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第十話

 水を入れた器が頭に乗せられていた。



「それじゃあ、始業前までそのままでいてね?」


「は、はいっ」


「ちょっとこぼれたわよ」



 皇子の探索も進まず、頭の中で考えることばかりになっていた私は、気分の転換もかねて白の会用の離れへと足を運ぶと、ちょうど時間の空いていたアツミ先生が修練の相手を買って出てくれたのだ。


 もっとも、修練内容は、訓練用の槍を持ち、構えを取ったままひたすら耐えるだけであったのだが。



「それにしても、難儀しているようね」



 私の眼前に腰を下ろし、授業で使うのであろう、びっしりと文字の書き込まれたノートに目を落とし、さらに書き加えたり、訂正したりしている。

 とはいえ、私達への主命も知っているからか、私に対し、眼鏡越しに不敵な笑みを向けて来た。



「は、はい……っ!?」



 それに対して口を開こうとしたのだが、生憎と身体が揺れて思いきり顔に掛かった。

 まだ、季節は初春であり、朝の冷気が濡れた身体に突き刺さるが、身体が震えるのを強引に抑えつける。これ以上震えては、余計に水がかかるのだ。



「あらあら。まずはそれをかまえたまま話ぐらいはできるようにならないとね。こぼれた分は足すわよ?」



 そして、なんとか堪えている私に対し、アツミ先生は表情を変えることなく、器に水を足していく。



「まあ、今、それをやれというのは不可能だろうし、私が話すことに耳を傾けなさい」



 そう言って、水瓶を置いたアツミ先生は、再び椅子に腰掛ける。



「殿下に関しては、私の口から教えることはできないわ。ただね、人間、観察をしているだけではその子の人となりは見極められないモノよ? 正直なところ、あなたは同級生と距離を置きすぎだわ。自分の責務とかそう言うモノを大切にしている気持ちは分かるけどね。ただ、学校においては神衛ではなく、一人の女の子として過ごすようにしなさい」



 そう言って、アツミ先生は口元に柔らかな笑みを浮かべる。

 入学以来、私の様子を気にしていたようで、せっかくの機会だからと言う事なのだろう。



「ああ、あなただけじゃないわよ? 白の会の子達は、大人びているけど孤高な子が多いの。私もそうだったしね」


「えっ!? っきゃああああああっっ!?」


「うわ、ちょっとっ!?」



 そんな私の考えを見透かすように、口を開いたアツミ先生の言に、私は驚き大きく身体を動かしてしまい、器から派手に水がこぼれ落ち、派手に水を被ってしまった。

 


「うう……、寒い」



 朝からとんだ騒ぎになってしまったが、当然、鍛錬が途中で終わるはずもなく、ずぶ濡れのまま時間いっぱい槍をかまえた私は、始業に遅れぬように着替えを済ませ、教室にて震えていた。


 アツミ先生が法術で火をおこしてくれはしたが、さすがに短時間で制服は乾かず、冷えたからだが温まることもない。



 もしかすれば、人生で初めての風邪をひいてしまうかも知れなかった。



「何をやっとるんだ?」



 制服ではなく、運動着姿の私に、同級生たちの大半は驚きの目を向け、ヨシツネをはじめとする白の会の子達は、あきれながら私に声をかけてくる。



「ちょっと、ね」


「知ってるよ。貴様らしくもないな」



 前の席から顔を向けてきたヨシツネに対し、私は口ごもりながら答える。神衛の修練のことを話すのはさすがに憚られるし、彼も事情は知っている様子で眉を顰めながら声をかけてくる。



「以降、気をつけますよ。さてと、……あっ?」



 ヨシツネに対してそう答えて、授業の用意を始めた私だったが、身体はまだ冷えていたため、手にした消しゴムが手から滑り落ちる。



「大丈夫? はい」



 すると、私の声に気付いた隣の席の男の子、ヒサヤ・ミズカミ君が、転がる消しゴムを拾って手渡してくれた。



「あ、ありがとうございます」


「どういたしまして。ところで、ツクシロさん、朝から何かやっていたの?」


「え? ええ、ちょっと運動を」



 ヒサヤ君はそんな私に興味が沸いたのか、軽い調子で話をしてくる。先生はまだ来ていないため、少しぐらいなら話をしてもいいだろう。

 ちょうど、アツミ先生に言われたばかりだし、親交を深めるいい機会かも知れない。



「そうなんだ~。いつも本を読んでいるから、運動とかは好きじゃないんだと思っていたよ」


「そんなことはありませんよ? むしろ、身体を動かすのは大好きです」



 そんな私の言葉に、ヒサヤ君は少々驚いた様子だ。


 たしかに、本ばかり読んでいる大人しい女は、たいてい運動が苦手という印象を抱くと思う。ある意味定番だ。

 しかし、私は本好きは変わっていないが、身体を自由に動かせる喜びを知っているので、運動などは大好きなのだ。


 今日の修練も、水を被りさえしなければ理想だったのに……。



「へ~? じゃあさ、昼休みに何人かで飛球合戦をするから混ざらない? 女の子が少ないからさ」


「いいんですか? それじゃあ是非とも」



 飛球とはドッジボールのことである。人数がそこそこ必要で、シロウ君たちとも一緒にやっていたので好きな遊びの一つだった。

 まあ、今となっては多少の手加減も必要だとは思うけど。



「よし、みんなに言っておくね。ツクシロさん、ちょっと怖そうだったから誘いづらかったんだよ」



 最初は以外に思っていたようだが、私が乗り気なことにヒサヤ君は嬉しそうな表情を浮かべてそう口を開く。

 ただ、怖そう。というのは、思っていても本人の前で言うことではないと思うのですがね。




「いやあ、楽しかったね~」


「そうですね。あ、制服も乾いたみたい」



 当初は昼休みの予定だった飛球合戦だったが、話を聞いていたアツミ先生の計らいで、昼前の体育がそれに変わったのだ。


 私と視線があった時に先生は片目をつぶっていたため、わざとやっているのだと思うけど、朝に言われたことを実行するにはちょうどよかった。



「それにしても、ツクシロちゃんってすごいんだね。ボールもすごい速かったし、ヨシツネ君のボールだって簡単に捕っちゃうし」



 給食を食べ終え、教室に戻った私の所に、同級生の女の子たちが何人か駆け寄ってくる。今まで取っつきづらかったのであろうが、今回はボールにあたりそうになったところを助けたり、私一人になったところから逆転したりと活躍させてもらった。


 最終的には、私とヨシツネの一騎討ちになり、もちろん私が勝った。



「たまたまだ。くそっ!!」



 私達のおしゃべりが耳に入ったのか、ヨシツネが悔しそうに吐き捨てている。

 普段は落ち着いているようだが、この辺りは年齢相応と言ったところか。それでも、最後には少々疲れていた様子だから、少し減量をした方がいいかも知れないわね。


 そんな失礼なことを考えていた私だったが、授業や給食の間に濡れていた制服も乾いたようなので、着替えのためにみんなの元から離れる。


 そして、戻って来た時には、みんな元のグループに分かれて談笑していた。



 その場に入るのはちょっと煩わしいし、授業の復習もしたかった私は、静かに席に戻り、ノートと持参した本を取り出す。

 ちょうど、社会科の授業があり、以前も入手した本の内容との齟齬が気になるのだ。



「ツクシロさんて、本当に、本が好きなんだね~」



 そんな私に対し、席に戻ってきたヒサヤ君が相変わらずののんびりした口調で話しかけてくる。

 何を改まって。と思いながら、顔を向けた私に、ヒサヤ君は頭を掻きながら話を続ける。


 若干、表情が硬いのは、目を向けた時の視線が鋭くなりすぎたからだろうか?



「いつも本を読んでいるからさ。それもむずかしそうなヤツを」


「うーん、そうですね。挿絵とかも少ないですし。普段は物語とかを読んでいるんですけどね」


「やっぱり。なんかうちのばあちゃんみたいですごいなと思って」


「ば、ばあちゃん……?」



 視線のことを気にした私は、できるだけ表情を柔らかくしてヒサヤ君の言に答えると、案の定、安堵した様子で人懐こい笑みを浮かべる。

 ただ、それのせいで、口から飛び出した不用意な発言が、私の心を容赦無く抉ってくれた。


 たしかに、外見こそ立派な少女だと思うけど、前世の記憶を持っている分だけ同年代の少女よりは精神年齢も高くなる。



 しかし、祖母みたいと言われるのは……、はっきり言ってショックだし、泣いていいですか?



「あ、ごめんごめん。うちのばあちゃんも本が好きなんだ。いろんな所から本を見つけてきて、店番をしながら読んでいるんだよ。読み聞かせてくれたりもしたし」

「そうなんですか? でも、色々なところというと?」



 自分の不用意な言で、私を撃墜したヒサヤ君であったが、特に悪気の無い様子で、苦笑しながら頭を下げると、楽しそうに頷きながらそう口を開いた。

 店番というと、商店か何かをやっているのかと思いつつ、ヒサヤ君の呑気な表情に毒気を抜かれしまう。


 そう言えば、以前にお母様はや老婦人が絵本を読んでくれたこともあったし、家の本棚は貧しい生活の割には充実していたと思う。お母様も老夫妻も贅沢とは無縁だったけど、書物にはお金を惜しまなかったのだと思う。

 今思えば、ああ言った落ち着いた時間も今となってはすごく貴重なものだったのだ。



「ああ、うちって本屋なんだよ」


「あ、そうなんですか? でも、ミズカミという書店の名は聞いたことがないのですが」


「そりゃ、そのままの名前じゃないしね。たしか……、えーと、なんて言ったかな?」


「あら」



 そこまで言って、首を傾げるヒサヤ君に思わずよろめく。


 冴えない印象のある男の子だったが、このとぼけた様子にはわざとやっているのではないかと勘ぐりたくなってしまう。

 私はそんなにからかいやすい性格をしている覚えは無いのだが。



「ごめんごめん。自分家の名前なんてあまり気にしないんだよ」


「そ、そう言うモノなのですか?」


「あ、でも、下町にある本屋だからすぐに分かるよ。良かったら寄ってみてね」


「あ、ちょっとっ!?」



 そう言うと、ヒサヤくんは席を立って、他の男の子たちが話す輪の中に入ってしまい、私は一人その場に取り残された。


 もしかして、あまり触れ欲しくなかったのだろうか? と、そんなことを考えながら、所在なく教室内に視線を向ける。

 すると、女子グループや神衛候補生達と目が合う。前者は慌てて視線を逸らし、後者は何をやっているんだといわんばかりに苦笑していた。



「えっと……、ど、どうすればいいの?」



 一人、そう呟いた私は、男子児童の輪の中で笑顔を浮かべるヒサヤ君を一瞥すると、読みかけの本へと視線を戻すしかなかった。

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