第十三話
少々短めです。
激しい振動に思わずよろけたのは、階段を駆け上がっている最中であった。
なんとか、姿勢を正し、倒れかけた典医殿を助け起こすと、得体の知れぬ恐ろしさを感じ始める。
まるで、何かに見られているかのような。そんな気配が、今の振動を契機に周囲を包みこんでいるような気がしたのだ。
「君、どうかしたのかね?」
「あ、何でもありません。それより、典医殿お急ぎを」
「やれやれ、年寄りに無理を言うモノではありませんぞ? とはいえ」
「ええ。今回ばかりは無理をしてしただきます。妃殿下のお命が掛かっておりますが故」
「……そうですな。妃殿下だけで済めばよいのですが。おっと、失言でしたのお」
「いえ。まことに、その通りにございます。急ぎましょう」
そう言って、互いに表情を引き締める。
年寄りと言えど、他の人種で言うところの壮年男性にしか見えないのであったが、この典医も先の大戦を経験した熟練の医師であり、すでに老境に差し掛かっている。
シイナ閣下をはじめ、スメラギにはこのような若作りの老人が多くいるのであるが、その理由はここで語ることではない。
経験豊富な熟達者が、全盛期と変わらぬ力を持って私達を支え、導いてくれる。これ以上に強みが存在するのかと、疑問に思う人間に問い掛けたいぐらいである。
もっとも、このようなことを考えるだけでも、自身の中に渦巻く不安の大きさを実感させられる。
軽口を叩いた典医の言に、笑うこともせずに頷くしかなかったことがそれを証明していた。
(お父様、お兄様、ハルカ……皆さん、どうか、ご無事で)
そして、階段を駆け上がりながら、私は心のうちでそう願うしかなかった。
◇◆◇
閃光がもたらした破壊は、さらなる流血を祭場に呼び込もうとしていた。
爆炎の止まぬその場から飛び出してきた無数の黒い影。それが、祭場にて状況を見守っていた者達へと襲いかかり、たちまち祭場は地に染まっていったのだ。
「……ぐ、巫女様」
「閣下。動いてはなりませぬっ!!」
「私は大丈夫だ。……巫女様」
そんな状況の中、焼け付くような胸の痛みと息苦しさに襲われる全身に鞭を打ちながら、カザミは目の前で倒れ伏す女性の元へと歩み寄る。
側近の女性神衛が声を上げてくるが、今は彼女の身を案じる方が先であるのだった。
スメラギの巫女。
神皇、皇太子に次ぐ、スメラギの祭祀を司る要人であり、神聖とされる神皇に対して、唯一とも言うべき対等の地位にある人物。
神皇の即神の詔に際し、先代の神皇(太皇という)を除き、唯一戴冠を行える人物。それが、スメラギの巫女であるのだ。
その人物が、今重症を負い地に伏せている。このようなことは、あってはならぬ事態であるのだ。
そんな巫女が、元々の白き肌を青白くさせながら、ゆっくりとカザミへと顔を向ける。
傍らに控える神衛は、すでに手の施しようがないことをカザミたちに告げるように、力無く首を横に振るい、目元から涙をこぼす。
神衛にも、様々な役を持つ者がおり、彼女は典医の弟子の一人でもあった。
自身の力及ばぬ結果を悔いるしかないのであろう。
「ツクシロ。私の責務も、ようやく終わるようですね」
カザミに対して顔を向けた巫女は、そう口を開くと力無く笑う。
巫女の責務。
神皇に成り代わって、スメラギの平穏を願い、その身を捧げ続けた女性。当然、神皇に次ぐ神聖を保持するための秘術は多く存在し、彼女は人を遙かに超越した時間を生き続けている。
彼女の就任は、前大戦の開戦前夜。
皇国を襲った内乱である“ツルギの乱”と呼ばれた反乱劇にまで遡る。
それから百余年の長きに渡り、彼女は皇国の行く末を見続けてきたのだ。
その間、大戦を始めとする数多くの危機局に際しても、彼女はそれを乗り越え、皇室とともに民の拠り所としてあり続けた。
そんな巫女が斃れる。
これは、一つの時代の終わりが迫っていることを、カザミをはじめとする者達は無意識のうちに感じざるを得なかったのだ。
そんな感傷を抱くほどに、倒れ伏す巫女に生気を感じることは出来ない。
「ツクシロ、これに」
「はっ」
そんな感情を抱くカザミに対し、静かに手をかざす巫女。側に寄ったカザミは、再び身体を襲う激痛に顔をゆがめる。
しかし、彼の傷痕に触れた巫女は、ゆっくりと目を閉ざすと、そこから白き光が周囲に漏れはじめる。
途端に、カザミの身体から激痛や熱さは引いていった。
「最後、です……。これで、私は、ただの……」
「巫女様」
「私にとって……、陛下をはじめと、する、あなた達は、子どものような、ものでありました。あなたは生き、ミオの事を、大事に、してあげてください」
「っ!? ははっ」
「頼みましたよ。……これで」
息も絶え絶えにそう告げた巫女、しかし、そこまで言いかけると、彼女はもういい。とでも言うかのように目を閉ざす。
彼女は、カザミとミオの関係を知っていた。スメラギのために行き、未来を垣間見ることもあるとされる巫女。
そして、カザミ等を子どものような存在であったと告げた彼女にとっては、すれ違い続けた男女が結ばれたという事実は、何事にも代え難い喜びであったのかも知れない。
だが、彼女はもう喜びを感じる術をもたない。
手を取った神衛が、巫女の身体に突っ伏すかのようにその場に泣き崩れると、カザミたちは無言のままに一つの事実を悟った。
その刹那、彼女の額に柔らかな虹色の光が灯りはじめると、やがて激しく瞬いたそれは、暗がりの中に消えて行く。
「逝かれたか……、次なるは、いったい如何なる者が……」
その様子に、件の事態を察したのか、全身を赤く染めたサゲツ・シイナがカザミや巫女の傍らに立ち、一瞬瞑目する。
途端に躍りかかってくる複数の影を、一瞥することなく両断すると、周囲に血飛沫が舞い上がったが、それもまた巫女に対する餞の如く、赤く咲いた大輪の花を思わせる。
次なる。とは、次代の巫女なる者の存在は、彼らには知るよしもないことであるからだった。
巫女を選ぶのは、暗き宵の闇の中へと去っていった光。それが行きつき先は、次代の巫女を除き、何人おも知るよしのないことであるのだ。
「如何なる者であれ、重きを背負い、それに耐えうる者が選ばれるでしょう。かの“天の巫女”のごとき、まがい物には宿りませぬ」
「であるな。さて、逆賊どもに、どのような報いを与えてやるべきか」
「“死”すら生ぬるいでしょう」
巫女の身の降りかからぬよう、それを浴びつつそんな会話を交わす両者。その視線の先には、黒き影達と同時に、襲撃に動揺する数人の男達の姿があった。
「戦端を開くか?」
「生きるにしろ、死ぬにしろ、彼の国は懲罰行動と称して動き始めるでしょう。であれば、彼の者達には消えていてもらう方が良い」
「で、あるな」
静かにそう告げあう両者。
そして、互いに得物を手にした両者は、祭場内にて神衛や高家の者達と激しく干戈を交える、影達の元へと駆ける。
「っ!?」
全身を黒き装束で包み、顔に惣面のごとき仮面を付けた影達。頭部はなぜか晒したままであり、手入れ長髪から剃髪した髪、など統一感のない髪型が戦いの最中に揺れている。
それだけで、彼らが統率された軍隊のそれとは異なる事を証明している。
だが、それで手加減をするという理由にはならない。
目があった瞬間に剣を振るって首を飛ばすと、返す刀で斬り込んできた影を両断する。
神衛達と互角に渡り合えるだけの手練れであったが、それではそれだけである。数もこの場に居る者達よりは多かったが、騒ぎを聞いて駆けつけた者達が次々に影達に躍りかかっているのだ。
「巫女様は身罷られたっ!! それも、大逆者達の凶弾によって。帝国の守護者たる神衛の同志達よ、悲しみを怒りに代えて逆賊を屠れっ!!」
そんな神衛達の姿に、カザミは声を張り上げる。一瞬、沈黙した神衛達であったが、それだけで終わるような柔な精神の者がこの場に存在することは許されない。
すぐに声を発して影達へと躍りかかっていく。
巫女に対する弔い。
それは、責務を果たせなかった我らが神衛の責務であり、大罪に対する償いであるのだ。
「閣下」
「チバナか。状況は?」
「正門前は乱戦が続いている模様です。ツクシロ、ノベサワの両名の指揮によって、後退はしておりますが」
「うむ。こうなって致し方なかろう、貴公は祭壇に続く広間の守備に尽力せよ」
「はっ。ですが、閣下。お耳にお入れしたいことが」
「なんだ?」
そんな時、カザミの元に駆け寄ってくる一人の神衛。
今回ばかりは、その家格を表す色の外装を身に着けているが、カザミの中では信頼に値する部下の一人であり、祭場に通じる広間の守備をはじめ、全体の指揮を執らせている。神衛の、そして皇国の次代を担う男であるのだ。
そんな男が、悔やむような表情でそう告げてくる。そして、彼の口から告げられた事実は、カザミにとっては、とてもではないが信じることのできぬであった。
「馬鹿なっ!? 何故に」
「しかし、事実にございます。……いえ、彼らとて、本心というわけではないのかも知れませぬ。彼の国が、数多の民を意のままに操り、パルティノンを滅ぼしたという事実は存在しております」
「……考えたくはないな。だが、例え“民”であろうと、この場で我らに刃を向けることは、陛下に対する反逆であることに変わりはない。断固、討伐いたせっ!!」
「はっ!!」
そんなチバナより告げられた事実。
武器を取ってこのケゴン離宮に襲いかかってきたのは、他でもないスメラギの民。坂東の地に生きる民であるというのだ。
いったい何が起こっているのか? 今の彼らには分からぬ事でもある。
だが、カザミの言の通り、降りかかる火の粉は払わねばならない。そのことだけは、この場に居る全ての者達が理解していた。
「なんとも、難しいことですなあ」
「総督」
そんな時、カザミとサゲツの元へと歩み寄り、声をかけてきたのはベラ・ルーシャ総督、アークドルフ。その表情は、普段の居丈高な男のものではなく、危機局に際して怒りに震えているようにも見える。
とはいえ、この場に詰める神衛や高家の者達に、そんな見た目に騙されてやるような義理はない。
不意に、カザミとサゲツがそれぞれに武器を握りしめる手に力をこめた。
その後に起こった事実を、居合わせた神衛達は、ただただ息を飲んで見つめるしかなかった。
次回は今日の8時に予約投稿済みですので、お楽しみに。




