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第三十八話

 去りゆく飛空艇をミオは無言のまま見つめていた。


 その姿が小さくなるまでの間、自分に視線を向けている男女の姿から目を放すことはない。


 彼女にとって、二人は命にも代え難いほどに大切な存在であるのだ。


 ミナギは実の娘として、ヒサヤは主君となる人物であると同時に、すでに天へと旅だった友の忘れ形見であるのだ。


 ただ、両名ともに無事に。とは言い難い結末を受けての島からの脱出である。


 ミナギは、シオンとヒサヤの戦いの渦中にて、ヒサヤを守るべく重傷を負い、ヒサヤはヒサヤで組織によって身体に植えつけられた毒がいつ発症するかもわからぬ状況にある。


 現状、シオンが用意していた薬によってその作用は抑えられているが、それが尽きるまでに解毒方を探らぬ事には、彼に未来はない。


 それは、ミナギも、そしてサキも同様であったが……。


 だが、今となってはミオにそれらを解決する手立てはない。彼らを救うための時をどれだけ稼ぐことが出来るか。それが、今のミオに託された、母親としての臣下としての最後の責務になっていたのだ。


 そして、もう一人。ミオが最後までともにいてあげなければと決意するに至った少女がいる。



「ミナギ……」



 すでに痛みを感じることすらも出来ぬほど、身体は限界を迎えている。


 そんな中、ミオはゆっくりと立ち上がり、眼前にて赤き光を灯している水晶球へと視線を向ける。


 その中で、全身を電極などによって囚われた一人の少女。その姿は、ミオの外見によく似ており、名をも彼女の愛娘と同じモノ。


 それも当然と言えば当然のことである。


 ミオの呼びかけに、悲しげに眼を細めた少女、ミナギもまた、歴とした彼女の娘なのだから。


 正直なところ、ミオとしても俄には信じがたい事であった。


 フルガの地にて事実上の軟禁状態に置かれていたミスズ・カミヨよりもたらされた情報。そこにあったのは、女神の檻の動力源として囚われてのみにあるミナギの名。


 だが、その時、すでにミナギとの再会を果たしていたミオにとっては、それを理解するのに僅かな時を要したのだ。


 だが、自身が経験した女神の檻の機動実験。


 それらを考えると、自ずと答えが見えて気もする。と言っても、ぼんやりとしたモノではあったが。


 この世界にあって、あらゆる力の根源となっている“刻印”。火を燃やすことも、水が流れることなども、その根底には“刻印”の力が関係しているとされる。


 “女神の檻”もまた、刻印の力が大きな関わりを持っている。その力を根源として、大いなる破壊を生み出すのである。



 そして、その動力源となった少女。



 “ミナギ・ツクシロ”は、女神の檻の由来とも言える、ベラ・ルーシャ教国の国母にして、その信仰対象でもある、“白の女神”。そして、それを導く“天の巫女”。


 スメラギにあって、神皇と巫女なる二つの存在が、スメラギの存在そのものとも言える力を有するように、ベラ・ルーシャにとってのその両者の存在は何ものにも代え難いモノである。


 彼女……ミオの愛娘、ミナギは、それらと同等の力をもってこの世に生を受けた。


 極めて密に秘匿されていることなのだが、先頃のミナギの告白によって、それは確信へと変わった事実。


 彼女等もまた、ミナギと同様に、異なる世界の記憶持ち、この世界に転生・転移してきた存在であるという事実。


 そのことを考えれば、いや、ミナギの言の通り、彼女は本来産まれてくるはずであったミオの娘に、いわば憑依する形でこの様に生を受けた。


 言わば、二つの命が彼女の中で共存する形になっていたのだ。だからこそ、動力源としての力を解放した際に、もう一つの命を自身と分離させ、ここまで導いたのだ。



「貴女は、はじめから死ぬつもりだったのですね。……自身が、これ以上罪を重ねることがないように。そして、自らの手で、悲劇の幕を降ろすために」



 そんなミオの問いに、ミナギはゆっくりと頷く。


 シロウ等を結果的に葬ってしまった事で、ミナギは自身を追い詰め、やがては暴走という形の破滅を求めてしまった。


 だが、シオンがその事実を利用して黒幕たちを滅ぼしたことで、逆にミナギの心には罪の精算の意識が無意識のうちに働いたのだとミオは思っていた。




「ごめんなさい。私が、もっと早く気づいていれば……。最後まで、貴女には母親として何もしてあげられなかった」


【自分を責めないで下さい。お母様】




 そして、ゆっくりとこぼれ落ちる涙。


 いつ以来であろうか? カザミ・ツクシロの死を知った時ですらも流さなかった涙がミオの目元からゆっくりとこぼれ落ちたその時、ミオの脳裏に届く声。



「っ!?」



 ハッと顔を上げたミオの眼前にて、水晶球にゆっくりとひびの入り始めると、ほどなくそれは音を立てて砕け散り、中からは薄紫色の液体と赤き光を灯す無数の水晶体。そして、全身を電極などによって囚われたミナギがミオに倒れ込むようにその胸元に収まってきたのだ。



「やっと、お話が出来ますね。お母様……」


「ミナギ……」


「私は、幸せでしたよ? お母様から、多くの皆さんから愛されて。だから、自分を責めないで下さい」




 胸元にて、ミオに対してそう告げるミナギ。彼女に対し、ミオは何も言えずに、無言のまま彼女を見つめることしかできない。




「ふふ。あの子には悪いですけど、私の中に勝手に入りこんでいたんですから、これぐらいは良いですよね? これからは、私と一緒にいてくれていても」


「……っ!? ミナギ、そういうことを言っては駄目ですよ。あの子もまた、貴女であり、私にとっては……、いいえ。貴女を復讐の道具にした私に、言えることではないわね」


「……言い訳なんて、お母様らしくないですよ。最後まで、自分の責任に向き合って、堂々として……。私も無茶を言っていますね」


「ふふ……、お互い、困った女ね」


「ええ。だって、本の登場人物に重ねてお母様を罵倒しちゃうんだもの……、本当に、困った女……」



 そして、ミオとミナギはゆっくりと笑いあう。死を目前にして、二人はようやく母と娘に戻れたのであろうか?


 実際の所、ミオには一つ引っかかる事があったのだが、そんなミオに対して、ミナギは柔らかく微笑む。



「お母様? 私は、私ですよ?」


「え?」


「感じているのですよ。ヒサヤ様の温もりもまた……。私は、お母様と一緒にもいますが、ヒサヤ様やサキやハルカ達とともに、スメラギのためにも戦い続けます。だから、安心して下さい」



 そんなミナギの言に、ミオは改めて目を見開く。


 二つの別れたはずのミナギの人格が、ここに来て再び一つに戻ったというのであろうか? と思い描くミオ。


 だが、そんなミオの考えに、ミナギは笑いながら首を振るう。



「私は、私です。お母様とは常にともにあります。ですが、お母様やお父様が残してくれた思いも、未来もまた、誰かが守らねばならないのですよ。だから……」



「生まれ変わっても、また、私を生んで下さいね?」



 そこまで言うと、ミナギはゆっくりと目を閉ざす。刹那、彼女が囚われのまま、女神の檻は急速に光の密度を増して行く。


 ゆっくりと視線を海へと向けたミオの目に映るのは、奇しくも近海を航行する大艦隊の姿。


 ミナギは、死に臨んでそれが最も効果的になる機会を待っていたのであろう。



「……貴女は優しい子ね。最後の最後で、私の未練を……“貴女”の未来を教えてくれた」



 そして、ミオは穏やかな笑みを浮かべて眠りについたミナギをゆっくりと抱き寄せ、彼女また目を閉ざす。


 その激動の人生を表すかのように、激しく燃え盛っていた彼女の生命の炎は、熾火になってもなお、娘の未来を案じることで燻り続けていた。


 だが、それは彼女の安らかなる眠りを結果としては妨げ、ともすれば、彼女を苦しませる結果を生むだけであった。


 だからこそ、ミナギは、ミオの心に残っていた最後の咎を取り払うべく、彼女の元に舞い戻ったのだ。




「ありがとう……ミナギ。私の……」



 静かにそう告げたミオ。その最後の言葉は、彼女の最愛の娘にのみ届く言葉。


 そして、それを告げることに満足することが出来たミオを、鮮やかな光が包み込んで行く。


 それは、激動の生涯を送った母娘が、その死に臨んで咲かせた大輪の花。恥ずべき事なき障害を演じきった彼女達が、なおも数多の者達の未来を繋ぐ祝福とも言うべき光であった。

 


◇◆◇◆◇



 この日、スメラギ南方海上にある、低気圧の巣。通称“魔の海域”。


 この海域にあって、禍々しき光によって、スメラギ全土を恐怖に陥れていた、暗殺教団の本拠地は、鮮やかな赤き光とともに永遠にこの地上から消滅し、付近を航行中のユーエルライヒ艦隊もまた、その光とその後に起こった巨大津波によって壊滅。


 結果として、スメラギへと襲いかかろうとしていた新たなる刺客は、その目的を達することなく海の藻屑となって消えていった。


 そして、光とともに発生した大津波は、スメラギ皇国セオリ地方南部とハルーシャ群島地方へと襲いかかるも、長き時を経て防潮対策を確立していたスメラギ本土に巨大な被害を及ぼすことなく終息を迎える事となった。




 それから、数日の後。


 今だ、帝都天津上にあっては、皇女フミナ率いるスメラギ皇国軍と猛将マリノフスキー率いるベラ・ルーシャ教国軍の死闘が続いている最中、神皇リヒトの皇が身を寄せる、キツノ離宮の地に、正体不明の物体が接近中との報告がもたらされた。





 離宮を守護する、神衛衛士や義勇兵達の間に緊張が走る最中、近づいてきたそれ、組織と列強国によって生み出された最新鋭兵器“飛空艇”からもたらされたのは、味方であることを告げる光信号。


 そして、その後に続いた報告によって、離宮全体は歓喜の声に包まれることになる。


 操縦室にて、皇国神衛タケル・ミツルギの手によってもたらされた信号。それは……。




『皇太子ヒサヤの尊、帰還せり』



 との報告であったのだった。


 一転しての歓迎の空気に、ゆっくりと離宮脇へと着陸した飛空艇。


 駆けつけた者達が息を飲む中、開かれた格納庫から一歩一歩、ゆっくりと歩みを進める一人の青年。


 多くの者達の出迎えに、一瞬、笑顔を浮かべてゆっくりを頷いた彼に対し、駆けつけた者達は歓喜を以てそれに応える。



 だが、彼らの歓喜はそこまでで終わることになる。



 姿を見せた青年、皇太子ヒサヤの尊は、無言のままに彼らも良く知る一人の少女、ミナギ・ツクシロを抱きかかえたまま、父である神皇リヒトの皇が待つ一室へと足を向ける。


 皇太子の帰還という歓喜の渦から一転、離宮全体は、鋭い緊張に包まれることになったのだ。


 多くの者が、幼き日の面影を失ったヒサヤの姿と先頃までともに戦っていたミナギの変わり果てた姿に困惑し、ミツルギ等の言を受けてようやく、果たすべき任務に戻っていくことになったのだ。




◇◆◇



 幼い少女を抱きかかえる老婦人と無言でその傍らにたる老紳士に対して、ヒサヤは瞑目しつつ、ミナギを室内へと連れて行く以外には無かった。



「えっと、あの……で、殿」



 そして、老婦人の案内で、目を閉ざしたままのミナギを用意された床に寝かせると、傍らに腰を下ろしたヒサヤに対し、先ほどまで老婦人に抱かれていた少女、ミルが、たどたどしい口調でヒサヤに対して口を開く。


 皇太子であることは老婦人達から教えられていたが、今だ5歳の少女である。その本質を理解するまでにはまだまだ時間が必要であった。



「えっと、ミル…………ちゃんだね?」


「え、は、はい。どうして、私の名前を?」


「君のお母さんとお姉さんから良く知らされていてね。ええと、お祖父さんたちと話したいことがあるから、少しお姉さんの側にいてくれるかな?」


「……ねえさまは、どうしたんですか? それから、かあさま達は……」


「うん。姉さんは、少し疲れて眠ってしまったんだ。お母さんたちは、少しお仕事が忙しいみたいで、まだ帰ってこられないんだ。だから、お願いできるかな?」


「は、はい。わかりました」




 そして、寝かせたミナギの傍らに座ったミルに対し、ヒサヤは出来うる限りの優しい口調を心掛けつつ、そう語りかける。



 ミオのことは元より、カザミのことも告げられてはいない。



 いや、事実を告げるとすれば、それはあまりに残酷なことであるとも思えるのだ。何よりも、目の前にいるミナギはなおも昏睡状態にあり、予断を許さない状況が続いている。


 そして、老夫婦。今となっては、ハヤトともに数少ないミナギの身内となった二人に対して、ヒサヤが告げなければならないことでもあった。




「……以上だ。ミナギはいまだにあの調子であり、ミオさんもまた」


「…………うっ、うぅぅ……っ」



 事の顛末を語り終え、目を閉ざしたヒサヤの言に、堪えきれなくなったのか、老婦人が両手で顔を覆いながら嗚咽する。


 臣下としてミオを守ってきたつもりであったが、両者にとって、彼女は娘のような存在であったのだろう。そして、その死を悲しむことをミオが最も忌避していることを知っている彼女であっても、告げられた事実は、その悲しみを抑えきるにはあまりに重すぎる事実であったのだ。



「すまぬ……私がっっっ!?」



 そして、そんな老婦人の様子に、改めて頭を下げようとしたヒサヤは、突然感じた頬の痛みとともに、椅子から投げ出される。


 驚きとともに目を見開くと、憮然とした様子で腕を組み、腰を下ろす老父が鋭くヒサヤを睨み付けてくる。


 瞑目した一瞬の間に、ヒサヤは彼によって殴り倒されたのであろう。




「あ、あんたっ」


「黙っていろ。これは、皇太子とかそういう話じゃない」


「だからって……」


「いや、いい。俺は殴られて当然だ」




 そして、老父の行動を涙目のままに咎め立てる老婦人に対し、老父はなおも憮然としたままヒサヤを睨み付ける。


 なおもそれを咎めようとする老婦人を宥め、席へと着くヒサヤ。


 老父とヒサヤ。そこにあるのは、臣民と皇太子ではなく、一人の男と男の対峙のようなモノであったのかも知れない。



「そう思うのでしたら、自分のすべきことを果たすべきでしょう。俺が何のために貴方の剣を打ったと思っている? ミオ様の死を嘆くためでも、ミナギ様の負傷を謝罪させるためでもない。貴方のその態度を、ミナギが喜ぶとでもお思いか?」



 そして、なおも鋭くそう言い放った老父に対し、ヒサヤは無言のまま彼を見つめるしかなかった。


 たしかに、事の顛末を報告することは、自分のために命をかけた二人に対する礼儀であっただろう。


 だが、謝罪の言葉などは、単なる自己満足でしかない。そもそも、ミナギを二人とミルの元に送り、顛末を口にしたことで義理は果たしているのだ。




「……そうだな。時間をとらせた。ただ、ミナギの事は頼む。そして、責務を果たしたら、迎えに来させていただく」


「はっ……」


「大変、ご無礼を致しました……」




 そして、席を立って二人に対してそう告げたヒサヤは、最後に今一度、眠り続けるミナギと疲れが出たのか、彼女の手を握りしめたまま横で寝息を立てているミルを見つめると、ゆっくりとその場を後にする。


 彼の肩には、ミオやカザミをはじめとする者達の思いが託されている。そして、彼は、これからさらに重き重いと責務を背負うべく、自身の務めを果たさねばならなかった。


 だからこそ、傍らにいて欲しかったのであろう。出会いの時から、常に自分を守り、支え続けてきてくれた女性に。




 そして、ゆっくりと通路を歩き始めるヒサヤ。


 その背後には、彼を待っていた者達。悲しき戦いから生還した者達が、主君たる人の下へと向かって歩みを向け始める。


 だが、ヒサヤにとってそうであったように、彼らもまた、巨大な喪失感を拭い去ることが出来なかった。


 本来、今後の自分達が主と仰ぐ人物の傍らにて、美しい黒髪を揺らしながら、彼に寄り添っているはずの人物が、そこにはいないのである。


 だが、無き者をねだったところで、その人物が帰ってくるはずもなかった。




(ミナギ……、必ず、目を覚ましてくれるよね? シロウもユイも、ミオさんだって、貴女には生きて幸せになって欲しいんだよ? だから……)




 眼前を歩くヒサヤの背を見つめつつ、目尻に浮かんだ涙を拭うことなく、サキは一人そう思うしかなかった。



◇◆◇◆◇



 悲しき戦いは終わり、時代は新たな局面を迎えようとしていた。


 だが、数奇な運命に翻弄される一人の少女。彼女の物語は、まだまだ終幕を迎えようとはしていなかったのだ。





 そしてそれは、彼女の友人達のあずかり知らぬ所で、彼女の意志もまた介入する余地無く続いていたのであった。

遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。


なんとか、ミオという女性の人生を締めくくろうとは思ったのですが、自身の無力さが恨めしい……。


ミナギの物語は今少し続きますので、今少し、お付きあいしていただけると幸いです。

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