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4話目

 見慣れた部屋の中で、エミネーラは椅子に座ったまま何度目か知れない溜め息をついた。城に戻ってきてからというものいつもこんな調子で元気が無く、姉達はそれが心配で部屋をこっそりとのぞき見していた。


「ああ、また溜め息をついたわ」

「食欲も無いのよ。今朝だって半分以上朝食を残して……」

「私なんてあの子の大好きなキッシュパイを作ったのに一口しか食べなかったのよ?」

「やっぱり死神の所で何かあったのだわ」

「何か言われたのかしら」

「何かされたのかも」

「……私、やっぱり聞いてきますわ」


 四番目の姫君がそう呟き、扉をノックする。返事は返ってこないが、構わず扉を開けた。

 エミネーラは椅子に座って膝に置いた拳を見つめている。動かずに、ただじっと。


「エミネーラ」

「……ハルフェリ姉様」


 静かに見上げたエミネーラの頭を撫で、ハルフェリは隣に腰を下ろした。


「元気がないのね。……理由はまだ教えてくれない?」


 柔らかく微笑むハルフェリ。窓から射し込む陽の光に輝く金色の髪をかきあげ、妹の俯く横顔を見つめる。

 しばしの沈黙の後、エミネーラはぽつりと声を漏らした。


「……私、最低だったと、思って」

「最低?」

「相手の事情も知らないで……知ろうともしないで、ただ興味深いからとか、楽しそうだからとか……」

「死神の事?」


 唇を噛み、エミネーラは頷く。興味本位でずかずかと土足で領域に上がり込んできたエミネーラに、イリヤは最後まで優しかった。彼がどんな現実に身を置いているかを思い知った時も、責めたりしなかった。

 きっと嫌な思いをしていただろうに。


「ハルフェリ姉様。私はどうしたらいいんだろう。イリヤの為に何が出来るだろう。……イリヤは私の事、嫌いになってしまったかもしれない」


 嫌われたかもしれない。そんな疑念を持つ事がこんなにも苦しい事だと初めて知った。エミネーラの目にじわりと涙が滲む。


「……どうしたら、いいのかな……」

「……そうね」


 色をなくした白いエミネーラの手を、優しく包み込むようにハルフェリが握る。


「まずは謝る事から始めてみたらどうかしら」

「……謝って、何になるのですか?」

「あなたの気持ちを伝えられるわ」

「……」


 赤く充血した目がハルフェリを見る。


「特別な力でも持っていない限り、他人の心の中まで見通す事は出来ないわ。だから、大切な事はちゃんと言葉にしなければいけないのよ。悪い事をしたと思ったら、まず謝らなければ」


 細い指がエミネーラの目元を拭う。


「あなたは自分で動ける強さを持っているわ、エミネーラ。城を出ていってしまった時は心配だったけれど、あなたの持つ強さは私達信じていたもの」

「あ……ご、ごめんなさい、心配かけて」

「いいのよ、あなたらしいもの。……我らが勇ましい末姫? あなたはこのままうじうじと部屋の中で悩み続けるつもり?」


 いつの間にか他の姉達もエミネーラの周りを囲み、皆穏やかな表情で末妹を見ている。美しく、優しい姫君達。代わる代わるエミネーラの頭を撫で、元気づけるように微笑んでみせた。


「恋をしたのねエミネーラ。羨ましいわ!」

「自由であろうとする心が、一番のあなたの魅力だわ」

「あら、笑顔だって魅力的だわ。ねえ、笑ってちょうだい」


 愛される事はこんなにもあたたかくて心を満たすものだと、エミネーラは今更のように理解した。心を傷付けられてきたイリヤにも、同じ分だけ与えたい。いや、これ以上に。


「……ありがとう、姉様。私、姉様達にイリヤの事を話したいんだ。聞いてもらいたいんだ。いい、ですか?」


 恐る恐る提案する愛らしい妹姫に、四人の姉姫は揃って力強く頷いた。


*****


 今日もまたひとつ、終わった命が冥府へと送られる。お決まりの罵詈雑言を浴びながら、イリヤは重い足を引きずるように外へ出た。

 歪められた表情、自分への嫌悪や憎悪の表れを見るのが怖くて、前髪を伸ばした。イリヤが何者かを知った上で彼を受け入れる人間など居ない。増して、笑いかけてくれるような人など。


「……」


 最後に見たエミネーラは泣きそうな顔をしていた。死神への興味は失せただろう。

 人の命を、魂を扱うこの役割を嫌だと思った事はない。恩人に与えてもらった自分の存在意義であり、循環の手助けをする大切な役割だからだ。冥府に辿り着けない魂は、転生する事も叶わない。

 けれど寂しいと感じる心を否定する事も出来ない。悲しい、辛いと思ったのは一度や二度ではない。だからこそ同じような思いをエミネーラにさせたくないのだ。

 誰かから笑顔を向けられたのも、名前で呼んでもらえたのも、随分と久しぶりだった。先代の死神が死んでから初めてだったかもしれない。


「……もっと、ちゃんと見ておけば良かったかな……」


 屈託なく笑うエミネーラを。そう考える自分が情けなくて、ゆるゆると頭を振った。

 人目につかないように裏通りを帰ろうと小道に入った瞬間、目の前の家の扉が勢い良く開いた。中から誰かが転がるように出てくる。続いて出てきたのは見覚えのある男性だった。この間エミネーラを連れてきた家の家人、イリヤに殴り掛かってきた男性だとすぐに気付く。


(ここ、この前来た家……)

「何度来たって無駄だ! そんな話、誰が信じるものか!」

「何度突き飛ばしたって無駄だ! わかってくれるまで私は諦めないからな!」


 最初に転がり出てきた人物が立ち上がり、男性に負けず怒鳴り返す。その後ろ姿にも、イリヤは見覚えがあった。


「二度と来るな!!」


 大きな音を立てて閉まる扉に肩を一瞬震わせ、その人物はゆっくりと振り返る。二つに結った長い髪を、揺らしながら。


「……イリヤ」

「え、エミさん……?」


 頬を真っ赤に腫らし鼻の頭を擦りむいたエミネーラが、目を丸くしてイリヤの前に立ち尽くした。


*****


 森までの道を並んで歩きながら、二人は沈黙を破れずにそわそわしていた。意を決したように最初に口を開いたのはエミネーラ。立ち止まり、強い瞳でイリヤを見据えた。


「もう一度会えたら謝ろうと思ってたんだ。……ごめんなさい」

「え、な、なな、何で」

「君がどれだけ傷付いていたかも知らず、無神経な事ばかり言った。私は死神という存在について何も知らなかった。深い所を知る努力もしなかった。ただ自分が退屈しなければいい、興味があるからってだけの理由で君と結婚したくて会いに行ったんだ。……最低だったと思う。本当に、ごめんなさい」


 深々と頭を下げるエミネーラに、イリヤはあたふたと慌てた。


「そ、そんな事、気にしてない、し、む、むしろ……僕の方が嫌なもの見せてしまって……ご、ごめん」


 お互いに向かい合って頭を下げる。イリヤは少しだけ顔を上げて、エミネーラに疑問をぶつけた。


「さっき、何してたの? あの家で。そ、それにその顔……」

「え? ああ、あはは。顔は大切にしろと姉様達に言われていたのに、また怒られてしまう」


 腫れた頬を押さえて、鼻の頭に血を滲ませて、エミネーラは明るく笑った。まったく曇り無い笑顔にイリヤは呆気にとられてしまう。


「君が、死神があのご老人を殺したわけではないと、説明をしに行ったんだ。三回目になるんだが、やはり一筋縄ではいかないな」

「な、何でそんな事……!?」

「だって悔しいじゃないか。誤解されたままなんて」

「だからって、エミさんがそんな事しなくても……な、殴られたの? その頬……」


 まさしく腫れ物に触るようにびくびくと指を伸ばしてくるイリヤの手を、エミネーラは自分の手で受け止めた。指と指を絡ませ、ぎゅっと握る。


「勝手な事をするなと怒られる覚悟でした事だ。どうしてもわかってもらいたかったから」


 自分が姫だと明かせばまた違った反応が返ってきたのかもしれない。しかしそれはきっと違う。エミネーラは自らの立場を振りかざして話を聞いてもらう事は望まない。


「……もう、そんな事しないで」

「やはり迷惑だったろうか」

「う、ううん。嬉しい、ありがとう……。でも」


 繋いだ手をイリヤも握り返す。


「エミさんが傷付くの、嫌なんだ。絶対絶対、嫌だ」


 風が吹いて髪が揺れる。一瞬見えたイリヤの瞳は空のような色で、真っ直ぐにエミネーラを見ていた。


「それは……どうも……」


 頬が熱くなる。もしほんの少しでも好意的に思われているのなら。そんな期待にエミネーラの胸がざわめいた。


「イリヤ」


 ハルフェリの言葉を思い出す。大切な事はちゃんと声に出して伝えるべきだ。後悔しないように。


「私、君の事をもっと知りたい。死神である事も含めて、君がどんな人なのか知りたい。見てみたい」


 繋がった部分から浸透してくる熱は、まるで病のように体中を駆け巡り息苦しくさせる。ように、ではなく、本当の病なのかもしれない。


「私は傷付く事は怖くない。君が案じてくれるのは嬉しいけど、そんなに軟弱ではないつもりだ」


 泣きたいわけではないのに、何故か込み上げてくる感情と共に涙も溢れた。イリヤが驚いたように口を開ける。


「私は、君を好きになったのだと思う」

「……え?」


 一拍遅れて反応した後、イリヤの顔がみるみる赤く染まっていく。開けたままだった口を、今度はぱくぱく動かし始めた。


「私を、君の花嫁にしてくれないだろうか? イリヤ」


 エミネーラは泣きながら太陽のような笑顔を浮かべた。

 その笑顔に応えるべく、その想いに応えるべく、イリヤは思考をフル回転させる。混乱する頭の中は、回せば回す程エミネーラの顔しか浮かんでこない。

 現実を知って死神という役割もろとも嫌われたと思っていたのに、今彼女は目の前で笑っている。繋いだ手は柔らかくて、あたたかい。

 初めて前髪が邪魔だと思った。


「……エミさん」


 そしてイリヤも自然と微笑む。想いを乗せた言葉は、確かにエミネーラの耳へと届いた。

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