とあるハイエナのおはなし
山口は交通の要所だ。ここをやられると、九州への経路が制限される。かといって、敵が主要な交通インフラを積極的に破壊するようなことはない。戦争をする両国の同意した協定に従いながら交戦しないと、戦果どころか罰則を受ける。傭兵にとっては致命的な支出となったり、正規兵だとしても減給や除隊処分もあり得る。
バレなければいい、そう思う連中もいない。戦場にいる人間でナノマシンの入っていない者はいない。いつどこで誰がどの敵をどうやって殺したか、正確に測りうる監視装置が自分にくっついているとなれば、どんなバカでも協定を守ろうとするだろう。時に協定どころか交戦規定すら読まないバカもいるが、そういうのは早々に退場する。
「……森ばっかですね」
「森だからね。でも道路という道路は全部舗装されてるんだよ」
「戦場なのに、ですか?」
「逆。交通インフラが整ってて、人口が限界に来てたから戦場候補になったんだ」
「小月の飛行場、山口と防府の駐屯地と、あと岩国の旧米軍基地があったのも理由の一つだ。地形の種類も豊富で市街戦も山岳戦もできる。あとは、山口の政敵が当時の総理だった……くらいか」
古い大型トラックで走ること数時間。関門橋からダラダラと美祢を目指す。ラジオからは知らない曲が流れ、それをBGMに新兵の話に付き合う。
「え? なんでそれで選ばれるんです?」
「ずっと政治の中心地だった。それだけ敵も多い」
もっとも、それを強行した結果、時の総理は文字通り『消され』てしまったが。一度決まったことは覆し難いのは何時の世も同じこと。未だゲリラのように住む住民もいる。
「へー。東京じゃないんですか」
「歴史でやっただろ。明治維新とか」
「覚えてないです」
確かに、歴史なんて覚えていられん。日本だけでも2600年を超える歴史が在る。俺が知っていることとて、傭兵が自慢げに話していたのを覚えていたからだ。学校でもないというのに歴史や政治の授業は勘弁願いたかったが、こうして話の種になるのは悪くない。
さりとてそう、話が長々と続くことも少ない。新兵が思い出したように何かを言っては、歳のより近い相棒が応じる。時々俺も口を出す。そんなものだ。
二人分の寝息を聞きながら美祢にたどり着く。
叩き起こした後は、荷台に載せたリアカーを組み立て、マスクをして手袋をはめる。いつもは防毒の完全密閉だが、今日は普通の風邪用マスクだ。無いよりマシと考えよう。
「結構重装備ですね」
「軽装だよ?」
「無駄口はいい。乗れ」
「え? 俺が牽くんじゃないんです?」
「やめとけ」
体力をつけるためにも牽かせたいのはやまやまだが、今日は都合が悪い。新兵も流石に二人を載せてリアカーを牽くのは嫌なようで、素直に従う。
「前に寄るな。後ろにもだ。車軸の上に乗れ。そうだ」
バランスの取れんリアカーなど牽きたくない。持ち手を上下させて、まぁいいくらいかとサイドブレーキを外して牽き始める。
リアカーは人力運搬車両として本当に使い勝手がいい。これから荷を積みトラックまで行ったり来たりをするわけだが、小回りの効かんトラックで回ろうなどと考えてはいけないのだ。ここらは今では駐車禁止も適用されないため、なるべく行動範囲の中心に置いている。
キリキリ、キリキリと年季の入ったベアリングが鳴く。しばらく放置していた文句を言われているようだ。注油したくらいでは無理か。
しばらく移動すると、何かを蹴った。聞き慣れた音だ。そこら中に薬莢が落ちている。リヤカーを止め、サイドブレーキを掛けた。ドンパチの最中にコレに足を取られるのはよくあることだ。不運にもコケて死ぬ者さえいる。こんなものを牽いて歩くのはあまりいい考えではない。
「なんでこんなに薬莢が」
「たぶん、ミニガンかな」
尋常ではない弾薬消費量から、相棒がおおよその状況を推測した。崩落したブロック塀、ボロボロの土嚢陣地、引剥がされたアスファルトの下の塹壕。遮蔽物の一切ないここで使われるとしたら、制圧力の高いミニガンを搭載した装甲車輌、あるいはサイボーグか。おそらく戦車までは出ていないだろう。いずれにせよ、ここらは一方的な戦闘があったと考えられる。車輌の残骸もサイボーグの死体もない。
「降りろ」
ハイエナのお仕事を始める。
新兵はやはり吐いた。結構暑いこの時期では、人間の死体なんかそうそうに腐る。ミニガンなんかでバラバラにされていれば尚更だ。
ハイエナという行為が嫌われる理由がここにある。一般的な新兵は、戦場で比較的新鮮な死体を見る。或いは、死体を見ることがなかったりもする。真っ先に死ぬからだ。ナノマシンがぶち撒けるアドレナリンでぶっ飛んだ脳は、野砲で肉塊になった死体も興奮の材料にする。素人を戦わせるために、お偉い科学者はいろいろ考えた訳だ。もしかしたら、思考とかも操作されているかもしれない。専門の教育も正しい情報も与えられない我々傭兵には、そんなことを考える意味は無いが。
今は戦闘中ではない。そんなラリった奴が要るのは戦闘中だけだ。正直、戦闘中もラリってほしくはないが、怯えて動けないよりはマシなのだが、今ここにいるのは冷えた脳味噌を持つ傭兵三人。俺と相棒は腐敗臭やら虫のたかる肉塊やらに慣れているが、新兵はこのロクでもない「戦後」に初参戦した。
防毒、防疫も兼ねた密閉型マスクだと、嘔吐物が溜まって更に悲惨なことになる。可能性は低いが、腐敗臭やらに慣れた傭兵でももらいゲロというものはするもので、念のため俺と相棒も普通のマスクだった。
「やれやれ。そこで休んでろ」
「あ"い…………」
こればかりは慣れないといけない。まぁ、余程でなければハイエナなどしないのだが。
「FAL見つけたよー…………これインチだ!」
「ああ、そのついてる腕を何処かに……ほら、ドラム缶に」
インチパターンFAL、L1A1ライフルをひと目で見抜くとは。その慧眼には感服する。
「とりあえず銃を集めて来い」
「りょーかい」
対する俺は、火バサミや箒で屍体を集めてビニール袋に詰め込んでいる。満杯になったらリヤカーに積み。満載になったら帰る。
相棒はどこまで行ったのか。そう思っていたら、弁慶のごとくになって帰って来た。
「儲け儲け」
死体の詰まったビニール袋と、抱きかかえた幾つもの銃。状態の良いタクティカルベストを何枚か肩に引っ掛け、腐った肉片に塗れて足取りも軽く嬉しそうに歩いている。こういう装備品は持ち主に返すも、リサイクルして売るも、いずれにせよカネになるものだ。道具に執着する人間はいつの世にもいる。そうだ、銃にシャーリーンと名付けないように、新兵に教えておかないと。
こんな相棒でも、昔は新兵のように吐き散らかし、暫くは使い物にならなかった。一端の傭兵になるための通過儀式のようなものだ。稼ぐ手段は多い方がいいし、酷い物は見慣れておくに越したことはない。
荷台の半分は死体と戦利品とゴミの詰まったコンテナで埋まる。服は全部ハザードマークのついた袋にぶちこまれ、帰ったら焼却炉で灰になる運命だ。前半分は水タンクとシャワー設備。狭い狭いシャワー室で、腐臭を落とす。
「なんですかこれくっさ!?」
防疫のために消毒液が混ぜられ、これがまた臭い。
「腐臭よりマシだろ」
「これがないと病気になるからね」
多少元気になった新兵の文句を窘める。腐臭が消毒液でかき消され、やっと人間に戻れた気分だ。
「なんだ」
「あ、いや、なんでも」
新兵にじっと見られているのに気付く。
「肉でもついていたか?」
時折、腐肉がへばりついていたりする。残していると後々で感染症になったりして死ぬ羽目になるため、最近切っていない髪をかき上げてよく見えるようにしてやる。
「いえ、気のせいでした」
まぁ、無いならそれでいい。
帰り道、相棒はグースカ眠り、新兵は寝たり起きたりを繰り返す。
まだこいつは、戻れる場所にいるようだ。