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第二話

 目の前にある現実を受け入れるのにそれほど多くの時間は掛からなかった。


 泣き疲れた私が目を覚ましたのは、小さな古い小部屋。

 それでも、換気や掃除は行き届いている様子で、息苦しさや不快感を感じることはなかった。

 そして、耳に届く二人の女性が楽しく談笑する声。ほどなく、よい匂いとともに料理が運ばれ、ミオと初老の女性は、目を向ける私に穏やかな笑みを浮かべてくれた。

 その後、私はミオの仕事場と思われる場所につれて行かれることはなく、ミオのいない時は老婦人と一緒に過ごしていた。


 老婦人も生活は楽ではない様子だったが、無口な老夫とともに穏やかな日々を過ごしている様子で、最初に受けた恐怖とはほど遠い生活が私の目の前にはあった。


 ミオもまた、小説での印象とはまるで異なり、丁寧な物腰で老夫婦に接するとともに、かつての高慢でわがままな少女の姿はまったく見られぬほどに家事などもこなしていた。

 もっとも、私はミオがどのような私生活を送っていたのかまでは知らないため、彼女が家事などがまったくできないというのは、完全に印象だけの決めつけである。



 そんな母親の姿を観察する日々が続いている間、私はミオが小説の中で為したことを、思いかえしていた。



 舞台となった島国は、数十年前の戦争に敗れ、皇太子はその後の混乱に学生という身分でありながらも振り回され、主人公さえも巻き込んだ、上流階層の権力闘争なども描かれていた。

 そして、その権力争いは、最終的に起こった皇室への暗殺未遂事件の真相を皇太子が暴き、その最中で主人公はとある人物が皇太子に向けた凶刃から彼を庇って生と死の淵を彷徨うことになる。



 結果として、このことが二人の結びつきをさらに強くし、皆の祝福を受けながら二人が結ばれるところで物語は終わっている。



 ミオが関わっているのは、その貴族階級の権力闘争のこと。

 自分が散々いじめ抜いた主人公が、次第に皇太子との関係を深めて行くことを知り、すでに主人公と皇太子の間には、自分が入りこむことのできないほどの絆が生まれているという現実を突き付けられた。

 そして、権力闘争で敗れ、没落が決定的となった実家の命と自分自身の嫉妬を皇太子と主人公へと向け、凶行に及んだのである。


 主人公は皇太子の必死の看病といくつかの偶然によって助かり、二人は結ばれるのだが、ミオはそんな二人とは対照的に、呪詛の言葉を吐きながら実家ともども没落して行った。


 彼女の父親達は反逆罪で処刑され、彼女は上流階級から庶民以下の地位にまで堕とされたということまでは分かっていた。


 そんな惨めな最後に、小説の愛読者たちは喝采し、それまでの悪口に対する溜飲を下げたのだ。



 それでも、今も私を優しい表情で抱いてくれているミオの姿は、私にとっては優しいお母さんでしかないのだ。



 自身の凶行による没落が彼女を変えたのか、それともここは小説の世界とは異なり、母は単にミオと同姓同名で顔が似ているだけの人物なのかという疑問も出てくる。



 そして、その後も私達母子は老夫婦とともに平穏に過ごし、読み書きができるようになった私は、母や老父夫が集めてくる本を読むことができて大変満足な日々を過ごしていた。



 しかし、外の出て遊べるような年になった頃、私は現実を突き付けられることになった。



◇◆◇◆◇




「どうして、あなたが私のお母さんなの?」


「ミナギ?」



 抱きしめられた腕を振り払い、ミオへと向き直った私は目尻に涙を浮かべながらそう口を開く。



 それまで、お母様と心の中でも読んでいた女性。しかし、今の私に、ミオをそんな呼び方で呼べるような余裕は無かった。



 そして、ミオはそんな私の態度に唖然としたまま、その整った容姿に悲しみの色を浮かべるだけであった。




「知らないと思っているの? あなたが殿下達にしたことを。だったら当然じゃない。でも、でもなんで私が?」


「…………」


「黙っていないでよ。見てよこれっ!! あなたは、仕事場に行けば逃げられるけど、私は友達と遊んでいるだけで、周りに迷惑を掛けちゃうんだよっ!?」



 一瞬、ミオの表情に戸惑いを覚えたが、それでも感情を抑えることはできず、服をまくって腹部や足元に浮かぶ痣をミオに対して見せつける。

 仕事の関係で、しばらく家を空けていたミオにとって、それは衝撃であったようで、唖然としたまま私の身体に刻まれた痣を見つめている。

 端から見ても、そこには母子の会話とは思えないほど、険悪な空気に覆われていたんじゃないかと今更ながらに思う。



「ごめんなさい……」



 その場の空気に耐えられなくなったのか、小さな声でそう言ったミオは、目を伏せながら私に頭を下げると、頭と垂れながら部屋から出て行く。



「あっ……」



 去り際に目元を拭っている姿が垣間見え私は、自身の激高がミオを、お母様をひどく傷付けた事に気付く。


 思えば、生まれてからこの方、お母様の涙を見たのは今回が初めてだったのかも知れない。



 あの日以来、お母様が私を仕事場にを連れて行くことはなかった。


 元々、世間知らずのお嬢様が愛娘を心配して側にいたかったらしいのだ。

 とはいえ、あのような場に来る人間が全員紳士的であるはずもない。

 飢えた獣のような男が私に触れようとしたことに激怒し、自身の軽率さを反省したお母様は、私を家を間借りしている老夫婦に預けて行くようになった。


 元々、繁華街から一歩離れた町人街の一角に住まいを置き、世間の目から隠れるように生活をしていた。


 遊女である母と娘。世間一般からは白い目で見られる立場ということがあってのことだろう。


 私が、――言葉は悪いが、観察を始めた後でも、小説の中での高慢でわがままなお嬢様の姿はまるで無く、寡黙だがやさしい大人の女性として成熟している姿がそこにはあった。


 少なくとも、私にとっては立派で自慢な母であったのだ。


 その後は、元々の容姿と知性が相まって順調に昇進していき、私が八歳になる頃にはいわゆる高級遊女としての地位を確立し、家に戻ってこないことも多かった。



 だが、名が知れるようになればそれだけ人目に触れる機会も増える。遊女であると言う事だけでなく、没落したヤマシナ家の息女という身。


 噂が噂を呼び、お母様に対する風当たりは徐々に強くなってきていた。


 お母様も老夫婦もそれらが私にに知れること事の無いよう、様々な配慮してくれていたようであるが、老夫婦の元に怒鳴り込んでくる人間が増えてくれば知りたくなくても知る事になる。

 老夫婦が地域では人格者として知られ、真摯に説得してくれたために破綻には至らなかったのだろう。


 だが、私自身は、老夫婦や数少ない好意を向けてくる人達の目が届かないところで、きつい罵声を浴びせられ、時には暴行を受けたこともある。



 事情を知らないこども達が自分と遊んだいた時の事は思い出すだけで、目を閉ざしたくなる。


 はじめこそ、自分が罵声を浴びせられるだけで済んでいたのだが、たまたま仲良くなった子と握手をしていた際には、強引に押しのけられた上に、その子が親に殴られたのだ。


 それでも、その後もその子や何人かの子たちが、一緒に遊んでくれた事は救いだったと思う。



 だが、目の前で友達が親から殴打される場面を見てしまった私は、その後ろめたさから次第に周囲と距離を取り、前世のように家の中で本を読むことが次第に多くなっていた。



 そんな背景があってのお母様の帰宅。駄目だとは思っていても、積もりに積もった感情の爆発を抑えきることはできなかった。



 何事かと老婦人が部屋に飛び込んできた後、お母様から事情を聞いた彼女は、呆然とする私ををやさしく抱きしめてくれた。


 そして、次第にこみ上げてくるモノを抑えきれなくなった私は、堪えきることができずに大粒の涙を流し続けた。




「さ、ミナギさん。友達が遊びに来ていますよ。みんなと楽しく遊んで、元気になったらお母さんに謝りましょう?」


「で、でも…………」



 涙を拭うと、老婦人は笑顔でそう告げる。しかし、事が事であり、すぐに友達と遊んでいいモノかと言う思いがある。


 しかし、そんな私の耳に、元気の良い男の子の声が届く。



「こんにちは。ミナギーー、本ばっかよんでいないで遊ぼうぜっ!!」


「駄目だよ。私と遊んだら、シロウ君もお母さん達に怒られるよ?」


「そんなのいつものことだって。それにミオおばさん、美人で優しいじゃん。この前なんて、飴くれたんだぜ?」


「うん。でも……お母さんは」



 突然の友達の来訪に戸惑いながらも顔を出した私は、シロウくんの大きな声に、思わず身を縮める。


 彼らは、あんなことがあった後でも、わざわざ家を訪れ、家にこもりがちになった私を外へと誘い出そうとしてくれている。



 シロウくんは私達が住む下町にある八百屋の息子で、同世代のこども達のまとめ役をしているいわゆるガキ大将だ。

 私より一歳年上で、同世代のこども達よりも身体が大きく力も強い。売れ残りの野菜をくれたこともあった。


 他にも、下町特有の泥臭さあるこども達の何人かは、親からの言いつけを無視して私の元に駆けつけてきてくれていた。


 しかし、老婦人に思いの丈をぶつけた後でも、私はお母様が為したことを知っている。


 だが、そのことを友達の誘いを断る口実にしようとしていることが、心の奥底で母を軽蔑しているのだということにも気付いた。


 お母様は、物語の主人公、即ち、この国の現皇太子妃に対する執拗ないじめや現皇太子に対する傷害事件を起こした人物。

 小説を通じての知識であり、一連のいじめ行動等が、特権意識に基づいた行動でもあったことも知っている。



 しかし、はじめて抱き上げられた時から、母が自分を本当に大切に思ってくれていることも分かっていた。



 職業柄か他人に対しては物腰柔らかく接するが、家に戻ってきた時はひどく疲れた顔を浮かべている。

 そして、仕事以外の私生活では努めて寡黙に振る舞うお母様の姿。

 小説での高慢でわがままな少女の面影はなく、繰り返しになるが、自分が単なる勘違いをしているだけではないかと思う時もあったのだ。


 それでも、そんな風に日々の生活の中で母の行動を観察するように、彼女に対して一線を引いてしまい、ついには激高してしまった。



「お、おい、ミナギ~?」



 そんなことを考えているとシロウくんや他のこども達が、心配そうに私の顔を覗き込んでくる。



「えっ!? あ、ごめんなさい。何?」


「いや、ぼけっとして、どうしたんだよ??」


「え、あ、うん、な、なんでもない。なんでもないよ?」


「そ、そうか? まあいいや。そんな顔をしていてもあれだし、遊びいこうぜ~」


「そうねえ。シロウ君もそう言っていることだし、ミナギさんも行って来なさい。お母さんには、私からも言っておくわ」


「う、うん。そうだね」



 慌てて取り繕ったたが、彼らの視線には心から自分を心配する光があり、母のことを考えるうちに沈んでいた気持ちはいくらかやわらいでいた。


 彼らは親たちの言を無視して、自分と遊ぼうとしてくれているのだ。その思いを無碍にしてきた自分が、今となってはひどく子供じみているように思える。


 実際、子どもではあるのだが。



◇◆◇◆◇




「アレがきっかけだったんだよね……。なんで、あんなことを言っちゃったんだろ……お母様……」



 空を見上げながら、私はこみ上げてくる熱いモノをこらえながら、自分達の決別のきっかけになった出来事を思いかえしていた。


 今となっても、あれがどれだけお母様を傷付けたのかは分からない。


 しかし、確実に言えることは、こうして私が別の家の養女となるきっかけになったことは間違いがないのだ。



 ミナギ・ツクシロ。



 それが今の私の名前であり、カザミ・ツクシロが私の養父の名。


 私をここに案内し、朗らかな笑みを見せていた彼は、小説の中では皇太子の親友として主人公を庇い、恋敵であるミオを敵視する人物でもあった。


 そんな彼が、天敵とも言える女の娘を引き取った理由は、今の私には分からなかった。だが、あの時の出会いがきっかけになったのだと言う事は分かる。



 ……そうして私は、この後のシロウ君たちとの遊びのことを思いかえしていた。

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