第十一話
web拍手にてコメントを送って戴いた方。本当にありがとうございます。
この場を借りて、お礼申し上げます。
「うーん……」
放課後の白の会での修練が終わったのは陽も傾きはじめた頃の事だった。
礼儀作法について教わったり、格武術の基礎を学んでいるのだが、今日はどうにも集中できず、アツミ先生をはじめとする師範たちに怒鳴られてしまった。
「どうした?」
どうしても昼間の事が気になってしまい、眉間にしわを寄せている私に、傍らを歩くお兄様が訝しげな表情を浮かべて問い掛けてくる。
修練の際に精彩を欠いていたことを気にして、自分の修練を早めに切り上げてきてくれたのだ。
「いえ、なんでもないです」
「嘘をつけ。声に出すほど悩むなど、お前らしくもない」
「はあ……。ですが、皇子殿下の見当もつかず、つまらぬことを気にかけるのは」
「別に、四六時中任務を考えることもなかろうでも。それで、何かあったのか?」
「実は……」
そう言われ、口元に笑みを浮かべたお兄様に対し、昼間のヒサヤ君とのやり取りを告げる。
どうにもあの自由奔放な様子が気にかかってしまう。
「ほう。変わった子がいるのだな……」
「私も人のことは言えぬとは思いますが」
「ふ。しかし、仮にその子が、皇子殿下だったとしたらどうする?」
「えっ?」
昼間のやり取りを聞き、珍しく笑みを浮かべていたお兄様であったが、そこからなんともからかうような視線を私に向けてくる。
思わぬ方向からの攻撃であったが、私はそんなことよりも驚きをこめて目を見開いていた。
たしかに、クラスメイトの一人が皇子殿下であることだけは確定しているのである。つまり、ヒサヤくんがそうである可能性も否定できないのだ。
「可能性は否定できないだろう?」
「そ、それはそうですが。しかし……」
「皇太子殿下は非常に温厚な方だ。皇子殿下がその気質を継いでいても不思議ではあるまい?」
「そうですね。ですが……、うーん」
とはいえ、昼間のヒサヤくんの様子を思いかえすと、主筋である皇子の姿を思い浮かべることは難しい。
そもそも、あれは温厚と言うのだろうか?
いかに前世の記憶のあるとはいえ、出会って数日の男の子の内面までを探ることなど不可能であるのだ。どうしても、見た目の印象が優先してしまう。
そして、自由奔放でどこか抜けている印象のある彼が、自分の主筋に当たる人物。それも、恩人である妃殿下の御子ということを考えたくはないのかも知れない。
「ふ、納得いかぬか? まあいい。その本屋とはどこにあるのだ? 安いモノであれば買ってやるぞ?」
「そ、それが」
そんな私の慎重な態度に、お兄様は口元に笑みを浮かべながら頷き、悩んでいるよりは。と私に行動を促してくる。
たしかに、動ける時は考えるよりも動いた方がいいこともあるのだろうし、帰りの寄り道ぐらいならばお兄様の手助けがあってもごまかしは効く。少々、狡い事だとは思うが。
この辺りが、皆に冷淡な印象を与えているお兄様の柔軟性であったが、その提案には簡単に応じることはできなかった。
なんと言っても、細かい家の場所を聞いていないのである。
「そ、そうなのか……。うーむ」
「お、お兄様。気を使っていただけただけでも嬉しいですから、今日は帰りましょう?」
「……そうだな。それにしても、今日のことだけで、随分、気にかけているのだな」
「そうですね。なぜかは分からないのですが」
そんな背景を知り、さすがのお兄様も言葉に詰まる。
実際問題、遊びに来てと誘っておいて、家の場所を教えないというのは少々勝手すぎる気もする。
とはいえ、急ぐことでもないと言うが実情だった。ただ、妙に気にかかる。と言うのが、ヒサヤ君と話してみた私の本心だった。
おそらくお兄様も同様なのであろう。だからこそ、今も腕を組んで考えをまとめようとしているのだ。
とはいえ、肝心の本屋の場所が分からない以上はどうしようもない。
しかし、運命の悪戯か。時代がそれを呼んだのか。私達の耳に、のんびりとした男の子の声が届く。
「あっれ~?? もしかして、ツクシロさん??」
「えっ!?」
ヒサヤくんの家が分からず、仲良く並んで家路へと足を進めていた私達は、背後からのそんな声に、驚きとともに振り返る。
「あ、ミズカミ君っ!?」
「随分遅いんだねえ。えっと、そっちの格好いい人は誰だい?」
振り返ったその先では、人の良い笑顔を浮かべた少年。ヒサヤ・ミズカミが立っていたのだ。
「ミナギ、この子が?」
「はい。ヒサヤ・ミズカミ君です。ミズカミ君、こちらは、私の兄です」
「へ~? お兄さんなんだ。はじめましてヒサヤです」
「はじめまして。ハヤト・ツクシロ、中等部の一年です。ミズカミ君は、ミナギのクラスメイトだと聞いている」
「はい。まともに話したのは今日がはじめてですけど」
「そ、そうなのか?」
笑みを浮かべながら互いに名を告げあう二人だったが、案の定ヒサヤ君は余計な事を口にしてお兄様を苦笑させている。
本人はのんきで邪気のない笑顔であるが、正直なところ、それが今は気に障る。
昼休みの意味深な言葉のおかげで、私は夕方まで頭を悩ませることになったのだ。
ただし、本が好きなのは事実であるし、本屋をやっているのであればそこに誘ってくれたことも嬉しい。だけど、肝心な場所を教えないまま行ってしまっては意味がない。
とはいえ、声を荒げるわけにもいかない。
お兄様の言うように彼が皇子であるという可能性は否定できないし、このくらいのことで怒っていても仕方がないと思う。
そんなことを思いつつ、ヒサヤ君に家の場所が分からない事を告げると、彼は「あれ言ってなかったっけ??」などととぼけた事を言いつつ、こっちだよと私達に先だって歩き始める。
そんな天真爛漫で少々おつむが足りないようにも見える彼の様子を見たお兄様もまた、自身の発言に自信が持てなくなっているようだった。
先ほどから目が合うたびに苦笑しているのがその証拠だ。
せっかくだからと家に案内してくれるのだから問題はない気もするが。
「それで、ヒサヤ君はどこに行っていたんですか??」
それまではミズカミ君と呼んでいたけど、本人からヒサヤでいいよと言われている。
「うん? 算術の塾だよ。もっと早く帰れると思ったんだけど、きれいな蝶々がいてさ」
「蝶々?」
算術の塾と言う事は、算盤の使い方などを習ってきたのだろう。
私も病気になる前は通っていた。残念ながら数学系は苦手なままだったけど。
しかし、それが終わったあとで蝶を追いかけるなんて彼らしいと言うか、なんと言うべきか。
「うん。紫色でさ、夕陽を浴びてそれがすっごくきれいだったんだよ。だから、ちょっと追いかけ過ぎちゃって」
「どこまで行ったんだい?」
「えーと、カブラギ町だったかな?」
「え??」
平然と目の前でそう言い放つヒサヤ君だけど、それは正直おかしいと思う。
案の定、お兄様も目を見開いている。カブラギと言ったら隣町の外れで、私達神衛候補生でも平然と行ける距離ではない。
「は、走っていったんですか??」
「うん。最初はね」
「最初??」
「うん。途中でお母さんが通りかかって連れていってくれたんだ。でも、いいところで逃げられちゃった。それで、学校までお母さんが連れてきてくれたから、これから帰るところ。お馬さんて速いんだね」
「そ、そうですね。…………お兄様どういう事なのでしょう」
「いや、私に聞くな」
蝶を追いかけている息子を、馬に跨がって一緒に追いかける母親。
数多の中で思い浮かべてもふざけているとしか思えない話だったが、こっちを見つめてくるヒサヤ君表情に悪意はなく、今もにこにこしながら私達を見ている。
「えっと、ヒサヤ君のお母さんは……」
「何をやっているかは知らないよ?」
「え?」
とりあえず、聞いてみる他無いと思っていたけど、いざお母さんのことを聞いてみようと思った矢先、急に顔から笑みを消して静かにそう言ってくるヒサヤ君。
ピシャリと言い放つ。とはまさにこのことと言った様子で、私は言を封じられてしまった。
いったい何なの? 思わずそう思ってしまうほど、その態度はとりつく島もなかった。
「私達には知られたくないのかな?」
そして、さっさと歩き始めてしまったヒサヤ君の後を追いかけながら、お兄様が小声でそう口を開く。
あの様子からはそう考えるのが普通だとは思うが……。
「この道を行ったところなんだ」
その後は3人とも黙ったまま歩いて行き、T字路に差し掛かったところで再び笑顔を浮かべて道に先を指差すヒサヤ君。
先ほどとは打って変わった表情に再び毒気を抜かれるが、元気よくかけだした彼を慌てて追いかけるしかなかった。
「案外近くなのだな」
「そうですね。…………あら?」
駆けだしたとは言え、こちらは神衛である。お兄様は歩みを早めるだけで十分だったし、私も小走りで追っていける。
お兄様の言うとおり、私達の近くに住んでいるみたいだけど、私はこの一年は勉強漬けだったから近所の子と遊ぶ機会はほとんど無かったんですよね。
たまに出かける時も、お父様やお兄様と一緒に馬車での移動するか、散歩などに出かける際にも、女中さんの買い物に付き合ったり、側近たちの運動に付き合う程度で寄り道などはしたことがなかった。
本屋がこの近所にあるんだったらもう少しで歩いておけば良かった。
ただ、この辺りの様子……。どこかで見たような気がしてならない。ただし、前世の私は地方の田舎の出身で、このような都会とは縁がない。
であれば、なぜか?
「どうかしたのか?」
そんなことを考えている私の様子を訝しげに思ったのか、お兄様が声をかけてくるけど、今は考えることに集中したい。
「ここだよーっ」
そんな私の耳に、元気の良いヒサヤ君の声が届く。
それにつられるように、周囲に目を向けてみる。店は瓦屋根の小さな書店で、照明用の魔導鉱石がぼんやりと光を灯している。
この世界ではこう言った鉱石や水晶が電器の代わりをしていて、LED等には適わないけど、目にやさしい光を放ってくる。
そしてもう一つ。私はこの光景を頭に思い描いたことがある。
「……まさか」
そして、そんな光景を目にすると、私は一人そう呟きながら店の周囲に目を向ける。
街路を挟んだ反対側では、積み重なった石段の中を石造りの階段が小高い丘の上にまで伸び、その先には右側の一部分の欠けた鳥居が見えている。
店の隣にある庭木は、きれいな桜の花を咲かせており、花びらが店先に散らばっていた。
そして、さらに延びる街路に目をやると日暮れに合わせて、魔導鉱石がゆっくりと光を灯しはじめている。
その光景を目にした私には、はっきりと頭の中に描かれる記憶があった。
この道は、記憶の中である人物たちが思いを伝えあい、気持ちを確かめながら歩いていた場所。
……なんだか、目頭が熱くなってきたような気がする。この光景は、本当に懐かしい。何年も前のことであっても、私の心に刻みつけられていたんだと今更ながら実感できる。
「……そう、やっぱり、そうなのね」
「ツクシロさん?」
「ミナギ。どうした??」
二人が心配そうに声をかけてくるが、それに応えようとした私は、再び口を閉ざすことになる。
「ヒサヤ、お帰りなさい。あら? お友達?」
「ただいまっ!! この子とこの人は、同級生とそのお兄さん。本が好きなんだって」
「まあ、そうなのっ!? それじゃあ、ゆっくり……って、あ、あの、どうしたの??」
「あ、いや。な、なんでもないです」
店からゆっくりと出てきたやさしそうな雰囲気の少壮の女性。
本の話になると嬉しそうな笑顔を浮かべて私達を店に案内しようとしている様子などは、皇太子を店に招き入れるあの人の描写とよく似ている。
そして、それは一つの事実を私に教えてくれたのである。
一筋、こぼれた涙を拭って、私は笑みを作ると、なおも心配して差し出されたハンカチを誠意を持って受け取るしかなかった。
今、私の目の前にある書店、『こまめ書房』。
歴史を感じさせるやや古びた建物のその書店は、小説の主人公にして、現スメラギ皇国皇太子妃サヤの実家であったのだ。
ネタばらしがはやかったでしょうか?
そろそろ物語に動きはほしかったので、この辺りはどんどん進めていきたいと思っています。
また、ジャンルなどに関してはもう少し考えたいと思います。意見などがありましたら遠慮無くお願いします。