第十六話
遅くなってしまい、申し訳ありません。
ひんやりとした地下道を駆ける間、誰もが言葉を発することはなかった。
先ほどまで離宮を包んでいた剣戟の音や怒号はすでに遠き彼方に去り、周囲は先頭を駆けるミツルギが持つ松明のみに照らされた狭き空間。
大人一人が駆けるには十分な広さを持った通路を照らしているだけであった。
祭場から続くこの地下道。
すでに後方へと戻るための退路は塞がれ、脱出のためには前へと進む以外にはない。
お父様、カザミ・ツクシロがヒサヤ様と護衛の私達をこの地下道に導いた後、地下道に通ずる入口を破壊し、離宮側からの侵入を不可能にしたのだ。
追撃を避ける為であるのは当然であり、出口を敵に悟られていないことを確信しての行動であろう。
実際、先頭を駆けるミツルギ以外の者達は正確な順路を知らず、彼自身も他の通路がどこに通じているのかを知らないというのだ。
最悪、こちらに敵を引き込んで閉じ込めるという選択肢もあるのだろう。
「いったい、これからどうなるのだろう……」
地下道を駆けつつ、ヒサヤ様がそんなことを呟く。
たしかに、このような無防備な場を襲撃され、母君のサヤ様が凶弾に倒れ、さらには離宮そのものが正体不明の敵に攻撃されている。
加えて、アークドルフ総督をはじめとする各国の総督や関係者、それに神衛達も無差別な襲撃に晒され、多くが命を奪われた。
正確には、アークドルフ総督の殺害したのは自分であったのだが、お父様の言を借りれば、どのみちベラ・ルーシャをはじめとする各国が責任を問うと言う形でさらなる過酷な要求、最悪軍事行動をとってくることは想定済みであるという。
私に罪悪感を感じさせない様にしているのかも知れなかったが。
元々、水面下での対立は深刻化してきており、フィランシイルを除く四国とはいつ戦端が開かれてもおかしくない状況であったのだという。
しかし、国土を奪われ、実権すらも奪われている皇室に、各国の攻撃を防ぐ手だては無いはず。
その先を見越しているのは当然であろうが、状況が分からない私達には、今と同じように、暗がりに包まれた道を進むのと同様に、未来への道筋が見えない状況であったのだ。
「今は、キルキタへ脱出し、シイナ家の庇護を求める以外にありません。ケゴンが攻撃を受けているとは、彼らが全滅するはずはございません」
「信用できない者達であるとはいえ、ユーベルライヒの駐留軍はベラ・ルーシャをはじめとする三国駐留軍に比べれば、重んずると聞きます。首謀者が彼らではないとすれば、シイナ家ともども頼りに出来るかも知れません」
そんな私やヒサヤ様を諭すかのように、同行している神衛達では年少の二人、ヒムロ、トモエの両者が口を開く。
二人はお兄様、ハヤト・ツクシロの同窓で、私達とは知らぬ間柄ではない。
まだ若い分、年長の三名よりは状況を楽観視しているのであろう。とはいえ、心配を口にして不安を増やしても仕方がない状況だ。
ミロク、セイワの両名は、壮年の男女で、関わり合いは少ないが、両者ともに寡黙に駆けているだけではあったが、二人の言には同意している様子で、無言で頷いている。
正直なところ、シイナ家はともかくとして、ユーベルライヒがどこまで信用できるのかという思いはある。
だが、そんな懸念を察したのか、ヒムロが再び口を開く。
「ああ、ツクシロはそこまでの内情は知らんのだったな。簡単に言えば、ユーベルライヒも一枚岩ではないのだ」
「内部で抗争が?」
「流血を伴うようなものではないがな。あの国は、国民感情で国政が動く国だ。加えて、二大陣営が互いに覇を競っている。皇帝一派を加えれば三者か。今回で言えば、総督と駐留軍司令部は別派閥。加えて、ユーベルライヒ本国は皇帝一派と総督が属する勢力が優勢にある」
「つまり、駐留軍を見捨てる可能性もあると?」
「いや。彼らの無視した命令を連発する可能性があると言うことだ。同時に、彼らもまた大洋を隔てた先にいる以上、ある程度は勝手に動くこともできる。まあ、アークドルフ閣下のような人物が総司令であったら我々の命運も尽きていたのでしょうが」
駆けながらではあったが、ヒムロの言と自身が学んだ歴史考えればある程度の得心がいく。
陸間大戦の末期。
ユーベルライヒ、ベラ・ルーシャに本土上陸を許したスメラギはホクリョウ、クシュウ、バンドウ各地で壮烈な防衛線を展開。戦線は膠着状態にあった。
その間、スメラギはわずかな望みをかけて各国に和平を提案。大陸での戦闘で満身創痍にあった聖アルビオン、フィランスの両国は、海外のスメラギ領の割譲を条件に、それに応じる構えを見せ、スメラギの同盟国であった清華帝国との内戦が泥沼化していた清華人民共和国も、スメラギの大陸からの全面撤退を条件にそれを承諾。
しかし、国力でスメラギを圧倒するユーベルライヒとベラ・ルーシャの両国は以前としてそれに応じようとしてない状況であった。
もっとも、聖アルビオン、フィランス両国の支援抜きでは、満足に大陸からの渡航もままならないベラ・ルーシャは現行戦力での交戦が限界。
となれば、残るはユーベルライヒ一国をどう納得させるのかと言う状況にあった。
そして、各国の動きを察していたユーベルライヒ側も、和平が成立してしまった際の大義など考え、最後の決戦を持ってスメラギを完全征圧する目論見を持っていた。
元々は、パルティノンの後継を名乗る滅亡しかた国家群とベラ・ルーシャ、聖アルビオン、フィランスの戦いを支援するために参戦した背景があり、和平が成ってしまえば彼らが戦う理由はない。
そのために決着を急いだ結果があるのだが、セオリ地方とハルーシャ諸島を繋ぐオモワダ水道での最終決戦に際し、両軍合わせて20万を超える死者を出すという死闘が展開された。
これは、当時残存していたスメラギ飛空部隊。大陸と同様、飛竜や天馬に騎乗して戦う部隊の一人が、ユーベルライヒ総旗艦に特攻し、ユーベルライヒ側の指揮系統を破壊したことに起因しており、死者の大半はユーベルライヒ兵達の者であったのだ。
そこに、時をはかったかのように当代の皇帝が崩御。
広大なる大洋を隔てた先にある得体の知れぬ民族との、たった一回の戦闘で十万を超える数の棺桶を求められたユーベルライヒ国民は、一瞬にして戦争への昂揚を失し、スメラギもまた、国体の護持と国民の保護の二点を除いた全面降伏を受け入れる旨を表明。
おおよそ50年もの間、大陸を挟んで行われた長き大戦はあっけない形で終幕することになった。
その後の歴史は以前に語ったとおり、スメラギは領土を各国に奪われ、政治、軍事の実権を喪失した。
とはいえ、スメラギをはじめとする大洋の先に領土を得た結果は、大陸にて勢力を伸ばした同盟各国との対立でしかなかった。
ユーベルライヒ本国の民は、それを肌で感じることはないのであろうが、スメラギとの交戦にて失った命の数は、彼らから戦争に対する厭戦感情をいまだに残しているのだという。
それ故に、スメラギ駐留を志願するユーベルライヒ人の多くは、ベラ・ルーシャとの対決を覚悟した者、スメラギなど、かつての敵対国に対して親近感を抱く者が大半を占めるというのだ。
総督府に詰める者達が、経済奴隷圏としての認識を持っている点を比べれば、一線を画しているとも言えるのだという。
「だが、彼らはスメラギ人ではなく、ユーベルライヒ人だということも、忘れては成らぬ事だ」
「……はい」
そんなことを思い返した私には、なんとなくユーベルライヒに対する好感とも言える感情がわき上がってきていた。しかし、それをなんなく見破ったミロクが諭すような声をかけてくる。
スメラギに対し、好感を感じてはいても、彼らはあくまでもユーベルライヒ人であり、駐留軍に関してはそれ以上に軍人でもある。
私達神衛が、皇室のために命をかけるのと同様、彼らもまた軍人として祖国の命に服することが求められる。
そうなれば、如何に好感を抱いていても、刃を向けねばならないことになるのだ。
「だが、駐留軍の中核を成すのは、他でもないスメラギ人達だ。彼らならば……」
そんな私達の言に対し、ヒサヤ様が声に力をこめる。
たしかに、駐留軍はユーベルライヒ人を中心とした精鋭部隊がいるが、国内守備には統治地域のスメラギ人を徴兵して当てているとも言う。
そして、今回の行幸に際し、詰めかけてきたスメラギ人達の様子を考えれば。ヒサヤ様の言の通り、先行きは十分あると思うのだ。
「そうです。そのためには殿下、あなた様はなんとしても生き残らねば」
「セイワ殿。滅多なことを言われるな」
そんなヒサヤ様に対し、セイワが口元に笑みを浮かべてそう言う。寡黙で冷静な印象の強い女性であったが、力強くそう告げた目はサヤ様が向けるかのようにやさしいモノだった。
とはいえ、そのような言い方では聖上陛下をはじめとする皆様が倒れられることを前提にしているようにも受け取れる。
案の定、先頭を駆けるミツルギがセイワを一瞥して厳しい口調を向けていた。
それを受けて、セイワも「すまない」と素直に頭を垂れる。
誰もが抱くことではあっても、口にはしたくない。口にしないのではなく、したくないというのが、今の私達に共通する感情であった。
「はぁはぁはぁ……、ま、まあ、そんなことよりも、出口よ~」
そんな空気を察したのか、浮遊しながら私達の後に付いてきたいたミラが相変わらずのやんわりとした口調でそう告げる。法術に長ける彼女は、自分の足でかけるよりはマシと考えたのであろう。とはいえ、法術も肉体を消耗させるという点では大差ないのであるが。
月明かりの為か、出口は闇夜に灯った満月のようにも見える。
それを受け、ミツルギが松明を消すとミロクと視線を交わし合い、先行する彼に合わせて一人、また一人と続いていく。
「行こう」
四人が出口から外へと出ると、ミツルギの言に従って再び駆ける。
出口から飛び出すと、そこはケゴンの周囲を覆う原生林の中であり、周囲は静寂とわずかに聞こえる動植物の声に満ちあふれている。
それに意識を向けつつ、音もなく森の中へ足踏み入れると、ちょうど周囲に葉が生い茂った場所に全員が音もなく集結してくる。
(周囲の状況は?)
(人の気配は無い。だが、少々おかしな何かを感じはする)
(こっちも同様ですね。……何かある)
ミツルギの問いに、ミロクとヒムロが答える。
皆が皆、声に出すことなく意志を伝えあっている。思念の一種であるが、こう言った森には、式神達が集まっており、彼らは皇室の意志の元にあるとされている。それ故に、私達神衛もまた、彼らと意志ともにする事が可能であるのだ。
そして、セイワとトモエもミロクやヒムロの言に頷いており、私もまた彼らの言う得体の知れない何かを肌で感じていた。
人の気配とは異なる。動植物のそれとも違う。……つまりは、私達と同様のそれであると言う事だ。
(まいったな。こっちの装束は闇夜じゃ目立つぞ?)
(……それでも、行くしかない。ツクシロ)
(は、はいっ)
そんな時、向けられてくるミツルギの視線。鋭いそれであったが、彼が、彼らが何を言わんとしていることは分かる。
(私は、妃殿下より直々に命を賜りました。命に代えても、殿下とともにあります)
(ふふ。頼もしいわね)
(ちょっと、うらやましくもあるかな)
そして、ミツルギが口を開くより前に、私は静かに決意をこめてそう告げる。元々、サヤ様の願い、お母様の思いを無碍にするつもりはない。
なぜか、セイワとトモエの女性コンビが微笑ましい笑みを浮かべていたのだが。
(ふ、それでは……っっ!?!?)
(な、なにっ!?)
そして、ミツルギもまた口元に笑みを浮かべて何かを口にしかける。
しかし、彼が言を発するのを妨げるかのように、夜空が眩く青みがかった光によって覆われはじめる。
思わず立ち上がり、茂みの隙間よりその光を見つめる私達。
奇しくも、それは私達が脱出してきたケゴン離宮上層階より発せられているのであった。
「ま、まさか……。そ、そんなことってっ!?」
「殿下っ!?」
皆が皆、唖然としながらその美しい光景に目を奪われている、まさにその最中、ヒサヤ様が声を上げると元来た身との方へと駆けだしかける。
慌てて身体に飛びつき、その身を抑えつけるも、ヒサヤ様はなおも何かを口にしながら私を引きはがそうとしている。
「殿下っ、お許しを」
「むぐっ!?」
そんな私達に歩み寄り、ヒサヤ様の起こして口を塞ぐ神衛達。
この状況で声を上げることの愚かさは理解しているのであろうが、それでも気持ちが抑えられなかったのであろう。
(…………みんな、悪いけど私はここで席を外させてもらうわ)
(なに?)
そんな時、一歩離れてヒサヤ様の様子を見ていたミラが歩み出て口を開く。
突然の申し出に、皆が皆目を見開いているが、彼女は先ほどまでのどこか余裕を持った笑みを消し去り、それまで見せたことのない表情を浮かべている。
(殿下が取り乱したように、“アレ”はただ事じゃないわ。いや、あそこに留まっていると言う事がね)
(刻印……ですよね? たしかに、虚空に留まったままというのは)
虚空に浮かぶ青き光を見つめつつそう口にしたミラ教官の言に、私も視線を向けてそう応じる。
(アレは特殊な刻印だからね。ただ、私としてはそのままにして置くわけにはいかないのよ)
(大丈夫なのか?)
(私を誰だと思っているわけ? 安心して良いわ)
(だが、こちらとしても戦力を減らすというのは)
(それじゃあ、聞くけど。あの刻印が敵の手に落ちたら? スメラギはどうなると思う?)
(っ…………)
正直なところ、戦力の減少が痛いというのは私達に共通する認識だと思う。
指先に灯った炎で、周囲一帯を焼き尽くすだけの力をもった女性が抜けるのは、何を持っても避けたい。
だが、誰よりも刻印のことを理解しているであろう、女性が言及するのである。
そして、その言には、私達の無意識下で刻印が敵に奪われることに対する恐怖が込み上がっても来ているのだ。
(むっ!?)
「っ!? 時間は無いようね」
そんな時、再び眩い光を放った刻印が、それまでのケゴン離宮上空より飛びさっていく様が目に映る。
その先にあるモノ。だがそれは、奇しくも私達が目指すべきキルキタが位置する方向へと向かっていた。
「ミラ、いや、ミュウ……陛下。刻印のことを、よろしくお願いします」
「……はい。お任せください、殿下」
そんなヒサヤ様がに、それまでの名とは異なる名で呼びかけられたミラ教官、いやミュウと呼ばれた彼女は、そう言うと眩い光に包まれてその場から姿を消す。
そして、飛び去った刻印が何を意味するのか、私達が理解することもまたしばらくは適わないと言う事も。
(……殿下、参りましょう)
(わかった。すまなかったな)
そして、私達もまた、与えられた責務を果たす以外にはない。ヒサヤ様とミツルギの言を受け、私達は音もなく深き森林の中を駆けだし始めた。




