第八話
嬉しいか嬉しくないかと言われれば、もちろん嬉しかった。
三年前のあの日以来、お母様に会うことが出来たのである。あの時は、ゆっくり会話を交わすこともできなかったが、今はそうではない。
「ふう。こういう所で酒を飲むのもたまには良いな」
「酒自体も久しぶりですしね」
「ハヤトはいける口か?」
「まだまだ、嗜めません」
お父様とお兄様もリヒト様を雑談しながら晩酌をはじめているし、私もヒサヤ様とフミナ様と一緒に、マヤさんオススメの小説や描本と呼ばれる、一種の漫画に近いモノを読みながら会話楽しめている。
何よりも、サヤ様とお母様が並んで料理をしている姿が、目に映る。
今でも、これは夢ではないのかと思えてしまうような光景でもあったが、先ほどお二人に頬をつねってもらい、現実であることを確認している。
まあ、まったくと言ってよいほど痛くはなかったのだが……、鍛えすぎることも考え物かも知れない。
「うーん、この舞っているような戦い方って、神衛の演武みたいだよな」
お母様たちの様子を見つつ、私はヒサヤ様の差し出してきた描本に目を向ける。
たしかに、敵集団の中に飛び込んで、跳躍や横移動を繰り返しながら敵を薙ぎ倒していく様は、私達が教え込まれている動作に似ているようにも思える。
この辺りは創作だから簡単にやっているように描かれているが、私達の場合はそれ以前に身体能力の有無が大きく左右しているし、数千人を文字通り相手にすることなど不可能である。
もっとも、昼間のサヤ様との立合では留まることなく動き続けていたのだが。
「しかし、神衛達の動きはもっと精密だし、これぐらいなら私でもできる気がするな」
「描本を描く人は実際に動いたりはできないからね。神衛達の動きを見たわけでもないし、素人が思い描く動きを実践できていると言うことなんじゃない?」
「そうですね。さすがに、本の中の人物たちのように、疲れを感じずに動き続けているというのは、不可能ですけど」
「そうなのですか? お母さんとツクシロさんは、あのままずっと動き続けているんじゃないかと思いましたけど?」
「フミナ様もご覧になっていたのですか」
「うん。お父さんたちと一緒に……。おじいちゃんたちも感心していましたよ?」
「えっ? へ、陛下もご覧になられていたのですか?」
「おう、私が誘ってな~。サヤの立ち回りを見せたかったしな~」
「殿下、飲み過ぎですぞ。あまり強くないんですから」
「固いことを言うなよ~。昔はお前の方が、好き勝手やっていたじゃないか~」
いつの間にか、私達が見ていた描本に父親達の興味が沸いたらしく、リヒト様とお父様が上機嫌になってそれを覗きこんできていた。
リヒト様は余程気分がよいらしく、大分お酒が回っているようで、呂律が回らなくなり始めているが。
国民の皆様、次代の神皇陛下のこのようなお姿は間違っても目にされませんよう、よろしくお願いいたします。
「はいはい。羽目を外しすぎるなって、私達に言っていた人が羽目を外してどうするのよ? 準備できたわよ」
「うおっ!? す、すまん……」
そんなリヒト様にたいし、運んで来た大皿でコツンと一撃を加えてサヤ様は、炒め物の載せられた皿を座卓の中央に置く。
「味付けが好みに合うかは分かりませんが。どうぞ」
「おう。サヤの手料理も久しぶりだが、ミオの料理というのもはじめてだから楽しみだぞ」
「味付けをしただけですよ……」
お母様も野菜や汁物の入った器をテキパキと並べて行くと、よい匂いが鼻腔をくすぐってくる。
一撃をもらった場所を撫でながら口を開いたリヒト様の言うとおり、数年ぶりになるお母様の手料理は楽しみでしかない。
「あ、お茶をお入れしたしますね」
そして、いつの間にか一緒にいたお兄様がごはん用のお椀などを運んで来たので、私も慌てて席を立ち、急須や釜の所へと行き、お茶間の手に取る。
「ミナギちゃん、袋は一つだけよ?」
「一国の皇太子や重鎮がいるのに、何を言っているのよ?」
「うちは質素倹約を旨としているの」
即座に、マヤさんの声が耳に届くと、サヤ様のあきれるようなツッコミが聞こえるが、入れ方を工夫すれば問題はないだろう。
最悪、私と……運が悪い人が一人か二人出涸らしを飲めばいい。
◇◆◇
「ふう、美味しかった」
「お気に召したようで良かったです」
「ああ。まさか、ミオがこんなに料理が上手だとは思っていなかったぞ?」
「あの頃は、はっきり言って下手でしたよ? 何度も、サヤにあきれられましたので」
「そうね。慣れていないのに、妙な味付けにこだわったりして変なモノを作ったりしていたモノね」
食事を終えると、リヒト様が満足そうに頷きながらそう口を開くと、お母様はどこか照れくさそうな表情を浮かべている。
誉められたことが嬉しかったのもあるのだろうが、どことなく二人と話せていることへの嬉しさが見え隠れしている。
何より、サヤ様のことを、親しげに“サヤ”と呼んでいることは、私の記憶にある小説の中でも、三年前の一時の邂逅でも見られなかったことだった。
ただ、三人とも心の底から笑っていない。
「白の会の有能総代とは思えないような欠点だったからな。それで、いったいどういうおつもりなのですか?」
「どういうって? 単に、私のわがままよ?」
「お母さん、ごまかさないでくれ。私に関係することなんだろう? だから、ツクシロや……その、ミオさんもここにいるんだろう?」
お父様もまた、その会話に混ざるも、すぐに表情を引き締めてサヤ様とリヒト様に対して視線を向ける。
はじめはとぼけてるような調子で答えたサヤ様だったが、それに対して鋭く口を開いたのは、以外なことにヒサヤ様だった。
たしかに、お父様だけでなくお母様まで呼び寄せたと言うことは、ヒサヤ様の式典と過去のことに関する以外は無いだろう。
きっかけとしてはちょうどよいと考えたのかも知れなかった。
「うーん、ヒサヤも感づいていたのね」
「うん……。少し、自分でも調べたんだよ。ミナギがどうして私に対して、ここまで尽くしてくれるのか、ミナギの話をすると母さんたちがなぜか悲しい顔をする時があったりもして。だから、最初にミオさんを見た時は、ちょっと」
そこまで言いかけて、ヒサヤ様はお母様に対して頭を垂れる。
たしかに、世間的に知られているお母様の所業を考えれば、ヒサヤ様が敵意を抱いても不思議ではない。しかし、以前から調べていたのであれば、私に対しては思うところはなかったのであろうか?
「そう……ですね。私の罪を考えれば、このような場にあることは」
「ミオ。それはもう止めておけ」
「そうですよ。……何より、あなたの思いがミナギを縛っていることも、考えてあげてください」
そんなヒサヤ様の言に、お母様は視線を落としつつ口を開きかけるも、リヒト様とお父様によってそれは抑えられる。
私を縛っているというのは、分かりもするが、私の境遇をお母様のせいにするつもりはない。
実際、初対面の相手からはなんとも言い難い視線を浴びることはあったが、不当な扱いを受けたことなど無いのだ。
だから、お母様が私を縛っていることなどは無いと思う。
「そう。何より、ミオ。あなたに罪なんて無いじゃない」
「ございますよ。あなたの身体に刻まれた、生涯消えることのない傷と証が」
「これのこと? こんなモノは、大したことじゃないわ。そもそも、フミナを産んだ時の傷の方が大きいし」
「え?」
「ああ、フミナ大丈夫よ?」
そんな私の思いなどは脇に置かれ、話は続く。
お母様の言う証というのは、件の殺傷沙汰のことであろう。
実際、衣服をめくって、白いきれいな肌を晒したサヤ様の腹部には、小さな刺し傷の後と帝王切開の後と思われる傷が、刻印によって隠されるように刻まれている。
それを見れば、実際にお母様の凶行はあったのであろう。しかし、今のサヤ様とリヒト様の態度は、加害者に対する被害者のそれではない。
フミナ様にとっては、凶行等々より帝王切開という事実の方が衝撃であったようだが。
「話を戻すわね。苦労したのよ? あなたを見つけるのは。あの後、本当に姿を消してしまったんだからね。カザミ君はあなたを見つけたことを中々話してくれなかったし……」
「私は神衛によって捕らえられ、一族が次々に捕縛されていくところを見守っていましたので。ただ、何の因果であったのか、私は助命され放逐されはしましたが」
「当然だ。反乱を防いだ功労者を……」
「私達は、ずっと謝りたかったのに……」
サヤ様の言に、お母様は目を閉ざして答えると、リヒト様とサヤ様は、先ほどまでの捕ガラナか様子を一変、苦悩する様を浮かべながら口を開く。
謝りたかった。
そう言ったお二人の言に、私とヒサヤ様は思わず目を合わせる。いったいどういう事なのだろうか?
私達が共通して抱いたのはそんな思いであった。
「よ、よろしいですか?」
「ミナギ、後にしなさい」
「いや、かまわん。何かな?」
「は、はい。御言葉ではありますが、話が見えないのですが……」
「そう……。それじゃあ、ミナギさん。あなたは、お母さん、ミオさんが私にしたことを、どういう形で知っている?」
「それは……」
「ミナギ。遠慮はしなくて良いわ」
溜まらず口を開いた私を、お父様は静かに諭してきたが、リヒト様やサヤ様は、続けるように促してきた。
そして、逡巡する私に、お母様も凛とした表情で先を促す。
それを見て、私は、自身の知りうるすべてのことを口にする。
お母様の過去の振る舞い。白の会を利用しての学院の私物化。サヤ様に対する迫害じみたイジメの数々。そして、実家の不正や嫉妬からの凶行。
それらすべてを、人伝えに聞いたことにして、包み隠さずに口にする。
はじめは黙って聞いていた人達、特にヒサヤ様とフミナ様には大きな衝撃であったようで、途中からは目を背けるようになっていた。
「そう……。話はそこまで大きくなっているのね」
「人の噂というのは、ここまで恐ろしいものなのですね。高家の皆様が、このことを忌避するのも分かる気がします」
「大きく。と、おっしゃいますと……、事実は異なるのですか?」
「いえ。それが事実よ」
「ミオっ!!」
そして、沈黙を破るように、サヤ様が悲しそうな声でそう呟くと、お父様もまた、頭を振りながらそう口を開く。
リヒト様も憮然としたまま腕を組んでおり、その様子から、やはり噂、そして小説の中の描写は事実ではないことを私に教えてくれた。
しかし、私の問いかけは、お母様によって両断される。
それに対して、声を上げたサヤ様の表情は、それまでにないほどに悲しみに沈んでいた。
「その通りのはずですよ。私は、サヤ様が害される事を見過ごし、最終的には凶行に及んだ。これは消えぬ事実です」
「学院のしきたりを分かっていなかった私に、人知れず注意を促してくれたのはあなたじゃない。落書きの件だって冤罪だし、イジメだって、あなたが知らないところで他の子達が勝手にやっていた事よ……。何より、リヒトとカザミ君が放って置いたのが一番悪いんじゃない」
「むっ……。それは、その通りだな」
「小物にかまっている暇はないと思っていたので」
冷然と自身の罪を告白し、それから逃れるつもりはないとでも言うかのように目を閉ざすお母様に、サヤ様は私の中にあった芯の強さを持った女性の姿を消し去り、ただただ、友人の現状を悲しむ女性となって声を上げ続ける。
「でも、事実は事実であったとしてもね、ミオさん。あなたが、サヤの友人になってくれて、一人だったこの子を救ってくれ事もまた事実よ? 何より、あなたが頑ななままでは、ミナギちゃんがかわいそうだわ」
そんな、感情的になりつつある親たちに対し、マヤさんがやんわりとした口調で諭すように声をかける。
やはり、皆が皆お母様の事を案じている様子である。サヤ様たちも、お母様が一人で背負う罪に後ろめたさを感じ、お母様は頑なにそれを受け止め続けている。
マヤさんが私の名を出したのは、ある意味ではお母様にとって、最大の弱点を突くことであるのかも知れなかった。
「ミナギさんだけじゃないわ」
「え?」
「ミオ。あなたが背負うものの大きさは分かっているわ。でも、でもそれを、ミナギさんだけじゃない……。これから生まれてくる子にも背負わせる気なの? いえ、背をわせているのは私達だわ。だから、あなたはもう幸せになる権利があるのよ……」
そんな時、サヤ様はさらに声を落としながら、静かにそう呟くと静かに涙をこぼしながら、お母様に対して静かに、それでいてすべてを見透かすかのような力のこもった声でそう告げる。
「ど、どうして……?」
「ほ、本当なのか? ミオさん」
「……事実です。しかし、なぜ気付いた??」
それに対して、目を見開きならが答えたお母様に、お父様は驚き混じりの声でそう問い掛ける。リヒト様をはじめ、私達もまた唖然としたままそれを見つめる以外にはない。
そして、お母様はその問い掛けに頷くと、改めてサヤ様に視線を向ける。
「同じ女だもの……。父親は、カザミ君かしら?」
そうして、涙混じりの笑みを浮かべながらそう問い返したサヤ様に対し、お母様は静かに頷いていた。
◇◆◇◆◇
私達が帰宅の途に就いたのは、それから間もなくのことであった。
街路を歩く私の傍らには、お父様とお兄様。そして……。
「いきなり押しかけて大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫ですよ。部屋だけはたくさんありますので」
心配そうに口を開く女性は、私のお母様。近いうちに、ミオ・ヤマシナからミオ・ツクシロとなる女性だ。
あの後、リヒト様直々の命により、今日の夜は私とともに過ごすよう言い渡され、こうして家路を歩いている。
お母様の懐妊というのはあまりに大きな驚きであったが、結果として、お母様を罪の意識から救う事になったのではないかと子どもながらに思う。
残念ながら、本当の真相というものは、最後まで教えてくれなかったが、サヤ様はヒサヤ様の式典に際し、そのすべてを明らかにすると私達に告げてくれた。
お母様は墓場まで持っていくとして、それを固辞していたのだが、それではお父様、カザミ様と一緒になる事は出来ない。
お母様が行方を眩ませてから、真摯に捜索を続け、その後もわずかな逢瀬をともにしていたカザミ様の思いと自身に宿った新たな命を持ち出されれば、お母様も折れざるを得なかったのだ。
だが、その真相というものは、相当に根の深い。
ともすれば国家の根底に絡むような問題であるかのような事実があるのだと、お母様は静かに告げていた。
しかし、サヤ様もリヒト様もそれは覚悟の上でのことだと言う。むしろ、それが必要な事であると。
それがどのような結末を迎えるのかまでは、私には分からない。だが、今はただ、お母様とともに過ごせる時が帰ってきたことと、そして、サヤ様とお母様が、小説のような悲しい関係ではなかったと言う事が、私にとっては何よりも嬉しかったのだ。
「お母様」
「うん?」
そんな私は、思わずお母様に対して声をかける。それに対し、視線を向けて来たお母様の表情も、どことなく柔らかなものでもあった。
「また、一緒に暮らせるんですよね?」
「…………そうね。急なことだったし、片付けなければならないことはたくさんあるけど……」
「式典までには片付くだろう? ……それからも忙しくなるとは思うが、それでも、二人離ればなれになっていることはあるまい」
「そうですね。しかし、母親とは縁の無かった私にも母親ができるとは思いませんでしたよ」
そして、私は静かにそう問い掛けると、お母様はゆっくりと瞑目しながらそう口を開く。そして、お父様とお兄様もまた、決断を促すかのように声をかける。
「私も、こんなに大きな息子ができるなんて思わなかったわ」
「それでは?」
そんな二人の言を受け、お母様は嬉しそうな笑みを浮かべてお兄様に向き直る。それは、私達の問いかけを肯定する言葉であった。
「ふふ。できるだけ、早く戻ってこれるようにしますよ。“あなた様”」
「そうか。それはよかった」
「喜ぶのも良いですけど、殿下の式典。そして、英霊達の御霊に報いる事も、疎かにしないでくださいね?」
「ああ。わかっているさっ!!」
そして、少しおどけてそう告げたお母様に対し、お父様は普段の冷静さをどこに置き忘れたのかとも言うような笑みを浮かべ、力強くそう答える。
こんなに無邪気なお父様を見たのははじめてであったのかも知れない。そして、そんな朗らかに笑う三人に対して、私は、静かに口を開いた。
「これで、私達は本当に、本当に家族になれたんですね」
何やら熱いモノがこみ上げてくるのを感じる。
しかし、霞んだその先にある笑顔は、はっきりと見る事が出来る。お父様ともお兄様とも、本当の家族と思ってもいたのだが、お母様のいない生活に一抹の寂しさを感じていたのかも知れない。
特に意識することなく、口を付いたその言葉は、私にとっては紛れも名本心であったのだ。
◇◆◇◆◇
この日、一つの呪縛ともいえるモノが解き放たれる。
最後の日常とこれから始まる日常。二つの家族にとって、今日のこの日がまったく異なる方向に舵を切ることになったのは一つの皮肉とも言えるのかも知れない。
そして、運命の時は、ある夏の一日へと移ろうとしていた。
真相までは深く掘り下げませんでした。ただ、ミオとサヤの関係はこんな感じでした。




