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第四話

 一度目の再会では、会話を交わすことはなかった。


 カザミは、煩雑な町民街をゆっくりと進む馬車の中で、これから自身が会おうとする人物との再会の日を思いかえしていた。



 それまで色事とは縁のない生活を送っていた自分が、はじめて足を踏み入れた場。

 彼女なりのやり方であるのか、これが最上級の遊郭での作法であるのかは分からなかったが、彼女の視線を受けつつ用意された料理を口に運び、周囲に控える遊女たちに注がれた酒を煽り、和歌や洋歌を吟じたりしながら時間を過ごしただけである。

 他の遊女たちからの誘いはあったが、本気ではないと言うことはすぐに分かり、それでなくとも彼女の無感情な視線を受け続けているのである。

 正直なところ、歓楽とはほど遠い時間と言えた。



 なぜ自分がこのような場に数年にわたっての捜索の果てに彼女を見つけたのは今から三年ほど前のこと。



 二度目の再会もまた、一度目と似た内容が繰り返されたが、遊女たちからの誘いは前回に比べれば色気なども含めて大分熱心になっていたように思える。

 とはいえ、気を起こさぬまま時を過ごし、退出となった時、そっと自分の元に彼女は身を寄せてきてくれた。



「正直、驚いたぞ。皇太子第一の臣下たるそなたが、このような場に足を運ぶとは」



 不敵な笑みを浮かべ、静かにそう告げた彼女であったが、カザミはそれに応えることは出来ず、口元に当てられた指とその先にて、本来の笑みを浮かべた彼女の言によって、次なる来所を約束することになる。



「次は、無碍なことはせぬ。積もる話しもあろう。待っておるぞ」



 そう告げられてから三月。その時に部屋にて待っていたのは、彼女一人であった。

 それでも、最初の頃の射抜くような鋭い視線も、二度目のどこか試すような視線も影を潜め、自身が本来知り得るそれよりも年齢を重ね、成長した女性の笑みがそこにはあった。



「久しぶり。と言うべきかな、ヤマシナさん」


「そうね。あの凶行から十年……、お互い年を取ったわね。ツクシロくん」



 かつての互いの呼び方で呼び合う男女。


 方や皇太子の側近としてある程度国内に名の知れた男と国内にあっては、憎悪と軽蔑を向けられる名を持つ女。


 本来であれば、同じ場に立つことすらも憚られる両名が、いくつかの事情を持ってこの場に顔を合わせている。



「奥方はどうなされた?」


「出産の折に長女と共に……」


「これは、私としたことが、失礼をいたした」



 そう問い掛けてきたミオに対し、カザミは先年に亡くした妻と娘のことを思いかえしながら答える。はじめこそ目を伏したミオであったが、顔を上げた彼女の目は、元の鋭い光を持って自分を見つめてきていた。



「そういうつもりではない。……とはいえ、君をいつまでもこのような境遇に置いておくわけにはいかない。そう言う気持ちはある」



 その視線が持つ意図をやんわりと否定したカザミであったが、本心までを隠し通す事は不可能と言う事を察し、本音を晒す。



「憐れみか?」


「そういうつもりはない。親の罪をあなたがいつまでも背負い続ける必要は無いでしょう」



 本音で語ったことが分かったのか、凍てついた視線を向けられはしたものの、激発を誘発することはなかった。


 しかし、かつては学年に君臨した“女帝”の異名を持つ女性。その凍てついた視線に射抜かれた者は、歴戦の教官や経験豊富な教師たちですらも凍りついたモノである。


 今の立場に身を落とそうとも、その身に宿す覇気は決して衰えていない様子。

 むしろ、このような身にあるが故に、まとった覇気は底知れぬ深さを持っているようにも思えた。



 だが、カザミの言にミオは急速に覇気を霧散し、目を伏せる。



「私には罪があるわ。殿下を害し、妃殿下に数多の屈辱を与えた……」


「しかし、それは」


「お止めなさい。ここでは、そのような話を必要は無いわ」


「な、なにを?」



 そして、静かに口を開いた彼女の声には、はっきりとした拒絶の響があった。

 なおも話を続けようとするカザミであったが、優雅な仕草でカザミを制すると、ミオは着飾った着物を解きはじめ、やがてその均整の取れた身体と白い肌が露わになっていく。



「私はそのようなつもりは」


「ここをどこだと思っている? 私に恥をかかせるつもりか?」



 その所作に、ミオが何をしようとしているのかを察したカザミであったが、たしかにミオの言うとおり、ここは遊郭。そして、ミオはそこの顔のような存在である。


 とはいえ、簡単に頷けるような軽い関係を送ってきたわけではなく、どうしても時勢が掛かってしまう。



「し、しかしだな」


「互いに相手のおらぬ身。それに、嬉しかったのだぞ? 罪ある私を救おうとしてくれたのだ」



 そして、なおも戸惑うカザミに対し、ミオが向けた表情。


 その奥底にある何かは知れぬとしても、彼女の中にある女帝の矜持と純粋なる女性の喜びが現れる表情。


 元々、その美しい外見は評判になる程のモノであり、数多の男たちを魅了してきたそれであるのだ。


 数多くの修養によって精神的な動揺と消し去ってきたカザミであっても、今のミオのそれを拒みきることは不可能であった。



「ありがとう」



 そして、ゆっくりとミオの頬に手を触れたカザミに対し、ミオが漏らした言葉は文字通り偽りなき思いであった。


 その後は公務の合間を縫ってカザミはミオの元を訪い、関係を深めてきた。しかし、結果としてミオを遊女という立場から抜け出させることは出来なかった。


 カザミ自身、皇太子夫妻の意を受けてのミオの捜索に当たっていたのだが、ミオ本人の意志を尊重するが故に報告が出来なかったのである。


 当然、皇太子等の命を持ってすれば、遊郭は平身低頭で彼女を解放したであろう。だが、ミオ自身、すでにその地位を脱するだけの稼ぎは上げているとも言う。


 ではなぜ、その地位に身を置いているのか。“馴染み”という立場になったカザミであったが、彼女が自分以外の“馴染み”を置いている様子は無いのである。


 何か事情がある事は悟っていたが、ミオが自分の口からそれを告げるはずはなく、自分で動く以外に手はない。そして、長き諜報の結果が今になってようやく判明したのであった。



「この辺りのはずですが」


「時間はまだ早かろう。約束の社は?」


「あちらの森であると。彼の社の宮司は、月宮の流れを組む者と聞いております」


「なるほどな……しばし待て」



 御者と側近の言に頷いたカザミは、人通りの少ないそこにとまった馬車から降りると、町人街の外れに広がる森へと足を向ける。


 ミオに面会を求め、その場を指定した社の位置とたしかに代わりはない。


 周囲の喧噪に耳を傾けつつ、外套を羽織り治したカザミは、ゆっくりとその森へと向かう。今彼が身につける皇国皇太子の側近にして、その守護。皇国近衛衛士、“神衛”であることを示す制服はあまりに目立つ。


 木々の生い茂る季節であるとはいえ、それは我慢するしかなかった。


 そして、ほどなく森の姿が大きく広がり、立派な作りの鳥居が目に映りはじめる。小さな社であると聞いていたが、手入れは行き届いている様子。加えて、境内ではこども達が楽しそうに遊んでいる様子が見て取れた。



「ほう、筒蹴りか……。懐かしいな」



 そんなこども達の様子を目にしたカザミは、彼らの邪魔をするのは悪いと思い鳥居の元にて立ち止まると周囲へと視線を向ける。


 一応は、参拝客を装っているつもりでもある。



「む?」



 そんな時、足元に何か軽いものが当たる感触。目を向けると、ちょうど自分の足元に竹筒が転がっている。



「ほう? あそこからここまで」



 ふと顔を先ほど子ども達が集まっていたところへと向けたカザミは、今も方々に散っていく子どもたちの姿を見つめながらそう頷く。


 中々距離があり、重さのない竹筒を遠くに飛ばすのは簡単ではない。


 そう感心していると、カザミの元へと駆けてくる少女の姿に、一瞬目を見開く。



(ミオさん??)



 思わずそんな名が脳裏をよぎるほど、こちらへと駆けてくる少女の姿は、かつての彼女の外見に酷似している。


 もっとも、気の強さが前面に出ていたミオに対し、件の少女、ミナギは大人しさが目立つ顔立ちの少女であったが。



「あ、すみません」


「いえいえ」



 丁寧に頭を下げてそう告げた少女、ミナギに対し、カザミは丁寧にそう告げると駆けていくミナギの姿を見つめる。

 先ほどの例もそうであったが、今駆けていく動作にも隙はない。ほんの僅かなものであったが、日頃から礼儀や所作を身に着けているモノの動きのようにも思えた。



「まさかな……」



 そんなミナギの姿に、カザミは一瞬頭をよぎったある事実を振り払う。


 残念ながらそれは正鵠を射ていたのだが、そこまでの事実を告げられていないカザミにとっては受け入れたくない事実と言ってよいかも知れなかった。



「だが、それが事実だとして、わたしはどうすればいい?」



 とはいえ、それを否定する事もまた、ひどく無礼であるようにも思える。はじめこそ、かつての同窓という思いと一種の憐れみを含んだ女性であったのだが、今となって再会したミオにカザミははっきりと惹かれていた。


 そんな女性に子がある。


 だが、夫がいるわけではないという言質はあり、それならばミオが孤独ではないという事実に行きつくことになるのだ。


 なれば、それは喜ばしいことではないか。


 次々に隠れている子どもたちを見つけていくミナギの様子を見ながら、カザミはそう考えながら自分を納得させていた。


 そんなカザミの耳に、子どもたちのざわめきが届く。


 何事かと思い、視線を向けると、何やら境内から伸びる大木を子どもたちが見上げている。


 そして、その視線を追ったカザミもまた、その子あったモノに対して驚くしかなかった。



「な、この大木をあの小さな子が?? 式神は何をしているのだ?」



 境内を多いつくほどの大木である。当然とも言うべきだが、霊樹の一つであり、そこには魂が宿っている。

 そして、何某かの危機が迫る際には、霊樹に宿る式神が宮司や法術の類に優れるモノにそれを伝え、可能な限りその危機を回避するべく動くはずである。

 だが、少女が木に登ることを式神は見落とし、今なお少女は降りることも出来ず困惑している。


 それを見て、カザミは目を閉ざして、意識を大樹へと向ける。



(大樹に宿りし、式神よ。此度の事は如何なる仕儀か?)



 彼は神衛という皇国皇室に仕える人間である。それ故に、皇国を守護すべき神事に携わり、式神は霊魂の類との交流は当然にある。


 しかし、今回の式神の答えは意外としか言いようがなかった。



神衛かのえの者よ。我にも理解できぬ。何故、力弱きものがこの場にあるのか)


(式神よ。それは如何なる……?)


(我も察することがなかったのだ。少女がここにあるということを)



 そんな式神の声に、カザミは一瞬絶句するしかなかった。あろう事か、件の少女が大樹に上ることを、式神ですら認識していなかったのである。


 つまり、それが意味することは、一つでもあった。



(つまり、彼女はこの世の者ではないと? そう言うことであるのか?)


(否。彼女は歴とした人。だが)


(神意を得る者であると?)


(肯定。だが、確証はない)



「ふむ」



 式神の言に、口元に手を当てたカザミ。本来、式神がその存在を感知できない存在に、物の怪や霊魂の類がある。

 だが、現に子どもたちは少女の姿に気付き、なんとか助けようともしている。


 しかし、腑に落ちないことばかりであるのだ。



「むっ?」



 そんな時、再びの驚きの声がカザミの耳に届く。


 何事かと思い、視線を向けると、カザミはほんの一時、目の前の光景に目を奪われる。先ほどの少女、ミナギが木の上の少女を助けようと、大樹を上っているのだ。


 少女がいる場ははるか上空。


 万一の事があれば無事では済まない高さである。にもかかわらず、ミナギは恐れることなく木を上り、僅かな時間で少女の元に辿り着いてしまったのだ。


 そこまで来て、ようやくカザミは我に返り、大樹の下へと向かって駆け出す。


 ミナギの能力ならば、問題なく木から降りることは出来よう。だが、もう一人少女を連れている。


 如何に小さな身体とは言え、同じ少女であるミナギが彼女の安全を確保したまま降りてくることなど不可能。


 なれば、考えられる自体は一つである。そして、それは現実になった。


 ミナギの背にしがみつくようにしていた少女であったが、残念ながらまだまだ自身の体重を支えられるほどの力はない。


 案の定、腕の疲れと共にミナギの身体から手を放し、虚空へと身を投げ出してしまったのである。



 もっと早く動くべきであったと思いつつ、境内に駆け込んだカザミは、子どもたちや宮司たちが唖然とするほどの速度で二人が落下して来るであろう場に駆け込む。


 そんなカザミの目の前で、果敢にも虚空に投げ出された少女の下へと飛び掛かり、瞬時に自身の身体を下にして受け身を取ったミナギの姿が映りこむ。



(速いっ!? ――――っ!!)



 そんなミナギの動作に一瞬目を奪われたカザミであったが、ほどなく自身の下へと落下してきた少女達の姿を受け止めた。



「ふう……」



 フッと息を吐きつつ、自分の腕の中にて気を失う二人の少女へと目を向けるカザミ。降りられなくなったいた少女の小さな身体を守るように、身を丸くしているミナギ。


 その顔立ちは、やはり自身の良く知る女性に似ていた。



「ミナギっ!!」



 そんな時、耳に届く凛とした女性の声。


 声とともに境内に駆け込んできた女性は、カザミが良く知る彼女とは異なり、品のよい平服に身を包んでいた。



「ミオさん」


「カザミ……、あ、そうだったわね。それより、ありがとう」


「私は別に何も……それより、この子たちは」


「小さい子はユイちゃんで、近所に住む子よ。そして、その子は……」



 そして、カザミの姿を認めたミオは、普段のカザミが良く知る彼女であれば、到底見せるはずのない驚愕の表情を浮かべ、立ち止まる。


 そして、すぐに自分達が待ち合わせをしていたことを思いかえしたのか、ゆっくりと頷いている。


 そんなミオに対し、二人のことを訪ねるカザミ。木に登っていた少女に関しては、ユイという名を口にするも、もう一人の少女に対してはなんとも言い出しにくそうな様子である。



「あなたの娘さんかな?」


「……そうよ。私の娘、ミナギよ」



 そんなミオに対して、確信を持ってそう訪ねかけるカザミ。やはり、自分の予測は当たっていた。そんなことを考えていたカザミであったが、なぜかミナギのことを口にしたミオの表情は、今にも泣き出しそうなほどに曇ってもいた。



 はじめこそ、首を傾げるだけであったカザミであったが、いざ話を聞いてみて、カザミは二人の間にあった事と、いまだにミオが縛られ続ける事実の重さを改めて実感した。



 そして、彼は一つの決断を下すことになるのだった。

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