第七話
一条の光が私の眼前を横切っていた。
その光跡を身を伏せて躱すと、そのまま身体を回転させて足を払う。
しかし、相手はわずかに後方に下がるだけで私のそれを躱すと、そのまま剣を振り下ろしてきた。
伏せたままそれを受け止め、強引に弾き飛ばす。しかし、その場で仰け反らずに後方へと飛び退かれる。隙を突いての攻勢もすべて読まれている。
そう思っていると、床に座り込んでいるヨシツネ、トモヤ、ハルカの姿が目に映る。
一種の模範演舞であり、学年の代表する者として私達四人が選ばれたのであったが、すでに三人は倒されて勝負の行方を見守っている。
当然、得物は模擬刀や模擬弾を使用し、法術の使役は禁止されている。
それでも、私達の一挙一動に見物に来た学生や教師たちから歓声が上がっていた。どこで聞きつけてきたのか、今は見物人で道場の周囲は埋まりそうになっているのだ。
だが、今の私達にそんなことを気にしている暇もない。
互いに距離を取って相対する私達のことを、全員が固唾を呑んで見守っていた。
とはいえ、一応は普段と変わらぬ模擬演舞であり、複数人同士の対戦というのは日常的に行われていることである。にもかかわらず、見物人が集まってくる理由は、私の対戦相手にあった。
今、私が相対している相手は、それまで剣すら握ったことがあるのかと思われていた人物なのである。
「どうしたの? 来ないなら行くわよ?」
距離を取り、正眼に剣を構える私に対し、片手に持った剣を眼前に立てる独特の構えで相対しながら、彼女はそう呟く。
殺気を放つような状況ではないにも関わらず、私はその言に対して金縛りにあったかのように、動くことはできなかった。
本来であれば、多少なりとも動くことで相手を牽制するところなのであるが、距離を取られたことでそれも適わない。
目で殺すとはよく言ったもので、正対して時点で私に主導権はなく、彼女がそれを決定する状況になっている。
その事実は私と彼女の間にある実力差を如実に表している。
「参るっ!!」
そして、鋭くそう言って床を蹴り、一気に私との距離を詰めてくる。
その一瞬、彼女の呪縛から解放された私は、後方へと飛び退き、間合いとるものの、彼女はそれ以上の速さで私の元へと迫ってくる。
刹那、跳躍から鋭く振り下ろされる剣。何とか受け止めるも、その威力に右の膝が折られ、バランスを崩される。
咄嗟に残った左足で床を蹴り、斬撃から逃れるも、体勢はすでに崩れきっており、追撃に来る相手にしてみれば無防備な身体の側面が晒されている格好になっている。
当然、それを見逃すことなく剣を振り上げながら地を蹴り、跳躍しながらこちらへと迫ってくる。
「っ!?」
それを見て、片手を付いて身体を跳ね上げ、迫ってくる彼女に対して勢いそのままに身体をぶつける。
一瞬、怯んだ隙を見て距離を取ると、懐から砲筒を取り出す。
すでに操作にも慣れ、今では握った直後に魔導を注入できるようになっている。
砲弾は対象に当たると赤くなる色彩弾であるが、当然これで撃ち抜かれれば戦死判定になる。
私は素早く眼前にソレをかまえて、彼女目がけて引き金を引く。
空気を斬り裂く乾いた音が道場内に響き渡るも、それまでその場にあった彼女の姿は消え失せ、背後の壁が赤く染まっていく。
一瞬の間にこれを躱したことになるが、驚くことはない。
当然、予想していたことであるのだ。私はすぐに視線を向け、その後も躊躇することなく引き金を引き続け、距離を詰めていく。
正直なところ、これは使いたくはなかったが、使わなければ圧倒されたまま終わってしまっただろう。
であれば、使用に躊躇する理由はない。
しかし、装填する弾には限りがある。
そして、これで倒せるような相手ではないことも、一連の動作を見れば理解できる。
だが、主導権を取るぐらいならば可能であった。
「っ!?」
引き金を引くと同時に、それまでの彼女がいた場所から数歩ほど左によけた辺りに走り込む。
一連の回避動作で、ある程度の法則は理解できた。そして、次が私が斬り込める最短の位置であることも。
私が斬り込み、剣を受け止めた彼女は、一瞬目を見開いたが、すぐに口元に笑みを浮かべて私の斬撃を受け流していく。
それを見て、やはり存在する実力の差は埋めがたいことを自覚させられる。だが、こちらとしても残りわずかな砲筒がある。
斬り込むと同時に剣を片手に持ち、開いた右手で砲筒を掴むと、躊躇することなく引き金を引く。
再び、乾いた音が耳を付くも、その間剣を振るうことも怠ることはない。
彼女もすんででそれを躱し、剣を振るってくるが先ほどまでの斬れ味はない。眼前にかまえられた砲筒を弾いたり、剣を躱したりする分だけの余裕が無くなりつつあるのだ。
そして、ほんの僅かな一瞬。
砲筒を弾いたその瞬間に、彼女の胸元が大きく開かれていた。
躊躇無く剣を振るう。
刹那。
「今日、これが終わったら書店に来て」
そんな声が耳に届いたかと思うと、私は視界が反転し、衝撃とともに眼前が真っ暗になるのを自覚した。
◇◆◇
「起きたか……。それにしても、惜しかった。妃殿下も、少々やり過ぎた、すまなかった。と話されていたぞ?」
目を覚ますと私に耳に届いたのは、シオン師範の静かな声であった。
額に乗せられたタオルの冷たさがなんとも心地よかったが、師範のその声で、私は敗北したことを悟る。
ふと、開かれた制服の胸元を見ると、はっきりとした痣の後が見えている。どうやら、私の一撃が届く前に、彼女、皇太子妃サヤ様の剣は、ほんの一瞬、勝利を考えた私の隙を見逃さなかったのだ。
「ミナギ、大丈夫?」
そんなことを考えていた私の元に、ハルカをはじめとする友人達が寄ってくる。道場の片隅に寝かされていたようで、すでに夜の帳が落ち始めているのか、外は薄暗くなり始めている。
それにもかかわらず、みんな私が目を覚ますのを待っていてくれたようだ。
「皆さん、ごめんなさい。負けてしまいました」
「何を言っている。私とトモヤが最初に落とされた時点で勝敗は決していた。それを、勝利目前にまで持ち直したのだ。恥じることはない」
そんな同窓達に、私は思わず頭を下げる。模擬演舞であれ、敗北したという事実に変わりはない。
だが、そんな私に対しヨシツネがそう口を開き、肩に手を置いてくる。トモヤも不機嫌そうではあったが、ヨシツネの言に頷くと、「そういうことだ」と一言告げて道場から出て行く。
互いに嫌い合っている間柄であったが、気を失った私のことを少しでも心配してくれたようだ。
「それにしても、妃殿下ってあんなに強かったんだ……」
「元々は君と同じ一般生だ。だが、皇太子妃となられて以来、暇を見つけては修練に取り組まれていた。元々、聡明な方ではあったが、あれほどの才を有しているとまでは、武官達も思っていなかったそうだ」
「つまり、我々にも十分見込みはあると?」
サキの言に頷いたシオン師範は、そう言うと同窓生たちに視線を向ける。その冷ややかな視線に、緊張した者もいるようだったが、口を付いた言は普段と比べて柔らかく、サヤ様に対しては特に思うところはないというのがよく分かる。
師範の言うとおり、サヤ様は白の会にも属さぬ一般の白桜生であり、リヒト様に見初められるまでは、成績優秀な女子学生でしかなかった。
もっとも、伝統などには疎く、それがミオ・ヤマシナをはじめとする者達の反感を買うことにもなった様だが、師範の話を考えると、それらの経験もサヤ様の頑張りに繋がっているのではない思うのは、加害者の娘としての驕りなのであろうか?
「む? ツクシロ」
「はい?」
「妃殿下から伝言を預かっていた。“努々、忘れ無きよう”との事だ」
「え? ……っ!?」
師範の言に、私は意識を断たれる直前に届いたサヤ様の声を思い返す。
幻聴の類かとも思っていたのだが、師範に対してそう言付けすると言う事は、やはりあれはサヤ様の声であったのであろう。
それに、勘違いであったとしても書店によることは問題ないし、最悪お父様に確認をすればいい。よく見ると、同窓生たちの中に、ヒサヤ様の姿もないのだ。
「み、皆さん。心配をしていただき、本当にありがとうございました。じ、実は私用ありまして」
そう言いながら、飛び起きた私はあいさつもそこそこにその場から駆け出す。
突然のことであり、ハルカやサキの声が耳に届いた頃には道場から飛び出していた。
すでに夜の帳も落ち始めており、ヒサヤ様がいないと言うことは、サヤ様も書店に向かっていると見て間違いはないと思う。
そんなことを考えながら、街路を駆けると宵の風がなんとも心地よい。それだけに、それを堪能する余裕がないことが残念だったが、とにかく急いでいたためほどなくこまめ書房の建物が私の目に映りはじめた。
「っ!?」
そして、そこまで来たわたしは、それまでの人生で感じたことの無いような得体の知れない気配を感じ取る。
しかし、不安げに周囲を見返すとその気配は闇に溶けこむように消えていく。と、何か木と木を叩くような音が耳に届く。
これは、神衛の符丁の一種ではなかったか?
そんなことを考えたが、よくよく考えれば、サヤ様とヒサヤ様がこの場におられるのである。神衛達が厳戒態勢を敷いているのも当然であるし、猛然と警戒域に駆け込んできた私に殺気を向けるのは当然とも思える。
今の符丁は、安心しろとでも言いたかったのかも知れない。
◇◆◇
「こんばんは。ツクシロです」
「あら、ミナギちゃん、こんばんは。さ、入って入って」
そんなことを考えながら、静かに扉を開き、訪いを告げる。すると、奥からマヤさんが顔を出し、品の良い笑顔を向けて来てくれる。
どうやら、私の勘違いではなかったようだった。
「それにしても、こんなに賑やかなのはいつ以来かしら? あ、そうそうミナギちゃん、この前言ってた本がこれなんだけど?」
「あ、これって、パルティノンの……」
「そうなのよ。まさか手に入るとは思わなかったんだけど……、せっかくだから読んでみない?」
「い、いいんですか?」
「そりゃあね。ようやく趣味が合う子が見つかったんだし……」
なんだか楽しそうに微笑むマヤさんは、カウンターの所にまで来ると、そこに置かれたいた古書を手に取り、私に対して片目をつぶってみせる。
それを見た私も、思わず目を見開く。だいぶ年季の入った外装をしていたが、その表新刻まれた狼虎の刻印は、紛れもなくパルティノン帝国の証。
ちょうど、公式文書を読んでみたいと話していたところであり、こんなに早く目にすることができるとは思ってもいなかった。
しかし、そんな調子の私達の耳に、口調は柔らかいが、ひどく冷淡な女性の声が届く。
「お母さ~ん? ミナギさ~ん?」
視線を向けると、以前にお世話になった居間から、目元の笑っていない笑みを浮かべたサヤ様の姿があった。
決してふざけているつもりはなかったが、サヤ様の背後には、なんともどす黒い炎のようなモノが浮かんでいるように見えた。
「まったく。待たせた上に、趣味に走るとはどういう事よ?」
「ごめんなさいね」
「申し訳ありません……」
居間に上がり、思わず頭を垂れる私とマヤさんに対し、腕を組んでそう告げてくるサヤ様。とはいえ、表情はそれほど強ばっているわけでもなく、若干のからかいも含んでいるように思えるのだが。
「まあまあ母さん、そう怒らないで」
「そもそも、遅くなったのはお前が叩きのめしたからだろうに。ミナギさん、まあくつろいでくれ」
「お母さん、怖いよ? あ、ツクシロさん、はじめましてフミナと申します。いつも、兄がお世話になっております」
そして、居間にはヒサヤ様の他、リヒト様と妹君のフミナ様の姿もあり、私はどうすればいいのかも分からずその場にて頭を垂れるしかなかった。
ヒサヤ様とサヤ様だけであるのなら、以前も席をともにした事があるのだが、さすがに眼前に皇太子殿下がいらっしゃるというのは、どうすればいいのか判断に困る。
フミナ様とも初対面であり、とりあえず自己紹介を済ませると、呼び出しの意図を問い掛ける。
「あ、あの……、本日は如何なる仕儀に?」
「ああ、最後のわがまま。ってやつかな?」
「そうですね。私は兄様がうらやましいです」
「え?」
それに応えたのはヒサヤ様であり、フミナ様もそれに対して笑みを浮かべている。初等科に通っていることは知っていたが、年齢以上に大人びて見える方であった。
「この夏で、私は正式に太子の一人になる。父上がいる以上、私の皇位は遙か先になるが、それでも自由な時間は減るし、何よりも」
「我々もまた、こうしている身ではなくなるのだ。聖上もご高齢であられるが故に、私が公務を分担する事も増えてくる。つまり、今のような立場ではなくなるということだ」
「そ、それは……」
お二人の言に、私は返答に詰まる。
夏の式典において、ヒサヤ様は正式に継承順位が二位となり、皇位の継承権を得る。そして、不測の事態の備え、あらゆる儀礼を学んで行くことになる。
それは、学院での生活の時間が失われ、私達との接点もなくなっていくことを意味している。
はじめから分かっていることではあったが、一抹の寂しさを私は感じてい
た。
「だから、今日だけは、お祖母様のところで過ごさせてもらったのさ。シイナ等が良い顔をしないため、本当の側近たちだけを連れてね」
「彼らにも苦労をかけてしまっているしな」
「そうだったのですか。しかし、それで何故私が……?」
そんなお二人の言は理解できる。
言うなれば、最後のお忍び旅行と言う事であろう。過去の件により、皇族の外遊は控えられており、帝都内であっても自由に行動することはまず無い。
当然と言えば当然であろうが、皆様の思いも理解できないわけではないのだ。しかし、それならば私が呼ばれたわけはいったい何なのであろうか?
「こんばんは。お邪魔、いたします…………」
そんな私の問い掛けと、ほぼ時を同じくして入口の方から聞こえてくる女性の声。
瞬間、私の鼓動は大きく跳ね上がる。
「こういうことよ? 久しぶりね。ミオさん」
硬直する私に対し、片目をつぶってそう告げるサヤ様。そして、ほどなく今に通された一人の女性。
「え? ミナギ?」
「お母様…………」
何とかそう口を開くことができたかと思うと、目頭が熱くなってくることを堪えることはできず、私は静かに歩み寄っていた。
おおよそ、三年ぶりの再会。しかし、お母様の美貌も振る舞いも変わることはなく、それでいて今こうして私を抱きしめてくる暖かみも変わってはいなかった。
「こんばんはっ!! 遅くなりま……」
「父上? …………え?」
そして、再び私達の耳に届く二人の男性の声。
私達の視線の先では、お父様とお兄様の二人が、お母様の姿を見つめ、呆然と立ち尽くしていた。
明日は20時頃の投稿になる予定です。




