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第十四話

 誰かに呼ばれた気がした。



 その声に導かれるように目を見開くと、胸元が焼かれるような苦しさに襲われはじめる。そうなってようやく、自分が負傷していることを思い出していた。



「母上っ!!」


「殿下、お止めくださいっ!!」


「ミスズ、いいわ」


「殿下……」


「やめて。こんなときぐらい、サヤと呼んで」




 痛みを感じる中、耳に届くヒサヤの声と姿。とはいえ、飛び掛かられるのはさすがに厳しい。それまで誰も止めなかったところを見ると、祭場から駆けつけて来たところなのであろう。


 ミスズが必死に止めてくれたが、勢いが付いていなければ抱きつくぐらいはかまわない。



「それじゃあ、サヤ。起こしますよ」


「ありがとう」



 そして、私の願いに応えるように、アイナがゆっくりを私を抱き起こしてくれる。


 普段はお嬢様然としている華奢な女なのに、こうしてみるとしっかりと鍛えられた身体をしているのがよく分かる。




「ふふ」


「なんですか?」


「いえ。あなたは昔からそうだったわよね?」


「昔話をしている場合ではありませんよ?」


「分かっているわ。それに、医者も来たようだし」




 なんとなく、学生時代のアイナやミスズのことを思い返して、そんな言葉が口をつく。だが、これではまるで自分が死にゆくようではないか。

 そんなことを考えていると、慌てて駆け込んでくる少女と壮年の男の姿。やはり、行動が早い。


 ヒサヤも感情で突っ走るところは、彼女を見習わないと。




「陛下」


「うむ。頼みますよ、……っ!?」



 典医は、傍らにて無言で私を見つめていた皇后、義母に対して一礼すると、私の傍らへと腰を下ろすと、それまでのくたびれた男性の姿から、鋭さを持った医師へと姿を変える。

 衣服を脱ごうとすると、全身に苦痛が走るが、そんなことを気にしている場合ではない。正直なところ、すごく寒くなってきているのだ。



「母上」


「情け無い声を出すんじゃない。私は大丈夫よ?」


「殿下、しばらくの間は……」


「そうもいかないわよ。わがままでごめんなさいね」



 そんな私を、声を震わせながら見つめてくるヒサヤ。


 泣いていないだけ大人になったと言う事だろうけど、贅沢を言うならば毅然とした態度を取っていて欲しかった。というのは私のわがままだろう。

 母親はいつまでも息子には甘えられたいものだし、いつまでも手放したくないものだ。


 それでも、今日を最後に自分の元からは離れて行ってしまうのだけれど。それにしても、早く来てはもらえないのだろうか? いい加減疲れてきてしまった。



「ミナギさん」


「は、はい?」



 そう思うと、ヒサヤの背後で涙目になりながら震えている少女に対して呼びかける。


 普段は気丈で頼もしい子だったが、心根の優しさは隠しきれないのだろう。私を見て泣いてくれるなんて、嬉しくもあるけど、申し訳ないと言う思いの方が強い。

 私、いや、私達の勝手で、この子にはどれほどまでつらい思いをさせたのか。そして、今もまた、この子に重いものを背負わせようとしている私達を、この子は許してくれるのであろうか?


 そんな勝手な思いを抱いていると、ゆっくりと歩み寄ってくる足音が私の耳に届いていくる。

 途端に、駆けつけてきた神衛達が得物に手をかける。それが任務であったが、今回ばかりは勘弁してやって欲しい。



「良い、殿下の命である。貴公等は、以降も敵襲に備えよ」



 そして、そんな私の思いと組んだのか、ミスズが立ち上がり、凛とした声で抜刀している神衛達を制す。

 事情を知らぬ神衛達からすれば、今姿を現した女性は不倶戴天の敵であろう。

 如何に、彼女の娘が後輩、部下などの立場にあったとしても、過去の事実と今起こりうる現実を考えれば、警戒するのは当然であるのだ。




「遅かったじゃない。おかげで、こんな無様な姿を見せることになってしまったわ」


「申し訳ありませぬ。殿下」


「あら? 今日は、“サヤちゃん”とは呼んでくれないの?」


「戯れ言を。お身体は?」


「見ての通りよ。爺のおかげで、元気になれそう」




 そして、目の前に現れた女性。同じ女であっても、引かれてしまうほどの美しさとすべてを飲みこむかのような妖艶さ、加えてすべてを睥睨するかのような鋭い目元。


 相当な苦労を重ねたと聞いているけれど、その光の強さだけはまったく失われていなかった。


 今となってみれば、あの人はどうしてこの人ではなく私を選んでくれたのだろうか? それが、彼女を苦しめ続ける結果になったというのに。




「いきなり、神妙な顔にならないでください。殿下、お目見えが遅くなり、誠に申し訳ありませんでした」



 そう言って、私に対して頭を下げてくる。そんな彼女の身に起こった事実は、私には伏せられており、彼女の苦しみのすべてを理解することは出来ていない。


 だが、それによって救われた事は事実であったが、今もなお、彼女に対して後ろめたさを感じることも事実だった。


 とはいえ、畏まっていても仕方がないのは事実であろう。




「悪かったわね。それに、私が一方的に呼び出したんだから気にしないで。あと、口調をどうにかして」


「……皇后陛下の御前でありますので」


「かまいませんよ。友人同士の再会でありましょう? それに、わざわざ口にした以上、私は許可せざるを得ないではありませんか」


「も、申し訳ありません」


「ふふふ、白桜の女帝も、本物の女帝を前にしてはたじたじね」


「殿下」


「サヤ」


「冗談ですよ。……ふう、さすがね爺」


「はっ……」




 さすがに、道化すぎたようで、義母ははと彼女に揃って睨み付けられる。

 二人は睨んでいるつもりはないのだろうと思うが、それでもその身に刻まれた風格や気品の鋭さは、後退人なった今でも私には敵わぬものであった。

 ちょうど、応急処置も済んだようで、焼けるような痛みは大分やわらいでいる。ただ、身体を襲う寒さは消えてはいない。となると、これが意味するところは一つだった。



「爺、つらいこととは思うけど、正直に答えて。私は、あとどのぐらい生きられる?」


「え?」




 そう思い、傍らにて表情を引き締めている典医に向き直る。


 そんな私の言に、ヒサヤとミナギさんが声を揃えて、目を見開き、周囲の神衛達も顔にこそ出さないが、一瞬だけ視線をこちらに向けてきていた。



「……安静にしておられれば、回復いたしまする」


「無理ね。私には、陛下をお守りする義務がある。聞き方を変えるわ。あと、どれだけ戦える?」




 そんな典医の声に、周囲の、今度は彼女、ミオやミスズすらも表情を綻ばせた。だが、私の真意はそんなところにはない。


 私は、皇太子妃というあまりに過ぎたる栄誉を預かった身。その責務を放り出すわけには行かないのだ。



「爺を苛めないでいただきたいのですが、すべては殿下次第にございます。……ですが、全力で動くことが可能であるのは……、およそ一刻」



 そんな私の問いに、典医は表情を歪ませながらそう答えると、一瞬瞑目し、改めて覚悟を決めて、私に対してそう告げてきた。

 つまり、この場に留まる以上、私の命はあと一刻で尽きると言う事であるのだ。



「そ、そんな……」


「ヒサヤ様っ」


「殿下」




 覚悟はしていた。これは、自身の油断が招いた結果なのだ。


 しかし、ヒサヤにとってはつらすぎる現実であったのだろう。


 それまで、気丈に振る舞っていた、あの誘拐事件以来姿を隠していた少年としての感情が表に噴出し、表情を青ざめさせながら、膝から崩れ落ちる。

 それを、傍らにいたミナギさんが必死に支えていた。

 その様子に、私は安堵とともに、ヒサヤが自分の元から旅立っていく。そんな現実に襲われ、どことなく全身から力が抜けていくような思いにかられていた。



「そう……。それじゃあ、ヒサヤ。ここで、お別れね」



 そうして、ヒサヤをはじめとする周囲の様子を一瞥した私は、ゆっくりと瞑目し、そう口を開く。

 それに対し、義母ははを除いて全ての者達が目を見開き、ヒサヤは涙を浮かべていた目に絶望の色をたたえはじめる。



「そ、そんな……。母さん、どうしてっ!?」


「状況が分からないけど、高家の者達が誰一人やってこない以上、単純な状況ではない。であれば、皇室の存続のため、あなただけでも脱出しなければならない。ここまで言わないと分からないのかしら?」


「殿下」


「黙って。良いわね? ヒサヤ」


「…………い、嫌だっ。母さん、そ、そんな身体で、そ、それに、一刻って」


「わがままを言わないで。あなたは誰? スメラギ皇国皇孫ヒサヤの皇子みこ。それがあなたよ。なれば、皇子としての責務を果たしなさい」


「っ!?」




 思わず口調が鋭くなる。おそらく、表情もヒサヤに対して向けた事の無いほど鋭いものになっているだろう。


 そうしていなければ、溢れそうな涙をこらえることが出来ないのだ。最後まで、私は皇太子妃ではなく、一人の母であり女でしかない。


 だが、それでも自身が置かれた立場を放棄することなど出来なかった。



「もう、行きなさい。ミオ、ミナギさんをしばらく借りるわ……。あなた達には、いつも迷惑ばかりね」


「そんなことはない。……ミナギ」


「はい。殿下、ヒサヤ様は必ずや、お守りして見せます」


「頼んだわよ」



 そして、しばらくの間無言で涙を流していたヒサヤは、やがて涙を拭って表情を引き締める。

 それを見て取った私は、こぼれそうになる涙をこらえつつ、顔を背けると、素っ気なくそう言い放つ。


 そして、視線の先にあったミオに対してそう告げると、彼女もまた当然とばかりに頷く。

 彼女の生き写しの少女もまた、力強くそれに答えてくれた。母子ともに、なぜ私に対してここまでしてくれるのか? そんな疑問を何度抱いたのかすら分からない。


 二人の不幸は、そして、本来得るべき幸せを奪ったのは私だというのに……。



「ミオ、ミナギさん」


「私も一緒に行きますよ? 正直、これ以上子どもを悲しませたくないのよね~」




 思わずそう問い掛けかけるも、自分の中にあった逡巡が声を出させない。


 私の声を遮ったのは、口元に不敵な笑みを浮かべている女性。今は、“ミラ”と名乗っていたが、彼女もまた数奇な運命に翻弄された女性であった。


 だが、彼女の申し出は、これ以上にないほどに心強いものであった。



「ミツルギ、あなたも行きなさい。それから、ミロク、セイワ、ヒムロ、トモエの四名も同行。殿下の御身をお守りせよ」


「御意っ!!」




 ミラの申し出に続き、ミスズが鋭くその場に詰める神衛達を選び出し、その護衛を命じて行く。


 神衛達の最優先任務は陛下の守護。だが、五閤家、七征家の当主には、緊急事態にのみ神衛を動かす権限が与えられている。もちろん、部隊単位とまでは不可能であったが。


 それでも、駆けつけてきた者達の中では最精鋭と呼べる者達を選んでいる。



 彼らの穴は、ミスズ自身が埋める覚悟を持ってのことであろう。それだけの力が、彼女にはある。



「母上。……私は行きます」



 そして、周囲を神衛達に取り囲まれたヒサヤが、私に対して向き直ると、表情を引き締めながらそう告げてくる。


 それは、先ほどまでのような少年の姿ではなく、一介の皇族の姿。わずかな甘えを否定され、ヒサヤの中にあった覚悟が表に出てきたのであろう。

 つまり、自分でその覚悟を生みだした。本来であれば、私が導かねば為らなかったというのに。

 どこまでも、私は駄目な母親であった。




「ヒサヤ」


「はい…………っ!?」




 そう思うと、私は軋む身体に鞭を打って立ち上がり、その成長期を迎えはじめ等ヒサヤの身体をしっかりと抱きとめる。


 これが今生の別れになる。それだけは、分かっていた。




 駆け去っていく背中を見送ると、途端に全身が寒気と疲労感に襲われる。

 思わずよろけるが、息子を突き放した私にはもう、斃れることすらも許されない。



「サヤ……。どうして、何も告げなかったの?」


「お義母様」


「あなたは、ヒサヤから逃げ、そしてミナギさんからも逃げるおつもりなのですか?」




 鋭い声が私の胸に突き刺さる。たしかに、私達のみが知る真実を、ヒサヤに、そして何よりも、それによって傷つき続けたミナギさんに告げることなく、彼らを立ち去らせてしまった。


 そうなって、改めて自分の愚かさと愚劣さを自覚させられる。


 息子を突き放しておきながら、その温もりを追い求め、肝心の目的を忘却してしまったのだ。


 あまりの愚かさに、何も口にすることは出来なかった。





「陛下。その儀は、我らともども、墓場で持っていく覚悟を決めておりまする。我が娘に対する温情、真に過ぎたるものと思いまするが、此度の仕儀は、ご容赦くださりますよう、お願い申し上げます」


「ミオ?」


「……それで、それであなた達は良いのですか?」


「例え、真実が語られたところで、私達の身に流れる血を違えることは出来ませぬ。大逆という事実を背負った血を」


「…………ならば、それで良い。陛下が戻られるまでおよそ六刻……、耐えられますね?」




 だが、硬直する私に対し、一瞬視線を向けたミオが、義母ははに対して、淀みなくそう答える。


 おそらく、彼女の中ではすでに決めていたことなのであろう。その口調には何の迷いもない。だが、それではミオが取り戻すはずであった幸せはどうなるというのだろう?


 ミナギさんは? ハヤトさんは? なにより、カザミさんの思いはどうなるというのであろうか? そして、彼女のお腹に宿った新たな命は?

 しかし、それを彼女に問い掛けようとした刹那。




 私の視界は深い闇によって染められていく。




 いったい、何が起こったのか? 今の私には理解できなかった。ただ、ただ何も感じず、すべてが消えていくような、そんな気持ちに心が冒されていく。




「サヤ? サヤっ!?」



 それに気付いた、アイナの声が耳に届く。しかし、暗がりに落ちつつある私の意識は、そんな声すらも聞こえなくなってきていた。






『さあ、自らの責務を果たせ。三百番トリースタ




 やがて、闇の中に灯りはじめる赤き光。その中に姿を見せる少年が、告げる一つの言葉。その意味を察した私は、心の奥底で叫び声を上げていた。

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