲を縮めるきっかけになったのは、やはりサヤ様の存在が大きかったのだという。
実際の所、成り上がりのヤマシナ家の息女を二人は嫌ってもいたのだという。ただ、まとめ役として力を発揮するお母様の事は認めてもいたようだが。
とはいえ、この時ばかりはお母様もお二人のは為すことは出来なかったようだ。そして、この時点で気付いていたのだろう。
サヤ様を止める手立てはほとんど残されていないことを。
何らかの理由で、暗殺者としての本能が目覚めてしまったサヤ様。そして、マヤさんから、それを止める手立てを聞き知っていたのは、この時はお母様だけであったのだ。
奇しくも、この日は卒業式の予行演習。
学院の関係者立ち会いの下で行われるそれは、さすがに神皇皇后両陛下の臨席はないが、一部閤家、征家の関係者が見物に来ている状況にあった。
そして、サヤ様の行方が見つからぬまま、お母様は女子の総代として証書を受け取り、在校生や教師等に対する答辞を読む立場にあった。
白桜では基本的に男女それぞれに総代が置かれるため、男子の代表は当然のように皇太子であるリヒト様になる。
そして、一人壇上に立つリヒト様。この時ばかりは、護衛も舞台袖におり、最も近くにいたのは女子の総代であるお母様ただ一人。
“衆目を前に凶行に及んだ敵役”としての舞台は、こうして整えられていたのである。
そして……。
「ごめんなさいっ!! 遅れましたっ」
答辞を読み終え、段上から下りるリヒト様に全員が注目していたその時、リヒト様が降りるのにあわせるように駆け込んでくるサヤ様。
「ミナツキ? どうし……おわっ!?」
全員の視線が彼女の元に注がれ、リヒト様は親しげにサヤ様に対して声をかけようとしたその時、背後から押されるようにしてよろけるリヒト様。
と同時に、リヒト様の脇を通り抜ける白刃。おそらく、一般の教師や生徒が気付くことも出来なかったであろう、必殺の居合いが襲いかかったのである。
しかし、一撃で葬るつもりであったであろうサヤ様の誤算は、その背後に駆け込んできていた一人の女子生徒。
奇しくも、自身が奪われた刃が頬をかすめ、血飛沫が上がった刹那。
サヤ様の胸元に突き立てられる小さなナイフ。
「えっ?」
短くそう告げると、サヤ様は剣を取り落とし、何が起こったのかも分からぬままその場に崩れ落ちる。
すべてが凍りついたその場。
リヒト様もまた、目の前で起こった凶行に目を丸くし、何も言えぬまま、倒れ込んだサヤ様を見つめている。
そして、凶行に及んだ実行者は、ゆっくりと床に落ちた剣を拾い上げ、呆然としたまま倒れ込むサヤ様を見つめる。
「サヤ、ごめんね……」
サヤ様とリヒト様だけに聞こえたその言葉を最後に、実行者、すなわち私の母、ミオ・ヤマシナは、その場を走り去っていく。
ようやく、事態を察した神衛や閤家関係者たちがサヤ様の治療やお母様の追撃に動き始めていたが、すべては後も祭りであったのだ。
「この後……、ミオは自分の一族を粛清して、出頭してきたわ。父親に関しては、四肢を切断した状態で引き摺られて来ていたけどね。そして、父親。ミナギさんにとっては祖父に当たる人物の口から出たのは、ユーベルライヒ及びベラ・ルーシャの謀略という事実。結局、ヤマシナ家は彼らにとっては駒でしか無く、用済みになった駒を捕らえたところで両国がそれを認めるはずもない」
「そうでしょうね……。祖父は、過ぎたる野心が身を滅ぼしたということですか」
「ええ。そして、捕らえられたミオは、何も弁解することなく罪を受けると言う事だけを法務官達に告げたそうよ……。私に出来たのは、彼女の助命を請う事だけ……おかしな話よね。本来だったら、私が処刑されて終わりのはずなのに……、身を呈してリヒトの命を救い、謀略を防いだミオがあんなことになるなんて……、私が、私さえ……」
暗がりの中で、映像を見終えた私達。
これが、件の凶行の真実。お互いに背負うには重すぎるほどの事実が、そこには存在していた。
そして、お二人に接してみて、お二人が今もなお自分を責め続けている理由も私には分かる。
お母様は、自分の不用意な一言がサヤ様の何かを解いてしまった事。式典を前に、決死の覚悟で探し出せばよかったと言う事への後悔。
サヤ様は、親友にあるはずのない罪を背負わせ、自分が幸せになってしまった事に対する後悔。
それらは、互いに母親になった後でも忘れる事はなかったのであろう。
お母様が私と会う機会を減らしたのも、サヤ様がマヤさんの元にヒサヤ様と足を運ぶのを止めなかったのも、親友に対する贖罪の意識に押しつぶされそうになっていたからであろうのではと思う。
「サヤ様……、そんな事をおっしゃらないでください」
「ミナギさん……、でも、私は」
「罪は罪かも知れません。でも、お母様を救ってくれた。それだけでも私は嬉しいんです。おかげで、私はお母様の娘として生まれ、サヤ様にも会う事が出来たのですから」
「私に?」
「ええと、私の病室を見る事が出来ますか?」
「ええ……。ここは、貴女の意識を利用した世界だから」
「そうなんですか……、あ、あれね」
そうして、涙をこぼしたサヤ様に対し、私は一つの過去を思い返すと、先ほどの病室の様子を思い返す。すると、今も友人達と談笑する“私”の傍らに置かれた、一冊の本に視線を向ける。
「本? それが何か?」
「話すと長くなりますから……、読んでみてください。最後の方を」
「……え? これって」
「覚えがありますよね?」
「で、でも、ミオはこんなひどい女じゃないし、私はこんな」
「たしかに、小説とは違っていました。でも、サヤ様は私の想像通りの方でしたよ」
「そんなことは……」
「いえいえ。今もこうして、困難に正面から立ち向かっているではないですか。他人をここまで思える優しい人。それが、私の中のサヤ様であり、今こうして目の前にいるサヤ様ですよ」
「私が、やさしい?」
「はい。だって、私とお母様の幸せを願ってくれる人ですもの」
そして、私にとっては恩人でもあった。
病気に負けそうになっていた私を、元気づけてくれた。必死に生きようとする事に大切さを教えてくれた人。
「サヤ様、本当にありがとうございました」
「何? 突然」
「その小説。私が病気になっていた時に愛読していたモノなんです。そして、その中のサヤ様の姿に、私は元気づけられた。病気に負けずに生きようという気になれた。そのお礼を言いたかったんです。本当に、こうして……あれ?」
なぜか、そこまで言いかけて涙が止まらなくなってくる。おそらく、意識しないでいる事実を、今となってはっきりと認識したのであろう。
そんな私を、サヤ様は静かに抱きしめてくれた。
「お礼を言うのは私の方だわ。ヒサヤと友達になってくれた……、これから、皇族として孤独と戦わなければならないあの子にとって、貴女や友人達はかけがえのない存在になる。だからこそ、あなた達には」
「分かっています、ヒサヤ様は私が必ず助け出します。そして、お母様たちとともに……」
「ええ。……私の分まで、生きてね」
「はい……」
「時が来たようね……。私の、生への執着が薄れたせいなのかしら?」
「サヤ様っ!?」
「ミナギさん。ヒサヤとは、離ればなれになってしまったけれど、あの子は生きているわ。そして、ミオやカザミ君も……、でも、多くの人達が不幸に晒されている。そのすべてを救って欲しいとは言わないわ。ただ、ただ貴女は、自分の幸せのために生きて」
「はい、分かっています。スメラギに生きる人の幸せが、私の幸せです、サヤ様……ありがとうございました」
「私もよ……、本当にありがとう」
声が、温もりが遠くなっていく。それに伴い、私の意識もまた、暗がりに包まれて行った。
変転の章は次回で終了です。




